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香山リカ 『しがみつかない生き方』を読む (下)~勝間和代批判ほか

4日前にアップした上下記事の「上」に続き、今日は「下」をアップしよう。

以前から人気の精神科医、香山リカの初のベストセラー『しがみつかな

い生き方』(幻冬舎新書)の要約&レビュー(批評)だ。世間的にはもっ

ぱら、勝間和代とのバトルという枠組みで話題になってるけど、この本を

よく読むと勝間と直接関係ない話の方が遥かに多い。そこで、序章から

各章ごとに分けて、10章まで簡単に見て行こうとしているわけだ。

    

ではまず、本後半のスタートを切る第6章仕事に夢をもとめない」(p.117

-129)から。まず、テーマの特異性に注目しよう。序章「ほしいのは『ふつ

うの幸せ』」を一応別にすると、ここまでの5章はすべて当たり前のように

聞こえる平凡なタイトル=「ルール」ばかりだった。「恋愛にすべてを捧げ

ない」「自慢・自己PRをしない」「すぐに白黒つけない」「老・病・死で落ち

込まない」「すぐに水に流さない」。

      

ところが第6章になると、ありがちな「仕事に夢をもとめよう」ではなく、

「夢をもとめない」。もちろん、形式的に考えると、もともと書名が「しが

みつか『ない』」という否定形だから、すべての章を「~~ない」という

形に揃えてるわけで、その意味でも「夢をもとめよう」というタイトルは

論外なわけだ。

     

それにしても、「夢をもとめない」とは、差し当たり不思議な話に聞こえ

るが、ここには2つの理由がある。まず、今の社会には「仕事に夢をも

とめる」方向でおかしな誘惑や扇動があるから。もう一つは、香山自身

が夢をもとめて来なかったからだ。

      

まず、社会的な誘惑は、つまらない仕事は辞めて別の道に進もう、とい

う形で登場する。これに対して、香山は3つの角度から反論している。

夢を仕事にすることなど現実には難しい。また、本当にやりたい仕事

ど、そう簡単に見つからない。さらに、一見つまらない仕事にも十分な

がある。もちろん、夢を仕事にして、自己実現を楽しんでる人はそれ

でいいわけで、そうではない人に対して、怪しい勧誘に乗せられて今の

仕事をすぐ辞めるのは危険だとアドバイスしてるわけだ。

      

実際、香山自身も別に精神科医をやりたくて選んだわけではないよう

で、わりと仕方なく選んだ後は、「パンのために働いている」とのこと。

でも、パンのためだからこそ真剣になるし、その中でも、技術習得とか

周囲の信頼獲得とか、喜びは十分にあるとのこと。事実、仕方なしとは

思えないほど、精力的に長年活動し続けてるわけだ。

          

では、私がこの章をどう見たか。要するに、「仕事に夢をもとめない」と

いうのは単純なキャッチフレーズにすぎないのであって、正確には例え

ばこう言うべきだろう。「仕事に夢をもとめようとして、逆に『ふつうの幸

せ』さえ失うハメにならないように気を付けよう」。

        

このアドバイスのために、夢をもとめる姿勢のリスクを明示し、もとめな

い姿勢の価値を強調してるわけだ。「どうしても意味がほしければ、『生

きるため、パンのために働いている」というのでも、十分なのではないだ

ろうか」(p.129)。

                      

したがって、無理や無謀に注意しながら、リスクを取って夢をもとめるこ

とまで禁じられてるわけではない。日本人が苦手とされる「ハイリスク・

ハイリターン」の道を取るか、あるいは日本的な「ローリスク・ローリター

ン」の道を取るか。あとは本人の選択次第だろう。

       

       ☆          ☆          ☆

次に、第7章子どもにしがみつかない」(p.131-147)。この章は、興味

深い指摘からスタートする。心身の調子を崩して以降の雅子さまは、

毎年一月の歌会始で、長女・愛子さまのことばかり詠んでいるとの事。

     

