新元号「令和」~平和の命令ではなく、令嬢・令月の和らぎ(万葉集第5巻・原書画像付き)

典拠の原文を探すのに40分もかかってしまった。もう時間が無いから、ブログ記事自体は省略するしかない。

      

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毎度おなじみ国立国会図書館デジタルコレクションで原典らしきものを探すと、万葉集第5巻は1冊しか一般公開されてない。ところが私が焦ってるからか、くずし文字がほとんど読めないからか、通しで2回探しても発見できなかった。

  

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そこで普通にネット検索すると出て来たのが京都大学貴重資料デジタルアーカイブ。今回の新元号発表を受けて、直接そのページに飛べるようにリンクが貼られてた(25ページ目)。素晴らしいけど、他の画像も全て同時にダウンロードさせるシステムは改良した方がいい。他の関連ページを見るのに時間がかかり過ぎてフリーズしそうだったから。

   

とにかく、既に至る所に書かれてるように、『万葉集』巻五、梅花の歌三十二首并(あわ)せて序、が出典。引用文は、

初春令月、気淑風和・・」

しょしゅんのれいげつにして、きよくかぜやわらぎ・・)

  

NHKのゲストに来てた専門家の一人は、「にして」は要らないと言ってた。確かに、無くても意味は通じる。

時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに・・」

という意味。朝日新聞2019年(平成31年)4月1日・夕刊より。

   

   

      ☆       ☆       ☆

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発表は11時半の予定から少し遅れて、11時40分過ぎ。菅官房長官が「れいわ」と発表。小渕「平成」の真似をするように、右側に「令和」の文字を掲げた。NHKだとその肝心の画像が、手話の組み込み映像と重なったから、数秒後に一旦手話を消してた。文字は書家・茂住修身が書いたらしい(FNN報道)。上図は表紙。

    

私の最初の感想は2つ。全くプライベートな事情が絡んで、ちょっと嬉しかったのが1つ。一方、「令」という漢字は強すぎてきついかなという思いもあった。直ちにツイッター検索やリアルタイム検索をかけると、「命令」を思わせるというような指摘はかなり数多くあったけど、ツイート自体が非常に多いので、割合としては大したことない。

   

流石にNHKのゲストや解説者、アナウンサーらは、「命令」「政令」なんてお堅い言葉は出さずに、目新しさを称賛するようなコメントを続けてた(中川翔子も含む)。ただ、複数のツイッター情報によると、NHKラジオでは最初、「命令の令」と説明してしまったというお話だ。まあ別に、間違ってるわけではない。下図は1ページ目。

  

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      ☆       ☆       ☆

私は書店の辞書コーナーで、めぼしい国語辞典、漢字辞典を6冊チェックしてみた。その全てで、「令」の意味の最初や2つ目は、「いいつける」、「決まり」といった意味。3番目か4番目の意味で、「よい」、敬称、などと書かれてた。『大辞林』、『大辞泉』、『日本国語大辞典』も同様の説明

  

朝日の夕刊1面記事のリード(最初の短文)を見ても、いきなり「元号を定める政『令』」と書かれてるくらいで、辞書の用例も「命令」「司令」といったものが最初に並んでた。

    

ただ、「令和」を「平和の命令」と解釈すると、政治的な左派・リベラルのポジションから安倍政治を批判するようなイメージが漂って来る。それはそれで一つの立場だけど、元の万葉集を考えても、とりあえずは「よい、やわらぎ」、「良い和」と考えた方がいいだろう。

   

   

     ☆       ☆       ☆

ちなみに、「令」の字を良い意味で使う用法は現在、日常的にはほとんど無い。だから私としては、「ご令嬢のような和らぎ、和やかさ」と受け取っておく。まあ、令嬢という言葉も昭和までかも知れないけど。佳子さまでも、令嬢という言い方はほとんどされてないようだ。

  

とにかく、私はここに書いてない個人的事情で満足だし、「レイワ」という音の響きはキレイだと思う。「令」が小学4年生、「和」が小学3年生の漢字で、読みやすくて書きやすいのもいい。高齢者の視力でも、2文字とも見分けやすい点も実用的。

