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古きを温め、新しきを育む~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・12年7月)

(☆13年4月28日追記: 最新記事をアップ。

 あの日から2年、疎通の深化~小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・13年3月) )

     

      

          ☆          ☆          ☆

毎月、最終木曜日の朝日新聞・朝刊に、1ページにわたって掲載される大型

複合記事、論壇時評。今月も、色々な意味で刺激的な内容になっていた。ほ

ぼ同時にスタートしたロンドン五輪と比べるとどうか、という思いもあるので、

つい世界のトップ・アスリート達の活躍に目を奪われがちなわけだが、あえて

日本の知のトップ・アスリート達に目を向けることにしよう。小阪淳、高橋源一

郎、森達也の3人

          

ちなみに去年のこの時期は、なでしこJAPANのサッカー女子W杯優勝で、

国中が盛り上がってた。小阪淳のCGも「熱源」と題して、サッカーボールと

原子力エネルギー(核反応)を融合させたような作品になってたのだ。。

      

     

           ☆          ☆          ☆

さて、その小阪から見て行こう。これまで彼の作品のモチーフ(題材)は、基

本的に直近の「過去」の出来事を意識したものであり、「未来」の側はその

加工に使われて来たわけだ。たとえば先月なら、大飯原発の再稼働と富士

山噴火問題が中心的題材。加工された作品としては、原発が海に沈む寸

前で、富士山が爆発している。ただし、原発と共に、緑も海に沈みそうになっ

ている辺りが、際立った個性であり、長所でもあるのだ。

     

今回の「うちと、そと」と題する作品では、まだ開催前のオリンピックは題材

になってない。それどころか、論壇時評の中心に置かれてなければ、単な

る抽象的CGと思っただろう。先月の当サイトのレビューで、小阪の作品は

「一から」解釈を創り出す必要があるが「ゼロから」ではない、といった感じ

の事を前置き的に書いたが、今月は「0.5から」解釈を創り出す必要があ

る。正直、わざと分かりにくくして遊んだのではないかと、苦笑したほどだ。

          

作品の解釈とかレビューというものは、作者の意図と全く無関係の完全な

自由を持っているわけではないが、作者の意図に縛られるものでもない。

私=評者の側の考えと、作者の側の考え。まさに「うちと、そと」の双方を

意識しながら、意味内容や射程を論じてみよう。

   

ちなみに、タイトルを読んで、数学好きの私がすぐ思い付いたのは、ある意

味「うちと、そと」が連続的に移り変わるメビウスの輪だ。続いて思い付いた

のが、赤瀬川原平の古典的な前衛芸術、「宇宙の缶詰」。これは、缶の「内」

側にラベルを貼ることで、「外」側に無限に広がる宇宙全体を梱包したと称す

るもの。

     

いずれも、「内と外」や有限・無限について考えさせるものだが、今回の小

阪の作品とはかなり距離があるだろう。むしろ、もっと単純に、空を飛び回っ

た孫悟空が結局はお釈迦様の手のひらを超えられなかったという、西遊記

のお話に近い感じを受ける。何事においても、内から外へと「脱」出すること

は、意外なほど困難なことなのだ。。

      

    

           ☆          ☆          ☆

今回の作品も、あと数日、8月2日くらいまでなら、朝日新聞デジタルですぐ

に無料で閲覧できる。ただし、上部だけ。トップページから、「過去の朝刊」

をクリック、さらに「26日」をクリックして、7月26日の朝刊トップページを出

した後、一番下の辺りにある、「うちと、そ・・・」(末尾の「と」の代わりに点3

つ)と題するサムネイル画像を見ればいいのだ。クリックすると、無料登録

で全体図も見れるが、手続きがやや面倒ではある。

               

120730b

  縦長の画像の中央には、上下に細くて高い木が伸び

  ており、最上部だけ緑の葉が小さめに茂っている。木

  というよりはむしろ、か弱い「新芽」が伸びて来た様子

  にも見えるし、ある種の「菌類」にも見える。左は、ウィ

  キメディアで公開されてるエノキダケの画像を加工し

  たものだ(作者は Chris 73 氏)。

     

