テロで妻を失ったレリスさん、「憎しみという贈り物はあげない」(フランス語・英語・日本語対訳)

2015年11月13日、パリ同時多発テロが発生して1週間。殺された罪なき人

達の人数だけを考えると、他にも似たような事は起きてるし、殺人・攻撃の応

酬はできる限り避けたい。だからと言って、テロを放置する訳にもいかないが、

空爆や無人爆撃機なら放置していいのか・・という問題もある。

 

151121  さて、具体的にどうする

  か。単なる日本の一市民

  として考える時、心を打た

  れるのが、アントワーヌ・

  レリス(Antoine Leiris)

  氏のメッセージだ(11月

  16日)。テロで妻を亡くし

  た仏人ジャーナリストの

  彼が、フェイスブックに載

  せた手紙形式の文章は、

  世界中に拡散している。

  ラジオ・ネットワークの

  「France Bleu」所属、

映画愛好家というプロフィールの持ち主だ。

 

先日、Yahoo!でも「元人質が語る『ISが空爆より怖がるもの』」という記事が

話題になってたが、このレリスさんの文章はそれと似て非なるものだ。決定的

な違いは3点。自らが遺族であること、個人的な思いの詩的表現に留めてるこ

と、国や政治への言及はほとんど避けてること。

 

もちろん、なかなか真似のできることではないし、「では、今後どうするのか」

という問いも残る。ただ、一市民としては、非常に参考になる考えの一つなの

で、早速もとのフランス語と英訳をチェックしてみた。私が最初に読んだのは、

11月20日の朝日新聞・朝刊の邦訳(渡辺志帆記者)だが、やはり微妙に違

いがあるわけで、仏文・英文と比較したのは正解だった。

 

(☆追記: 11月22日の朝日・朝刊では、レリスさんへのインタビューを掲載。

       朝日新聞デジタルでは、一問一答も掲載。)

 

 

         ☆          ☆          ☆  

既に世界中に拡散してるSNSの文章であるし、好意的な引用なので、著作権

の心配は不要だと考える。ただ、全文は避け、より重要だと思われる前半のみ

を引用させて頂こう。1文ごとに、フランス語、英語、日本語の順で掲載。英語

を載せるのは、日本語よりもフランス語に近いし、世界で読まれてる言語だか

らだ。

 

現在、レリス氏の facebook はアクセス不能になってるようだから、元のフラ

ンス語(赤い字)は、フランス・インフォ(france info)が掲載してるキャプチャー

画像を利用。アクセント記号は省略。Googleのキャッシュ・データでも確認した。

(☆12月8日追記: 該当ページのみ、アクセスできた。)

 

英訳(青い字)としては、テレグラフ(telegraph)を使用。日本語訳(黒い普通の

字)は基本的に朝日に従ったが、一部は私の判断で変更。なるべく直訳に近く

してある。ただし、ここでの引用の最後は訳しにくいフランス語で、相手を軽くか

らうようなニュアンスなんだろうと想像する。それでは以下、ご参照あれ。。

 

 

           ☆          ☆          ☆

  Vous n’aurez pas ma haine.

  You will not have my hatred.

  君たちは、私の憎しみを手にすることはない。

 

  Vendredi soir vous avez vole la vie d’un etre d’exception,

  l’amour de ma vie,la mere de mon fils mais vous n’aurez

  pas ma haine.

  On Friday evening you stole the life of an exceptional 

  person,the love of my life,the mother of my son,but

  you will not have my hatred.

  金曜の夜、君たちは素晴らしい人の命を奪った。私の最愛の人であり、

  私の息子の母親だ。しかし君たちは、私の憎しみを手にすることはない。

 

  Je ne sais pas qui vous etes et je ne veux pas le savoir,

  vous etes des ames mortes.

  I don’t know who you are and I don’t want to know,

  you are dead souls.

  君たちが誰かも知らないし、知りたくもない。君たちは死んだ魂だ。

 

  Si ce Dieu pour lequel vous tuez aveuglement nous a fait

  a son image,chaque balle dans le corps de ma femme

  aura ete une blessure dans son coeur.

