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不変の変化という、不変の夢~小阪淳&高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・12年9月)

(☆13年4月28日追記: 最新記事をアップ。

 あの日から2年、疎通の深化~小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・13年3月) )

       

      

          ☆          ☆          ☆

丸1週間遅れとなってしまったが、9月27日の朝日新聞・朝刊「論壇時評」

について、レビューしとこう。遅れてしまったのは、主に時間の無さが原因

だが、小阪淳のCG作品の解釈に手間取ったからでもある。分かりにくい

のではなく、あまりに色々な事を考えさせる画像だったのだ。。

      

では今回も、その小阪の作品をじっくり見る所から始めよう。既に1週間

経ってしまったので、もうすぐ無料閲覧は出来なくなるのかも知れないが、

今現在(10月4日の夜)ならまだ、朝日新聞デジタルの「過去の朝刊」とい

う所をクリックすれば、27日の朝刊トップページの下の方にサムネイルが

ある。クリックすれば、「処理機関」と題するCGが現れるはずだ。

      

まず簡単な指摘をすると、ネットで白黒画像になってるのは珍しい(初めて

かも)。少なくとも1年前までの画像は、たとえ白黒っぽく見える画像でも、

実際はカラーだったはずだ。

                 

・・・こう書いて来て、ふと気になるのは、10月1日から改正された著作権法

だ。次回10月25日の論壇時評のCGを、何らかの手段で自分のPCに「保

存」するのはどうなのか(ダウンロードその他)。無料公開中の私的保存が

仮に合法としても、有料期間に切り替わった後までの所持は、違法性、刑

事罰に関してどう判断されるのだろう。「静止画」だから「録画」とされないの

か。『大辞泉』でも『大辞林』でも、「録画」や「映像」という言葉が「動画」のみ

を対象とするものだとは書かれてない。

                

おまけに朝日のCGの下には、「無断転載・複製を禁じます」と書いてある

し、公式保存機能「スクラップブック」の説明を読むと、「写真・・・は保存さ

れません」と書いてある。私は元々、かなり注意してはいるが、ここしばらく

は細心の注意が必要だろう。もちろん、このレビュー記事に、元のCG画像

を転載することなど、たとえ無料期間のサムネイルであってもあり得ない。

作者と朝日新聞社、双方の公式許可がない限りは。。

            

   

         ☆          ☆          ☆

話を論壇時評に戻そう。小阪のこれまでの作品で、もっとも白黒に近かっ

たのは、2月の作品「肖像」だと思う。これは、「維新」とか坂本龍馬といっ

た古めかしい題材を扱ったものだった。

   

それを考えると、今回9月の作品「処理機関」が(ほぼ)完全な白黒になっ

ている点も納得しやすい。つまりこれは、恐らく3重の意味で、非常に古い

題材を扱ってるのだ。一つは「永久機関」という古い科学的夢物語。二つ

目は、アンモナイトとかオウムガイといった、古い生物の形態。そして三つ

めが、マルセル・デュシャンの「泉」と題する古典的芸術作品だ。

        

要するに、原子炉建屋の内部みたいな場所に、巨大アンモナイトのような

外観の永久機関らしき装置が設置されてるのだが、その機関を構成する

「節(ふし)」のような各部分は、洋式トイレの便器になってるのだ。円、ある

121004d

  いは円環(トーラス)を描く12個の連結だか

  ら、時計や時間の流れも意識してるのかも

  知れない。図はウィキメディア、Jean-Luc

   w氏による円環のCG。角度だけなら、小

  阪の作品に近い。

    

    

         ☆          ☆          ☆

それら3つの題材との関連を見る前に、そもそも全体として何を意味してる

のかをハッキリさせておこう。要するに、原発の核燃料の処理(=後始末)

をめぐる問題を扱ってるわけだ。原子力発電にとって本質的な難問でもあ

るし、9月の特に前半、かなり話題になってたことでもある。

        

