オバマ米大統領の広島演説、全文の感想(英語&日本語訳)

(☆16年6月3日の追記 : 関連する新たな記事をアップ。

  オバマの広島演説推敲、「能力」を「手段」に変更&プチ自転車 )

 

 

         ☆          ☆          ☆

私の小学校では、夏休みの8月6日は登校日だった。校庭でラジオ体操を

した後、家に帰って朝ご飯。少しドキドキしながら、再び学校へ向かい、半

月ぶりにクラスのみんなや担任の先生と会う。面倒と言うより、楽しい思い

の方が強かった気がする。

 

もちろん、その日の授業は楽しいどころか、重々しくて分かりにくいものだっ

た。社会見学として広島訪問があったし、原爆(ピカドン)が恐ろしくて悲惨

なものだというのは何となく分かる。午前8時15分に始まる、1分間くらい

の黙とうという儀式も、お葬式や墓参りの延長として、みんな真面目に行っ

てた。ちょっと薄目を開けて、先生に注意されたりしながら。

 

ただ、ケンカでやり過ぎた生徒は、先生に厳しく叱られるのに、戦争でやり

過ぎたように感じられる米国は、それほど叱られない。

 

日本が先に手を出した形の真珠湾攻撃と比べても、広島や長崎の被害は

遥かに大きいけど、遥か昔の話だし、米国の方が日本より強いからかな。

口ゲンカももう止めようってことかな。。当時は、そんな感じでモヤモヤして

たと思う。

 

子どもにはまだ、日米安保とか同盟関係、核の傘、国家間の対立と防衛、

米国における原爆正当化論の強さなど、分かってなかったわけだ。今でも

分かりにくいくらいだから。

 

ちなみに下は、少し手伝ってもらいながら、オバマ大統領が自分で折った

という折り鶴の写真。読売新聞HPより平和と公益性のためにお借りした。

赤系と青系で、赤系が前側に位置。何気に、よく考えられてる構図だ。

 

160528a

 

 

          ☆          ☆          ☆

さて今回、2016年5月27日に実現した、現職の米国大統領の広島訪問。

細かい違いはあっても、多くの反応は好意的なものになってる。米国でも

そうだし、日本や広島はさらに歓迎ムード。右派、左派、中立派の違いはあ

まり関係ない。反対や批判も一応あるけど、目立つほどでもない。

 

私もオバマ米大統領を歓迎するし、少なくとも今の時点で、謝罪を求める

考えは無い。謝罪が嫌で広島を避けるより、謝罪なしで広島を訪問する方

が、一歩か二歩、現実的な前進なのだ。たとえ平和記念公園に、核攻撃の

許可装置(フットボール)を持参してたとしても、仕方ないこと。残念なのは、

僅か1時間半ほどの訪問だった点くらいだ。

 

仮に今回、オバマの個人的判断で、即興の謝罪を示してたら、米国の対日

感情が一気に悪くなっただろうし、今後の大統領選や対日政策にも影響して

ただろう。東アジア、特に中国も黙ってなかったはず。「日本は被害者であ

る以上に、加害者だ。南京を忘れるな」、といった感じか。

 

というわけで、以下のオバマ広島演説を読んだ感想は、個人的な批判とか

反感を示すものではない。単に、政治的・歴史的に重要なスピーチの中身

を、英語原文と日本語訳で具体的にチェックしてみるということだ。

 

使ったのは、今日(5月28日)の朝日新聞・朝刊。他のメディア報道との比

較まではほとんど行ってないので念のため。朝日新聞デジタルにも日本語

英語 で掲載されてる。訳文の全文閲覧には、無料か有料の会員登録が

必要。読売新聞HPの訳文なら現在、無料公開中。

 

 

         ☆          ☆          ☆

日本語で4000字弱となってる全体を、小学校低学年向けにザックリ超訳

するなら、次のような感じだろう。

 

  「わたしたちは、広島や長崎の原爆を忘れず、 

   戦争を止めて仲良く平和にくらすことを目指しましょう。

 

46字だ。これが100倍近くになってるのだから、ある意味、冗長という見方

はできる。ただ、それほどインパクトも無い抽象的な内容よりも、肉声の語り

を長く響かせること自体に意味があった。世界のトップに立つ人間が、17分

間という時間、じっくり世界に平和をアピールするだけでも貴重なことだ。

 

もちろん、100倍になるのは、過去から現在に至る社会・政治・戦争・歴史・

科学技術などを語る内容だからでもある。ただ、それはまとめであって、新し

い内容はほとんど無い。おそらく、米国人にとって目新しいのは、序盤にあっ

た、「十数人の米国人捕虜を含む死者を悼む」という言葉くらいだろう。

 

 

          ☆          ☆          ☆

では、一番最初の文を引用してみよう。

 

  Seventy-one years ago,on a bright,cloudless 

  morning,death fell from the sky and the world

  was changed.

 

  (朝日の翻訳) 

  71年前、明るく、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、

  世界が変わってしまいました。

 

これだけでも注目すべき語り口だ。要するに、自分たち米国が原爆を落とし

て世界を変えた、という話を、巧みに言い直してるのだ。米国とか連合軍な

どを主語にせず、死や世界を主語にする。

 

ただし、「world was changed」という受け身の英文は、直訳するなら、

世界は変えられた」となる。これだと、「何によって? 誰によって?」とい

う、変えた兵器や主体への問いにつながるわけだが、それを「世界が変わっ

てしまいました」と、自動詞の完了形のように訳してるので、中立的な文に

なってる。

 

実は、スピーチの最後の段落も、似た英語で始まってるのだ。

 

  The world was forever changed here.

  (朝日の訳) 世界はここで、永遠に変わってしまいました。

 

やはり、元の英語は「変えられた」、訳文は「変わった」となってる。試しに

読売の訳を見ても同様だった。まあ、「世界は変えられた」という日本語は

慣習的に不自然だから、妥当なところか。

 

ちなみに、「was changed」という英語の例文を検索してみると、一般に

堅い場面で使われる表現のようだった。

 

 

         ☆          ☆          ☆

71年前に世界を変えた主体や核兵器を遠回しに語る傾向は、他にも確認

できる。「we」「our」「us」、我々という、人類全体なのか自分たちなのかが

曖昧な代名詞の多用が最大の特徴。ただ、分かりやすいのは「atomic 

bomb」(原爆)という連語が僅か一度しか使われてない点だろう。

 

日本の感覚なら、広島と言えば「原爆」。これを「核兵器」と言ってしまうと、

抽象的・一般的な話になるし、左派=リベラルなどの反核運動のニュアン

スも出て来る。71年前の特別な経験はやはり、原爆なのだ。

 

オバマの声明でたった1回、原爆と語ってる長い文も興味深いので、引用

してみよう。

 

  We see these stories in the hibakusha,the

  woman who forgave a pilot who flew the 

  plane that dropped the atomic bomb,because

  she recognized that what she really hated 

  was war itself.

 

  (朝日の訳)

  私たちはこうした物語を、ヒバクシャの中に見ることができます。

  原爆を投下した爆撃機のパイロットを許した女性がいます。なぜ

  なら、彼女は本当に憎いのは戦争そのものだと分かっていたか

  らです。

 

 

          ☆          ☆          ☆

上の訳文。「ヒバクシャ」を一般的な言葉のように訳してるのは、ミスリーディ

ングな(誤解を招きやすい)ものと言えなくもない。原文の「the hibakusha」

は、直後の「the woman」とつながるものだから。ただ、これは英文自体が

わざと被爆者一般であるかのように語ってる側面もあるから、許容範囲か。

 

ちなみにこの個所でも、米国という言葉は入ってない。ギリギリの注意深い

表現を選んである。しかも、女性が許したという話を用いて、過去の悲惨な

対立から現在・未来の良好な関係へという、ポジティブな流れを作ってる。

 

なお、他にも朝日の訳文の中盤に、「原子爆弾」という言葉が1回使われて

るが、元の英文は「the bomb」(その爆弾)。ただし、このすぐ前の英文に

「splitting of an atom」(1つの原子の分裂)という表現があるから、原

子爆弾と訳す方が分かりやすいのは確かだ。

 

 

         ☆          ☆          ☆

他にも、英文と訳文の微妙な違いは色々あった。

 

特に重要な個所というわけでもないけど、日本語で読むと少し気になるの

が、次の文章。

 

  いつか、証言するヒバクシャ(被爆者)の声が聞けなくなる 

  日がくるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を 

  薄れさせてはなりません。

 

高齢の被爆者との初対面で、彼らの死とその後を意味する言葉を使うのは、

やや配慮に欠けてるような気もしてしまう。ところが、英語原文だとニュアン

スが違ってて、問題ない。

 

  Someday the voices of the hibakusha will no longer

  be with us to bear witness.But,the memory of the

  morning of August 6th,1945,must never fade.

