史実に基づく歴史物語~『激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官』(NHKスペシャル)

このブログでも何度か書いた気がするが、history(歴史)という言葉とstory(物語)という言葉は、語源的には同じものとされてる。

  

ラテン語のhistoriaから更に、古代ギリシャ語のイストリアまで遡ると、歴史、学ぶこと、学んだ人、調査したことの話・内容・・といった意味になる(英語版ウィクショナリー)。こうした語源的な説明自体もまた、歴史=物語の1つである。

   

要するに、物語と同様、歴史というものも、「事実」とか「真実」からは距離があるのだ。だから国際的にも、国家間の歴史認識、解釈の相違が大きな問題となる。見方によって、語り手によって、歴史物語は異なるものとなる。

   

   

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19年8月11日放送のNHKスペシャル『激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官』は、確かに手間暇かけた労作で、私は録画して繰返し丹念に見た。

  

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ただ、内容はもちろん、この番組タイトル「悲劇の・・」からして、再現ドラマ的な物語、お話の要素がかなり入ってる。それを踏まえて見ること、受け止めることが一番大切なことだと思う。上図、まるで救いを求めて必死に手を差し出すような、あるいは戦争を止めようとするような最後のカットを見ても、物語的な構成が見て取れる。

     

ある意味、当たり前の基本を改めて書く所から始めるのは、朝日新聞・8月16日朝刊の記者レビュー(河村能宏)の感想に、そうした姿勢が感じ取れなかったからだ。まるで、NHKが新たに見出した「真実」を「事実」として受け止めたかのように絶賛していた。「驚かされた・・突き止めた・・手に取るようにわかる」。まるで番組内で映された、日本軍・大本営発表の華々しい戦果を1面で大きく書く77年前の朝日新聞のようだ。

    

ちなみに先日記事にした浜崎あゆみの告白本は、冒頭からいきなり「事実に基づくフィクションである」と書いてた。この言い回しを借りるなら、今回のNスペは「史実に基づく歴史物語である」と言うべきだろう。史実そのものとか、真相ではなく。。

   

   

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最初に、NHKが語った物語のあらすじを書いておこう。

    

これまで、陸軍の精鋭部隊である一木支隊は、一木清直大佐の無謀な指揮によってガダルカナル島で全滅したかのように語られて来た。しかし惨敗の主な原因は、大本営の誤った認識、陸軍と海軍のズレ、陸軍内の指揮系統による命令、日米の圧倒的な兵力の差によるもので、一木も遺族も悲劇の犠牲者であった。。

   

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1941年12月の真珠湾攻撃が行われたアメリカ・ハワイと、連合国オーストラリアを結ぶ線上に位置するガダルカナル島。ここで制空権を握ろうとして、日本は空港を整備していた。図の左上に半分だけ見えてるのが日本列島で、約6000kmの距離。ガダルカナルの北西1000kmのラバウルには、日本軍の司令部があった。

   

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そこへ1942年8月7日、アメリカ海兵隊の1万人が来襲、空港を占領。当時、ガダルカナルには、海軍警備隊150人と1個中隊(数百人くらいか?)、設営隊2500人がいたそうで、合計すると3000人レベルだが、番組は彼らについてはそれ以上の説明をしてない。あくまで物語の主人公は、一木支隊の先遣隊916人。

  

日本の大本営はその日の内に、陸軍・海軍の緊急会議を開いて、太平洋では初の本格的共同作戦を開始。翌日8月8日の深夜、第一次ソロモン海戦で勝利。2ヶ月前のミッドウェー海戦での敗北に対する復讐を成功させた形となった。下は当時の朝日新聞の報道とされてた映像(本物かどうかは未確認)。「必殺の夜襲」、「米英連合艦隊撃滅」、「撃沈破」、「敵艦忽ち紅蓮の焔」。今の朝日の反戦的姿勢と比べると、興味深い。

  

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この海軍の勝利の陰に、致命的なミスがあった(とNスペは物語る)。もともと、島の飛行場への輸送部隊が攻撃目標だったのに、海軍は巡洋艦などへの攻撃を優先させて、輸送部隊を見逃してしまった。そのため、飛行場を占領してた米軍は兵器も食料も補給できた。

  

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だから、陸軍ラバウル司令部では「ヤリ方ナマヌルキコト多ク 全ク キガシレズ」と日誌で批判。ちなみに前後の映像をよく見ると、「多ク」と「全ク」の間で2行ほど飛ばされてることが分かる。だからこそ、上で「多ク」の右側を見えなくしてあるわけで、こうした史料の扱い方、映し方にも、番組の「物語」性が表れてるのだ。

     

他の場面を見ても、他のNスペを見ても、資料の実際の文面と映像の文字テロップがズレてることは多い。筋書に合わせて資料を編集し直してるわけで、専門書や専門論文なら普通、もっと慎重に扱うところだ。例えば、「多ク ・・・ 全ク」といった形で、点々を入れて省略を示すとか。

  

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その後、島の米軍が補強される前の「戦機」を逃してはならないということで、一木支隊の先遣隊916人が8月18日に無血上陸。飛行場の東35km、現在は美しいタイボ岬のビーチ。

    

直前のソロモン海戦の勝利が災いして、米軍の人数を過小評価してしまったらしい。実際は1万人以上だったのに、2000人とか。その点は大本営の陸軍も同様だが、ラバウルの司令部では8000人くらいいると見てた(参謀長・二見秋三郎少将)。

  

  

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一木・連隊長は、翌8月19日の朝8時30分、敵の様子を探るために偵察隊を派遣。ところが、既に米軍は無数のマイクや鉄条網で準備万端だったので、38人の将校・斥候(せっこう)が全滅。16時30分にそう伝えた伝令1人だけは、からくも逃げ切ったようだ。南の島のジャングルで往復計60~70kmを8時間で歩くというのは考えにくいので、かなり早めの位置で迎撃されたということか。

   

決定的なポイントは、次の判断と行動だろう。Nスペは次のように語ってる。一木は司令部と連絡を取ろうとしたのに、通信の中継役となるはずの海軍の潜水艦が任務を放棄して米軍空母に向かってしまったため、連絡を取れなかった。だから一木支隊は仕方なく、元々の命令に従って進撃を続けた。

   

流れとしては自然だが、番組をよく見返すと、連絡できる時間はあったように見える。伝令が逃げ返ったのが19日の16時半。空母の発見は20日の9時だから、潜水艦が離れる9時半前(?)までに17時間あるのだ。この間に連絡できなかったのだろうか? あるいは撤退できなかったのだろうか? 少なくとも番組では説明されてない。海軍史研究家・戸高一成の説明にも無かった。

   

   

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結局、原因や責任はさておき、後続部隊1000人の到着を待たずに進撃した一木支隊(CGの赤色)は、20日の夜から21日の朝にかけて「全滅」。米軍(青色)による十字砲火、戦車の砲撃、迫撃砲、戦闘機からの機銃掃射。「all enemy fire has ceased (?)」(敵の全ての攻撃は制圧された・・米軍資料)。

    

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直後にようやく海軍のゼロ戦が訪れた時には、既に屍が連なってた。・・という話はあったが、そのゼロ戦が反撃しなかったのかどうか、その際の戦闘は放送されてない。テレビドラマや小説と同様、主役と比べて脇役の扱いは小さいのだ。

   

   

     ☆     ☆     ☆

この全滅という言葉、番組では最初から繰り返し使ってたが、実際は916人中、その時に命を落としたのは777人との事だから、それが事実なら、85%だ。

    

残り15%の敗残兵は、その後の島で飢死したり病死したりしてるだろうが、生き残ってる人もいまだにいらっしゃった。お2人が実名と顔出しで登場、101歳と98歳。一木清直大佐の長女も、90歳でご健在だった。海軍の97歳の方は非常にお元気そうに話してた。

  

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一木支隊「全滅」の後もガダルカナル島の総力戦は続いて、結局、日本軍は15000人の死者を出した後、1943年2月に撤退。英語版ウィキペディアを見ると、19200人とされてる。

   

戦力を見ると、連合国軍が60000人以上、日本軍が36200人(陸軍)。人数的に倍近い差が示されてた。装備、兵器、補給・輸送体制も含めて、総力で負けたというのが事実に近いのだろうと思う。海軍のミスとか、連隊長の無謀とかではなく。

    

その意味で、海軍・宇垣参謀長の日誌『戦藻録』から、「陸軍を種とし囮(おとり)と」したとかいう部分だけが強調されたのは、番組全体の性格をよく表してた。ちなみにテロップは「囮となす」と言い切りの形になってたが、原文は「囮として・・」と続いてたように見えた。長い資料から一部だけ取り出して使う際には、全体との関連など、細心の注意が必要だ。

  

試しに宇垣纏(まとめ)を調べると、終戦の日に特攻機で沖縄に突入して戦死とのこと(ブリタニカ国際大百科事典)。彼もまた、悲惨な犠牲者の一人だった。

   

   

     ☆     ☆     ☆

ともあれ、8月の原爆の日、終戦の日あたりだけでも、こうした報道が行われるのは大切なことだし、我々も過去をじっくり顧みる良い機会だと思う。感想、解釈、行動など、個人的にどう受け止めるかは別として。

