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鷲田清一の住宅&身体論「身ぶりの消失」~2011センター試験・国語

2011年の大学入試センター試験が昨日(1月15日)からスタート。朝日

新聞・朝刊(1月16日)には、国語・英語・世界史Bの問題が掲載されてい

る。早速、国語の第1問の評論を読んでみると、面白い内容だったので、

軽く記事を書きたくなった。

            

と言っても、「なるほど」と素朴な共感を示したり、「素晴らしい」と絶賛したり

するつもりはない。面白いから刺激を受けて、自ら批判的に考察、論評す

るということだ。予備校その他が速報してるものとは別の意味での「解説」

と言ってもいい。解釈し、説明するのだから。

          

出典は、鷲田清一「身ぶりの消失」。これは論文名であって、独立した著作

名ではない。X-Knowledge Home特別編集No.5『昭和住宅メモリー

そして家は生きつづける。』(エクスナレッジ社,2005年8月)に収められた

連載「住宅論」の文章だ(p.122-123)。ただし連載と言っても飛び飛び

で、No.1、2、3では掲載をネットで確認できるが、それ以外の号ではなぜ

か確認できない。大阪大学総長の立場が忙し過ぎるのか、他の理由なのか

は不明だ。人気のある哲学者で、ウチでも以前、朝日に掲載された自殺論

を扱ったことがある。名前の読みは「わしだきよかず」だ。

                 

鷲田の文章は独特で、ごく普通の言葉に特殊な意味の限定を与えながら、

身近な社会的話題と柔らかいロジック(論理)で、文系的な主張を組み立て

る。半ば理系の私にとっては、波長が合わない部分も少なからずあるけど、

逆に面白いと感じる部分もあるわけだ。

    

               

           ☆          ☆          ☆

この「身ぶりの消失」という文章では、木造の民家をそのまま利用した高齢

者用のグループホーム(地域での自立用共同住宅)がポジティブに評価さ

れ、バリアフリーを重視した現代的な住宅などネガティブに評価される。

時代の流れに逆行するかのような「身ぶりの提示」は、まさに哲学的とも言

えるし、『昭和住宅メモリー そして家は生きつづける』という雑誌の企画に

合ってるとも言えるだろう。出身が京都ということも、(無意識の内に)関係

してると思われる。

                      

鷲田の論旨を要約するなら、以下のようになるだろう。

   

   木造の民家には、玄関前に石段があるし、玄関間もあるから、高齢

   者の身体の記憶にしみついた振舞い(靴を脱いで、よいしょとか)が

   促される。また、デイ・サーヴィスを受けるために訪れた人が、和室

   の居間に入ると、すぐには老人たちの輪に入れないから、立ちつくす。

   しかし、居間ではその挙措(きょそ=問1の漢字)は不自然だから、

   何となく自分でしゃがむ。そこへ、周囲の人が座布団を差し出し、「お

   かまいなく」「遠慮せんと♪」といったやり取りの中で、人間関係が新

   たに築かれる。

              

   身体のふるまいが、空間の中で、あるいは他の人々との関係の中で、

   ある形に整えられるのであって、「からだが家のなかにある」と言える

   だろう(問2)。その空間に住み込んでいると言ってもいい。そして、こ

   うしたふるまいをまとめあげたものが「暮らし」であって、使いなれた

   茶碗や箸を持ってきて利用することも大切だ。石段、玄関間、和室、

   馴染んだ食器などは、周囲との関係を滑らかに築くための重要な「

   がかり」なのだ。

        

   それに対して、バリアフリーの家では、これまでの記憶や、身に付い

   たふるまい、暮らしが、新たな空間によって浸食され、脱落していく。

   まわりの空間への手がかりが奪われ、身体が宙に浮いてるからこ

   そ、転びやすい。初めから人体の運動に合わせて作られた家なので、

   家という物との関係に気を取られ、人間関係に関心を寄せる余裕も

   無くなる。結局、空間は「中身」を失う

      

   その意味では、現代の普通の住宅でも同様だ。子ども部屋、キッチン

   など、用途別に細かく切り分けられてるので、食器洗いと共に子どもと

   話すとか、複数の異なる行為を同時並行で行うことができない。より

   一般的に言うなら、空間の自由度や可塑性が消え、密度が下がって

   いる。人間の「身ぶりの消失」が生じてるのだ。。 

                                   (要約終了

       