 

要するに、「たとえ被爆者の声が消えても、記憶は決して消えない」という

英文で、意訳するなら、「被爆者はずっと生き続ける」ということだ。これな

らむしろ、高齢被爆者に十分配慮された文章と言えるだろう。

 

朝日の訳だと、被爆者は死ぬけど、我々が記憶し続けよう、という意味にな

るから、誤訳ではないにせよ、ちょっと引っかかる所なのだ。

 

実は全文掲載の前置きとしても、朝日は「記憶を薄れさせてはなりません」と

引用してた。だからむしろ、これは左派メディアとしての朝日の主張、社説が

入った訳文なのだろう。オバマ個人の反核の姿勢と共に。。

 

 

         ☆           ☆          ☆  

そろそろ時間なので、このくらいで終わりとしよう。次はやはり、安倍首相の

真珠湾訪問&演説という流れだろうか。

 

日本の保守派がどう反応するのか読みにくいけど、作家・塩野七生が強調

してたような品格とか品位を示す方がいいと思う。米国大統領が謝罪しなかっ

たのだから、逆に日本の首相だけが謝罪するというのも、考慮に値する。

 

国家や国民の成熟が問われてるのだ。ちょうど、オバマ演説と同じくらいの

字数に達した所で、今日はこの辺で。。☆彡

 

 

 

cf. オバマ大統領の広島訪問、米国の共和党(保守派)が批判しない理由♪

 

                         (計 4007字)

              (追記 86字 ; 合計 4093字)

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Boys,be ambitious(少年よ、大志を抱け)〜クラーク博士の大志=野心

文字通りの「非常」事態とはいえ、手抜き記事が4日も続いてるから、単なる携帯投稿でもう1本プラスしとこう♪ フォローになってないだろ!

たまたま読んだ読売新聞に、ちょっと面白い記事が載ってたのだ。15年10月4日の日曜版・よみほっと、トップ記事の名言巡礼シリーズ、「少年よ、大志を抱け(ボーイズ・ビー・アンビシャス) クラーク博士の言葉(1877年)」。

明治の初め、政府が米国から招いた博士は、札幌農学校(後の北海道大学)で1年近く指導。教え子との別れに言ったとされる言葉は有名だ。

この言葉、実は一つの文の前半で、後半は「like this old man」。読売の宇佐美伸記者による文全体の意訳は、「我が教え子よ、この老いぼれの私のごとく野心を持て」。

博士はまだ50歳か51歳だったから、老いぼれとは思わないけど、当時の平均寿命の短さも考慮した意訳かも。実際、9年後の1877年には亡くなってる。

この名言はその後、富や名誉よりもっと人間的に大切で崇高な境地を目指せ、といった感じで好意的に解釈されたけど、読売は疑問を示してた。

博士は名誉欲や金銭欲を否定してないし、知識人としても一流ではなかった。おまけにその後、大志=野心を抱き過ぎたのか、実業的に失敗。社会的信用まで失って人生を終えたとの事。

この説明は「逆向きの行き過ぎ」、悪く言い過ぎの可能性もあるから、後で調べてみようと思う。もちろん、結果的に失敗したからといって、大志を持ったことが全否定されるわけでもない。

ただ、名言とされるものは一般に、話し手と受け手の相互作用で成立するもの。もともと普通の言葉でも、素晴らしい言葉、深イイ言葉とされることが少なくない点については、今も昔も変わらないだろう。

読売の記事のラストは上手くまとめてた。「・・・が、それでも冒頭の一節は、自分も含め多くの道産子にとり、野太い心の支えであり続けた。誰がどう発したか、ではない。その言葉を大いなる励みとした、北辺という風土の結実だろう」。

個人的には、田舎から首都圏に出て来たばかりの頃、大志を抱いた少年の私に向けて先輩が投げかけた言葉が、印象に強く残ってる。

「少年よ、大した事ない」♪

残念ながら、いまだにこの言葉の呪縛から逃れることができないのであったf^_^; ま、大した事ないか、あるか、そんな区別こそが大した事ないのだ・・とか言うと、負け惜しみだと誤解されちゃうんだろうしネ(笑)
ではまた。。☆

 

                                      (計 1049字)

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長崎・原爆の日&仕事と脳トレに追われつつ自転車

(8日) BIKE 59.5km,2時間23分,平均心拍 136 

    消費エネルギー 1250kcal (脂肪 325kcal)

 

昨日、8月9日は、長崎の原爆の日。平和祈念式典では、安倍首相が「非核

三原則を堅持しつつ、『核兵器のない世界』の実現に向けて・・・」と挨拶した。

 

世界初の核攻撃だった広島と比べると、影が薄い印象もあるので、先日の

原爆記事に続いて一言だけまとめて比較しとこう。政治的立場に関わらず、

まだ忘れてはいけない出来事だから。

 

爆弾自体の(潜在的)破壊力は、長崎の方が上という話もある。一方、反応

(反核運動など)としては、「怒りの広島 祈りの長崎」という対比フレーズも

あるらしい。この態度の違いも、長崎の印象を弱めてるのかも知れない。良

し悪しはともかく。。

 

 

 広島 1945年8月6日 午前8時15分投下

     ウラン型原爆「リトル・ボーイ」 爆撃機「B-29 エノラ・ゲイ」

     死者数(年末まで) 約14万人 (76年、広島市が国連に報告)

 

 長崎 1945年8月9日 午前11時ごろ投下

     プルトニウム型原爆「ファット・マン」 爆撃機「B-29 ボックス・カー」

     死者数(年末まで) 約7万人 (50年の長崎市データ、国連に報告)

 

 

どうも、その後を含めた死者数全体のデータが見当たらなくて、14万人と

7万人という大まかな公式見解だけがよく使われてる。重傷者数などと考え

合わせると、広島・長崎の合計で約30万人前後だろうか。NHKのサイト

はいろんな数が示されてるが、公式見解を最後に挙げてた。

 

去年の朝日新聞の記事でも、14万と7万という数を掲載。この記事には、

米国の中・高校生用の歴史教科書だと犠牲者の扱いが小さいという問題を

指摘してあった。犠牲者数が半分以下だったり、書いてなかったり。放射線

の長期的影響も、ほとんど書いてないという話だ。

 

まあ、何事においても、人は良い点を強調して、良くない点は弱めて語る。

単純かつ重要、信頼できそうな数字データくらいは、みんなで共有すべき

知識だろう。原爆の被害が、原発事故の被害と比べると桁はずれに大きい

という点も、理解しておく必要がある。立場に関わらず。。

 

 

         ☆          ☆          ☆

先週18000字も書いてるし、時間が無くなったので、自転車については

一言だけ。もっともっと走りたいのに、お盆休み前の仕事に追われて、それ

どころではない・・・とか言いつつ、実はブログにも追われてたりする (^^ゞ

 

昨日、一昨日と、脳トレ系の記事(暗号、パズル)を2本書いたら、予想外の

時間がかかってるのだ(現在進行形・・)。特に昨日のパズルは、答を出すだ

けならそれほど難しくもなかったけど、解説記事用にあれこれ調べてるとや

たら面倒。しかも、応募締切の関係で、あと2、3回ちょっとずつ更新する予

定だから、まだまだ終わってない。図を書くだけでもダルイから、誰か代わり

に書いて・・って感じ (^^ゞ

 

150810a  ま、普段より問題が難しかったおかげ

  で、アクセスは一気に増えたけど♪

  左がここ8日間のアクセス数(青色)

  と訪問者数(緑色)。盆休みモードで

  減って来てたアクセス数が跳ね上がっ

  てるけど、訪問者数(UU:ユニー

クユーザー)はそれほど増えてもない。

 

関連する記事へと検索でアクセスして来た人が、そのものズバリの記事を

なかなか探し当てられなくて、あちこちクリックするから、アクセス数だけが

大幅に増えるわけ。至る所にちゃんとリンクが付いてるのにな。思い切り目

立つ形で。ドラマや理数系の記事も含めて、いつもの事とはいえ、ビミョー

ではある。。

 

とにかく、土曜はまた多摩川上流側で60kmだけ距離稼ぎして来た。あんま

しやる気もなかったから(笑)、スピードも心拍も控えめ。シーズン真っ盛りの

週末ってことで、自転車もランナーもかなり多かった。対戦成績は、30勝2敗

1引き分けって感じかな♪

 

平均時速は25.0km気温26度、湿度90%、晴時々曇はいいとして、風速 

2.5mがちょっとキツく感じた。ま、無事に走って帰宅するだけでも良しって

ことで。それでは、また明日。。☆彡

 

                                      (計 1650字)

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ポツダム宣言、玉音放送(原盤)、御文庫附属室・・&再びジム

JOG 4.4km,約30分,平均心拍 129 ; 約300kcal

RUN 2km,9分41秒,平均心拍 158,最大心拍 174 ; 138kcal 

BIKE 15.3km,27分,平均心拍 151,最大心拍 169 ; 603kcal

 

 

  堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・

  (耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・)

                       (昭和天皇の玉音放送、後半の一節)

 

恥ずかしながら、今日初めて、ポツダム宣言(Potsdam Declaration)とい

うものを読んでみた。これほど短くて明快な内容なら、もっと早く読んでおくべ

きだったと言えなくもない。

 

ただ、これをもし中学・高校時代に読んでたら、感情的に強く反発してた可能

性も十分あるから、大人になるまで読まなかったのは正解かも知れない。ま

してや70年前の当時、これを受け入れるのは、本当に「耐え難き・・・忍び難

き」ことだったと思う。

 

「ポツダム宣言」などというニュートラルな名前自体が、歴史に対する歪曲に

近い。「終戦」という言い方も時々批判されるが、「終戦」と「敗戦」は同じ出来

事の2つの側面を表す言葉であって、どちらにも重い意味がある。それに対

して、「ポツダム宣言」という訳語にはほとんど意味が無い。他には使われな

い地名が一つ入ってるだけだ。

 

原文は正式には、「Proclamation Defining Terms for Japanese 

Surrender」だから、直訳すると「日本の屈服のための協約を定める宣言」。

一言に縮めて、「屈服命令」とでも超訳した方が、遥かに内容に合ってる。

「降伏」という訳語でも語感が弱すぎるし、「服従」でもまだ物足りない。。

 

