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ローマ法王、限度を超えた表現の自由にはパンチ♪(AP通信・英語原文)

今日はもう500字ほどしか書けないので、英語のニュースを日本語直訳で

紹介して終了。以下はABC Newsの記事の部分的引用で、要約なら朝日

新聞その他で紹介されてた。AP通信、ニコル・ウィンフィールド執筆。1月15

日(木曜)の速報で、フランスの風刺紙の最新号が発売された翌朝のこと。

 

 Pope on Charlie Hebdo: There Are Limits to Free Expression

   法王、シャルリー・エブドに関して、「自由な表現には限界がある」

 

  “If my good friend Dr.Gasparri says a curse word 

   against my mother,he can expect a punch,” 

  Francis said half-jokingly,throwing a mock punch 

  his way.

 

  「もし、私の良き友人ドクター・ガスパリ(訳注.同行者)が、私の母を

   ののしるなら、彼はパンチを一発期待していい」。フランシスは半ば

   冗談で語りつつ、彼に向けて1回パンチする真似をした。

 

  “It’s normal.You cannot provoke.You cannot insult

   the faith of others.・・・  

   「それは普通のことだ。挑発してはいけない。他人の信仰を

    侮辱してはいけない。・・・」

 

 

           ☆          ☆          ☆  

もちろん、限度(リミット)の中での表現の自由は認めてるし、テロは異常で正

当化できないとも語ってるので、念のため。ただし限度を超えてはいけないし、

限度を超えると猫パンチ(のフリ)とか、何らかの反応(reaction of some

 sort)が予期されるということだ。

 

当サイトでも、同様の主張を行って来た。それでは今日はこの辺で ☆彡

 

                                      (計 738字)

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

テンメイ様、寒中お見舞い申し上げます。

悪魔の周囲でもインフルエンザ感染者が
発生しております。
どうか、ご自愛くだされませ。

さて・・・悩ましい暴力と表現の自由の抗争。
こういうものはなるべく表面化しないで
もらいたいと感じる今日この頃でございます。

昨年であれば
子捨ての問題が表現の自由を脅かしましたが
世界三大宗教が関係してくると
さらに重くなる寒い唇でございますねえ。

神なんて嘘さ
神なんて妄想さ
と言ってはいけない世界が
牙をむくのですな。
もちろん、悪魔も神あってのものだねでございますが。

表現の自由に限度があるなら
それは
口で言うより手の方が早い
ということに尽きるのでございましょう。

それでもキッドは
ペンの暴力が
鉄拳制裁より優しいという
限度なき表現の自由を愛したいと思うのでございます。

そのような下賤な悪魔でございますが
今年もよろしくお付き合いください。

投稿: キッド | 2015年1月16日 (金) 11時55分

> キッドさん
  
こんにちは。ご無沙汰しております
わざわざ新年のご挨拶頂き、どうもです♪
  
インフルエンザ、流行ってますね。
僕も今、倒れてるヒマはないので、早速
イソジンでうがいしてみました。1回だけ(笑)
イソジンの殺菌能力はかなり強いと思います。
寒さが本格化する中、どうぞご自愛ください。
   
    
さて、うがいと表現の自由と言えば、
キッドさんのお好きなもの♪ 
   
しかし、現実的に「限度」はありますよね。
うがいばかりしてられないし、
ホントに自由に表現するわけにもいかない。
ブログの場合でも、時間の制約だけでもかなりあるし、
他者の権利を侵害すると叱られちゃう訳です♪    
    
例えばこのキッドさんのコメントも、
自由な表現ではないですよね。
実際、そちらの関連記事を読むと、
遥かに厳しい口調で批判が行われてます。
表現の自由の限界を語る者たちに対して。
  
一方、ここは他人のブログであって、
相手は表現の自由の限界を主張してるのだから、
多少は自由を自主規制して、控えめに語る。
ただし、表現の自由は譲れない。
   
そうゆう事ですよね。
大人なら当然の配慮で、模範的だと思います。
キッドさんが、ある種のタレントの主演ドラマに
ついて語る時も、かなり配慮してるはず♪
言葉どころか、主体が「じいや」に変化するほど(笑)
   
  
それだけの事なんですよ。
「表現の自由」とは理念的なもの、理想的なもので
あって、現実にはあまり無いし、それでいい。
  
表現の自由とは、私の自由。
だけど、社会には私と異なる存在、他者が大勢存在する。
私の自由は、他者の不自由に成り得る。
そして実際、不自由になってるのが、今回の衝突です。
   
気遣いしなくても、テロで殺されることなんて
滅多にないけど、他者との関係がギクシャクしてしまう。
適度な配慮くらい、慣れれば何ともないことであって、
別に不自由を嘆くほどのこともない。
殺されるのを本気で心配してる訳ではないし、
ジョークの猫パンチを避けてる訳でもないのです♪
  
  
ペンと鉄拳の比較で一番重要なのは、
どちらも差し控えるということ。
どちらかがいいという事ではありません。
  
もちろん、風刺画と自動小銃の乱射を比較した時、
風刺画の方が「多少」マシでしょう。
でも、その「多少」は人によって、社会によって違う。
西側の普通の感覚では、風刺画の方が「遥かに」マシ。
しかし、世界16億のイスラム教徒の感覚だと、
風刺画の方が「かなり」マシ。
  
方向性は似てるけど、温度差があるわけですね。
そして、ごく一部の過激派にとっては、
自動小銃の方がマシ、あるいは正しいということになる。
一般の人間の命より、神や預言者の方が上の存在だから。
    
 
そもそも、表現の自由という概念自体が危ういものです。
と言うのも、「行動」も身体表現ですからね。
   
要するに、広い意味での表現の自由の中で、
各人が何をどこまで自由とするのか、差異がある。
そうした多様な差異と共に、同一の地球に生きるのだから、
差異を知ると共に、配慮する必要がある。  
   
ちなみに、人の感覚は時代につれて変わるものだから、
将来的にはもっと自由になる可能性はあります。
キャパシティが上がるとか、棲み分けが進むとか。
  
ただ、それはかなり先の可能性に過ぎないでしょう。
今の現実の中で生きる時、自由は不可能だし、
不自由を強制されるよりは自主規制した方がいい。
  
   
それでも絶対に譲れない自由に関しては文字通り、
ご自由にということになります♪
自由と不自由の選択は、自由。
そして、その自由に対して、他の自由な反応が
起きるのも、現実として自由なのです。  
その後の不自由はさておき。
  
キッドさんとハッキリ見解が分かれるのは久々で、
ちょっと新鮮ですね♪
違いの中で、気遣いしながら、共に生きる。
それでは、今年もよろしくお願いします

投稿: テンメイ | 2015年1月17日 (土) 19時23分

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