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風邪と薬で意識が薄れる中、「死」をめぐる話が心に沁みて・・

やってしまったか。。 レース直前にひどい風邪をひくことは滅多に

ないけど、これだと今年の湘南も悲惨なフルマラソンになるかも。

青海・・じゃなくて青梅と同様、相性が悪い大会か。

 

昨晩から急に鼻とノドをやられて、仕方ないから愛用薬パブロンで

ごまかしてる「けど」というか、「から」というか、意識が朦朧(もうろう)

として、起きてるだけで精一杯の状況なのだ。たまに飲むと、安くて

そこそこ効くけど、眠気も強烈。

 

油断するとスーッと意識が遠のくから、「死ぬ時もこんな感じかも」

・・とか思ってしまう。大げさだけど、理想的な老衰なら実際こんな

感じじゃないかな。病気や自殺・自決は別として。。

 

 

      ☆       ☆       ☆

というわけで、絶不調の中、寝る前に短いつぶやき日記くらいは

書いとこう。

 

今日、18年11月29日の朝日新聞・夕刊には、33年前の日航

ジャンボ機墜落事故(520人死亡、単独機で世界最悪)に関する

印象深いエピソードが大きく載ってる。

 

1985年の夏、当時9歳の健ちゃんは初めての一人旅で、甲子園

のPL学園を応援しに行く途中だった。清原・桑田のKKコンビの

活躍で全国制覇した大会。甲子園球場のPLベンチには、健ちゃん

の顔写真の拡大コピーが掲げられてたとのこと。

 

新聞で健ちゃんを知ったPLの髙木部長や中村監督が中心になって、

まだトーナメントの途中だったのに、色紙やPLの野球帽、千羽鶴、

手紙を郵送。今年の秋、高木氏と遺族・美谷島邦子さん(健ちゃん

の母)が33年ぶりに対面したそうだ。

 

お棺に入れた野球帽をかぶって、今も天国で応援してるのか、

あるいは自分で野球してるのか。私も、自分が参列した数々の

お葬式のお棺の中を思い出してしまった。。

 

 

      ☆       ☆       ☆

・・と書いただけでもう疲れてしまったから、今日の朝刊に載ってた

樹木希林のエピソードはとりあえず省略。三島由紀夫について

一言書くことにしよう。

 

私が読んだ三島の作品はただ一つ、代表作と言われる『金閣寺』。

物語の筋書きとか心理描写というより、才能溢れる華やかな文体に

圧倒された覚えがある。意味は分かるけど、こんな日本語は読んだ

ことがない。ただ、深入りするのはちょっと危険な気もするなと感じた。

 

実際、ちょっとした知り合いに、三島の最後の長編『豊饒の海』に

どっぷり浸ってる男性がいて、ほとんど宗教的な賛美に見えたのだ。

他には何も見えない、ただひたすら三島が遺した作品と死について

耽美的に語りたい・・といった感じ。

 

で、この三島や『豊饒の海』の話が、最近の朝日新聞だけでも立て

続けに載ってるから、風邪で沈滞中の今、ちょっとだけ調べてみた。

 

 

       ☆       ☆       ☆

最初に目についたのは、11月16日の朝刊広告。大澤真幸『三島

由紀夫 ふたつの謎』。この宣伝文句の一つに、「1970年11月

25日。『豊饒の海』を完成させたその日に三島は自決した」とある。

知らなかった。文字通り、ストレートに死につながる作品だったとは。

 

次に目についたというか、妙に引っかかった文章が、28日の「文芸

時評」。小説家・磯﨑憲一郎の連載レビューは正直いつも、私の趣味

ではない「けど」・・というか、「から」というか、今回は特に印象に

残ってしまった。

 

記事冒頭、『文学界』12月号の金井美恵子のエッセイ「首の行方、

あるいは・・・・・・」から冷めた文を引用する。「三島由紀夫という

作家にたいして関心を持っていなかった」。ところが彼女、三島関連

の大江健三郎の文章には「めまいがするような気分に襲われ」た。

 

