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宮沢賢治『蛙のゴム靴』と、『もう一度君に、プロポーズ』第7話

既につぶやき記事で書いたように、私はドラマ『もう一度君に、プロポーズ』

の第7話を、14分遅れで見るハメになってしまった。なぜか地デジの設定

が全部消えてたからで、ますます地デジが嫌いになったって話はさておき、

レビューも感想も書きにくい状況になってしまった。

       

一応、公式サイトの完全版あらすじで、見逃した部分を補足したけど、正直

あれなら、私が直接見た範囲だけからでも推測できたこと。とても第4話レ

ビューみたいな記事(笑)を書くための素材にはならない。ま、相手は女性

脚本家だし、今回はあんまし書く気がなかったけどね。実際、私が見た範

囲の全体的内容としては、第4話ほど凄いものではなく、物足りないほど♪

      

という事は、ますます記事を書きにくいということでもある。淡々と離婚届提

出への流れが描かれて、台詞も映像も普通。謎のメイン脚本家・桐野世樹

の持ち味が活かされてなかったとも言えるけど、今回に限っては山上ちは

るが主たる脚本家になってたから、想定内の出来。こんなもんだろう。 

          

そこで、何かネタがないかなと思って、試しにドラマの紙芝居つき朗読会で

登場した童話『蛙のゴム靴』を調べてみると、色んな意味で興味深いと言う

か、意外なことばかりだったから、今回はこれを中心に書いてみる。ドラマ

レビューというよりむしろ、軽い文学記事の中にドラマを引用したという感

じだ。実は前から、ローテーション的に、そろそろ文学系の記事を書きたい

と思ってたから丁度いい。宮沢賢治という大物作家についても、ずっと気

になってたのだ。。

        

    

         ☆          ☆          ☆

『蛙のゴム靴』の作家が、あの有名な賢治だと知って、早速まずはウィキペ

ディアで基礎的情報を確認しようと思ったのだが、スタートでいきなり苦笑

してしまった。私が使ってる日本語入力システム「Microsoft Office IME

 2007」だと、「みやざわけんじ」の変換が出来ないのだ (^^ゞ それはど

うかと思うよ、マイクロソフトさん。

      

仕方なく「宮沢」と「賢治」の変換をつないで、ウィキを見ると、また苦笑。細

かいネタまでビッシリ説明されてるだろうと想像してたのに、日本を代表す

る人気作家としては意外なほど、情報量が少ないのだ。仕方なく、他の賢

治解説サイトを探すものの、まとまとった情報が見当たらない。ちなみに私

自身は、小学校の頃に『よだかの星』を読んで、ずいぶん暗くて悲しい物

語だなと思った覚えがある程度だ。恥ずかしながら、有名な『銀河鉄道の

夜』さえ読んでない。

        

ただ、著作権が切れてるので、電子図書館・青空文庫その他で賢治の作

品自体が公開されている。昔の言葉や書き方にとまどいつつ、ありがたく

読ませて頂くと、なるほど文学だなとは思うものの、ちょっと奇妙な感じも

残った。最後に、蛙がめでたく結婚するのだが、なぜハッピーエンドにな

るのか、しっくり来なかったのだ。

       

そのままの読後感をブログで書こうかとも思ったけど、もう少し探ってみる

と、本質的な問題が見えて来た。賢治の作品は、ほとんどが死後の出版

だし、ある程度は意図的に「未完成」のまま、加筆修正や変更の余地を残

してたらしい。『蛙のゴム靴』も、元々は『蛙の消滅』という名の童話であっ

て、何とそちらでは結婚が悲惨な破局に終わってた。。

       

    

          ☆          ☆         ☆

順番としては、やはり『蛙のゴム靴』から見て行こう。ネットで見ると、初出・

大正13年(1924年)とか、未発表作品で執筆は大正10年頃とか書かれ

てるが、遺された原稿からの推定だろうし、ハッキリした事は分からない。

ただ、賢治は1896年生まれで、1933年に他界してるから、20代の青年

がほぼ100年前に書いた童話なのは確か。豊かな自然が鮮やかに描か

れてるのは、才能でもあるし、当時の岩手県という環境のおかげでもある。

    