   

エアコン冷房の効いた家で、飲食物もある中で戦争番組を見ることへの罪悪感を抱きつつ、ではまた。。☆彡

   

       (計 3666字)

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「WGIP」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と『真相はこうだ』、占領軍GHQによる日本人「洗脳」?~保守vsリベラル

元の文献を自分で調べた上で記事を書こうとしてる内に、早くも

1週間が経過。まだしばらく余裕がないから、とりあえず軽い感想

記事だけでもアップしとこう。

 

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「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)と

いう言葉や問題を初めて知ったのは、18年12月5日の朝日

新聞・夕刊を通じてのこと。最初は完全にスルーした記事だが、

新聞を処分する前にもう一度流し見してる時、目に留まった。

現在、朝日新聞デジタルにも掲載中

 

左派・リベラルの代表メディア、朝日の記事では、次のような議論

にまとめられてる。

 

 ──占領軍の教育計画が、保守の論壇では、日本人に

 自虐史観を植え付けた洗脳のように語られてる。

 しかし歴史研究者・賀茂道子が当時の史料を調べたところ、

 洗脳とは思えないし、体系的な施策でもなかった──。

 

ただ、賀茂も「それなりに影響はあった」とみるそうだから、洗脳と

見るかどうかは程度の問題、主観・立ち位置の問題とも言える。

 

あと、朝日は書いてないが、今回の著書はどうも博士論文がもと

になってるようで、非常勤講師の彼女はおそらく、4月に名古屋大学

大学院を出たばかりだろう。若手研究者の1人の見解ということだ。

 

 

     ☆       ☆       ☆

この種の話題は、右と左が全く違う主張をすることが多いので、

まず全体のバランスを考慮する必要がある。

 

「war guilt information program」という英語

が実際どの程度使われてたのか、ハッキリしない。ただ、言葉の

意味は、「戦争の罪・罪悪感・有罪性を知らせる計画」だと考える。

 

運営システムが違うので一概には比較できないが、朝日のサイト

で「WGIP」を検索すると、実質的には2件のみヒット(今回の記事

含む)。どちらも洗脳という見方に否定的な内容だ。

 

逆に、右派・保守の代表メディアである産経新聞のサイトで検索

すると、73件ヒット。見出しと冒頭の引用だけに目を通すと、

ほとんど(全て)が洗脳されたという見方のような感じだ。

 

さらに、相対的には中立に近い日経とNHKも検索すると、どちらも

ヒット数ゼロだった。何とも分かりやすいメディア全体の構図だ。

 

 

     ☆       ☆       ☆

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AMAZONの「本」カテゴリーで、「ウォー・ギルト」を検索

すると、6件のみヒット。上段の中央が、朝日の記事が扱ってる

『ウォー・ギルト・プログラム: GHQ情報教育制作の実像』

(法政大学出版局、2018年8月)。左右、ほぼ半々か。

 

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同じアマゾンでも、「WGIP」の検索だと45件ヒット。右寄り

の書籍が並ぶのは自然なことで、朝日によると、「WGIP」と

いう略語は保守陣営が使うことが多いようだ。上図の右側の

本『閉された言語空間』(江藤淳、文春文庫)が、議論の出発点

の一つらしい。

 

最後に、「war guilt information program」をグーグル

の「語順も含め完全一致」で検索すると、ほとんどの結果は日本

のページになる。英語版ウィキペディアにも項目なし。というより、

その項目は日本版ウィキにしか存在しないようだ。

 

というわけで、この話が日本の右派・保守の好むものだという

点は確かだと思う。

 

ただ、そこから「右翼の偏見」とか「虚構」、「間違い」だと直ちにいう

ことはできない。敗北して占領された日本の側の保守だけが正しく

歴史を見てる可能性もある。

 

被害というものは一般に、被害者のみが最初は声を上げるのだし、

被害者がしばらく声をあげないとか、気付かないこともある。イジメ

や体罰、セクハラ、パワハラの問題がその典型だろう。。

 

 

     ☆       ☆       ☆

いずれにせよ、占領軍によるある種の「教育」が行われたのは事実

らしい。代表は2つ。新聞の全国紙の連載『太平洋戦争史』と、その

ラジオ放送版のシリーズ番組『真相はこうだ』。

 

前者はその後、中屋健一が書籍化(高山書院、1946年)。

これは確認しにくいが、後者の『真相はこうだ』は「再録」本が国立

国会図書館デジタルコレクションで全文公開されてる

「真実こそ如何なる国家にとっても最も強い同盟国である」。

 

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聯合(=連合)国軍最高司令部民間情報教育局編、ラジオ放送

『質問箱』の再録、『眞相はかうだ』第一集(連合プレス社、

1946年)。

 

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     ☆       ☆       ☆

全体を軽く眺めると、戦争の細かい説明が多い。個々の戦闘・展開、

有名な戦艦、個別の軍人など。そのため、個人的にはそれほど

「洗脳」というイメージは受けなかった。

 

原子爆弾に関する説明は、日本の被爆者らへの配慮もあるのか、

かなり中立的なものに感じられる。つまり、原爆投下の負の側面が

少なからず記されてるのだ。天皇への言及も慎重。「侵略」という

言葉の説明も、英語の辞書を用いて淡々と短く行われてる。

 

ただ、アジアの各国・地域との関係、いわゆる「南京大虐殺」問題

など、かなり論争になりそうな記述もあった。それについてここでは

引用しないので、原書とその後の膨大な歴史研究に任せよう。ここ

では1つだけ、引用する。日本が負けた理由。

 

 

      ☆       ☆       ☆

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本書の冒頭。「今次大戦で日本が鋭鋒をくじかれ、守勢に転じた

のは何時頃ですか 又その理由は何でしたか お知らせ下さい」。

 

理由の第一は、想定外だったドイツ敗北。第二は生産力不足に

よる兵力逆転、優勢から劣勢への転落。第三は、科学力でアメリカ

に劣ってたこと。

 

大なり小なり反論・修正できなくもないだろうが、少なくとも洗脳と

いうほどの極論は書かれてない。書き方の点でも、感情的、扇動的

なものではない(南京などの項目は別)。

 

 

      ☆       ☆       ☆

大きく見た時に、『真相はこうだ』の分かりやすい欠点は、連合国

側の当時と過去の問題点が大幅に省かれてることだと思う。

 

日本にももちろん、様々な問題があっただろう。では戦勝国側は

どうだったか。それと日本と比べると、あるいは合わせて考えると、

相対的・総体的にどうなのか。別に問題のすり替えとか責任転嫁

などではなく、冷静な包括的議論が必要なのだ。実際、司法裁判

でも、法と共に過去の事例、判例というものが重視される。

 

とりあえず穏当な感想・意見を書くなら、当時こんな教育もあったと

いう事くらいは知る価値があるだろう、ということになる。その教育

の評価・吟味、他の施策との関係や、現在までの社会的影響に

ついては、また別の話だ。

 

真相はこうだ・・と語るのは、何時、誰にとっても非常に困難だろう

と痛感しつつ、今日のところはこの辺で。。☆彡

 

           (計 2632字)

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「どうしても記憶しなければならない」戦争、各種報道の感想

平成の天皇は皇太子時代の昭和56年(1981年)、「どうしても

記憶しなければならない四つの日」として、沖縄戦終結の日

(6月23日)、広島原爆の日(8月6日)、長崎原爆の日(8月

9日)、終戦記念日(8月15日)を挙げてたそうだ。

 

この逸話、あちこちで見かけるが、出典はなかなか明記されてない。

バズフィードの記事(執筆者・石戸諭)によると、河西秀哉『明仁

天皇と戦後日本』が出典(の一つ)、元は日付け無しとのこと。

 

4つの日の内、3つは8月前半に集中してるから思い出しやすいが、

沖縄は日付けが離れてるし、本州の人にとっては場所も離れてる。

その辺りは、意識的に思い出す努力が必要かも知れない。

 

個人的には、家族で沖縄に旅行した時、戦争関連の場所をタクシー

で回って、父親が珍しく涙ぐんでたのをよく覚えてる。将棋と野球

しか興味なさそうな人間だったから、印象深かった。。

 

 

     ☆       ☆       ☆

実際にはメディアは8月前半から中旬にかけて、戦争関連の情報

を集中させることが多い。

 

朝日新聞だと今年(2018年)、「記録と記憶 消された戦争」と

題する短期シリーズを掲載。敗戦時には既に8月14日の時点

で、公文書の焼却が命じられたが、こっそり隠し持ってた方も

いらっしゃるようだ。行為の良し悪しはともかく、残された機密

文書は今となっては貴重な歴史資料だろう。

 

日本兵の心の傷(トラウマ)は、あってはならない恥として、

無かったかのような扱いになってるという指摘も興味深かった。

つまり、本来ならPTSD(心的外傷後ストレス障害)として扱う

べき症状が、統合失調症などと診断されてるというのだ。

 

精神医学の世界で戦争神経症の話が出る時、欧米の話ばかり

なのは不自然だと私も思ってたから、なるほどと一応納得。ただ、

実証的な医学的裏付けは困難で、不可能に近いかも知れない。

73年前というのは古過ぎて、記憶も客観的証拠も僅かのはず。

 

