芥川龍之介「藪の中」の暗い雨に差し込む、微かな光~映画『羅生門』(黒澤明監督、1950年)

芥川龍之介の短編小説『藪の中』については、11年近くも前に「真相」記事を書いてる。原案となってる『今昔物語集』も読んだ上での、論理的な考察。昨日の午後から急にアクセスが増えてるのは、NHKが日本を代表する映画を放映したからだろう。

   

黒澤明監督『羅生門』(1950年)。名前だけは何度も聞いてたし、芥川の小説『羅生門』なら今昔物語『羅城門』との比較記事も書いてるが、名作映画を実際に見たのは私も昨日が初めてだった。

     

新型コロナウイルスの感染が急拡大して来た2020年3月28日(土曜)。全国的に「不要不急の外出を控えて」という要請があった中、大人しくテレビでニュースを見てたら、急に『羅生門』が始まったのだ。監督の生誕110年を記念する放映。

   

しかも「デジタル完全版」とされてる。2008年、角川文化振興財団、フィルム・ファウンデーションの助成を受け、アカデミー・フィルム・アーカイブ、東京国立近代美術館フィルムセンター、角川映画株式会社が共同で復元を行いました、との事。試しに見始めたら、結局最後まで目を離せなくなったので、軽くレビューしとこう。

   

   

    ☆     ☆     ☆

この完全版の白黒映画、私はアマゾン・プライムでも確認したし、インターネット・アーカイブでも英語字幕付きで公開してた。まず、冒頭のオープニング・ロール(orクレジットタイトル)で原作を確認しとこう。

  

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芥川龍之介「藪の中」より、とだけ書かれて、同じ芥川の短編小説『羅生門』は書かれてない。ところが日本語ウィキペディァの項目をチェックすると冒頭で、『藪の中』と『羅生門』を原作に、と書いてる。

  

実際の映画全体を見ると、原作としては、『藪の中』8割、『羅生門』2割といった感じ。あるいは9割と1割とかで、圧倒的に『藪の中』から作られた物語だ(脚本・黒澤明、橋本忍)。

   

   

     ☆     ☆     ☆

ストーリーを追う前に、映画だからまず、映像美を確認しておこう。テレビドラマだと、圧倒的に台詞(セリフ)が中心となって作品が展開するが、映画では映像の比重が高い。ところが、それを具体的に語る感想は非常に少ないのだ。撮影は宮川一夫で、監督の評価も非常に高かったらしい。私も、プロフェッショナルな技巧と凝り方に感心した。

  

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例えば、上の一瞬のカットとか、なかなか目に留まらないはず。というのも、観客の目線はつい、中央の大木と暗い影にとらわれてしまうからだ。

   

よく見ると、大木を境にして、左下に盗賊・多襄丸(たじょうまる、三船敏郎)、右側に武士・金沢(森雅之)と妻・真砂(京マチ子)が映されてる。まるで、核心は大きな闇で、それをささやかな3人が取り巻いてる様子としても解釈できる。あるいは、全体を無意識的に支配してるのは、ファロス(男根)主義的な欲望の原理だと暗示してるようにも。

   

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上の2枚は、多襄丸による説明シーンに挿入された美しい箇所。2人の男が場を離れた間、白馬と共に女が静かに待ってるのだ。空からは光が差し込み、まるで両手を広げたキリストか十字架みたいな木漏れ日をバックにして、女が清流にたたずんでる。狙いすました構図で、もちろん余計なセリフなど入ってない。珍しく明るい音楽が軽く流れるのみ。

   

この映画、そもそも全体的に、セリフはあまり多くない。芥川による原作がどちらも短編だし、脚本もそれほど書き足してないのだ。それが、日本よりも外国で好評価だった理由の一つだろう。日本語が全く分からなくても、映像と字幕で十分楽しめるはず。

  

あと、言葉ではない音(虫の声、川の流れの音、草木のざわめき)も、世界共通で味わえる。その結果が、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞と、アカデミー賞外国語映画賞(現在の国際長編映画賞)となった。

  

ちなみに、多襄丸はしきりに虫(やぶ蚊)を気にして叩いてるが、カメラには(ほとんど)映ってない。大量の虫よけ・殺虫剤を使ったのか。まさか、デジタル修復の際にノイズとして除去されたのではないと思うが。

  

  

    ☆     ☆     ☆

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では、ストーリーを追うことにする。映画では、(平安時代の)荒れ果てた羅生門に土砂降りの雨が降り注ぐシーンから開始。最初に雨宿りしてるのは、木こり(志村喬)と僧侶(千秋実)。日本語ウィキでは、杣(そま)売りと旅法師と書かれてるが、英語版ウィキだと微妙に異なる表記で、「Kikori, the wood cutter」と「Tabi Hoshi, the priest」。

  

木こりが「わかんねぇ。さっぱりわかんねぇ」とつぶやく所へ、駆け込んで来る3人目が、俗っぽくて怪しげな男。日本語ウィキでは下人とされてるが、英語版だと「the listener, common person」。確かに、悲惨だった当時としては、普通の平凡な人かも知れない。

   

   

    ☆     ☆     ☆

木こりとお坊さんは、裁判所みたいな検非違使(けびいし)の庭で、尋問を受けて来た後らしい。死体の第一発見者と、生きてる時点での目撃者。

  

山奥で見つけた死骸をわざわざ報告したくらいだから、木こりは主犯ではないはず。ただ、偽証罪や窃盗罪の可能性は高い。坊さんは、唯一の誠実な登場人物だから、全く無罪だと考えとこう。

   

裁判で2人が耳にしたのは、3人の事件関係者の説明。順に、盗賊・多襄丸、武士の妻、そして武士。死骸となってる武士は、巫女を霊媒師として、あの世から証言する。声は男っぽいから、本物だろう♪

   

   

    ☆     ☆     ☆

まず多襄丸の証言。山道で昼寝してたら、美しい女が通りかかったから欲情。武士を騙して縄で縛り上げた後、女を手籠め(てごめ)にする。その後、女の要求にしたがって武士と正々堂々と対決(太刀打ち)。激しい闘いの末に武士を倒した時には、女はもう逃げてたとのこと。

  

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上は、市女笠の「虫の垂衣」(むしのたれぎぬ、長く垂らした薄い布)からチラリと見えた、美人の素顔。多襄丸に言わせると、顔を見せた風が悪者らしい♪ ただ、風が吹く前に、布で隠れてない足を見てた。

  

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無理やり唇を奪われると、すぐに女は短刀による抵抗を止め、背徳の性的快楽をむさぼることになる。多襄丸の背中に回した指の曲がり方と力加減で、女の側から積極的に男を抱き寄せてる様子が分かるのだ。この指の描写は数秒間もある。

   

現在ならごく一部のフェミニストが抗議しそうな部分かも知れないが、3人と木こりの証言を合わせても、女は単に強姦(強制性交)されただけではなさそうだ。もっと恥ずかしい姿を見せてしまったからこそ、その後に妙な展開が続くことになる。

   

  

    ☆     ☆     ☆

続いて、女の証言。泣き崩れる姿は哀れな存在にも見えるが、羅生門で話を聞いてた俗っぽい男は、女など信じられないと強調してた。多くの男性が頷くところかも♪ 殺人もレイプもなくても、普通の女性が一人いるだけで、「藪の中」。

  

女によると、多襄丸が逃げた後、夫に自分を殺してくれと懇願。ところが夫は、自分をさげすむような冷たい目で見つめ続けたから、パニックに陥る。「止めて! 止めて、止めて・・・」。気を失った後、目が覚めると、なぜか夫に短刀が突き刺さって死んでた。

  

私が見ると、まず夫の目線には、軽蔑と共に生理的な欲情が感じられる。好色そうな微笑。あと、女が「止めて」と叫び続ける間中、短刀が夫に向けられてるのは興味深い。普通に考えれば、女が錯乱状態で刺殺してしまったことになる。

   

   

   ☆     ☆     ☆

さらに、殺された武士の証言。妻は多襄丸にくどかれて情を移したのか、夫を殺してくれと多襄丸に頼む。ところが、これには多襄丸もあきれて、武士に対して、ひどい妻を殺すかどうかたずねる。その隙に妻は逃げ出して、多襄丸もやがて消える。残された自分は、妻の小刀で自殺。その後、誰かがそっと自分の身体から刀を抜き去った。

  

なぜ死んだか。武士としての屈辱に耐えかねたからだろう。多襄丸にうっとりした妻の、見たこともない美しい姿。男として完膚なきまでに敗北して、プライドが崩壊。あまりに惨めで恥ずかしい自分を、最後に微かに残った自己愛が消し去ったわけだ。小説&ドラマ『華麗なる一族』のラストと似た感じか。

  

最後に、木こりの証言。実は多襄丸は、女を弄んだ後、妻になって欲しいと土下座して頼む。妻は拒否したが、夫に自害しろと言われてしまい、その前に男同士で闘うようにそそのかす。無様な闘いの後、多襄丸が何とか勝ったものの、女には逃げられてしまった。

   

  

    ☆     ☆     ☆

では結局、真相はどうなのか? それについては、既に10年前に小説レビューで書いてることだし、あらためてここで考え直すことはしない。

  

一言だけ書くなら、女が夫を刺して逃げた後、まだギリギリ生き残ってた男に刺さったままの短刀を、木こりが引き抜いて、出血多量で死亡。木こりはそのまま短刀を奪って逃げて、ウソの証言をしたとか。男同士の対決は、自分を過剰に美化する多襄丸と、過失致死や窃盗を隠したい木こりによるウソと見る。

   

ただ、映画ならではのポイントは、最後のシーンにあるのだ。俗っぽい男が、捨てられてた赤ん坊の服を盗んだ後、お前も盗人だろうと木こりに鋭く指摘して、立ち去る。

  

僧侶が人間に絶望しかけた時、木こりは赤ん坊を抱いて家に帰ると伝える。子どもはもともと6人いるから、7人になっても同じだと。雨は止み、暗い空に明るい光がさして来る。ライトが木こりと赤ん坊に当たり、背後の僧侶も明るい光に包まれてたたずむ。