  If this God for whom you kill blindly made us in his

  image,every bullet in the body of my wife is wound in

  his heart.

  もし神が自らの姿に似せて我々をつくったのなら、私の妻に撃ち込まれ

  た銃弾の一つ一つは、神の心の傷となっているだろう。

 

 

          ☆          ☆          ☆   

  Alors non je ne vous ferai pas ce cadeau de vous hair.

  So no,I will not give you the satisfaction of hating you.

  だから決して、君たちに憎しみという贈り物はあげない。

 

  Vous l’avez bien cherche pourtant mais repondre a la

  haine par la colere ce serait ceder a la meme ignorance

  qui a fait de vous ce que vous etes.

  You want it,but to respond to hatred with anger would

  be to give in to the same ignorance that made you what

  you are.

  君たちは憎しみをとても欲している。しかし、憎しみに怒りで応じることは、

  君たちと同じ無知に屈することになる。

 

  Vous voulez que j’ai peur,que je regarde mes concitoyens

  avec un oeil mefiant,que je sacrifie ma liberte pour la 

  securite.

  You would like me to be scared,for me to look at my

  fellow citizens with a suspicious eye,for me to sacrifice

  my liberty for my security.

  君たちは、私が恐れ、隣人たちを疑いの目で見つめ、安全のために自由を

  犠牲にすることを望んでいる。

 

  Perdu.Meme joueur joue encore.

  You have lost.

  君たちの負けだ。私というプレーヤーはまだ健在だ。 

                                (以下、後半省略)

 

 

 

P.S. 朝日の11月30日・朝刊、天声人語でも、「君たちに憎しみという贈

     り物はあげない」は、11月の言葉の一番目として引用された。人間

     の気高さに胸を打たれた、とのこと。

 

 

P.S.2 同時多発テロでテラス席が銃撃され、客5人が死亡したパリのカフェ

      バー「ボン・ビエール」(LA BONNE BIERE : いいビール)が12

151208a  月4日に営業再開。「

  はテラス席にいます

  (JE SUIS EN 

  TERRASSE)という

  横断幕を掲げた。写

  真はフィガロHPより

 

  前置詞「EN」は、否定

  を表す接頭辞「IN」と似

  た発音だから、「私は

  テロリストではない」

という意味を読み取ることも出来なくはない。つまり、以前拡散した「私は

シャルリーだ」の変形とも考えられる。店主の意識的な意図は別として。。

 

 

P.S. 16年6月、ポプラ社から、『ぼくは君を憎まないことにした』という

     翻訳本が出版され、レリス氏も来日。日テレ、テレビ朝日などの

     取材を受けてた。例の文章の他に、色々含めたドキュメントとの

     こと。訳者は土居佳代子、税込1296円。

 

                  (追記 522字 ; 合計 3092字)                    

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「私」とは一人の他者なのです~詩人ランボー「見者の手紙」(フランス語原文付き)

久々に休日の土曜日。記事ローテーション的にはそろそろ数学記事を書くべ

きだが、溜まった新聞を片付ける途中、人文的記事が目に留まってしまった。

と言うより、冒頭に掲げたわりと有名な言葉が目に入ったのだ。

 

2015年10月29日の朝日新聞・朝刊1面、シリーズ「折々のことば」。そ

の筆者については、今まで2本の記事を書いてる。

 

   哲学者・鷲田清一の自殺論(朝日新聞)  (2007年)

   鷲田清一の住宅&身体論「身ぶりの消失」~2011センター試験・国語

 

前にも書いたが、この人の文章は「なるほど」と納得したり、「素晴らしい」と

感心したりする対象と言うより、「面白い」と刺激を受ける対象だと思ってる。

刺激を受けた後は、自分で調べたり考察したりすればいいわけで、今回の

短い囲み記事もその類だ。

 

 