      

          ☆          ☆          ☆

さて、この鷲田の文章。実は途中に、建築家・青木淳の『原っぱと遊園地

(王国社、2004)の引用があって、グループホームから一般の住宅へと、

新たな展開を行う「手がかり」とされている。

       

つまり、遊園地というのは、目的や行動がハッキリ決められた空間だが、原っ

ぱには適度な自由がある。雑草の生えたでこぼこの更地(さらち=問1の漢

字)は、その条件を受け入れつつ新たな空間を作り上げる営みへと誘ってく

れる。こうした「空間の編みなおし」こそ「文化」というもので、その手がかりの

充満する空間こそが目指すべき建築ということになる。

       

単なる「選択肢」として、新しい見方を面白く提示するのはいいことだろうが、

この文章をセンター試験に使うべきなのかどうかが、まず気になることだ。

限られた時間の中で、唯一の正解を選ぶような読み方が、この哲学的文章

にふさわしいだろうか。

      

例えば私なら、読みながら直ちに自分であれこれ考えるし、読み終えると直

ちにネットで検索する。出典となる雑誌がそもそも、昭和の住宅を肯定的に

とらえ直すものだという大前提が分かるし、そうした古民家活用のグループ

ホームがここ10年くらいで増えつつあるという社会的事実も分かる。

     

中日新聞(2010年1月19日)では、愛知県名古屋市で04年に開設され

た施設「なも」と、長野県上田市の施設「真田グループホーム」を紹介。非

常に肯定的な評価が並んでる。家庭のようなぬくもり、昔を思い出す懐か

しさ、そこから生まれる落ち着き和み、小さな空間による安心感、地域

住民との交流、費用が安い、など。認知症改善に有効な精神療法だとい

う指摘も含めて、ごく普通に受け入れられる話が並んでいる。

    

それに対して、鷲田の議論は明らかに「理論的」であって、自分の子ども

の名前に使ったほど評価してるフランスの現象学者・メルロ=ポンティ

よる、相互性重視(人と人、人と物)の発想がすぐに透けて見える。また、

おそらく米国の知覚心理学者・ギブソンによるアフォーダンス(affordance)

という概念も考慮されてるだろう。環境が動物に与える(afford)意味、行為

の可能性のことだ。

        

例えばグループホームの話なら、居間が与える=アフォードする意味(座

布団に座るという行為)を、高齢者(たち)が自ら模索するわけだ。人間同

士、あるいは人と居間とが、相互的に関わり合いながら。

        

           ☆          ☆          ☆

では、理論的裏付けも社会的流れもあるから説得的な議論になってるのか

というと、それは別問題だ。一般に、既に広く受け入れられてるものを批判

する際には、それらの短所を指摘するだけでは不十分で、長所をもしっか

見つめる必要がある。同時に、自らが肯定する新しいものが持つ短所も

見つめ、総合的に判断することで、初めて十分な説得力が生じて来るのだ。

    

鷲田は、バリアフリーの家だと「手がかり」がないかのように語ってるが、

そもそも最初は慣れないわけで、手すりが手がかりとなって使い方を模索

することもあるし、周囲の人とのやり取り(アドバイス、気遣い)も当然生じ

る。「あぁ、ラクだわ」「良かったね」といった和やかな会話も可能だろう。も

ちろん、いくら最新のバリアフリーの家だからと言って、全面的に運動を指

定されてるわけでもない。配慮されてない個所で、記憶に刻まれた振舞い

を思い起こす余地はいくらでもある。しかも、より安全でラクだから、生活

余裕が生じるだろう。

        

論点を絞ると、鷲田がバリアフリー自体を批判したいのなら、バリアフリー

の改修を行った古い民家(木造家屋)と、改修してない古い民家を比べる

べきなのだ。ところが実際の鷲田の議論は、バリアフリーの新しい家と、バ

リアフリーでない古い民家とを比較してるように感じられる。これでは、バリ

アフリーの有無の話と、家の新旧の話とが、混ざってしまうのだ。

         