  

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    ☆     ☆     ☆

エゴイズムによる虚偽、自分勝手な振舞いだらけの、地獄のような世の中。何が正しいのか、何を信じていいのか分からない絶望的な状況でも、目の前にふと美しいものが現れることはあるのだ。たとえわずかな一瞬でも、そこに目を向けて生きて行こう。

   

原作には全くない、最後の木こりと僧侶のやり取りこそ、この映画が訴えかけた一縷の希望なのだ。その美しさを、物語とは離れた形で表してたのが、女、白馬、小川、木漏れ日の映像だろう。

  

なお、今週は計16504字で終了。最後に制限字数を大幅オーバーしてしまった。では、昨年他界した大映の大女優・京マチ子の最も美しいとされた表情に見惚れつつ、また来週。。☆彡

  

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     (計 4089字)

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『頭脳王2020』、アラビア語の解読(「世界で一番長い川は?」)&世界最古のなぞなぞ(くさび形文字)

日本テレビ『頭脳王2020』の問題&解説記事。今年はこれで終わりにしよう。もうネットの流行も終わりに近づいてるし、個人的にも疲れ果ててしまった♪

   

過去の頭脳王の問題も含めて、圧倒的に難しかったのは、アラビア語の解読。それに比べると、もっと難しそうな楔(くさび)形文字の「世界最古のなぞなぞ」はラクだった。というのも、解いた優勝者・木戸も、(おそらく)読んでないから。単なるクイズ関連の知識で答えただけだろう。

   

ちなみに今年書いた決定戦記事2本と、来年の予選記事1本は以下の通り。

  

 『頭脳王2020』、日本からフランス凱旋門へのキックの時速&富士山サニブラウンの地球一周時間

 『頭脳王20』、太陽がなくなったら地球の温度は&宇宙の星M13へのメッセージ(0、1の二進法)

 『頭脳王21』謎解き問題(1次予選)、答えの考え方、解き方(ネタバレ控えめ)

   

   

     ☆     ☆     ☆

では、番組序盤の「準々決勝」から、アラビア語の読み方を問う問題。日本語テロップの質問は単に、「日本語で答えなさい」。

   

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これは「東大文学部の語学王」、梶田純之介が答えて、唯一の得点10点をゲットした問題。要するに、スタッフが花を持たせたということだろう。本人のものらしきツイッターにも、番組出場の宣伝やつぶやき感想が載ってる。読めるんですか?と問われて、「読めます」と明言した後のカタカナ的発音は、私の耳にこう聞こえた。Google翻訳の発音とかなり違う。

    

 マー・ホワ・アルナハロ・アルアトワル・アルメスリ・フィー・(最後だけ聞き取れず)

   

彼の説明はこうなってた。「世界で一番長い川は?、というふうに続いているので、ナイル川」。

   

私は、右から左に読むらしい・・という事しか知らなかった♪ その程度なら、左端のはてなマーク「?」の位置と左右逆向きの形だけでもすぐ分かる。

   

   

     ☆     ☆     ☆

知識ゼロからこれを読み取るために、ネットの色んな情報を参照したけど、一番役に立ったのは3つ。Google翻訳(特に英語&アラビア語の双方向の対訳)、英語版ウィクショナリー、『アラビア語基本単語2000』(amazonキンドル読み放題)。他に、NHKのテレビ講座とラジオ講座のテキストも参照(冒頭の無料サンプル♪)。

    

とにかく、文字そのものが非常に分かりにくい。言葉の語形が色々変化するというのはよくあることだけど、アラビア文字は、言葉のどの場所に置かれてるか、前後がどうつながってるかで、形が変わるのだ。

   

そしてもちろん、調べる時に、自分の端末で入力するのも極度に困難。キーボードの設定とか変更するのは怖いからパス。アラビア文字だらけになってしまったらお手上げだから♪

   

私が使った方法は、Google翻訳で色んな日本語や英単語をアラビア語に変換した後、それをコピペする方法。グニャグニャつながってるように見えるけど、実は一応、1文字ずつ切り取ることが出来るのだ。

   

ただし、それをいくつか貼り付けて合成しようとすると、他の文字に変換されることが多い。文字の自動的な変化がプログラミングされてるのだ。というわけで、文字化けやトラブルを避けるため、このブログ記事でもアラビア文字の入力はせず、画像を利用する。

   

   

    ☆     ☆     ☆

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英語への翻訳文は、「What is the Egyptian longest river in the world?」(世界一長いエジプトの川は何ですか?)。

  

梶田の説明には、「エジプトの」という言葉が抜けてたのだ。右から5番目の、「s」みたいな文字で終わる長い単語(形容詞)。もう一度書くと、右から左の向きに読むので、念のため。端末で入力したり修正したりする時もとまどった。右向きの矢印キーを押すと、カーソルが左に進んだりする♪ しかもその動きは、サイトの入力欄によって違うようだ。

  

元のアラビア語の文を、右から単語別に日本語訳すると、こうなる。やっぱり日本語とは語順も大幅に違ってて、英語以上にフランス語に似た語順だと思う。

    

何 ですか その川は 最も長い エジプトの で 世界?

   

   

    ☆     ☆     ☆  

ちなみに、小さい丸とか点とか、色んな発音記号(シャクル)が付いてて超ややこしく感じるけど、あれは読みやすくするための親切な補足らしい♪ フツーはあんなものは付いてなくて、読み手が推測して読み取る。おまけに文字ももっと分かりにくい省略された形みたいだから、アラビア語に深入りする気には全くなれない。アラブ好きや語学ファンにお任せしよう。

  

私が特に苦労したのは2ヶ所。まず、右から2番目の単語「フワ」(です)。これ、普通に調べると「彼」とか「それ」という代名詞しか出て来ないし、アラビア語にはbe動詞がないとかいう情報も目に入ってた。ところが英語版ウィクショナリーを見ると、be動詞のような働きをすることもあると書かれてたから納得。

  

もう一つは、右から3番目の単語「アルナハル」(その川)の綴り方。英語版ウィクショナリーに乗ってる語形変化と違ってる(ように見える)のだ。いまだに納得できてないけど、どちらの形でもGoogle翻訳させると同じ英文になった。ということは、書き方が複数あるのか。問題文の形は、broken(日常的で俗っぽいもの)なのかも。

   

   

    ☆     ☆     ☆

続いて、これも準々決勝の問題。古代(4000年~5000年前)の粘土板に刻まれた楔(くさび)形文字。

  

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 古代メソポタミア文明の遺跡から発掘されたこの粘土板には 世界最古のなぞなぞが刻まれています そのなぞなぞの答えは?

  

テロップには載ってないけど、出題ナレーターの佐藤真知子アナは「この粘土板」と言ってた(放送作家の台本通りに)。それは多分、ギリギリの演出であって、本当は「この粘土板」は単なるイメージ写真だと思う。

  

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実際、「The Trustees of British Museum Iraq Museum」(大英博物館管財人、イラク博物館)と著作権表示してるけど、英語で検索語を変えながらかなり探しても、世界最古のなぞなぞ(riddle)としては出て来ない。画像検索しても、木の画像ばかりズラッと並ぶ♪ もし本物だと分かったら、ここで訂正・謝罪する。

       

問題を理解する際のポイントは、木戸直人がすぐ反応したのに、珍しく自信なさそうに答えたこと。しり上がりの質問みたいなイントネーションで、「学校(?)」。その後の説明も大まかなもので、「ある建物の中に入る前の人は目を閉じているが出てくると目が開いている、というようなことが書いてあって」、「見識 考え方が広がるという意味で学校」。

   

   

     ☆     ☆     ☆

これは、くさび形文字は読まずにクイズの知識だけで答えたなと思った私は、すぐ詳しい検索を開始。世界最古のなぞなぞで検索すると、出典なしの質問サイトの答えとか除いて、実質的には一つの知識系サイトがヒットする(あえてリンクは付けない)。

  

そのサイトの記事は、基本的には、英語の面白情報サイト「curiosity」(好奇心)の記事を訳したもの。そこは、数ある英語サイトの中ではかなりマシな部類で、一応学術誌を参照してた。

  

ところがリンク切れになってて、Google検索であらためて探しても出て来ない。ただ、一番最初の元ネタは、1960年E.I.Gordonの学術論文だ。「A New Look at the Wisdom of Sumer and Akkad」(シュメールとアッカドの知の新たな見方)。専門雑誌「Bibliotheca Orientalis」(東洋の書物)17号所収。

      

これを日本語の知識系サイトは「『25のクイズ』という本を出版」と書いてるけど、英文和訳のミスだ。元の英語サイトは「published 25 translated riddles」であって、「翻訳した25のなぞなぞを発表した」と訳すのが正しい。本ではなくて、論文だからこそ、(ほとんど)だれ一人として元の原文を引用できてない。私も探し回ったけど発見できなかった。

   

   

     ☆     ☆     ☆

そんな中、ネット上の一番マシな学術的出典は、次のものだった。おそらく、ゴードンの論文を他の学者が引用したものを、さらに引用してるのだと思う。いわゆる孫引きで、学問的には二流か三流のやり方だが、英語圏では結構平気で行われてるのが実状だ。

   

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前半の5行が例のなぞなぞの本文で、一番下は、ゴードンの論文を引用したシビルという学者の論文。それをさらに引用したのが上の論文ということ。世界的に拡散してるなぞなぞの形とは、ちょっと違ってる。例えば、目を閉じている人というような前置きの条件は付いてない。最初の一言と、最後の2行だけ英文和訳しとこう。

  

 A house ・・・ One with open eyes has come out of it. Its solution: the school.