          ☆          ☆          ☆

僅か200字ほどの連載コラムだから、引用の仕方に気を使うが、前半だけ

引用させて頂こう。

 

     ≪私≫ってのは他者なんです。

                     アルチュール・ランボー

     私は自分のことを「私は」と語りだす。が、「私」は私だけが使う語

     ではない。だれもが自分のことを「私」と言う。そのかぎりで「私」は

     もう私に固有のものではない・・・・・・。  

                            (注. 末尾の点も元のまま)

 

 

151031a  18世紀のフランスの詩人、ランボー

  (A.Rimbaud ; 1854-1891)に

  ついては、翻訳本を昔サラッと流し読

  みした程度だが、この言葉だけはあち

  こちで見聞きしてた。写真はウィキメ

  ディアより。パブリック・ドメイン(公的

  所有)。作者はEtienne Carjat。

 

鷲田は鈴村和成訳『ランボー全集』から引用してるが、フランス語原文(後

述)をもっと普通の日本語で訳すなら、「『私』とは他者である」、「『私』とは

一人の他者なのです」となる。現代の口語体でも、「ってのは」とは言わない

から、「私って、他人なんです」とかだろう。。

 

 

          ☆          ☆          ☆

鷲田の短い説明だけ読むと、次のような論旨だと感じられる。──「私」とい

う言葉は誰でも使うから、これだけを考えても、「私」は私に固有のものでは

ない。その意味で、「私」とは他者だ──。

 

これは「私」という単語の一般性、共通性に偏った説明で、元のランボーの

考えからズレてるような気がするし、もちろん鷲田自身も、ズレを分かってて

意識的に書いたのだと想像する。

 

そこで、フランス語の原文をチェックしてみた。著作権が消滅してる有名人の

文章は、ネットですぐ見つかることが多い。ただし、ネットでは多少間違った

情報の拡散も多いので、信頼性のあるソース(情報源)を使う必要がある。

今回は、ウィキペディアと同系列の「ウィキクォート」(引用集)、「ウィキソー

ス」(原資料集)で簡単に発見できた。

 

原文は2つの手紙で、ほぼ同じ時期に似た内容を書いてるから、「見者の

手紙」(letter du voyant)と呼ばれてる。「見者」とは「賢者」ではなく、文

字通り「見る者」のこと。最終的、理想的には賢者を目指すものの、差し当

たりは「見る者(を目指す詩人ランボー)が書いた手紙」という意味で、内容

的にも、見る者(=自分)についての告白だ。

 

それは「話者」でも「書者」でもないし、「聞者」でもない。言葉より、認識が中

心となってる。時代的制約もあってのことか、認識は言葉に応じて変わると

いうような、かなり20世紀的な思想もあまり感じない。少なくとも2通の手紙

を読む限りは。。

 

 

          ☆          ☆          ☆

では、まず1通目。1871年5月13日、教師・イザンバール(Izambard)へ

の手紙の後半より。文字化けを避けるため、フランス語独特のアクセント記

号は省略。

 

   ・・・・・・C’est faux de dire : je pense : on devrait dire :

   On me pense.── Pardon du jeu de mots.──

     Je est un autre.Tant pis pour le bois qui se

   trouve violon,et Nargue aux inconscients,qui ergotent

   sur ce qu’ils ignorent tout a fait!

 

   「私は考える」と言うのは間違ってます。「私は考えられる」と言うべき

   です。── 言葉遊びですみません。──

      私とは一人の他者です。自分をヴァイオリンだと思ってる木材な

   んて、お気の毒さま。全く知らないことについて屁理屈を語るような無

   自覚な人達には、軽蔑を!