私には、民家を利用したグループホームの長所は、バリアフリーでないこと、

つまり鷲田の言う意味での「手がかり」があることとは、それほど関係ない

思われる(部分否定)。もっと普通の長所、つまり中日新聞の記事が書いて

るような、ごく当たり前の長所が「ある程度」評価されてるんだろう。

        

ただし、それはもっと実証的なデータを加味して考察すべき話だ。例えば、

様々なホームの実態とか、利用者の満足度調査とか。当然、バリアフリー

でないホームでの事故率訴訟・トラブルについても、調べなければなら

ない。リスク増加という負の面の考察が、鷲田の議論にはほとんど抜け落

ちてる。もちろん、問題文の範囲でだが、元の論文が僅か2ページだから、

かなりの部分を既に読んでると考えていい。

              

あるいは、現在の住宅を批判したいのであれば、どうして子ども部屋とキッ

チンなどを分けるのか、実際に住む人、家を買う人の思いを見ていく必要

がある。住宅の変遷には、それなりの理由や事情があるわけだ。

     

ちなみに私自身は、古い家の中で自分の部屋を与えられた時、すごく嬉し

かったし、そうした両親の選択は正しかったと思ってる。子ども部屋というも

のを設定することによって、子どもの自由度は増し、その小さな空間内の

密度は高まり、自立性も育まれる。それは、親とのふれ合いが減ることな

どのマイナスを補って余りあるだろう。

       

      

一方、青木淳の議論も、面白い対比ではあるが、短い引用文や鷲田の説

明を読んだ限り、すぐ納得できるようなものではない。当然、本人の考えに

もあるはずだが、「原っぱと遊園地」という区分けは固定的なものではなく、

流動的なものだ。

    

原っぱという空間を活かすためには、使う側にそれなりの知恵が必要で、

昔の子どもがそれほど知恵を持ってたかと言うと、微妙な話になって来る。

つまり、単に野球や鬼ごっこなど、決まり切った遊びをしてただけと考えれ

ば、原っぱは「古い遊園地」に過ぎないのだ。

         

逆に、ディズニーランドを楽しむリピーターであれば、独自の楽しみ方を工

夫して、まるで「新しい原っぱ」と化してる可能性がある。「浅草花やしき」な

どは、「古くて新しい、原っぱ&遊園地」といった所ではないだろうか。人間

の側の知恵・認識・行為によって、原っぱと遊園地は相互変換可能だし、

融合も可能なのだ。。

      

    

          ☆          ☆          ☆

いずれにせよ、鷲田や青木の議論が面白くて刺激的なのはその通りだ。

これを「手がかり」として、受験生もそれ以外も、彼らの主張について自ら

じっくり考え直せばいいと思う。その時、センター試験の問題は、密度が

高くて可塑性の高い空間を演出してくれるだろう。また、読者と哲学・建築

論の間に文化が生まれ、読者の暮らしの編みなおしにつながるだろう。

    

ただし、それが個々人の生活を本当に向上させるのかどうか、それは何

とも言えないことだ。人文系や芸術系の人々は、「新しさ」とか創造といっ

たものに非常に大きな価値を置いてるが、そうした姿勢は決して一般的

なものではない。古い木造民家の人気が示してるのは、まさに逆の根強

い嗜好=志向=思考なのだ。

    

それでは、今日はこの辺で。。☆彡

    

    

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

P.S.アップ後すぐ、そこそこの数の検索アクセスが入り始めたが、論文

    名を「身振りの消失」としたものが目立つ。単なる誤変換かも知れ

    ないが、「身ぶり」とか「ふるまい」とか、ひらがなを意図的に使うの

    が鷲田らしさでもあるのだ。ちなみに私が「振舞い」と入力した箇所

    があるのは、ブロガーとして、色々な検索を配慮したにすぎない。

        

P.S.2 6月11日朝日新聞に掲載された鷲田の寄稿「あれから3カ月

      への検索アクセスが、この記事に入って来てるが、今ちょっと論

      評する余裕がない。人々の「隔たり」の増幅を指摘。自分という

      存在に関する被災者の「語りなおし」を、傍らでゆっくり待とうとい

      う内容だが、「身ぶり」の方が「刺激的」論考だとは思う。

    

     

cf.哲学者・鷲田清一の自殺論(朝日新聞)

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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                                (計 4963文字)

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