  

一つの家(または建物)。目を開いた人がそこから出て来た。その答は、学校。

  

  

    ☆     ☆     ☆

なお、番組のエンドロールに載ってた「問題作成」9人の内、最初の1人はクイズ作家。次の2人は東大の学生。「問題作成協力」2つはおもちゃ屋さんと個人の学習塾。他に、監修の専門家の名前は掲載なし。

  

情報バラエティだから、あくまでテレビ番組として面白がるのがフツーの見方だろう。ごく一部のマニアを除いて♪ あと、数列15パズルが気になる人が結構いるようなので、去年の記事に今年の解き方を追記しといた。

   

それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

     (計 3816字)

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魯迅『孤独者』が敷いた死のレール~2020年センター試験・原民喜『翳』全文を読んで

魯迅(ろじん=ルー・シュン)の文章を読んだのは、中学か高校の国語の教科書以来だろう。私は子ども時代からそれなりに、小説は好きだったが、魯迅には正直、良い印象は無かった。

   

まず作家名の漢字が読みにくくて、中国人の人名にも見えない。実際、今はじめて調べると、魯迅というのはいくつかある筆名(ペンネーム)の一つであって、本名は周樹人(チョウ・シュウレン)らしい。これなら少年時代でも、わりとしっくり来る人名だが、作家としてはむしろ違和感があるほどインパクトある名前が欲しかったということか。

      

小説か私小説か随筆(エッセイ)かはともかく、文章の内容も暗く重いもので、中国語から日本語への翻訳の問題もあるのか、堅苦しくてぎこちなく感じる。百年ほど前の文学者・思想家だから、時代背景や文化的背景もかなり分かりにくい。

    

ただ、流石に大人になった今読むと、評価が高いのは理解できる気がした。特殊な現実を多少変更して、独自の文体と視点で語る文章。左翼とか革命家、左派・リベラルなど、政治的立場は抜きにしても、孤独で「翳り」のある知識人には魅力的だろう。原民喜(はら・たみき)にとっても、彼の友人・知人たちにとっても。

   

もちろん人はみな、ある程度は知識人であり、孤独で翳りのある存在だが。。   

   

   

     ☆     ☆     ☆

2020年、最後のセンター試験の国語の第2問『翳(かげ)』を読んだ時の第一感は、全体的にいま一つだな・・というものだった。ツイッター検索をかけても、最近のセンター国語としては盛り上がりに欠けてて、面白ネタに期待するネット民も拍子抜けといった感じ。

              

ただ、読んだ後すぐ作者・原民喜の情報を調べて、鉄道自殺した作家だと知った時、問題文の見え方がかなり変化。印象が良くなった所で、すぐにこのブログでレビュー記事をアップした。当サイトにとって毎年恒例、正月明けの行事だ。

  

 妻、隣人、そして自分・・戦争をはさむ死の影のレール~原民喜の小説『翳』(2020年センター試験・国語)

   

その後、上の記事に書いた初出の情報を確認するために、『定本 原民喜全集』第一巻(青土社)をチェック。全文を読んで、短編小説『翳』の評価はさらに上がった。と言うより、全文を読まないと、この小説の価値は半減以下になってしまうと思う。もちろん、センター試験は小説の評価や鑑賞のためにあるのではなく、受験生の選別のためにあるわけだが。

    

ちなみに、初出は前の記事で推測した通りだった。雑誌『明日』第14号(日本人民文学会編、公友社、1948年・昭和23年11月号)。この3年前に広島で原爆被災、3年後の1951年に東京で自殺(または自死)。以下、いわゆる「ネタバレ」であって、受験生はもちろん、一般にほとんど知られてないと思われる情報を書くので、ご注意あれ。

   

  

    ☆     ☆     ☆

さて、原民喜『翳(かげ)』の全体は、二部構成になってる。センターの問題文は後半の「Ⅱ」(第二部)であって、全集の11ページの内、7ページ分。一番最後あたりに「魯迅」という作家名が出て、注20で簡単な説明があった。「中国の作家(一八八一 ─ 一九三六)。本文より前の部分で魯迅の作品に関する言及がある」。

      

そのⅡの前には、「Ⅰ」(第一部)が5ページ分あるのだ。画像はamazonより借用

  

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冒頭でいきなり、魯迅と「影(かげ)」が結びつけられる。やや長くなるが、決定的に重要な箇所だから引用してみよう。引用全体は、最初の一段落を構成している。「旧字・旧仮名」と呼んでいいのかどうか知らないが、今とは違う原文のままの文章にしとこう。

  

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであつたが、あのなかの葬(とむら)ひの場面が不思議に心を離れなかつた。・・・とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳(かや)のなかで目が覚めた。茫と目が覚めてゐる私は、その時とらへどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。

   

・・・向側の蚊帳の中には、誰だか、はつきりしない人物が深い沈黙に鎖(とざ)されたまま横はつてゐる。その誰だか、はつきりしない影は、夢が覚めてから後、私の老いた母親のやうに思へたり、魯迅の姿のやうに想へたりするのだつた。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知つたのは恰度(ちょうど)亡母の四十九忌の頃であつた。 (第一段落終了、引用終了)

  

  

    ☆     ☆     ☆

母と魯迅の死を先取りする正夢、あるいは予知夢みたいな妖しい夢。そこには、満州事変の後、日中戦争(日華事変)や太平洋戦争・第二次世界大戦の前、という時代背景もあるし、現実の魯迅の小説もある。

  

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そこで私は、久しぶりに魯迅の小説を読んでみた。国会図書館デジタルコレクションでは一般公開されてないし、青空文庫にも無いが、アマゾン電子書籍の読み放題、kindle unlimited(キンドル・アンリミテッド)に入ってたのだ。

  

魯迅『阿Q正伝』、増田渉訳、角川書店。この本自体は新しいが、底本が1961年の角川文庫だから、訳文がかなり古くて読みづらい。英語が非常に得意な人なら、むしろインターネット・アーカイブで無料公開されてる英訳の方がいいかも知れない。「The Misanthrope」というタイトルも、人間嫌い、付き合い嫌いの人という英語だから、意訳としては分かりやすい。

  

「孤独者」(孤獨者)は上の訳本の中盤に収録。冒頭の一文だけでも、内容の想像がつく。「私が魏連殳(ウエイリエンシュー)と親しくしたのは、考えてみると風変わりであった、というのが葬(とむら)いにはじまって、葬いに終わった」。

   

この訳文を活かして今の翻訳へと修正するなら、「というのも・・・からだ」といった感じだろう。「孤独」という表現が適当なのかどうかハッキリしないが、人付き合いの悪い変わり者の知識人と「私」(魯迅)が葬儀で出逢い、葬儀で別れるのだ。最初は、その彼の祖母の葬儀。最後は、彼自身の葬儀。

   

彼は、独自のこだわりを持って一人で生きていたが、やがて生活に困ったような形で仕事に就き、遊びも覚え、自嘲気味の現実的生活の中、病気で孤独に死ぬ。小説の一番最後は、この日本語訳では「かげ」という言葉で締めくくられるのだ。文章的にも内容的にも美しく文学的な終わり方なので、あえて引用しない。ちなみに前述の英訳では「かげ」に当たる英語は無い。

    

     

     ☆     ☆     ☆

さて、魯迅「孤独者」を読んだ後、原民喜「翳」と彼の人生を振り返ると、魯迅の敷いたレールの上を原が辿っているのが分かる。作者としても、一人の知識人としても。

    

もともと原がこの「孤独者」を読んだのは、文学畑の若い友人・岩井繁雄の言葉がキッカケだったようだが、この友人は文学から離れた職につき、召集されて戦地で病死する。愛人(内縁の妻)は、彼が戦地に行った後、別の愛人を作り、彼の死後は恩賜金を受け取った後、岩井の(?)老母を見捨てて立ち去ったとのこと。岩井が「孤独者」に見えて来る。

   

彼と出会った研究会の主催者、重々しく沈鬱な長広幸人も、戦地で病死。妻は資産目当てだったそうだから、これも「孤独者」の類。さらに、原に岩井を紹介した友人だけ、なぜか「S」と書かれてるが、おそらくこれも魯迅「孤独者」を意識したネーミングだろう。魯迅は冒頭の3行目くらいで、なぜかアルファベットを使って「私はS町にいた」と書いてるので。

   

結局、原民喜の周囲を取り巻く「死のレール」は、少なくとも15年間にわたって延びてたことになる。必ずしも時系列ではないが、魯迅「孤独者」のリエンシュー(実在モデルは范愛農=フアンアイノン)、原の母、魯迅、センター問題部分の魚芳、妻。そして、大勢の戦死者を挟んで、本物の鉄道レール上の自分。

   

  

     ☆     ☆     ☆

ちなみに、最近はほとんど乗ってないが、私はバイク(オートバイ)が好きだ。バイクの世界では、自分が進もうとする方向に視点をおく、視線を向けるのが操縦の基本になる。

    

特に、コーナー(曲がった道)では、意識的に内側を見る。もし外側を見てしまうと、遠心力に従って自然に外に進んでしまって、ガードレールに衝突したり転落したりしてしまうのだ。

    

人間が意識的・無意識的に持つ、心理的イメージの巨大な影響力。もちろん、誰もが死に向かう存在だし、長く生き延びることが良いこととも限らないわけだが、本人も周囲も多少は自覚的であるべきだとは思う。作品と向き合うにせよ、人と接するにせよ。

      

なお、今週は計14525字で終了。ではまた来週。。☆彡

   

      (計 3475字)

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妻、隣人、そして自分・・戦争をはさむ死の影のレール~原民喜の小説『翳』(2020年センター試験・国語)

(☆1週間後の追記: 全文と関連小説を読んだ上の批評別記事としてアップした。

 魯迅『孤独者』が敷いた死のレール~20年センター・原民喜『翳』全文を読んで )

   

   

最後の大学入試センター試験となるらしい、2020年の問題。来年から新たに開始される予定の大学入学共通テストは、センターよりも思考力や判断力を問われるという話だから、とりあえずこのタイプの試験とはお別れになる。まあ、以前からある新テスト批判や去年の(政治的)大混乱を考えると、まだ予断を許さない状況ではあるが。

      

当サイトで初めてセンターの国語を扱ったのは、2011年の評論(鷲田清一)。1年おいて、13年からは毎年、小説の解説レビューを続けて来た。要するに、その少し前くらいからスマホとSNSが一気に普及して、国語の問題もネットのネタの定番になったのだ。ブロガーの私にとっても面白いし、検索アクセスも多いから、今年もしばらく前から楽しみに待ってたほど。

   

   