スーパー・キャリアウーマンから1人の母親になった雅子さまを、皇太子

はもちろん、女性週刊誌も温かく見守ってるけど、香山としては違和感

を覚えてしまう。大学内の子育て優遇策にせよ、スポーツ界のママさん

優先的傾向にせよ、出産&子育てが重視され過ぎている。

        

その結果、子どもは甘やかされてしまうし、親も自分で何かに打ち込む

ことができない。やがて両者とも年を取り、甘い母子関係が一気に崩

れる様子を度々見て来たようだ。      

          

この章はもちろん、ここまで子どもに恵まれなかった香山が自らを慰め

る内容にもなっているし、前著『雅子さまと「新型うつ」』以来改めて、雅

子さまにアドバイスする形にもなっている。ただ、基本的には確かに、親

が子供にしがみつくことには問題が多いだろう。少子化対策で母親が優

遇されてる現状を考えると、その問題性を強調するのは正しいと思う。

      

むしろ、子どもにしがみつかずにどうするか、これが重要なことだ。雅子

さまや香山みたいに有能な人間はごく少数であって、あとは平凡な能力

の人ばかり。特に、全体的に見ると家にいる時間や自由時間が多い女

性の場合、手近なテレビや芸能人に向かうことが目立つと思う。そこか

ら生じる典型的な結果の一例が、ジャニーズ・ドラマの増大だ。ジャニー

ズや虚構の夢物語を追いかける女性は、質・量ともに、AKB48とかを

追いかける男性を遥かに凌駕するものだろう。

         

こうした状態は、それ自体、「いけない」とか「おかしい」とか、あまり強く

否定することはできない。あまりにも人数が多過ぎて、お互いがサポート

し合ってるし、実生活に大きな支障がない限り、差し当たりは個人の趣

味の問題だからだ。

             

でも、本当はそういった自分に満足してない女性も少なくないだろうし、

間接的には社会人男性のテレビ離れにもつながってると思う。だからこ

そ、子どもにしがみつかずに何をすべきなのか、特に女性が再考する

ことを、男として強く願っている。

      

         ☆          ☆          ☆

続いて、第8章お金にしがみつかない」(p.149-165)。この章は、説得

力の面では一番弱いと思う。と言うのも、お金にしがみついてはいけな

理由がほとんど書かれてないからだ。代わりに示されてるのが、お金

にこだわる人々の実例多数(佐藤秀峰、小室哲哉、田中康夫、竹中平

蔵、堀江貴文、ジョン・ウェスレー司祭など)と、逆にこだわらない自分

の例だ。

      

理由を書かなくても、小室や堀江の失敗例や、竹中平蔵も絡む新自由

主義の破綻(=金融危機)を書くだけで十分と思ってるのかも知れない

が、失敗例を並べるだけではまったく不十分な議論にすぎない。と言う

のも、逆に成功例もいくらでも挙げられるし、お金にしがみつかざるを得

ない人達も大勢いるからだ。

        

したがって、この章の本質は、生き方のルールを一般的に提示するこ

とではなく、むしろ香山本人がお金にこだわってないことのアピール

ろう。たとえ売れる本でも、書きたくなければ書かないし、売れない本で

も、書きたいことは書く。その姿勢を、売れっ子作家の香山が、国内の

様々な編集者に堂々と突き付けるための章と考えればいい気がする。

          

         ☆          ☆          ☆

さらに、第9章生まれた意味を問わない」(p.167-180)。精神医学にか

なり興味を持ってる私としては、このタイトルに一番インパクトを受けた。

生まれた意味にこだわる患者が多いのは知ってるし、その意味にこだわ

らない方がいいという考えにも基本的に賛成する。でも、「意味を問わな

い」とまでハッキリ現役の精神科医が語るのは過激だなと思ったからだ。

     