 

      ☆       ☆       ☆

だからこそ、戦争の記憶をこれ以上風化させない社会的努力も

必要になるが、時代の変化が激しい現在、驚くような試みもある。

 

8月15日のNHK『おはよう日本』の報道には、思わず苦笑して

しまった。まず、茨城県の旧・特攻隊訓練施設に作られた資料館、

「筑波海軍航空隊記念館」。ピンクのミニスカートにニーハイを

履いた萌えキャラの女の子が、VR(バーチャル・リアリティ)

体験へと誘ってる。ゼロ戦飛行で、戦艦大和も見えるらしい。

 

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記念品の若者狙いも過激だ。

 

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先日、福島第一原発の記念品(写真をまとめたクリアファイル)

が1週間で販売中止に追い込まれたのを知る人間にとっては、

こちらの方が遥かに不謹慎のようにも感じられるが、批判は僅かで、

多くの若者で賑わってるとのこと。5年で20万人の来館者の平均

年齢は30代。

 

 

      ☆       ☆       ☆

その後さらに、戦艦を萌えキャラに見立てたゲーム&アニメ、

「艦これ」(艦隊これくしょん)をきっかけに、本物の戦艦の一部

(砲身)を引き上げた若者(20歳)も紹介。太平洋戦争の際、

ソロモン諸島で撃沈された駆逐艦・菊月だ。Googleで画像

検索すると、男の子ウケの良さそうな擬人化がズラッと並ぶ。

 

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カワイイという感覚は分からなくもないが、ここまで外見を変えた

2次元的創作物が、歴史的な3次元の実在と関係あるのか、関係

づけてよいのか、疑問も生じて来る。資料館の金澤大介館長は、

「知ってもらわなければしかたがないので、知るきっかけを与える

ため」だと説明。知ることは無条件で良いことだと考えてるわけか。

 

私としては、戦争とのこういった触れ合い方のプラス面ばかりが

強調されて、マイナス面が過小評価されてるようにも感じるが、

今の時代そういった批判はウケが悪いのだろう。しかし控えめに

言っても、ゲーム・アニメ・漫画と現実の間の埋め方には十分

配慮すべきだ。

 

ちなみに今日の朝日新聞デジタルは、戦争遺跡がインスタ映え

やイベントのポイントと化してることを、微妙な表現で伝えてた。

笑顔でピースとかする写真が拡散してるわけか。。

 

 

     ☆       ☆       ☆

最後に一言、日テレ『ZERO』の桐谷美玲のコーナー、「ハッシュ

タグ」について。人間魚雷「回天」について、山口県周南市の

記念館から伝えてた。

 

その中で、回天による攻撃の効率が悪いというような話が出たが、

それを示すためには、少なくとも他の攻撃の効率と比較する必要

がある。番組では比較は無かったし、私がちょっと調べてみても

そう簡単には言えそうもない。

 

あと、効率が良い攻撃ならいいのか?、という疑問も湧く。無人

攻撃機の爆撃やミサイル、AIロボットの攻撃ならいいのか。人命

をかけるのなら、自爆テロのような攻撃(爆弾を持って戦車に

突撃?)が効率良いとされる可能性もある。

 

別にあら探しをしてるわけではないし、悲惨な戦争を繰り返さない

ための報道(または主張)だというのも分かる。ただ、このコーナー

の「効率」の話について(ほとんど)誰一人としてツイートしてない

のが気になったのだ。先日、LGBTの「生産性」については大騒ぎ

になったのと比較して、この静けさは何なのか。

 

ネット・SNS全盛、多様化とスピードの時代、何が受け入れられて、

何が拒絶されるのか、本当に分かりにくくなって来た。やがて来る

AI全盛期には、そんな人間的な困難も一瞬で消え去るのだろうか

・・などと考えつつ、今日はそろそろこの辺で。。☆彡

 

            (計 2196字)

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オバマ米大統領の広島演説、全文の感想(英語&日本語訳)

(☆16年6月3日の追記 : 関連する新たな記事をアップ。

  オバマの広島演説推敲、「能力」を「手段」に変更&プチ自転車 )

 

 

         ☆          ☆          ☆

私の小学校では、夏休みの8月6日は登校日だった。校庭でラジオ体操を

した後、家に帰って朝ご飯。少しドキドキしながら、再び学校へ向かい、半

月ぶりにクラスのみんなや担任の先生と会う。面倒と言うより、楽しい思い

の方が強かった気がする。

 

もちろん、その日の授業は楽しいどころか、重々しくて分かりにくいものだっ

た。社会見学として広島訪問があったし、原爆(ピカドン)が恐ろしくて悲惨

なものだというのは何となく分かる。午前8時15分に始まる、1分間くらい

の黙とうという儀式も、お葬式や墓参りの延長として、みんな真面目に行っ

てた。ちょっと薄目を開けて、先生に注意されたりしながら。

 

ただ、ケンカでやり過ぎた生徒は、先生に厳しく叱られるのに、戦争でやり

過ぎたように感じられる米国は、それほど叱られない。

 

日本が先に手を出した形の真珠湾攻撃と比べても、広島や長崎の被害は

遥かに大きいけど、遥か昔の話だし、米国の方が日本より強いからかな。

口ゲンカももう止めようってことかな。。当時は、そんな感じでモヤモヤして

たと思う。

 

子どもにはまだ、日米安保とか同盟関係、核の傘、国家間の対立と防衛、

米国における原爆正当化論の強さなど、分かってなかったわけだ。今でも

分かりにくいくらいだから。

 

ちなみに下は、少し手伝ってもらいながら、オバマ大統領が自分で折った

という折り鶴の写真。読売新聞HPより平和と公益性のためにお借りした。

赤系と青系で、赤系が前側に位置。何気に、よく考えられてる構図だ。

 

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          ☆          ☆          ☆

さて今回、2016年5月27日に実現した、現職の米国大統領の広島訪問。

細かい違いはあっても、多くの反応は好意的なものになってる。米国でも

そうだし、日本や広島はさらに歓迎ムード。右派、左派、中立派の違いはあ

まり関係ない。反対や批判も一応あるけど、目立つほどでもない。

 

私もオバマ米大統領を歓迎するし、少なくとも今の時点で、謝罪を求める

考えは無い。謝罪が嫌で広島を避けるより、謝罪なしで広島を訪問する方

が、一歩か二歩、現実的な前進なのだ。たとえ平和記念公園に、核攻撃の

許可装置(フットボール)を持参してたとしても、仕方ないこと。残念なのは、

僅か1時間半ほどの訪問だった点くらいだ。

 

仮に今回、オバマの個人的判断で、即興の謝罪を示してたら、米国の対日

感情が一気に悪くなっただろうし、今後の大統領選や対日政策にも影響して

ただろう。東アジア、特に中国も黙ってなかったはず。「日本は被害者であ

る以上に、加害者だ。南京を忘れるな」、といった感じか。

 

というわけで、以下のオバマ広島演説を読んだ感想は、個人的な批判とか

反感を示すものではない。単に、政治的・歴史的に重要なスピーチの中身

を、英語原文と日本語訳で具体的にチェックしてみるということだ。

 

使ったのは、今日(5月28日)の朝日新聞・朝刊。他のメディア報道との比

較まではほとんど行ってないので念のため。朝日新聞デジタルにも日本語

英語 で掲載されてる。訳文の全文閲覧には、無料か有料の会員登録が

必要。読売新聞HPの訳文なら現在、無料公開中。

 

 

         ☆          ☆          ☆

日本語で4000字弱となってる全体を、小学校低学年向けにザックリ超訳

するなら、次のような感じだろう。

 

  「わたしたちは、広島や長崎の原爆を忘れず、 

   戦争を止めて仲良く平和にくらすことを目指しましょう。

 

46字だ。これが100倍近くになってるのだから、ある意味、冗長という見方

はできる。ただ、それほどインパクトも無い抽象的な内容よりも、肉声の語り

を長く響かせること自体に意味があった。世界のトップに立つ人間が、17分

間という時間、じっくり世界に平和をアピールするだけでも貴重なことだ。

 

もちろん、100倍になるのは、過去から現在に至る社会・政治・戦争・歴史・

科学技術などを語る内容だからでもある。ただ、それはまとめであって、新し

い内容はほとんど無い。おそらく、米国人にとって目新しいのは、序盤にあっ

た、「十数人の米国人捕虜を含む死者を悼む」という言葉くらいだろう。

 

 

          ☆          ☆          ☆

では、一番最初の文を引用してみよう。

 

  Seventy-one years ago,on a bright,cloudless 

  morning,death fell from the sky and the world

  was changed.

 

  (朝日の翻訳) 

  71年前、明るく、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、

  世界が変わってしまいました。

 

これだけでも注目すべき語り口だ。要するに、自分たち米国が原爆を落とし

て世界を変えた、という話を、巧みに言い直してるのだ。米国とか連合軍な

どを主語にせず、死や世界を主語にする。

 

ただし、「world was changed」という受け身の英文は、直訳するなら、

世界は変えられた」となる。これだと、「何によって? 誰によって?」とい

う、変えた兵器や主体への問いにつながるわけだが、それを「世界が変わっ

てしまいました」と、自動詞の完了形のように訳してるので、中立的な文に

なってる。

 

実は、スピーチの最後の段落も、似た英語で始まってるのだ。

 

  The world was forever changed here.