 

 

まず前半について。おそらく、哲学者デカルトの有名な言葉「je pense,

donc je suis」(我思う、ゆえに我あり)をもじって、「je pense,On me

pense」と遊んでるのだと思うが、ここだけだとハッキリしない。

 

いずれにせよ、色々と思う主体(デカルト『省察』に詳しい)、とりわけ考える

主体としての特権的な私の代わりに、(単なる)一人の他者として私(je)を

考えてるのだろう。次の手紙の内容も考慮して解釈すると、おそらく、見られ

る者としての「未知」なる私に対して、見る者、見ようとする者としての私は

一人の他者だと言いたいのだと思う。

 

だからこそ、大変なことなのだ。もう1人の深遠なる他者としての自分を見る

こと、見者になることは。そして、それに言葉を与える詩人になることは。

 

後半は、「Je」という一人称・単数の「私」に対して、3人称・単数の動詞「est」

を使ってる。一人の他者としての私だから、文法的に自然だ。その後は、単な

る木材のくせに楽器だと思いたがる人達への強烈な批判が続く。人文系で特

別な才能を持つ人によく見られる攻撃で、一般人の読み手としては、あっさり

受け止めるか、あるいは受け流す所だろう。ランボーのファンを除いて。。

 

 

        ☆          ☆          ☆

続いて、2通目。1871年5月15日、詩人である友人・ドゥムニー(Demeny)

への手紙。時間的にも余力が無いので、ほんの少しだけ。こちらは、先生で

はなく対等な相手への手紙だから、翻訳の文体は変えておいた。

 

     Car Je est un autre.Si le cuivre s’eveille clairon,

     il n’y a rien de sa faute.

 

     というのも、「私」とは一人の他者だから。もし銅が目覚めてラッパ

     になるとしても、銅に落ち度はない。

 

 

「というのも」が、直前の文章(ロマン主義とシャンソンの話)とどうつながって

るのかは分かりにくいので、とりあえず保留しとこう。後で分かったら補足する。

 

簡単な事実として、この2通目だと、文の途中なのに「Je」と大文字で始まっ

てるから、日本語訳でも「私」とか≪私≫と強調することになる。ただ、明治大

学の権藤南海子氏の論文だと、小文字で「je」とされてるので、ウィキソース

その他が間違ってる可能性も一応ある。この点もとりあえず保留。ちなみに、

1通目の「Je」は文頭だから、大文字で当たり前。ちなみに2通目の少し後で

は、大文字で「Moi」(私、自我)とも書かれてる。

 

ランボーは、1通目で、バイオリンだと思いたがる木材のような人達を軽蔑し

てたけど、2通目では自分を、ラッパを目指す銅だと見て、正当化してるよう

な感じだ。ラッパだと自称してるのだから、自嘲的に自負心を示してるのだろ

う。ラッパを動詞として使うと、甲高い声で言いふらすといったネガティブな意

味も入って来る。日本語と同様、バイオリンとラッパのイメージは違うのだ。

 

 

         ☆          ☆          ☆      

なお、2通目の少し後には、「詩人になりたい人が最初にする学習は、自分自

身の(sa propre)完全な認識だ」とも書いてる。

 

この辺りを読んでも、たとえば精神分析家ジャック・ラカンによる現代思想とは

かなり違ってるように感じる。ラカンなら、「自我とは他者なのです」という言葉

に加えて、自分の認識など誤解にすぎない、と笑い飛ばすわけだ。

 

主観=主体と、客観=客体との本質的断絶や、文法的な階層の違いを重視。

決して到達できない主語としての「Je」を、対象化してとらえようとする動きは、

本質的欠如に向かう欲望なのだ。不可能だからこそ、歪曲され、反復するこ

とになる。

 

長くなって来たので、今日はそろそろこの辺で。。☆彡

 

                                  (計 3296字)

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Allez,je vais pas au travail aujourd’hui.~『きょうは会社休みます。』のフランス語訳

テレビ朝日、大げさ! 昨日の記事で触れた、「ペヤングやきそば」。自主回収

141212b  で店頭から消えたか

  ら、ネットで「1万円

  の高額取引も?」っ

  てことで、今日の夕

  方、大げさにテレビ

  &ネット報道。22時

  過ぎにヤフオクでチェッ

クしてみたら、1000円~1500円で一杯売れ残ってた (^^ゞ

 