あらすじは以下の通り(ネタバレ注意)。3匹の若いオスの蛙(かわずでは

なくカエルと読むようだ)の内、1匹だけが、人間のゴム靴を無理して手に

入れる。ゴム靴と言うと、反射的に長靴とかレインブーツを思い浮かべて

しまうし、絵本(絵・松成真理子、ミキハウス)でもそうなってるみたいだが、

原文に長靴という言葉はない。むしろ、足首から下だけのデッキシューズ

みたいなものと考えた方がつじつまが合う。と言うのも、履いたまま泳いで

るようだし、元々は雨対策でなく、足元の保護が目的みたいだからだ。

     

さて、ゴム靴を手に入れた「カン蛙」(主人公の名前)は、自慢げにそれを

友達(ブン蛙、ベン蛙)に見せびらかし、友達も見とれて羨ましがる。そこ

へ、美しい娘のルラ蛙が登場。カン蛙が無言で誇らしげにアピールするゴ

ム靴だけに目を取られて、すぐにお婿(むこ)さんに決める。悔しがる友達

2人はひそかに嫌がらせの相談。

    

結婚式の直前、友達2人はまず無理やり、カン蛙を変な場所に連れ込ん

で、ゴム靴をボロボロにしてしまう。すると、花嫁はどの蛙が花婿なのか分

からなくなったが、カン蛙のお辞儀で何とか花婿だと気付く。盛大な結婚

式の後、友達2人は花婿を穴に落とすのだが、一緒に自分たちまで落ち

てしまう。やがて花嫁とその父親たちが、何とか3匹を救出。

   

「そこでカン蛙ははじめてルラ蛙といっしょになりほかの蛙も大へんそれ

からは心を改めてみんなよく働くようになりました」。。(終)

                

    

         ☆          ☆          ☆

これを読んで一番気になったのは、ルラ蛙がカン蛙と結婚した理由がよく

分からないことだ。最初はゴム靴だけを見て決定。ゴム靴が無くなった後

は、カン蛙の合図で何とか判別できただけ。ルラは美しいと書かれてるが、

カン蛙の素晴らしさはどこにも表れてない。強いて言うなら、友達2人の

ワナにハメられたことはルラも想像できたと思うから、気の毒に感じたか

も知れないが、それは結婚式の後だし、夫婦生活を続ける理由にはな

り得ない。

   

昔の若者同士の結婚だし、童話だから、そんなものだと受け流すことも

出来なくはないだろう。ところが、『蛙のゴム靴』には「初期形」と呼ばれる

元の草稿として、『蛙の消滅』があったらしいのだ。細かい事情はハッキ

リ分からないけど、原文は一応、ネットで読める。

           

そこでは、3匹が穴に落ちた後、「可哀そうに消滅してしまったのです」。花

嫁は蛙ではなくテントウムシで、カン蛙の頭に留まってたけど、何も出来ず

に泣きながら飛んで帰っただけ。つまり4匹とも大失敗となったわけで、こ

ちらの方が私は筋が通ってると思う。ただ、悲し過ぎて救いがないから、

一般には『蛙のゴム靴』の方が遥かに好まれるだろう。ハッピーエンドの

大衆受けは、連続ドラマを見るだけでもすぐに分かることだ。。

        

    

         ☆          ☆          ☆

さて、この童話をどう読むか、そして、『もう一度君に、プロポーズ』とどう

つなげるかが、ここからの問題となる。独自な文体とか、生き生きとした

自然の描写といった文学的ポイントより、中心的な物語(お話の内容)に

焦点を当ててみたい。

    

誰でもすぐ分かるのは、教訓、あるいは賢治のシニカルな(冷笑的)思い

だろう。仲良く「雲見」(月見やお花見の代わり)をしてたのに、不相応なも

の(=ゴム靴)に執着したために、ひどい目に遭ってしまった。嫉妬も含

めて、欲望や感情には注意しよう、という教訓は読み取れる。あるいは、

蛙は単なる比喩=メタファーだから、われわれ人間は哀しく滑稽な生き

物だねという思いなど。

      