冒頭の次の文章を読んだ時は、思わず笑ってしまった。「はっきりした

うつ病ではなく、親との問題や学校や職場への不適応などの若者やな

かなか結婚できずに気持ちが滅入っている若い女性の場合は、こちら

もなかなか素直に共感を寄せることができない。つい、こんなことを言っ

てしまうこともある。『生まれたり生きたりするのに、何か意味とか価値

なんて必要なんですか』」(p.168)。

     

これは、前著で語られてる「新型うつ」の場合だろう。要するに、医師で

ある香山がつい苛立ってしまうのが、新型うつの最大の特徴なのだ♪

それはさておき、生まれたり生きたりするのに、意味や価値など「必要

ない」し、私自身も幸か不幸か、これまであまり自分の生の意味や価値

を考えたことはない

    

ただ生きるのみ。これは丁度、私の好きな禅宗(曹洞宗)の「只管打座」

(ただひたすら座禅する)に似た感覚だと思ってる。別に適当に生きてる

わけではなくて、今こうして記事を書き続けるだけでも、相当なエネルギー

を使ってるわけだ。1円の金にもならず、大層な意味や価値も無さそうに

見える作業でも、ひたすら打ち込み続ける。毎日懸命に生きることも、似

たようなものだろう。どうせ財産も名誉も、死ねば消えるものにすぎない

し、死後や生に意味を持たせてくれる宗教にすがるつもりも今はない。

         

ただ、考える必要が生じる場合も確かにある。たとえば、長く辛い状況

(病気や貧困、孤独など)の中で耐えられなくなりつつある時。生きるの

が大変な中だと、なぜ生きるのか、その意味や価値が知りたくなるのは

当然のことだ。あるいは、生の終末に際して、これまで生きて来た過程

はただ消え去るのみだと思うと、あまりにも淋しいかも知れない。

    

同様に、診察室で生きる意味や価値を問う人達も、大なり小なり生きづ

らい状況にあるわけで、そういった人達が生き続けられるようにするた

めには、「意味など必要ない」と言うよりも、臨機応変に個別の意味を与

える方が実践的なことが多いと思う。私にしても、今は意味など必要ない

けど、末期ガンの告知をされた途端、意味を切望するかも知れないのだ。

           

したがって、「生きる意味を問わない」とは要するに、意味にこだわりす

ぎて怪しげな新興宗教にハマったり、精神病的な妄想、神経症的な不安

に陥ったりしないように、という処世訓なのだ。普通の人が、ほどほどに

生きる意味を問うことについては、別に禁止されていない。ただ、いくら

考えてもどこを探しても、確固たる意味など見つからないことを、頭の片

隅に置いておけばいい。それだけで、妙なハマり方を防止する効果はか

なりあるだろう。

    

なお、この章の途中に、香山が売れるキッカケの一つになったラカン派

精神分析の話が添えられている。ラカンとは、フロイトの精神分析をフラ

ンスで大胆に受け継いだカリスマ分析家、ジャック・ラカンのこと。ウチで

は2年前、藤木直人&綾瀬はるかのドラマ『ホタルノヒカリ』の第1話

ビューにおいてやや突っ込んだ話をしておいた。「女というものは存在し

ない」というラカンの有名な言葉が、ドラマ冒頭で引用されてたからだ。

      

ここで香山が引用した話はラカン自体ではなく、その研究者である新宮

一成の著書『ラカンの精神分析』にあるもの。人間の無意識は、その人

の生の意味を知ってるかもしれないけど、それは意識には分からないし、

おぞましいから分からない方がいいのかも知れないということだ。正直言っ

て、現代思想家・ラカンの名前を出す必要のない話だけど、好きな精神

分析家の名前を挙げたかったのだと思えば、別に構わないだろう。。

       

         ☆          ☆          ☆  

では最後に、第10章<勝間和代>を目指さない」(p.181-201)を見て

みよう。内容はタイトルからほぼ明らかで、カッコ付きの<勝間和代>、

つまり競争社会で必死に努力して大成功する人間を目指す考えのデメ

リットやリスクを説き、そんなものを目指す必要はないし、目指さなくて

も「ふつうの幸せ」は手に入ると言いたいわけだ。

         