120730a

  宮本武蔵のファンとしては、枯木鳴鵙図

  (こぼくめいげきず)も思い出す所(左も

  ウィキメディア)。枯木の上に鵙(もず)が

  たたずむ姿がシンプルで味わい深い。

   

  小阪のCGでは、一番上の緑の部分が、

  拡大すると大勢の人間になってるように

  も感じられる。実際これまで彼は、細か

  い遊びのような技巧を織り交ぜて来てる

  のだ。もし本当にそうなら、アニメに弱い

  私でさえ例外的に知ってる『新世紀エヴァ

  ンゲリオン』で、綾波レイの多数のク

  ローンが不気味にうごめいていた様

  子も思い出すのだが、流石に話が飛

  躍しすぎかも知れない。。

     

    

          ☆          ☆          ☆

ただ、緑と木が人間に見えてしまうのは、CG全体の下部の影響も大きい。

そこには、細長い竹のような棒を並べて作った四角い柵が三重に出来てお

り、柵の向こう側は透けて見え、地面や周囲はすべて緑になってる。中心の

木が、三重の柵に囲まれながら、上側に飛び出す構図だ。同じパターンが

三重に組み合わさった形式といえば、4月の作品「家の家の家」を思い出

すわけだが、紙面の白黒画像だと、三重構造が分かり辛いと思う。朝日デ

ジタルのカラー画像の方が鮮明で分かりやすい。

        

私の曖昧な記憶を辿ると、この図は江戸時代の見せしめの刑に感じるの

だ。一番上の緑の部分が、人間の頭部に相当する。試しに画像検索をか

けてみたが、ものがものだけにピッタリ来る画像は発見出来なかった。ま

あ、仮に発見できてたにせよ、ここには転載しなかっただろう。「ウチ=う

ち」(当サイト)では、この程度のやや婉曲な文章表現が限界なのだ。

        

とにかく、三重どころか何重にも意味や題材らしきものが交錯してるのだが、

「現代社会をイメージした作品」とされてるのだから、何かもっと具体的な題

材を見出したい。垂直に伸びた構図から、話題の垂直離着陸機・オスプレイ

関連かなと思い、似た基地写真とかも探してみたのだが見当たらなかった。

都心のデモ写真でも覚えがないし、三大証券会社の「イン」サイダー(「内」

部者)取引事件とも結び付かない。あれも「外」国がらみだったが。。

        

    

          ☆          ☆          ☆

となると、残る有力な参照対象は、小阪の過去の作品だろう。1年前まで遡っ

て見直すと、ちょっと面白い事実を発見できた。2012年1月から、2ヶ月お

きに、「緑」をめぐる似た作品が登場してるのだ。

   

12年1月の「明日」では、国会議事堂の上に緑の木がそびえてる。3月の

「共生」では、墓地のようなビル街のあちこちに緑が増殖。そして5月の「空

の木の先」では、東京スカイツリーとパルテノン神殿の柱が融合したような

ものの上に、小さく緑がある。

    

つまり、1月、3月、5月と、人間の手によってそびえ立つ文明を、緑が浸食

する様子が描かれてたと言っていいのだが、今回の7月では、遂に緑だけ

になってしまったのだ。緑一色で、「うちと、そと」。こうなると、「現代社会」的

には、日本の左派を中心とする直接行動全体をイメージする所だろう。

     

例えば、首相官邸や国会を取り巻く脱原発・反原発デモの群れ。あるいは、

オスプレイ反対運動も加わった、山口県の知事選。原発は国の内(うち)側

の問題であり、オスプレイ配備は外(そと)側も加わった問題だ(米国、中国、

北朝鮮など)。尖閣諸島の防衛を考えるなら、オスプレイはまさに、「うちと、

そと」に関わる核心でもある。日本政府にとっては、広い意味で「内」憂「外」

患みたいな状況だ。民主党という与党にとっても、あるいは国民にとっても、

同様だろう。

         

歴史を遡ると、40~50年前の日本の直接行動でも、やはり「うちと、そと」

が2つの焦点になっていた。特に、大学「内」の組織運営問題と、「外」国と

の同盟関係である日米安保。日本の国「内」と国「外」で、同時発生的に運

動が盛り上がったのも、時代の大きな特徴だろう。。

      

    

