買いだめ行為、最善ではないが合理的な選択~ゲーム理論とナッシュ均衡

トイレットペーパーの「買い占め」が話題になったのは、先月(2020年2月)の末からのこと。この時は、デマに扇動されてしまった浅はかで醜い行為として、メディアでもSNSでも強く批判された。

   

しかし、あれが本当にごく一部の明らかなデマによって引き起こされた現象なのか、因果関係を示す説得的な証明を見たことはない。私自身も、メディア報道があるまでデマとされてる虚偽の情報を知らなかった。ただ、その問題はとりあえずおいとこう。

   

それより大切でハッキリした事実は、いまだに首都圏(の一部)ではトイレットペーパーが品薄だということ。「不足するというのはデマです。在庫は十分あるので落ち着いてください」とか繰り返し報道された後、私がたまたま店頭で見つけるまで3週間かかった。犯人扱いされたデマなど、すぐに消し去られたにも関わらず。

  

実は、あの時の報道自体も、根拠が薄くて実害をもたらすデマに少し似たものではなかったのか? むしろ市民としては、デマも報道も相手にせず、明らかに品薄の商品を素早く探し回って手に入れる方が合理的だったのではないか? それを問いかける検証報道は見たことがなかった。

   

   

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そんな状況の中で目に留まったのが、朝日新聞デジタルの記事(3月17日付け)。

 「トイレ紙買いだめ 理にかなった行為か ゲーム理論だと...

      

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ネットでは執筆記者の名前が見当たらないが、紙面だと高重治香と書かれてた。若手の女性記者だろうか。情報や雰囲気に流されない、素朴でいい着眼点だと思う。

  

おそらく、根本的に疑問があったのだろう。学者へのインタビュー冒頭でこうたずねてた。「店頭にトイレットペーパーがないのを見ると、買える時は多めに買っておきたくなります。よくないことなのでしょうか。」

   

これに対する、安田洋祐・大阪大准教授の応答も刺激的で挑発的。私もかなり頷いた。

   

 「一消費者としては理にかなっている行動です。他の人も多めに買って店頭の在庫がすぐになくなる状況で、自分だけゆっくり構えていると、買えずに困ってしまうでしょう。そのやむにやまれぬ行為を、『協調性がない』などと道徳的に批判しても、ギスギスするばかりです。

     

しかし、一人一人が『合理的』にふるまった結果、早朝から列に並ばないと買えなくなるなど、みんなが損をすることになってしまいます。個人にとって望ましい行動と社会としての利益は、必ずしも一致しないのです」

  

  

    ☆     ☆     ☆

ここで登場するのが、経済学や国際関係論・政治学で有名な、「ゲーム理論」と「ナッシュ均衡」。当サイトでも5年前(2015年)、発見者のナッシュが死去した時に記事を書いてる

 

 ナッシュ均衡とは~囚人のジレンマ(英語原論文)に即して

  

トイレットペーパーの場合だと、みんなが買いだめする(あるいは、しない)行為を、お互いの行為と損得のゲームと考えるのだ。全員にとって最適なのは、誰も買いだめしないこと。これはこれで、変化しにくい安定的なつり合い、ナッシュ均衡の一つだ。

   

しかし、一人一人が買いだめしたくなるのは自然な心理だし、一旦みんなが買いだめしてしまうと、一人一人にとってある意味、合理的な行動の代表例は、買うことになってしまう(他の選択肢も可能)。だから、みんなが買うのも、ナッシュ均衡の別のケース。

  

みんなが買いだめするつり合い状態(ナッシュ均衡)が一旦生じると、誰も買いだめしないつり合い状態(より良い別のナッシュ均衡)に移行するのは容易ではないのだ。理論的には。もちろん実際には、お金や保存スペース・保存期間の制約などから、自然に収束する。大国同士の核兵器のナッシュ均衡とは違うのだ。

   

朝日の記事には、数字を用いた具体的な例が無かったから、私が解説してみよう。

 

    

     ☆     ☆     ☆

例えば、自分にとっての損得が-1で、他人にとっての損得が-4の状態を、(-1,-4)と表すことにする。自分はちょっと損で、他人は大損という意味だ。もし逆に、自分が-4で他人が-1なら、(-4,-1)と表す。

     

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自分と他人が、買いだめする場合を「買」、買いだめしない場合を「不買」と書いて、両者の損得を場合分けしたのが上の表。全体の理想としては、お互いが「不買」の場合、つまり表の右下の(0,0)が最適だ。

  

ところが、お互いが「買」の場合、つまり表の左上の(-2,-2)に一旦なってしまうと、お互いそのまま買う方が合理的になる。なぜなら、もし自分が「不買」へと変更して相手が「買」のままだと、自分の損得だけ-2から-4へと悪化するからだ。相手は-2から-1へと改善するから不公平感も加わって、ますます矢印に沿った動きは取れない(だからバツ印)。

     

安田氏は、みんなが買いだめを止めそうな情報をマスメディアが流すのがポイントだと語ってる。しかし、トイレットペーパーの時には、その戦術はあまり成功してない。

   

   

    ☆     ☆     ☆

私はむしろ、「買いだめでパニックが起きてる」とかいう過剰報道を少し控える方が有益だと考える。

  

特に、飲料や食品の場合。一部の場所で一瞬発生した単なる買い物行列や品薄を、パニックなどと呼んで、大きく報道・批判し過ぎてるのだ。まるで、自粛のストレス発散のための魔女狩りみたいに。それこそ、インフォデミック(情報による混乱拡散)。

          

実際、首都圏に住む私の周囲に多数の店舗があるが、小池百合子・都知事の会見の後に行列など見てない。スーパーやコンビニ、ドラッグストアの棚にも、ちょっと空きがある程度で、質的にも量的にも十分な商品が並んでた。一部の店や場所の行列なら、昔からフツーにあって、笑って聞き流す程度のネタだ。本当に必要なのは、行動の冷静さより、報道の冷静さだろう。

   

   

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おまけに、そもそも首都圏直下地震などに備えて、1週間分の飲料水や食品を備蓄するように推奨されてるのだ(上図、内閣府防災情報)。大震災から9年が経過して、みんな地震への備えを忘れてしまったのだろうか?

   

誰も買いだめしないより、むしろ、みんなが多少、買いだめする方がより良いナッシュ均衡だろう。下の表で、それを示してみた。

    

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一部の行列が示してたのは、備蓄が必ずしも進んでなかったということだ。つまり、上の表の右下。自分も他人も「不買」で(0,0)。

  

それはナッシュ均衡ではない。というのも、それぞれにとって、「買」へと変更する方が得だからだ。一人一人の合理的な行動でも、表の左上の最適なナッシュ均衡(2,2)へと移行して、はじめて安定することになる。結局みんな買いだめして、次の大地震に正しく備えるということだ。

   

   

    ☆     ☆     ☆

それを一気に進展させたのが、新型コロナウイルス騒動や都知事の緊急会見だったと考えれば、必ずしも悪くないどころか、むしろプラスかも知れない。

   

というのも、コロナはおそらく1年前後でおさまるだろうけど、次に大震災が関東や東海で起きると、壊滅的な状況が一気に訪れるかも知れないから。その時にはもはや、店も物流も在庫も消えて、買えない状況になる可能性が十分ある。

  

ちなみに私はさっきもコンビニに行ってきたけど、何の混雑もないし、品薄でもない。依然として無いのはただ一つ、買いだめ・買い占めどころか、1ヶ月半も店頭で見てないマスクのみ。

   

何が本当に良い行為なのか、何が妥当な報道なのか。広い視野でもう一度、現実的に考え直す余地は十分ある。それでは今日はこの辺で。。☆彡

  

     (計 3014字)

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横浜市・浅野中学校の入試問題(算数)と、新型コロナウイルス対策で空ける1m間隔

