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新しい道具、使ってみるための条件~東浩紀&広井良典「論壇時評」(朝日新聞・1月)

(☆2012年2月25日追記: 最新記事をアップ

   現在の中に過去を見ること

      ~高橋源一郎&小阪淳&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・2月) )

            

        

        ☆          ☆          ☆

PCトラブルその他の理由が重なって、丸1週間遅れとなってしまったが、今

回も朝日新聞の論壇時評をレビューしておこう。以下、このシリーズの中で

は過去最長の、1万字近いレビューになってるので、念のため。

           

2011年1月27日の朝刊オピニオン面の特集は、いつものように東浩紀の

時評がメイン。左側には広井良典のコラム、そして下側には小さく、「編集

部が選ぶ注目の論考」を配置してある。

          

久し振りに、上段中央にも目を向けてみよう。東と広井の文章に割って入る

形で、現代社会をイメージした小阪淳CG作品「道」があるが、いつものよ

うに意味不明。ハングル文字やアラビア文字をモチーフに変形したような記

号が上側にあり、下からはエイリアンとウナギの融合体の口みたいなものが

伸び上がってる。ウロコのような模様も不気味で、読み手の解釈どころか、

まなざしさえ拒絶するかのようだ。試しに、「道」を韓国語に翻訳してみたが、

出て来たハングル文字と作品上部の記号は、まったく違ってた。

           

現代美術というものは、意味不明でも鑑賞者が少なくても許される特殊な分

野だが、800万部の全国紙にこれほど大きなスペースを毎回与えるのはど

うだろう。実際、過去ウチで軽く話題に出した時も、このCGへの検索アクセ

スは皆無。むしろ、CGのスペースを半分にして、作者本人か専門家のコメ

ントを付けた方がいい気もする。

          

言語情報が多過ぎるというのなら、半分は他の作者の写真にするとか、あ

るいは一ヶ月交代という手もあるだろう。正直、堅い話が続くページなのだ

から、たとえ「芸術的」でなくても、もう少し素朴な心地良さを与えて欲しい。

一般人としてはつい、平凡でささやかな願いを抱いてしまうのだ。。

       

     

         ☆          ☆          ☆

ではここから、いつものように、まず東浩紀の時評を見て行こう。今回の

タイトルは、「新しい情報環境 道具あるなら使えばいい」。私なら、「・・・

使ってみてもいい」と書く所で、おそらく東が手厳しく批判している西垣通

も、わりと似たような慎重さの持ち主だろう。

    

つまり、「使えばいい」とまで直ちに言えるかどうか、疑問なわけで、西垣

ならもっと踏み込んで、「使えばいいとは言えない」と部分否定するかも知

れない。この辺りの微妙なニュアンスが、実は1月の東の時評の核心に

関わる論点なのだ。

              

去年4月に、東が執筆者になって以来、 もっとも不満をあらわにした時

評は、冒頭から「私的なエピソード」が語られる。そこだけで、本題に関わ

る範囲の3分の1以上に達するエピソードは、正月のテレビ朝日の討論

番組「朝まで生テレビ!」に関するものだ。ツイッターとの連動を売りにし

た企画にも関わらず、スタッフが取捨選択して読み上げるだけで、電話や

ファクスと変わらない状態だったらしい。送信者にとってどうかはさておき、

出演者の東にとっては。

         

ところが、席上では識者がメディアの閉鎖性を語る。そこでが、ツイッ

ターのつぶやきを未編集でスタジオに流せばいいと提案したのに、「苦笑

が向けられた」だけだったようだ。それゆえ、月末恒例の朝日の時評で

情報技術の可能性に対する無理解と無根拠な反発」が非難され、さら

には、論壇におけるその反復」も斬り捨てられることになる。

          

この長寿番組、私も昔は見てたが、ここ数年は全く見なくなってるから、実

際の様子は分からない。ただ、東の文章には無い簡単な指摘を2つ行うこ

となら出来る。まず、あらかじめ彼に、番組でのツイッターの使い方が知ら

されていれば、不満はもう少し小さかっただろうということ。些細な伝達不足

が、問題を大きく感じさせてしまったのではないか。

    

