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希望の共同体を楽しく探るために~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・10月)

(☆2012年7月30日追記: 最新記事をアップ。

   古きを温め、新しきを育む

    ~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・12年7月) )

        

        

          ☆          ☆          ☆     

これほど続けるとは自分でも思ってなかったが、朝日新聞『論壇時評』に関

するメタ論評的な記事は、先月で1年半が経過。ここまで来たらもう、来年

3月末で担当者が交代するまで続けたいと思う。

   

今回も、複合記事の中央に掲載された小阪淳CGから順に見て行く。「現

代文明をイメージした作品を毎月掲載」との説明が付いた一連のCG、今

回のタイトルは「時間」。古代ギリシャの建築として世界遺産に登録されてい

パルテノン神殿を、六段重ねにしたような建築物が中央にそびえ立ち、そ

の周囲には広大な瓦礫(がれき)の平野が続いてる。神殿はアテネのアク

ロポリスの丘にあるものだし、CGではボロボロだから、普通に見れば、

壊寸前ギリシャの経済状況を表したものだろう。

        

ギリシャの金融危機は、いまやユーロ通貨圏やEU(欧州連合)を遥かに

超えて、世界全体を巻き込む形になってる。問題の中心にあるのは、返済

能力が疑問の中で積み重ねられた国債発行だし、更に遡れば、リーマン

ショック以降の各国の対応全体とも言えるだろう。もっと遡ることも出来る

が、要するに長い「時間」を経て、もはや維持することが困難な状況だとい

うことだ。

   

同じ事は、日本の電力システムや防災システム全体、あるいは国民の意

識や生活のあり方全体にも言えるはずで、CGの背景にある広大な瓦礫

は、津波の被害の跡とか、原発周辺の避難地域のようにも見える。ただ

し、CGの中心にそびえ立つ建物は、まだ完全に崩れ落ちてるわけでは

ないし、上側より下側がボロボロになってるわけでもない。

   

今ならまだ、補修と言うより全面的な改修工事によって何とか出来る。そ

ういった儚い希望を、垂直を保った建物に見て取ることは不可能ではな

い。過去の「時間」の蓄積は重いが、未来の「時間」には、マイナスとプラ

ス、双方の可能性が秘められてるのだ。。

      

     

         ☆          ☆         ☆

続いて、メインの記事である高橋源一郎時評。『群像』2011年11月

号で発表された話題の新作小説『恋する原発』については、昨日の朝日

新聞「文芸時評」で、斎藤美奈子が好意的にコメントしてた。私はまだ読

んでないが、本人が「いままででいちばん書きたかった小説」だとツイッ

ターのトップに掲げてるほどなので、いずれ目を通すつもりではいる。た

だ、「完売御礼」とのことで、本当に売り切れなら図書館に行くしかない。

単行本の発売予定日は、11月17日とのこと(アマゾン)。

  

さて今回の時評のタイトルは、「祝島からNYへ 希望の共同体を求めて」。

鈴木好之撮影で右上に置かれた写真では、高橋は左上に顔と視線を向け、

そこにちょうど「希望の共同体」という活字が位置している。目を細めてる所

を見ても、遥か彼方の眩しい存在なんだろう。

    

さて、祝島(いわいしま)とは、もっとも簡単に言うなら、反原発の拠点の一

つだ。山口県熊毛群上関町(かみのせきちょう)の島で、対岸への建設が

計画されてる中国電力・上関原子力発電所に対して、1982年の発表当

時から反対運動があったようだ(祝島HP)。2010年には纐纈(はなぶさ)

あや監督によるドキュメンタリー映画、『祝(ほうり)の島』も公開。

    

高橋は冒頭、その映画で映された老人の姿を思い出す所から書き始める。

「80歳近いおじいさんが、ひとりで水田を耕している。・・・米を作るのは、子

どもや孫に食べさせるためだ」。しかし、500人ほどの人口のほとんどは

で、多くは一人暮らしの孤老。「『善きもの』受け取るべき若たちが、

もう島には戻って来ないことを、彼らは知っているのである」。

      