           ☆          ☆          ☆

さて、最近の「緑」の動きに対する今回の見方だが、小阪はこれまで同様、

かなり距離を置いている。その作品には、冷めた視線が含まれ、「終末」の

予感さえ立ちこめているのだ。

        

かつての学生運動の頂点(の一つ)は、1969年1月の東大・安田講堂の

攻防であった。そこから72年の浅間(あさま)山荘事件以降に向けて、運動

は急速にしぼんでいく。だからこそ現在、左派論客の代表の一人である小

熊英二(去年から朝日の論壇委員)も、当時の状況を詳細に調べ上げたの

だろう(『1968』)。もちろん彼の見方では、現在の動きはかつてと異質の

新しいものであって、分散化して持続性のある、妥当な主張の集合体といっ

た感じなのだろうが。

   

しかし、「イン」サイダー取引が度々行われる株の世界では、最も盛り上がっ

ている時こそ、「買い」ではなく「売り」で対処する必要がある。上げの勢いに

応じて、下げの勢いも悲惨だからだ。実は、1年数ヶ月前には、中東の革命

が肯定的に大きく語られていたが、最近ではシリアの問題もあって、大幅に

トーンダウン。放射線・放射能そのものに対する意識も最近では薄れて、原

発を中心とするエネルギー問題の方に焦点が移動。先日のストロンチウム

確認のニュースなど、1年前であれば大騒ぎになってたはずだ。。

     

    

         ☆           ☆          ☆

「古きを温め、新しきを知る」ということわざは、やや受動的な知の姿勢を表

している。むしろ今、問われてるのは、古きを再考し、新しきを創る、あるい

は育むこと。過去をふまえた、能動的=創造的な知の姿勢だろう。実際、高

橋源一郎の時評、「新思考を育む」も、大まかに言うなら、そういった話の流

れなのだ。

  

日本にも「緑の党」が設立される一方、昨日の山口知事選では保守が脱原

発を破った。ネットやSNS(ツイッター、facebookなど)を通じてデモが拡大

する一方、原発再稼働に関する世論調査では、容認派が増えている(朝日、

6月)。ようやく日本に芽吹いた「緑」とどう向き合うのか、あるいは、新しき

日本をどう育むのか。ここはじっくり、過去の流れも見た上で、熟考すべき

だろう。40年前の日本や、ここ1年のシリアなども含めて、中立の立場から。

       

小阪のCGで描かれる、孤独な緑の木は、そうしたメッセージを伝えてるよう

に思われるのだ。古くて透き通った壁によって、三重に囲まれつつ、内(うち)

から外(そと)へと抜け出してはみたものの、想定内の低気圧による強風で

すぐに倒れてしまう。そんな、か弱い姿を通じて。そもそも、本当に外(そと)

へ抜け出してるのかどうかも、考えてみる必要がある。

             

そう言えば、フランス現代思想のロラン・バルトが東京都心について、「中心

は空虚である」と語った時(『表徴の帝国』)、空虚とは緑を表してたのだ。た

だし、平たくて優しい、多くの人に安らぎを感じさせる緑ではあるが。。

     

    

    

          ☆          ☆          ☆ 

一方、高橋源一郎によるメインの時評は、タイトルが「新思考を育む」、「国

や憲法 自分で作っちゃえ」となってる。冒頭が一番、刺激的だろう。坂口

恭平の『独立国家のつくりかた』を読んだ感想からスタートしてるのだ。高橋

自身が、「たいていの人は、坂口さんって頭オカシしいんじゃないのと思うか

もしれない」と書いてるが、私は面白いと思った。過去、朝日で彼が何度か

取り上げられた時にも、あまりに斬新な生き方に思わず微笑んだほどだ。

          

国の要件を定めたモンテビデオ条約によると、国民、領土、政府、外交能

力があれば、国家を名乗れるらしい。国民はツイッターのフォロワー、領土

は日本国内の所有者不明の土地。国連にも加盟申請するそうで、「困った

人を助ける」という簡単な「憲法」まで作ってるそうだ。

    

まあしかし、高橋は面白くて斬新な試みを評価してるに留まってるが、現実

にどんな問題が生じるのか、調べてみないと何とも言えないとは思う。戸籍、

法律、税金、住所、年金など。ただ、いわゆるアナーキズム(無政府主義)