もう一つは、テレビの制約の強さだ。未編集のつぶやきを流すと、どんなリ

スクがあるか。スタッフでなくても容易に想像できるだろう。ツイッターやニコ

ニコ動画と、全国ネットのテレビ番組とでは、制約が違うのは自然なこと。そ

れが分かってるからこそ、他の出演者から「苦笑」がもれたのかも知れない。

つまり、その苦笑は東に向けられたのではなく、自分たちも出演しているテ

レビというマスメディアに向けられた可能性があるということだ。

             

「苦笑」とか世間的反発の話に続いて、東はこう語る。「そのような反発こそ

が現実離れした極論を前提としているのだ。そもそも、ネットを導入すれば

すべての問題が解決だとはだれも主張していない」。まるで、あの討論番組

でバトルがヒートアップした時のような言葉だが、人間味が溢れてるという意

味では悪くないのかも知れない。実際、私が見てた頃のあの番組も、熱い

やり取りや生の感情的表現が、売りの一つだった。

            

とはいえ、それよりも次の文章が決定的に重要だ。「そこに新しい道具があ

るのならとりあえず使ってみる、それこそが知的な誠実さではないのか」。こ

の言葉、この日の朝刊1面の右端にも引用されてたから、朝日の編集部に

は好評だったのだろう。朝日は以前から、東には非常に好意的だし、ツイッ

ターにも基本的に好意的だ。

           

けれども、私は東の言葉にかなり距離を置くし、西垣なら反論するだろう。

もちろん、「無理解と無根拠な反発」などではなく、事態を全体的に理解した

上での冷静な態度表明だ。以下、具体的に論じてみよう。

           

             

          ☆          ☆          ☆

今回の時評の本題に関する範囲で、東は珍しく、3つの文章しか参照して

いない。その内、最初の2つに対しては好意的で、それらは例によって、

ネット、アニメの可能性を肯定的に扱う若手の主張。一方、3つ目に対して

は、おそらく時評の連載全体を通じてもっとも批判的な言葉を投げかける。

それこそ、ネットの危険性を訴える、情報分野の大御所的な識者、西垣通

の主張だ。

             

まず、東が好意的に扱った最初の例、西田亮介のコラムを見てみたい。1

月20日の朝日・夕刊に掲載された文章で、大見出しは「助け合いへの共

感 増幅」。小見出しは「タイガーマスク現象 全国へ」、「『新しい公共』 

考える契機に」、となってる。「新しい公共」は、東の5月の時評テーマにも

なっていた、鳩山内閣以来の概念で、国家が大がかりにもたらす「古い公

共」の対立概念だ。

    

昨年末、40年前の人気漫画『タイガーマスク』の主人公「伊達直人」を名

乗る人物から、児童相談所にランドセル10個が届けられ、その後、似た

ような匿名の寄付が続いてるのは、周知の通り。これを西田は、「日本的

な善意が、オンラインのネットワークのもたらした新しいつながりや欲求に

よって増幅された事件」だとみなす。東も引用したのも、この箇所だ。

       

この匿名の現象が、どの程度ネットと関わっているのかについては、今の

所なんとも言えない。西田の見方の根拠も、ネットで人気のキャラ名の使

用とか、微小な差異の連鎖がネット的だとか、間接的で弱いものしかない。

もちろん、反論の強い根拠もないので、その点は今、流しておこう。匿名性

はネットに限らないが、素早い拡散がネット「的」だという点ならその通りだ。

           

日本的な善意とは、「匿名で、つまり、自らの営利行為とは無関係に支援

を行う『粋』なあり方」のこと。「実名で、寄付者の営利にもつながる欧米型

の寄付とは別物とされ、細部や深読みはともかく、大筋ではもっともな見方

だろう。

         

問題はこの後だ。まず、「欧米型の寄付の導入と既存制度の修正も重要だ

が、人々は新しい寄付の手段を求めている」。新しいという点て言えば、日

本人にとって、実名の寄付もまだ十分新しいはずだ。

   

実際、07年のスタート以降、圧倒的な人気を誇る東京マラソンが、寄付10

万円以上のチャリティー参加を始めたのは、今年の第5回が初めてのこと。

1000人のランナー枠はすぐに埋まって、これだけでも1億円の欧米型寄付

が集まったわけだ。ちなみに、ランナーにとっての「営利」は、特別なシャツ

を着て走ること、あるいは、抽選にもれたにも関わらず参加できる点だろう。

    