この章でまず指摘したいのが、話のつかみが巧みだということ。20ペー

ジの章の冒頭6ページ、つまり始めの3分の1には、勝間という名前は出

て来ない。最初の小見出しは、「めまいがするほどの悲しさが押し寄せる

とき」。つまり、精神科医として大変な経験は何度もして来たけれど、そう

した患者と直面しても、怒りや不快の感情はわいて来ず、逆に悲しみが

押し寄せるというわけだ。なぜなら、患者自身にもどうしようもない不幸な

行動なのだから。

       

世の中には、どうしようもない事があるし、がんばれない人、がんばって

も夢がかなわない人がいるこの現実を「否認」するのが、<勝間和代>

的生き方であるし、ある種の勝間ファン(カツマー)でもあるだろう。例え

ば、上手くいかないのは本人が「三毒」(妬む、怒る、愚痴る)に浸って

るからにすぎない、というわけだ(これが単純な誤解だとする斉藤環の

批判については、この記事末尾のP.S.2参照)。

       

しかし、それは違う。上手くいかない人は不運、上手くいく人は幸運なだ

けのこと。不運の可能性から生じる不安から目を逸らし、幸運を自分の

努力の結果だと思いたいために、カツマー的な人々は現実を否認して

るのだ。「否認は、それだけでは病的なものではないが、いつまでも続

いたり強さが増したりすると、その人を神経症などの病的な状態に追

い込む原因となる」(p.197)。

         

先日の「上」の記事で既に書いておいたように、もともとこの本は、元カ

ツマーとして疲れ果てた編集者が、香山に企画を提示したものらしい

(『AERA』2009年10月12日号)。つまり、もともと無理な努力で疲れ

てる人に向けて書かれてるわけで、そうゆう人達に「<勝間和代>を

目指す必要はないし、目指すことのマイナスもある」と語るのは効果的

だろう。

     

そもそも、「勝」間のように飛び抜けた努力で「勝つ」大成功者はごく一

部であって、大半は、「負け組」とまでは行かないものの、「ほどほど組」

のはずだ。特に受験とかスポーツとか、競争による勝ち負けが制度的

にハッキリした世界では、参加者全員が死ぬほど努力しても、勝つ人

間は最初から限られてる。しかも、運動能力にせよ知的能力にせよ、先

天的・環境的な要素にかなり依存してるわけだ。つまり、本人の努力を

超えた「運」に左右されるのは間違いない。

       

ただ、恵まれない状況からでも、努力でかなりカバーできる可能性があ

るという控え目な考えなら、別に間違ってはないし、平凡な考えでもある

だろう。そしてそうした努力の際には、「失敗するかも」などとネガティヴ

な考えを持つより、ひたすら「がんばれば夢はかなう」と信じてポジティヴ

に進む方が、やりやすかったり上手く行ったりすることはあるだろう。つ

まり、失敗や失敗者の存在を否認した方が、成功にはプラスの可能性

はある。

        

もちろん、否認するのとしないのとどちらが有利なのか、統計的データの

ような中立的かつ全体的な根拠は存在しないけど、それは香山の議論で

も同じこと。いずれにせよ、実証性が薄い。香山のように、精神科の診察

室の中で見てれば、失敗者とか、失敗の否認によって病的状態に追い

込まれた人を多く感じるのは当たり前だろう。逆に、勝間のように華やか

に活躍する人の目線なら、成功者を多く感じるのは当たり前のことだ。

             

結局、カツマー的な人は、当面そのまま<勝間和代>を目指せばいい

少数の成功者は幸せだし、多くの不成功者も特に問題ないはずで、た

かが妬み・怒り・愚痴の「三毒」がついもたげて来る程度のことだろう。た

だ、シリアスに抑うつ的状態に落ち込んでる人には、香山の本を一読

ることを勧めればいい。

     