  

なお、テレビニュースだと、日テレ『ZERO』で有働由美子が安倍首相にイジリ質問したのが一番面白かった。実はあの文字を自分で持ちたかったか?(笑)とか、令和で何年くらい首相をやりたいか?とか♪ 時間切れなので、今日はこの辺で。。☆彡

   

      (計 1721字)

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新美南吉の童話「でんでんむしのかなしみ」、平成皇后・美智子さまの心に・・

相変わらず寝不足のまま、外出その他で疲れ切った昨夜(19年3月30日)。久々にNHK『ブラタモリ』でも見ようかと思ってテレビをつけたら、『皇后美智子さま』という番組が流れてた。「天皇 運命の物語④」ということで、このシリーズの過去3本は見てないし、そもそも知らなかった。

   

パソコンをいじりながら流し見してた私の目が留まったのは、平成になってマスコミ(週刊誌)などによるバッシングで言葉が出なくなったエピソードの時。「失語症」と言いたくなるが、それは脳が原因の言語障害とされてるから、失声症と言うべきか。より正確には、心因性発声障害。録画してないし、番組の言い回しは覚えてない。

   

今、NEWSポストセブンその他の情報を見ると、美智子さまが突然倒れて声を失ったのは1993年10月。声を取り戻したのは翌年(94年)で、7ヶ月後のようだ。その4年後、国際児童図書評議会(IBBY)創立50周年記念大会のおことばの中で触れたのが、ご自身が幼少期に聞いた童話だった。

   

   

     ☆       ☆       ☆

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上は宮内庁HPより、該当箇所のみ引用。「思い出すままに」とした後、“新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」にそってお話いたします”と続けてるので、単なる記憶ではなく原文を確認されてるようだ。下の画像はPictioの絵本紹介ページより縮小して引用

  

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この短い童話は、新美南吉(にいみなんきち)記念館HPによると、昭和10年(1935年)の発表。著者22歳の頃の作品。百科事典マイペディアによると、当時は戦前だから、まだ小学校では片仮名(カタカナ)を先に学習させてたらしい。

   

原文は全てカタカナ表記で仮名遣いも古いので(旧字・旧仮名)、ここでは漢字交じりで改行・一行空けも入れて書き直してみる。電子図書館・青空文庫を参照。句読点は元のままで、原文自体がやや不規則な書き方になってる。

   

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      ☆       ☆       ☆

一ぴきのでんでん虫がありました。

  

ある日 そのでんでん虫は大変

(たいへん)なことに気がつきました。

「わたしは今までうっかりしていたけれど、

わたしの背中(せなか)のからの中には

悲(かな)しみが一杯(いっぱい)

つまっているではないか」

この悲しみはどうしたらよいでしょう。

   

でんでん虫はお友だちのでんでん虫の

所にやっていきました。

「わたしはもう生きていられません」

とそのでんでん虫はお友だちに言いました。   

「何ですか」

とお友だちのでんでん虫は聞きました。

   

「わたしは何という不幸(ふしあわ)せな

ものでしょう。わたしの背中のからの

中には悲しみが一杯つまっているのです」

とはじめのでんでん虫が話しました。

するとお友だちのでんでん虫は言いました。

「あなたばかりではありません。

わたしの背中にも悲しみは一杯です。」

  

それじゃ仕方ないと思って、はじめの

でんでん虫は、別(べつ)のお友だちの

所へ行きました。

するとそのお友だちも言いました。

「あなたばかりじゃありません。

わたしの背中にも悲しみは一杯です」

  

そこで、はじめのでんでん虫は

また別のお友だちの所へ行きました。

こうして、お友だちを順々(じゅんじゅん)

にたずねて行きましたが、どの友だちも

同じことを言うのでありました。

  

とうとうはじめのでんでん虫は

気がつきました。

「悲しみは誰(だれ)でも

持っているのだ。

わたしばかりではないのだ。

わたしはわたしの悲しみを

こらえて行かなきゃならない」

  

そして、このでんでん虫はもう、

なげくのを止(や)めたのであります。

   