ま、普段の5倍~8倍程度の高額取引なのは確かだし、1万円の表示の後に

「?」は入れてあるけど、マスメディアのニュース報道としてはミスリーディング

な(誤解を招きやすい)もので、全く感心しないね。とはいえ、店頭から消えてる

のは私も確認した。ペヤングの代わりに、鍋焼きうどんを置いてたのだ♪

 

それより、これを機に容器を変更するかも知れないってニュースの方が驚きか

も。あの四角い容器とレトロなデザインが良かったのに。湯切りも簡単だし。。

 

 

           ☆          ☆          ☆

・・・って話じゃないのだ♪ 『きょうは会社休みます。』のフランス語訳ね。これ、

コミックであちこち強調してるのに、ネットにほとんど情報が無いし、日テレの

ドラマ公式サイトでもスルーしてる。ここはマニアック・サイトの出番でしょ。

 

いや、ホントはドラマ記事の冒頭に書こうと思ってたのに、もう眠いから、そこ

だけで1本の記事にしちゃえって事なのだ。正直で、いいね♪ イソップ物語な

らご褒美に、金と銀のエンゼルを貰えるだろう・・・って、斧だろ!

 

とにかく、藤村真理の原作コミック(集英社)だと、表紙のタイトルの脇にいき

なりフランス語があるし、中身にも数ヶ所、同じ仏語訳が書かれてる。

 

141212a_2

 

 

   Allez,je vais pas au travail aujourd’hui.

  (アレ, ジュ ヴェ パ オ トゥラヴァーユ オジュルデュィ.)

 

くだけた会話の形だから、否定を表す「ne」(ヌ)は省略、「pas」だけになってる。

この近接未来を表す仏文を直訳すると、「さあ、きょうは仕事行きません」であっ

て、「きょうは会社休みます」という日本語とちょっとズレてるのだ。

 

一番フツーの仏訳なら、単純未来で「Je m’absenterai du bureau ・・・」

か、現在形で「Je m’absente ・・・」じゃないかね? 前置詞+冠詞は「du」

で合ってると思う。

 

要するに、コミックの仏語は、「会社=オフィス」を表すフランス語「bureau」

(ビュロ)の代わりに「travail」(トゥラヴァーユ)を使い、「休む」という動詞

「m’absenter」、あるいは「休んで」という形容詞「absent」の代わりに、「行

かない」(vais pas)を使用。さらに、「Allez」(さあ)なんて掛け声も入れてる。

 

 

           ☆          ☆          ☆

141212c  これらは、なぜなのか。理由を考え

  てみると、まず仕事を表す「トゥラ

  ヴァーユ」が半ば日本語になってる

  から、それを入れたかったのかも。

 

あと、冒頭の「Allez」は元々、「行け」という命令の意味で、自転車ロードレー

スの応援でも有名。だから、言葉遊びの自分ツッコミになってるのだ。

 

   「Allez,je vais pas ・・・」

    私は会社に行きません♪ 行けよ!

 

ちなみに、Allezとvaisは同じ基本単語「aller」の変化(活用)。二人称複数形

と一人称単数形なのだ。この言葉遊びに気付いたのは、Yahoo!翻訳

のおかげ。「行ってください、私は今日仕事に行きません」と、妙な日本語

に訳してくれたたから、アッ!と気付いたわけ。エキサイト翻訳も「行きなさい」

と誤訳。

 

こう説明しとくと作者か編集者がリツイートしてくれるかも♪ 大当たりでしょ?、

とブログで聞いてもリプライは来ないか(笑)。私もツイッター持ってるのにな。

「きょうもツイッター休みます。」なのだ。

 

 

            ☆          ☆          ☆

なお、元のままの仏文をGoogleで英語に訳すと、

   「Come on,I’m not at work today.」 

となって、近い未来の意味が消えてしまう。

 

でも、仏文で省略されてた「ne」を加えて、「・・・ je ne vais pas ・・・」で

英訳すると、見事に成功した。

 

   「Come on,I’m not going to work today.