  (朝日の訳) 世界はここで、永遠に変わってしまいました。

 

やはり、元の英語は「変えられた」、訳文は「変わった」となってる。試しに

読売の訳を見ても同様だった。まあ、「世界は変えられた」という日本語は

慣習的に不自然だから、妥当なところか。

 

ちなみに、「was changed」という英語の例文を検索してみると、一般に

堅い場面で使われる表現のようだった。

 

 

         ☆          ☆          ☆

71年前に世界を変えた主体や核兵器を遠回しに語る傾向は、他にも確認

できる。「we」「our」「us」、我々という、人類全体なのか自分たちなのかが

曖昧な代名詞の多用が最大の特徴。ただ、分かりやすいのは「atomic 

bomb」(原爆)という連語が僅か一度しか使われてない点だろう。

 

日本の感覚なら、広島と言えば「原爆」。これを「核兵器」と言ってしまうと、

抽象的・一般的な話になるし、左派=リベラルなどの反核運動のニュアン

スも出て来る。71年前の特別な経験はやはり、原爆なのだ。

 

オバマの声明でたった1回、原爆と語ってる長い文も興味深いので、引用

してみよう。

 

  We see these stories in the hibakusha,the

  woman who forgave a pilot who flew the 

  plane that dropped the atomic bomb,because

  she recognized that what she really hated 

  was war itself.

 

  (朝日の訳)

  私たちはこうした物語を、ヒバクシャの中に見ることができます。

  原爆を投下した爆撃機のパイロットを許した女性がいます。なぜ

  なら、彼女は本当に憎いのは戦争そのものだと分かっていたか

  らです。

 

 

          ☆          ☆          ☆

上の訳文。「ヒバクシャ」を一般的な言葉のように訳してるのは、ミスリーディ

ングな(誤解を招きやすい)ものと言えなくもない。原文の「the hibakusha」

は、直後の「the woman」とつながるものだから。ただ、これは英文自体が

わざと被爆者一般であるかのように語ってる側面もあるから、許容範囲か。

 

ちなみにこの個所でも、米国という言葉は入ってない。ギリギリの注意深い

表現を選んである。しかも、女性が許したという話を用いて、過去の悲惨な

対立から現在・未来の良好な関係へという、ポジティブな流れを作ってる。

 

なお、他にも朝日の訳文の中盤に、「原子爆弾」という言葉が1回使われて

るが、元の英文は「the bomb」(その爆弾)。ただし、このすぐ前の英文に

「splitting of an atom」(1つの原子の分裂)という表現があるから、原

子爆弾と訳す方が分かりやすいのは確かだ。

 

 

         ☆          ☆          ☆

他にも、英文と訳文の微妙な違いは色々あった。

 

特に重要な個所というわけでもないけど、日本語で読むと少し気になるの

が、次の文章。

 

  いつか、証言するヒバクシャ(被爆者)の声が聞けなくなる 

  日がくるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を 

  薄れさせてはなりません。

 

高齢の被爆者との初対面で、彼らの死とその後を意味する言葉を使うのは、

やや配慮に欠けてるような気もしてしまう。ところが、英語原文だとニュアン

スが違ってて、問題ない。

 

  Someday the voices of the hibakusha will no longer

  be with us to bear witness.But,the memory of the

  morning of August 6th,1945,must never fade.

 

要するに、「たとえ被爆者の声が消えても、記憶は決して消えない」という

英文で、意訳するなら、「被爆者はずっと生き続ける」ということだ。これな

らむしろ、高齢被爆者に十分配慮された文章と言えるだろう。

 

朝日の訳だと、被爆者は死ぬけど、我々が記憶し続けよう、という意味にな

るから、誤訳ではないにせよ、ちょっと引っかかる所なのだ。

 

実は全文掲載の前置きとしても、朝日は「記憶を薄れさせてはなりません」と

引用してた。だからむしろ、これは左派メディアとしての朝日の主張、社説が

入った訳文なのだろう。オバマ個人の反核の姿勢と共に。。

 

 

         ☆           ☆          ☆  

そろそろ時間なので、このくらいで終わりとしよう。次はやはり、安倍首相の

真珠湾訪問&演説という流れだろうか。

 

日本の保守派がどう反応するのか読みにくいけど、作家・塩野七生が強調

してたような品格とか品位を示す方がいいと思う。米国大統領が謝罪しなかっ

たのだから、逆に日本の首相だけが謝罪するというのも、考慮に値する。

 

国家や国民の成熟が問われてるのだ。ちょうど、オバマ演説と同じくらいの

字数に達した所で、今日はこの辺で。。☆彡

 

 

 

cf. オバマ大統領の広島訪問、米国の共和党(保守派)が批判しない理由♪

 

                         (計 4007字)

              (追記 86字 ; 合計 4093字)

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Boys,be ambitious(少年よ、大志を抱け)〜クラーク博士の大志=野心

文字通りの「非常」事態とはいえ、手抜き記事が4日も続いてるから、単なる携帯投稿でもう1本プラスしとこう♪ フォローになってないだろ!

たまたま読んだ読売新聞に、ちょっと面白い記事が載ってたのだ。15年10月4日の日曜版・よみほっと、トップ記事の名言巡礼シリーズ、「少年よ、大志を抱け(ボーイズ・ビー・アンビシャス) クラーク博士の言葉(1877年)」。

明治の初め、政府が米国から招いた博士は、札幌農学校(後の北海道大学)で1年近く指導。教え子との別れに言ったとされる言葉は有名だ。

この言葉、実は一つの文の前半で、後半は「like this old man」。読売の宇佐美伸記者による文全体の意訳は、「我が教え子よ、この老いぼれの私のごとく野心を持て」。

博士はまだ50歳か51歳だったから、老いぼれとは思わないけど、当時の平均寿命の短さも考慮した意訳かも。実際、9年後の1877年には亡くなってる。

この名言はその後、富や名誉よりもっと人間的に大切で崇高な境地を目指せ、といった感じで好意的に解釈されたけど、読売は疑問を示してた。

博士は名誉欲や金銭欲を否定してないし、知識人としても一流ではなかった。おまけにその後、大志=野心を抱き過ぎたのか、実業的に失敗。社会的信用まで失って人生を終えたとの事。

この説明は「逆向きの行き過ぎ」、悪く言い過ぎの可能性もあるから、後で調べてみようと思う。もちろん、結果的に失敗したからといって、大志を持ったことが全否定されるわけでもない。

ただ、名言とされるものは一般に、話し手と受け手の相互作用で成立するもの。もともと普通の言葉でも、素晴らしい言葉、深イイ言葉とされることが少なくない点については、今も昔も変わらないだろう。

読売の記事のラストは上手くまとめてた。「・・・が、それでも冒頭の一節は、自分も含め多くの道産子にとり、野太い心の支えであり続けた。誰がどう発したか、ではない。その言葉を大いなる励みとした、北辺という風土の結実だろう」。

個人的には、田舎から首都圏に出て来たばかりの頃、大志を抱いた少年の私に向けて先輩が投げかけた言葉が、印象に強く残ってる。

「少年よ、大した事ない」♪

残念ながら、いまだにこの言葉の呪縛から逃れることができないのであったf^_^; ま、大した事ないか、あるか、そんな区別こそが大した事ないのだ・・とか言うと、負け惜しみだと誤解されちゃうんだろうしネ(笑)
ではまた。。☆

 

                                      (計 1049字)

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長崎・原爆の日&仕事と脳トレに追われつつ自転車

(8日) BIKE 59.5km,2時間23分,平均心拍 136 

    消費エネルギー 1250kcal (脂肪 325kcal)

 

昨日、8月9日は、長崎の原爆の日。平和祈念式典では、安倍首相が「非核

三原則を堅持しつつ、『核兵器のない世界』の実現に向けて・・・」と挨拶した。

 

世界初の核攻撃だった広島と比べると、影が薄い印象もあるので、先日の

原爆記事に続いて一言だけまとめて比較しとこう。政治的立場に関わらず、

まだ忘れてはいけない出来事だから。

 

爆弾自体の(潜在的)破壊力は、長崎の方が上という話もある。一方、反応

(反核運動など)としては、「怒りの広島 祈りの長崎」という対比フレーズも

あるらしい。この態度の違いも、長崎の印象を弱めてるのかも知れない。良

し悪しはともかく。。

 

 

 広島 1945年8月6日 午前8時15分投下

     ウラン型原爆「リトル・ボーイ」 爆撃機「B-29 エノラ・ゲイ」

     死者数(年末まで) 約14万人 (76年、広島市が国連に報告)

 

 長崎 1945年8月9日 午前11時ごろ投下

     プルトニウム型原爆「ファット・マン」 爆撃機「B-29 ボックス・カー」

     死者数(年末まで) 約7万人 (50年の長崎市データ、国連に報告)

 

 

