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情報公開の境界、資格付与の区切り~東浩紀&松井彰彦「論壇時評」(朝日新聞・12月)

(☆2012年2月25日追記: 最新記事をアップ

    現在の中に過去を見ること

      ~高橋源一郎&小阪淳&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・2月) )

      

         

         ☆          ☆          ☆

朝日新聞の論壇時評は、毎月最終木曜日の朝刊・オピニオンページに連

載されてる訳だが、今月は年末ということで、1週早く、昨日(12月23日)

掲載された。「30日掲載だから正月明けに記事を書けばいい」と勘違いし

てたブロガーとしては、思わず顔をしかめてしまったが、毎月、当日か翌日

には記事をアップしてるので、今月も一応頑張るとしよう。ただし、何かと忙

しい年末でもあるし、普段より短い時間で書き上げることにするので、悪し

からずご了承を。

       

論壇時評という複合記事の中、まず東浩紀の時評のタイトルは、「情報流

出 公開の境界 だれが決める」。先月が中国の問題だったから、朝鮮

半島に触れるだろうと思ってたら、末尾の「注目論文と書籍」に至るまで、

一言も触れてなかった。主たる内容は、ウィキリークス問題。やはり、東と

言えばネットということか。

                     

冒頭、「今年の漢字」は「暑」に決まったが、論壇では「」ではなかろうか、

とスタートする。「ダダ漏れ」メディアのツイッター&Ustream、警視庁公安

部資料尖閣ビデオの流出=漏えいに続き、だめ押しとなったのがウィキ

リークス(WikiLeaks)による米外交公電流出=リークだ。

     

まず、流出した公電そのものの内容について。『ニューズウィーク 12月

15日号』では、外交官の有能さが証明されたとするが、「他方佐藤優は、

収集の手段が乱暴で『お粗末』な情報もかなり含まれていると切り捨て

る。識者のあいだでも意見が分かれるようだ」、と東は語っている。

   

ニューズウィークの特集「ウィキリークス騒動の真実」については、まだ読

んでないので、後でチェックしたいと思う。それに対して、朝日の12月17

日朝刊に載った佐藤の分析はすぐ読んでたので、東の「切り捨てる」とい

う表現が引っ掛かった。確かにネガティブな分析だが、切り捨てるとまで

言ってしまうと、ニュアンス的に強過ぎるだろう。

      

まず指摘したいのは、佐藤の記事本人が執筆したものではないという

点。朝日の藤えりか記者が、聞いた内容をまとめたものだ。まとめ方によっ

ては、かなり違った印象の記事になった可能性があるので、佐藤の分析

と記事とを分ける必要がある。

     

その記事の終盤で、佐藤は「全体として、力が強い者の乱暴な情報という

感じがする」と語ってる。注意したいのは、「全体として・・・感じがする」とい

う形式だ。ということは、断定でもなければ全否定でもない。やや緩めの部

分否定なのだ。実際、記事末尾でも、「少し変な話があっても、力で押し切っ

てしまうのだろう」と、佐藤は語ってる。「少し変・・・あっても・・・だろう」とい

う形式は、やはりやや緩めの部分否定を示してる。

                      

にも関わらず、記者がまとめた記事では、ネガティブな印象が強い。それ

は、「お粗末極まりない」と佐藤が語る公電2本を中心に、記事をまとめて

るからだ。当然まともな公電もあったはずだが、それでは当たり前過ぎて

新聞記事としてはインパクトが弱い。記者のそんな考えが働いた可能性

がある。それ以外にも、元・外務省主任分析官の佐藤が、「日本の基準」

と比べて語ってることにも、注意が必要だろう。米国の公電を、日本の基

準で分析することが妥当かどうか、あるいは、そもそも日本の基準が正し

いのか、微妙な問題であるはずだ。

     

           

         ☆          ☆          ☆      

佐藤優の公電分析についてはこの程度にして、話を東の時評自体に戻す

としよう。公電の内容に対する評価が分かれてることを指摘した後、ウィキ

リークスによる情報公開へと、話は移行する。「流出に正当性はあるのか」。

     

東は珍しく、再び朝日新聞掲載の主張を取り上げる。しかも2本、「語り手」

麻生幾宮崎哲弥だ。12月11日のオピニオンページの特集「耕論 リー

ク社会」に同時掲載されたもので、これまた朝日の記者が聞いてまとめた

文章だ。宮崎の聞き手が尾沢智史記者。麻生が、秋山惣一郎記者。

          

