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信仰、信頼、愛~佐々木閑『日々是修行』(朝日夕刊)

ネットとテレビが中心の現代、新聞の夕刊というのは、コラムや特集を読まない

とほとんど意味が無くなってる。朝日新聞・夕刊に掲載されたその種の記事につ

いては、これまでも何度か触れてきた。今回は、花園大学教授・佐々木閑連載

コラム「日々是修行」に軽く触れてみよう。ちなみに花園大は、が基本の仏教系

大学だ。

                 

彼は京大工学部と文学部の両方を卒業した学者で、理系&文系という意味では、

私と似てなくもない。彼の理系の議論はちょっと危なっかしいけど、それはここで

は置いとこう♪ 毎週1回(最近は木曜)、原稿用紙2枚(800字)程度の仏教的

文章を書いてて、まとまりはいいし、気軽に読めて、分かりやすい。「独自の刺激」

も持ってるから、その意味では模範的なコラムだと思う。

                    

ただ、独自の部分はかなり刺激があるから、私も含めて、多少引っ掛かってる人

もいるようだ。その点は本人も、自分で認めている。たとえば、2009年2月12日

夕刊の見出しは「信仰ではなく信頼する」で、かなり議論の余地のある話だった。

少し引用してみよう。

   

     釈迦の仏教は、信仰で成り立つ宗教ではない。・・・信仰とは、「絶対に正

     しい存在がこの世にいる」と考えて、その前に自分のすべてを投げ出し身

     を任せることである。・・・釈迦は絶対者の存在を認めなかった。・・・ただ

     常人よりすぐれた智慧があって・・・私たちは、その道を信頼する・・・それ

     だけで仏教は成り立つのである。

    

反発する人も多い」と書かれたこの考えに、私はわりと好意的だ。けれども2点、

無視できない問題がある。1つは、その「信頼」とは、他の信頼とどうゆう関係を

持ってるのかという問題だ。たとえば、科学に対する信頼、あるいは身近な人間

に対する信頼。もし同じというのなら、わざわざ宗教と呼ぶ必要があるのだろうか。

早い話、仏様の前で手を合わせてお祈りする人間は大勢いるが、科学や知人に

お祈りする人間を見たことはない。科学は大昔の書物に依拠することはなく、日々

実験&検証の対象になっているが、仏教は大昔の経典というものがいまだに権

威を持っている。

    

誤解を避けるために書いておくが、私は科学が良くて仏教がダメということを言い

たいんじゃなくて、同じく「信頼」されるものにも大きな違いがあるという事を言いた

いだけのことだ。もし、科学や知人に対する信頼よりも、お釈迦様や経典に対する

信頼の方が遥かに大きいのなら、仏教における信頼とは、実質的に「信仰」に近

ものと言えるだろう。科学や日常生活より、キリスト教に近いということだ。

        

この事は、もう1つの問題ともつながる。それは、信頼だけで仏教が成り立つの

か、あるいは、成り立っているのかという事だ。成り立つという人間がいるのは、

別に構わないが、信「頼」はするけど信「仰」はしてないという仏教徒がどのくらい

いるのか、かなり怪しいとは思う。「仏教」とは、仏の教えと書く。やっぱり、遥か

上空からの有難い教えなのであって、それは通常、単に「頼」るものではなくて、

「仰」ぎみるものになっている。その意味で、佐々木の考えは、かく「あるべき」仏

教、かく「あり得る」仏教を示してはいるものの、かく「ある」仏教については語っ

てない。さらに言うなら、今後も仏教のあり方はしばらく変わらないだろう。

        

       ☆          ☆          ☆

ただし、仏教をさほど特別視せず、出来る限り普通の思考の対象にしようとして

いる佐々木の姿勢は、基本的に正しいと思う。その場合、科学を信じること、あ

るいは、普通の人間を信じることとの比較分析が重要になるだろう。昨日、2月

26日夕刊では、宗教教育の重要性が語られていた。私も重要だとは思うが、憲

法の問題(第二十条・信教の自由)と関わるから、直接的には難しい。そこで代

わりに、もっと広く、「信じること」に関する教育という形で進めるべきだと思う。

     

その場合には、「愛すること」とも合わせて考えるべきだろう。例えば、ウチのドラ

マ記事でもお馴染みのジャニーズ・タレント(キムタク=木村拓哉、山P=山下智久、

亀梨和也、錦戸涼など)に対する女性ファンの熱狂ぶりは、まさに「信じ、愛するこ

と」の身近な代表例だと思う。それがどこから生じて、どんな意味があって、どんな

リスクがあるのか。そうゆう形の考察なら、教育の場でも可能だろうし、興味を持っ

て気楽に聞くこともできるだろう。もちろん愛は、普通の意味での宗教や信仰とも

密接に関わってるはずだから、話の広さや深さの点でも十分なものになるはずだ。

          

ちなみにウチの記事でも、そういった話に関しては、色んな機会に書いてきたし、

今後もまた書きたいと思ってる。それでは、また。。☆彡

     

     

         

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

P.S.2009年9月19日に突然、ウチの3本の記事に続々とアクセスが

    入り始めた。調べてみると、朝のラジオに佐々木閑が出演して本

    のことを話したらしい。道理で、「佐々木しずか」「日々これ修行」   

    なんていう、ひらがな混じりの検索が多いわけだ。それにしても、

    そのラジオについて書いたブログは僅か1つしか見当たらないね。。

          

cf.仏教の語り方と目的~佐々木閑「日々是修行」(朝日夕刊)

  宗教学者という困難、あるいは至福~佐々木閑「日々是修行」(朝日夕刊)

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  NHK『永平寺』~身体の行動形式

  続『永平寺』~禅問答

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  信じること、本当の事~野ブタ第8話

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