 初出『ろばの びっこ』羽田書店、1950(昭和25)年

  

   

     ☆       ☆       ☆

でんでんむし(カタツムリ)とは、どこにでもいる小さな生き物で、雨の中で孤独にたたずんでいるようなイメージがある。でも、他にも一杯、心の中で雨のような涙を流し続けるでんでん虫たちがいる。

  

自分の悲しみの全体も、他人の悲しみも、まるで背中の殻(カラ)の中にあるように見えにくい。無意識に、心の奥、記憶の底に閉じ込められがちだから。

   

でも、みんな悲しみを持ってることが分かれば、自分だけ不幸なのかと思う必要もないし、周りのみんなになげくことも減るはず。それぞれが自分の悲しみを背中に一杯持ってるのだと知ったから。

   

   

     ☆       ☆       ☆

ただ、だからと言って、自分の悲しみを表現してはいけないということではない。美智子さまのお話は悲しみの表現だし、失声症というのも悲しみの身体的表現。新美南吉なら、童話という形で悲しみを子供たちと共有しようとしてるわけだ。

  

今なら、SNSやメールでつぶやいてシェアする方法もあるし、考えてみれば、葬儀・法事というものも悲しみを分け持つための制度、システムだろう。ある程度、限られた場において、自分の悲しみを表し、他人の悲しみを受け止める。他にも、カウンセラー、精神科医などの職業的な聞き役が親身になって傾聴してくれる。

  

だから、でんでん虫が「なげくのを止めた」とは、口にしてはいけない、身体で表してもいけないということではない。周りの仲間たちの悲しみも理解した上で、少し「こらえて」、場をわきまえつつ悲しみを表に出すということだ。

   

新美南吉の童話の素晴らしさに感心しつつ、今週は計14981字で終了としよう。

ではまた来週。。☆彡

   

       (計 2216字)

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上林暁『花の精』全文と、ノヴァーリスのメルヘン「ヒヤシンスと花薔薇」(in『ザイスの学徒たち』)

小説、映画その他、物語的な作品には、「劇中劇」という構成が

ある。その劇全体の中に、別の劇が入れ子状に組み込まれた形

のことで、去年大ヒットした映画『カメラを止めるな!』もそのタイプ

らしい。私はまだ見てないが、様々なレビューや感想から明らかだ。

 

劇中劇というより、「作品の中に作品がある」という方が一般的な

説明だから、「作中作」という言葉も一応あるけど、ほとんど見聞き

することはない。英語だと、「劇中劇」が「play within a play」、

「作中作」が「story within a story」となる。

 

今回、あらためてレビューする上林暁(かんばやし・あかつき)の

短編私小説『花の精』も、文学性の高い劇中劇、作中作の形に

なってる。

 

ただ、その複雑な構成は、今年のセンター試験の問題文だけだと

全く分からない。本文全体と、別の200年前の古典を読むことで、

初めて小説の文学性が十分に理解できたのだ。

 

ちなみに1ヶ月前にアップしたセンター記事は、既にかなりアクセス

を頂いてる。原文を手に入れにくいことに加えて、一見地味な日記風

の断片に、深い味わいと奥行き、拡がりを感じた人が多いのだろう。

 

 妻と再会できた夜、月見草の花畑

  ~上林暁『花の精』(2019センター試験・国語)

 

 

      ☆       ☆       ☆

まず、前の記事の主張を短くまとめとこう。

 

 小説内で作者が探しに行く月見草とは、単なる草花ではなく、

 最愛の妻のこと。庭師に引き抜かれて激怒したのは、月見草

 が妻の代わり、象徴だから。

 

 多摩川辺りの美しい花畑に出かけて月見草 を手に入れた

 作者は、妻と再会できたのだ。その点は問題文だけでも解釈

 できるから、問5の正解は①ではなく、むしろ③がベター。

 

 さらに、問題と別に上林暁について調べると、妻は精神病院に

 入院していた。よって「花の精」というタイトルは、「妻の精神」

 をも暗示している。

 

 