東の文脈では、2人とも「公開すべきものと公開すべきでないもののあいだ

には、線が引かれねばならない」という「常識的な結論」を語ってることにな

る。それは二重の意味で、その通りだ。知らせるべきではない世界がある

のは当然だし、その2人は確かにそう語ってる。麻生の方がより強く主張し

てる点も、東の「麻生は・・・断言する」という引用の通りだ。

      

けれども、東が直接には触れてない、2人の重要な共通点もある。それは、

公開すべきでないものを公開したというような話とは少し別次元で、ある意

味、より重要なウィキリークス批判だ。

     

宮崎のインタビューには、「情報の真偽の確認」という話があり、「ウィキリー

クスは『裏を取る』作業を綿密に行っているようにはみえない」と書かれてい

る。しかもこれは、公開するしないの基準の話とは別扱いで、「ジャーナリ

ズムの本質」、「倫理的な」面とされてるのだ。

       

麻生のインタビューでも、倫理的な問題点がはっきり指摘されている。「ウィ

キリークスが、米外交文書を暴露した。『知る権利に応えるため』と言う。し

かし私は、そこに大義を感じない」。これは、私の現在の暫定的印象と重な

。後付けの理由とまでは言わないが、大義というより「小義」という感じ。

本当は彼らに、もっと重要な狙いや考えがあるのでは、という意味でもそう

だし、もっと大きな筋道に従って行動すべきでは、という意味でもそうなのだ。

もちろん、この暫定的印象は、今後さらに突き詰める必要があるだろう。

          

     

         ☆          ☆          ☆

ともかく、東の文脈では、そういったウィキリークスへの倫理的疑問は(ほと

んど)省かれて、「公開の境界」という中立的な問題へと進むことになる。そ

して、ウィキリークスによって「巨大な一次情報の塊への未加工アクセスが

誰にでも可能になる」という坂村健の指摘(産経新聞12月16日)を引用し

た後、「ウィキリークス事件の本質」として、新たな原理原則の確立の重要

性を強調する。「『知らせるべきではない世界がある』のはいいとして、では

その範囲をだれが決めるのか。国家か市民か。そして根拠はなにか」。

     

それを考える際に、考慮すべきは、リークされた一次情報に対する市民

レベルの分析、あるいは「政治監視」だ。その点は、市民ブロガーの私も

同意する。ただ、やはりの議論は全体的に、ネットが開く新しい可能性

を肯定する方向にあるという印象は否めない。今回だけでなく、いつもだ。

      

その点を再考する際に役立つ指摘は、茂木崇が行ってる。実はこれ、必

然か偶然か、東が宮崎と麻生の2人を参照した時に、省いた文章なのだ。

尾沢智史記者がまとめたインタビューには、次のように書かれている。「ウィ

キリークスが自らのサイトで公開する生の文書を読んでも、何が重要なポ

イントかわからない人は多いだろう。既存メディアが情報を整理し、文脈を

解き明かす作業が必要だ」。

                    

この作業は、東に言わせれば、在野の専門家やマニアが行ってることに

なる。けれども、1日2ページ以上の深い分析を連日掲載するNYタイムズ

のような「たくましい知性」は、市民レベルではごく僅かだろう。そこに、大

新聞のような旧来のメディアが活躍する余地が十分残されている。記者達

はもちろんプロフェッショナルだし、厳しい選別を日々受けているのだから。

         

         

          ☆          ☆          ☆

東が最後に触れる人物は、以前も参照した佐々木俊尚。本人の公式サイ

トに12月16日に掲載された論考「ジャーナリズムはモジュール化する」だ。

「この話、もう少し続く」と末尾に書かれたまま、24日の朝の時点で続きは

掲載されてないが、どちらかと言うとウィキリークスに好意的な内容であっ

て、その点は東と共通すると言っていいだろう。実際、東は時評の最後で、

ウィキリークス創始者の逮捕劇その他の混乱を「反動」と呼び、批判して

いるのだから。

           

佐々木の言うモジュールとは、要するに部品のこと。別に佐々木独自の

概念ではなく、部分性と交換可能性を意味する言葉として、かなり前から

ある言葉だ。情報源から読者に至る情報の流通経路は、かつて新聞や

テレビによって「垂直統合」されていたが、いまや垂直方向にも水平方向

にも、複数の部品へと分解しているという説明で、事実認識としてはその

通りだし、佐々木の図解も分かりやすい。

       