ごく簡単に全体の流れをまとめるなら、まず8月末、野田政権が2030年

代の原発(稼働)ゼロを目指すというニュースが伝わった。これに、青森県

が強く反発。再処理・廃棄関連の施設が絡んで、これまで手に入っていた

交付金・税金・受注額が今後どうなるのか心配だし、雇用問題もあるから

だ。「核燃料サイクル」という国策の中で、重要な再処理を受け持ってるか

らこそ、今まで使用済み核燃料を引き受けて来たが、原発稼働ゼロならサ

イクルは途絶え、青森県は(単なる)廃棄物処理係とされてしまう。

     

さらに、これまで再処理を委託されていた英仏からも、懸念の声が出て来

た。再処理の過程で出る高レベル放射性廃棄物(=厄介なゴミ)は、これ

まで青森県が引き取っていたが、青森が拒否の可能性を見せ始めたから

だ。おまけに、IAEA(国際原子力機関)からも、溜まったプルトニウムなど

の扱いに対する懸念が示されたし、原発を維持する同盟国・アメリカから

も、牽制が入って来た。

       

当然、日本の経済界からも強い懸念が出たので、結局、政府のエネルギー

戦略は、30年代の「原発ゼロ」を単なる「目標」として、見直しの可能性も

示すこととなったわけだ。「近いうち」の総選挙後は、尚更よく分からない。。

      

    

         ☆          ☆          ☆

ここで、核燃料の後始末をめぐる2種類の「永久機関」がイメージされて来

121004e

  ることになる。一つは、核

  燃料サイクルの根幹であ

  る、プルサーマル(軽水炉

  サイクル)と高速増殖炉

  サイクル(未完成)だ。左

  は資源エネルギー庁、

  エネルギー白書2006。

     

  どちらも、一度燃やした

  燃料を再度利用すること

  で、エネルギー効率を高め

  られる。この場合、原発の

システム全体が、非常に大まかなイメージとして、半永久的にエネルギーを

121004f

  もたらしてくれる永

  久機関のように見

  えなくもないのだ。

       

  もう一つの「永久機

  関」は、核の「ゴミ」

  の流通だ。何がゴミ

  かは、再処理システ

  ムとの関連で決まる

  わけだが、普通のゴ

  ミ処理施設でさえ住

  民に嫌われるわけだ

  から、核のゴミは半

永久的なタライ回しになりかねない。

       

    

            ☆          ☆          ☆

121004a

  もちろん、本当に永久の機関な

  どあり得ない。かつて夢見られた

  物理的な永久機関、つまり「外部

  からエネルギーを受け取らず、

  永久に仕事をし続ける装置」など

  決して作れなかったし、現在では

  理論的に不可能とされている。

  「不変の変化」を生じる物など、

夢まぼろしに過ぎない。それでも、不可能を夢見る人の存在は不変なのだ。

   

上図はウィキメディアで公開されてるDims氏の作品。永久に右回転し続け

て、軸と連結された何かを回して仕事をする、第1種永久機関の幻想図だ。

実際は、左右の小刻みの振動が素早く減衰するだけで、すぐ止まるだろう。

装置を作る仕事量の分、損するだけだ。

            

一方、核燃料サイクルというものは、「燃やした燃料を再び燃やす」と言う

より、「燃料としてまとめられた全体の中で、燃え残った部分を新たに燃や

す」わけだ。

            

燃やすとは、核分裂反応で熱エネルギーを取り出すこと。燃え残りの中身

は、ごく一部燃え残った「燃えやすいウラン235」を除くと、元をたどれば

「燃えにくいけど量が多いウラン238」のこと(プルトニウム239などはその

変化)。上手く「回転」させれば、元々の燃料や資源が長持ちするが、永久

ではないし、ましてや「増殖」など、言葉のあやに過ぎない。同じ物が同じ

ように回転し続けるわけでもない。

     

もちろん、核のゴミの押し付け合いも、永久ではあり得ない。物理的に放

射性物質がゆっくり自然崩壊することは考慮しないにせよ、人間社会では、

どこかで(部分的)妥協が積み重なり、収束していくものだ。延々と争い続

けるほど、人間はタフではないし、長生きでもない。。

      