一方、昨年末、ドミノピザで時給250万円のアルバイトに選ばれた浜崎リツ

子さんも、実名で地元・宮崎県に義援金を贈ると発表。欧米型とも日本型

とも言えない、フツーの実名の寄付で、かなりの注目を浴びている。ちなみ

に、発表があった昨日だけで、当サイトの関連記事4本へのアクセスは、合

計1000を突破。しかも、真面目に読んでる人の割合が高い。

         

このように、ネット利用の寄付だけが新しいのでもないし、それだけが人気

を持ってるわけでもない。もちろん、それ以外の選択肢として、ネット利用

日本型寄付もあった方がベターだろう。ただし、それは「ひとつの」カギ

あるし、具体的な方法については、既存の例を2つ挙げた後、「考えたい

と書いて、西田のコラムは終わってるのだ。

          

ここで、東が時評に書いた、テレビ討論へのツイッター利用の話に戻ってみ

よう。メディアの閉鎖性を破る「ひとつの」カギがツイッターにありそうだとい

う点は、番組スタッフも感じてるわけだ。しかし、具体的にどのようにテレビ

へと導入するのか、「考えたい」といった態度で差し当たり保留するのは、

「無理解」でも「無根拠な反発」でもない。むしろ、ポジティブに評価すべき

慎重さだろう。

           

少なくとも、テレビ生放送の現場で、出演者の要請に応じて直ちに、不特

定多数のツイートを流すとしたら、楽天的すぎる態度だ。例えば世帯視聴

率が2%なら、深夜という時間帯や内容を考えて、個人視聴率は1.6%

にはなると思われる。日本の人口を掛け合わせると、視聴者200万人に

も達することを、「理解」しなければならない。。

         

              

         ☆          ☆          ☆

東がもう一つ好意的に取り上げたのは、人気アニメ『けいおん!』のファン

たちの行動で、いしたにまさきと福嶋麻衣子が紹介したものだ(『日本の

若者は不幸じゃない』ソフトバンク新書)。ネットを通じた草の根運動が、

歴史的建造物の保存につながったと言うのなら、それはおそらく成功例

だろうという気はするし、そこに可能性を見ることも自然なことだ。

   

追記: この辺り、慎重な態度を示しておいたが、実際今日、2月4日

     に、窃盗事件で少年2人が逮捕された)

                    

ただ、その運動の詳細はさておき、それが「ひとつの」成功例らしきもの

だということは、忘れることは出来ない。その話と、例のテレビとでは、まっ

たく別物だ。ネットを通じた草の根運動ということであれば、テレビ番組を

見た視聴者ネットを通じて議論を深め、価値ある行動につなげるだけ

でも十分だろう。それは、テレビスタッフや出演者ではなく、視聴者側が問

われていることだが、東の批判はそちらには向かない。

             

そもそも、東が好意的に論じた2つの例示だけでは、そこに未編集のツ

イートが必要だという点までは読み取れない。出演番組への不満と、新

聞の時評での議論は、つながってはいるものの、その連結は弱いのだ。

      

               

        ☆          ☆          ☆

最後に、東が真っ向から全面的に批判する、西垣通の主張について。

その批判の仕方は、東が自分で「批判型から提案型へ」と書いてること

を考えても、かなり奇妙なものに思えた。批判だけで、より適切な修正案

も無ければ、独自の解釈らしきものも無い。

             

そこで私は、実際に『現代思想 2011年1月号』を読んでみた。「特集 

Googleの思想」の冒頭に、西垣の「オープン情報社会の裏表」と題する文

章がある。これは、談話を全文12ページにまとめたもので、東が「単純」と

切り捨てる気持ちは一応分かるが、内容はかなり多岐にわたっている。

            

読み始めてすぐ、次の文を見て納得した。「機械的な検索アルゴリズムで

ある Pagerank アルゴリズムは、ネット評論家が力説するように非常に民

主的なのでしょうか」。なるほど、真相はともかく、この言葉に東が反応した

と考えれば、今回の時評の特異性が腑に落ちる。  

     