一方、今回の大ブレイクからも想像できるように、相対的に多数だと思わ

れるカヤマー(香山)的な人は、<勝間和代>など目指さなくていい。でも、

香山本人でさえ、以前は勝間的なものに気を取られてたと素直に告白し

ている。<勝間>など目指さないと思っていても、つい気になったり、真

似事の努力をしたりするだろうし、一部の成功者が努力の大切さや素晴

らしさを声高に語るのを聞くと、自分が負け組のダメ人間であるように思

うこともあるだろう。

              

そのダメさの感覚は、そのまま受け入れつつ「耐える力」を磨くのもいい

し(香山的発想)、一時的に<勝間>的方向へと寝返る原動力にしても

いいわけだ。勝間的姿勢と香山的姿勢、「頑張れば出来る」という考え

と「頑張ってもできない事がある」という考え。両者の間で揺れ動きなが

ら、自分のポジション=立ち位置を模索し続けるのが、人生のリアルな

姿なのだ。

   

香山は最後にこう語る。「人生には最高もなければ、どうしようもない最

悪もなく、ただ ″そこそこで、いろいろな人生″があるだけなのではな

いか。だとしたら、目指すモデルや生き方がどれくらい多様か、というの

が、その社会が生きやすいかどうか、健全であるかどうかの目安にな

ると言えるはずである」(p.201)。

      

「そこそこで、いろいろな人生」の中にも、人それぞれの価値基準の中

で、上下とか良し悪しの差はある。したがって、その人が上とか良いも

のだと思う方向に、それなりの努力で進めばいいわけだ。心配しなくて

も、今の日本社会の中でさえカツマーは一部に過ぎないし、まして20

~30年のスパン(=時間間隔)で見れば、勝間も「昔の人」として扱わ

れることになる。

        

カツマーが増殖して、精神科に負け組が大量に押しかけるような事態

など、杞憂に過ぎない。人間とは、制度的な強制でもない限りは、一つ

のモデルに「しがみつけない」生き物なのだから。。

        

       ☆          ☆          ☆

この長い書評の最後に、3ページの簡単な「あとがき」(p.202-204)も

見ておこう。ふつうの幸せがなかなか手に入らない世の中だという事実

を再確認した後で、香山は「私たち自身にもできることはいくつもある

はずだ」と語る。この文だけ見るなら、勝間と同じことだし、私も含めて

誰もが同意するだろう。何が出来ることで、何が出来ないことなのか、

出来ることに対してどう取り組むか、ここに違いが生じてくる。

    

一番最後の言葉はこうなってる。「ふつうにがんばって、しがみつかず

にこだわらずに自分のペースで生きていけば、誰でもそれなりに幸せ

を感じながら人生を送れる。それで十分、というよりそれ以上の何が

必要であろうか」(p.204)。

      

最も興味深い点、あるいは最大の皮肉は、もちろん香山の人生が決し

てふつうではないことだ。そこそこのルックスに恵まれ、有名な精神科医

として不自由のない生活を送り、書き手としても語り手としても大成功。

その上、この本の後も続々と執筆し続けてる人間が、ふつうで十分と書

くわけだ。「ふつう」に見ると、自己矛盾に感じられても不自然ではない。

     

まさにこの事実が示してることは、ふつうという概念の難しさや曖昧さ

あるいは人間の欲望の底知れない巨大さだろう。必要でなくても、余裕

を失ってても、失敗するリスクがあっても、人間は何かにしがみつくし、

それなりの努力をし続ける。こうした様子を見るにつけ、私には「めまい

がするほどの愛しさ」が湧いてくるのだ。

    

哀しくおかしい、ふつうの人間たちに、ふつうの幸あれ♪ ではまた ☆彡

     

     

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

P.S.「上」の記事に追記した勝間の反論本の話を、こちらにもコピー

    &ペーストしとこう。アクセス解析から分かるように、後の追記ま

    でチェックする人はほとんどいないのだ(ドラマ記事のコメント欄

    はやや例外かも・・)。では以下、再掲。

      