    

           ☆          ☆          ☆

続いて、2番目の題材であるアンモナイトや、オウムガイについて。アンモ

121004b

  ナイトは、外見的特徴がユニークで面白い

  ので、誰でもあちこちで目にしてるだろう。

  左はウィキメディア、Heinrich Harder氏

  の絵。偶然か必然か、永久機関の図に似

  てるのだ。実際のアンモナイトは、長く繁栄

  した後、およそ1億年ほど前までに絶滅。

現在では、よく似た生物であるオウムガイが、「生きている化石」とされてる。

半永久的な生き物だから、永久機関と同じく、「不変の変化」の象徴だ。

    

このオウムガイ、実際はさほど深海の生物でもないらしいが、イメージとし

ては深い海の底で延々と生き続けてる感がある。現在の日本で、海の底か

らイメージするものと言えば、原発関連だと沈殿したセシウム。小阪がアン

モナイトを題材にした(無意識的)理由の一つになってるかも知れない。

  

ちなみに歴史のいたずらなのか、福島県に「いわき市アンモナイトセンター」

という施設があるのを発見した。いわき市と言えば、福島県最大の市である

と共に、福島第一原発から近いわりに放射線量が低い自治体でもある。朝

日新聞が毎日公表している文科省の測定値は、首都圏とほぼ同じだ。しか

し、線量の低さは一般には知られてないし、この夏の海水浴場の不人気か

ら考えれば、この施設の入場者数も激減してると思われる(体験・発掘は休

止中)。

           

非常に詳細に、施設内の線量データをHPで公開してるのを見た時、思わず

悲しくなってしまった。極度に控え目に、十分な安全性を示してるが、「風評」

の前ではほとんど無力なんだろう。。

     

       

          ☆           ☆          ☆

さらに、3番目の題材。フランス出身で、20世紀前半から中盤にかけて

121004c

  活躍した美術家・マルセル・デュシャンの

  代表作&問題作、「泉」だ。左はウィキメ

  ディア、Stieglitz氏による写真。男子用

  の小便器を90度回転させて、本来なら

  上下に伸びてる水の管を手前側に持っ

て来ている。これに排泄すると、尿の一部は手前の管から出て来るはずだ

から、初めて展示を見た観客はかなり「衝撃」だっただろう。「泉」という、通

常は美しい自然を表すタイトルも、当時としては斬新で過激なはずだ。

     

小阪がCGで重ねてるのは、洋式トイレの便器であって、男子用の小便器

ではないが、白黒画像でいきなり便器を示されれば、知ってる人ならすぐ、

デュシャンの「泉」を思い出すはずだ。小阪が、便器を重ねて作った円を縦

長に見る方向から描いたのは、便器だと明示するためでもあるだろう。

        

「泉」の場合、便器を芸術とする考えが拒否反応を生んだと思われるが、こ

の小阪の作品の場合、見る人の反応が読みにくい。少なくとも、今までの小

阪の作品の中では一番「インパクト」の強いもので、私は10年近く前のテレ

ビ番組の騒動を思い出した。直接には見てないが、誰でも知ってる有名な

偉人が便器と重ね合わされ、様々な波紋や影響を生じることになったのだ。

       

   

          ☆          ☆          ☆

ただ、小阪にとって有利な点が2つある。まず、見る人がテレビより遥かに

少ない、朝日の硬派の記事であること。これは、前回の記事に書いた話だ

が、高橋源一郎の『報道ステーション』での発言が騒がれたのは、圧倒的

に視聴者が多いからだ。

         

世帯視聴率13%から個人視聴率10%程度と概算すれば、視聴者1000万

人以上の生放送。10年近く前の番組も、視聴者数はその程度だろう。それ

に対してこの作品を作品として真面目に見る人は、多くとも10万人以下、お

そらく数万人程度と推測される。

    