     ☆     ☆     ☆

ところが昨日15時過ぎにツイッター検索で感想を見ると、どうも今年は面白いネタが無くて盛り上がってないようだ。画像検索をかけても、国語に関する面白い箇所はヒットせず。最後は無難に締めくくったということか。

    

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私が問題文のpdfファイルを手に入れたのは22時ごろで、河合塾はまだだったが、今話題の東進ハイスクールが公開してた。第2問の小説は、題名通り「翳」(かげ)のある内容で、文体は淡々とした昔の語り口。設問も普通、難易度レベルも普通で、試験直後のツイッターの反応通りだ。

   

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とはいえ、作者・原民喜(はらたみき)について調べると、出題者の隠された思いや意図が分かったような気もした。1948年の小説発表の僅か3年後、作者は自殺してたのだ。上は日本大百科全書の説明(コトバンクHPより引用)。

   

問題文のラストに登場する、鉄道を利用して。次の一文で引用を終わりにしてるのは、偶然とは思えない。

   

終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。・・・・・・」

   

   

     ☆     ☆     ☆

小説「翳」(かげ)の初出はまだハッキリしないが、国立国会図書館の検索結果によると、たぶん雑誌『明日』第14号(日本人民文学会編、公友社、1948年・昭和23年)だと思う。もし間違ってたら、後ほど訂正する。

   

その後、『原民喜全集』第3巻(芳賀書店、66年)に収録。現在、普通に手に入るものなら、『原民喜戦後全小説』(講談社)が手頃だろう。アマゾンで見ると評価は1つだけで、しかも最低レベルのレビューが掲載されてるが、小説の内容ではなくて商品表示や配送への不満らしい。

   

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「講談社文芸文庫」カテゴリーでベストセラー1位となってるのはおそらく、今回のセンター出題を受けてのもの。電子書籍Kindle版で直ちに読んだ人(予備校・塾の分析担当者とか)が多かったのかも。安ければ私も購入してたかも知れないが、電子書籍で1980円というのは割高の値段だから、無料サンプルだけ確認。目次を見ると「翳」の収録が確認できた。

   

  

     ☆     ☆     ☆

さて、ネット情報によると、78年の青土社版全集・第1巻では11ページほどの短編小説らしいが、問題文の前後にどの程度の文章があるのか、今のところ不明。

  

問題文だけで考えると、冒頭が「私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに・・・」で、そこからずっと知り合いの魚屋の死が語られてるから、死が全体のテーマだろうと思われる。妻も魚屋の若者も、直接的には病死だが、その背後には第二次世界大戦、太平洋戦争の翳(かげ)がある。

   

妻の死を、満州にいる「魚芳」(うおよし)に知らせたのに返事が来ないという冒頭。今の高校3年生や浪人生はいきなり引っかかってしまったかも。というのも、これは実は魚屋の店名で、川瀬成吉というお店の小僧の愛称としても使ってるのだ。

   

  

     ☆     ☆     ☆

社会人なら魚芳という名前で何となくお店のイメージが湧くだろうが、ここだけ語句説明が無いし受験生に不親切だろう・・と思いつつ読み進めると、理由が判明。その点は、問6の選択肢1に書かれてるのだ。表現に関する説明6つの内、適当でないものを2つ選ぶ問題。

  

「1行目『魚芳』は川瀬成吉を指し、18行目の『魚芳』は魚屋の名前であることから、川瀬成吉が、彼の働いている店の名前で呼ばれている状況が推定できるように書かれている」。

  

これは適当な説明だから、答ではない。答の1つは、選択肢3。「とぼとぼと」が擬態語であるのはいいが、暗く重い文脈で用いてるから、「ユーモラスに描いている」と説明してしまうと適当でない。

   

答のもう1つは選択肢6で、東進は「やや紛らわしい」と寸評。「57行目『私の妻は発病し』、60行目『妻の病気は二年三年と長びいていたが』、62行目『病妻』というように、妻の状況を断片的に示し、『私』の生活が次第に厳しくなっていったことを表している」。

  

それら3つの表現は、直接的には「私」でなく「妻」に関するものだし、「次第に厳しく」という点は表現されてないから、適当でないのだ。

   

   

     ☆     ☆     ☆

小説自体に戻ると、魚芳=川瀬成吉から返事が来ないと思ったら、父親から彼の訃報が到着。実は妻が死ぬ5ヶ月前、日本に戻って1週間後に病死。悲しいことに、死ぬためだけに日本の故郷に戻ったらしい。小説といっても私小説だから、ほぼ実話だろうと思われる。

    

その魚屋の若者の人柄を示すエピソードとして、元・野良犬にこっそり魚の頭を与えてたとか、米屋と一緒にふざけて妻を笑わせてたとか書かれてる。ただ、妻が笑ったのは、銃を肩にかける「になえつつ」(担え銃)の姿勢だから、「何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった」。

   

それより暗示的な翳は、鵯(ひよどり)の挿話。店の裏に小鳥が沢山集まるから、毎日のようにエサで獲って、食用にプレゼントしてくれてたらしい。1948年の著者の意識レベルでは、本当に楽しい思い出だったのかも知れないが、2020年・令和二年の日本においては、これも「翳」だろう。「小鳥は木の枝に動かなくなっている」という表現も残酷な印象がある。

   

実際、その話の直後に、魚屋の入営(軍務につくこと)と、妻の発病が並べられてるのだ。やがて、2人ともほぼ同時に死亡。弾んだ様子で小鳥を獲ってた彼も、「ひどく面白がった」上に喜んで料理してた妻も。「ミイラ取りがミイラになる」ということわざがあるが、「小鳥獲りが小鳥になった」形だ。彼らを獲ったのは戦争、あるいは時代だろうか。。

   

  

     ☆     ☆     ☆

引用文の最後で、魚屋と同じく死ぬために郷里に帰る青年を再三、汽車で見かけた末に、作者自身も汽車で死亡。直線的に伸びる、死のレール=軌道。そこから振り返ると、「翳」と題するこの作品の内容が、作者に忍び寄る死の翳と言えるだろう。さらに言うなら、これを書く執筆行為も、すでに死の翳に突き動かされていたのかも知れない。

  

青空文庫で51年の遺稿「死について」を読むと、冒頭はアンデルセン童話『マッチ売りの少女』。「人の世に見捨てられて死んでゆく少女のイメージの美しさが狂ほしいほど眼に沁みた」そうだ。死という翳は、単に暗く哀しいだけでなく、しばしば美と結びつく。その奥に、根源的な「死の欲動」みたいなものを想定するのも、不思議ではない。

    

事実、梯久美子の評伝『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波書店)のキンドル本無料サンプルを読むと、「若い頃から何度も轢死の幻想を口にしていた」とのこと。『溺没』(39年)には、自分の胴の上を走る列車の「女の靴の踵が、轢死した彼の上を通過している」とまで書いてることから、死と生=性の欲望の融合や歪曲も感じられる。

   

  

     ☆     ☆     ☆

最後に、作者が原爆の被災者だということも考えると、現在の日本社会に対して出題者達が感じ取ってる翳も、問題に反映されているだろうと想像する。直接的に書かない辺り、流石は専門家集団の国語力と言うべきか。

  

もちろん、社会とか政治など関係なく、人間誰しも死の翳の中で生を全うするのだ。大勢の他者の死の翳に続き、自らの死の翳に覆い隠されてしまうような流れで。

   

レール(rail)という英単語の語源は、支配する、命令する、導く、といった意味らしい(English Wiktionary)。神か仏かはさておき、死のレール、軌道とは、厳粛な天の定め、永遠の天命なのだろう。

   

なお、16年の本屋大賞、宮下奈都『羊と鋼の森』には、原民喜が憧れの文体を書いたエッセイ(『砂漠の花』)が引用されてるようだが、そろそろ記事を終わりとしよう。今週は計17554字で終了。ではまた来週。。☆彡

  

  

  

cf. 妻と再会できた夜、月見草の花畑~上林暁『花の精』(2019センター試験・国語)

 自転車というキュウリに乗って、馬よりゆったりと♪~井上荒野『キュウリいろいろ』(18センター国語)

 「春」の純粋さと郷愁が誘う涙、野上弥生子『秋の一日』~17センター国語

 キャラ化されない戦後の人々、佐多稲子『三等車』~16センター国語

 啓蒙やツイッターと異なる関係性、小池昌代『石を愛でる人』~15センター

 昭和初期の女性ランニング小説、岡本かの子『快走』~14センター

 幻想的な私小説、牧野信一『地球儀』~13センター

 鷲田清一の住宅&身体論「身ぶりの消失」~11センター

   

      (計 3767字)

  (追記76字 ; 合計3843字)      

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闇の山頂にきらめく黄色い光~梶井基次郎の短編小説『檸檬』(レモン)

これはクリスマスとお正月の直前にピッタシの小説だ♪ 米津玄師・・じゃなくて梶井基次郎(かじいもとじろう)の代表作、『檸檬』(レモン)。妙に華やいだ時期にこそ、この暗さがバランス的にちょうどいい。

  

現代日本のカリスマ・米津の大ヒット曲『Lemon』の歌詞を見ると、レモンという言葉は1回しか使われてない。それに対して、明治・大正・昭和の作家・梶井の短編小説『檸檬』には、後半にレモンのエピソードが登場。強烈な印象を残して、そのまま終わってる。

  

いずれにせよレモンは、鮮やかな黄色、柑橘類の酸味、適度な硬さの手触りなどで独特の個性を放ってる、身近な果物の代表。あるいは最高峰だろう。

   

    

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私が今回、この小説を読んで感想を書こうと思ったのは、NHKのラジオ英語講座『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』で英語の翻訳文を聴いたのが直接のキッカケ。上は2019年6月のテキスト(半年後の現在、再放送中)。切り絵風の可愛いイラストは、丹野杏香。

 

 

ただ、よく考えてみると、実家のイメージが無意識に影響を及ぼしてたのかも。正月前だから、実家が心の底で浮かんでて、庭のレモンの木と子供時代のレモン石鹸へと連想がつながったとか。

    