 

この英文なら、「さあ、今日は仕事に行かないぞ」という日本語になるのはす

ぐ分かるはず。

 

さて、この「細かすぎて伝わらない」記事にどれだけアクセスが入るか、ある

いは、どれほど無視されるか(笑)、ちょっと楽しみだ♪ フランス在住の日本

人に期待しよう。ではまた。。☆彡

 

 

 

cf. 『きょうは会社休みます。』第9話まで、原作コミックとの比較

   『きょうは会社休みます。』最終回、軽~い感想♪

 

                                  (計 1883字)

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ベルトランの箱のパラドクス~フランス語原文と日本語訳、確率の計算

今日は時間がない中、ローテーション的に数学記事を書きたい所だから、

短くても意味のある、マニアックで面白い話を選んでみた。

   

時々書いてるように、知る人ぞ知る古い話を元の原書に遡って調べる記事

は、現在のネットにはほとんど無い。流通してるのは、元の話を誰かが言い

変えた話ばかりで、いつ誰が言い換えたのかも不明、その言い換え・書き換

えが正しいのかどうかも微妙。これは日本だけでなく、世界全体で言えること

で、ネット情報の限界や未成熟さを表してる。

       

   

          ☆          ☆          ☆

「ベルトランの箱のパラドクス」は、決してハイレベルな話ではなく、高校数学

の初歩レベル、または中学数学の面白ネタにすぎない。確率の基本中の基

本、複数の場合が「同様に確からしい」ということに関して、改めて考えさせ

るキッカケになるのだが、知ってるのは数学好きの一部に限られると思う。

    

実際、数学者ベルトラン(Joseph Bertrand1822-1900)の本国、

ランスのウィキペディアでさえ、独立した項目は無いし、本人に関する項目で

も説明されてない。日本語ウィキにも無くて、英語など4ヶ国版にあるだけ。

フランス語原文はどこにも載ってない状況だ。ちなみに「ベルトランのパラド

クス」という項目とは別物なので、念のため。「箱」(coffret : 引き出し付きの

ケース)というのがポイントだ。

    

パラドクス(逆説)とは、一見、論理的に奇妙に感じる話、謎のこと。実は奇妙

ではないパラドクスもあるし、本当に奇妙なパラドクスもある。今回の場合は

前者。つまり、数学的にしっかり考えればキレイに解決する話だ。個人的、心

理的に納得できるかどうかは別として。。

   

   

         ☆          ☆          ☆

140514a

  ではまず、フランス語の原文を、

  Internet Archive(インターネッ

  ト・アーカイブ)からコピペさせて

  頂こう。アクセント記号は省略。

  著作権はもちろん消滅している。

     

  『Calcul des Probabilite

  (確率の計算,1889)。公開さ

  れてるものは、1907年の第2

  版で、初版との違いまでは分か

  らない。ただ、初版から18年後

  で著者の死後だから、常識

  的にはほぼ同じものだろう。

下が該当箇所で、序文、目次に続く本論の2ページ目。つまり、ほぼ最初の

「つかみ」の面白ネタなのだ。

   

140514b

   

では、私の日本語訳(ほぼ直訳)を示そう。改行は原文と合わせてあるが、

句読点までは合わせてない。また、丸カッコに入れた接続詞は、文脈を補

うために私が挿入したものだ。

     

   3つの箱は、同じ外観を持ってる。それぞれの箱には2つの引き出しが

   あり、各引き出しには1つのメダルが入ってる。最初の箱のメダルはどち

   らも金製。2つ目の箱のメダルはどちらも銀。3つ目の箱のメダルは、1つ

   が金、もう一つが銀だ。

   

   (いま、)1つの箱を選ぶ。その引き出しに、金のメダルと銀のメダルが見

   つかる確率はいくらだろうか? 3つの場合が可能で、それらは同等だ。

   と言うのも、3つの箱の外観は同じだから。

     

   1つの場合のみがお目当てのもの。その確率は1/3だ。

   

   (さて、)その箱を選び、1つの引き出しを開ける。そこで見えたメダルが

   何であるにせよ、2つの場合のみが可能となる。閉じられたままの引き

   出しには、同じメダルが入ってるか、別のメダルが入ってる。これら2つ

   の場合の内、1つの場合のみが、異なるメダルの入ったお目当ての箱

   に当てはまる。だから、その箱を手に入れる確率は1/2だ。

   

   しかしながら、1つの引き出しを開けただけで、確率が1/3から1/2

   へと上がるなんて、信じられるだろうか?