ネットの朝日新聞デジタルに、今年(2020年)の中学入試の問題が紹介されてました。記述式が目立った、という内容の記事です(宮坂麻子記者)。そこに、時事ネタのような興味深い問題もありました。

  

 「浅野中(横浜市)では、一辺の長さが1センチの正三角形四つからなる、一辺2センチの正三角形の図を提示し、『この三角形の辺または内部のどこに五つの点を置いても、それらのうち、距離が1センチ以下になる点の組が必ず1組以上あることを図を用いて説明しなさい』と、回答欄に図と文章で記述させた。

   

   

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試験日は令和2年2月3日なので、問題を作ったのは12月から1月にかけて、新型コロナウイルスの感染が話題になってた頃かも知れません。何となく、世界中で感染防止のために言われてる「1m、間隔を空けよう」という話を思い出したのです。問題を作成した先生が意識したかどうかは分かりませんけど。

  

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例えば福井新聞HPには、上のような図があります。座席の生徒と生徒の間が1m以上離れるように、厚生労働省が勧めてるのです。中国・北京のスーパーやイタリア・ローマの買い物客も、1m間隔で並んでる様子が伝えられてました(下の画像)。医学的には2m以上の方がいいのですが、1mの方が実用的で分かりやすいということでしょう。

  

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生徒と生徒の場合、みんながある程度かたまって座る方がいいでしょう。だから、上側の図では正方形の対角線上に並んでいます。それに対して、お互いに知らない買い物客なら、かたまる必要はないので、縦に長く並んだ方が場所をとらないかも知れません(場所の形や面積によります)。

  

浅野中の問題は、そんな事を考えさせてくれるいい問題でした。人間の1m間隔の代わりが、点の1cm間隔。最初、小学生にはむずかし過ぎるのでは?と思いましたが、実際の問題を四谷大塚HPで見ると、前もって誘導の問いが付いてたし、答えの文章の形も与えられてました。それならわりと解きやすかったと思います。では実際の問題を見てみましょう。

   

   

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問題1(5)

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(最初の問い) 一辺の長さが1cmの正三角形の辺または内部に2つの点を置くとき、この2つの点の距離がもっとも長くなるような、その距離の長さは、( キ )cmです。

  

(解答) 2つの点の距離がもっとも長くなるのは、それぞれが別の頂点にある時。よって、長さはcm。 ・・・

   

  

(次の問い) 次に、図2のような一辺の長さが2cmの正三角形を考えます。この三角形の辺または内部のどこに5つの点を置いても、それらのうち、距離が1cm以下になる点の組が必ず1組以上あることを図2を用いて説明しなさい。ただし、説明は「どこに5つの点を置いても、・・・・・・」に続くような文で、解答欄に書きなさい。

  

解答例・・・私のもの) どこに5つの点を置いても、少なくとも1組の点は、同じ1つの小さな正三角形(①か②か③か④)の辺または内部にある。なぜなら、小さな正三角形は4つしかないからである。小さな正三角形は一辺1cmだから、前の問いと答えより、その辺または内部にある1組の点は距離が1cm以下になる。説明終了。

   

   

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この問題のポイントは、最初の問いと答えがヒントになってることに気付くこと。そして、図2の大きな正三角形を、小さな正三角形4つに分けるということです。そもそも、一辺の長さが2cmということだけ使うのなら、①②③④という4つの区分はいらないはず。出題者の意図を読み取るのは大切です。

   

さて、中学や高校になると、大きな正三角形の面積の求め方を習います。1.7cm²(平方センチメートル)くらいです。これと同じ面積で正方形や円を考えても、5つの点のどれか1組は距離が1cm以下になるようです。円だとかなり難しいけど、考えてみてください。

  

では、同じ面積内の5つの点の距離を、すべて1cmより大きくするカンタンな方法は? それは、縦か横の一列に長い図形にすればいいのです。例えば、幅0.1cm、長さ17cmの細長い長方形とか。

   

場合によっては二列、三列でもいいのですが、世界で買い物客の行列が長く伸びてるのは、そういった理由があるのでしょう。逆に、なるべく一ヶ所に固まらないようにと言われてるのも、一ヶ所に固まるとどうしても人と人の距離が狭くなるからでしょう。正三角形、正方形、円みたいな場所は、キレイにまとまってるけど、離れるためには不利なのです。

  

算数と世の中は、気づかない形で色々つながってるわけですね。それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

       (計 1880字)

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「灰色のサイ」(gray rhino)か「黒い白鳥」(black swan)か~株価の「冷たいバブル」、新型コロナと共に去りぬ

今日のブログ記事も軽く済ませよう。内容的には、マニアックなレベルで書いてもいいかなと思ってたけど、さっきスポーツ大会のエントリーをしようと思ったら、6月開催(!)の大会まで中止決定が出てる。手続き前にあれこれ調べたりしてる内に、時間がかかってしまったのだ。この緊急事態に、数千人規模のイベントに申し込むなんて甘いのか。

   

とはいえ、6月の大会の中止はある程度予想できてたことだから、「黒い白鳥」ほどのインパクトはない。むしろ、「灰色のサイ」と言うべき経験かも。個人的で小型のサイだけど。。

   

   

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まだ「暴落」のレベルには到達してないと思うけど、日米をはじめとする世界のマーケットが「急落」。昨日(20年3月10日)の日経新聞HPには、「暴れ出した『灰色のサイ』 リーマン危機なぞるか」という記事がアップされてた

    

「黒い白鳥」という言葉なら知ってるけど、「灰色のサイ」が私の耳に留まったのは初めて。日経のサイト内で検索をかけてみると、前から時々この表現を使ってたらしい。

  

おそらく英語の経済用語の日本語訳だろうと思って、直ちに辞典をチェック。正直、「サイ」の英訳は知らなかったどころか、今まで一度も見てないような気もする。「犀」という漢字が動物のサイを表すことも知らず。室生犀星くらいしか思いつかない♪

   

最新のウィズダム和英辞典と英和辞典(三省堂)で引くと、「rhinoceros」(ライナサラス)。略して、「rhino」(ライノウ)。日本人ならリノと読んでしまう所だろう・・と書いて、念のために英語版ウィクショナリーを引くと、米国では「リノー」とか「リナサラス」という発音もあるらしい。

   

   

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で、「灰色のサイ」(gray rhino)とはどんな意味で、何を示すフレーズなのか。

      

英語版ウィキペディアの記事を検索すると、提唱者ミシェル・ウッカー(Michele Wucker)の項目のキー・コンセプト(鍵概念)のトップに出てた。なるほど、サイは沢山いるから、複数形でライノウズとしてるのか。いまだに単数・複数や冠詞の使い分けには慣れない。

  

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段落の半ばまで大まかに訳すと、こんな感じになる。──「灰色のサイ」は、2013年のダボス会議で紹介した言葉。ほとんどあり得ない物事を表す「黒い白鳥」(black swan)とは違って、「とても高い確率であり得るしインパクトも大きいのに無視される脅威」のこと──。

  

highly probable, high impact yet neglected threats。短くて明解な説明文だ。確かに、動物のサイは草原でのんびり寝てそうなイメージで、ライオン、トラ、クマ、コブラほどの怖さは感じない。

   

   

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段落の下側には、2016年の『灰色のサイ: 我々が無視する明白な危険を認識して行動するには』という著書も紹介されてるから、こちらも早速検索。Google booksで少し公開されてた。邦訳はまだ無いみたいだ。

  

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序文には、「黒い白鳥」との比較がある。段落の後半だけ大まかに訳すと、こんな感じだ。

   

── 非常に確率は低いけど衝撃が大きい「黒い白鳥」には、多くの人が注目してる。しかし、危険で明白で確率の高い物事はそれほど注目されてない。黒い白鳥の陰には、とても確率が高い色々な危機が1セットにまとまって潜んでると思われる ──。

   

   