試しに今、検索してみると、昭和21年(1946年)発売のカネヨレモンは、70年後の今でもまだ販売されてた♪ 化粧石けんという位置づけだったのか。「レモン果汁は入っておりません」という説明が微笑みを誘う♪

    

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果実のレモンも硬いけど、レモン石鹸も硬かった記憶がある。表の車庫の前と、台所の裏に、赤いネットに入れて吊るされてた。特に父親が、仕事帰りとかに車庫の前でよく手を洗ってた。そのせいもあって、レモンには大人の世界を感じるのだ。冬の夜、たまに母親が作ってくれた熱いレモネードも美味しかった。

  

瀬戸内海という地域も関係してたのかも。そう言えば米津も、四国の徳島県出身。昨年末のNHK紅白歌合戦でも、故郷の美術館で歌う姿が生中継されてた。

    

    

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さて、梶井の『檸檬』は国語教育の世界で有名という話があるけど、私の記憶には残ってない。本当は教科書に載ってたのに、授業で扱わなかったのか、当時の私には硬質の文学作品の味わいが全く分からなかったのかも。

  

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初出は大正14年(1925年)で、同人誌『青空』の創刊号にひっそりと発表。ただ、全く知らなかった私が英語で聴いてもすぐに興味を持ったくらいだから、読者を惹きつける魅力は光ってる。

    

上は国立国会図書館デジタルコレクションより(著作権は消滅済み)。たまたまレモン石鹸と同じ年に、東京楽譜出版から出た版だ。旧字・旧仮名の表記がレトロな雰囲気。読みやすさなら、無料の電子図書館・青空文庫がおすすめ

   

冒頭の出だしでいきなり、暗くて陰鬱なムードが漂って来る。「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦燥と云(い)おうか、嫌悪と云おうか ── ・・・」。

   

ちなみに、魂(たましい)ではなく、塊(かたまり)で、やがてこれに取って代わろうとする救世主こそ、黄色い塊、檸檬(レモン)なのだ。

    

英訳(全訳ではなく抄訳)だと、こうなってた。「Something strange and dark pushed down on my heart and didn't stop pushing.」。

    

正直、耳にした途端、あまりの暗さに顔をしかめたほど♪ すべて英語だけで聴くから、重い私小説だと、こちらも「圧えつけ」られてしまった♪

   

   

     ☆     ☆     ☆

主人公は心身の調子も悪くて、金もほとんど無い様子だ。作者である梶井基次郎本人も、肺結核のために31歳で早逝。家庭環境も複雑で、貧乏と言うより、父親の金遣いが荒いために苦しんでたような感じだ。当時の東京帝国大学(今の東大)の英文科も、病気で中退。ブリタニカ国際大百科事典の解説はこちら

    

物語の後半、主人公がお気に入りの果物店で、檸檬を1つ買う。その店としては、檸檬を置いてるのが珍しかったからとされてるが、本人の側の変化によって、元々あったレモンに目が留まったのかも知れない。

  

いったい私はあの檸檬が好きだ。・・・── 結局私はそれを一つだけ買うことにした。・・・不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった」。

  

英訳だと、「The black feelings pressing down on my heart were lighter after I held the lemon in my hands.So I was really happy walking in town」。

  

     

     ☆     ☆     ☆

そこで、昔好きだったのに最近はプレッシャーを感じてたお店、丸善へ入ってみる。「しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった」。「I went to Maruzen. But the happiness in my heart gradually began to escape from me.」。

   

この理由はハッキリと説明されてないが、要するに、現実社会の方が、遥かに重くて大きいことを思い知らされたからだろう。レモン1個の色、重さ、値段など、丸善の様々な商品と比べると吹き飛んでしまう。実際、この辺りの文章では、重さというものが強調されてる。手で持てないほど、画集が重いのだ。

   

そこで最後、主人公は幻想的にその重さを消す遊びを試みる。色とりどりの画集を積み上げて、「奇怪で幻想的な城」(The mysterious castle of books)を構築。その一番上に、檸檬を置いて、その店を出てしまうのだ。英文では、日本語原文に無い「tower」(タワー)という単語を使用してた。ツリーやピラミッドの類義語だ。

    

もし梶井の実話だとしたら、とんでもない迷惑客♪ ただ、時代的には、そうした軽犯罪は笑って見逃してもらえるゆとりがあったはず。現代社会だと、そういった許容度は低い。

   

下はオリオンブックスの電子書籍の表紙(AMAZON)。イラストの作者の名前は無いが、かなり原作に忠実な絵だ。

   

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たまたまなのか、間接的な関連性があるからか、今日(ハッピーホリデー)のGoogleのロゴが似た画像になってた。ロウソクの上側で黄色い円形が光を表してた。

  

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梶井が作り上げた城は、精神分析的には男性的な象徴、ツリーだと解釈できる。現実社会の巨大なピラミッド構造の重さに去勢されてしまったような自分を、想像的なファロスで一時的に支えようとする振舞いだ。先端のレモンこそ、欠如している自分の存在の核を指し示すメタファー。主人公が愛する「花火」みたいに一瞬で消え去る、つかの間の逃避的な自己防衛。

      

実際、小説の冒頭には、「神経衰弱」という言葉もあった。より正確には、当時の言葉で不安神経症に近い状態で、少し躁うつ病も混ざってたのかも知れない。普段はずっと憂鬱で、たまに妙に元気が出るとか。

    

ただし、この城作りは病的というより、遊び心のようなストレス発散を感じるのが救いだ。意外と、この後も彼を支える心象風景として残ったのかも。「今でもあなたはわたしの光」(米津『Lemon』)。

   

いつの間にか、時間も字数も無くなってしまったので、今日の所はこの辺にしとこう。もしセンター試験(新テスト)で出題されたら、改めて感想&解説記事をアップするけど、客観テストだと問題が作りにくいかも。それでは、また明日。。☆彡

   

     (計 3025字)

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オー・ヘンリー『賢者の贈りもの』(The Gift of the Magi)、英語で再読した感想

なるほど。これは普通の高校生には辛い英文だ♪ 『The Gift of the Magi(メイジャイ)』。今でも授業で使ってる先生、いるのかね?

    

私が読んだというか、無理やり読まされたのは、高校1年か2年の英語の授業だった気がする。平成ブロガーにとっては、10年くらい前か♪ 同じ作者オー・ヘンリー(O.Henry、米国)の『最後の一葉』の記憶とごちゃ混ぜになってるかも。下は英語版ウィキペディアより

  

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多分あの先生の授業だったな・・と、名前と顔は何となく浮かんで来る。同級生もみんな忘れてるだろうね。目立たない先生の、目立たない授業(失礼♪)。辞書引きまくりで直訳くらいは出来ても、色んな意味でピンと来ないし、最後のオチの中身も語り口も分かりにくい。唐突な断定に見えてしまう。

       

教室内は沈んだ空気が立ち込めてて、まるでこの物語の冒頭みたいな雰囲気かも。俗世間の小市民の世界なのだ。

    

   

    ☆     ☆     ☆

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さて、この記事を書こうと思ったキッカケは、毎日更新のネタに困ったから(笑)・・ではなくて、朝日新聞で見かけたから(HPの記事はこちら)。19年12月4日の夕刊、「時代の栞」シリーズで、見出しでは「1952年刊の短編集収録」と書いてるけど、それは岩波文庫の翻訳本の出版日付け。下はアマゾンの中古本(価格は1円+送料etc)。

  

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原作は1905年の新聞小説だから、100年以上も前の短編小説だ。現代日本とは全く違う背景のストーリーで、その点に注意する必要がある。貨幣価値だと10倍~20倍くらいの違いか。20ドルは今の日本円で2000円ほどだから、仮に15倍すると3万円。給料や家賃の話を考えても、ほぼ合ってると思う。

  

下は英語版ウィキペディアより。初版本(1906年)のカバーではないけど、色合いも渋くて分かりやすいイラストだと思う。この絵だけでもう、文章は要らないほど♪ 悲しみを内に秘めた、男女の深い愛なのだ。女性の髪はもうちょっと短くて奇妙な方が話に合ってるだろうけど、イメージ的に美化された姿ということで。。

   

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     ☆     ☆     ☆

さて、どうして朝日がこの小説や本を選んだかというと、クリスマスの前だからだろう。あらすじはどこにでも書かれてるけど、何も見ずに私自身の言葉でまとめると、次の通り。

   

─── クリスマス前日の若くて貧しい夫婦。宝物は2つだけ。妻・デラの美しく長い髪と、夫・ジムが祖父から受け継ぐ懐中時計。妻は愛する夫のために、素敵なプレゼントを贈りたいのに、ほとんどお金が無くてしばらく泣く。その後、髪の毛を売りに行ってバッサリ切り落とし、その代金で夫の時計に合う上品なプラチナの鎖を購入。

   

やがて夫が帰宅。妻の姿を見て、言葉を失う。彼は彼女へのプレゼントとして、長髪に合う高価な櫛(くし)を買ってたのだ。櫛を見て泣き叫ぶデラをなだめた後、今度は彼女がプレゼントの鎖を見せる。するとジムは、櫛を買うために時計を売ったと伝え、行き場を失ったプレゼント2つはしばらくしまっておこうと話す。そして、普通のチョップ(骨付き肉)でクリスマスイブのお祝いを静かに始めた。

   

ところで、クリスマス・プレゼントの始まりは、生まれたばかりのイエス・キリストに贈り物を持って来た東方の賢人たち(マギ)だった。若夫婦は愚かだったが、最も賢明なのだ。彼らこそ、東方の賢人たちなのである。 ───

  

   

     ☆     ☆     ☆

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では、この英語の読みにくさ、難しさを確認してみよう。著者の死後、作品の公開後、いずれも100年経ってるから、著作権は消滅済みで、原文はウィキソースで公開中。日本語訳は青空文庫にあるし、この物語だけならamazonの電子書籍(kindle本)の無料サンプルで全文読めてしまう。

   

全文が読みにくいけど、最初にハッキリ引っかかるのは上の箇所とか。

・・人生は、むせび泣き、すすり泣き、そして微笑みからできてる。ただし、すすり泣きが圧倒的に多いけど。

家の女主人が、第一段階から第二段階へと移って行く中・・

(以下の訳文も含め、私の翻訳)。

  