    香山に対する勝間和代の反論本『やればできる』を書店でチェッ

    クしてみた。横浜駅近くの店では、ビジネス本のコーナーの辺り

    に勝間本と香山本が並べて平積みされてて、完全に特別扱い。

    

    内容は、1人で頑張り過ぎることのないよう、仲間とのコミュニケー

    ションを強調しつつ、「しなやか力」「したたか力」「へんか力」「と

    んがり力」の4つの重要性を強調したもの。分かりやすく具体的、

    しかもこれまでの本との違いも示してあるし、巻末には家電とIT

    それぞれの7つ道具の紹介までついててサービス満点。これは

    「カツマーにとっては」美味しい本だろう。獲得できた成果も、教

    祖の教えに従って、しっかり社会還元して頂きたいもんだ♪

    

P.S.2 『VOICE』2009年12月号における、精神科医・斉藤環

      勝間批判「″勝間和代ブーム″のなぜ  現代人を虜にする

      『Google教の伝道師』」には、勝間の「三毒」論は仏教的に

      間違ってると書かれている。既に多くの人が指摘してるから

      勝間も知ってるはずなのに、訂正しないのは精神分析的な

      「否認」だと、香山に似た形の批判を行っているのだ。

              

      仏教的にどうなのかは知らないけど、この批判だけ見るなら、

      かなりトリヴィアル(些細)なものに感じる。こうゆう話を持ち出

      すのなら、他にあと1つか2つ、似たような「否認」例を追加す

      べき所だ。

          

      勝間がなぜ訂正しないのか、もちろん私には分からないけど、

      一つの理由は、他の人が関わってるからじゃないだろうか。斎

      藤によると、勝間は、三毒を知ったのは中山正和の著書を通じ

      てだと書いてるらしい。もしそうなら、三毒の解釈が間違ってる

      と指摘されても、勝間が訂正や謝罪をするのは難しいはずだ。

   

      したがって、もし「三毒」批判が重要だと思うのなら、むしろ直接、

      中山の方に向けるべきだろう。私自身は、仏教的解釈の正当

      性など重要とは思わない。要するに、「妬む、怒る、愚痴る」と

      いう「三悪」を慎もうという話なのだ。仏教などここでは関係ない。       

       

P.S.3 香山と勝間の、雑誌『AERA』における論争が、新年早々、単

      行本として出版されるようだ。おそらく、雑誌掲載できなかった

      部分も収録してあるんだろう。

         『勝間さん、努力で幸せになれますか

               (朝日新聞出版,2010年1月8日発売予定)

                

cf.香山リカ 『しがみつかない生き方』を読む (上)

  大胆かつ繊細な試論~香山リカ『雅子さまと「新型うつ」』

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  セレンディピティー(serendipity)という言葉の意味と由来

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コメント

私、最近香山さんの本を読んで、感想でも書きたいなぁと思い、ネットを散歩してます。

勝間さんと香山さん、二人とも私にとってはあまり読書対象とする作家さんではなかったのですが、二人の対談本「勝間さん、努力で幸せになりますか」の題名と、表紙の写真で香山さんが着ているジャケットのドクロのマークが気に入って、本を手に取りました。その後、香山さんの幾つかの本も読んだ。

結論から言うと、私は、「香山さん寄り」になってしまいました。

勝者を目指す人、敗者でもまぁいいじゃんって思ってる人、いろいろな人が居ていいんじゃないかぁ?って思う。勝間さんのように、努力でなんとかなる人がいるんですっていう理論は、どうしても努力してない人を「怠け者」扱いするのです。実は、これが世の中をすごく狭くしてると思う。
私も会社勤めしたけど、派遣でしたが、人の足を引っ張ったり、したり、されたり・・・もう人間信用できん、ってくらいまで行きました・・・いわゆるできる人たちの傲慢さに引きづり回されたのです。
何が傲慢って、とにかく自分より下の連中に、わざわざ不利益を被らせようとする悪意が、社会に渦巻いてるです。・・・ちょっとほっといてくれないかなぁ、って思っても、彼らは「努力した分、威張らせろ」って主張してるんですね。