一方、賢治が田舎の裕福な家庭に生まれて、それに罪の意識を感じてた

らしいことを考えると、主人公のカン蛙とは自分自身のことかも知れない。

実際、少年時代には、周りの友達が持ってないものを自分だけ持ってて、

自慢したり妬まれたりした経験があるだろう。賢治は生涯独身だから、原

型の『消滅』の方が彼の現実に合ってるが、ハッピーエンドの『ゴム靴』へ

と改稿したのは、彼の密かでささやかな望み(現実と対比される理想)も少

し入ってたかも知れない。

        

ちなみに、賢治の作品の中で私が唯一知ってた『よだかの星』の場合、主

人公のよだか(夜鷹)はやはり周囲に冷たい仕打ちを受けた後、夜の星に

なる。これは、輝かしい存在になるという意味も無くはないだろうが、要す

るにこの世から「消滅」したわけで、『蛙の消滅』と同じく、罪と罰、自己犠

牲といったテーマが前面に出た作品だ。。

    

    

        ☆          ☆          ☆

最後に、ドラマ『もう一度君に』と比較してみよう。このドラマで、童話みたい

な悪意を感じるのはただ一人、「花嫁」・可南子(和久井映見)のシスコンの

弟・裕樹(山本裕典)だが、主人公の「花婿」・波留(竹野内豊)を取り巻くも

う一人としては、可南子の元カレ・一哉(袴田吉彦)が挙げられる。都合の

いいことに、童話と同じく、裕樹と一哉は仲良しなのだ。

      

ただ、難しいのが、肝心の「ゴム靴」の解釈。ポイントは、身分不相応であ

まり重要でもないけど、目立つし欲望を呼び起こすものということだろう。そ

うすると、引越しの決まったマンションとかバイクなら類似が足りないし、借

り物でデートに使った赤い車だと、単なるお客様の修理依頼で引き受けた

レトログッズに過ぎないから、ちょっとビミョーな所ではある。

        

そもそも、クモ膜下出血で倒れて記憶を失う前の可南子が、何に不満を

持ってたのか、何がおかしかったのかが、まだ明らかでない。子供を持つ

ことに賛成してもらえなかったというのは、一つの不満ではあっても、たか

があの第4話で妙に強調されただけなのだ。

     

ここで思い出すのは、今回終盤の桂(倉科カナ)と波留のやり取り。桂が

「あの車(=修理中の赤い車)、きっと直せますよ。ハルさんなら」とか励ま

したのに対して、ハルは自虐的・自嘲的に、こんな感じのことを呟いてた。

「そうゆう事なんだよな。全部忘れるとか、ゼロからとか言って、元通りに

したかったんだよ。結局。それでカナコを傷つけて、何やってんだろうな、

オレ・・」。。

     

ドラマ的には、この哀しげな言葉につられて、桂が波留の後ろから抱きつ

いて、視聴者の想像をかき立ててくれる訳だが、「元通りに」することがダ

メ扱いされてるのは、注目に値する。元通りとは、可南子が倒れる直前で、

やはりそれは「ゴム靴」にとらわれた状態だったのだろう。先に気付いた

花嫁(可南子)はそこから脱出しようと努力を始めてたが、花婿(波留)は

まだ気付いてなかったということか。あるいは花嫁も気付いてないのか。。

       

    

        ☆          ☆          ☆

元通りの状態にひそんで問題点=「ゴム靴」とは、一体何なのか。強いて

挙げるなら、無理な優しさや過度の気遣いと言いたくなるが、可南子が倒

れる直前に波留が映画をすっぽかした事を考えると、あまり上手くない気

もする。引越し先まで持って行くらしい、可南子の日記に、問題点のヒント

が隠されてるのかも知れない。

      