 

           ☆          ☆          ☆         

私が一番気になったのは、第10項の冒頭だ。英語版のWIKISOURCE(ウィ

キソース)から引用してみよう。

 

   We do not intend that the Japanese shall be enslaved

   as a race or destroyed as a nation,but ・・・

 

簡単な英語だが、ハフィントンポストの現代語訳は区切り方が少し変なので、

私が直訳しとこう。

 

  我々は日本人を、民族として奴隷化するつもりはないし、国家として壊滅

  させるつもりもないが・・・

 

宣言全体の内容を考えると、上の文は、「もし宣言を受け入れないなら、日本

民族を奴隷にする」と言ってるような感じさえある。もちろん、「そこまでは書い

てない」と言うのが普通の建前だろうが、最後の第13項の末尾では、無条件

降伏しないと「即座の完全な壊滅」(prompt and utter destruction)に

なると書いてるのだ。途中で「壊滅させるつもりはない」と書いておきながら。

「奴隷化するつもりはない」という言葉も、単なる建前、枕詞、圧力だろう。

 

今現在だと、国家間でこんな文章がやり取りされることは滅多にない。たまに

似たような表現を聞くことはあるが、その場合は、口にした側の国家が強く批

判されるわけだ。まして、核兵器をちらつかせながら、こんな言葉を突きつけ

るような国家は、(ほとんど)あり得ない。

 

という訳で、昭和天皇の玉音放送にはますます、表現できないほどの思いを

感じるのだ。戦後70年にあたり、宮内庁が8月1日に録音原盤を公表。私は

先に読売HPで聴いたが、朝日新聞デジタルの方が鮮明な音声に聞こえた。

朝日の記事は原文と現代語訳も一緒になってるので、便利でもある。

 

 

           ☆          ☆          ☆

1945年8月15日正午、日本放送協会(今のNHK)のラジオで読み上げら

れた、「大東亜戦争終結に関する詔書」。天皇の声の放送だから、玉音放送

と呼ばれてるわけだが、原盤の音声とされるものが本当の玉音かというと、

微妙に違うらしい。

 

8月1日の朝日新聞・朝刊には、「原盤は、専門家の協力で音声の再生に成

功した昭和天皇の肉声に近いものが再生されているという」と書かれてる。

 

「肉声に近い・・・という」だから、微妙で曖昧な部分があるのだろう。そもそも

「肉声」の定義も微妙だし、国民がラジオで聴いた声には遥かに多くの雑音が

混ざってたのが普通だろうから、今回のは「原盤」と言うより鮮明版、あるいは

側近版かも知れない。逆に不鮮明な声こそが、国民にとっての「原音」だろう。

 

簡単に経緯を振り返ると、3月に東京大空襲、6月に沖縄戦終結、7月26日

にポツダム宣言、8月6日が広島の原爆、8日がソ連の宣戦布告(日ソ中立

条約破棄)、9日が長崎の原爆。。

 

ここまでは一応、知ってたが、その先の細かい過程は知らなかった。10日か

ら、天皇、鈴木貫太郎首相、外相、陸相らが御前会議。天皇が決心を伝えて、

14日に最後の御前会議で決定。午後11時25分、天皇が宮内庁で2度、「詔

書」を読み上げて録音。15日未明、本土決戦を叫ぶ反乱将校らが放送を妨

害しようと包囲。何とか鎮圧した後、15日の正午に放送。。

 

 

          ☆          ☆          ☆

    朕(チン)深ク 世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑(カンガ)ミ 

    非常ノ措置ヲ以テ 時局ヲ収拾セムト欲シ 

    茲(ココ)ニ 忠良ナル爾(ナンジ)臣民ニ告ク 

 

    朕ハ帝国政府ヲシテ 米英支蘇四国ニ対シ 

    其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ ・・・・・・

 

150803a  左は、ウィキソースで公開されてる

  詔書の冒頭(パブリック・ドメイン=

  公的所有状態)。

 

  この冒頭はあちこちで見聞きして

  たが、その後の文章は「堪え難き

  を堪え」くらいしか知らなかった。

  言葉づかいが古くて難しいから、

  音声だけだと私にはかなり分か

  り辛かったが、「屈服宣言」にして

  は意外と自由かつ丁寧に語って

る感がある。

 

例えば、米英への宣戦は日本の自立と東アジアのためだった、というような

文章。今現在こういった事を話すと、相手によってはかなり強く拒絶するはず。

侵略戦争だと素直に認めて誠実に謝罪するべきだ、といった形で。

 

あと、敵は新たに残虐な爆弾を使用して罪のない人々を殺傷し、というような

部分も、全面的な屈服を認めた感は無く、むしろ怒りや無念さを感じる。もち

ろん米国ではその後も、原爆投下は正しい判断・行動だったというのが一般

的な考えらしいのだ。戦争を早期終結させ、被害を限定的なものに留めた、

鮮やかな戦術・戦略として。。

 

 

           ☆          ☆          ☆

それにしても、天皇の声からは、「朕」としての荘厳さや強い意志、凛とした

姿勢は感じられるものの、個人的で繊細な感情の揺れまでは分からない。

 

この時点ではまだ、戦争責任を問われる可能性があったはずだし、国内の

反発も予想される。内心では当然、それなりの覚悟をお持ちだったのだろう。

当時ご長男(今の天皇陛下)は栃木の奥日光へ疎開中。父親としての普通

の思いも当然あったはず。

 

今回、原盤がデジタル化されたので、今後は音声解析によって、隠された思

いが表に出て来るかも知れない。この箇所では涙が浮かんで言葉が僅かに

途切れてると思われる、とか。。

 

その意味でも、原盤の保存は重要だが、驚いたことに、天皇が「聖断」した

御文庫(おぶんこ)附属室(皇居の中央・西側あたり、旧・吹上御所近く)の方

は、手つかずの朽ち果てた状態。しかも、今後もそのままの方針らしい。朝日

の写真入り記事へのリンクはこちら。

 

御文庫とは防空施設で、そこから135mほどの地下道で北に進んだ場所に

あったのが附属室。特に会議室は当時、立派な部屋だったはずなのに、今

では崩壊寸前のように見えてしまう。皇太子さまや秋篠宮さまも、ヘルメット

姿で御覧になったそうだが、もはやヘルメットでは安全確保できないレベル

のように見える。

 

天皇が自らの玉音放送を聴いた場所でもあり、第一級の国宝、世界遺産と

言ってもいいものだから、早急に保全策をとるべきだろう。もちろん、原状(あ

るいは現状)をなるべく残す形で。

 

それとも、物質的なものに頼らず、心と知性でしっかり遺すように・・という、

天皇の意思=遺志があるのだろうか。我々、1人1人に向けて。。

 

 

          ☆          ☆          ☆

最後に一言、昨日のジムについて。気温30度、湿度75%。7年ぶり、第2回

ということで、気合が入ってたのに、日曜日の短縮営業を知らなかったので、

少ししか出来なかった。

 

それでも一応、ランもバイクもかなりの運動強度まで持って行ったから、良しと

しとこう。また近々、第3回にチャレンジする予定。ランニングマシンにも送風

機能があることが分かって、走りやすくなった。

 

運動を増やして食事を減らしたつもりだったのに、なぜか前回より体重が増

えてたのは衝撃かも。。それでは今日はこの辺で。。☆彡

 

                                     (計 3425字)

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日本の戦後は主権を回復した1952年から~佐伯啓思「異論のススメ」(朝日新聞)

かなり個性的な保守派の論客、佐伯啓思(さえき・けいし)については、6年

半前に1本記事を書いただけだが、朝日新聞に時々登場する時には読むこ

とが多い。左派の朝日が一番注目している右派のような感もある。

 

最近だと、2015年1月6日・朝刊に掲載された、「(安倍政治 その先に) 

保守を考える 佐伯啓思・京大教授に聞く」というインタビューが興味深いと

言うか、面白かった。安倍政権は保守層にとってわかりづらい。今の安倍さ

んは保守とは言い難い。(しかし?)基本的には期待している、等々。

 

朝日の記者・岡村夏樹による、安倍批判への誘導にはなかなか乗らない。

しかし、単純な安倍擁護とも相当異なる。議論の展開の仕方、屈折も含め、

ひと癖もふた癖もある論客だ。

 

今回ここで扱う、4月からスタートした新年度企画の一つ、「異論のススメ

でも、「いささか耳障りで、読後感がざわつくようなこと」を書いている。なるほ

ど・・とも思わないし、おかしいとも思わないが、自分で考え直したくなるよう

なキッカケを与えてくれる文章として、まずは成功だろう。

 

「異論や異説・・・・・・と出会うことによって、われわれの考え方は多少はき

たえられ」。その結果が保守への傾斜かリベラルへの傾斜か、あるいは

中道への回帰その他かはさておき。。

 

 

           ☆          ☆          ☆

3月末に京大を退職した佐伯が、毎月1回(原則として第1金曜)の新連載

の初回(4月3日・朝刊)に持ち出したテーマは、「日本の主権」、「本当に『戦 

後70年』なのか」。実は1月のインタビューでも、戦前、戦後の分かれ目の

辺りや、アメリカとの関係について、こだわりを見せていた。

 

佐伯の主張を簡単にまとめると以下のようになる。

 

   今年(2015年)は戦後70年だとされているようだが、その起点である

   1945年8月15日は「敗戦の日」であって、本当は終戦の日ではない。

   国際法的な意味では、戦争の終結は1952年4月28日、サンフランシ

   スコ講和条約が発効した日付けだから、本当は戦後63年である。

 