しかも、この数万人の多くは朝日新聞の読者だから、広い意味で反原発的

な人が多いだろう。それなら、原発の問題点を鋭くシニカルに描く、ありがち

な作品として、わりと自然に許容しやすいと思われる。

   

しかし、これを見て青森県の人がどう思うのかはよく分からない。一口に青

森と言っても、かなり考えや態度が分かれてるだろうし、色んな意味で複雑

な立場だと思う。まあ、デュシャンもそうだが、個別の感想をさほど気にせず

に思いきった表現を行うことが、芸術にとっては不可欠なのかも知れない。

もちろん、芸術でも「最低限の節度」は守った上で。「最近の国際ニュース」

を見ても、その節度の重要性は分かるだろう(酒井のコラムも触れてた)。    

         

小阪の作品を毎月じっくり論評して、ここ1年ほどは高く評価している者とし

て、一応2点だけフォローしておこう。まず、「便器」というもの、つまり「排泄

の処理装置」の重要性や価値の高さは、大前提のはずであって、単にネガ

ティブな印象を重ね合わせてるとは思えない。小阪の作品には常に、何重

もの意味が重ね合わされてるわけだ。

     

そしてまた、小阪は原発側のみに対してこういった表現をしてるわけでなく、

11年6月には風力発電(と太陽光発電)に対しても行っていたのだ。この

(相対的な)中立性が、論壇時評という左寄りの複合記事の中では、際立っ

た優越性となる。それを表すのが、CGの掲載位置。まさに、ページの「真ん

中に大きく」置かれてるのだ。。

    

   

    

         ☆          ☆        ☆

時間が無くなったことだし、既に長文なので、残りの2人についてはごく簡単

に済ませよう。まず、メインの時評を担当する高橋源一郎について。今回

の見出しは、「変化を求めて」、「『暴論』じゃない、まともだよ」となってる。要

するに毎度お馴染みの左派的主張で、激しく変化させよう、それは正しい、

という考えだ。

      

冒頭に取り上げたのは、東浩紀の「福島第一原発観光地化計画」。iPhone

との連動など、最新の流行や科学技術を取り入れて、事故当時を生々しく

再現する体験施設にしよう、という提言だ。週刊プレイボーイHPのインタ

ビューをよく読めば、それほど過激な話ではない。要するに、過去を忘れず、

今後どうするかをじっくり話し合うための、挑発的なキッカケなのだ。その意

味では、既に半ば成功と言えるかも知れない。みんな、あの場所、あの時

点を具体的に思い出すはずだから。

        

ただ、ネットの評判を見渡すと、あまり良くはない気がする。だからこそ高橋

がフォローに回ってるわけだ。思想的に近い、論壇時評の前任者を、度々

プッシュする姿勢はどうかとも思うが、読者も重なってるから問題ないのか

も知れない。

           

私が言いたいのは、「暴論」という「褒め言葉」を見出しに使うのは大げさだ

ということ。若者受けしやすくアレンジしてるだけで、よく読めば想定内の選

択肢。それ以上でも以下でもない。そもそも東も、(一部の)強い反発は当

然予想してるはずだから、実現するとはあまり思ってないはずだ。

     

   

          ☆          ☆          ☆      

ちなみに、高橋が褒める他の「暴論」は、孫崎享(うける)の、「日中もし戦わ

ば・・・アメリカは尖閣を守ってくれない」、「尖閣諸島は日本古来の領土であ

る、という前提には根拠がない」といった説。片山杜秀の、「議会の任期は

1年」、「比例代表選挙のみ」という政治改革案。そして、内藤朝雄が主張し、

きのくに子どもの村学園が実践する、学級制度廃止など。

   

最初の2つは今さら驚くようなものではないし、最後のものは、実験的な試み

で、12年1月の論壇時評でも扱ってた。別に今さら、「まとも」な「暴論」とし

て絶賛するほど、素晴らしさが広く示されてる訳ではないし、新しくもない。 

        