と違うのは、適度な遊び心に満ちてる点と、他者・外部に対する破壊的な意

志・行為を感じない点だ。後ほど、本や周辺情報をチェックしてみたい。

        

   

          ☆          ☆          ☆

それに対して、東浩紀の雑誌『思想地図β・vol 3』の特集、「日本2.0」

における新日本国憲法は、遊び心よりも真剣さを感じるだけに、あまり興

味が湧いて来ない。真剣なら、大変な試みだからだ。

     

たとえば、国籍を持たない在日外国人が「住民」として全面的に政治参加

できることを、高橋は「開かれたもの」として褒めてるが、独立国家ではな

くこの日本という国家で実現しようとするなら、非常に険しい道のりになるだ

ろう。むしろ、「開かれたもの」が良くて「閉じられたもの」が悪い、というよう

な単純な二分法を越える「新思考を育む」ことこそ重要なのだ。

   

憲法が長い間、「守る」べきものか「改正」すべきものだったという二分法も、

あまり実態に合ってない。というのも、「解釈」という別次元の営みが大きな

影響力を持ってるからだ。実際、いま野田首相が狙っているのも、集団的

自衛権に関する新たな解釈だろう。

       

(☆追記: 朝日新聞・7月31日朝刊に、東の新憲法に関する記事が掲載

       された。大見出しは「新しい日本 憲法で描こう」。「新日本国憲

       法ゲンロン草案」(別名・憲法2.0)は、前文と全100条から成

       り、日本国とは国籍のある「国民」とない「住民」の「精神的共同

       体」とされる。

       

       衆議院はより強い権限を持つ「住民院」に、参議院は助言者と

       としての「国民院」になる。2つの院の名前が逆のような気がす

       るが、意図的なものか。天皇は「象徴元首」、総理は国民の直

       接投票による「統治元首」。自衛隊は合憲化。リベラルの側か

       ら保守に対抗する狙いとのことだが、「住民」以外はかなり保守

       的な草案のようにも感じる。)

       

さらに、ネットの「口語訳 日本国憲法」というのは、リアルタイムでネットの

住民みんなの考えを反映するそうで、面白い試みだし、基本的にいい事だ

とも思う。ただ、口語訳が新しいのではなく、その集団的な作り方が憲法に

とって新しいわけで、新思考というより「新試行」に近い。個人的には、様々

な意味で縁遠さを感じる試みでもあるから、まずは自分で現行憲法を直接

読み直してみたい。

     

最後に、現在と過去を激しく行き来する赤坂真理の小説『東京プリズン』

は、朝日の夕刊で紹介された時から気になってた作品だ。東京裁判や戦

争責任は、確かに古くて新しい重要な問題だと思うし、「新しいマインド」を

作るには「古いマインド」と向き合う必要があるというのも、異論はない。

ただ、高橋が「『古いマインド』を誠実に総括し、清算しなければ・・・」と書

いた時点で、まさに「旧思考」による暗黙の支配が感じ取れるのだ。

     

改めて過去と向き合うことと、総括・清算すること。この間の決定的距離に

対する繊細な感受性と語り口こそ、最も大切な前提条件の一つだろう。。

    

    

     

           ☆          ☆          ☆

3人目、森達也が担当するコラム「あすを探る」は、テーマが「社会」で、タイ

トルが「正義を掲げ追い込んだ先に」。左派というより「リベラル」な立場か

ら、独自の発言や活動を「自由に」続けてるが、有名なのはオウム真理教

の再考と死刑反対論だと思う。今回もやはり、死刑反対を訴えるのだが、

目新しい論点が2つ入ってるので刺激的だった。

      

まずは、イジメとイジメ非難の同質性の指摘。「イジメとは抵抗できない誰

かを大勢でたたくこと」。その意味では確かに、噂に聞くイジメ非難というも

のも、イジメに似た構図になってるだろう。すぐ気付くことではあるが、それ

を堂々と公言する所が刺激的なのだ。ただ、元のいじめの定義には重要

な要素が2つ抜け落ちてる。イジメとは、「大した罪もなく」抵抗できない誰か

を、「周囲の一般人が」大勢で叩くことだ。その意味で、イジメ非難はイジメ

そのものとは違ってる。むしろ、過度の個人的処罰と言うべきだろう。

      