要するに、激しくむせび泣きした後、ちょっと落ち着いてすすり泣きに変わる間に、という意味だけど、一読して「stage」(ステージ)が泣き方の種類や段階を表してると理解するのは難しい。私も最初は、意味を保留したまま先に進んだ。そもそも大人の男は滅多に泣かないから、泣き方をレベル分けする発想がない。

   

   

    ☆     ☆     ☆

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そんな箇所より遥かに難しいのは、しばらく先の上の箇所。作者本人が「dark assertion」(謎めいた主張)と書いてるほど♪

  

週8ドルと、年100万ドル ── その違いは何か? 数学者や才人は、あなたに間違った答を与えるだろう。例の東方の賢人たちは価値ある贈りものを持って来たが、違いの正解は贈りものの中にもない。この謎めいた主張は、後で明らかにされるだろう」。

   

私は数学好きだから、週8ドルなら年400ドルとすぐ暗算。年100万ドルとの違いは、2500倍♪ これこそ、間違った答の典型か。

   

一方、聖書に登場する東方の賢人たちが、生まれたばかりのイエスに贈ったのは、黄金と香(乳香:frankincense)と薬(没薬:myrrh)。その中に、週8ドルと年100万ドルの違いの正解なんてあるわけない♪ 下は英語版ウィキソースの新約聖書(米国標準版)、マタイによる福音書・第2章11節。

  

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私の解釈だと要するに、“あの賢人たちでさえ贈らなかった最高のものを夫婦はプレゼントしあった。だから、週8ドルと年100万ドルの違いなんて無いどころか、週8ドルの人生の方が遥かに価値あるものなのだ”、ということだろう。

     

    

    ☆     ☆     ☆

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そう解釈してはじめて、物語のラスト、唐突な大絶賛の断言も何とか理解できる。夫婦を愚かな未熟者(foolish children)と呼んだ直後、一転して、最も賢い(wisest)と繰り返して終わるのだ。

  

贈り物を与え、受け取る者たちの中で、彼らのような者こそ最も賢明だ。どんな場所でも、彼らが一番賢い。彼らこそ、東方の賢人たちなのだ」。

  

この直前には過去形で書いてたのに、ここでは現在形。つまり永遠の真理として書かれてる。若夫婦は、自分の最も大切な物を売ってでも相手に素晴らしい贈りものを与えた。つまり、例の賢人たちにさえ(直接的には)見られない、最大の自己犠牲を実行して、お互いの愛を深めたからこそ、最も賢いのだ。

  

ちなみに、ちょっと似た話が、NHKの人気番組『チコちゃん』で話題になってたが(仏教説話)、あの場合のウサギの自己犠牲は、一般市民にとってはやり過ぎだ♪ 自分が死んでしまったから。それに対して、髪の毛はまた伸びるし、時計もまた買える。もしかすると、質屋から買い戻せるかも知れないから、やり過ぎではない。

   

   

     ☆     ☆     ☆

とはいえ、東方の賢人たちにも、独自の賢明さがある。救世主の誕生をあらかじめ認識したし、贈り物をした後は、キリストの身に配慮して、余計な事を言わなかったらしいから。

   

結局、東方の賢人たちにせよ、若夫婦にせよ、最も困難で最も価値あることを成し遂げたことになる。だから、共に「the Magi」(賢人たち)なのだ。もちろん、こんな読解や理由の説明は、話題の大学入学共通テストの記述式問題には使えないけど♪

    

フルマラソンの影響で、いまだにすぐ眠くなってしまうから、私はそろそろ自分に眠りをプレゼントしよう。これこそ、最も賢い贈り物だろう。今現在、個人的には♪ 現代日本の全体だと、朝日新聞の小見出しのように、「相手思う気持ち 多彩に」ということか。特に、無理しない範囲での個人的なプレゼントやお祝いが主流。派手で豪華だったバブル期からは激変した。

    

ごく一部の超富裕層は、バブル期どころじゃない凄いプレゼントをしてるんだろうな・・とか想像しつつ、ではまた明日。。☆彡

  

     (計 3197字)

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雨天に青空と光をもたらした令和の天皇陛下、即位礼正殿の儀

記事タイトルに「令和天皇」と書きかけて、ふと気になってネットで調べてみると、正式にはこの呼称は退位後のものらしい。普通は天皇陛下、あるいは今上天皇。令和という元号と組み合わせる表記自体が少なくて、あえて書く時には「令和の天皇」。朝日新聞デジタルと読売新聞オンラインでのサイト内検索でも確認できた。

   

流石は長い伝統を誇る日本の天皇制、呼び名一つでも厳格に定められてる。今日、午後1時過ぎから行われた「即位礼正殿の儀」も、非常に厳格な形式に則って行われてた。天皇「即位」の儀「礼」で、宮殿の中央、「正殿」で行われる「儀」式だから、この名前がある。

   

   

    ☆     ☆     ☆

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滅多にない数十年に一度の祝賀行事だし、もちろんブログで扱ったこともないから、15分前からNHKテレビの「中継」を録画しながら拝見した。ちなみに「LIVE」(ライブ)ではなく「中継」♪ 私は国営放送を見たけど、民放の主要な系列もすべて、同じ公式映像を放送。珍しく、我が道を行くことが多いテレビ東京まで特番を放送してた。

   

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NHKの瀧川剛史アナは声と語り口がいいし、上原光紀アナは華やかな顔立ちの美人♪ スタジオではなく皇居からのナレーションを担当したベテランの兼清麻美アナも、35分間、落ち着いた口調で語ってた。静かで美しい映像と音声、これぞNHKが誇る伝統的な長所。

  

一方で、公共放送としての務めも果たしてる。即位礼の放送でも、画面の上と左には大きく被災関連情報。左下にはQRコードまでつけてたほど。台風19号来襲の際の視聴率でも、他局を圧倒してた。

    

    

    ☆     ☆     ☆

さて、この日、私が一番凄いと思ったのは、式の最中、雨天に晴れ間が出たこと。明治天皇の際にもそんな事が起きたらしいけど、カラー映像は残ってないはず。日本初のカラー映画は昭和に入ってであって、カラーテレビはもちろん戦後。そこで、神秘的な奇跡を正確に記録しておこう。ちなみに私はスピリチュアル系やパワースポットの類には無縁なので、念のため♪

   

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上は12時53分の映像。時刻の下に映ってる白くて細い線が雨だ。かなり大粒の雨が落ちてたのが分かる。天気予報も、日本気象協会、ウェザーニューズ共に、午後まで雨の予報で傘マークが並んでた。特にウェザーニューズだと、降水量も多めに予想されてた。

     

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午後0時56分の映像だと、カメラのレンズに雨粒の丸いあとがいくつも並んでる(画像右上)。ただ、既に天気は良くなりつつあって、旗かのぼりの日影が庭の砂に並んでる。

  

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そして1時10分、兼清アナが、青空が見えて来たことを報告。式終盤の1時24分には、日影もさらにクッキリして、風もおさまってる映像が確認できた。さすがは令和の天皇。令嬢のように美しく和やかな天気をもたらしたのであった。

    

ちなみに私は、皇居ランなら何度か行ってるけど、一般参賀はしたことがない一般市民なので、念のため。今日も、午前の行事の放送はまったく見てない。ただ、来月のパレード(祝賀御列の儀)にはちょっと興味があるし、佳子さまのストリートダンス発表会のスクープ画像なら有難く拝見♪ 要するに、日本の平凡な小市民にすぎない。

   

   

    ☆     ☆     ☆

ここからはもう、簡単にまとめて、一言だけ感想を入れとこう。画像にはすべて時刻を入れてある。

  

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予定の13時ちょうど(午後1:00)。参列者に遅れがあったとかいう話で、式も12分ほど遅らせてる感じ。左側が秋篠宮家で、一番手前が佳子さま。緊張してるのか、大きな瞳をずっとパチパチしてた。対照的だったのが天皇陛下。ほとんど、まばたきしない涼しい目が印象的。

  

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本来、庭にいるはずの「庭上参役者」らは、人数を減らして屋内に待機。戦国武将みたいな派手な衣装。

  

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世界170ヶ国(180の国と地域)からの参列者は、この時点ではイスに座ってモニター鑑賞。陛下が登場してから起立したのだと思う。大小30のモニターと説明。ちなみに、トランプ大統領夫妻は来てない。5月に初めての国賓として特別扱いで来日してるから、今回の米国は少し下の担当者を派遣。NHKの中継では語られず。

   

   

    ☆     ☆     ☆

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左の3つが鐘(鉦:しょう)。右が鼓。鐘の音と共に、侍従2人が帳(とばり)を開いて、高御座(たかみくら)の天皇陛下がご登場。午後1時12分。首を僅かに右にかしげるのは、個人的な癖なのか、あるいは伝統が関係してるのか。

  

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御帳台(みちょうだい)では、女官2人が帳を開いて、皇后陛下のご登場。色鮮やかな十二単(じゅうにひとえ)、実は着付けが難しくて、首を適度に緩めないと失神するとか笑わせてた♪(九禮旦雄・京産大准教授)。そう言えば私も、学生服の詰襟が苦しくてホックを外してた覚えがある。

  

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両陛下は、表から見えないように、裏側からお入りになったらしい。高御座は部品3000点(トラック8台)を京都御所から移送して組み立て。少し小ぶりで簡素な御帳台だと、2000点くらいだろうか。それにしても、映画やドラマのセットとは比較にならない本物の世界。

   

  

     ☆     ☆     ☆

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鼓の音と共に、天皇陛下のおことば。個人的に印象的だったのは、「国民に寄り添いながら」という言葉。後で解説でも、これは今回挿入されたものだと言ってた。そもそも「寄り添う」という言葉が普及したのはここ10年くらいだと思う。

  

おことばの最初は、「さきに日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました」。やはり、憲法と皇室典範があってこその、象徴天皇制。形式的には法治国家なのだ。一部に、君主制ではとかいう見方もあるようだけど。

   