ちなみに、ここでいうアルゴリズムとは、Googleで検索した際に、多数の

ページをランク付けするためのシステムのこと。この記事も含めて、当ブ

ログの記事には多数の検索アクセスが入ってるが、過半数はGoogleを

通じたもの。特に昨年末、Yahoo!がGoogleのエンジンを採用してから

は、実質的に大半の検索アクセスがGoogle経由となっている。私も、5年

5カ月にわたって毎日更新して来たブロガーとして、常にグーグルを意識

して来たし、読者としても毎日、数十前後の検索をかけてるわけだ。

            

現在のネットで、一つの民間企業にすぎないGoogleが非常に大きな力

持ってるのは間違いない事実。また、その力は有名人や多数派に有利

働くので、その限りでは、ネット全体が一つの方向に進みやすくなってるか

も知れない。さらには、ネットがリアルタイムの情報伝達によって、判断や

決定を高速化してるというのも確かだろうし、一度流出した情報はもはや

収不能というのも事実だ。

             

こうした事を「理解」するなら、ネットには可能性と共に、「危険性も」あるこ

とはすぐ分かるはずで、問題は、そのリスクの評価と、それに対する向き

合い方となる。西垣は、リスクの大きさを強調し、人々がリスクを過小評価

していることを危惧する。東は逆に、可能性の大きさを強調し、日本の論

壇やメディアが可能性を過小評価していることを批判する。

             

もっと根本的で一般的なレベルで言うなら、新しさや変化というものをどう

見るかということだ。東は、それらをポジティブにとらえる傾向が強い。おそ

らくそれは、若者受けの良さにつながってるだろう。それに対して西垣は、

新しさと、事の良し悪しとは、別の話だと考える。そして、Googleとか「ネッ

ト専制主義」といった新しいものについては、警戒を強めるわけだ。ちなみ

に今朝の朝日・朝刊には、エジプトでも変革より安定を求める声が出て来

たことが紹介されている。

             

もちろん、西垣も単にネットを全否定してるわけではなく、今のネットを批判

してるにすぎない。ただ、代案としての、より新しいネットの姿を上手く描き

出せてない点は、かなりの弱みになっている。グローバル=遠隔的なつな

がりよりも人間的で、ローカル=身近なつながりを重視する、「ネオ・サイバ

ネティクス」について語るわけだが、今回の談話だけを見るなら、漠然とし

た夢の域を出てないように思われた。民主主義が本質的にローカルだとい

う主張も、体感的には賛同するとして、理論的には熟考を要するだろう。

          

            

          ☆          ☆          ☆

ネットが日本で一般に普及して、まだ15年前後。ブログが7年、ツイッター

が2年といった所だろう。どれもまだ歴史が浅くて、一体それが何者なの

か、誰もその本質や功罪について、つかみ切れてはいないはずだ。結局、

新しい道具があるのならとりあえず使ってみる」というよりは、「・・・長所・

短所をある程度考えた後、一定範囲で使ってみるのも、ひとつの考えだ」く

らいに留めることこそが、「知的な誠実さ」だろう。

             

個人的には今、ブログに力を注いでるが、ツイッターはまだ様子見。他人

のはたまに読むが、自分でつぶやきたいとはまだ思わない。平均で2500

字程度は書いてるブログと、100字以下が多いツイートでは、あまりにも

違ってる。斎藤環や香山リカのツイッター批判にも、耳を傾ける人が多い。

ネットやGoogle検索は、あまりに使い過ぎてるから少し反省し始めてはい

るが、せいぜい半減させる程度だと思う。使わないことは考えられないし、

西垣も現在、もちろん使ってるのだ。

           

なお、枝葉の問題ではあるが、西垣に対する東の批判の内、機械と人間

に関する部分は、単純なものか意図的なものかはともかく、明らかに的外

れだ。西垣が、ネットには「機械情報」しかないと注意を促すのに対して、

東は「書くのも検索するのも生きた人間」だと反論する。

          

しかし、これは当たり前であって、実質的には反論になってない。西垣が言

う機械情報は、書いた後でネット公開された文章や、検索した後でGoogle

に出て来る結果のこと。我々が直接ネットで目にするのは、こうした機械情

報にすぎないし、そこには生きた人間の「生命情報」以外の要素が忍び込

んでいる。その危険性を訴えたいのだろう。

          