   45年から52年の間は、アメリカを中心とする連合国による占領の期

   間であって、日本には主権が無かった。主権をもたない国家が、主権

   の最高の発動である憲法を制定できるとは思えない

   (注. 憲法の公布は46年、施行は47年。)

 

   「押し付け」問題や、護憲・改憲・廃憲などについて議論する前に、そ

   もそも憲法の正当性が疑わしいという「原則論」をまず押さえておくべ

   きだろう。たとえ、68年間その憲法を擁して来たという「現実論」があ

   るにせよ。。

 

 

        ☆          ☆          ☆

さて、この異論について、憲法学者や政治学者なら直ちに反論(=メタレベ

ルの異論)を示す所かも知れないが、私が最初にやったのは、事実の確認

だった。特に2点。条約の原文はどうなっているのか。また、中学校の義務

教育や高校の日本史ではどう教えているのか。

 

条約の名前は、日本語の正式な翻訳だと、「日本国との平和条約」。英語

なら、「Treaty of Peace with Japan」だ。この条約名だけでも、根本的

に連合国の立場から書かれているのが分かる。ちなみに、平和条約と同時

に署名された日米安保条約では、「between ・・・ and ・・・」となっている。

つまり「米国と日本の間の」であって、一応ほぼ対等の名前なのだ。

 

ウィキソースで日本語原文を読むと、前文をのぞく一番最初には、次のように

書かれている。

 

   第一章・平和   第一条

   (a) 日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の

       定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との 

       間に効力を生ずる日に終了する。

   (b) 連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の

      完全な主権を承認する。

 

 

第二十三条とは、条約の批准について定めたもの。日本は51年11月に

素早く批准。米国の52年4月の批准後まもなく、発効となった。米国以外

の連合国は、もう少し早く批准したということだろうか。当時の日本の首相

は吉田茂、米国大統領はトルーマン。

 

ちなみに、安倍政権がらみで興味深いことに、条約内で主権(sovereignty)

についての説明は、ただ一つしかない。第五条、「国際連合憲章第五十一条

に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利」と、「集団的安全保障取極

(とりきめ)を自発的に締結できること」。これしかないとまでは書いてないが、

少なくとも憲法の自主的制定の権利のようなものには触れられていないのだ。

 

主権という言葉について、コトバンク(デジタル大辞泉、大辞林、世界大百科

事典その他)やウィキペディアを見ても、大まかな話しか書いていない。国家

統治権、他国からの独立権など。正直、解釈によっては、いまだに日本は

完全な(full)主権を持ってないとも考えられる。その良し悪しはともかく。。

 

 

         ☆          ☆          ☆

一方、国内の教育について。2014年発行の『社会科 中学生の歴史』(帝

国書院)を見ると、「戦争の終結」という項目で、1945年8月14日のポツダ

ム宣言受諾、15日の天皇のラジオ放送(いわゆる玉音放送)が挙げられて

いた。平和条約については、51年に結んで独立を回復とだけ書いてある。

 

ところが、そのすぐ下には、同時に結ばれた日米安保条約の話があって、日

本国内の米軍基地を認めたと書かれている。独立と米軍基地は別問題とい

うことだろう。

 

ちなみに、おそらく左派を中心に、日本は敗戦を終戦と言い張っている、といっ

た批判がよく行われている気がする。ところが中学の教科書で強調されてい

るのは明らかに「敗戦」。太字の項目名で2回、写真や引用文にも「敗戦」とい

う言葉が並んでいる(他の教科書は未確認)。メディアが語る、いわゆる「終戦

の日」、「終戦記念日」も、82年以降の正式名称は「戦没者を追悼し平和を祈

念する日」。この辺り、事実認識その他について注意が必要だろう。

 

続いて高校の参考書『チャート式 新日本史』(数研出版)や『日本史B用語

集』(山川出版社)も見てみたが、中学より詳しいものの、基本的な語り口は

同じだった。戦争終結は45年、平和条約(or講和条約)の発行は52年。憲

法は、連合国軍総司令部(GHQ)による草案を元にしたものの、単なる押し

つけではなかった、等々。。

 

 

           ☆          ☆          ☆

最後に、佐伯の主張に戻ると、問題なのは、結局、何が言いたいのか、何を

したいのか、という点だろう。

 

彼が語る原則論にはそれなりの妥当性があるが、68年間の現実的歴史を

持つ憲法の正当性を根本的に疑うことが正しいのか。私は別に護憲派では

ないが、要するに佐伯は、改憲の正当性を理論立てているように読めるの

だ。やや遠回しに、やや力づくで。

 

もし、そういった普通の主張でないのなら、佐伯は来月以降、原則論の先の

話や結論を語るべきだろう。たとえば、戦前と戦後の連続性を強調しつつ、旧

憲法(大日本帝国憲法)を再評価するとか、新憲法と旧憲法の折衷やバラン

スについて語るとか。

 

45年を境目に軍国主義が民主主義に変わったなどという見方は「物語」だと

語る佐伯なら、悪しき旧憲法が良き新憲法に変わったという「物語」の疑わしさ

について語っても不思議はない。

 

そうした異論によって心がざわついた読者が、正論や持論について考え直す

こと。その点にこそ、佐伯の連載の価値があるわけだ。ちなみに現在、個人的

には、今でも日本はやや占領状態のような部分、側面を持っていると思ってい

る。ただ、その良し悪しや今後の進むべき方向性については考慮中だ。

 

というのも、完全な独立とは単なる幻想、不在の対象への欲望かも知れないし、

部分的な占領状態より更に悪いものかも知れないのだから。

それでは、今日はこの辺で。。☆彡

 

                                    (計 3132字)

 

cf. 福田辞任を生んだのは我々の情緒性~佐伯啓思(京大)の問題提起

 

                         (追記 33字 ; 合計 3165字)

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お市の方の小豆袋、出典は本当に『朝倉家記』なのか~『信長協奏曲』第6話

今週の『信長コンツェルト』はパスするつもりだったけど、マニアの哀しい性

(さが)でズブズブと調べてしまったから、ごく簡単にまとめとこう。同種の記

事はネットで見当たらないから、ごく一部の方の参考にはなると思う。

 

先週、第5話の記事では、「お市の方」に関するウィキペディアの記述の間違

いらしきものを細かく指摘しておいた。「生涯」の段落のスタートがおそらく間

違ってる。『信長公記』に書かれてないことを、『信長公記』によれば・・・と書き

出してるわけだ。

 

今回も、事の発端は「お市の方」の項目の間違いだった。ドラマ第6話でかな

り強調されてた、お市の方からのビードロ入り小豆袋の知らせ。両端を縛っ

た袋で、挟み撃ちの危機を伝えてることに、恒興(向井理)が気付く。

 

と言っても、あれに気付かなくても、あまり信長(小栗旬)には影響なかったよ

うにも見えたけど、まあ面白くて有名なエピソードだから挿入したんだろう(ビー

ドロは創作)。フツーは俗説に過ぎないとされてるようだけど、面白い情報は

真偽に関わらず流通するのだ。

 

で、ウィキのお市の方の項目にはこう書かれてる。「『朝倉公記』によると、金ヶ

崎の戦いの折り、信長に袋の両端を縛った『小豆袋』を・・・」。ところが、この

『朝倉公記』なるもの、この項目でさえ脚注その他の箇所にないし、もちろん

原文も載せてない。ネットで検索すると、このウィキの文章のコピペの類ばか

りがヒットする。学問的なpdfファイルなどは全く無いのだ。。

 

 

            ☆          ☆          ☆

ここで諦めかけたけど、至る所で話題になってるということは、何らかの根拠

らしきものがあるはず。検索語を変えて色々探す内に、『朝倉公記』という書

名が間違ってることに気付いた。正しくは『朝倉家記』なのだ。実際、ウィキで

も、「金ヶ崎の戦い」の項目では「朝倉家記」と書いてある。

 

これは、世界大百科事典・第2版の説明をコトバンクHPで読むと、「『朝倉始

末記』の異本の一」つであって、富山県立図書館所蔵の『朝倉家録』所収と

のこと。『朝倉始末記』の数あるヴァージョンの中で、1976年に発見された

『朝倉家記』だけに、お市と小豆袋の話が書いてあるらしい。

 

141118b  この文書、実は『朝倉家録』全体と

  して、図書館HPが全文ネット公開

  してくれてるのだ。金ヶ崎の戦いは

  元亀・元年の四月と分かってるか

  ら、何とか探し出せるかと思ったけ

  ど、やっぱり古文書の文字はほと

  んど読めないし、見つからない。

 

  どなたか、読める方はチャレンジして

  みては如何?♪ 非常に有名な逸話

141118a  らしいのに、今現在ネット上で原文や該当箇所の

  情報は見当たらないから、貴重なお仕事だと思う。

 

  もちろん、実は「朝倉家記」に書かれてるという情

  報が間違ってる可能性もある。他の書物とか、そ

  もそも完全な作り話、都市伝説みたいなものとか。

 

 

      ☆        ☆        ☆

  江宮隆之の電子書籍『浅井長政』がGoogle

  ブックスで一部公開されてるのを読むと、「『朝

  倉家記』(『朝倉義景記』)という史料に書かれ

  ている」とされてる(ブラウザによって

  読める範囲が少し違うかも・・)。

 

ところがこの『朝倉義景記』という書名で正確に検索すると、『戦国軍記事

典』しかヒットしない。つまり、ほとんど使われてない名前なのだ。

 