     ☆       ☆       ☆

上の私の主張は、本文全体を読んで確認したいと書き添えて

おいた。実はセンター後すぐ全文を読んで、読解の正しさを確認

していたが、今日まで新たな記事の追加が遅れてしまった。

 

理由の一つは、作品が予想以上の奥行きを持っていたから。

まさか200年前のドイツ幻想文学と深く明確に関係しているとは

思わなかった。そこに自然哲学・詩的思想も含まれていたのだ。

 

上林暁の『花の精』の中で、センター試験や妻との関係を考える

上で重要な箇所を引用してみる。出典は『上林暁全集三』(筑摩

書房)。初出は前の記事の推測通り、『知性』昭和15年9月号。

その後すぐ、第四創作集『野』に再録(昭和15年10月刊)。

画像は筑摩HPより

 

 「私は今、妹に三人の子供の世話をさせながら、淋しい 

 生活を送っている。妻はいないのである。・・・「錠と鉄格子 

 のある病院」・・・に、私の妻はもう半年近くも寝起きして 

 いるのである。

 

 ・・・こう書いて来れば、なぜ私が庭の月見草に心を託して 

 いたのかが判るであろう。私は自分の悲しい心を紛らそう 

 と思って、月見草に心を託していたのである。」

   (『全集3』p.107-108。字体は現代風に変更。)

 

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なぜ、引き抜かれてしまった月見草にこだわるのか。その理由が

はっきりと序盤で明示されているのだ。全23ページ中の8ページ

目から9ページ目。

 

 

      ☆       ☆       ☆

一方、センター試験の問題文は、15ページ目から22ページ目

だから、小説の後半部分。しかも、最後を省略してある。実はその

最後に、劇中劇、作中作の形が締めくくられているのだ。末尾の

段落を引用しておこう。

 

 「それにしても、私が月見草の精を求めて、多摩川べりの

 鄙(ひな)びた是政まで出かけたのは、もとの月見草が

 失われた日読んだ、ノヴァリスの「ヒヤシンスと花薔薇」

 の影響ではないかと、ふと疑ってみるけれど、それが

 真実であるかどうか、自分にもよく判らない。」

 

 

ノヴァリス(Novalis、ノヴァーリス、ノバーリス)は、

ドイツの詩人、小説家(1772-1801)。自然や宇宙全体を統一的

にとらえて、自分・自我との一致を主張する世界観の持ち主。

下の画像は英語版ウィキペディアより

 

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その彼の代表作の影響は、上林のリアルな生活内での「真実」か

どうかはさておき、作品的にはほぼ真実として扱われている。作品

の最後を締めくくっているし、作品の最初(3ページ目)でも触れて

いたからだ。

 

ということは、小説全体の中に含まれつつ、小説全体と並行

(パラレル)な位置づけにもなっている。最初の部分を引用して

みよう。庭師に月見草を引き抜かれて、内心では激怒しながら、

口にはできない状況。

 

 「私は縁側の硝子戸を手荒く閉め、また寝ころがって、

 さきから読みかけの、ノヴァリスの「ヒヤシンスと花薔薇」

 (原名「ザイスの学徒」)という小さな読本を取り上げた。」

 

 

      ☆       ☆       ☆

この小さな読本というものは、ネットで検索しても出て来ない。

ただ、「ヒヤシンスと花薔薇」などと訳される短い挿話を含んだ

小説『ザイスの学徒たち』なら、日本語訳もドイツ語原文

英訳も公開されている。もちろん、著作権は消滅済みだ。

 

画像はアマゾンより、現行のドイツ語本『Die Lehrlinge

zu Sais』の1つ。ザイスとは、女神と関連する地名。

 

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自然と人間の関係について色々と思い悩む学徒(ノヴァリス

自身か分身とも言える)に対して、仲間が元気づけようと話し

かけるシーン。幻想的童話、メルヘンが7ページほど語られる。

小説『ザイスの学徒たち』は未完だが、メルヘン部分は完結

しており、評価されているようだ。

 

国立国会図書館デジタルコレクションから冒頭あたりを引用

する。作者の表記はノヴーリスで、『青い花 ザイスの学徒』。

小牧健夫訳、青木書店。

 