テレビドラマだから、大衆的で分かりやすい甘口のオチが予想される所で、

桐野世樹なら何かそれなりの展開を用意してるはず、と期待しとこう。まさ

か、単なる偶然や時間の経過で記憶が戻って、再び夫婦生活に戻りまし

たっていうラストではないと思うけど、ちょっと心配な思いはある。

    

エンディングは可南子のモノローグ(独白)で、「結局、元に戻っただけで、

何も変わってない。ただ、結婚生活の維持には努力が必要だということ

だけは2人ともよく分かった。これからは、プロポーズ前のような真剣さを

持ち続けて行こう・・」とか。私なら卓袱台をひっくり返したくなるけど、テレ

ビの恋愛ドラマなんてその程度のものだという気もしなくはない。コメディ

という点が『もう一度』とは違うけど、『ホタルノヒカリ』の終わり方は1も2も

そんな感じだった。しかも、それで好評だったらしいのだ。私以外には♪

      

なお、3匹の蛙という比喩が3人の脚本家を示してる、というヒネった考え

も一応可能だろう。ここまで、桐野がただ一人、独特の味わいや深み、まっ

たり感という「ゴム靴」で目立って、私を始めとする視聴者の心を射止めて

来た。でも、そういった長所は、プライムタイム(19~23時)の民放ドラマ

には不相応だから、フツーの脚本家である山上と武井彩の2人が無くして

しまう。

       

最後に3匹が「消滅」してテントウムシが泣きながら飛び去るのか、さほど

理由もなく、みんなでめでたしめでたしになるのか、残り3週を楽しみにし

たい。いずれにせよ、最終回にも朗読会が開かれるはずで、『いばら姫』

が再び読まれるかどうかはさておき、いばら姫が目覚めて王子様と一緒

になるハッピーエンドは確定だろう。出来れば王子様のキスは、目覚め

る前にして欲しいもんだ。あくまで、ファンタジックに。

   

ちなみに第7話まで、視聴率は珍しいほど一定のまま。折れ線グラフを見

ると、ほとんど平たい水平線になってる。テンメイじゃなくてテイメイ(低迷)

とも言えるが、全く下がらないのは、竹野内ファンに限らずドラマの固定ファ

ンをしっかり捕まえてるということ。『蛙のゴム靴』でも、平たい形(ペネタ形)

というのは、「永遠の生命を思わせる」「大へん高尚なもの」とされてた。カ

エルの泳ぎ方が、平泳ぎに似てるからなのかも♪

        

それでは、今日はこの辺で。。☆彡

    

   

      

cf. 「眠れる森の美女」ではなく「いばら姫」

                  ~『もう一度君に、プロポーズ』第1話

   いばら姫としての波留(竹野内豊)~『もう一度君に、プロポーズ』第2話

   本気になったら時間なんて関係ない~『もう一度君に、プロポーズ』第3話

   退屈な作品とはどのようなものか~『もう一度君に、プロポーズ』第4話

   『もう一度君に、プロポーズ』第5話、軽~い感想♪

   意外とマトモな25km走♪&『もう一度君に、プロポーズ』第6話

   『ハーメルンの笛吹き男』と『もう一度君に、プロポーズ』第8話

   父の死、海への旅立ち

          ~『ビーチボーイズ』と『もう一度君に、プロポーズ』第9話

   波で留まったビーチファミリー~『もう一度君に、プロポーズ』最終回

            

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   なぜ『もう一度君に』最終回は最低視聴率7.9%に沈んだのか

   竹野内豊主演ドラマ、視聴率の推移&『流れ星』第6話

      

                                  (計 5661文字)

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» うすい金色の雲は永遠の命、永遠だけど崩れて消えるね(竹野内豊) [キッドのブログinココログ]
「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」は宮沢賢治の「蛙のゴム靴」のセリフである。 カエルたちは月見や花見のように「雲」を見るのだが・・・雲の峰が平たくなって黄昏の光を受ける頃がカエルたちのお気に入りということになっている。 黄昏に永遠を見るというのが・・・賢治の詩人の魂というものなのでし... [続きを読む]

受信: 2012年6月 6日 (水) 14時08分

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