     ☆     ☆     ☆

では、具体的に今回の急落における「灰色のサイ」とは何のことか。色んな見方があるだろうけど、私は、「人為的に延々と上がり続けて来たマーケットの急落」自体が最大の灰色のサイだと思う。

   

新型コロナCOVID19というウイルスの登場に限って考えると、それは非常に珍しくて予測不能な存在にも見える。しかし、リーマンショック以来、大きく見ると10年も続いて来た金融緩和&静かな株価上昇(冷たいバブル)が何かのキッカケで急激に反転することは、十分予想できたし語られてた。このブログでさえ、危ないという話を何度か書いてたほど。

   

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上はリーマンショック以降の米国ダウ平均株価のチャート(yahoo! finance)。このグラフの右端の赤丸が今回の急落であって、私がまだ「暴落」とは呼ばない理由も明らかだろう。この程度の下げが生じるのはごく自然なこと。

     

その十分あり得る可能性、フツーにいる灰色のサイを、人間のトレーダーとAIの取引プログラムが無視して来ただけのことだ。両者の基本的な共通点は、トレンド・フォロー。流れに乗って取り引きすることだ。今まで上がってるから、この先も上がるだろうという賭け。右上に進んでるから、この先も右上という思考&行動パターン。

     

みんながやるから、その賭けはしばらく当たり続けるけど(予言の自己成就)、何かをキッカケにして流れが変わると、一気に反転する。急落したから、この先も下がるだろう。右下に進んでるから、この先も右下。。

   

  

    ☆     ☆     ☆

結局、黒い白鳥は珍しくても、「物事には例外がある」という一般原則ならフツーのことに過ぎない。ちなみに、日本語で「黒い白鳥」という表現、色的に矛盾してるように思える。しかし、英語だと「black swan」だから色の矛盾は含まれてない。フランス語やドイツ語でも矛盾はないから、欧米的には「黒い白鳥」というのは元々あり得る存在なのかも知れない。

  

またブログ記事が長くなって来て、私の睡眠時間を奪い始めたのも、個人的な「灰色のサイ」だ♪ 十分予測できたし、睡眠負債の蓄積は病気や突然死につながるハイリスクなのに、ブロガーはつい無視してしまうのであった。ではまた明日。。☆彡

   

     (計 2317字)

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「にっぷく にこにこカルタ」、認知症(にんちしょう)の勉強(べんきょう)にかぎらず、いいね♪

3日前の朝日新聞(あさひしんぶん)で、「にっぷく にこにこカルタ」が紹介(しょうかい)されてました。2020年2月25日の朝刊(ちょうかん)のお話、天声人語(てんせいじんご)です。

  

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「にっぷく」とは、カルタを作(つく)った日本福祉大学(にほんふくしだいがく)のこと。カワイイ名前(なまえ)ですね♪

   

はじめは3年前、そのころの2年生が授業(じゅぎょう)で作ったもの。それからもっと良いものにして、1年前から売(う)り出したそうです。

    

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写真(しゃしん)の左から、リーダーの内村香澄(うちむら・かすみ)さん。天野歩未乃(あまの・ふみの)さん。斉藤雅茂(さいとう・まさしげ)先生。駒形和泉(こまがた・いずみ)さん。小木曽茜(おぎそ?あかね)さん。4人はこの春、卒業(そつぎょう)です。

   

   

    ☆     ☆     ☆

このカルタはもともと、おじいちゃん・おばあちゃんたちの認知症(にんちしょう)を知るためのもので、こども向(む)けです。でも、おとなも楽(たの)しんで、いろいろと勉強(べんきょう)できるとおもいます。

   

大学(だいがく)のニュースで、ちょっと中身(なかみ)を見てみましょう。

     

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 あ  「ありがとう」をたくさん伝(つた)えてみよう

  

これ、大切(たいせつ)だけど、なかなか言えませんよね。ニッコリ笑(わら)うとか、手をやさしくにぎるだけでもいいかもしれません。おとうさん・おかあさん、ともだちにも、ありがとうを伝えましょう。

    

漢字(かんじ)には、ひらがながついてるから読(よ)みやすいです。カワイイ絵も、じぶんたちで描(か)いたそうです。うまいですネ。

    

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 か  帰(かえ)ってこない どこに行(い)ったのかな?

   

おうちに帰ってこないときは、みんなでさがしに行(い)きましょう。読(よ)みふだには、どうしたらいいのか、説明(せつめい)がついてます。

   

   

    ☆     ☆     ☆

もうちょっと見てみましょう。

  

 み  見(み)つけよう おばあちゃんの得意(とくい)なこと

   

学校(がっこう)のおともだちでも、そのコがとくいなことを見つけると、好(す)きになれます。でも、自分(じぶん)がとくいなことは、少(すこ)しだけ見せるのがいいかもしれません。

   

  

   ☆     ☆     ☆

 い  『今(いま)はいつ?』 そんな時(とき)も やさしくね

   

おじいちゃん・おばあちゃんでなくても、「アレッ?」と思(おも)うようなことを言うときがあります。そんな時もやさしくするのは大切(たいせつ)だけど、とても難(むずか)しい。

   

ボクも今日(きょう)、ある人に「メールで伝えただろ!」と怒(おこ)ってしまいました (^^ゞ これは良(よ)くないですね。これからは気(き)をつけます。

   

はなしは短(みじか)くした方が伝わるので、そろそろおわりにします。カルタのほかに、テレビゲームや絵本(えほん)も作ってるみたいで、すばらしいと思(おも)いました。ではまた。。☆彡

   

     (計 1195字)

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「濃厚接触」(英語 close contact)の定義(感染研、厚労省、米国CDC)、患者の約2m以内に予防策なしで

千葉県市川市のジムで3人の新型コロナウイルス感染者が出て、利用者約600人が「濃厚接触者」とされた(FNNその他の速報ニュース)。今までは人数的・割合的・職業的に限られた人しか関係なかった「濃厚接触」という言葉が、急激に身近になってる。もし、それによって周囲に感染が広がると、「クラスター」(小さな感染集団)にもなる

   

ところが、先月(2020年1月)中旬から話題の「濃厚接触」という言葉の厳密な意味・定義を、「信頼できる出典付きで」示してるサイトは非常に少ない。個人サイトはもちろん、マスメディアでもそうなのだ。

       

そこで、私が自分で調べた情報をまとめとこう。もちろん、信用できなければリンク先を自分でチェックして頂きたい。ちなみに当サイトでは大震災後にも、放射線・放射能関連の詳細な記事を多数アップしてある。

   

   

    ☆     ☆     ☆

まず、日本を代表する機関、国立感染症研究所。こちらの公式サイト内では、今回の新型コロナ(COVID-19COronaVIrus 2019の略語)関連の「濃厚接触」の定義というのは見当たらない(サイト内検索で出ない)。言葉は使われてるが、使用例も多くない。

  

ただ、過去に遡ると、今回の新型コロナ関連ではないものの、MERSコロナウイルス(2012年)に関する「濃厚接触者の定義」があった。以下、「症例」という用語は、患者あるいは患者の疑いがある者を指す。

  

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・医療従事者や家族、または同様な状況で、症例の世話をした者。

 ・症例に症状があった時期に同じ場所に滞在(同居、訪問等)した者。

  

ちなみにこれは、当時のWHO(世界保健機関)close contact(濃厚接触、密接な接触)の定義(definition)を英文和訳したものだ。あくまで2012年版なので、念のため。

  

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     ☆     ☆     ☆

一方、NHKのHPは、おそらく直接の取材によって、感染研の定義をより詳しく説明してある。ただ残念なことに、記事に日付けが書かれてないから、どの新型コロナなのか曖昧になってる。2012年のMERSも、2002年からのSARSも、当時の新型コロナだったことに注意しよう。Googleで期間限定の検索をかけると20年2月11日の記事とされてた。

  