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 「・・・僕は君に童話を一つ話そう。聞きたまえ。 

 ずっと昔の事だが、はるか西の国に一人の血気盛りの 

 青年がいた。大そう気立のいい男だったが、またよほど 

 変り者だった。・・・洞窟や森林が一番好きな居場所で、

 そこにいるときはひっきりなしに鳥や獣や、樹や岩と話 

 をした・・・。」

 

 

ヒヤシンスという青年が、ある男に誘われるようにして、花薔薇

という少女と別れ、一人で天の女神などを探しに旅立つ。途中で

様々な自然と触れ合った後、遂に目的地にたどり着くと、意外で

神秘的な結末が待っていたのだ。

 

以下は上林暁『花の精』で引用された部分(全集3、p.104)。

月見草を引き抜かれている間、そうとは知らずに座敷でノヴァリス

を読んでいるシーンだ。

 

 「 「・・・彼は天つ少女の前に立ち、軽やかな面紗を 

 とると、花薔薇がその腕に倒れかかってきた。愛する 

 ものの再会の神秘と、あこがれの発現とを、はるかな 

 楽の音がとりまき、すべての無関係なものをこの 

 霊しい地から追い出した。云々。」

 

 そこまで読むと、僅か四頁ばかりだったのでもう一度 

 読み返し、若々しい亢奮で頬がほてるように感じながら 

 本を伏せ、どれ、どんな具合になったのかと思いながら、 

 庭を見に起き出したのであった。」

 

 

     ☆       ☆       ☆

突然、愛する女性=花と別れて、自然の中に旅立った男が手に

入れた女神は、実はというより結果的に、元の愛する女性=花

であった。

 

このメルヘン、劇中劇が『花の精』全体を表しているのは明らかだ。

上のメルヘンのまとめと、下の『花の精』のまとめを比較してみよう。

 

突然、妻と別れ、代わりとなる花も引き抜かれた男が、自然の中

に旅立った男が手に入れた花は、結果的に、妻との再会の感情

をもたらすものであった。。

 

上林は、帰りの駅の待合室でサナトリウムの建物を見かけ、

近づいてじっくり見ながら病院の妻を思い出し、涙があふれそう

になっていた。

 

誘った男は、『ヒヤシンスと花薔薇』だと「年寄りの魔術師」の男。

『花の精』だと、「友人のO君」。執筆当時38歳くらいの上林が、

美しい青年と自分を重ね合わせているのは、ナルシシズム=

自己愛と共に、軽いユーモアによるものだと想像する。実際の

自分を知る読者たちからのツッコミを誘う、ボケなのだ。

 

 

     ☆       ☆       ☆

なお、2つの作品は、男女の恋愛のみを賛美しているのではない。

どちらも、自分と自然の関わりや自分探しの側面も描いているし、

男同士の友情も感じ取れる。

 

実際、『ヒヤシンス』の話を語り終えた直後、「学生たちは互に

相擁」している。『花の精』では、センター試験の問題文の後、

彼とO君はおでん屋で一杯酒を飲んで、「月見草をO君と頒け、

手を挙げあって別れた」。

 

小説だけ読むと、ノヴァーリスよりも上林の方が、愛する女性

=妻への思いが強いようにも思える。ただ、実はノヴァーリス

は若い頃、10歳ほど年下の少女と婚約した後に死別している

らしい(コトバンクの解説より)。

 

やはり人間の心が本質的に向かうのは、動物、植物、自然、宇宙

とかより、人間ということか。異性愛とまでは限定しないにせよ。

あるいは、ある存在が魅かれるのは、同種で少し差異がある存在

ということか。

 

そう抽象化すれば、磁石のN極とS極が引きつけ合うのと統一的

にとらえることもできるだろう。話が大き過ぎて飛躍していると

思うのが普通の感覚かも知れないが、ノヴァーリスの思想は遥か

に大掛かりで抽象的、神秘的な統一的世界観のようだ。

 

