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芥川龍之介『蜘蛛の糸』と鈴木大拙訳『因果の小車』

雨が止まない。。夕方から止むって予報だったから、今日はランニングの記事を

書くつもりだったのに、どうも今晩はずっとダメみたいだ。こうゆう時は毎日更新

の継続に苦しむわけで、昨日に続いて一般ウケしない理数系の記事を書くって

いうのも気が引けるから、「困った時の朝日新聞」かなぁとか思ってる内に、文系

ネタをネットで仕入れることを思いついた。そうそう、「困った時の青空文庫」って

手もあるんだな♪

                           

無料の電子図書館・青空文庫については、今までも何度かブログで触れてるけ

ど、ドラマとかコメントの脈絡なしに、自分から古典を選んで読むのは初めてだ。

記念すべき第一作は短くて面白い有名な作品ってことで、芥川龍之介『藪の中』

にしようと思ったんだけど、青空文庫で芥川作品のリストを見てる内に、もっとメ

ジャーな短編を発見。なるほど、『蜘蛛の糸』があったね。大正七年(1918年)

発表、芥川の代表作の一つだ。

             

早速、「新字新仮名」(大まかに言うと戦後の漢字とかな使い)でダウンロード。

ファイル種別は、普通のテキストファイルやXHTMLではなく、エキスパンドブック

ファイルに初挑戦。閲覧ソフトをダウンロード&インストールして、普通の本を読

むような感覚ですぐに読み終わった。やっぱり、面白い童話だな♪

              

            ☆          ☆          ☆

私が昔読んだのは、小学校か中学校の国語の教科書だったような気がする。

いま試しにネットで見ると、東京書籍の小学5年生向け教科書・下巻に採用され

てるという情報が見つかった。ま、どこで読んだかはともかく、ストーリーは誰で

も知ってるだろう。念のため、簡単にあらすじを書いとく(一応ネタバレ注意!)。

         

     極楽のお釈迦様が、蓮池の底を通して地獄の様子を眺めると、悪人の

     カンダタ(犍陀多)が血の池で苦しんでる。慈悲深いお釈迦様は、彼が

     生前に一匹の蜘蛛を助けたのを思い出して、遥か下へと蜘蛛の糸をた

     らす。カンダタがそれをよじ登ってると、下から他の悪人たちも登って来

     たから、「この蜘蛛の糸はオレのものだ。お前らは下りろ!」とか喚く。

     その途端、蜘蛛の糸が切れて、カンダタは真っ逆さま。お釈迦様は悲し

     そうな顔で立ち去る。。

              

さて、本当はここから『蜘蛛の糸』の解釈その他を軽く書いて終わりにするつも

りだった。つまり、ドラマレビューの代わりの「小説レビュー」(or書評)ってことで、

『蜘蛛の糸、軽~い感想』とでもタイトルを付けるノリだったわけ。でも「その前に、

恒例の、ウィキペディア・チェック!」(古・・)をすると、意外な話を発見。『蜘蛛の

糸』に典拠(つまり原作)があるというのだ。。

          

                  

禅を海外に紹介したことで有名な、仏教学者・鈴木大拙(すずきだいせつ,本名・

鈴木貞太郎)が邦訳した、『因果の小車』(長谷川商店,原作はポール・ケラス

『カルマ』)が典拠とのこと。ホホーッ・・興味が湧いたから、今度は国立国会図

書館の近代デジタルライブラリーへアクセス。1898年出版だから、著作権の切

れた古典として、本の丸ごとコピー画像を読むことができた。いやぁ、ホントに凄

い時代だね☆

                

ただし、青空文庫と違って精密な画像だから、重いし閲覧画面も使いづらい。内

容も『蜘蛛の糸』より仏教的だし、111年前の作品だから文字や文体が古過ぎ

てかなり苦戦したものの、何とか該当箇所だけ解読成功。概略はこんな感じの

話だ(ネタバレ注意!)。

        