車が通ってる道路に、フラフラ出て行きそうな人を見かけたら、誰でも「

ない!」と叫ぶか、腕をつかんで引きとめる。緊急事態に、「そのまま道へ

出て行くと、車にぶつかる可能性がある一方、素早く渡れる可能性もあり

ます」などと、両論併記的な理屈を慎重にこねる人間はいないのだ。たと

えそれが、本当に緊急事態かどうかは分からないにせよ。

            

最後に、本題とは別に東が挙げた注目論文2つの内、後者には私も注目

していた。『文言春秋 1月号』と『週刊文春 1月20日号』に掲載された、

抗がん剤論争。たまたま身近に、抗がん剤を使い終えたばかりの知人が

いるし、自分もいつその立場に置かれるか分からない。昔から一貫して、

がん治療に厳しい批判を加え続ける近藤誠の議論は、今でもリアルタイム

で注目するに値するだろう。いざという時、あわてたり迷ったりするリスクを

減らすためにも。。
      
       

   

         

          ☆          ☆          ☆

一方、東の時評の左側に位置するコラム、「あすを探る」 。今回は、広井

良典の公共政策論で、タイトルは「成長期終え創造の時代へ」だ。

           

この文章の特徴は、本人が冒頭で書いた文によく表れてる。「少々“壮大

な”話をすることをお許しいただきたい」。「少々」という副詞が不要なほど

壮大な話で、読みながらつい微笑みが浮かんだほど。別にそれは、苦笑

とか嘲笑ではなく、面白すぎる話だから楽しかっただけだ。

         

朝日の論壇時評というと、東の時評ばかりが注目されがちだが、毎月全

体を熟読してる立場で言うなら、「あすを探る」の方が読み応えがあること

が多い。もちろん、そうした印象の差は、広く論壇を見渡した時評と、一つ

のテーマで自説を展開するコラムとの、形式設定上の違いでもあるだろう。

     

時評はまるで、一つの大まかなテーマのもとに、20個前後の長めのツイー

トを行ったようなものにも見える。140×20=約3000字。それに対して

「あすを探る」は、約2000字のまとまった小論文だ。

      

                 

         ☆          ☆          ☆

広井が言いたいのは要するに、人間の成長が止まったように見える現代

こそ文化的創造の時期だ、ということだ。それだけ呼びかけたのでは説得

力に欠けるし面白みもないから、巨大な歴史物語と共に語ることになる。

     

まず、約20万年前に現生人類が現れ、狩猟・採集時代が始まり、人口も増

加する。その後、5万年前には、「心のビッグバン」とか「文化のビッグバン」

と呼ばれる現象が生じた。人類学や考古学によると、その頃、装飾品・絵画・

彫刻などの芸術作品が一気に現れるらしい。同じ頃、人口増加も止まる

    

続いて約1万年前に農耕が成立。再び人口は増加する。やがて紀元前5世

紀前後には、普遍的な原理を志向する思想が地球上の各地で”同時多発的”

に生成。インドの仏教、ギリシャ哲学、中国での儒教や老荘思想、中東での

旧約思想。その頃再び、人口増加が止まる。

     

さらに、約200年前以降は、産業化(工業化)時代。人口が増加する。この

ように、各時代の投書の拡大・成長が成熟・定常期に移行する際、大がか

りな文化的創造が生じたのではないか、というのが広井の仮説である。何と

も壮大な仮説で、そのまますぐに受け入れるのは難しいし、広井自身、心の

ビッグバンなどという革命的変化を否定する意見さえあることを認めている。

      

           

         ☆          ☆          ☆

ただ、その仮説が正しかろうが、間違っていようが、広井の主張は同じなの

だ。人類史における”第三の定常期”への移行期であろうがなかろうが、

を「変化の止まった退屈で窮屈な社会」などとネガティブにイメージせず

文化的創造の時期だとポジティブにとらえよう、という明るい提言、あるいは

激励である。

             

過去200年ほどの、市場化・産業化・金融化といったベクトル(=矢印)か

ら解放されつつあると考え、時間より空間(=地域性)を重視。ポスト資本

主義として、創造的な福祉社会を目指そう。そう言われれば、つい笑顔で

頷きたくもなるが、そもそも今、地球規模で本当に定常期に入りつつある

のかさえ定かではない。まだ拡大期のようにも思われるし、日本だけ見て

ると、逆に縮小・衰退期に入りつつあるような気もしてしまう。

      