垂直の分解とは、例えば「内部告発者→ウィキリークス→マスメディア→読

者」という構造のこと(矢印を縦方向に並べれば垂直)。水平の分解とは、

例えば上の構造において、ウィキリークスと並列に、「オープンリークス」

(ウィキからの分派)が組み込まれたり、ブログ・twitter・YouTube・Face

Bookが組み込まれたりするからだ。

         

ただ、佐々木と東に共通するのは、現状分析と追認に終わってるというこ

とだ。公共の情報の世界(「公共圏」)が、「ノイズ渦巻く荒々しい荒野へと

変貌しつつある」のはその通りだろう。しかし佐々木の論考に、「それでい

いのか」という問いはなく、「われわれは受けとめなければならない」とだ

け書かれている。その点は、「荒野に足を踏み出すほか選択肢は残され

ていないのだ」と書いて時評を終える東においても、まったく同様だ。

    

しかし、ノイズにも許容範囲があるはずだし、荒野にも整地すべき領域

あるだろう。泥沼に足を踏み入れるよりは、コンクリートで固める方がいい

かも知れない。もちろん、「自然保護」の観点から、泥沼のまま残した方が

いい場合もあるだろう。

    

したがって、情報に関する境界の問題は、より複雑なわけだ。公開すべき

内容かどうかを分ける境界以外にも、認めるべき途中経路(=モジュール)

かどうか、あるいは、選択すべき途中経路かどうか、という境界の問題が

ある。そして、物事を二分する境界よりももっと微妙な問題として、質的判

があるのだ。様々な情報や経路が、ある特定の場合に「どの程度」評価

できるのか。ここではもはや、二分法ではなく、連続的な序列化が重要とな

るわけだ。

        

なお、東が最後に付記した注目論文は、流出したテロ対策文書の分析(田

原牧、『世界』)と、東京都のマンガ規制条例批判(河合幹雄、同)。注目の

書籍は、村上隆の『芸術闘争論』(幻冬舎)だった。。

     

          

    

          ☆          ☆          ☆

一方、東の時評の左側に位置する「あすを探る」について。今月は経済で、

担当する論壇委員は松井彰彦。タイトルは、「子ぎつねが手袋買える市場」。

要するに、誰もが参加できる市場が大切だという主張だ。

    

人間を動物にたとえる比喩は、場合によっては批判を浴びかねないが、こ

の場合は三重の意味で大丈夫だろう。まず、子ぎつねのイメージは可愛い。

次に、引用した新美南吉の童話も微笑ましい。更に、松井自身が「障害と

経済」の研究チームで、障害者を支えている学者だ。   

        

では、コラム冒頭で引用されて、タイトルにも使われた、新美南吉『手袋を

買いに』とはどうゆう童話なのか。まず、松井のまとめと文脈に即してポイ

ントを見るなら、次のようになるだろう。──子ぎつねが片手を人間の手

に変えて、町へ手袋を買いに行く。子ぎつねがうっかり、狐のままの片手

を出してしまったから、店の主人はきつねだと気付いたが、持って来た

金は本物だったので、ちゃんと手袋を渡す──。

                   

童話を引用した松井が言いたいのは、店の主人のように、無意味な分け

隔てをせず市場に参加させる公正さが重要だ、ということだ。具体的には、

様々な法律に見られる、「障害者は○○できない」という障害者欠格条項

を無くして、門戸を開くべきだという話。例えば看護師だと、昔は聴覚障害

者に対する欠格条項があったが、今は緩められて、「貴重な存在」として

活躍してるらしい。さらに言うなら、公正な市場の創造は格差の縮小にも

つながる、という主張だ。

         

        

          ☆          ☆          ☆

この松井のコラムは、正直言って論評しにくい。と言うのも、明らかに共感

を得やすいものだからだ。子ぎつねの童話、公正な主人、聴覚障害にも負

けずに活躍する看護師、それを受け入れる患者。最初から、読者の共感

を要求する形が出来上がっているので、「なるほど」とか「いい話だ」という

ような普通の一口コメントで済ませたくなってしまう。

       

しかし、元のテキストを自分で直接読んでみよう。ありがたいことに、今は

古典が無料でネット公開されてる時代なのだ。代表的な電子図書館の一

つである「あおぞら文庫」で、早速『手袋を買いに』を読んでみた。するとや

はり、松井が書いてないポイントが2つ見つかった。

        