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おことばに続いては、安倍晋三首相(内閣総理大臣)による祝辞、「寿詞」(よごと)。前半は、陛下のお言葉を長々と引用した文になってた。首相は深々と一礼。陛下は軽くお辞儀、約1.3m上から。

   

  

     ☆     ☆     ☆

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そして、首相が大きく手を挙げて、万歳三唱。少なくとも最初と最後は手を挙げてる姿が映ってた。陛下や周囲の方々は手を挙げず。別室の参列者は、小泉純一郎・元首相とか、前列の日本人が挙げてたらしい(生放送では映らず)。あるいは民放のスタジオの様子とか。ちなみに私自身は、手も挙げてないし声も出さず。テレビ映像にじっと釘付けのまま。実に興味深い♪

  

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自衛隊による祝砲(礼砲)21発。本当に砲弾を詰めてるように見えたけど、形式的な素振りかな。実弾ではないはず♪ 来賓の方々も起立したまま見守る。窓は当然、防弾ガラスか。

   

この種の大きなイベントで、テロなどの大事件が起きたことはほとんど無いと思う。どれだけ厳重な警備体制がとられてることか。ちなみに、重くて長い衣装やゲタ(履物)でつまづく方も見たことがない♪ 案外、数秒くらい放送を遅らせて、複数のカメラを素早く切り替えることで対処してるのかも。そう言えば、せき込む様子や音もない。

         

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午後1時32分ごろ、侍従たちと共に天皇陛下ご退場。既にお披露目した後だからか、今度は表から堂々と。秋篠宮家は頭を下げる。一見、秋篠宮の衣装の方が派手な感もあるけど、天皇陛下の黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)こそ最高クラスの装束との事。

   

もっと上なのが、午前中、皇祖神・天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる賢所(かしこどころ)へのご報告、「即位礼当日賢所大前の儀」で身につけた、白い束帯・帛御袍(はくのごほう)。やはり、祖先の神こそ一番格上の存在なわけか。

             

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皇后陛下のご退場の時も、三権の長までみんな頭を下げる中、山東昭子・参院議長だけは頭を上げたまま、十二単に見とれてた♪ さすが女子目線と言うべきか。確かに、これほど豪華な衣装を見る機会はテレビでさえ稀(まれ)だから、間近の肉眼だとしっかり記憶に留めたくなっても自然なこと。

   

ちなみに紀子さまの後ろの佳子さまは深々とお辞儀してた。紀子さまと真子さまは全体的に自然にこなしてて、秋篠宮さまはやや緊張気味だったか。

   

というわけで、無事に最大の儀式も終了。両陛下も含めて、多くの人が早朝からずっと準備や行事に追われたはず。特に女性の皇族は複層的に大変だったと思う。まだこれから、夜の「饗宴の儀」もあるということで、単なる小市民としてはひたすら感心するのみ。

  

それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

       (計 3331字)

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チコちゃん「月に兎がいるのはなぜ?」出典、仏教説話集「ジャータカ」316原文(パーリ語&英訳)

千葉の台風被害をNHKテレビで見てたら、番組が『チコちゃん』に変わって、いきなり難問が登場した。月に兎がいるのはなぜか? そもそも月に兎はいないんだけど・・と突っ込んだ視聴者が多かったはず♪

   

お釈迦様の前世について語る仏教説話集『ジャータカ』(Jataka:本生話、本生経、前生譚)とか言われても、全く聞いたことがなかったけど、話の内容はなぜか聞き覚えがあった。たぶん私は、子どもの頃に『今昔物語集』で読んだんだと思う。

  

ブリタニカ国際大百科事典によると、世界でも『千一夜物語』、『イソップ物語』、『グリム童話』などに影響とのこと。そんなメジャーで身近な仏典があったのか。。

  

   

   

     ☆     ☆     ☆

で、その月に兎という発想の元になった仏教説話。これは全547話の中の316番とされてる。あらすじはこんな感じだ(私の要約)。

    

 兎が、カワウソ、山犬(ジャッカル)、猿に言った。特別な日だから、困ってる人に施しをしよう。僧侶がやって来たから、カワウソは魚を勧めた。犬は肉、猿はマンゴーを御馳走した。ところが、うさぎ自身は草しか手に入れてない。そこで、自分の身体を焼いて食べてくださいと、火に身を投げた。

  

この時、僧侶の姿が変化。実は、帝釈天という天の神で、兎の命は助かる。さらに帝釈天は、ウサギの立派な心掛けに感心して、月にウサギを描いた。このウサギこそ、後のお釈迦様だった。。

   

   

     ☆     ☆     ☆

ジャータカの中でも、この話は世界的に有名みたいで、英語で検索しても色々ヒットする。ただ、『ジャータカ』原文の英訳を発見するまでには5分くらいかかった。

  

ちなみに、昔話の一つだから、いくつかヴァージョンがあるのかも。小林信彦氏の論文「兎が火に飛び込む話の日本版」が使用してる原文(byファウスベル)だと、少し違ってるのかも(比較検証は省略)。ファウスベル版からの英訳に近いのはこれか? 下に引用したのは、フランシス&ネイルの訳。

     

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上が英訳の冒頭部分。著作権は消滅済みか、気にしてないらしい。「SASA-JATAKA」というサブタイトル。いきなり「seven red fish」と書いてるから、別のエピソードかと思ったけど、正しかった。カワウソが手に入れた魚(サケ、レッドフィッシュ)が7匹なのだ。

   

英訳で全文を読むと、翻訳ではないけど日本語のまとめとして上手いのは、『きょうの世界昔話』というサイト。個人サイトのようだけど、しっかりしてるし、有名らしい。他に、英語版ウィキペディアの短いまとめもいい。

    

逆に、日本語のウィキペディアのあらすじは、曖昧で色んな話が混ざってるし、出典もハッキリさせてない。引用は避けた方が無難。

  

ちなみに、英文で全体を読んで初めて分かったのは、物語の外側に、大きな枠組があること。施しに熱心な人と弟子たちの前で、仏陀が昔話をするという形なのだ。最後に、実は自分の修行時代の姿(菩薩)がウサギだと、オチをつけて。

   

あと、ウサギが火に身を投げる前に、自分に付いてる虫たちを逃がすという辺りも芸が細かい。カワウソと犬(食料を盗んだような感じ)、猿より格上だなと思わせる、丁寧な作りになってるのだ。

      

   

     ☆     ☆     ☆

最後に、パーリ語の原文(アルファベットによる表記)。これは15分以上探したかも。有名な原典だから絶対にネットにあるはずだと思って頑張ると、ようやくそれらしきものが出て来た。

   

もちろん、私にはほとんど読めないけど、段落分けも単語も、英文と似た部分があるから比較は一応できる。興味のある方は、リンク先をご覧あれ。一番最後の文だけ、英語とパーリ語で比べると分かりやすい。

  

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なお、仏と神の関係も興味深いけど、もう字数も時間も無くなった。今日はあっさりこの辺で。。☆彡

   

      (計 1545字)

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愛とはメモリーだから・・~ブロガー仲間・キッドさんの小説『おタクの恋』

先日、私の知り合いの若い女性が、真っ黒に日焼けした人を見て、「松崎しげるみたい」とつぶやいた♪ 思わず私が、「古いね」と突っ込むと、彼女は「日焼けっていうと松崎しげるでしょ」と応答。昭和のイメージが強い歌手だけど、実は平成(~令和)でも地道に活躍し続けてるらしい。

   

その松崎しげるの最大のヒット曲と言えば、『愛のメモリー』。1977年(昭和52年)の曲とはいえ、サビの部分は多くの人が聞き覚えあると思う。

  

試しに今、歌詞を検索してみると、一番最後はこう書かれてた(作詞・たかたかし)。

  

 二人に死が訪れて 星になる日が来ても あなたと離れはしない

   

愛と死を幻想的に結びつけるという発想は、日本の時代区分でいうと、主に昭和(以前)のものかも知れない。恋愛マンガの代表作の一つ、『愛と誠』(1973~76:昭和48年~51年)のラストも、まさにその形になってた。ヒロイン・愛と、ヒーロー・誠の死とが、文字通り一体となって、美しくも哀しい物語の結末を迎えたのだ。

  

そう言えば、ユーミン=松任谷由実(当時は荒井由実)の『ひこうき雲』も昭和48年。「あの子の 命は ひこうき雲・・」。『翳りゆく部屋』が昭和51年だ。「わたしが 今 死んでも・・」。

   

   

    ☆     ☆     ☆

前置きが長くなったが、先月(2019年8月6日)、私のココログ仲間のキッドさんが突然、一時復活。昔の長編小説『おタクの恋』のPR記事をアップしてた

   

1993年、スコラ刊、名義は城戸口寛。著作権がどうなってるのか不明だけど、投稿サイト『小説家になろう』の18禁エリアで全文公開。続編となる新作も書き上げたらしい。お元気そうで、何よりです♪ アマゾンより。

  

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商品の説明にはこうある。「ちょっとヘンな高校生・海宮晶はノーマルな恋がしたかった。正真正銘の多重人格小説」。「実在しない(疑似人格)たちと主人公の会話を折り込みつつ綴るデビュー作」。疑似人格たちの言葉は、本物の言葉や内心の思いとはハッキリ区別されてて、すべてが溶け合う難解な文学ではない。直木賞狙いか♪

          

刊行は93年となってて、国立国会図書館のデータベースでも確認した。ただ、実際の執筆は80年代だろうと推測する。小説内の色んな記述を総合すると、物語の舞台は1980年代半ばくらいか。昭和50年代後半~昭和60年。バブル景気の直前くらい。

     

ただ、70年代の香りも漂ってる。喫茶店、ラブレター、メロンソーダ♪ そして、愛と死、そして各種の「暴走」の時期なのだ。暴走族、校内暴力、テロ・過激派。若者・ティーンエージャーの神、尾崎豊が「盗んだバイクで走り出す」と叫んだのは1983年(『15の夜』)。 日本で精神医学的な知識や問題が普及したのも、ほぼこの辺りの時期だったはず。

  

そうした意味で、『おタクの恋』は、同時代の空気を全面的に反映してるのだ。おそらく、ご本人自身のメモリー=記憶と共に。。

   