なお、日本人が忘れることの名人だという高橋の見方が、世界の歴史の中

でどの程度の根拠を持ってるのかについては、おいておくとして、悲惨で重

要な事実を忘れないことは、もちろん重要だ。しかし、忘れないために、遊

園地みたいなものを作る必要はない。そもそも、日本のあちこちで、遊園地

やテーマパークの類は「忘れられた」存在になってるのを思い出そう。「ゲー

ム」の寿命はしばしば短いし、巨大なゲームの維持は大変なことだ。

       

逆に、私が「忘れない」のは、淡路島の北淡震災記念公園だ。95年の阪神

大震災を伝える、決して派手さはない真面目な施設だが、私が5年前に行っ

た時でも、まだ客数は結構なもので、子供も含めてみんな、驚くほど真面目

に見学していた。最近出かけた知人も、みんな真面目に見てたと語ってた。

そこには、「本物」の迫力がある。

       

もちろん、一方で、東京ディズニーランドもいまだに大人気の遊園地ではあ

るが、要するに「本物」は残るわけだ。iPhoneが数十年レベルの人気を保

つ商品かどうかは怪しいし、福島を忘れないために、ハイテクによる生々し

いシミュレーション装置が必要とも思わない。忘れたくても、セシウム137

の物理的半減期は30年なのだから。

   

それにしても、絶えず過激な変化を求める左派の主張を目にすると、永久

機関の発明に没頭する研究者の姿を思い浮かべてしまう。確かに、実現で

きない夢にも意義や効用はあるわけで、永久機関の研究も物理学の発展

に寄与したわけだが、そこまで「変える」ことを強調しなくても、世界は自然

にゆっくり「変わる」ものだ。

         

静かで自然、適度で適切な変化を受け入れるあり方こそ、成熟社会の日

本が目指すべきだろう。とりわけ、ごく稀に遭遇する困難な時期、目標を見

定めることさえ大変な状況においては。現実はフィクションと違って、スー

パーマンもいなければ、ドラマチックなハッピーエンドも無いのだから。。         

      

    

   

          ☆          ☆          ☆

最後に、コラム「あすを探る」について。9月のテーマは外交、担当者は中

東の専門家としてお馴染み、酒井啓子だ。題名=タイトルは、「国の看板な

き自立の覚悟は」。

       

これまた典型的な朝日のコラムで、ジャーナリスト・山本美香氏のシリアで

の不幸から始まり、かつてのイラクへの対応(ブッシュ、自衛隊など)や、最

近の「ある国の・・右翼」を批判する。一方で、国を超え、国境を越えて活躍

する個人は絶賛するわけだ。国の看板が個人を危険にさらすような時、ど

う対処すべきか。

     

酒井は、二つの選択肢を示す。国が軍事力を強化するか、個人が自立す

るか。前者は「ハリネズミ」とか「帝国」という言葉だけで片付けられ、個人

の自立だけが残る。だから個人が頑張ろう、というのなら分かるのだが、

酒井の結論は、個人の自立を国が支援しようという話なのだ。

    

子供の自立を周囲が支援するのなら分かるが、酒井の言う「個人」は大学

生以上、特に成人のことだろう。国の支援不足を批判するより、自分で自

立して行けばいいのではないか。あるいは、自分で自立できない個人の問

題には、なぜ全く触れないのか。

         

もう一度、コラムのタイトルを読み直してみよう。「国の看板なき自立の覚悟

は」。普通に読めば、各個人への叱咤激励のはずだ。それがいつの間に

か、国家や軍隊、自衛隊の批判になる。まあ、想定内の流れだから、驚き

はないわけだが。

       

国の看板が個人を危険にさらす時、他にも色々な対処がある。看板を変え

ること、外交努力、民間交流、そして、危険すぎる外国には行かないこと。

酒井にとって、かつてのイラク人質事件は、国の看板が唯一の原因のよう

に聞こえてしまうが、まさにそういった考えこそ、当時激しい批判を呼びこん

だものだ。つまり、かつて議論を呼んだ、「自己責任」という問題がある。

        

