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新約聖書・使徒行伝「目から鱗」英語原文と、カント認識論「色メガネ説」独語原文

朝日新聞の朝刊一面で連載中の「折々のことば」については以前、フランス

の詩人ランボーについて、原書の解説記事を書いた。今回は2日前(2016

年2月16日)の言葉をめぐって、2つの原文を見てみたい。

 

まずは、「ことば」だけ、朝日から引用させて頂こう。

 

  目から鱗が落ちる    

     使徒行伝(新約聖書)

 

イエスを迫害してた人が突然、視力を奪われたが、イエスの弟子が手をあて

ると目から鱗のようなものが落ち、急にイエスを信じるようになる。しかし、そ

れは色眼鏡が透明の眼鏡になっただけかも知れない。人は眼鏡なしには見

えないのかも。。

 

こういった説明を、ことばの選者である哲学者・鷲田清一が200字でまとめ

てた。明らかに、ドイツの哲学者カントの認識論を意識した説明だが、字数

の制約もあってのことか、カントという名前は出してない。

 

 

         ☆          ☆          ☆

意図的なものかどうかはさておき、まず気になるのは、「色眼鏡が透明の

眼鏡になっただけかも」という表現だ。

 

「透明の眼鏡」なら、「なっただけ」どころか、かなり改善されたことになる。

そもそも、透明という言葉は普通、ポジティブな意味で使われるもののは

ず。特に、視覚とか判断の場面では。

 

だから、人は眼鏡なしでは見られないと言いたいのであれば、むしろ「ウロ

コ眼鏡が色眼鏡になった」という方が正確だ♪ つまり、攻撃的でドロドロ

した反キリスト的な物事の見方が、キリストを信仰する暖色系の見方に変

わったわけだ。つまり、宗教的立場の「変更」。

 

これを、鷲田が書いてるように「回心」と呼ぶのは、キリスト教的な立場か

らのものだ。普通、暴力よりは非暴力の方がマシだろうが、迫害よりも信仰

の方が良いことかどうかは、意外と微妙な問題だと思う。というのも、信仰

もしばしば否定的、排他的な言動につながるから。

 

ちなみに鷲田は、「仮面を外した素顔が別の仮面であるように」とも書いて

たが、これは似て非なる話だ。というのも、眼鏡の比喩は、かけてる本人に

とっての見え方を語るもの。それに対して仮面の比喩は、かぶってる人を

周囲から見てる他人にとっての見え方を語るものだ。

 

ただしもちろん、「自分」、つまり仮面をかぶってる本人自身も、「他人」の一

人だとは言える。ランボーの言葉は、そんな風な話だった。。

 

 

          ☆          ☆          ☆

それではここで、聖書の原文を見てみよう。と言っても、私はヘブライ語は

読めないので、日本語と英語で妥協する。

 

まず、ウィキソースで公開されてる、『口語 新約聖書』(日本聖書協会、

1954)の「使徒行伝」第9章、第17節と第18節より。アナニヤがイエスの

弟子で、サウロが迫害者だ。

 

 9.17 

 そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上 

 において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエス 

 は、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるため 

 に、わたしをここにおつかわしになったのです」。

 

 9.18 

 するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、 

 元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、

 

 

ポイントだけ、日本聖書協会HPの『新共同訳』検索でチェックすると、

「目からうろこのようなものが落ち、」となってた。ほとんど同じ訳文だが、

こちらでは「使徒言行録」とされてる。

 

 

           ☆          ☆          ☆

これを、『American Standard Bible』(米国標準聖書、1901)の英文

で見ると、以下の通り。「The Acts of Apostles」(使徒たちの行為)、

Chapter9(第9章)。

 

  17  And Ananias departed, and entered into the house; and

   laying his hands on him said, Brother Saul, the Lord, [even]

  Jesus, who appeared unto thee in the way which thou camest,

  hath sent me, that thou mayest receive thy sight, and be filled

  with the Holy Spirit.