まず、母さん狐の思い出。お友達の狐と町へ出かけた時、家の家鴨(あひ

る)を盗もうとしてお百姓さんに見つかり、命からがら逃げたというのだ。

また、子ぎつねが狐のままの手を出した時、お店(帽子屋)の人は、「きっ

木の葉で買いに来たんだな」と思って、お金をチェックしてるのだ。

         

この童話がいい話になってるのは、お店の人のチェックが結果的に成功

したからであって、もし騙されてたら、周りの人達に諭されてただろう。従っ

て、チェックは非常に重要だし、それにはコストもかかるわけだ。もし、市

場の原理だけに従うなら、やや不利なのは事実だろう。相手を人間に絞っ

た方が、チェックのコストも損失のリスクも低くなるからだ。

             

      

         ☆          ☆          ☆

障害者にある資格を与えるかどうかは、その障害にもよるし、個々の障害

者の能力にもよるだろう。デリケートな問題だから、あえて現実の具体例は

書かないことにする。しかし、もし店の主人が、狐だから・・・と思って手袋を

売らなかったとしたら、それは本当に不公正なことだろうか。少なくとも、そ

れを非難する人間は少ないだろうし、母さん狐も、子ぎつねのうっかりミス

を注意して終わりだったはずだ。

                

情報を公開すべきか公開すべきでないか、その境界の判断が難しいよう

に、何が公正で何が不公正なのか、その境界の実践的判断も難しい

   

確かに、障害者にもなるべく門戸を開いていく「姿勢」は、現在の社会状況

だと、「一般論」として重要だろう。抽象的な平等を情緒的に訴えることにも、

十分な意義はある。なるほどと思った個人事業主が、障害者雇用に踏み

出すキッカケになるかも知れない。

    

ただ、手が冷たいと訴える子ぎつねの比喩は、最初から可哀想で愛すべ

き対象を意味してるわけだ。これが単なる狐の買い物なら、かなりイメー

ジは変わるだろう。童話を用いた情緒的レトリックもいいが、もう少し現実

的で具体的な分析も欲しい所。それぞれの門戸を開く時、メリットとデメリッ

トはどうで、どこまで周囲の人々は受け入れられるのか。

    

要するにその話は、バリアフリーの設備をどの程度まで導入するかとか、

外国人の生徒に対する教師をどの程度まで学校に配置するかといった、

現実的問題と同様だろう。情緒的には導入・配置が正しく思われるが、実

際には色々とあるわけだ。

            

情報公開の境界にせよ、資格付与の区切りにせよ、迷いながらもじっく

りとみんなで模索していくしかない。良き倫理、優しい配慮を心がけつつ

あくまで現実の諸条件の中で

それでは、また。。☆彡

    

    

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

cf.東浩紀とネットが開く新たな言論空間~朝日新聞「論壇時評」 (4月)

  「新しい公共」と他者への理解~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・5月)

  理想を語り、現実を変えること~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・6月)

  政策の「事後的」評価としての選挙

              ~東浩紀&香山リカ「論壇時評」(朝日新聞・7月)

  建設的な哲学とネット共同体への「期待」

                    ~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・8月)

  よりどころの崩壊、新たに築く試み

             ~東浩紀&松井彰彦「論壇時評」(朝日新聞・9月)

  世論調査、ファスト政治、ポピュリズム

             ~東浩紀&福岡伸一「論壇時評」(朝日新聞・10月)

  中国の異質性、東アジアの同一性

             ~東浩紀&李鍾元「論壇時評」(朝日新聞・11月)

  新しい道具、使ってみるための条件

            ~東浩紀&広井良典「論壇時評」(朝日新聞・1月)

  つながりと祝祭、これからの革命と善意

             ~東浩紀&香山リカ「論壇時評」(朝日新聞・2月)

  各個人が独自メディアとして議論すべき時

              ~東浩紀&苅部直「論壇時評」(朝日新聞・3月)

       

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  震災後、身の丈超えぬ「ことば」に希望

              ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞) 

  どの常識をどう疑い、何に立ち向かうのか

      ~高橋源一郎&平川秀幸&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・12月)

  対称的な関係の中にある前進

      ~高橋源一郎&小阪淳&森達也「論壇時評」(朝日新聞・1月)

  現在の中に過去を見ること

      ~高橋源一郎&小阪淳&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・2月)      

         

                                 (計 6792文字)

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