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芥川龍之介「藪の中」の暗い雨に差し込む、微かな光~映画『羅生門』(黒澤明監督、1950年)

芥川龍之介の短編小説『藪の中』については、11年近くも前に「真相」記事を書いてる。原案となってる『今昔物語集』も読んだ上での、論理的な考察。昨日の午後から急にアクセスが増えてるのは、NHKが日本を代表する映画を放映したからだろう。

   

黒澤明監督『羅生門』(1950年)。名前だけは何度も聞いてたし、芥川の小説『羅生門』なら今昔物語『羅城門』との比較記事も書いてるが、名作映画を実際に見たのは私も昨日が初めてだった。

     

新型コロナウイルスの感染が急拡大して来た2020年3月28日(土曜)。全国的に「不要不急の外出を控えて」という要請があった中、大人しくテレビでニュースを見てたら、急に『羅生門』が始まったのだ。監督の生誕110年を記念する放映。

   

しかも「デジタル完全版」とされてる。2008年、角川文化振興財団、フィルム・ファウンデーションの助成を受け、アカデミー・フィルム・アーカイブ、東京国立近代美術館フィルムセンター、角川映画株式会社が共同で復元を行いました、との事。試しに見始めたら、結局最後まで目を離せなくなったので、軽くレビューしとこう。

   

   

    ☆     ☆     ☆

この完全版の白黒映画、私はアマゾン・プライムでも確認したし、インターネット・アーカイブでも英語字幕付きで公開してた。まず、冒頭のオープニング・ロール(orクレジットタイトル)で原作を確認しとこう。

  

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芥川龍之介「藪の中」より、とだけ書かれて、同じ芥川の短編小説『羅生門』は書かれてない。ところが日本語ウィキペディァの項目をチェックすると冒頭で、『藪の中』と『羅生門』を原作に、と書いてる。

  

実際の映画全体を見ると、原作としては、『藪の中』8割、『羅生門』2割といった感じ。あるいは9割と1割とかで、圧倒的に『藪の中』から作られた物語だ(脚本・黒澤明、橋本忍)。

   

   

     ☆     ☆     ☆

ストーリーを追う前に、映画だからまず、映像美を確認しておこう。テレビドラマだと、圧倒的に台詞(セリフ)が中心となって作品が展開するが、映画では映像の比重が高い。ところが、それを具体的に語る感想は非常に少ないのだ。撮影は宮川一夫で、監督の評価も非常に高かったらしい。私も、プロフェッショナルな技巧と凝り方に感心した。

  

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例えば、上の一瞬のカットとか、なかなか目に留まらないはず。というのも、観客の目線はつい、中央の大木と暗い影にとらわれてしまうからだ。

   

よく見ると、大木を境にして、左下に盗賊・多襄丸(たじょうまる、三船敏郎)、右側に武士・金沢(森雅之)と妻・真砂(京マチ子)が映されてる。まるで、核心は大きな闇で、それをささやかな3人が取り巻いてる様子としても解釈できる。あるいは、全体を無意識的に支配してるのは、ファロス(男根)主義的な欲望の原理だと暗示してるようにも。

   

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上の2枚は、多襄丸による説明シーンに挿入された美しい箇所。2人の男が場を離れた間、白馬と共に女が静かに待ってるのだ。空からは光が差し込み、まるで両手を広げたキリストか十字架みたいな木漏れ日をバックにして、女が清流にたたずんでる。狙いすました構図で、もちろん余計なセリフなど入ってない。珍しく明るい音楽が軽く流れるのみ。

   

この映画、そもそも全体的に、セリフはあまり多くない。芥川による原作がどちらも短編だし、脚本もそれほど書き足してないのだ。それが、日本よりも外国で好評価だった理由の一つだろう。日本語が全く分からなくても、映像と字幕で十分楽しめるはず。

  

あと、言葉ではない音(虫の声、川の流れの音、草木のざわめき)も、世界共通で味わえる。その結果が、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞と、アカデミー賞外国語映画賞(現在の国際長編映画賞)となった。

  

ちなみに、多襄丸はしきりに虫(やぶ蚊)を気にして叩いてるが、カメラには(ほとんど)映ってない。大量の虫よけ・殺虫剤を使ったのか。まさか、デジタル修復の際にノイズとして除去されたのではないと思うが。

  

  

    ☆     ☆     ☆

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では、ストーリーを追うことにする。映画では、(平安時代の)荒れ果てた羅生門に土砂降りの雨が降り注ぐシーンから開始。最初に雨宿りしてるのは、木こり(志村喬)と僧侶(千秋実)。日本語ウィキでは、杣(そま)売りと旅法師と書かれてるが、英語版ウィキだと微妙に異なる表記で、「Kikori, the wood cutter」と「Tabi Hoshi, the priest」。

  

木こりが「わかんねぇ。さっぱりわかんねぇ」とつぶやく所へ、駆け込んで来る3人目が、俗っぽくて怪しげな男。日本語ウィキでは下人とされてるが、英語版だと「the listener, common person」。確かに、悲惨だった当時としては、普通の平凡な人かも知れない。

   

   

    ☆     ☆     ☆

木こりとお坊さんは、裁判所みたいな検非違使(けびいし)の庭で、尋問を受けて来た後らしい。死体の第一発見者と、生きてる時点での目撃者。

  

山奥で見つけた死骸をわざわざ報告したくらいだから、木こりは主犯ではないはず。ただ、偽証罪や窃盗罪の可能性は高い。坊さんは、唯一の誠実な登場人物だから、全く無罪だと考えとこう。