141118d2   ちなみに江宮によると、小豆袋というのは、長政

   と仲良しのお市の方自身の裏切り行為ではなく、

   侍女・りくが間諜(スパイ)として勝手に信長に送っ

   たものだとされてる(小谷城下の商家を経由)。

   他に誰も書いてない話だから、独自研究か創作

   だろう。まあ、あり得ることではある。。

 

 

 

 

           ☆          ☆          ☆     

141118c  最後に、NHKでの仕事も多い静

  岡大学名誉教授、小和田哲男の

  講演録「戦国を生きた女たち~

  お市の方とその娘たち~」から

  長めに引用させて頂こう。元の

  文章には改行が入ってないの

  で、私の判断で改行を挿入した。

 

 

 

 

   「通説では、お市の方が例の小豆の袋ね、小豆の入った袋を両端

    縛って、ちょうど『袋のねずみ』ですよ。」っていう、暗に示した、

    陣中見舞いと称して送ってきたという話。

 

    これ、4年前の『功名が辻』の時も、私、「あれは多分、後世誰か

    が作った話だから、史実とは思えないんで止めましょう」って言っ

    たんです。

 

    言ったんですが、あの時は、「いやぁ面白い話だし、いかにもあ

    りそうだから、これやりましょうよ。」ということで押し切られちゃっ

    て、やったんですが、来年の大河ドラマでもね、このシーンが出

    てくるんですが、私はね、ちょっと今回はやはり無理だから止め

    ましょうよということをかなり強く言いました。

    で、どうなるかは見てのお楽しみ。」

 

 

NHKの看板ドラマでさえ、史実より面白さ優先だから、他は推して知るべし

だろう。実はここで小和田さえ、『朝倉家記』とか『朝倉家録』という書名を出

してないのも注意が必要だ。おそらく現代の文字に直してると思われる、富

山県郷土史会の書籍が近くの図書館にある方は、軽く読むだけでハッキリ

するだろう。

 

もしそこに書かれてなければ、単なるウワサ話の可能性が非常に高くなると

思う。今日はそもそもスルーするつもりだったから、短めにこの辺で。。☆彡

 

 

 

P.S. 第6話視聴率は11.9%。まあ、12~13%辺りが定位置だろうか。

     織田家の末裔と自称してるスケーターの織田信成は、タレントとして

     大人気とのこと♪

 

cf. 『信長協奏曲』第1話、軽~い感想♪

   『信長協奏曲』第2話、軽~い感想♪

   『信長協奏曲』第3話、軽~い感想(『信長公記』付き♪)

   ルービック・キューブ1面(+α)完成方法♪&『信長協奏曲』第4話

   『信長協奏曲』第5話、超軽~い感想♪

   『信長協奏曲』第8話、原作コミックとの比較など

   『信長協奏曲』第9話、短~い感想♪

   お市の方のInstagram&『信長協奏曲』第10話、原作コミックとの比較

   『信長協奏曲』最終回、軽~い感想♪

 

                                    (計 2377字)

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『信長協奏曲』第3話、軽~い感想(『信長公記』付き♪)

先週も20分遅れで見始めたけど、今週は更に仕事が伸びて、急いで帰宅し

たのに25分遅れになってしまった。『信長コンツェルト』、延長も無かったから

半分しか見てない (^^ゞ それでも記事を書いてしまう所が、ブロガー魂って

ものだ♪ 開き直りか!

 

まあ一応、ストーリーはつかめたつもりになってるけど、バンドエイド(絆創膏)

と辞世の句が分からなかったから、放送終了後、直ちにツイッター検索。これ

で合ってるのかな? いや、私は帰宅直後で、着替えたり、ロースかつを食べ

たりしてたもんで♪

 

   夏風に 揺れる生首 いとおかし

 

聞き取れなかったし、流れも分かってなかったから、私は「おかし」くなかった

んだけど、要するに番組冒頭で、濃姫(柴咲コウ)が信長をからかって口に

した俳句なわけね。これで30秒ほど時間稼ぎしてる間に、愛し合う池田恒興

(向井理)が助けに来てくれたと。2人とも宮本武蔵ってことか。両刀使い♪

コラコラ。

 

ちなみに、25日に終了宣言した向井のブログ記事には現在、9000近くの

コメントが殺到。相変わらず、凄い人気だね。元・AKB48の大島優子より遥

かに多いとは、まさにアイドル的俳優。。

 

 

            ☆          ☆          ☆

一方、絆創膏のエピソードはツイッター検索でも分からなかったけど、みんな

関心がないんだなってことは分かった(笑)。いや、信長サブロー(小栗旬)も

軽く突っ込んでたけど、時期が時期だけに、傷口と傷口の間接キスが気になっ

たわけ。前田敦子=お春がちょっとキレイになったから、いいか・・・って話で

もないはず♪ 細菌とかウイルスの感染リスクが生じてしまう。

 

141028a  今現在、この記事の執筆欄の右には、

  話題のキーワードTOP5が出てる。信

  長や桶狭間をおさえて、1位、2位は

  エボラ熱。遂に日本上陸か?ってこと

  で、戦々恐々となってるわけだ。

 

  ちなみにウチでは先日、エボラの空気感染

について、建前ではない突っ込んだ記事をアップしてある。一言でざっくり

まとめるなら、患者に直接触れなくても少しだけ注意が必要、という話だ。

 

 「エボラ熱は空気感染しない」という説明の意味、飛沫感染、接触感染との違い

 

 

          ☆          ☆          ☆

要するに、戦国時代はテレビドラマの世界だけじゃないってことでもある。エ

ボラウイルスとの戦いも大変だし、例の中東や宗教がらみの問題で、欧米は

またテロに怯える状況。まさに臨戦態勢の世の中だ。

 

と言っても、リスク・ゼロの場所はもちろん、適当な逃げ場所も無いから、危険

な中で何とか生きていくしかない。今回の信長サブローだと、私が見てない間

に一度、敵前逃亡したってことかね。スニーカーとソックスの足で♪ どうでも

いいけど、ソックスの替えはあるの? 洗濯シーンは見てないし(笑)。あの時

代、臭いとか気にしないか。逃げた先が桶狭間の近く、今川領の田楽村だっ

たってことらしい。

 

それにしても、あのヘロヘロ、フニャフニャの今川義元(生瀬勝久)が攻めて

来たところで、怖くも何ともない気がするね♪ あの妙な姿、ウィキペディアに

よると、一昔前の義元のイメージにすぎないという説があるらしい。ま、単な

る「独自研究」レベルの話かも知れないから、どこまで信用していいかビミョー

だけど、いくら何てもあれじゃ、数万の兵を動かす戦国大名としてヤバイかも。

 

 

           ☆          ☆          ☆

141028c  左はフニャフニャしてない、勇壮な

  義元像。歌川国芳作、著作権切

  れでパブリック・ドメイン(公的所有

  状態)。ウィキメディアより。

 

  ところであの、お春から信長への

  合図。花火じゃなくても音楽だけ

  で、義元の場所も状況も分かる

と思うけどね。それだと、ドラマ的に「花」が足りないってことか♪

 (☆追記: 花火はサブローの修学旅行グッズだったらしい。) 

 

あの辺り、前田敦子のおさえた繊細な演技は良かったと思う。小栗や柴咲が

派手で分かりやすい演技をしてるから、余計に前田の渋さが光るのだ。アイド

ルから女優に成長して来たってことか。金井紘の演出や演技指導が上手かっ

たのかも。。

 

(☆追記: 村人を今川の側の怒りから救うため、一旦、サブローを裏切って、

       今川への貢ぎ物に使おうとしたらしい。)

 

 

           ☆          ☆          ☆

で、いまや毎週のお楽しみになって来た、歴史のお勉強♪ 今回は初めて、

原資料(に近いもの)をチェックしてみた。基本文献の『信長公記』。

 

141028b   信長の家臣だった太田牛一の著作で、

   江戸時代初期に成立とのこと。1610

   年前後かな。全16巻の大作。ただし

   当然、信長に対して甘口の記述になっ

   てるだろうから、その分は多少、割り引

   いて読む必要がある。そういった点は、

   現代の東アジアの歴史論争でも同様。

 

   左は、近代デジタルライブラリーで公

   開中の写本(通称「町田本」)の一節。

   「御敵今川義元は四万五千引率しお

   けはさま山に人馬の休息これあり

   ・・・」と書いてるようだ。「御敵」ね♪

 

なぜか、年号が間違ってるのが引っ掛かる。天文21(年)壬子(みずのえね)、

つまり1552年と干支(えと)付きで書いてるが、本当は永禄3年(1560年)

らしい。実は、1560年の方が間違いって話は無いのかな?♪ 信長公記よ

りもっと信頼できる資料が複数あるってことか。

 

間違いの理由についてはネットでも色々言われてるようだけど、単なるミスと

考えてもいいと思うけどね(笑)。今と違って、ネットどころか参考書にも不自

由しただろうし、執筆時期までに元号がコロコロ変わってるのだ。天文、弘治、

永禄、元亀、天正、文禄、慶長♪ 我々だと要するに、本当は慶応なのに文

久と書いてしまったってこと。私はどっちも忘れてた (^^ゞ

 

 

           ☆          ☆          ☆

141028d   ちなみに、今川義元は本当に

   首を切られて、あちこち首を運

   ばれたというお話。当時の感

   覚だとフツーなのかね? メ

   ディアや公的機関がないから、

   現物が証拠として必要だった

   わけか。

 