まあ、現状を細かく見渡すと、暗い部分ばかりが気になるからこそ、壮大

な歴史物語のもとで明るく進もうという話だろう。公共政策の代表的な

究者の一人が、朝日新聞で一般人向けにこのような構想を描くのは、

笑ましくて、いい事だと思う。研究者レベルでは、トンデモ系に近く聞こえ

てしまう事くらい、本人もよく分かってるし、読者にも感じ取れるはずだ。

理由づけが正しいかどうかは、大した問題ではない。

     

スポーツの世界でも、イメージトレーニングの大切さがしばしば語られる。

自分が素晴らしい成果をあげられるかどうか、それを冷静に考えることと

は別に、とにかくポジティブなイメージをもつこと。案外、必死にトレーニン

グしたり、研究したりするよりも、素朴で有効な方法かも知れない。ただし、

イメージの現実化のレベルでは当然、具体的で緻密な考察や議論、大胆

な決断、粘り強い実行力が要求されるわけだ。

        

もちろん、良いイメージとは人それぞれであって、広井の語るモデルを好

む者もいるだろうし、まだ拡大・成長期だとみなす方を好む者もいるだろ

う。人文系なら、逆に縮小・衰退期とみなすのを好む人も少なくなさそうだ。

いずれにせよ、広井の壮大なおとぎ話が、一部の人に笑顔と希望を与え

るのは間違いないような気がする。とりあえず私は、笑顔をもらうことが出

来ただけで満足だった。ビッグバン的創造は、他の人に委ねるにせよ。

     

           

          ☆          ☆          ☆

未編集のツイッターをテレビの生放送で流すことには、それなりのリスクが

ある。また、一企業がネットに巨大な力を行使する現状には、遥かに巨大

なリスクが想像される。それに対して、広井の新しい仮説を受け入れること、

生産的営みの道具として援用することには、さほどリスクがないだろう。お

まけに、受け入れない自由さえ十分あるのだ。

    

「新しい道具があるのならとりあえず使ってみる」と言えるのは、あくまでリ

スクが一定限度内に収まってる場合。あるいは、リスクを凌駕するメリット

が期待できる時だ。しかも、そういった時でさえ、実は無意識的に使わされ

てるのではないかという可能性を、一度考えてみるべきだろう。

     

使わされる、強制されることは、必ずしも悪い事ではないし、メリットも期待

できる。義務教育などは、その最たる例だろう。けれども、知らない内に支

配されることのリスク、短所から目を逸らすのは、知的誠実さとは遠く離れ

た姿勢であるはずだ。

                  

それでは、今回はこの辺で。。☆彡

    

    

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

cf.東浩紀とネットが開く新たな言論空間~朝日新聞「論壇時評」 (4月)

  「新しい公共」と他者への理解~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・5月)

  理想を語り、現実を変えること~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・6月)

  政策の「事後的」評価としての選挙

              ~東浩紀&香山リカ「論壇時評」(朝日新聞・7月)

  建設的な哲学とネット共同体への「期待」

                    ~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・8月)

  よりどころの崩壊、新たに築く試み

             ~東浩紀&松井彰彦「論壇時評」(朝日新聞・9月)

  世論調査、ファスト政治、ポピュリズム

             ~東浩紀&福岡伸一「論壇時評」(朝日新聞・10月)

  中国の異質性、東アジアの同一性

             ~東浩紀&李鍾元「論壇時評」(朝日新聞・11月)

  情報公開の境界、資格付与の区切り

             ~東浩紀&松井彰彦「論壇時評」(朝日新聞・12月)

  つながりと祝祭、これからの革命と善意

              ~東浩紀&香山リカ「論壇時評」(朝日新聞・2月)

  各個人が独自メディアとして議論すべき時

              ~東浩紀&苅部直「論壇時評」(朝日新聞・3月) 

      

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  震災後、身の丈超えぬ「ことば」に希望

              ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞)

  どの常識をどう疑い、何に立ち向かうのか

      ~高橋源一郎&平川秀幸&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・12月)

  対称的な関係の中にある前進

      ~高橋源一郎&小阪淳&森達也「論壇時評」(朝日新聞・1月)

  現在の中に過去を見ること

      ~高橋源一郎&小阪淳&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・2月)     

     

                                  (計 9890文字)

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