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説明が長いので簡単に要約すると、患者と確定した人(確定例)に対して、その同居者と、予防策なしの約2m以内の接近者(医療関連、知人その他)が濃厚接触者、ということになる。

  

ただ、感染予防策が完全にあったかどうかは、なかなか断言できないことだし、「患者の感染性を総合的に判断」という言葉も入ってるから、実際上は必ずしも明確な基準ではない。それは例えば、日本の医療者が感染してしまったことを考えるだけでも分かることだ。

   

   

     ☆     ☆     ☆

続いて厚生労働省は、今回の新型コロナに関して、簡単な情報を示してる(令和2年2月23日時点版)。

  

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必要な感染予防策なしで手で触れること、または対面で会話することが可能な距離(目安として2メートル)で、接触した方などを濃厚接触者としています。」

  

これは要するに、NHKが示した感染研の定義を簡単にまとめたものになってる。分かりやすいのは良いことだが、確定患者だけ考えるのか、疑わしいケースも考えるのか、書いてない。

  

また、その下にある感染研HPへのリンクは、一般人には分かりにくい。ただ、その感染研HPの記事中リンクから、さらに日本環境感染学会対応ガイドに飛ぶと、少し異なる濃厚接触の定義があった(20年2月13日の第1版)。

  

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新型コロナウイルス感染症が疑われるものと同居あるいは長時間の接触(車内、航空機内等を含む)があったもの」

  

大きな違いは、確定した患者だけでなく、「疑われるもの」に対して考えている点だ。「疑われる」の定義までは書いてないから、一気に濃厚接触者の数が拡大する余地が生まれる。海外(の一部)から見れば、日本人すべてかも知れない。

  

  

    ☆     ☆     ☆

最後に、日本でもしばしば名前が挙げられるCDC、米国疾病管理予防センター(Center for Disease Control and prevention)の定義。最終更新20年2月15日の情報だ

   

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一見、最も厳密に見えるが、よく読むとそうでもない。既に書いた日本のものとほぼ同じ内容(普通に読めば確定患者の周囲のみが対象)だし、説明の最後(図の下側以降)には、濃厚接触の評価は微妙で難しいという説明を付記。データがまだ限られているし、あまり緩い基準だと医療行為者のかなりの部分も濃厚接触者となって仕事も私生活も困難が生じてしまう。

  

実際、つい最近も日本集中治療医学会の学術集会でトラブルが生じてるのだ。どちらの言い分がどれほど正しいかはさておき、専門家の間でも激しい対立、分裂が生じる状況なのは事実。

   

   

     ☆     ☆     ☆

結局、確定患者の周囲だけ考えるのか、疑わしい人の周囲も考えるのかはハッキリしないし、予防策の有無の判断も微妙な所。

  

それでも敢えて実用的な共通部分を取り出すなら、「周囲の人と数m以内に入る時、入った後には、感染予防策を徹底」ということくらいだろう。それが医学的に「濃厚接触」なのかどうかはさておき。手洗い、手で顔を触らない、etc。

  

東京五輪の開催も心配しつつ、今日のところはこの辺で。。☆彡

   

       (計 2154字)

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韓国映画『パラサイト 半地下の家族』(Parasite、寄生蟲、キセンチュン)、言葉の意味とあらすじ

1つのものがこれほど世界中で絶賛されるケースはなかなか記憶にない。ある意味、ノーベル賞より大きな扱いになってる気もする。少なくとも、オリンピックの金メダルよりは遥かに大きな扱いだ。

     

フランスのカンヌ映画祭2019パルムドール(最高賞)に続いて、米国アカデミー賞2020作品賞にも輝いた、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』。日本の公式タイトルは格差社会を意識してそう書かれてるが、元の韓国語でも、カンヌ映画祭のフランス語でも、アカデミー賞の英語でも、「半地下の家族」という副題は付いてない。

  

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韓国語は、ハングル文字(上図はハングル版ウィキペディア)ではなく漢字で書くと「寄生蟲」のようで、日本人にとってもすぐ意味が分かるが、発音(特に最初の音がキかギか)は意外と難しいらしい。ただ、検索すると「キセンチュン」が多数派(3文字との対応は、キ・セン・チュン)。「ギセンチュン」は少数派だった。

   

   

    ☆     ☆     ☆  

寄生虫とは何か? 各種の辞書や辞典の解説を一覧すると、普通は他の動物の体内にこっそりひそんで依存生活を送る小さな虫(内部寄生虫)で、嫌われ者かつ低評価の存在。ポスターの右下や公式サイトを見ても、細くてグルグル渦巻いた不気味な寄生虫のデザインが入ってる(ハングル文字のアレンジ)。ポスターは英語版ウィキメディアより

   

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そうした負のイメージを多少和らげてたのが、以前日本で少し流行った「パラサイト・シングル」という言葉だ。親と同居したまま暮らす独身者で、生活ぶりはそれほど悪くもない。隠れてるという意味合いも少なめ。

         

むしろ恵まれた余裕ある生活にもなって、親もそれを望んでる場合もあるから、どこが悪いのかというようなプチ論争も見かけた覚えがある。「共依存」か、あるいは、仲良し親子の合理的生活か。。

  

  

     ☆     ☆     ☆

一方、「半地下」の韓国語は「パンジハ」のようだから、これも日本語の漢字の発音に似たもの。意味や語の成り立ちも、「半」「地下」の合成語のようで、既に多数の報道があるように、韓国の格差社会の下層部にある住居の形を指してる。ただし、映画の副題には付いてない。

   

下は朝日新聞デジタルの写真の引用(撮影・清水大輔)。つい最近のソウルの風景。日当たりや騒音の問題があると書いてるけど、別の記事を読むと、実は極端な質素さがちょっとしたトレンド(流行)みたいにもなってるそうだ。つまり、必ずしもマイナス、ネガティブとは限らない。安くてデザイン的にちょっと変わった建築・生活様式といった感じか。

           

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私の田舎の情景を思い出すと、線路の脇の下側に並んでた家がちょっと近いと思う。たまに電車が通る時はうるさくて、普通の住宅街とはハッキリ隔てられてたけど、差別や蔑視は目立たなかった気がする。電車はたまにしか通らないし、ある意味、川沿いや崖下よりは作りや保安がしっかりしてて安全だろう。むしろ、海のすぐそばの我が家とかの方が危険とも言える。

   

   

     ☆     ☆     ☆

さて、この映画は韓国での公開より先に、カンヌで世界初上映されてるから、まずはフランス語で見ておこう。下は今現在(20年2月13日)のカンヌ映画祭公式サイト・仏語版より

  

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 Parasite : la Palme d'or 2019 triomphe aux Oscars 2020!

 (パラサイト:2019年のパルムドール受賞作が、2020年のオスカー(アカデミー賞)でも大勝利をあげた。)

   

  

    ☆     ☆     ☆

フランス語でも綴りは英語と同じ「parasite」だが、発音は「パラジット」で、意味は英語や日本語より広い。

  

英語だと、寄生虫とか居候という名詞の意味に限定される。要するに日本語と同じだ。ところがフランス語だと、形容詞(余計な、邪魔な)や動詞(寄生する)にもなるし、名詞でも雑音・ノイズという意味も入って来る。まさにウチの田舎の線路下の住居。

      

ということは、英語や日本語、そしておそらく韓国語よりも、フランス語の方が意味や用法が豊かで受け入れやすい単語だろう。そのことが、カンヌでの満場一致の最高評価を陰で支えた可能性はある。大体、日本語のタイトルでも「寄生虫」という露骨でネガティブな言葉は使ってないわけだ。

  

ちなみに英語版ウィクショナリーで、語源古代ギリシャ語まで遡ると、「パラ」が「そばで」、「サイト」が「食べる」。つまり、パラサイトの語源は、近くで食べるという意味。そこから、身近な他人の食卓で食べる人、寄生虫、という流れで意味が変化したようだ。