フィヒテ他、ドイツ観念論やロマン主義との関係も気になりつつ、

それでは、今日はこの辺で。。☆彡

 

          (計 3770字)

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妻と再会できた夜、月見草の花畑~上林暁『花の精』(2019センター試験・国語)

(☆19年2月26日の追記: 続編記事新たにアップ

 上林暁『花の精』全文と、ノヴァーリスのメルヘン

 「ヒヤシンスと花薔薇」(in『ザイスの学徒たち』))

 

 

    ☆       ☆       ☆

ここ十年ほどツイッターその他で話題になって来たセンター試験

の国語(現代文)だが、今年はあまり話題になってない気がする。

 

上林暁(かんばやし・あかつき)の私小説『花の精』。初出は各種

ネット情報を総合すると昭和15年(1940年)、河出書房の雑誌

(?)『知性』だろう。普通に読むだけだと、一般人の日記かブログ

のような感じさえある、日常的な話だ。

 

もちろん、よく読むとやはり文学であって、メモみたいに行動を単純

に記録しただけの文章ではない。『花の精』というタイトル自体も、

メルヘン的言葉に見えて、心をえぐるような鋭さを秘めてる。という

のも、妻の入院先は「精神病院」とされてるから(ブリタニカ国際

大百科事典)。

 

つまり、「花の精」とは、「妻の精神」と綺麗に重なる言葉を選んだ

題名なのだ。私は問題文を一度読んだ後にその事実を知ったが、

その上で読み返すと妖しく危険な香りを感じた。

 

それこそ、主人公=彼が最後にかいだ月見草の「かぐわしい香り」

なのだ。「天国」とか「脱線」という言葉の解釈も微妙に変化せざる

を得ない。2013年に出題された「スピンスピン」(『地球儀』)など

を思い出す所だろうか。下はウィキメディア、Michael Wolf

氏の作品より。

 

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     ☆       ☆       ☆

問題は、私自身は河合塾HPで21時過ぎに読んだが、既に

あちこちで公開されてる。

 

解釈込みのあらすじをごく簡単にまとめると、妻の入院中、心を

慰めてくれる存在だった月見草が、庭師によって引き抜かれて

しまう。そこで、釣りをする友人と一緒に多摩川へ行き、月見草を

手に入れる。

 

夜の建物の明かりで妻を思い出すが、圧倒的な月見草の花畑が

感傷を吹き飛ばす。手に抱えるのは、かぐわしい花。やっと「妻」

と再会、抱擁できたのであった。。

 

 

     ☆       ☆       ☆

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まず、Googleマップをお借りして、場所と位置関係を確認

しとこう。右上(JR荻窪駅の北側)辺りが天沼で、作者の自宅。

流石は昭和初期の私小説、個人情報を思いきりさらしてるのだ。

 

JRは当時「省線」などと呼ばれ、荻窪駅の西側に武蔵境駅が

ある。そこまから地図の左下の「是政」(これまさ)までは、西武

鉄道のガソリン・カーが走ってたらしい。その南西側はちょっとした

山(丘陵)になってるが、田舎の「山」ほどの大きさや雰囲気はない。

 

ちなみに是政というのは多摩川サイクリングロードの「是政橋」と

しても有名な地名。私も自転車で度々通過してるが、止まったこと

は1、2回しかない。ただ、サイクリストに限らず、スポーツ愛好家

がよく休憩してるポイントなのだ。東京・横浜エリアで大きく見ると、

下の図のようになる。南東の羽田から北西に伸びるのが多摩川。

 

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     ☆       ☆       ☆

さて、多くの人と同様、私も全く知らなかった小説だが、ネット

上に問題文とは違う箇所が紹介されてる。「花の精」を含む選集

『星を撒いた街』に対する、阿部公彦の書評(東京大学)。その

引用を読むと、またしてもイメージが大きく揺さぶられるのだ。

 

 「その月見草の太い株が、植木屋の若い職人が腰に挟んでいた

 剪定挟で扭(ね)じ切られているのを見たとき、私は胸がドキドキ

 して、口が利けなかった」

 