 

  18  And straightway there fell from his eyes as it were scales,

  and he received his sight; and he arose and was baptized;

 

 

日本語で「スケール」と言うと、定規や比率を指すが、英単語の「scale」

にはウロコという意味も持ってる。「his eyes as it were scales」

だから、複数形まで正確に訳すと、「両目から、いくつかの鱗のようなも

のが」ということになる。メガネみたいに片目で1枚ずつなのか、魚みた

いに多数の鱗なのかは不明。

 

 

         ☆          ☆          ☆ 

それより、聖書で確認して驚いたのは、迫害者サウロの目が見えなくなっ

た経緯。普通に読むと、まるでイエスが一旦、見えなくして、それを弟子が

見えるようにしたような文脈になってる。

 

つまり、気の毒な視覚障害者を奇跡で救ったというより、「ムチとアメ」なの

だ。鞭で叩くように目を見えなくした後、美味しい飴みたいな、目が見える

喜びを与えたことになる。これをキリスト教徒がどう解釈・評価するのかま

では分からない。

 

相手は乱暴な迫害者だから、まず罰を与えてから許す(=赦す)のは当然

ということか。あるいは、受難が続いた初期のアクティブな布教の手段とし

て、容認するのか。。

 

 

          ☆          ☆          ☆

最後に、哲学者カントの認識論に対する色眼鏡の比喩について。カントに

よると、人間には、ア・プリオリな(先天的、経験に先立つ)認識形式がある。

たとえば、現象を「時間」「空間」という形式に従ってとらえるとか。

 

カント哲学自体についてはまたいずれ扱うとして、ここでは、今回話題となっ

てる「眼鏡」の比喩について見ておこう。誰が一番最初に、カント的な形式

を色メガネにたとえたのか、調べようがないが、世界中で出典として挙げら

れてる人物は、クライストというドイツの劇作家だ。

 

彼が1801年3月22日、婚約者ヴィルヘルミーネ宛に送った手紙の中に、

緑色のメガネ(grune Glaser)と書かれてた。電子図書館グーテンベルク

でドイツ語原文を発見したので、引用しとこう。直訳に近い日本語訳も添え

とこう。ちなみに日本語のウィキペディアは「姉」への手紙だと書いてるが、

たまたま同じ名前だから間違えたのだろう。

 

 Wenn alle Menschen statt der Augen grüne Gläser hätten,

 so würden sie urteilen müssen, die Gegenstände, welche

 sie dadurch erblicken, sind  grün – und nie würden sie

 entscheiden können, ob ihr Auge ihnen die Dinge zeigt,

 wie sie sind, oder ob es nicht etwas zu ihnen hinzutut,

 was nicht ihnen, sondern dem Auge gehört. So ist es mit

 dem Verstände. Wir können nicht entscheiden, ob das,

 was wir Wahrheit nennen, wahrhaft Wahrheit ist, oder ob

 es uns nur so scheint.

 

 もし、すべての人が、目の代わりに緑色のメガネをかけているなら、

 メガネを通して見る対象を緑色「である」と判断せざるを得ない。

 彼らは、自分の目がありのままを見せてるのか、対象ではなく目に

 属する何らかを付加してないかどうか、決して区別できない。それは

 理解についても同様だ。我々は、真実と呼んでいるところのものが

 本当に真実なのか、あるいは、そう見えるだけなのか、決定すること

 はできない。  

 

 

          ☆          ☆          ☆

仮に、その通りに近い状況としても、人それぞれ、その時々で色んなメガネ

をかけてるのなら、言語的な対話やコミュニケーションによって、メガネの色

ごとの特性はある程度分かるだろう。

 

英語その他、受験参考書の一部に使われてるように、赤いシートを通すと

赤い文字が隠れてしまうが、普通のサングラスなら一応読める。こうした作

業を積み重ねていけば、人それぞれの「メガネ」の違いが分かって来る。全

員の長所を上手く合成できれば、「メガネなし」の風景みたいなものをおぼ

ろげにイメージできるかも知れない。

 

そうすると、メガネの有無やメガネの影響についても、一応語ることができ

るはずだ。信頼性や正確さはさておき。

時間が無くなったので、今日はこの辺で。。☆彡

 

                      (計 3551字)

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