   

語源を直接的に考えると、害をなすという悪い意味は入ってない。自分のそばで食べ物を得るだけ。それが2000年の歴史を経て、ネガティブな意味が強まった末に、今回の映画ではウソや盗み、殺人とつながってる。

     

    

     ☆     ☆     ☆

ここで、既に誰でも知ってそうなあらすじ(ストーリー、プロット)を、ごく簡単にまとめ直してみよう。一番短くまとめると、こんな感じになる。一応、 公式PR動画のラストでは「ネタバレ厳禁」とされてるので、ご注意あれ♪

   

半地下の貧乏家族・キム家が、金持ちのパク家に寄生。すると、大邸宅には前からこっそり寄生してた夫妻がいたから、ドタバタの末に殺し合いになった。最後は、キム家の主人だけが、同じ邸宅で別の家族に寄生。息子たちは、いつか上の世界に登ってみんなで暮らすことを夢見る。。

   

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貧乏なキム一家が、夫・ギテク、妻・チュンスク、息子・ギウ、娘・ギジョン。

金持ちのパク一家は、夫・ドンイク、妻・ヨンギョ、娘・ダヘ、息子・ダソン。

先に寄生してた夫妻は、夫・グンセ、妻(家政婦)・ムングァン。

    

上で私が「ドタバタの末に」と7文字で済ませた箇所は、日本語ウィキペディアだと非常に細かく書いてある。「先が読めない」とかいう宣伝文句が消し飛ぶほど。フランス語版ウィキもかなり細かいが、英語版ウィキはわりと簡潔にまとめてた。

   

   

     ☆     ☆     ☆

個人的には、脚本も映像も、先日レビューした『万引き家族』の方が好みだ。前年(2018年)のカンヌ映画祭パルムドール受賞作で、是枝裕和監督の作品。

   

アジアの貧困や複雑な家庭問題を描いてる点も、殺人が絡む点も、少しだけセクシャルな萌え要素が入ってるのも、『パラサイト』と同じ。しかし、圧倒的に静かで穏やかな作品だった。激しい争いの描写や格差のコントラスト(対比)の強調も控えめ。

   

いずれにせよ、最近の文化の世界や評価が、多様性や格差というものを非常に重視してるのは間違いない。そして欧米では特に、攻撃的な姿勢や表現、活動が好まれる傾向がある(日本は逆に抑制的・同調的)。

  

おそらく、下から上への非常に激しいアプローチをコメディとして扱ったところが、欧米での絶賛につながったんだろう。日本では、カンヌとアカデミー賞の影響で評価が急上昇、一般化した感もある。この世界的流れが、特に日本社会で現実的にどう影響して来るのか。今後の社会全体の動きにも広く注目してみたい。

   

以前、半分ほど見た韓国ドラマ『冬のソナタ』も激しい展開だったなと振り返りつつ、今日はそろそろこの辺で。。☆彡

   

      (計 2888字)

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雨と傘~『帰ってきたウルトラマン』第33話「怪獣使いと少年」レビュー(脚本家・上原正三氏追悼)

上原正三という脚本家の名前は存じ上げなかったが、朝日新聞でゴーンの記事の下に訃報が載ってたから、たまたま目に留まった(2020年1月9日・朝刊)。

  

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1月2日、82歳で死去。沖縄県生まれ、円谷プロに入社後、フリーに。子供向けの作品の中でも差別や戦争など硬派のテーマを扱う作風に定評。朝日新聞は翌日、1月10日・朝刊の看板コラム「天声人語」でも、上原氏と代表作に触れてた。

   

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氏の代表作のタイトルをそのまま書名にした評論、切通理作『怪獣使いと少年』を引用。関東大震災で、デマにあおられて朝鮮人虐殺が起きた。「人の中には、いつそういう風に変わるかわからない面がある」と、上原さんは後に語ったそうだ。アマゾンより

  

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(☆20年1月18日追記:朝日新聞デジタルに、「最大問題作『怪獣使いと少年』 琉球人・上原正三の怒り」と題する記事が掲載された。亡くなる8日前の取材インタビュー。)

   

  

    ☆     ☆     ☆

私は別に、左派・リベラルでもなければ、反戦平和活動家でもない。ただ、元々は子ども向けの特撮ヒーロー番組でそんな微妙な題材を扱ったという話に興味を持って、ネット検索。

    

すると、円谷プロが無料で代表作を特別公開してるという、ねとらぼの記事がヒットしたので、早速リンクから飛んで作品を拝見。配信サイト、TSUBURAYA GALAXY(円谷ギャラクシー)の特設ページ

  

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確かに、名作というか異色作というか、インパクトは冒頭からエンディングまで強烈だった。同時期の円谷プロの作品には他に、知る人ぞ知る幻の「欠番」が2本あるが、 それらとは違って、『怪獣使いと少年』なら堂々と無料ネット公開できるようだ。最大のポイント、違いは、差別される側、虐げられる側に寄り添う姿勢が鮮明かどうかだと思う。

    

折角、拝見したので、素人のブロガーなりの感想を簡単に書いてみよう。既にネットには、マニアックで詳しい記事も掲載されてるが、それほど被らないレビューを試みる。度々書いてるように、あらすじ・台詞、裏話その他、言葉や記号の情報はそれなりにあるが、映像自体の分析というのは僅かなのだ。

   

   

     ☆     ☆     ☆    

『帰ってきたウルトラマン』(1971~72年)というのは、狭い意味での「ウルトラ・シリーズ」の4本目。『ウルトラQ』(66年)、『ウルトラマン』(66~67年)、『ウルトラセブン』(67~68年)に続く作品だ。同時期の『キャプテンウルトラ』や『怪奇大作戦』とは内容的に離れてる。

  

第33話『怪獣使いと少年』の放送日は、ウィキペディアによると71年11月19日だから、沖縄返還の前年(半年前)。一方、環境庁(今の環境省)が設立された年でもある。だからこそ、番組にも、異邦人みたいな微妙な立場や公害問題が前面に押し出されてる。上原氏の名前も、プロデューサー・円谷一氏やウルトラマンの影絵と共に強調。

    

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この記事での注目点に合わせて、まず簡単にあらすじをまとめとこう。ある雨の日、少年が巨大魚怪獣ムルチ(冒頭のタイトルバック表示)に追われて、水たまりと泥の中に倒れ込む。助けたのは、地球の調査に来てた宇宙人で、光線によって怪獣を地底に(?)封じ込める。つまり「怪獣使い」とはこの宇宙人のことで、暴れる巨大魚を生かしたまま隔離してくれたのだ。

      

少年は、河原の廃屋に一人で住む少年で、「サクマ・リョウ」(佐久間良)。北海道江差の出身で、母と死別。東京の出稼ぎで行方不明になった父親を探してるらしい。宇宙人はメイツ星人(英語のmatesは仲間という意味)で、「カナヤマ」(金山)さんと呼ばれてる。2人は超能力者とか宇宙人とされ、周囲から虐待された末に、宇宙人は警官に射殺される。

  

その途端、封印を解かれた怪獣が復活。防衛チームMAT(マット)に所属する主人公・郷秀樹(団次郎)はウルトラマンに変身。豪雨の中、怪獣を倒す。その後も、少年は河原で1人、地面を掘り続ける。宇宙人が隠した宇宙船を見つけようとしてるらしい。宇宙なら、優しかったメイツ星人と再会できるかも知れない。悲惨な地球から、自分も早く逃れたい。。

   

   

    ☆     ☆     ☆

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では、映像に注目してみよう。監督は東條昭平。冒頭も、終盤の見せ場であるウルトラマンと怪獣の闘いも、豪雨と灰色のどんよりした雲に囲まれてる。明るく元気な歌声と色調のタイトルバックから、いきなり急変するのだ。

    