   生首の保存方法は?・・・とか

   調べてると寝れなくなるから止

   めとこう。サイバーパトロール

   の皆さんに誤解されそうだし♪

 

上図の最後に、その討ち死の瞬間が記録されてる。「毛利新介義元を伐ち伏

せ頸をとる」。それまでに、かなり激しい戦いが続いたようだから、義元もなか

なか健闘してるのだ。『信長公記』が正しいと仮定するなら。。

 

141028f  左は、焦げた今川焼きじゃなくて、今川の

  家紋♪ 今川焼きの名前の由来という説

  も一応あるらしい。ウィキメディア、Ash 

  Crow氏の作品。

 

 

            ☆          ☆          ☆

なお、桶狭間という場所については、ウィキにやたら詳しい説明があって笑っ

たほど♪ マニアックで、いいね。今の行政区分だと、名古屋市緑区なのか。

何となく、静岡か長野か山梨だろうと思ってたのは私だけ?(^^ゞ 尾張は愛

知県だったね。先週、地図まで手描きしたのに。

 

ドラマでは、ありがちなイメージ通り、険しい崖が一瞬映ってたけど、その証

拠も写真もなかなか見当たらない。でも、普通は下のようなイメージを5倍く

らい激しくした感じでしょ♪ 歌川豊宣作、同上。左端が義元、右上が信長、

その左が木下藤吉郎(秀吉)とのこと。やっぱ、大将は後ろにいるんだね。運

動会の騎馬戦と同じか(笑)。

 

141028e

 

 

          ☆          ☆          ☆

最後に、みんなのために戦う、いい国を作るために戦う、という考えについて。

戦って、どのくらい犠牲を払うのか、どのくらい年月がかかるのかも気になる所。

信長サブローの場合、『日本史B』で答を見れるからいいとして(笑)、実際の世

の中では分からないまま戦い続けることになる。ここ数十年の中東もそう。あと、

「みんな」のためならともかく、「いい国」のためというのはちょっと危ないかも。。

 

どちらにせよ、実は「自分が戦う」理由にはなってないことも重要だろう。信長

なら、他の戦国武将(武田とか上杉とか)に任せてもいいはず。ということは、

本当は他にも理由があるのだ。例えば、お春が可愛かったとか、濃姫に「ご褒

美」をもらいたいとか♪ あるいは、歴史の本に書かれた未来に逆らう勇気が

ないとか。 

 

まあ、単なる現代の小市民としては、そろそろ寝て、仕事との戦いに向かうと

しよう。25分しか見てないのに、そこそこ書いちゃったね♪ ではまた明日 ☆彡

 

 

 

P.S. 第3話視聴率はさらに少し下がって12.5%。冒頭、キスマイ・藤ヶ谷

     太輔の乳首サービスもあったらしいのにね♪ そろそろこの辺で踏み

     止まりたい所。脚本家が変わって岡田道尚になってた。

 

 

cf. 『信長協奏曲』第1話、軽~い感想♪

   『信長協奏曲』第2話、軽~い感想♪

   ルービック・キューブ1面(+α)完成方法♪&『信長協奏曲』第4話

    『信長協奏曲』第5話、超軽~い感想♪

   お市の方の小豆袋、出典は本当に『朝倉家記』なのか

                              ~『信長協奏曲』第6話

   『信長協奏曲』第8話、原作コミックとの比較など

   『信長協奏曲』第9話、短~い感想♪

   お市の方のInstagram&『信長協奏曲』第10話、原作コミックとの比較

   『信長協奏曲』最終回、軽~い感想♪

 

                                     (計 3549字)

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宮本武蔵、真実の歴史と虚構の物語の間で・・

今週は既に4日間で15000字近くも書いてるので、週間2万字制限まで残

り5000字強。日曜にレース記事が入るから、今日はごく短い記事しか書け

ない。そこで、先日のキムタク=木村拓哉主演ドラマでも扱われた宮本武蔵

という武道家をめぐって、私の現在の見方や感想を簡単にまとめとこう。

   

まずは、先日のドラマの原作本で、NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』や

井上雄彦の人気漫画『バガボンド』の原作でもある人気小説、吉川英治の

『宮本武蔵』(1935~39)からスタートしよう。

       

   

          ☆          ☆          ☆

これはもちろん80年近くも前の大衆小説で、最新の歴史研究書ではない。

ただ、「吉川版の武蔵は価値の無い虚構で、原資料に基づいて研究すべき

だ」というような、よくある意見には注意が必要だ。 

     

というのも、既に吉川自身が膨大な資料を相手に格闘してるからだ。ありが

ちな吉川批判として、あれはいわゆる『顕彰会本』(熊本・遺蹟顕彰会)や

その前の『二天記』に即したものに過ぎない・・・といった主張がある。ところ

が吉川が小説完了時に記した『随筆 宮本武蔵』を青空文庫で読むと(著

作権は既に消滅)、確かに『二天記』を「最も信の措けるもの」と書いてるが、

そのおかしな部分は批判してるし、他の書物ももちろん参考にしてるのだ。

             

吉川を批判するのなら、吉川以上に原資料を読みこなして考える必要があ

るが、そもそも吉川と二天記の複雑で微妙な関係でさえ、ネット上にはなか

なか考察が見当たらない。これでは、長大な「吉川による武蔵最強神話」を

批判するために、些細な「吉川虚構創作神話」を使ってるようなものだろう。

   

140321g

 天国の吉川や、本

 格的な論敵だった

 直木三十五(直木

 賞の由来)がどう

 思うだろうか。左

 は直木の『日本剣

 豪列伝』、国立国

 会図書館デジタル

 ライブラリーより。

     

     

         ☆          ☆          ☆

では、元の原資料としてどんなものが挙げられるか。代表的なもの7つだけ

執筆年代順にまとめると、次の通りだろう。ちなみに二天一流の開祖・武蔵

の生涯は、1584年(?)~1645年とされる。

        

     『五輪書』       宮本武蔵(?)       1643-45年(?)

     「小倉碑文」     武蔵の養子・宮本伊織    1654年

     『沼田家記』     細川藩・沼田家の子孫    1672年

     『本朝武芸小伝』  日夏繁高            1714年

     『武州伝来記』(=『丹治峯均筆記』=『兵法大祖武州玄信公伝来』)

                 二天一流師範・丹治峯均   1727年

     『武公伝』      二天一流師範・豊田正修   1755年

     『二天記』      正修の息子・豊田景英     1776年  

    

     

この内、吉川が直接参照してないものは唯一つ、『沼田家記』のみ。ただし、

顕彰会本の中で引用されてるので、間接的には参照してたことになる。

   

その前に、吉川が一番信頼する『二天記』と、その元になった(?)『武公伝』

との関係が微妙だと理解しておこう。これらは内容的な重複や加筆修正を見

ても、20年の時を隔てた親子の共作のようなもの。吉川は『武公伝』を、『二

天記』の下書きか原型のように扱って、一度しか名前を挙げてない。

       

140321e

 続いて、武蔵の

 最晩年の自著と

 される『五輪書』

 は、原本が存在

 せず、写本同士

 の違いが少なく

 ないようだし、

 史実のようなも

のは少ししか書かれてない。あくまで兵法書で、本人の著作ではないとす

る説もある。上は国会図書館で公開中、顕彰会『宮本武蔵』p.146~147。

60数回、勝ち続けたと書いてある、「地の巻」だ。

       

   

         ☆          ☆          ☆

さらに、小倉碑文は一番古くて養子である弟子が書いてるから信頼できる、

というのは自然な発想かも知れない。しかし、弟子は師匠のことを公の場で

賞賛するのがほとんどだろうし、碑文だから記述は短い。そもそも、書いた養

子の伊織がどの程度、師匠を正確に把握してたか、その点も気になる所だ。    

      

140321d2

  例えば、私は実の父について

  色々語れるし、実際たまに語っ

  てるが、知らない事が非常に多

  いし、家族の話くらいしか根拠

  を持ってないわけだ。左が碑

  文で、大阪経済大pdfファイル 

  「宮本武蔵の視点」より。

        

         

        

            

140321a

 一方、『本朝武芸小伝』

 は100人ほどの武芸者

 のまとめ本で、武蔵はそ

 の内の1人に過ぎない。

 左は『小伝』の目次で、

 下段の右から5番目に

 武蔵も登場。京都大学・

 谷村文庫の公開画像。

   

    

    

     

140321f

  『武州伝来記』とか複数の名を

  持つ伝記は、原本がどこにも

  残ってないし、写本の間にも異

  同があるらしい。一応、顕彰会

  本における引用部分(p.18)

  の画像を添付しておこう(左半

  分、丹治峰均筆記と呼んであ

  る)。

          

        

        

      

     

         ☆          ☆          ☆

140321b

 最後に、あちこちで「近

 年再発見された」という

 ような言葉と共に紹介さ

 れてるのが『沼田家記』。

 左は福岡県・添田町HP

 よりお借りした(元は熊

 本大学・永青文庫)。

   

 近年とはいつなのか、ほと

 んど情報が見当たらないか

 ら、誰かの言葉がネットで拡

散してるのだろう。

    

私が調べてみると、ネットにこの文献が登場したのは2002年頃だから、既

に12年前。ただ、マイナーな情報だったようで、ウィキペディアに登場するの

は2006年7月、研究者の福田正秀が加筆してた。

         

この書物が評価されるポイントは2点。小倉碑文に次ぐ古さと、第三者的な

立場。しかし、巌流島の記述を見ても、とてもそのまま信頼できるものとは

思えない。単なる噂話のまとめがかなり混ざってる可能性は十分ある。

       