どうも、その後を含めた死者数全体のデータが見当たらなくて、14万人と

7万人という大まかな公式見解だけがよく使われてる。重傷者数などと考え

合わせると、広島・長崎の合計で約30万人前後だろうか。NHKのサイト

はいろんな数が示されてるが、公式見解を最後に挙げてた。

 

去年の朝日新聞の記事でも、14万と7万という数を掲載。この記事には、

米国の中・高校生用の歴史教科書だと犠牲者の扱いが小さいという問題を

指摘してあった。犠牲者数が半分以下だったり、書いてなかったり。放射線

の長期的影響も、ほとんど書いてないという話だ。

 

まあ、何事においても、人は良い点を強調して、良くない点は弱めて語る。

単純かつ重要、信頼できそうな数字データくらいは、みんなで共有すべき

知識だろう。原爆の被害が、原発事故の被害と比べると桁はずれに大きい

という点も、理解しておく必要がある。立場に関わらず。。

 

 

         ☆          ☆          ☆

先週18000字も書いてるし、時間が無くなったので、自転車については

一言だけ。もっともっと走りたいのに、お盆休み前の仕事に追われて、それ

どころではない・・・とか言いつつ、実はブログにも追われてたりする (^^ゞ

 

昨日、一昨日と、脳トレ系の記事(暗号、パズル)を2本書いたら、予想外の

時間がかかってるのだ(現在進行形・・)。特に昨日のパズルは、答を出すだ

けならそれほど難しくもなかったけど、解説記事用にあれこれ調べてるとや

たら面倒。しかも、応募締切の関係で、あと2、3回ちょっとずつ更新する予

定だから、まだまだ終わってない。図を書くだけでもダルイから、誰か代わり

に書いて・・って感じ (^^ゞ

 

150810a  ま、普段より問題が難しかったおかげ

  で、アクセスは一気に増えたけど♪

  左がここ8日間のアクセス数(青色)

  と訪問者数(緑色)。盆休みモードで

  減って来てたアクセス数が跳ね上がっ

  てるけど、訪問者数(UU:ユニー

クユーザー)はそれほど増えてもない。

 

関連する記事へと検索でアクセスして来た人が、そのものズバリの記事を

なかなか探し当てられなくて、あちこちクリックするから、アクセス数だけが

大幅に増えるわけ。至る所にちゃんとリンクが付いてるのにな。思い切り目

立つ形で。ドラマや理数系の記事も含めて、いつもの事とはいえ、ビミョー

ではある。。

 

とにかく、土曜はまた多摩川上流側で60kmだけ距離稼ぎして来た。あんま

しやる気もなかったから(笑)、スピードも心拍も控えめ。シーズン真っ盛りの

週末ってことで、自転車もランナーもかなり多かった。対戦成績は、30勝2敗

1引き分けって感じかな♪

 

平均時速は25.0km気温26度、湿度90%、晴時々曇はいいとして、風速 

2.5mがちょっとキツく感じた。ま、無事に走って帰宅するだけでも良しって

ことで。それでは、また明日。。☆彡

 

                                      (計 1650字)

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ポツダム宣言、玉音放送(原盤)、御文庫附属室・・&再びジム

JOG 4.4km,約30分,平均心拍 129 ; 約300kcal

RUN 2km,9分41秒,平均心拍 158,最大心拍 174 ; 138kcal 

BIKE 15.3km,27分,平均心拍 151,最大心拍 169 ; 603kcal

 

 

  堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・

  (耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・)

                       (昭和天皇の玉音放送、後半の一節)

 

恥ずかしながら、今日初めて、ポツダム宣言(Potsdam Declaration)とい

うものを読んでみた。これほど短くて明快な内容なら、もっと早く読んでおくべ

きだったと言えなくもない。

 

ただ、これをもし中学・高校時代に読んでたら、感情的に強く反発してた可能

性も十分あるから、大人になるまで読まなかったのは正解かも知れない。ま

してや70年前の当時、これを受け入れるのは、本当に「耐え難き・・・忍び難

き」ことだったと思う。

 

「ポツダム宣言」などというニュートラルな名前自体が、歴史に対する歪曲に

近い。「終戦」という言い方も時々批判されるが、「終戦」と「敗戦」は同じ出来

事の2つの側面を表す言葉であって、どちらにも重い意味がある。それに対

して、「ポツダム宣言」という訳語にはほとんど意味が無い。他には使われな

い地名が一つ入ってるだけだ。

 

原文は正式には、「Proclamation Defining Terms for Japanese 

Surrender」だから、直訳すると「日本の屈服のための協約を定める宣言」。

一言に縮めて、「屈服命令」とでも超訳した方が、遥かに内容に合ってる。

「降伏」という訳語でも語感が弱すぎるし、「服従」でもまだ物足りない。。

 

 

           ☆          ☆          ☆         

私が一番気になったのは、第10項の冒頭だ。英語版のWIKISOURCE(ウィ

キソース)から引用してみよう。

 

   We do not intend that the Japanese shall be enslaved

   as a race or destroyed as a nation,but ・・・

 

簡単な英語だが、ハフィントンポストの現代語訳は区切り方が少し変なので、

私が直訳しとこう。

 

  我々は日本人を、民族として奴隷化するつもりはないし、国家として壊滅

  させるつもりもないが・・・

 

宣言全体の内容を考えると、上の文は、「もし宣言を受け入れないなら、日本

民族を奴隷にする」と言ってるような感じさえある。もちろん、「そこまでは書い

てない」と言うのが普通の建前だろうが、最後の第13項の末尾では、無条件

降伏しないと「即座の完全な壊滅」(prompt and utter destruction)に

なると書いてるのだ。途中で「壊滅させるつもりはない」と書いておきながら。

「奴隷化するつもりはない」という言葉も、単なる建前、枕詞、圧力だろう。

 

今現在だと、国家間でこんな文章がやり取りされることは滅多にない。たまに

似たような表現を聞くことはあるが、その場合は、口にした側の国家が強く批

判されるわけだ。まして、核兵器をちらつかせながら、こんな言葉を突きつけ

るような国家は、(ほとんど)あり得ない。

 

という訳で、昭和天皇の玉音放送にはますます、表現できないほどの思いを

感じるのだ。戦後70年にあたり、宮内庁が8月1日に録音原盤を公表。私は

先に読売HPで聴いたが、朝日新聞デジタルの方が鮮明な音声に聞こえた。

朝日の記事は原文と現代語訳も一緒になってるので、便利でもある。

 

 

           ☆          ☆          ☆

1945年8月15日正午、日本放送協会(今のNHK)のラジオで読み上げら

れた、「大東亜戦争終結に関する詔書」。天皇の声の放送だから、玉音放送

と呼ばれてるわけだが、原盤の音声とされるものが本当の玉音かというと、

微妙に違うらしい。

 

8月1日の朝日新聞・朝刊には、「原盤は、専門家の協力で音声の再生に成

功した昭和天皇の肉声に近いものが再生されているという」と書かれてる。

 

「肉声に近い・・・という」だから、微妙で曖昧な部分があるのだろう。そもそも

「肉声」の定義も微妙だし、国民がラジオで聴いた声には遥かに多くの雑音が

混ざってたのが普通だろうから、今回のは「原盤」と言うより鮮明版、あるいは

側近版かも知れない。逆に不鮮明な声こそが、国民にとっての「原音」だろう。

 

簡単に経緯を振り返ると、3月に東京大空襲、6月に沖縄戦終結、7月26日

にポツダム宣言、8月6日が広島の原爆、8日がソ連の宣戦布告(日ソ中立

条約破棄)、9日が長崎の原爆。。

 

ここまでは一応、知ってたが、その先の細かい過程は知らなかった。10日か

ら、天皇、鈴木貫太郎首相、外相、陸相らが御前会議。天皇が決心を伝えて、

14日に最後の御前会議で決定。午後11時25分、天皇が宮内庁で2度、「詔

書」を読み上げて録音。15日未明、本土決戦を叫ぶ反乱将校らが放送を妨

害しようと包囲。何とか鎮圧した後、15日の正午に放送。。

 

 

          ☆          ☆          ☆

    朕(チン)深ク 世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑(カンガ)ミ 

    非常ノ措置ヲ以テ 時局ヲ収拾セムト欲シ 

    茲(ココ)ニ 忠良ナル爾(ナンジ)臣民ニ告ク 

 

    朕ハ帝国政府ヲシテ 米英支蘇四国ニ対シ 

    其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ ・・・・・・

 

150803a  左は、ウィキソースで公開されてる

  詔書の冒頭(パブリック・ドメイン=

  公的所有状態)。

 

  この冒頭はあちこちで見聞きして

  たが、その後の文章は「堪え難き

  を堪え」くらいしか知らなかった。

  言葉づかいが古くて難しいから、

  音声だけだと私にはかなり分か

  り辛かったが、「屈服宣言」にして

  は意外と自由かつ丁寧に語って

る感がある。

 

例えば、米英への宣戦は日本の自立と東アジアのためだった、というような

文章。今現在こういった事を話すと、相手によってはかなり強く拒絶するはず。

侵略戦争だと素直に認めて誠実に謝罪するべきだ、といった形で。

 