    

    ☆    ☆     ☆

何度か書いてるように、キッドさんとの出会いは、私の側から見ると強烈だった♪

   

「自閉症の自転車好き~『僕の歩く道』第1話」というウチの初期のドラマレビュー(2006年10月)に対して、トラックバック(キッドさん側の記事の短いPR情報)を頂いたので、あちらに御礼のコメントを書いたら、凄いコメント返しを頂いたのだ。下が、初対面のご挨拶(笑)

     

「テンメイ様、コメントありがとうございました。

 うっかりして、テンメイ様が

 自閉症なのかと思ってました。

 ・・・(略)自閉症でこんなブログが

 書けるなんて・・・(略)。

 分裂しがちな者ですが、どうぞヨロシク。」

   

もちろん、これを読んだ私がもし「失礼だと思います」とかクレームを付けたら、「失礼と感じる方がむしろ、自閉症の人達に対して失礼だと思います」といった反論が直ちに返って来る可能性がある。珍しい方だが、知的に理論武装されてて言語能力も高いのはすぐに分かった。

   

とはいえ、精神系(サイコ)の世界への造詣が深くて、最初から「分裂しがち」と自称してるほどだし、ちょっと緊張する。その後、女性に対して非常に優しく紳士的に接することはすぐ分かったが(笑)、男性ブロガーとしては当初、とまどいや躊躇(ちゅうちょ)があった。まさか10年以上にわたって数百ものコメント&レスをやり取りすることになるとは夢にも思わず。

     

   

    ☆     ☆     ☆

キッドさんのブログには、いつもかどうかは知らないけど、一番上に

愛とはメモリーだから・・・。

と書かれてるのが標準。現在もそうなってる。

  

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私の慎重な書き方なら、「愛の本質の一つは記憶」とかだろう。ただ、愛とメモリー(記憶)の間に密接な関係があるのは間違いないし、各種の理論でもそうなってる。

  

古代ギリシャのプラトンの恋愛論&想起説も、そうした理論の代表。ここ100年くらいなら、精神分析理論が有名だ。『おタクの恋』のあちこちにも、フロイト(およびユング)の精神分析の香りが漂ってる。

   

例えば「上位自我」とは、フロイト派の英語「super-ego」のキッドさん的な訳語(ドイツ語はUber-Ich)。普通は、超自我と訳す概念で、心の中で命令や禁止をもたらそうとする領域のことだ。この部分が強固な人は、勤勉で優秀。ただし、強すぎると、フツーの自我(わたし)や無意識的な衝動などとの折り合いがつかなくなってしまう。

  

他に、「コンプレックス」という言葉を、劣等感という狭い心理的意味ではなく、「複合」という広い意味で使ってるのも、フロイト、ユング的な発想。要するに、人間とは様々な層や部分が重なり合い、組み合わさってる複合体であって、その意味ではみんな、大なり小なり、分裂的で多重人格的なのだ。

  

   

    ☆     ☆     ☆

とはいえ、物事には程度の差や、限度というものもある。小説の主人公、高校3年生の海宮(ウミミヤ)晶は、完全にヤバイ少年だ。

   

普段は現実に適応できてるし、それほど困ってるようにも見えないから、精神医学的には精神病と診断されない可能性も高い。ただ、日常的に違法行為を反復してるし、愛のメモリーが絡むと、超過激な罪も犯してしまう。無意識に突き動かされて、意識的コントロールが出来なくなるのだ。現実の重要な記憶=メモリーも、心の奥に封じ込められてしまう。

        

彼は身近な人間の家庭(お宅)を調べ上げ、パソコンのフロッピーディスクに保存するだけでなく、自分の頭で記憶してる。お宅のオタク。略して、「おタク」ということか♪ 盗聴器、盗撮、不法侵入、無断尾行。ちなみに、「ストーカー」という言葉が日本で広まったのはわりと最近で、21世紀のこと。一方、「おたく」「オタク」は、80年代前半に普及した言葉だ。

   

恋の成就のためにあらゆる手段をつくす」(冒頭の説明より引用)。普通この表現は、一生懸命に頑張るとかいった努力を指すもの。ところが海宮は、完全に一線を超えてしまうのだ。彼の敵たちもまた完全に常軌を逸した計画を実行する。ネタバレはなるべく避けたいので、ご自身でご確認あれ。小説とはいえ、オイオイっ!と突っ込みたくなるエピソードが満載♪

    

敵の事情はさておき、海宮にとっては結局、愛のメモリーのなせる技=業(わざ)なのだ。昔のある女性へのメモリー。昔のある男性へのメモリー。さらに、小説では明示されてないけど、それらを遡れば結局、彼の幼児期における両親へのメモリーが浮上するだろう。

  

   

    ☆     ☆     ☆

最後に、時代的にも内容的にも、この小説と重なる洋楽を紹介しとこう。かつてカリスマ的存在感を誇った英国のロック・ミュージシャン、ピーター・ガブリエル(Peter Gabriel)。芸術的な音楽ビデオ制作の先駆者としても有名(MTV大賞)。

   

特に名作と評価される3枚目のアルバム(1980年)には、『Family Snapshot』という曲がある。ジャケット画像は英語版ウィキペディアより。ホラーではないのでご安心♪

  

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この曲の歌詞は、テロや殺人の狙撃をイメージしたもの。終盤までは、銃弾の発射へのプロセスを描いた歌詞のように見える。

  

ところが、タイトルの『ファミリー・スナップショット』を普通に英文和訳すると、「家族の写真」。少し特殊な翻訳なら、「家庭の速射」。

   

つまり、歌詞の一番最後で、意外な展開が待ってるのだ。本物の銃撃かと思ったら、家庭で子どもがおもちゃのピストルをもて遊びながら、「お母さん、お父さん、帰って来て」と叫んでたのだ。

   

「2人とも、どんどん遠くなって行く。僕はどんどん淋しくなってるんだよ。ちょっとは僕のこと、相手にして」。だから、「僕は光の中に撃ち込む、光の中に飛び込むんだ」(I shoot into the light)。

    

  

    ☆     ☆     ☆

結局、その歌詞は、本物の犯罪者の様子と子供時代を重ね合わせてるのか、あるいは単なる子どもの叫びと空想か、意図的に曖昧にしてることになる。もちろん、そのどちらでもあるというのが真実に近いかも知れない。

  

いずれにせよ、曲の内容もタイトルもまさに、「おタクの恋」なのだ。「家庭の愛」、「家庭のテロ」。家庭の愛と結びついた暴力、攻撃。

   

そう考えると、『おタクの恋』の凄まじい展開も、一人の男子高校生の「家庭の愛」、「ファミリー・スナップショット」だろう。行動も幻覚・妄想も、その源泉は、幼児期の家庭の記憶にある。

  

「愛とはメモリーだから・・・」。それでは、今日はこの辺で。。☆彡

  

     (計 3796字)

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LINEメッセージのやり取りみたいな「チャット小説」、アプリ2つで読んでみた

レース直前の準備に追われる中、朝日新聞・夕刊(19年8月23日)の記事に釣られて、アプリを2つ試してしまった (^^ゞ そんな事やってるヒマないんだけど、折角だから超速で感想記事にまとめとこう。

   

LINEでメッセージをやり取りするような形で読む「チャット小説」。流行のきっかけは2015年開始の米国の小説アプリ「HOKED」とのこと。総ダウンロード数2400万だから、かなりの人気らしい。

  

日本だとちょっと前、ガラケー中心でケータイ小説というものが流行った後、2017年にネット関連会社DMMの系列で「TELLER」(テラー:話し手)の提供を開始。今年6月の時点で累計365万ダウンロード。

     

    

     ☆     ☆     ☆

で、私は直ちにiPadでダウンロードしてみた。

  

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ホラーは趣味じゃないから、恋愛を選択。すると、自然な流れで『純愛中毒 前編』が開始。冒頭からいきなり、自己紹介に続いて告白! 読んでるこっちが「え?」♪ 昔のケータイ小説より速い展開かも。

   

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タップして、台詞一つずつ読むのは面倒だから、自動再生にしたけど、ちょっと速い。前の方を読み返したり画像保存したりしてたら、すぐ置いてけぼりになる (^^ゞ

    

この後、まもなく課金のメッセージが出て来たからあっさり終了♪ それはいくら何でも早すぎると思うな。DMMだから、あの種の動画を販売するノリってことか。何?(笑)

   

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モタモタしてると、いつの間にか課金されそうだから、直ちに削除。これだったら、旧DMM(現在はFANZA)の無料サンプル動画や無料画像の方が好きな人もいるはず(笑)。他人事か!

   

   

     ☆     ☆     ☆

一方、大手出版社の集英社が今年6月に開始したアプリが、ティックトック・・じゃなくて、「TanZak」(タンザク:短冊)。同社の人気作品をチャット小説にして、1500話以上を揃えてるとの事。ノリがわりと普通で落ち着くけど、やっぱりいきなりホラーとかゾンビが登場♪ そんなに人気あるの?

   

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私が選んだのは、ドラマ化されたばかりの作品かな。『これは経費で落ちません! ~経理部の森若さん~』(青木祐子作)。

    

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ラインみたいな左右のメッセージとか、短冊みたいな下の説明よりも、再生方式がやっぱり気になってしまう。1つずつタップするのは遅くて面倒だし、自動再生はちょっと速くて、変速の設定も見当たらなかった。

  

というわけで、こちらはもうしばらく無料で読めるらしいけど、時間切れで終了。課金と個人情報漏洩が怖いから、小市民は直ちに削除♪ ただ、こっちはまた入れて、しばらく使ってみるかも。案外、今後の小説はこっちが主流になるかも知れないし。

   

   

     ☆     ☆     ☆

ここ10年で、SNSに完全に地位を奪われてしまったブロガーとしては、苦い教訓として、時代をチェックし続けるのであった。かなり後ろの方から、トロトロ、ビクビクと♪

    

あぁ、もうブログなんて書いてる場合じゃない! それでは早くも今日はこの辺で。。☆彡

   

       (計 1220字)

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