     慈悲深い僧侶が、懺悔する悪人・マハードータ(摩訶童多)に説教する際、

     「一つの例」(たとえ話か実例か不明)を持ち出す。昔、カンダタという悪人

     が地獄で苦しんでると、仏陀が現れた。以下、芥川『蜘蛛の糸』と似たよ

     うな内容を話し終えた後、僧侶が説教する。

     「ひたすら上を目指せばカンダタは救われたし、実は大勢で上る方が容

     易なのだ。にも関わらず、彼は我執(自分への執着)にとらわれて、下に

     心をとらわれてしまった。我執こそ地獄、正道(正しく生きる道)こそ涅槃

     (=極楽)だ」。

     これを聞いてマハードータは言った。私に蜘蛛の糸を上らせてください。

     地獄から抜け出せるよう、努力します。。

          

上で要約したのは、『因果の小車』(こぐるま)の中の一節「蜘蛛の糸」(芥川が真

似したようだ)。一応、前後の話とつながってるので、ここだけ取り上げるのは不十

分だけど、別に近代文学の研究論文を書いてるわけじゃないから、この程度でも

いいだろう。実際、この記事に類するものは、ネット上にほとんど見当たらない。

                     

           

二つの話を読み比べてまず思うのは、芥川の文章の上手さだ。『因果の小車』の

文章のままだと、小学校どころか高校の教科書でさえ採用されないだろうし、一

般ウケもしなかっただろう。『因果』は完全に大人向けの仏教物語。文体もそうだ

し、内容も非常に宗教めいてる

            

それに対して、芥川の『蜘蛛』は、言語芸術とも言うべき軽妙な小話。教訓じみて

はいるものの、説教調ではなく、宗教性は希薄だ。研ぎ澄まされた簡潔な言葉で、

全編にそこはかとなくユーモアを漂わせてるし、小津安二郎の映画のような日本

的情緒も感じられる。特に素晴らしい最後の段落だけ、引用しておこう。『因果』

には、これに対応する文章はどこにも見当たらないのだ。

                               

     しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着(とんじゃく)致しま

     せん。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足(おみあし)のまわり

     に、ゆらゆら蕚(うてな)を動かして、その真ん中にある金色の蕊(ずい)

     からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。

     極楽ももう午(ひる)に近くなったのでございましょう。

        

あと、形式的にも内容的にもハッキリ違うのは、主役の設定芥川の『蜘蛛』では、

主役はお釈迦様(あるいは蓮池♪)だけど、『因果』の主役はむしろ悪人(カンダタ

とマハードータ)だ。『蜘蛛』は、始まりも終わりも御釈迦様と蓮池だし、カンダタは

自ら反省してるわけではなく、単なる幸運に飛びついただけ。一方『因果』の始ま

りと終わりはマハードータの懺悔と改心だし、挿入された説教話のカンダタも、自

ら正しい道を目指そうとして仏陀に縋り付いている。

          

最後の一文、つまりマハードータが僧侶に縋り付くだけ引用しておこう。好き嫌い

の個人的趣味はともかく、芥川の文学的ラストとの対比=コントラストは鮮明だ。

         

     僧説法を了りたるとき瀕死の賊魁、摩訶童多は悄然として曰く「われを

     して蜘蛛の糸を採らしめよ、われ自ら勤めて地獄の深坑より遁れ出でん」

          

           ☆          ☆          ☆     
     
という訳で、ブログでこれだけ書けば十分だろう。上では芥川を賞賛したけど、

『因果』はもっと長いし、別の味わいがあるので、いずれ前後の節も読んでみた

い。興味を持った方、すぐにでも近代デジタルライブラリーへどうぞ。要するに、

税金で運営されてるんだから、元を取らなきゃネ♪

ではまた。。☆彡

     

                 

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

cf.芥川龍之介『藪の中』の真相

  芥川龍之介『羅生門』と今昔物語『羅城門』

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  太宰治『人間失格』、軽~く再読♪

  谷崎潤一郎『春琴抄』とマゾヒズム

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「文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

趣味でここまで読んで調べるなんてすごいですね。
僕は課題のため因果の小車を読みましたがちんぷんかんぷんでした。

投稿: | 2010年2月12日 (金) 14時50分

> 名無しさん
   
コメントありがとうございます♪
マニアック・ブログを自称するウチとしては、やや
物足りない記事ですが、気に入って頂けたのなら幸いです。
    
学生さんでしょうかね。因果の小車が課題っていうのは、
かなり大変だけど、いい勉強にはなりますよ。
   
もしまた機会があれば、今度は名前を書いてくださいね。
それでは、文学の勉強がんばってください。。shine

投稿: テンメイ | 2010年2月13日 (土) 02時35分

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