   

          ☆          ☆          ☆ 

なるほど、酒井のいう当時の「激しいバッシング」にも、相当な問題はあった

だろう。しかし、そもそも国が危険だと止める場所に自分で出かけて、事件

になったわけだ。国の看板が個人を危険にさらすのも感心しない話だが、

個人が国を危険にさらすのも感心しない。そう思う人が大多数だったから

こそ、彼らはあまり支持されなかった。

     

国とは結局、別の個人(特殊部隊、交渉担当者など)でもあるし、国が「自

己責任だから」と当事者を突き放すのは、非常に困難な事なのだ。とりわ

け、個人の人命を大切にする日本においては。

   

ちなみにシリアにも、外務省による退避勧告や渡航延期の指示が以前か

ら出てるわけだが、山本氏がもし人質になっていても、イラクの時ほどの

バッシングにはならなかったとは思う。それは、色々な要素が絡む話だが、

国策としての自衛隊・海外派遣の有無も確かに絡んでるだろう。そういっ

た点を考えさせてくれる点で、また、自己責任論やイラク問題を思い出さ

せてくれる点で、酒井のコラムには一定の価値がある。

     

ただ、型通りの抽象的な国家批判を見ていると、やはり「不変の激しい変

化」への欲望を感じてしまうのだ。仮に国家が瓦解したら、欲望の矛先は別

のものに向かうはず。例えば、国家より優れてるという建前の共同体を作っ

て、またそれを批判・変革するとか。あるいは、いよいよ個人や自分自身に

対する変革へと向かうのだろうか。危険な香りが漂う、禁断の営みへと。

   

たとえ実現することはなくても、共感できなくても、彼らのそうした不変の夢が

持つ性質には興味が湧くし、関心を持たざるを得ないだろう。なぜなら、同じ

1つの世界に生きる他者なのだから。この世に「外部」など存在しない。大き

過ぎて観測できない、第2種・永久機関のように、永遠に内部で変化を続け

るのだ。。そうイメージしてしまうのは、やはり不変の変化への欲望だろうか。

    

それでは、今日はこの辺で。。☆彡

               

  

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

cf.震災後、身の丈超えぬ「ことば」に希望

      ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞) (11年・4月)

  非正規の思考、その可能性と危険性

         ~高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・5月)

  みんなで上を向いた先に真実はあるか

         ~高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・6月)

  スローな民主主義と『スローなブギにしてくれ』

          ~高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・7月)

  柔らかさ、面白さが無ければ伝わらないのか

          ~高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・8月)

  人を指さす政治的行為のマナー

          ~高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・9月)

  希望の共同体を楽しく探るために

          ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・10月)

  アート・ロック・ゲーム、多様な変革運動

    ~高橋源一郎&濱野智史&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・11月)

  どの常識をどう疑い、何に立ち向かうのか

    ~高橋源一郎&小阪淳&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12月)

  対称的な関係の中にある前進

    ~高橋源一郎&小阪淳&森達也「論壇時評」(朝日新聞・1月)

  現在の中に過去を見ること

    ~高橋源一郎&小阪淳&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・2月)

  自ら切りひらく主体相互の共生

          ~小阪淳ほか「論壇時評」(朝日新聞・3月)  (未完)

  「常識がない」ということの意味

        ~小阪淳ほか「論壇時評」(朝日新聞・12年4月)  (未完)

  破壊と建設、善意と悪意

   ~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年5月)

  未来を「一から」創り出すこと

   ~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年6月)

  古きを温め、新しきを育む

   ~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・12年7月)

  変える楽しみ、保つ安らぎ

   ~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・12年8月)

  方舟の針路、風任せにしない

  ~小阪淳&高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・12年10月)

  和解の方向、未来からの審判

   ~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年11月)

  アートとツール(道具)

   ~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年12月)

  対話するインテリジェンス

   ~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・13年1月)

  ひとりで揺れる時の振幅

    ~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・13年2月)

          

                                 (計 9255文字)

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