あと、敵は新たに残虐な爆弾を使用して罪のない人々を殺傷し、というような

部分も、全面的な屈服を認めた感は無く、むしろ怒りや無念さを感じる。もち

ろん米国ではその後も、原爆投下は正しい判断・行動だったというのが一般

的な考えらしいのだ。戦争を早期終結させ、被害を限定的なものに留めた、

鮮やかな戦術・戦略として。。

 

 

           ☆          ☆          ☆

それにしても、天皇の声からは、「朕」としての荘厳さや強い意志、凛とした

姿勢は感じられるものの、個人的で繊細な感情の揺れまでは分からない。

 

この時点ではまだ、戦争責任を問われる可能性があったはずだし、国内の

反発も予想される。内心では当然、それなりの覚悟をお持ちだったのだろう。

当時ご長男(今の天皇陛下)は栃木の奥日光へ疎開中。父親としての普通

の思いも当然あったはず。

 

今回、原盤がデジタル化されたので、今後は音声解析によって、隠された思

いが表に出て来るかも知れない。この箇所では涙が浮かんで言葉が僅かに

途切れてると思われる、とか。。

 

その意味でも、原盤の保存は重要だが、驚いたことに、天皇が「聖断」した

御文庫(おぶんこ)附属室(皇居の中央・西側あたり、旧・吹上御所近く)の方

は、手つかずの朽ち果てた状態。しかも、今後もそのままの方針らしい。朝日

の写真入り記事へのリンクはこちら。

 

御文庫とは防空施設で、そこから135mほどの地下道で北に進んだ場所に

あったのが附属室。特に会議室は当時、立派な部屋だったはずなのに、今

では崩壊寸前のように見えてしまう。皇太子さまや秋篠宮さまも、ヘルメット

姿で御覧になったそうだが、もはやヘルメットでは安全確保できないレベル

のように見える。

 

天皇が自らの玉音放送を聴いた場所でもあり、第一級の国宝、世界遺産と

言ってもいいものだから、早急に保全策をとるべきだろう。もちろん、原状(あ

るいは現状)をなるべく残す形で。

 

それとも、物質的なものに頼らず、心と知性でしっかり遺すように・・という、

天皇の意思=遺志があるのだろうか。我々、1人1人に向けて。。

 

 

          ☆          ☆          ☆

最後に一言、昨日のジムについて。気温30度、湿度75%。7年ぶり、第2回

ということで、気合が入ってたのに、日曜日の短縮営業を知らなかったので、

少ししか出来なかった。

 

それでも一応、ランもバイクもかなりの運動強度まで持って行ったから、良しと

しとこう。また近々、第3回にチャレンジする予定。ランニングマシンにも送風

機能があることが分かって、走りやすくなった。

 

運動を増やして食事を減らしたつもりだったのに、なぜか前回より体重が増

えてたのは衝撃かも。。それでは今日はこの辺で。。☆彡

 

                                     (計 3425字)

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日本の戦後は主権を回復した1952年から~佐伯啓思「異論のススメ」(朝日新聞)

かなり個性的な保守派の論客、佐伯啓思(さえき・けいし)については、6年

半前に1本記事を書いただけだが、朝日新聞に時々登場する時には読むこ

とが多い。左派の朝日が一番注目している右派のような感もある。

 

最近だと、2015年1月6日・朝刊に掲載された、「(安倍政治 その先に) 

保守を考える 佐伯啓思・京大教授に聞く」というインタビューが興味深いと

言うか、面白かった。安倍政権は保守層にとってわかりづらい。今の安倍さ

んは保守とは言い難い。(しかし?)基本的には期待している、等々。

 

朝日の記者・岡村夏樹による、安倍批判への誘導にはなかなか乗らない。

しかし、単純な安倍擁護とも相当異なる。議論の展開の仕方、屈折も含め、

ひと癖もふた癖もある論客だ。

 

今回ここで扱う、4月からスタートした新年度企画の一つ、「異論のススメ

でも、「いささか耳障りで、読後感がざわつくようなこと」を書いている。なるほ

ど・・とも思わないし、おかしいとも思わないが、自分で考え直したくなるよう

なキッカケを与えてくれる文章として、まずは成功だろう。

 

「異論や異説・・・・・・と出会うことによって、われわれの考え方は多少はき

たえられ」。その結果が保守への傾斜かリベラルへの傾斜か、あるいは

中道への回帰その他かはさておき。。

 

 

           ☆          ☆          ☆

3月末に京大を退職した佐伯が、毎月1回(原則として第1金曜)の新連載

の初回(4月3日・朝刊)に持ち出したテーマは、「日本の主権」、「本当に『戦 

後70年』なのか」。実は1月のインタビューでも、戦前、戦後の分かれ目の

辺りや、アメリカとの関係について、こだわりを見せていた。

 

佐伯の主張を簡単にまとめると以下のようになる。

 

   今年(2015年)は戦後70年だとされているようだが、その起点である

   1945年8月15日は「敗戦の日」であって、本当は終戦の日ではない。

   国際法的な意味では、戦争の終結は1952年4月28日、サンフランシ

   スコ講和条約が発効した日付けだから、本当は戦後63年である。

 

   45年から52年の間は、アメリカを中心とする連合国による占領の期

   間であって、日本には主権が無かった。主権をもたない国家が、主権

   の最高の発動である憲法を制定できるとは思えない

   (注. 憲法の公布は46年、施行は47年。)

 

   「押し付け」問題や、護憲・改憲・廃憲などについて議論する前に、そ

   もそも憲法の正当性が疑わしいという「原則論」をまず押さえておくべ

   きだろう。たとえ、68年間その憲法を擁して来たという「現実論」があ

   るにせよ。。

 

 

        ☆          ☆          ☆

さて、この異論について、憲法学者や政治学者なら直ちに反論(=メタレベ

ルの異論)を示す所かも知れないが、私が最初にやったのは、事実の確認

だった。特に2点。条約の原文はどうなっているのか。また、中学校の義務

教育や高校の日本史ではどう教えているのか。

 

条約の名前は、日本語の正式な翻訳だと、「日本国との平和条約」。英語

なら、「Treaty of Peace with Japan」だ。この条約名だけでも、根本的

に連合国の立場から書かれているのが分かる。ちなみに、平和条約と同時

に署名された日米安保条約では、「between ・・・ and ・・・」となっている。

つまり「米国と日本の間の」であって、一応ほぼ対等の名前なのだ。

 

ウィキソースで日本語原文を読むと、前文をのぞく一番最初には、次のように

書かれている。

 

   第一章・平和   第一条

   (a) 日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の

       定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との 

       間に効力を生ずる日に終了する。

   (b) 連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の

      完全な主権を承認する。

 

 

第二十三条とは、条約の批准について定めたもの。日本は51年11月に

素早く批准。米国の52年4月の批准後まもなく、発効となった。米国以外

の連合国は、もう少し早く批准したということだろうか。当時の日本の首相

は吉田茂、米国大統領はトルーマン。

 

ちなみに、安倍政権がらみで興味深いことに、条約内で主権(sovereignty)

についての説明は、ただ一つしかない。第五条、「国際連合憲章第五十一条

に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利」と、「集団的安全保障取極

(とりきめ)を自発的に締結できること」。これしかないとまでは書いてないが、

少なくとも憲法の自主的制定の権利のようなものには触れられていないのだ。

 

主権という言葉について、コトバンク(デジタル大辞泉、大辞林、世界大百科

事典その他)やウィキペディアを見ても、大まかな話しか書いていない。国家

統治権、他国からの独立権など。正直、解釈によっては、いまだに日本は

完全な(full)主権を持ってないとも考えられる。その良し悪しはともかく。。

 

 

         ☆          ☆          ☆

一方、国内の教育について。2014年発行の『社会科 中学生の歴史』(帝

国書院)を見ると、「戦争の終結」という項目で、1945年8月14日のポツダ

ム宣言受諾、15日の天皇のラジオ放送(いわゆる玉音放送)が挙げられて

いた。平和条約については、51年に結んで独立を回復とだけ書いてある。

 

ところが、そのすぐ下には、同時に結ばれた日米安保条約の話があって、日

本国内の米軍基地を認めたと書かれている。独立と米軍基地は別問題とい

うことだろう。

 

ちなみに、おそらく左派を中心に、日本は敗戦を終戦と言い張っている、といっ

た批判がよく行われている気がする。ところが中学の教科書で強調されてい

るのは明らかに「敗戦」。太字の項目名で2回、写真や引用文にも「敗戦」とい

う言葉が並んでいる(他の教科書は未確認)。メディアが語る、いわゆる「終戦

の日」、「終戦記念日」も、82年以降の正式名称は「戦没者を追悼し平和を祈

念する日」。この辺り、事実認識その他について注意が必要だろう。

 

続いて高校の参考書『チャート式 新日本史』(数研出版)や『日本史B用語

集』(山川出版社)も見てみたが、中学より詳しいものの、基本的な語り口は

同じだった。戦争終結は45年、平和条約(or講和条約)の発行は52年。憲

法は、連合国軍総司令部(GHQ)による草案を元にしたものの、単なる押し

つけではなかった、等々。。

 

 

           ☆          ☆          ☆

最後に、佐伯の主張に戻ると、問題なのは、結局、何が言いたいのか、何を

したいのか、という点だろう。

 