少年はいきなり泥水に倒れ込むし(上図)、少し後には、いじめっ子達の手で地面に埋められて、頭だけ出した状態で泥水を浴びせられる。戦争その他での、虐殺や拷問のイメージ。

   

いじめっ子達が少年を差別する時のポイントの一つは、「顔」。当時見てた子供たちには分からなかったと思うが、現代の大人が見れば、東アジア系の特徴に気付く所か。「カナヤマ」という苗字も、出身地や民族をほのめかすもの。

    

宇宙人の顔は最初から奇妙だし、その後、工場や自動車の煙(汚れた空気)の悪影響でさらに醜く崩れる。ボロボロの廃屋や身なり(貧しい服装、破れた傘)も含めて、外見的に違いがあるのだ。

   

それに加えて、奇妙な行動や能力もある。少年は1年間も穴を掘り続けてるようだし、いじめっ子が廃屋に侵入すると、1人が空中に浮いてしまう(真空投げ?)。いじめっ子の犬が少年を襲った直後には、犬がなぜか爆死した。他にも似た事はあった感じだ。

    

どれもおそらく、宇宙人が少年をかばって、特殊なやり方で激しく反撃したもの。つまり差別の原因・理由・キッカケは、単なる見た目からの偏見やデマだけではなく、事実も関係してるのだ。その辺りの複雑で微妙な問題は、朝日の教科書的なコラムでは触れられてない。

       

ただ、上原氏には事の複雑さがよく分かってたはず。悪人と善人は、別人ではない。誰もが両面を持ってて、善と悪の中で揺れ動くわけだ。自分の考えや、無意識の欲望・攻撃性に動かされて。また、周囲を取り巻く集団心理や同調圧力、偏見や固定観念に影響されて。悪と善という観念も、ハッキリ区別できるものではない。

   

   

    ☆     ☆     ☆

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宇宙人の反撃は、自分の身体を痛めつける公害に向けられてた側面もあったと解釈可能。というのも彼は、地球の風土・気候を調べるためにやって来た、と語ってたから。上図は冒頭のキャプチャーで、中盤でも排煙が強調されてた。

   

そもそもメイツ星人の調査の背景には、地球への移住計画があったとも考えられる。実際、現実の地球で月や火星を探査してるのも、単なる知的好奇心だけではなく、地球のために役立てたいから。メイツ星人と現実の地球人は、利己的・侵略的な側面で共通するのだ。

  

実は「魚」怪獣にとっても、人間たちこそが環境破壊を行う侵略者だろう。だから、メイツ星人が殺されて復活した途端、高速道路を破壊する。人間社会への逆襲。実際その少し前には、工場の煙と共に、高速道路と車が映し出されてた。

   

舞台が川なのも、差別されがちな人々(ホームレスその他)が実際に住んでたりする以外に、水質汚染をほのめかしたいからだろう。深刻な現実的背景として、熊本・新潟の水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくの四大公害病、そして、『ゴジラ』シリーズを生んだ水爆実験もあった。

   

       

     ☆     ☆     ☆

全体的に暗い物語の中、救いの光として輝いてたのが、パン屋さんの陽気な娘、ヨーコ(陽子?)。少年が食パンを買いに行くと、商店街ではヒソヒソ話が流れて、パン屋の女性店主(おそらく母親)も少年に断る。トボトボ帰る少年の後を追いかける娘。同情は要らないと断る少年に、ちゃんと120円請求する。「売ってあげるだけ。だってウチ、パン屋だもん」♪

   

ちなみに偶然か必然か、パン屋だもんと2回繰り返された数ヶ月後、同じTBSの人気番組の主題歌で、「だって ぼくんち ケーキ屋なんだもん」と歌われてる(歌詞・多地映一)。

  

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「ありがとう、ありがとう」、「気を付けてネ」、「どうもありがとう!」。心温まるやり取りの中に、細かい映像表現も隠されてた。上のシーン。女の子が長い食パンをバッグ(紙袋)に入れてあげる時、少年は傘を差しかけてるのだ。もちろんこれは、娘が売ってくれた、パンという「傘」、困った時の助けに呼応したもの。

   

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その直後の映像は、もっと視聴者の目に留まらないものだろう。今度は後ろから、母親らしき女性がヨーコに傘を差しかけてるのだ。この女性店主も、決して単なる悪人ではない。店員のヨーコを大切に思ってるし、パンを売らなかったのも、近所の男の子(たっちゃん?)がひどい目にあったから。つまり、不審者から近所という共同体を守る行動、傘差しだ。

   

   

    ☆     ☆     ☆

人間を雨から傘で守ることには、良い面と悪い面がある。それが典型的に表れる問題こそ、沖縄の米軍基地や、日米安保条約。米軍による「核の傘」のおかげで(?)、日本は安全に防衛されてる(と思われがち)。しかし、逆に核や米軍をめぐる争いに巻き込まれるリスクもあるし、地域格差も生じる。現在の沖縄の多数派は、耐えがたいほどの不公平を感じてるのだ。

    

そう考えると、警官が宇宙人を撃ったピストルも、住民を守る傘。ウルトラマンが巨大な「魚」を焼き殺したスペシウム光線も、逃げまどう人々や街並みに対する傘。ドラマ全体が雨と傘をめぐるストーリーだからこそ、このレビューには「雨と傘」と名付けてある。ラストの映像も、破れた傘と哀しい音楽(BGM)だった。

   

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ウルトラマンという傘もある意味、「怪獣つかい」の宇宙人だが、「怪獣のあつかい」はメイツ星人ほど優しくない。共生とか多様性への配慮という意味では、ウルトラマンはメイツ星人に負けた。もちろん、男の子向けの特撮ヒーロー番組という制約がある中では仕方ないけど。昔の男の子に限らず、今の大人、高齢者でも、勧善懲悪のシンプルな話の方が人気がある。

   

   

    ☆     ☆     ☆

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最後に、雨には、周囲から降り注ぐ災難という意味の他に、自分が流す涙という意味もある。怪獣が退治された直後、雲の合間に僅かな晴れ間がのぞいたと思ったら、水溜まりの反射。そこに一滴落ちて波紋を広げた雫は、涙の象徴だろう。ウルトラマン、少年だけでなく、宇宙人、巨大な魚が流した涙。

   

なお、念のために確認してみると、同時期の円谷プロの問題作、『ウルトラセブン』の欠番(第12話)と『怪奇大作戦』の欠番(第24話)の脚本家は上原氏ではなかった。ここでは、これ以上触れないことにしよう。

   

まるで自殺か死刑を思わせるような、廃屋の不気味な縄の輪っか映像は、ギリギリの編集作業で不自然に残ったものだと想像する・・とだけ書いておく。『ウルトラマンメビウス』における続編(2006年、「怪獣使いの遺産」)についても、またいずれ。

   

ともあれ、心に残る数々の作品を残した上原氏に、あらためて合掌。それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

        (計 4381字)

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通販の宅配業者が届け先で荷物箱を放り投げる動画を見た感想

記事タイトルが長過ぎるけど、正確に書くとこうなる♪ 「いつ」「なぜ」、はともかく、「どこで」「誰が」「何を」「どうした」のか。ここで書きたいのは、そうした既に拡散済みの事実(の類)だけではなくて、あくまで私の色々な感想だ。

   

ちなみに、ウチでは普段、何かのサイトを使った時、いちいちリンクを付けてるけど、この記事ではあえて付けない。 その気になれば、ちょっと探せばすぐ出典をたどれるはず。今回の通販会社や配送業者がどこなのかというのは、重要ではない。Amazonでも楽天でも、クロネコヤマトや佐川急便でもその他でも、それほど珍しくはない事だろうから。

   

   

     ☆     ☆     ☆

私が最初に見たのは昨夜、Yahoo!トップページのトピックスの見出しだったと思う。超有名な通販会社の商品が放り投げられてる動画が話題になってるということで、私も時々使ってるから、すぐに動画をGoogle検索。