 「職人は、根株を徹底的に片づけて、もう二度と芽など出させ

  ないようにするつもりらしく、何度も何度もナイフを当てがって

  切りさいなむのであった。彼は、私が大事に大事にしていた

  月見草だとは知らず、只の雑草だと思い込んで・・・」

 

実も蓋も無い強烈で生々しい感情、情動の発露と描写。この言葉

そのものが、「何度も何度もナイフを当てが」うような鋭さを持つ。

 

では、どうして雑草にも見える月見草にそれほどの感情を注ぎ

込むのか。それは、入院した妻への思いが込められてるから

だろう。暗い場所で、僅かにひっそりと咲く花。

 

月見草を通した妻への強烈な愛を踏まえると、問5の答は「正解」

とは別の選択肢になる、と私は考える。「正解」は、表面的な文章

しか見てないように感じるのだ。

 

 

     ☆       ☆       ☆

第2問の問5は、次のように書いてる。

 

 傍線部D「それはまるで花の天国のようであった。」とあるが、 

 ここに至るまでの月見草に関わる「私」の心の動きはどの 

 ようなものか。その説明として最も適当なものを、次の

 ①~⑤のうちから一つ選べ。

 

②は前半が少しおかしいし、④は後半の「死後」とか「死」という

表現が強すぎる。⑤は、最後の「自分と妻の将来に明るい幸福

を予感させてくれた」という表現が言い過ぎだろう。結局、センター

では2つの選択肢が残ることが多いのだ。ここでは、①と③。

 

① 是政の駅に戻る途中で目にした、今咲いたばかりの月見草

  の群れは、どこまでも果てしなく広がるようで、自分の感傷

  を吹き飛ばすほどのものだった。さらに武蔵境へ向かう

  車中で見た、三方から光の中に現れては闇に消えていく

  一面の月見草の花によって、憂いや心労に満ちた日常から

  自分が解放されるように感じた。

 

③ サナトリウムを見たときは妻を思って涙ぐんだが、一面に

  広がる月見草の群落が自分を迎えてくれるように感じ

  られ、現実の寂しさを忘れることができた。さらに帰りの

  車中で目にした月見草の原は、この世のものとも思えない

  世界に入り込んだような安らかさを感じさせ、妻の病も回復

  に向かうだろうという希望をもった。

 

 

      ☆       ☆       ☆

①と③は、もし2つ選ぶのなら共に正しいし、逆に選択なしでも

いいのなら、どちらも最適とまでは言えないから不適でもよい。

 

①は、妻という言葉や解釈が入ってないし、「憂いや心労に満ちた

日常から自分が解放されるように感じた」が言い過ぎ。あるいは、

「憂いや心労に満ちた日常」という表現が曖昧で一般的すぎる。

 

③は逆に、妻という言葉や解釈を最初と最後に入れてるが、

「安らかさを感じさせ、妻の病も回復に向かうだろうという希望

をもった」が言い過ぎ。

 

傍線部の辺りは、表面的には「妻」という言葉が使われてないし、

問われてるのは「月見草に関わる『私』の心の動き』だから、

「正解」は①となってるのだと想像する。月見草そのものと私。

そのままの解答だ。

 

ただ、それは単なる表面上の読解であって、月見草どころか、

小説全体が「花の精」=「妻の精神」への思いを語ってるわけだ。 

お花畠を「花の天国」とまで書いてるのだから、ややポジティヴな

妻への想いを入れた③の方がベターな選択肢だと考える。妻と

いう言葉の不在が、逆に圧倒的な存在感を示してるのだ。

 

 

    ☆       ☆       ☆

おそらくその点は、小説全体を読めばさらにハッキリするだろう

から、去年に続いて今年も全文を読もうと思ってる。とりあえず

今日はこの辺で。

 

(☆既に全文をふまえた続編記事をアップ済。)

 

ちなみに他の設問の「正解」は確かに正しい。例えば表現に

関する問6なら、選択肢①は不適となる。「テンポよく描き、妹の

快活な性格を表現」が言い過ぎだ。間違いとは言えなくても。

 

なお、今週は計14923字で終了。ではまた来週。。☆彡

 