彼が語る原則論にはそれなりの妥当性があるが、68年間の現実的歴史を

持つ憲法の正当性を根本的に疑うことが正しいのか。私は別に護憲派では

ないが、要するに佐伯は、改憲の正当性を理論立てているように読めるの

だ。やや遠回しに、やや力づくで。

 

もし、そういった普通の主張でないのなら、佐伯は来月以降、原則論の先の

話や結論を語るべきだろう。たとえば、戦前と戦後の連続性を強調しつつ、旧

憲法(大日本帝国憲法)を再評価するとか、新憲法と旧憲法の折衷やバラン

スについて語るとか。

 

45年を境目に軍国主義が民主主義に変わったなどという見方は「物語」だと

語る佐伯なら、悪しき旧憲法が良き新憲法に変わったという「物語」の疑わしさ

について語っても不思議はない。

 

そうした異論によって心がざわついた読者が、正論や持論について考え直す

こと。その点にこそ、佐伯の連載の価値があるわけだ。ちなみに現在、個人的

には、今でも日本はやや占領状態のような部分、側面を持っていると思ってい

る。ただ、その良し悪しや今後の進むべき方向性については考慮中だ。

 

というのも、完全な独立とは単なる幻想、不在の対象への欲望かも知れないし、

部分的な占領状態より更に悪いものかも知れないのだから。

それでは、今日はこの辺で。。☆彡

 

                                    (計 3132字)

 

cf. 福田辞任を生んだのは我々の情緒性~佐伯啓思(京大)の問題提起

 

                         (追記 33字 ; 合計 3165字)

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お市の方の小豆袋、出典は本当に『朝倉家記』なのか~『信長協奏曲』第6話

今週の『信長コンツェルト』はパスするつもりだったけど、マニアの哀しい性

(さが)でズブズブと調べてしまったから、ごく簡単にまとめとこう。同種の記

事はネットで見当たらないから、ごく一部の方の参考にはなると思う。

 

先週、第5話の記事では、「お市の方」に関するウィキペディアの記述の間違

いらしきものを細かく指摘しておいた。「生涯」の段落のスタートがおそらく間

違ってる。『信長公記』に書かれてないことを、『信長公記』によれば・・・と書き

出してるわけだ。

 

今回も、事の発端は「お市の方」の項目の間違いだった。ドラマ第6話でかな

り強調されてた、お市の方からのビードロ入り小豆袋の知らせ。両端を縛っ

た袋で、挟み撃ちの危機を伝えてることに、恒興(向井理)が気付く。

 

と言っても、あれに気付かなくても、あまり信長(小栗旬)には影響なかったよ

うにも見えたけど、まあ面白くて有名なエピソードだから挿入したんだろう(ビー

ドロは創作)。フツーは俗説に過ぎないとされてるようだけど、面白い情報は

真偽に関わらず流通するのだ。

 

で、ウィキのお市の方の項目にはこう書かれてる。「『朝倉公記』によると、金ヶ

崎の戦いの折り、信長に袋の両端を縛った『小豆袋』を・・・」。ところが、この

『朝倉公記』なるもの、この項目でさえ脚注その他の箇所にないし、もちろん

原文も載せてない。ネットで検索すると、このウィキの文章のコピペの類ばか

りがヒットする。学問的なpdfファイルなどは全く無いのだ。。

 

 

            ☆          ☆          ☆

ここで諦めかけたけど、至る所で話題になってるということは、何らかの根拠

らしきものがあるはず。検索語を変えて色々探す内に、『朝倉公記』という書

名が間違ってることに気付いた。正しくは『朝倉家記』なのだ。実際、ウィキで

も、「金ヶ崎の戦い」の項目では「朝倉家記」と書いてある。

 

これは、世界大百科事典・第2版の説明をコトバンクHPで読むと、「『朝倉始

末記』の異本の一」つであって、富山県立図書館所蔵の『朝倉家録』所収と

のこと。『朝倉始末記』の数あるヴァージョンの中で、1976年に発見された

『朝倉家記』だけに、お市と小豆袋の話が書いてあるらしい。

 

141118b  この文書、実は『朝倉家録』全体と

  して、図書館HPが全文ネット公開

  してくれてるのだ。金ヶ崎の戦いは

  元亀・元年の四月と分かってるか

  ら、何とか探し出せるかと思ったけ

  ど、やっぱり古文書の文字はほと

  んど読めないし、見つからない。

 

  どなたか、読める方はチャレンジして

  みては如何?♪ 非常に有名な逸話

141118a  らしいのに、今現在ネット上で原文や該当箇所の

  情報は見当たらないから、貴重なお仕事だと思う。

 

  もちろん、実は「朝倉家記」に書かれてるという情

  報が間違ってる可能性もある。他の書物とか、そ

  もそも完全な作り話、都市伝説みたいなものとか。

 

 

      ☆        ☆        ☆

  江宮隆之の電子書籍『浅井長政』がGoogle

  ブックスで一部公開されてるのを読むと、「『朝

  倉家記』(『朝倉義景記』)という史料に書かれ

  ている」とされてる(ブラウザによって

  読める範囲が少し違うかも・・)。

 

ところがこの『朝倉義景記』という書名で正確に検索すると、『戦国軍記事

典』しかヒットしない。つまり、ほとんど使われてない名前なのだ。

 

141118d2   ちなみに江宮によると、小豆袋というのは、長政

   と仲良しのお市の方自身の裏切り行為ではなく、

   侍女・りくが間諜(スパイ)として勝手に信長に送っ

   たものだとされてる(小谷城下の商家を経由)。

   他に誰も書いてない話だから、独自研究か創作

   だろう。まあ、あり得ることではある。。

 

 

 

 

           ☆          ☆          ☆     

141118c  最後に、NHKでの仕事も多い静

  岡大学名誉教授、小和田哲男の

  講演録「戦国を生きた女たち~

  お市の方とその娘たち~」から

  長めに引用させて頂こう。元の

  文章には改行が入ってないの

  で、私の判断で改行を挿入した。

 

 

 

 

   「通説では、お市の方が例の小豆の袋ね、小豆の入った袋を両端

    縛って、ちょうど『袋のねずみ』ですよ。」っていう、暗に示した、

    陣中見舞いと称して送ってきたという話。

 

    これ、4年前の『功名が辻』の時も、私、「あれは多分、後世誰か

    が作った話だから、史実とは思えないんで止めましょう」って言っ

    たんです。

 

    言ったんですが、あの時は、「いやぁ面白い話だし、いかにもあ

    りそうだから、これやりましょうよ。」ということで押し切られちゃっ

    て、やったんですが、来年の大河ドラマでもね、このシーンが出

    てくるんですが、私はね、ちょっと今回はやはり無理だから止め

    ましょうよということをかなり強く言いました。

    で、どうなるかは見てのお楽しみ。」

 

 

NHKの看板ドラマでさえ、史実より面白さ優先だから、他は推して知るべし

だろう。実はここで小和田さえ、『朝倉家記』とか『朝倉家録』という書名を出

してないのも注意が必要だ。おそらく現代の文字に直してると思われる、富

山県郷土史会の書籍が近くの図書館にある方は、軽く読むだけでハッキリ

するだろう。

 

もしそこに書かれてなければ、単なるウワサ話の可能性が非常に高くなると

思う。今日はそもそもスルーするつもりだったから、短めにこの辺で。。☆彡

 

 

 

P.S. 第6話視聴率は11.9%。まあ、12~13%辺りが定位置だろうか。

     織田家の末裔と自称してるスケーターの織田信成は、タレントとして

     大人気とのこと♪

 

cf. 『信長協奏曲』第1話、軽~い感想♪

   『信長協奏曲』第2話、軽~い感想♪

   『信長協奏曲』第3話、軽~い感想(『信長公記』付き♪)

   ルービック・キューブ1面(+α)完成方法♪&『信長協奏曲』第4話

   『信長協奏曲』第5話、超軽~い感想♪

   『信長協奏曲』第8話、原作コミックとの比較など

   『信長協奏曲』第9話、短~い感想♪

   お市の方のInstagram&『信長協奏曲』第10話、原作コミックとの比較

   『信長協奏曲』最終回、軽~い感想♪

 

                                    (計 2377字)

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『信長協奏曲』第3話、軽~い感想(『信長公記』付き♪)

先週も20分遅れで見始めたけど、今週は更に仕事が伸びて、急いで帰宅し

たのに25分遅れになってしまった。『信長コンツェルト』、延長も無かったから

半分しか見てない (^^ゞ それでも記事を書いてしまう所が、ブロガー魂って

ものだ♪ 開き直りか!