   

ヒットしたのは、コピー動画の類だけに見えたから、普通の検索やツイッターのリンクを辿ることで、元ネタらしきものを発見した。一般人の匿名アカウントのツイートで、まだ投稿から1日くらいしか経ってないのに、動画の再生回数は既に100万回超。

   

ドライブレコーダーらしき9秒の短い録画で、箱の飛距離は5mくらいか。着地後の転がりは含まないし、映ってない。重さは軽いはず。配達用のワンボックス・カーのナンバーは隠してるし、配達員の顔や姿は何となく一瞬見えるだけ(関係者なら分かるはず)。ただ、道沿いの看板の名前がハッキリ映ってるから、ネットでは直ちに正確に場所(住所)が特定されてた。

     

特定する作業がどの程度の手間なのかが気になって、検索とストリートビューを使うと、僅か30秒ほどで住宅街の動画が登場。画質もおそろしく鮮明で、もちろん無料、会員登録手続きとかも不要。

   

   

    ☆     ☆     ☆

アマゾンのヘルプらしき返信ツイートも拡散してたけど、元のものは直ちに削除されたのか、拡散してるのはコピーだけ(に見える)。先日書いた宇多田ヒカルの公式ツイッターでもそうだけど、投稿の削除の基準や手続きがどうなってるのか分かりにくい。禁止ワードの想像はつくとして、それ以外はどうなってるのかね?

    

ツイッター上の多数の感想を流し見すると、批判的なものが多いけど、配達員を擁護するような感じのものも少なくない。すぐ同意したのは、荷物の箱がなぜ大きいのか分かったというツイート♪ 私も前から、何であんなに大きなダンボール箱で送って来るのか不思議だったのだ。箱の体積(または容積)が、商品の数十倍だったりするから、効率が悪いなと思ったわけ。

   

ところが、箱を投げることが隠された前提としてあるのなら、ある程度大きい箱の方がリスク管理上、好都合。未確認情報だけど、配達の現場(倉庫、配送センター含む)だと普通に投げてるとか、海外だと普通だとかいう話も出てた。

   

   

     ☆     ☆     ☆

さて、見た目は確かにショックで印象は悪いけど、商品を投げるということがそれほど珍しい不祥事なのか、自分はやってないのか、と考えると、昔のアルバイトの1つを思い出した。

   

そこでは、商品は箱ではなくビニール袋かポリ袋に包まれてて、ヒモで縛られてる。それが次々に、トラックから店舗前の道路上に投げられてたのだ。飲食物ではないし、壊れ物でもない。傷や汚れも(ほとんど)付かないと思うし、もし傷や汚れが少しついてても(ほとんど)誰も気にしないような物だ。

    

従業員が隠れてコソコソと乱暴に扱ってるのではなく、当たり前のように堂々とやってて、通行人からの苦情やトラブルも無し。単なる日常の運送風景だ。もちろん、それを個々のお客様に渡す際には、投げたりせず丁寧にお渡しする。

   

今回話題の配送も、配達先の人(注文主)は直接見てないし、壊れ物でも無かったという情報も出てた。多分、大昔からずっとあちこちで起きてたことだと思う。私があの配達員なら投げないと思うし、注文主として「動画を見せられたら」怒るだろうけど。こっそり投げられただけなら、箱や商品に問題が起きてない限り、気付かないまま何ともないはず。

   

    

     ☆     ☆     ☆

というわけで、個々の配達員のマナーとか社会常識と共に、監視カメラとネット(特にSNS、とりわけツイッター)の重要性も改めて思い知らされる。    

   

人の行動には、良くない事もあるし、自分と他人で善悪の感覚が違うことも日常茶飯事。だから、自分が何気なくした事が他人のカメラで撮影されて、批判的に投稿されて拡散・炎上する可能性もあるわけだ。ほとんどの場合は無断で、突然に。

    

前から何度か書いてるように、今、自分の生活範囲を見ても、あちこちに監視カメラが設置されてる。駅、施設、道路、職場、etc。何の相談や許可もないし、映した映像を誰がどう扱うのかも知らない。それを調べようとしても、多過ぎてキリがないし、なかなか分からないはず。

   

それに加えて、例のあおり運転事故をキッカケに、一般の車のドライブレコーダーが一気に普及。おまけに最近の車は運転音が静かだから、知らない間に後ろから撮影される可能性も十分ある。というか、既に何度も映されてるはず。

   

  

    ☆     ☆     ☆

そうなると、外ではいつもカメラを頭に入れて行動した方が無難だし、本当にくつろげるのは自宅の中くらいか。特に、トイレの密室とか・・と書こうとして、そう言えばトイレによく盗撮カメラが置かれてることを思い出した。情報化社会というのは、いい意味でも悪い意味でも凄いなと思う。

   

今回、ツイッターをたどってる内に、他の刺激的なツイートや掲示板情報まで目に留まったけど、今日はもうこの辺に留めとこう。ではまた明日。。☆彡

   

       (計 2323字)

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給食持ち帰り教員の懲戒処分・依願退職と規則(文科省・学校給食衛生管理の基準&地方公務員法)

前から思ってるが、数あるネットメディアの中で、BuzzFeed(バズフィード)が最もしっかりした記事を載せてる。基本的にはやや左派のリベラル系だが、今回の記事もかなり中立的で、追求にも中身があった。トップの見出しは、「給食持ち帰った教員が懲戒処分」「衛生基準違反に基づくも『食品ロスはどうする?』と批判の声も」。執筆は岩永直子。

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第一報は19年12月25日の産経新聞HPの記事だろうか。「給食の残りのパン、牛乳31万円分を持ち帰る」「堺市教委、高校教諭を減給処分」。2015年から今年にかけて、廃棄予定の給食の「残食」(パン約1000コ、牛乳約4200本)を自宅に持ち帰ったとのこと。用務員に指示してたらしい。

   

6月に内部告発文書で発覚。11月に約31万円を弁済。12月25日の処分(減給3ヶ月、読売によると10分の1)を受けて同日、依願退職。夜間の定時制高校で、年齢は62歳らしい。

   

   

    ☆     ☆     ☆

市教委によると、「衛生上の問題というよりもルール違反であり、周りに示しがつかないので、一罰百戒とした。適切な処分だと考えている」。これはバズフィードの取材への返答だろうか。

   

これに対して、春風ちゃん=春名風花はツイッターで、「よい先生でしかない」「ルールが人を守るためではなく、本来の意味を失ったり、人を傷つけるためのものになってしまったら、私たちは臨機応変に対応したり、ルールの方を見直す時期に来ているのだと気づかなくてはならない」とつぶやいて、共感や好意的報道を集めてる。

   

ただ、公けの学校ルールに違反する先生は「『多少』悪い先生『でもある』」し、ルールというものは一般に、変更するのは大変で時間もかかる。手続きも面倒だし、なかなか全員の意見が合わなくて、落としどころが見つからないのだ。事なかれ主義や前例踏襲の傾向も根強い。

   

内部告発文書が届いたのだから、教育委員会がなるべく現在のルールに即した対応を取ろうとするのは自然なこと。無視とか却下する方がむしろ問題だろう。ルールの改善は、後で考えるべき別問題だ。ことわざ的には、悪法(?)もまた法なり。したがって、とりあえずの焦点はこの「ルール」にある。実は、法律ではなく「基準」で、罰則も付記されてないのだ。

   

   

    ☆     ☆     ☆

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1997年(平成9年)制定、「学校給食衛生管理の基準」、文部科学省。バズフィードは途中の項目にリンクを付けてたから、全体のトップにたどり着くのに苦労した。大体、お役所の文書というものは奇妙なほど探しにくい。サイト内検索をかけても、目指す文書がなかなか見つからないのだ。

   