高橋が映画を思い出したキッカケは、『現代思想』2011年10月号の特集

反原発の思想」など。四国電力伊方原発(中島眞一郎)、新潟県巻町(現

在は新潟市、成元哲)、祝島(姜誠、これのみ『すばる』11月号)・・・都会か

ら遠く離れた場所での孤独な「戦い」の様子が書かれてたからだ。現代思

想の特集、私もザッと目を通してたが、その名の通り、ほぼ「反原発」一色

であって、中にはかなり過激な主張もある。

      

当然、逆の立場の議論はどうしたのかと問いかけたくなるが、そちらに目を

向けるつもりはないのかも知れない。実際、昨年末で退任した前・編集長

池上善彦は、朝日新聞のインタビューでこう語ってるのだ。「反対派ばか

りで偏ってるとも言われたけど、僕は気にしなかった。だって僕が読者だっ

たら、『幅広い意見』なんか読みたくもないから」(2011年2月22日・夕刊)。

ちなみにその姿勢で、経営的には黒字を保ってたそうだ。

    

私はこれを読んで、実際の『現代思想』の読者はどうなのか気になったし、

このインタビューを読んだ人の全体はどう感じるのかな、とも思った。とは

いえ、私はそういった雑誌にもきちんと目を向ける。こういった冷静で中立

的な姿勢今ほど大切な時期もない、とも考えてる。

           

徐々に反原発への傾斜を強めてるように感じられる高橋は、その辺りにつ

いてどう思ってるのだろうか。ツイッターなどで語ってる寛容な姿勢と、論壇

時評で見て取れる立場の変化との間に、微妙なズレを感じてしまうのだ。。

    

      

        ☆           ☆          ☆

話を一旦戻すと、「善きもの」を受け取ることなく、島の「外」へ、あるいは

都会へ去って行った若者たちはどうなるのか。彼らは実は、老人たちの

「最後の贈りもの」だけはしっかり受け取っている。そう、高橋は言いたい

ようだ。それこそ、「大地に根を下ろし」て戦い続ける老人たちの姿その

ものなのだ。

      

その後の高橋は、NY中心の「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall 

Street)」と呼ばれるデモや運動に目を転じる。反グローバリズムの論客、

ナオミ・クラインの演説を引用しつつ、彼らが「一つの場所に根を張ること」

を評価。「そんな空間にだけ、なにかの目的のためではなく、それに参加す

ること自体が一つの目的でもあるような運動生まれるのである」と語る。

    

美しい文学的表現で、つい頷いてしまいそうになるが、彼らと祝島の老人

とで根の張り方同じとは思えないし、そもそも彼らが本当に根を張って

るのかどうか、まだ予断を許さない状況だ。祝島の運動は約30年、老人

たちの生活はおそらく50年以上。それに対して、ウォール街はまだ1ヶ月

半にすぎない。

    

また、「なにかの目的のためではなく」と言いつつ、高橋が取り上げてるの

反原発、反格差といった目的を持ってる側のみで、それ以外の「場所」

に目を向けて評価してるようには感じられない。これは、『現代思想』の前・

編集長と同じ考えということだろうか。広い意味で左派の側だけに、共同体

の可能性を見たいのだろうか。

     

本人にもし尋ねれば「違う」と答えると、私は信じたい。その意味で、まさに

問題なのは、「希望の共同体」の具体的な在り方だ。それは、原発なしで格

差もない世界なのか。あるいは、上野千鶴子『ケアの社会学』を引用しつつ

語る「個人を基礎としたまったく新しい共同性の領域」とは、どのようなもの

で、本当に可能なのか。「希望を持ってよい」という上野の言葉だけなら、私

も高橋同様、共感するが、それは「希望を持てる」こととは違うし、ましてや

「実現できる」こととも違ってる。

       

