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東京裁判で非暴力を訴えたインド人~NHK『パール判事は何を問いかけたのか』

毎年この時期になると、戦争関連の番組や記事がメディアで急増する。8月6

日、広島に原爆。9日、長崎に原爆。そして15日、終戦or敗戦。せめてこうゆ

う時期には、戦争についての報道をしなければならないという使命感みたいな

ものが、メディア側にあるのかも知れない。あるいは視聴者・読者の側にも、

似たような義務感があるのかも知れない。

    

山根基世の落ち着いたナレーションで進行したNHKスペシャル『パール判事

は何を問いかけたのか』は、まず題名が気になった。副題の「~東京裁判 知

られざる攻防~」を見ると、全体の意見に逆らった一人の判事に注目する番

組だろうと想像がつく。それと同時に、ちょっと気が引ける、あるいは腰が引け

てしまう。あの複雑でデリケートな話か。。

    

東京裁判とは、戦争に勝った連合国側が、負けた日本の政治家・軍人らを裁

いたもので、正式名称は「極東国際軍事裁判」だ。特に興味を持ってない人

でも、非常に激しい論争になることくらいは容易に分かるだろう。実際、ネット

上のフリー百科事典『ウィキペディア』でこの項目を見ると、そのページが保護

されていること、中立的な観点によって書かれているかどうか議論中であるこ

とが最初に明記されていて、かなり無難で短めの説明が書かれている。

       

私も、無益な争いはしたくないし、もともと自分ではわりと「中立的な」立場だ

と思ってるので、なるべく中立的な記事を簡単に書くことにしよう。ただし、必

ずしも表面的ではない。例えば、番組のタイトルは疑問形になっているけど、

答えは視聴者それぞれに任されている。これに対して私は一言、「非暴力」

と独自の答を示しておこう。パール判事は、非暴力の精神こそが最も正しい

ものではないのかと、他の判事に、関係者に、世界に問いかけたのだ。

       

まず、基本的な事実を確認しよう。最初に極東国際軍事裁判所憲章が定めら

れ、1946年5月3日から審理開始。判事は11人で、オーストラリア(ウェッブ

裁判長)、アメリカ、カナダ、イギリス、オランダ、フランス、ソ連、中国、ニュー

ジーランド、フィリピン、インドの代表だ。一次資料や各国での取材をふまえた

NHKの報道をそのまま信用するのなら、ここからの話の流れは次のようにな

るだろう。

        

当初は、判事全員一致による有罪判決(人道に対する罪、平和に対する罪

ど)を目指していた。少なくとも、少数意見の公表は避けようとしていた。ところ

が、インド代表のパール判事(ラダ・ビノード・パール)は真っ向から多数派に

抵抗。被告たちはおそらく間違ってたのだろうけど、事が起こった後でそれを

裁く法を作って判決を下すのはおかしい・・etc。これに対して、イギリス代表

のパトリック判事は、与えられた法に則って判決を下すのが自分たち判事の

仕事だと主張し、多数派形成の活動に努力する。ところが、当初は少数意見

の公表を避けようと自ら主張していたオランダのレーリンク判事は、隣の席に

いたパール判事の影響を受け、また広島の参上を目の当たりにして、考えが

変わって行く。

    

結局、激しい攻防の末に1948年11月12日判決。25人全員有罪、うち7人

死刑となった。それに対して、パール判事は全面的に反対する1235pもの

独自の判決書を作成、全員無罪としていた。「第二次世界大戦以前にあって

は 国際法の発展の程度はまだ これらの行為を 犯罪もしくは違法とする

程度には至っていなかった」。一方、レーリンク判事は意見書を書き、政治家

中心に5人を無罪、ただしパール判事とは違って、平和に対する罪は認めて

20人を有罪としていた。

    

さて、ここからは、戦争体験のない一人の素人としての私の見方だ。戦争と

か侵略行為、残虐行為などに反対する気持ちは、誰だって同じだろう。もち

ろんパール判事も、そうした行為を正当化する意志など全くない。ただ、総論

賛成・各論反対という言葉があるように、具体的に何を重視するかというレベ

ルになると、それぞれの結論は大きく違ってくる。この辺り、日本の憲法改正

論議と似たものがあるかも知れない。

           

多数派は、先行するニュルンベルク裁判(ドイツの戦争犯罪を裁く国際軍事

裁判)の流れを引き継ぎ、新たな法を作って戦争を裁き防ごうとした。レーリ

ンク判事は、多数派とは異なるものの、戦争に反対するには新たな法(平和

に対する罪への処罰)を作るのも止むを得ないと考えた。最後にパール判事

は、尊敬するインド独立の父・ガンジーの非暴力の精神を受け継ぎ、新たな

法を制定して裁くことに反対した。と言うのも、これこそ欧米諸国が世界で行っ

てきた「暴力」だからだろう。植民地政策に代表されるように、強いものが弱

いものに自らの基準を無理やり押し付けること。軍事的とは限らないものの、

社会的な「暴力」。パトリック判事の母国イギリスなどからの、そうした暴力に

長く苦しみつつ非暴力を貫こうとしたインドの代表だからこそ、徹底的に暴力

に抵抗したわけだ。もちろん、非暴力を貫きつつ、あくまで言葉を用いて。

     

では、パール判事が正しくて他が間違ってるのかというと、もちろんそれほど

単純な問題ではない。もし東京裁判で全員無罪にしていたらその後の世界が

どうなっていたのか、考えてみることは重要なはずだ。

また、ガンジーやパール判事も含めて、絶対的な非暴力など現実にはあり得

ず、あくまで相対的な非暴力があるのみだ、という考えも一応可能だろう。東

京裁判は別に被告全員をいきなり処罰したわけではなく、一応は(非暴力的

な)裁判の形式を取っているし、その結果もっと大きな暴力の発生を防げたの

ならトータルで見て非暴力的と言えるだろうということだ。少なくとも、第二次世

界大戦の暴力と比較するならば。

そして最後に、たかがテレビのドキュメンタリー1時間と軽いネット検索と社会

常識程度で判断できるような問題ではないことも確かだ。

    

だから結局、専門家や戦争体験者に任せるしかない、というのは、半ば正しく

半ば間違っている。専門家も含めて全ての人は、自分一人で解決できることな

どごく僅かにすぎず、他の何かに頼らざるを得ない。他人の意見、何らかの資

料など。それでも、一人一人ができる範囲で考えていくこと、自立した思考を練

り上げていこうとすることは絶対に必要だろうし、これこそ、この番組の中心的

主張とも言えるだろう。

パール判事が求めた非暴力とは、より広く言うなら、自立の尊重なのだから。。

    

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

P.S.ウィキペディアの「ニュルンベルク裁判」の項目には以下の記述がある。

      この軍事法廷は「法廷は法を発見する場所」という、英米法的な

      「裁判」の考え方を基礎に進行された。そのため、日本やドイツ

      の欧州大陸法的な常識からは「法廷による法の創造」が行われ

      た違法な裁判との批判が当時から現在まで根強くある。しかし、

      英米法的な考えではその正当性は否定されない。

   

    これによると、パール判事の「後から作った法で裁くのはおかしい」と

    いう考えは、欧州大陸法的な常識にすぎないということになるかも知

    れない。ただ、常識的に考えて、「英米法的な」考えを危険に感じてし

    まうのは事実だ。それが本当に「英米法的」なのかどうかも気になる所。。

    

P.S.2 安倍首相が19日からのアジア3ヶ国歴訪の際、インドでパール判

      事の遺族と面会するらしい。何ともコメントしにくいニュースだ。。

   

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