 

まあ一応、ストーリーはつかめたつもりになってるけど、バンドエイド(絆創膏)

と辞世の句が分からなかったから、放送終了後、直ちにツイッター検索。これ

で合ってるのかな? いや、私は帰宅直後で、着替えたり、ロースかつを食べ

たりしてたもんで♪

 

   夏風に 揺れる生首 いとおかし

 

聞き取れなかったし、流れも分かってなかったから、私は「おかし」くなかった

んだけど、要するに番組冒頭で、濃姫(柴咲コウ)が信長をからかって口に

した俳句なわけね。これで30秒ほど時間稼ぎしてる間に、愛し合う池田恒興

(向井理)が助けに来てくれたと。2人とも宮本武蔵ってことか。両刀使い♪

コラコラ。

 

ちなみに、25日に終了宣言した向井のブログ記事には現在、9000近くの

コメントが殺到。相変わらず、凄い人気だね。元・AKB48の大島優子より遥

かに多いとは、まさにアイドル的俳優。。

 

 

            ☆          ☆          ☆

一方、絆創膏のエピソードはツイッター検索でも分からなかったけど、みんな

関心がないんだなってことは分かった(笑)。いや、信長サブロー(小栗旬)も

軽く突っ込んでたけど、時期が時期だけに、傷口と傷口の間接キスが気になっ

たわけ。前田敦子=お春がちょっとキレイになったから、いいか・・・って話で

もないはず♪ 細菌とかウイルスの感染リスクが生じてしまう。

 

141028a  今現在、この記事の執筆欄の右には、

  話題のキーワードTOP5が出てる。信

  長や桶狭間をおさえて、1位、2位は

  エボラ熱。遂に日本上陸か?ってこと

  で、戦々恐々となってるわけだ。

 

  ちなみにウチでは先日、エボラの空気感染

について、建前ではない突っ込んだ記事をアップしてある。一言でざっくり

まとめるなら、患者に直接触れなくても少しだけ注意が必要、という話だ。

 

 「エボラ熱は空気感染しない」という説明の意味、飛沫感染、接触感染との違い

 

 

          ☆          ☆          ☆

要するに、戦国時代はテレビドラマの世界だけじゃないってことでもある。エ

ボラウイルスとの戦いも大変だし、例の中東や宗教がらみの問題で、欧米は

またテロに怯える状況。まさに臨戦態勢の世の中だ。

 

と言っても、リスク・ゼロの場所はもちろん、適当な逃げ場所も無いから、危険

な中で何とか生きていくしかない。今回の信長サブローだと、私が見てない間

に一度、敵前逃亡したってことかね。スニーカーとソックスの足で♪ どうでも

いいけど、ソックスの替えはあるの? 洗濯シーンは見てないし(笑)。あの時

代、臭いとか気にしないか。逃げた先が桶狭間の近く、今川領の田楽村だっ

たってことらしい。

 

それにしても、あのヘロヘロ、フニャフニャの今川義元(生瀬勝久)が攻めて

来たところで、怖くも何ともない気がするね♪ あの妙な姿、ウィキペディアに

よると、一昔前の義元のイメージにすぎないという説があるらしい。ま、単な

る「独自研究」レベルの話かも知れないから、どこまで信用していいかビミョー

だけど、いくら何てもあれじゃ、数万の兵を動かす戦国大名としてヤバイかも。

 

 

           ☆          ☆          ☆

141028c  左はフニャフニャしてない、勇壮な

  義元像。歌川国芳作、著作権切

  れでパブリック・ドメイン(公的所有

  状態)。ウィキメディアより。

 

  ところであの、お春から信長への

  合図。花火じゃなくても音楽だけ

  で、義元の場所も状況も分かる

と思うけどね。それだと、ドラマ的に「花」が足りないってことか♪

 (☆追記: 花火はサブローの修学旅行グッズだったらしい。) 

 

あの辺り、前田敦子のおさえた繊細な演技は良かったと思う。小栗や柴咲が

派手で分かりやすい演技をしてるから、余計に前田の渋さが光るのだ。アイド

ルから女優に成長して来たってことか。金井紘の演出や演技指導が上手かっ

たのかも。。

 

(☆追記: 村人を今川の側の怒りから救うため、一旦、サブローを裏切って、

       今川への貢ぎ物に使おうとしたらしい。)

 

 

           ☆          ☆          ☆

で、いまや毎週のお楽しみになって来た、歴史のお勉強♪ 今回は初めて、

原資料(に近いもの)をチェックしてみた。基本文献の『信長公記』。

 

141028b   信長の家臣だった太田牛一の著作で、

   江戸時代初期に成立とのこと。1610

   年前後かな。全16巻の大作。ただし

   当然、信長に対して甘口の記述になっ

   てるだろうから、その分は多少、割り引

   いて読む必要がある。そういった点は、

   現代の東アジアの歴史論争でも同様。

 

   左は、近代デジタルライブラリーで公

   開中の写本(通称「町田本」)の一節。

   「御敵今川義元は四万五千引率しお

   けはさま山に人馬の休息これあり

   ・・・」と書いてるようだ。「御敵」ね♪

 

なぜか、年号が間違ってるのが引っ掛かる。天文21(年)壬子(みずのえね)、

つまり1552年と干支(えと)付きで書いてるが、本当は永禄3年(1560年)

らしい。実は、1560年の方が間違いって話は無いのかな?♪ 信長公記よ

りもっと信頼できる資料が複数あるってことか。

 

間違いの理由についてはネットでも色々言われてるようだけど、単なるミスと

考えてもいいと思うけどね(笑)。今と違って、ネットどころか参考書にも不自

由しただろうし、執筆時期までに元号がコロコロ変わってるのだ。天文、弘治、

永禄、元亀、天正、文禄、慶長♪ 我々だと要するに、本当は慶応なのに文

久と書いてしまったってこと。私はどっちも忘れてた (^^ゞ

 

 

           ☆          ☆          ☆

141028d   ちなみに、今川義元は本当に

   首を切られて、あちこち首を運

   ばれたというお話。当時の感

   覚だとフツーなのかね? メ

   ディアや公的機関がないから、

   現物が証拠として必要だった

   わけか。

 

   生首の保存方法は?・・・とか

   調べてると寝れなくなるから止

   めとこう。サイバーパトロール

   の皆さんに誤解されそうだし♪

 

上図の最後に、その討ち死の瞬間が記録されてる。「毛利新介義元を伐ち伏

せ頸をとる」。それまでに、かなり激しい戦いが続いたようだから、義元もなか

なか健闘してるのだ。『信長公記』が正しいと仮定するなら。。

 

141028f  左は、焦げた今川焼きじゃなくて、今川の

  家紋♪ 今川焼きの名前の由来という説

  も一応あるらしい。ウィキメディア、Ash 

  Crow氏の作品。

 

 

            ☆          ☆          ☆

なお、桶狭間という場所については、ウィキにやたら詳しい説明があって笑っ

たほど♪ マニアックで、いいね。今の行政区分だと、名古屋市緑区なのか。

何となく、静岡か長野か山梨だろうと思ってたのは私だけ?(^^ゞ 尾張は愛

知県だったね。先週、地図まで手描きしたのに。

 

ドラマでは、ありがちなイメージ通り、険しい崖が一瞬映ってたけど、その証

拠も写真もなかなか見当たらない。でも、普通は下のようなイメージを5倍く

らい激しくした感じでしょ♪ 歌川豊宣作、同上。左端が義元、右上が信長、

その左が木下藤吉郎(秀吉)とのこと。やっぱ、大将は後ろにいるんだね。運

動会の騎馬戦と同じか(笑)。

 

141028e

 

 

          ☆          ☆          ☆

最後に、みんなのために戦う、いい国を作るために戦う、という考えについて。

戦って、どのくらい犠牲を払うのか、どのくらい年月がかかるのかも気になる所。

信長サブローの場合、『日本史B』で答を見れるからいいとして(笑)、実際の世

の中では分からないまま戦い続けることになる。ここ数十年の中東もそう。あと、

「みんな」のためならともかく、「いい国」のためというのはちょっと危ないかも。。

 

どちらにせよ、実は「自分が戦う」理由にはなってないことも重要だろう。信長

なら、他の戦国武将(武田とか上杉とか)に任せてもいいはず。ということは、

本当は他にも理由があるのだ。例えば、お春が可愛かったとか、濃姫に「ご褒

美」をもらいたいとか♪ あるいは、歴史の本に書かれた未来に逆らう勇気が

ないとか。 

 

まあ、単なる現代の小市民としては、そろそろ寝て、仕事との戦いに向かうと

しよう。25分しか見てないのに、そこそこ書いちゃったね♪ ではまた明日 ☆彡

 

 

 

P.S. 第3話視聴率はさらに少し下がって12.5%。冒頭、キスマイ・藤ヶ谷

     太輔の乳首サービスもあったらしいのにね♪ そろそろこの辺で踏み

     止まりたい所。脚本家が変わって岡田道尚になってた。

 

 

cf. 『信長協奏曲』第1話、軽~い感想♪

   『信長協奏曲』第2話、軽~い感想♪

   ルービック・キューブ1面(+α)完成方法♪&『信長協奏曲』第4話

    『信長協奏曲』第5話、超軽~い感想♪

   お市の方の小豆袋、出典は本当に『朝倉家記』なのか

                              ~『信長協奏曲』第6話

   『信長協奏曲』第8話、原作コミックとの比較など

   『信長協奏曲』第9話、短~い感想♪

   お市の方のInstagram&『信長協奏曲』第10話、原作コミックとの比較

   『信長協奏曲』最終回、軽~い感想♪

 

                                     (計 3549字)

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