  

   その推論が正しいということはあり得ない。(そして)確かに、その推論

   は間違ってるのだ。

   

   

           ☆          ☆          ☆

原文では更に、上と同じくらい分量の説明が続いてるが、パラドクス自体の

提示はここで終わりだし、残りは省略しよう。

  

これは、その後の「3囚人問題」(Three Prisonners problem)や、もっと

有名な「モンティ・ホール問題」(Monty Hall problem)と本質的に同じだと

考えられる。

   

つまり、話の本質は、「もともと対等だった3つの可能性の内、1つの可能性が

消えた時、残された2つの可能性あるいは確率は等しいとは限らない」という

事だ。3囚人問題なら、助かる囚人の候補が1人減る。モンティ・ホール問題

なら、当たりのドアの候補が1つ減る。

     

そしてこの「ベルトランの箱のパラドクス」(paradoxe de boite de Bertrand)

の場合、開けた引き出し(tiroir)のメダル(medaille)が金(or)だとすると、その

箱のメダルが銀(argent)2つである可能性が消えるわけだ。

  

では、残された2つの可能性の確率はどうなるか。問題を限定するなら、選ん

だのが金と銀の箱である確率はいくらになったのか。。

      

    

           ☆          ☆          ☆

ここでは2つの説明を簡単に示すだけにしよう。いずれにせよ、選んだ箱が金

と銀のメダル入りの箱である確率は1/3のまま1/2にはならないのだ。

      

(解答1) もともと、「2つのメダルが異なる確率」は1/3、「2つのメダルが

       同じである確率」は2/3。引き出しを1つ開けても、影響はない。

  

       よって、開けた引き出しのメダルが例えば金であった場合、

      (もう1つのメダルが銀である確率)=(2つのメダルが異なる確率)

                            =1/3

      (もう1つのメダルが金である確率)=(2つのメダルが同じである確率)

                            =2/3

     

     開けた引き出しのメダルが銀であった場合も同様。

     したがって、金と銀の箱を選んだ確率は、元の1/3のままである。

     

  

(解答2) 開けた引き出しのメダルが金であった場合について、「条件つき確

       率」の代表例である「原因の確率」の公式を用いて、計算してみる。

       つまり、ベイズ推計の定理を用いる。以下、P(・・・)は、「・・・である

       確率」という意味を表す。条件は、金の引き出しを1つ開けることだ。  

        

       P(その箱が金&銀の箱である)

         =P(金&銀の箱を選んで、金の引き出しを開ける)

                  ÷P(金の引き出しを開ける)

         =P(金&銀の箱を選んで、金の引き出しを開ける)

             ÷{P(金&金の箱を選んで、金の引き出しを開ける)

                +P(金&銀の箱を選んで、金の引き出しを開ける)}

         =(1/3)×(1/2)

              ÷{(1/3)×1+(1/3)×(1/2)}

         =(1/6)÷(3/6)

         =1/3

      

        開けた引き出しのメダルが銀であった場合も同様。

        したがって、金と銀の箱を選んだ確率は、元の1/3のままである。

     

                                 (Q.E.D. 証明終了)

   

それでは、今日はこの辺で。。☆彡

     

    

     

cf. 全国学力調査、伝説の確率の問題が登場♪ (モンティ・ホール問題)

   確率の面白い謎(パラドクス)、「2つの封筒問題」にハマりかけて♪

              

                                      (計 2726字)

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