いわゆる勝ち組と負け組みは、日本ではどうしても、骨肉争う上下関係になっちゃう・・・。欧米だと、かなり格差があって、別の集団って感じになるんだけど(それはそれで大問題だが)、日本はどうしても狭いし人口は多いし、意地の悪い上下関係ができちゃう・・・。

香山さんの言うように、ある程度ほっとかれて、それでも人間として最低の生活ができる社会に、日本はなってほしいって思っちゃいます。それでこそ、中間層が豊かな社会の見本としてアジアから尊敬される(されなくてもいいけど)国と言えるのではないでしょうか?


投稿: madmax | 2010年5月12日 (水) 20時26分

> madmax さん
    
はじめまして。コメントありがとうございます♪
   
お名前を見た瞬間、どちらかのファンが「mad」になって
書きこんだのかと思いましたが、映画の名前ですかね。
対談本の題名は、商業的に上手いと思います。
ドクロマークは気づきませんでした。
   
努力で何とかなる人がいるという考えが、
努力してない人を「怠け者」扱いする。
これが世の中をすごく狭くしてる。。
これまでの経験から、そう思うわけですね。
    
まず、ハッキリ区別すべきことは、
「努力で何とかなる人がいる」という考えと、
「努力で何とかなる」という考え。
  
勝間の主張は、表面的には「努力で何とかなる」と
いう考えにも聞えますが、実際には
「努力で何とかなる人がいる」という考えでしょう。
言い換えると、何とかならない人もいる。
    
そもそも、努力で何ともならないことが色々あるのは
当たり前だし、実は勝間自身の努力にも限界があります。
ウチでは、「比較優位の法則」「ジャネの法則」といった
勝間の最近の言葉について記事を書いてますが、
そこから分かるのは、勝間がさほど調べてないということ。
パソコンを携帯してどこでも検索しまくるかのような
イメージは、建前に過ぎません。
勝間も、ほどほどに努力してるし、それで満足してるのです。
       
一方、香山も努力しなくていいと言ってるわけじゃないし、
自分でも明らかに努力してる。
ネットその他での批判や中傷を真正面で受け止めるだけでも、
精神的に大変な努力で、普通の人に出来ることではありません。
        
二人とも、努力の重要性や必要性をある程度認めてる
わけですが、その程度が違ってるわけです。
ただメディア的には、程度の差という話だと宣伝しにくいから、
いかにも正反対のように売り込むことになる。
     
  
結局、重要なのは、自分がどの程度の努力をするかを
自分で考えて実行すること。
また、他人がどの程度の努力をしてるか、すべきかを、
相手の立場になって、少し温かめに判断すること。
その2点に尽きてるでしょう。
    
悪意とか意地悪という話は、少し別の話だと思いますよ。
努力派と非-努力派のどちらが意地悪なのか、
ビミョーな問題ですしね。
誰にでも、何にでも、長所と短所がある。
客観的かつ総合的に見極める「努力」が必要でしょう。
もちろん、「ほどほど」に。
   
ある程度ほっとかれて、それでも人間として
最低限の生活ができる社会。。
多くの人が望むことでしょうが、「ある程度」とか
「最低限」の具体的内容が難しいわけですね。
例えば、一律全国民に最低限の生活費を配るという
大胆な考えの良し悪しとか。
    
人間も世界も問題も、あまりに多様なのが現実。
何事においても、根本的な問題の解決は非常に難しい。
だからこそ逆に、簡単で力強いキャッチフレーズや
心安らぐマニュアル本が売れるわけでしょう。。shine

投稿: テンメイ | 2010年5月13日 (木) 21時07分

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