背景に、「善悪二分化」や「厳罰化」、「自己防衛意識」があるのはその通

りで、日本ではオウム、世界では9・11が大きなキッカケになったという見

方もほぼ正しい。「ところが北欧は違う」という話の運び方は新しくないが、

昨年7月にノルウェーで起きた77人殺害テロの話はインパクトがあった。

    

被告が、自己防衛だから無罪だと主張したこと、死刑も終身刑も無いから

最大で禁錮21年ということには、さほど驚きはない。それより、死刑を求

める声が遺族からも全くあがらなかったという部分に驚くのだ。死者だけ

で77人、遺族はその2倍はいるだろう。日本ならおそらく、数十人の遺族

が(遠回しに)死刑を求めるはずだ。

     

犯行現場の島にいながら助かった10代少女の言葉も、出来過ぎなくらい

美しくて、作り話ではないかと思ってしまうほどだ。「一人の男がこれほどの

憎しみを見せたのなら、私たちはどれほどに人を愛せるかを示しましょう」。

具体的には、最大で21年の刑を終えた出所者に、帰る家と仕事を国家が

斡旋するとのこと。遺族の側への救済も国家レベルで行うらしい。

    

80年代に始まったという、この「寛容化」の流れ。「厳罰化」の逆であって、

犯罪数も減少し始めたという話だが、その種のデータは慎重かつ詳細に

考察する必要がある。国民感情の「本音」や異論も気になる所だ。しかし、

自分でも罪を認めてる場合はさておき、認めてない場合は冤罪の可能性

もあるし、抵抗できない人間を大勢の人間や国家が殺すというのも、「で

きれば」避けたいことではある。

      

避けるためには、様々な新しい仕組み・環境が必要だが、圧倒的に重要

なのは、国民全体の「新思考」だろう。それを育むにはまず、思わず目を

背けたくなるような、過去の死刑や犯罪の実態と向き合う必要がある。古

きを温め、新しきを育む。結局、この平凡な営みを地道に続けることこそ、

もっとも新しいことなのだろう。と言うのも、人はいまだに、それを十分行っ

てないのだから。

         

それでは、今月はこの辺で。。☆彡   

    

  

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

cf.震災後、身の丈超えぬ「ことば」に希望

      ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞) (11年・4月)

  非正規の思考、その可能性と危険性

         ~高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・5月)

  みんなで上を向いた先に真実はあるか

         ~高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・6月)

  スローな民主主義と『スローなブギにしてくれ』

          ~高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・7月)

  柔らかさ、面白さが無ければ伝わらないのか

          ~高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・8月)

  人を指さす政治的行為のマナー

          ~高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・9月)

  希望の共同体を楽しく探るために

          ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・10月)

  アート・ロック・ゲーム、多様な変革運動

    ~高橋源一郎&濱野智史&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・11月)

  どの常識をどう疑い、何に立ち向かうのか

    ~高橋源一郎&小阪淳&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12月)

  対称的な関係の中にある前進

    ~高橋源一郎&小阪淳&森達也「論壇時評」(朝日新聞・1月)

  現在の中に過去を見ること

    ~高橋源一郎&小阪淳&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・2月)

  自ら切りひらく主体相互の共生

          ~小阪淳ほか「論壇時評」(朝日新聞・3月)  (未完)

  「常識がない」ということの意味

        ~小阪淳ほか「論壇時評」(朝日新聞・12年4月)  (未完)

  破壊と建設、善意と悪意

   ~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年5月)

  未来を「一から」創り出すこと

   ~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年6月)

  変える楽しみ、保つ安らぎ

     ~小阪淳・高橋源一郎・菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・12年8月)

  不変の変化という、不変の夢

   ~小阪淳&高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・12年9月)

  方舟の針路、風任せにしない

  ~小阪淳&高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・12年10月)

  和解の方向、未来からの審判

   ~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年11月)

  アートとツール(道具)

   ~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年12月)

  対話するインテリジェンス

    ~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・13年1月)

  ひとりで揺れる時の振幅

    ~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・13年2月)

                     

                                   (計 8127文字)

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