武蔵の弟子たちが島に隠れていて、小次郎にとどめを刺したのに怒って、

小次郎の弟子たちが島に渡ろうとしたとかいう話だが、そんなに早い情報

伝達は当時考えにくいだろう。そもそも島は当時、非常に小さくて、複数の

人が隠れるのも妙な発想だし、もちろん卑怯な行動。共に、あり得ないとま

では言わないが、少なからずの想像や脚色を感じる。実際、顕彰会本でも

疑問を呈してるのだ。。

   

    

         ☆          ☆          ☆

とにかく、最近の東アジアの歴史論争から考えても、400年前の孤高の武

人の真実を知るというのは極端に困難なこと。元の数百年前の本にもなか

なか辿り着けないのが現実。間接的な情報や写し(コピペ)だらけなのだ。

      

結局、そうした様々な資料を元に、それぞれが「歴史」(history)と言うより

「物語」(story)を創り上げることになる。英語のwiktionaryによると、ヒス

トリーとストーリーの語源は共に、「調べて学んだことを語ること」となってた。 

     

その意味で、吉川が創った「ヒストリー」は非常に魅力的な「語り」だったわけ

140321c

  だ。私も学び続けるが、

  あの語りを超えて語るの

  は大変だろう。 

  

  左は『二天記』の写真で、

  東京国立博物館公開の

  画像。これさえ、原本か

  どうか分かりにくいのが

  実情だ。

  ではまた。。☆彡

          

 (計 2646字)

   

  

cf. 『宮本武蔵』第一夜、短い感想&原作小説との比較

   『宮本武蔵』第二夜と原作小説(by吉川英治)、感想と比較

       

                          (追記 54字 ; 合計 2700字)

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「日傘男子」、雨傘男子より歴史的に古いのか♪

毎年、お盆休みの前は、仕事に追われることになる。今年も、来週一杯は

あおられる事になるから、「仕事で忙しいから単なるつぶやきたけど、何か

?」とか、適当なタイトルの記事でお茶を濁そうかと思ってた。でも、ちょっ

と個人的に面白かったコネタがあるから、書いてみよう。過去の経験上、意

外にこうゆう記事が、地味なロングセラーになったりするのだ♪ 例えば、3

日前にアップした妙なディズニー記事(?)にも、わりとアクセスが入ってる。

         

事の発端とか言うと大げさだけど、今朝、朝日新聞の朝刊を流し読みしてた

ら、面白いタイトルのミニ・コラムが目についたのだ。「クールな日傘男子」♪

       

ここ数年、何にでも、「・・・女子」とか「・・・男子」とか接尾辞もどきを付けるの

が流行ってるけど、「日傘男子」を実際に見た覚えは無い。でも、言われて

みると、日傘っていうのは効果的でエコなグッズで、男が使っても暑さや紫外

線防止に役立つだろう。ちなみに、その記事は、「節電暑世術」という企画の

1本なのだ。記者は机美鈴・・・って、机(つくえ)さん? 変わった名字だね♪

     

短いコラムには、2つの話が書かれてる。一つは、衣類が身体に与える影

響を研究してる、神戸女子大の平田耕造教授。思いつきで、暑さ防止に

「雨」傘を差してみた所、涼しさを実感。30度で実験すると、傘下15cmが

20度まで下がったそうだ。もう一つは、男性用日傘を扱う京都市の傘メー

カー「リーベン」のコメント。その涼しさを知ると、手放せなくなるとか。

     

早速、この会社のHPに飛んでみると、詳しい実験データが示されてた。時

間の経過につれて、何度の冷却効果があるのかを示すグラフがあって、

一番ひんやりする商品だと、15分後普通の日傘より12.5度も低くなっ

てる☆ という事は、日傘無しと比べると、少なくとも15度前後は低くなるっ

てことだろう。もちろん、実験の設定条件は、実際の使用の際とは違うから、

話半分とか「話4分の1」にしても、ハッキリした効果があるようだ。例の

感敷きパッドのデータだと、ここまでハッキリした違いは示されてなかった。

       

           ☆          ☆          ☆

しかし、効果がハッキリあるし、値段も手ごろだと分かってても、「男子」

とって日傘はカッコ悪い。こうゆう世の中だから、下手すると不審者扱い

通報される恐れもある♪ マジメな話、監視カメラのある場所だと、「何だ、

この男は。顔を隠してるのか?」とか、警戒されるだろう。やっぱり、男子の

習慣にはまだ無いのだ。こうなると、マニアック・ブロガーとしては、傘の歴

気になってウズウズしてしまう♪

     

そこで、まず手始めに日本語のウィキペディアを見ると、いつもながら説明

のレベルが低いわけだが、外部リンクとして示されてる元ネタのHPは参考

になった。「博多の傘屋 しばた洋傘店」、創業105年の歴史を誇る老舗だ。

さらに元をたどると、昭和43年の業界内の文章を参照してるらしい。

   

この傘屋HPの「傘物語」というページを読むと、もともと傘とは、世界各地で

日よけとして使われてたとのこと。語源を探ると、ラテン語の「Umbra」(日陰)

が、イタリア語「Ombrella」(日傘)になり、英語の「Umbrella」(アンブレラ:

主に雨傘)になったそうだ。つまり、使い方においても言葉においても、洋傘

とはもともと「日傘」だったのだ(ただし一番最初、4000年前は祭礼用)。

        

使うのは基本的に「女子」だけど、「男子」のオシャレさんも真似することがあっ

たらしい。つまり「クールな日傘男子」は、「雨傘男子」より先に存在した♪ 

おそらく、「雨傘女子」よりも先だろう。

        

         ☆          ☆          ☆

では、いつ雨傘になったのか。日本の和傘(油紙製)は、室町時代(1336

~1573)から雨傘として使用されてたとウィキにあるけど、今では傘とい

うと洋傘だ。この洋傘が、単なる日傘ではなく、雨傘としても使われるように

なったのはいつなのか。

      

これが、傘屋HPでも日本版ウィキでもハッキリしない。どちらも、わりと有名

な「男」のエピソードだけが強調されてるのだ。つまり18世紀の後半、一人

イギリス人男性(ジョナス・ハンウェー:Jonas Hanway)が、変人扱いされな

がら雨よけとして使ったとかいう話。でも、女子がどうだったのか、また、西欧

に限らず世界ではどうだったのかが、よく分からない。

    

そこで、毎度お馴染みの切り札、英語版ウィキペディアの「umbrella」の項

目を読むと、流石に笑っちゃうくらい詳しく書かれてるのだ♪ 

         

簡単に言うと、「遅くとも」18世紀の初めには、ヨーロッパの女性が雨傘とし

使ってたようだ。1708年の文献に、女性の雨除けとして普通に使われて

るという記述があるから、雨傘が「18世紀から」という傘屋HPの一口コメン

トは怪しい。おそらく始まりは17世紀以前だろう。正確な年代はさておき、女

性による雨傘使用を、男性が数十年(以上)経ってから後追いしたから、変

人扱いされたというわけ。

       

一方、中国だと、かなり古くから雨傘としての用途があったようで、明確に

は書かれてないけど、ヨーロッパはもちろん、日本よりも先なのは間違いな

い。という事は、1000年~2000年ほど前だろうか。。

        

       

         ☆          ☆          ☆

とにかく、少なくとも普通の洋傘については、「日傘男子」の方が「雨傘男子」

より先のようだ。まだ、年代にも地域にも、かなり曖昧な部分が残ってるけ

ど、ブログのコネタ記事としてはこの程度で十分だろう・・・って言うか、今こ

んな事を調べてる場合じゃないのよ (^^ゞ

      

何か分かったら、また後で追記することにしよう。この「追記」ってものが、

ウチのマニアックさの一つで、昨日のサッカー心筋梗塞記事にも既に、数

百字の追記をしてあるのだ。もちろん、追記する度に記事を更新すること

になるから、そうゆう地道な努力は、Googleのロボット君もしっかり見てて

くれるだろう♪ それでは、今日はこの辺で。。☆彡

        

                                (計 2430文字)

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豊臣秀吉の太閤検地、面積の測量方法~朝日新聞「花まる先生」

昨日(9月25日)は久々の土曜出勤。疲れた・・・って感じで帰宅して、ホッ

と一息。朝日新聞・夕刊を広げると、ズ~ンと疲れが増して来た。「謝罪と

賠償」・・・絶句。。大阪地検のFDデータ改ざんなんて、どっかに吹っ飛んだ

感があるね。やっぱ、防衛とか安全保障の問題は国家の根幹だな。1面を

読んでドンヨリ暗くなった後、2面を見ると、妙に面白い記事って言うか、ワ

クワクさせる図形が載ってる。理屈屋の気分転換にはピッタシだ☆

        

見出しは、「太閤検地に学ぶ知恵」。「花まる先生 公開授業」シリーズの記

事で、小学校の歴史(社会科)の授業に、風変わりな算数を取り入れてる

のだ。山形・酒田市立松原小学校の大井康嗣(こうじ)先生、素晴らしい!