一方、希望の共同体とはおそらく複数、または多数のものだろうから、その

間の対立も問題だろう。だからこそ、偏ってることに開き直り、自分の好き

な考えのみに目を向けようとする池上の姿勢が気になるのだ。共同体を作

る際には、相互の承認と共存想定する必要がある。単独かつ絶対の統

一的共同体など夢想に過ぎないし、全体として世界はただ一つなのだから。

  

なお、この日(10月27日)の朝日新聞の朝刊1面には、TPP(環太平洋経

済連携協定)の交渉参加をめぐる深刻な対立が、デモの写真入りで掲載さ

れてるし、オリンパスの会社運営に関する新旧経営陣の衝突のニュースも

報じられている。夢を見るのは自由だし、いい事だろう。しかし、夢の「実現」

「現実」の中でしかあり得ず、その現実には古今東西、常に対立が溢れ

返ってるのだ。。

   

                

      

          ☆           ☆          ☆

最後に、複合記事全体の左に位置するコラムあすを探る」。今回のテー

マは思想・歴史で、執筆者は小熊英二。2回目だから、もうこれが最後で、

コラムの末尾も、キレイな締めくくりの文章になっていた。

    

   「・・・余裕はない。いまならまだ変えられる。私たちはいま、いやおう

    なく、『あすを探る』ことを求められている。そして『あすを探る』こと、

    『あすを創る』ことは、じつは誰もが望んでいる、楽しい経験である

    はずなのだ」。

      

今回のタイトルは、「公共事業と原発、日本の縮図」。要するに、反公共事

業と反原発を重ね合わせて、現代日本の諸問題に対する当然の運動とみ

なす内容だ。実は、複合記事の下側に位置する「編集部が選ぶ 注目の

論考」も前半は反原発関連だから、今月の論壇時評は反原発一色になっ

てる。もともと朝日新聞がそうゆう立場の会社だから、特段の驚きはないが、

編集部の中に一つも異論はないのだろうか。編集部や論壇委員の選考の

あり方が気になる所だ。

     

ただし、高橋と小熊では、「語り方」がまったく異なってる。簡単に言うと、高

橋は文学的。島のおじいさんが水田を耕す姿から始まる、一方の小熊は、

政治活動家的。実際、冒頭はいきなりこう書かれる。「『138億円かけて街

を壊すだけ』といわれる公共事業がある。東京都世田谷区の下北沢駅周

辺の再開発だ」。

      

下北沢とは、全国的な知名度は微妙だが、首都圏では有名な場所の一つ

で、演劇と音楽、個性的で小さな店の数々が特色。渋谷から4つ目の駅だ

し、途中には駒場東大前駅もある。つまり下北沢は、東京大学・駒場キャン

パスの近くであって、実は小熊も東大出身なのだ(最初は名古屋大)。この

点について、小熊は触れてないが、下北沢再開発への反対運動を考える

上での一つの参照点ではあるだろう。主要な参照点ではないとしても。

           

実は以前、私の出身高校でも、再開発のような動きが出たことがあるが、

卒業生や関係者は反対運動を展開。その際の理由づけはもちろん、「私達

の思い出の場所だから」というものではなく、別の論拠が主張されるのだ。

こうした人間的な本音の部分「をも」視界に入れるべきだと思う。

    

個人的には私も、下北沢のような特色ある街は、出来ればなるべくそのま

保存して欲しいとは思う。駅前に消防車両が入れないとか、防災上の問

題はあるようだが、もし小熊の説を信じるなら、小売店密集地を大型道路

にする必要まではないようだ。

       

ただし、ウィキペディアの「下北沢」の項目を見るだけでも、小熊が書いて

ない複雑な問題が色々と見て取れる。おそらく全国の読者と同様、正直言っ

て、そうした一つの街の様々な問題を詳細に調べる気はしない訳だが、

熊の語り方の特徴だけは自然に見て取れる。前回の「あすを探る」もそうだ

が、議論が文字通り「一方的」なのだ。ひたすら一つの方向に進もうとする

だけで、反対の方向への動きや、横切る動きに目を向ける姿勢はない。

     