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この「残食、残品」の基準を読むと、教員が持ち帰ったのは「残食」(=食べ残し)ではなく、「残品」(食べないまま残った食品)だろう。「イ  パン、牛乳、おかず等の残品は、全てその日のうちに処分し、翌日に繰り越して使用しないこと」。

    

児童生徒の残食はともかく、残品を教師が持ち帰ってはいけないとは書かれてないし、罰則の規定も(この基準自体には)ない。これなら、減給どころか、戒告、訓告の類よりさらに軽い、厳重注意で済ませても良かった気がする。

    

その上で、給食を用意する量を少し減らして適量へとコントロールすることを試みれば良かった。例えば、給食の根拠となる「夜間課程を置く高等学校における学校給食に関する法律を読んでも、人数分必ず用意するという決まりは書かれてない。もっと簡単なのは、余った分をその場で飲食する学生を募るとか(夜の定時制だとほとんどいないのかも)。

   

   

     ☆     ☆     ☆

26日の夕方にアップされた弁護士ドットコムの記事によると、堺市教委は取材に対して、「地方公務員法第32条と第33条に違反したため」と回答。

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まとめると、「基準」に従わなかったのは第32条違反で、全体として職の信用を傷つけてるから第33条違反でもあるということか。処分の背景として、堺市で96年に発生した給食食中毒事件(10000人弱が罹患、児童4人死亡)もあるとの事。流石に、弁護士ドットコムはバズフィードより更に中立的で法令順守の記事となってた。

   

   

     ☆     ☆     ☆

最後に、私自身の経験について。給食は小学校しか無くて、余った物は確かジャンケンで取り合ってた。残食(食べ残し)は、パンなら何度か持ち帰ったことはあるけど、基本的にはダメだったと思うし、持ち帰ると硬くなって(ますます)美味しくない。

   

一方、ホテルの勤務だと、前にも書いたように、ほとんど黙認で持ち帰ってた。たまに軽く注意される程度で、食中毒も含めて何も問題は生じてない。もちろん、持ち帰った物で腹をこわしたら自己責任だというのは分かってた。

   

話を戻して、私が一番気になるのは、なぜ依願退職したのかということ。その理由が、周囲からの有形無形の強い圧力なら、それはやり過ぎだ。直接的な「法律」違反ではないし、明らかに微罪で、むしろ共感を得ると分かってたはず。

   

二番目に気になるのは内部告発。筋は通ってるし、内部告発を批判する方が害が大きいのも確かだけど、文書で告発する前にもっと穏便に何とかならなかったものか。

  

まあ、情報も限られてるし、外部があまり追及するような問題とも思えない。とりあえず、自宅の食品ロスは極力なくす。ここに尽きるだろう。ではまた明日。。☆彡

   

       (計 2182字)

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街中の子ども・女性の無断撮影、不審者通報されるリスク(スマホ・携帯・カメラ・ビデオ)

朝日新聞デジタルで、たまたまトップにこの記事を見かけた時、色々と考えさせられた。“知らない大人に突然カシャ 「怖い」”、“無断撮影の通報多発”。執筆は、山根久美子記者、長谷川健記者。

  

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そう言えば、今年(2019年)の妙なプチ流行語として、「ガラケー女」というのがあった。あおり運転された被害者側の様子を、帽子とメガネで顔を隠した中高年女性がジッと携帯で動画撮影。あの姿は、かなりインパクトがあったからこそ、人違いのデマによる被害まで発生したほどだ。

   

無関係の一般人がニュースとして見るだけでも印象深かったから、あれを子どもや保護者(特に母親)が生身でやられたら、怖いと思っても仕方ない。その内の一部は、警察や学校とかに通報するだろう。

  

下は、大阪府警の防犯情報メール。日時、場所、性別、年齢、非常に細かく書かれてるから、監視カメラで特定するのは難しくないはず。この「不審者」というのは、容疑者や犯人と違って、誰でもなる可能性がある。単に、「他人に怪しいと思われた人」だから。大阪府警の通報は、10月だけで少なくとも38件。「少なくとも」とは、警察の記録も曖昧ということか。

  

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上の話は、誰かが意図的に特定の他人を映してる場合だから、分かりやすい。それはダメとか、止めといた方がいいということだ。

   

ただ、単に景色や群衆を映してる場合もある。テレビや新聞などのマスメディアでも、猛暑・酷寒・台風の時とか、通行人の様子を一瞬アップで映してる。まさかイチイチ、被写体の許可を得てるとは思えない。

  

私の場合、ブログでマラソンや自転車の大会写真を時々載せてるけど、個人は特定できないようにしてある。例えば先日の湘南国際マラソン。顔もゼッケンも、ゲートの時刻も分からないようにした上でアップしてるのだ。手前の撮影者たちの顔も写ってない。というか、写ってる場合は、縮小、トリミング(部分カット)などで対処するか、そもそも掲載しない。

  

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日常生活だと、電車でタブレット端末(iPad)を見てることが多いけど、カメラ部分を周囲の人に向けてないことが分かるように、なるべく下側、床に向けて使ってる。目の前にたまたま女性が座ってる場合は、ハッキリと角度を外して使うほど。

   

この種の話は、男性が圧倒的に不利だから、用心し過ぎるくらいでちょうどいい。単なる女性の勘違いや考え過ぎ、イタズラなどで、男性が盗撮や痴漢の冤罪に追い込まれたことが判明した後でも、女性の側が罰せられたという話は(ほとんど)聞かない。

   

もちろん、そうした非対称的(or不平等)な扱いの背景には、圧倒的に男性が加害者で、女性が被害者だという、犯罪統計的な事実もある。一般男性ができることと言えば、用心して自衛することくらいか。痴漢冤罪対策の弁護士保険なんてものもあるけど、その契約をすると多分、「何でそこまで?」と疑われてしまうだろう。自分にやましい所があるんじゃないか、とか。。

  

   

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朝日の記事の後半には、フォト(写真)コンテストの話も載ってて、興味深かった。自分で参加したことはないけど、たまに報道を見て気になってたのだ。肖像権、プライバシー、損害賠償とか、大丈夫なのかな、と。

   

一言でまとめると、社会の受け止め方がかなり変化したということ。昔なら、自分が無断で撮られた写真がコンテストで入賞してるのを見つけたとしても、喜ぶか驚くかであって、抗議・通報・訴訟はあり得なかったと思う。

   

ところが、個人や社会の感覚、あるいは法制度が変わって、アマチュア・カメラマンも苦労してるらしい。NPO法人「フォトカルチャー倶楽部」副理事長も、「写真マナー、特に子どもの写真撮影は、日に日に厳しい目が向けられていると感じています」と語る。

  

朝日は名前を出してなかったけど、拡大写真の文字をよく見ると、開催反対の署名運動まで起きてしまった写真展の名前が読み取れた。「声かけ写真展」。検索すると色んな情報が出て来る。例えば、法的問題に触れたJ-CASTの記事はこちら。2016年から開催されてる、「中年男性が女子小中学生に声をかけて撮影した写真の展示・販売会」とのこと。

   

私の感覚だと、よくそんなハイリスクな事をするなと思ってしまう。ただ、表現の自由とかの問題もあるから、直ちに全否定するつもりもない。単に、私個人は絶対に関わらないということだ。写真展を見に行くだけで危険を感じる。

   

   

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結局、もし撮影したければ、どうすればいいのか。撮影される人の社会的地位や活動、撮影場所や目的、写し方や必要性によって色々みたいだ。

   

一番簡単なのは、知らない女性(一人または少数)をハッキリとらえる写真を避けることだろう。実際に写さないだけでなく、写してるのでは?という誤解もされないこと。

  

いずれ、動物はもちろん、単なる物体の肖像権やプライバシーも問題になるかも♪ 少なくとも、美人ロボットは数十年以内に、注意すべき対象になると思う。それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

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