三ツ星の代わりに、花まる3つ差し上げよう。今後は3つ花・小学校と名乗っ

て、越境入学生を集めて頂きたい♪

          

 (追記: その後、疑問が膨らんだので、とりあえず花2つに減らしとこう。

      場合によっては、1つに減らすかも。記事末尾のP.S.参照。)

       

算数のレベルは別に高くはないけど、社会の教科書に載ってる測量の絵か

ら、面積計算の方法を読み取るって発想が独創的だ。欲を言うなら、その絵

をもっとハッキリ載せるか、せめて教科書の出版社を書いて欲しかったけど、

まあ黒板に貼った図の写真からある程度は読み取れるから、オマケしよう。

追記: 記事は朝日新聞のHPでも読める)

   

          ☆          ☆          ☆

西洋文明が一挙に入って来た明治維新の前にも、日本には優れた学問や

文化があった。その事を示す例として、安土桃山時代豊臣秀吉が行った

太閤検地における、田畑の面積の測量方法を、6年生に教えてるそうだ。

田畑の形は整ってないから、とりあえず辺や角度がバラバラの不等辺四

角形だと考えて、その面積の求め方を生徒に考えさせる。

    

普通は、対角線を1本引いて、2つの三角形に分けて考えるわけで、生徒

もそう答えたらしいが、先生は言う。「正しい方法ですが、どうやらそうじゃ

なかったらしい」。検地の絵を見て、自分で色々考えた末に、当時の測量

法を読み解いたそうだ。下の図を見てみよう。朝日の記事に載ってるもの

とほぼ同じで、先生が黒板に書いてるものよりは詳しい。

       

100926a

 まず、左の辺ABの

 中点と、右の辺DC

 の中点を、横に結ぶ

 線を引く(長さ c)。

 そこに、上の辺AD

 の中点と、下の辺

 BCの中点から、垂

 線を下ろす(長さ a,

b)。この時、四角形ABCDの面積は、c×(a+b)になるようだ。

     

100926b

 これだけなら、フ~

 ン・・と流してたと

 思うし、生徒もあん

 まし食い付かないだ

 ろう。ホホーッと思っ

 たのは、元の四角形

 を、あ、い、う、え、

の4つにバラしてつなぎ変えると、長方形になるって説明だ(上図)。上手い!

これは興味が湧くな♪ 不等辺四角形を、4つの小さな不等辺四角形にバラ

してつなぎ合わせると、キレイな長方形。エライぞ、400年前の日本人☆

      

という事は、朝日の記事には書いてないけど、実は a=b。つまり、2本の

垂線の長さは等しいってことだ。面積は当然、2ac とも書けるし、2bcとも

書ける。c×(a+b)と書いたのは、aとb両方を使った方が数式的に美しく

見えるからだろう。。

          

         ☆          ☆          ☆

実はこの記事を読んでしばらくは、ホントに a=b になるのかな?とか、ホ

ントに長方形になるのかな?とか、疑問に思ってしまった。また間違いを発

見して、朝日新聞社に電話して、無愛想な応対を受けるのも面白いかも♪

とか、屈折した興味も湧いたわけだ。ちなみに、昔一度だけ指摘した時、

応対は無愛想だけど、翌日の新聞にはちゃんと一面に訂正が掲載された。

この辺り、さすが日本を代表するマス・メディアなのだ(謝礼はなし)。

                

ところが、流石は花まる先生と天下の朝日新聞。やっぱり正しかった。ま

ず垂線の長さ a と b が等しいことについては、一瞬、高校数学のベクトル

の内積で計算しようとして、やっぱり座標軸を設定。頂点Bを原点(0,0)、

直線BCを x 軸とし、残りの3頂点の座標を、A(p,q)、C(r,0)、D(s,t)

とする。

      

この時、左右の中点を結んだ横線の式は、「一般形」で書くと

  2(q-t)x+2(r+s-p)y+pt-qr-qs=0

ちなみにこれは、先日話題にしたx,yの一次不定方程式でもある。また、

y=・・・の形(切片形,1次関数)で扱えば、中学校の数学でも一応処理で

きる。一方、上辺の中点の座標は ( (p+s)/2,(q+t)/2 )。下辺の

中点は、( r/2,0)。

      

これらから、「点と直線の距離」の公式を用いて、垂線の長さを計算すると、

a も b も次の分数で表されることが分かる。分子の縦棒|は絶対値記号、

分母の √ 以降はルートの中身だ。

   |pt-qs-rs| / 2√ {(q-t)²+(r+s-p)²}

     

         ☆          ☆          ☆

式計算などせず、次の図形的変形からすべて納得してもいい。ただし、きっ

ちり証明するなら、最低限、角度計算の式は必要になる(以下では省略)。

      

100926c2

 まず、元の四角形の

 上半分だけを変形

 る。左図のように、

 四角形「あ」を180

 度回転させて、四角

 形「え」の上に重ね

ると、長方形の左半分が出来る。

     

100926d2

 続いて、元の四角形

 の下半分だけを変形

 する。左図のように、

 四角形「う」を180

 度回転させて、四角

形「い」の下に重ねると、長方形の右半分が出来る。後は、先に作った左半

分と合体させれば、しばらく上で載せた長方形が完成する。。

     

          ☆          ☆          ☆

理屈では納得できない人は、紙に書いてハサミで切って、確かめると頷け

だろう。実際、特に小学校教育だと、そうゆう身体で感じる作業は重要

だと思う。算数とか数学は、思考の世界と現実の世界がなぜか上手く調和

してしまう、非常に不思議な学問。その不思議さを感じることは大切だし、

それを実体験で和らげることも大切だろう。それでも納得できないごく一部

の人は、数学基礎論や哲学の世界に進めばいい。それで納得できるかど

うか、解決するかどうかは、別問題として。。♪

    

正直、ブログで算数や数学ばかり特別扱いするのは抵抗があるんだけど、

今回は妙に面白くて、計算までしちゃったから、ついでに記事を書いてみ

た。考えてみると、小学校時代から、不等辺四角形というのは嫌いだった

気がする。見た目も変だし、面積計算もしにくいし、名前もひねくれてる。で

も、こんなやり方でキッチリした長方形になるのなら、少し見方を変えても

いいかも知れないね。

     

それにしても、どうして太閤検地ではそんなやり方で面積を測ったのか、そ

の理由はまだ分からない。三角形2個に分ける作業の方が単純で速い

思うんだけどな。私が小学生なら、そう質問すると思う。垂線の長さを測る

作業を1回だけで済ませたいってことかね(a=bだから)。大井先生、その

辺りは如何でしょうか?♪

       

あと、新聞記事の写真をよ~く見直すと、黒板の図が辺の中点を使ってな

いように見えるし、黒板に貼られた教科書の図(の拡大コピー)でも、少な

くとも左側は、中点になってない気がするんだけど。。いずれ、社会科の教

科書で確認してみよう。

それでは、今日はこの辺で。。☆彡

    

     

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

P.S.記事アップの翌日、やっぱり気になったので、検地の図をGoogle

    で画像検索してみた。すぐ出て来る2つの絵のうち、1つは朝日の

    記事の黒板写真にあるものと非常に似ている。少なくとも、この2つ

    だけから見た時、不等辺四角形を小さな不等辺四角形4つに分けて

    るようには見えないし、交差させた縄の直角を確認する「十字木」の

    使い方も、単純に中央で1箇所使ってるだけだ。

         

    そもそも、絵は2つとも等辺四角形と言うよりむしろ、隣り合う2つ

    の角が直角になった台形だろう。朝日の記事を読み直しても、「辺

    や角度がバラバラの四角形だと考えて」と書かれてる。つまり、バラ

    バラの不等辺四角形、不等角四角形というのは、(差し当たりは)

    仮定にすぎないのだ。

                 

    既に著作権は無いと判断、公益性のある適度な引用でもあるので、

    ここに絵を1つ挿入しよう。おそらくこれは、朝日の記事のものとほ

    ぼ同じだろう。僅かな違いは、同じ絵からの写本を通じて生じたもの

    だと思われる。役人と竹の位置もよく見て頂きたい。特に、一番上

    一番右の役人&竹の位置。田畑の頂点から少しズレてる、奇妙な

    位置になってるのが分かるだろう。中央は、見にくいけど十字木だ。

            

100927kenti

                

    検索して出て来る解説記事の説明を読んでも、やはり大井先生の

    記事は、間違ってるとまで言えるかどうかはともかく、歴史的根拠が

    薄弱のような気がする。おそらくあの絵を誤解して、単なる算数の

    図形の授業をしてしまってるのだ。算数としては正しくて面白いけど、

    当は台形の田畑を下図のように測ってだけではないのか。こ

    れなら、三角形2つに分けるよりも簡単だから、遥かに納得できる。

            

100927

       

    面積は当然、2本の縄の長さの掛け算。つまり、長方形に変形した

    時の縦×横だ。縄は垂直方向と水平方向になる(証明は、中学3年

    の中点連結定理とか)。横向きの縄をクロスさせる点はどこでもい

    い。つまり、横縄の左端(と右端)は、田畑の中点で無くてもいい

    けで、元の絵とも整合的。計算も簡単で、実用的だ。私が抱いてた

    疑問もすべて消える。なお、数学的必要性はないが、絵を見る限り、

    横縄の左右は、田畑ではなく長方形の左右の中点にしてるようだ。

           

    できれば、ご本人か、朝日の山根由起子記者の見解をおたずねし

    たいと思ってる。ちなみに、授業のやり方としては確かに面白い。

    ただ、絵の歴史的・数学的解釈に誤解があるのでは?と疑問を抱

    いてるだけだ。単なる誤解なら、今後の授業では訂正して、朝日新

    聞も訂正を掲載する。それで全てOKだろう。。☆彡

      

P.S.2 大井康嗣先生ご本人から、上の指摘に同意するコメントを頂い

      たので、長文のレスで応答させて頂いた。絵の出典や、参考書

      にも触れてある。下のコメント欄を参照。。☆彡

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