こうした、三島には関心ないが大江が素晴らしい、といった対立の

構図自体が、論壇時評と同じく、何とも朝日的なパターンだが、それ

はおいとこう。続く大江の文章の説明は、確かにある意味、めまいが

するようなものだったから。金井(や磯﨑)と同じタイプのめまいか

どうかはともかく。

 

 

     ☆       ☆       ☆

三島の自決の約10年後、米国人女性研究者が彼を大男だと誤解

してたので、大江は「いや、むしろ小柄な人で」と訂正した。

 

続いて、大江に同席してた知的障害のある息子・光が、「本当に

背の低い人でしたよ・・(以下、略)・・」と、手で高さを示して

しまったそうだ。当日の夕刊に載ってた、現場写真の高さを。。

 

どこかで昔、聞いたような話ではあるけど、私は忘れてたし、そこ

まで具体的な描写は読んだことも見たこともない。磯﨑の考えでは、

金井や大江のように、周囲の社会に安易に同調・同化せず赤裸々な

実感を書き記すことこそ大切なことらしい。特に小説家にとっては。

 

それらが「赤裸々な実感」であるのは認めるとして、「安易に同調・

同化せず」という解釈にはさほど賛同できない。

 

むしろ、金井や大江の文章は、安易な反発・反=同調にも見えるし、

それを逆にとらえて、自分の思想的立場の支えに利用しようとする

磯﨑こそ、違う立場に「安易に同調・同化」する者だろう。

 

 

      ☆       ☆       ☆

とはいえ今晩、朦朧とした頭で大江の文章を思い出した私は、三島

の死について軽く調べてしまったのだ。それ以上はここで書かない

けど、いずれ全四巻の『豊饒の海』は読んでみようとは思った。

 

ちなみに、こんなつぶやき日記を書いてる直接のキッカケは、今日

(11月29日)の朝日・夕刊「一期一会」にも、三島の話が大きく

掲載されてたから。インタビューをまとめてるのは、西本ゆか記者。

 

現在、『豊饒の海』の舞台に出演中の俳優・演出家、笈田(おいだ)

ヨシが、三島の自決の半年ほど前に直接聞いた言葉がこれだ。

 

 「俺はもう何もかも終わってしまったのだから」

 

顔が似てると言われてた笈田と8歳上の三島は、自決について

よく話してたらしい。「(三島)先生は滅びゆく肉体を嫌悪し、『サド

侯爵夫人』で描いたように革命の中での死を願った」。

 

朝日の記事では、「70年安保に三島の肉体を滅ぼす熱量はなく、

自決の再考を促してみたが・・」と、笈田の回想をまとめてある。

 

ただ、今から振り返ると、60年代末から70年前後までの数年間が、

戦後の日本で最も「革命」に近かった時期だろう。有名な浅間(あさま)

山荘事件は72年。もちろん、三島とは違う方向を目指す運動だが、

熱量はあった。少なくとも、その後と比べると。80年代末から90年代

半ばにかけての、オウム真理教事件だけは特殊な例外として。。

 

 

      ☆       ☆       ☆

というわけで、この辺りで私の身体の熱量も上がり過ぎてるよう

だから、唐突に終わりとしよう。既に予想外に長くなってしまった。

 

なお、三島の生前の身長は、検索すると155cmとか163cm

とか出て来る。仮に本当に160cm前後なら、昭和の日本男児が

肉体を鍛え上げたくなるのは自然な行動だろうと想像する。外見的

コンプレックスもプライドも、決して些細なものではない。「人間は

中身が大切」などという建前を一発で吹き飛ばす力がある。

 

たかが身体。されど身体。私も身体の不調に苦しみつつ、今夜は

そろそろこの辺で。。☆彡

 

           (計 2776字)

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