   

裁判で2人が耳にしたのは、3人の事件関係者の説明。順に、盗賊・多襄丸、武士の妻、そして武士。死骸となってる武士は、巫女を霊媒師として、あの世から証言する。声は男っぽいから、本物だろう♪

   

   

    ☆     ☆     ☆

まず多襄丸の証言。山道で昼寝してたら、美しい女が通りかかったから欲情。武士を騙して縄で縛り上げた後、女を手籠め(てごめ)にする。その後、女の要求にしたがって武士と正々堂々と対決(太刀打ち)。激しい闘いの末に武士を倒した時には、女はもう逃げてたとのこと。

  

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上は、市女笠の「虫の垂衣」(むしのたれぎぬ、長く垂らした薄い布)からチラリと見えた、美人の素顔。多襄丸に言わせると、顔を見せた風が悪者らしい♪ ただ、風が吹く前に、布で隠れてない足を見てた。

  

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無理やり唇を奪われると、すぐに女は短刀による抵抗を止め、背徳の性的快楽をむさぼることになる。多襄丸の背中に回した指の曲がり方と力加減で、女の側から積極的に男を抱き寄せてる様子が分かるのだ。この指の描写は数秒間もある。

   

現在ならごく一部のフェミニストが抗議しそうな部分かも知れないが、3人と木こりの証言を合わせても、女は単に強姦(強制性交)されただけではなさそうだ。もっと恥ずかしい姿を見せてしまったからこそ、その後に妙な展開が続くことになる。

   

  

    ☆     ☆     ☆

続いて、女の証言。泣き崩れる姿は哀れな存在にも見えるが、羅生門で話を聞いてた俗っぽい男は、女など信じられないと強調してた。多くの男性が頷くところかも♪ 殺人もレイプもなくても、普通の女性が一人いるだけで、「藪の中」。

  

女によると、多襄丸が逃げた後、夫に自分を殺してくれと懇願。ところが夫は、自分をさげすむような冷たい目で見つめ続けたから、パニックに陥る。「止めて! 止めて、止めて・・・」。気を失った後、目が覚めると、なぜか夫に短刀が突き刺さって死んでた。

  

私が見ると、まず夫の目線には、軽蔑と共に生理的な欲情が感じられる。好色そうな微笑。あと、女が「止めて」と叫び続ける間中、短刀が夫に向けられてるのは興味深い。普通に考えれば、女が錯乱状態で刺殺してしまったことになる。

   

   

   ☆     ☆     ☆

さらに、殺された武士の証言。妻は多襄丸にくどかれて情を移したのか、夫を殺してくれと多襄丸に頼む。ところが、これには多襄丸もあきれて、武士に対して、ひどい妻を殺すかどうかたずねる。その隙に妻は逃げ出して、多襄丸もやがて消える。残された自分は、妻の小刀で自殺。その後、誰かがそっと自分の身体から刀を抜き去った。

  

なぜ死んだか。武士としての屈辱に耐えかねたからだろう。多襄丸にうっとりした妻の、見たこともない美しい姿。男として完膚なきまでに敗北して、プライドが崩壊。あまりに惨めで恥ずかしい自分を、最後に微かに残った自己愛が消し去ったわけだ。小説&ドラマ『華麗なる一族』のラストと似た感じか。

  

最後に、木こりの証言。実は多襄丸は、女を弄んだ後、妻になって欲しいと土下座して頼む。妻は拒否したが、夫に自害しろと言われてしまい、その前に男同士で闘うようにそそのかす。無様な闘いの後、多襄丸が何とか勝ったものの、女には逃げられてしまった。

   

  

    ☆     ☆     ☆

では結局、真相はどうなのか? それについては、既に10年前に小説レビューで書いてることだし、あらためてここで考え直すことはしない。

  

一言だけ書くなら、女が夫を刺して逃げた後、まだギリギリ生き残ってた男に刺さったままの短刀を、木こりが引き抜いて、出血多量で死亡。木こりはそのまま短刀を奪って逃げて、ウソの証言をしたとか。男同士の対決は、自分を過剰に美化する多襄丸と、過失致死や窃盗を隠したい木こりによるウソと見る。

   

ただ、映画ならではのポイントは、最後のシーンにあるのだ。俗っぽい男が、捨てられてた赤ん坊の服を盗んだ後、お前も盗人だろうと木こりに鋭く指摘して、立ち去る。

  

僧侶が人間に絶望しかけた時、木こりは赤ん坊を抱いて家に帰ると伝える。子どもはもともと6人いるから、7人になっても同じだと。雨は止み、暗い空に明るい光がさして来る。ライトが木こりと赤ん坊に当たり、背後の僧侶も明るい光に包まれてたたずむ。

  

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    ☆     ☆     ☆

エゴイズムによる虚偽、自分勝手な振舞いだらけの、地獄のような世の中。何が正しいのか、何を信じていいのか分からない絶望的な状況でも、目の前にふと美しいものが現れることはあるのだ。たとえわずかな一瞬でも、そこに目を向けて生きて行こう。

   

原作には全くない、最後の木こりと僧侶のやり取りこそ、この映画が訴えかけた一縷の希望なのだ。その美しさを、物語とは離れた形で表してたのが、女、白馬、小川、木漏れ日の映像だろう。

  

なお、今週は計16504字で終了。最後に制限字数を大幅オーバーしてしまった。では、昨年他界した大映の大女優・京マチ子の最も美しいとされた表情に見惚れつつ、また来週。。☆彡

  

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     (計 4089字)

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