小熊英二は高校卒業後、まず名大の物理学科に入ったようだが、理数系

の議論と違って、人文的・社会的な議論には、絶対的な強制力は無い。最

後は結局、決定機関による判断とか多数決があるだけなのだ。だからこそ、

高橋のような文学的な技、つまり柔らかく読者を引き込む戦略が光るわけ

で、彼のお得意の大量データを持ち出した所で、事態はさほど変わらない。

      

なまじ優秀な知性であるために、まだ自分の根本的姿勢に限界を感じてな

いのだろうが、データと論理で圧倒するような議論の仕方がそれほど有効で

もないことについて、そろそろ気付いてもいい頃だろう。その時こそ、新たな

次元に踏み出せるだろうし、「あすを探る」楽しい経験への可能性も開けて

来るはずだ。

   

一つの大きめの共同体の中に、小さな共同体が複数存在して、多様性を

保つと共に、対立し合ってる。「楽しい経験」の成立には、自分と異なる側

への配慮、語りかけ方、振舞い方こそが、重要な前提条件なのだ。それが

あって初めて、全体が一つの大きな「希望の共同体」へと変わる可能性が

生じて来るだろう。たとえまだ、現実化への道のりは厳しいとしても。

              

それでは、今月はこの辺で。。☆彡

    

    

    

cf.震災後、身の丈超えぬ「ことば」に希望

         ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞) (4月)

  非正規の思考、その可能性と危険性

         ~高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・5月)

  みんなで上を向いた先に真実はあるか

         ~高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・6月)

  スローな民主主義と『スローなブギにしてくれ』

          ~高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・7月)

  柔らかさ、面白さが無ければ伝わらないのか

          ~高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・8月)

  人を指さす政治的行為のマナー

          ~高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・9月)

  アート・ロック・ゲーム、多様な変革運動

      ~高橋源一郎&濱野智史&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・11月)

  どの常識をどう疑い、何に立ち向かうのか

      ~高橋源一郎&平川秀幸&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・12月) 

  対称的な関係の中にある前進

       ~高橋源一郎&小阪淳&森達也「論壇時評」(朝日新聞・1月)

  現在の中に過去を見ること

       ~高橋源一郎&小阪淳&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・2月)

  古きを温め、新しきを育む

    ~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・12年7月)

                 

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  東浩紀とネットが開く新たな言論空間~朝日新聞「論壇時評」 

                                  (2010年・4月)

  「新しい公共」と他者への理解~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・5月)

  理想を語り、現実を変えること~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・6月)

  政策の「事後的」評価としての選挙

              ~東浩紀&香山リカ「論壇時評」(朝日新聞・7月)

  建設的な哲学とネット共同体への「期待」

                    ~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・8月)

  よりどころの崩壊、新たに築く試み

             ~東浩紀&松井彰彦「論壇時評」(朝日新聞・9月)

  世論調査、ファスト政治、ポピュリズム

             ~東浩紀&福岡伸一「論壇時評」(朝日新聞・10月)

  中国の異質性、東アジアの同一性

             ~東浩紀&李鍾元「論壇時評」(朝日新聞・11月)

  情報公開の境界、資格付与の区切り

             ~東浩紀&松井彰彦「論壇時評」(朝日新聞・12月)

  新しい道具、使ってみるための条件

             ~東浩紀&松井彰彦「論壇時評」(朝日新聞・1月)

  つながりと祝祭、これからの革命と善意

             ~東浩紀&香山リカ「論壇時評」(朝日新聞・2月)

  各個人が独自メディアとして議論すべき時

             ~東浩紀&苅部直「論壇時評」(朝日新聞・3月)

     

                                (計 6024文字)

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