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「燃えよ!カンフー」第22話の解読

「燃えよ!カンフー」第22話、原題「THE SALAMANDER」、

邦題「愛憎は幻の炎に消えた」。

3週間前に書いた『燃えよ!カンフー』という記事には、予想通り、しばらく

ほとんどアクセスがなかった。平日深夜のマニアックなカンフー西部劇の

記事だから、当然のこと。ところが先週の放送の後、急にポツポツと検索

が入ってきた。その理由は明らかだろう。先週の話が難解だったからだ。

             

シリーズの中でもかなり哲学的なテーマを扱っており、ドラマの構成も複雑。

本来なら、英語のセリフを聞き取った上で記事を書くべきだろうが、前の

記事に11月4日付で「近々2本目の記事を書く予定」と追記してしまった

ので、有限実行ってことで、とりあえず間に合わせの記事を書いておこう。

 

まず、あらすじは次の通り。1870年代のアメリカ西部で、さすらいの旅を

続ける少林寺出身のケイン。山奥の川にかかる吊り橋で、若者(アンディ)

が首を吊ろうとしてる所に遭遇。若者は、ケインが助けようとせずに見てる

だけなので、怒りの叫びを上げて自殺を中止。やがてケインがたどり着いた

のは、金鉱探しの騒ぎが収まってすっかりさびれた街。そこで再び、父を探す

若者と遭遇。彼は、現実と幻想の区別があいまいな状態で、自分が本当に

自殺しようとしたのかどうかさえ確信できずにいた。その後、ケインは山奥に

戻り、金鉱探しを一人で続けてる父親(アロンド)と遭遇、雇ってもらう。

     

用事で街に出かけたケインは、若者に父親らしき男がいたと報告。若者を連れて

山に戻り、親子は再会。若者は、母が心の病で施設に監禁されてしまった件

で、父を激しく責める。さらに、炎を見つめながら、自分の精神状態まで変に

なってることを告白。やがて父は、金鉱を発見したと狂喜し、息子とケインを

廃坑の一つに連れて行く。その時、横取りしようとした男(ベイツ)が火をつけ、

さらに父親を銃殺。死の間際に父親は、自分が妻を愛しすぎていたからこそ

追い詰めてしまったことを告白。これを聞いて、若者の父への憎しみは和らぐ。

      

ケインは若者に、父が殺されたことも目の前の炎も、幻想ではなく現実だと

分からせると共に、カンフーで男を倒す。最後に、吊り橋にかかってた首吊り

用のロープを若者が川に投げ捨て、母のもとに帰ると言ってケインと別れる。

 

    ☆        ☆        ☆

この回のテーマは、現実と幻想。この区別がつかない者は、重い心の病、

いわゆる精神病の患者とされるのが普通だ。けれども、実はこの区別を

厳密につけるのは、少なくとも理屈の上では非常に困難だという事を、西洋

哲学の歴史は示している。この難しい問題に、ケインは彼なりのやり方で

取り組み、病める若者を救い出す。

           

いつものように、少林寺で修行する若き修行僧ケインの姿が何度か映し出

されるのだが、今回のエピソードはかなりヒネリが効いている。師カンは、

ケインら3人の少年を山奥の空き地に行かせて、そこで何を見たかを報告

させる。年配の僧3人が変装して、泥棒が突然孔雀に変身するという奇妙な

寸劇を演じるのだが、少年3人が師カンに報告すると、それぞれの問題点

を師は指摘。この辺り、芥川の「藪の中」という名作を思い出す所。

            

ここで師カンが言いたいのは、事実をよく見るように、などと言うことではなく、

逆に、人それぞれ違う世界を見ているのだという事だ。

                

師カン 「お前はしくじったわけではない。・・・何を見たか、何を見なかったかと

      いう事は重大ではない。・・・お前は、目に映ったものを見たのだ。」

ケイン 「でもそれは、本当の事ではなかったのです」

師カン 「だがお前は、そう見た」

           

この少年修行僧時代の教えを受けて、ケインは病める若者に言う。

 「君は自分の見るものが本物かどうか、分からなくて悩んでる。それは私も

  同じだ。・・・空は青い。私がそう言い、君もそう言う。だが君の心に映って

 いるものが、私のものと同じだろうか。どちらが本物だろう」

              

人それぞれ、見ている世界は違うし、他人の世界をのぞき見ることもできない。

この辺りは、大数学者ライプニッツのモナド論を思い出す所だ。ただしケインは、

現実=真の世界というものを全否定して、極端かつ虚しい相対主義に陥ってる

訳ではない。また、正常と異常の区別が消える訳でもない。

             

病める心や恐れる心は、自分の中の醜さや恐怖の対象を、世界の側に投影

してしまう。とりわけ、妖しく揺らめく炎は、人の目を歪ませる強い力を持つ。

実際、若者も母親も病的なまでに炎に魅せられてしまったし、ケインも昔、

炎の中に「火トカゲ」(原題のsalamander)を見てしまった。もちろん、火の中

に住める伝説上の動物など、本当にいるはずはなく、山椒魚(salamander)

を火の中に入れれば、焼け死ぬに決まっている。けれども、昔のケインの心

にあった醜いものが、salamanderという醜い姿で世界に投影されてしまった

のだ。そういう幻想に関する心の仕組みを理解するだけでも、不必要な不安

は緩和され、心はいくらか安らぐだろう。

                

若者の病める心が最後に立ち直ったのはなぜか。それは、父に投影していた

自分の醜い憎しみが、父の最期の告白で和らぎ、もはや熱い光の揺らめきの

中に妖しげな何かを投影することなく、正しく炎と認識できるようになったからだ。

現実の炎の中で、若者の病的な幻想も、父と横取り男の金鉱に対する妄想も

消えていく。したがって、邦題は内容的にはむしろ、「幻想は現実の炎に消えた」

とすべき所だろう。

 

不要な幻想は消し去り、最小限の現実をとり戻す。

単なる観念的な理屈におぼれることなく、人が生きていく際の基本的な技を、

ケインは心と身体で習得しているのである。無論その設定自体が、米国の

東洋的ドラマの幻想に過ぎないかもしれない事は、忘れるべきではなかろう。

とりあえず、今日のところはこの辺で。

 

cf.名作カンフードラマの俳優の訃報に絶句・・

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コメント

おはようございます。
この回は難解中の難解でしたね(汗)。
アンディがいっぱいいっぱいでああなったのが悲しいですが、
ベイツの浅ましさも観ていて凹みました(笑)。
ベイツもまた
幻想に取り付かれているといっても良いでしょうね~。

投稿: 青いパン | 2005年11月21日 (月) 10時59分

>青いパンさま

コメントどうもありがとうございます。
確かにこの回は、見てる途中も顔がひきつったし、
見終わった後も「ウーン・・・」って感じでした。
原題のsalamanderを英和辞典で引いて、
火トカゲと山椒魚っていう2重の意味がある事を知って
初めて何とか一通りの解読ができました。
つまり、火と結びついた幻想で、しかも醜いものって事ですね。
邦題はイマイチですが、原題は素晴らしく適切です。
それにしても、もうちょっと人気が出てほしいもんです。。(^^ゞ

投稿: テンメイ | 2005年11月21日 (月) 23時14分

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