 

 

cf. 自転車というキュウリに乗って、馬よりゆったりと♪

  ~井上荒野『キュウリいろいろ』(2018センター国語

 「春」の純粋さと郷愁が誘う涙、野上弥生子『秋の一日』

             ~2017センター試験・国語

 キャラ化されない戦後の人々、佐多稲子『三等車』~16センター

 啓蒙やツイッターと異なる関係性、小池昌代『石を愛でる人』

       ~15センター国語

 昭和初期の女性ランニング小説、岡本かの子『快走』~14センター

 幻想的な私小説、牧野信一『地球儀』~13センター・国語

 鷲田清一の住宅&身体論「身ぶりの消失」~11センター・国語

 

          (計 3043字)

  (追記100字 ; 合計3143字)

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春夜喜雨(杜甫)&「恋愛は幸福を殺す」(哲学者ウナムーノ)~『中学聖日記』第1話

「春夜喜雨」 杜甫

 

 好雨知時節

 当春乃発生

 随風潜入夜

 潤物細無声

    (『杜工部集』所収、761年頃) 

 

 「春夜 雨を喜ぶ」 

 好雨 時節を知り 

 春に当たりて 乃ち発生す 

 風に随いて潜かに夜に入り 

 物を潤し細やかにして声無し

 

 いい雨はちゃんと降る時を選んで降って来る 

 春になると必ず雨が降る 

 風に吹かれながら夜まで降り続けて 

 静かにほとんど音も立てず全ての物を潤す

 

  (上はドラマでの解釈。別の読み方は後述。)

 

 

     ☆       ☆       ☆

自分がお気に入りのものが、他人には気に入らないということは

よくある事。逆もまた珍しくない事で、自分が気に入らないものが、

他人の気に入るものだったりする。

 

まさかの初回視聴率6.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)

に沈んでしまった、『中学性日記』・・じゃなくて『中学聖日記』。

私にとっては、好きな物だらけのドラマで、「秋夜喜劇」とか漢詩

(五言律詩)を書きたくなるほどだった♪

 

181010c

 

素朴で可愛い有村架純。優等生的で親しみやすい美少女、小野

莉奈。妖しい魅力の美熟女、羊田吉・・じゃなくて吉田羊。そのバイ

セクシャルな面でのお相手、中山咲月。そして、昔の後輩によく

似たカワイイ少年(アブナイ・・笑)、岡田健史(けんし)。上の

写真は公式インスタグラムより

 

海と山に囲まれた学校(ロケ地・静岡県立熱海高校)は私の生まれ

故郷と似てるし、子どもの頃から美人教師も大好き。そう言えば漢詩

も好きで、よく国語の授業の後にS先生を質問攻めしてた。聖ちゃん

と全く似てない中高年男性教師だったけど♪

 

今から振り返ると、先生の僅かな休憩時間を奪ってたのかも。

仰げば尊し、わが師の恩。。

 

 

     ☆       ☆       ☆

さて、かわかみじゅんこの原作マンガ『中学聖日記』第1巻を、

ebookで最後まで試し読み(期間限定)してみると、あの杜甫

(とほ)の漢詩は確かに登場してる。ただ、ドラマほどの強調では

なかった。脚本家・金子ありさのこだわりかな。いいね♪

 

というのも、思春期&反抗期の中学3年生・黒岩晶(岡田)が

新任の聖先生(有村)に対して、性愛をハッキリ向けたシーンの

描写になってるからだ。下の写真は公式サイトのあらすじより

 

181010a

 

動植物の目覚めの時期であると同時に、人間の性の目覚めでも

ある「春」。その「時節」に中学生が入った時、雨が降ってくれた

おかげで、先生の車の助手席に乗れた。突然の雨のおかげだった

点は、ドラマより原作漫画の方が明白。そして雨で身体が冷えると、

人は無意識の内に、温もりを求める。

 

その後、ドラマ第1話ラストの告白も、雨に濡れたまま車に置き

忘れてた晶の洋服(パーカー)を、聖が洗濯して翌日返したのが

キッカケ。女性らしい心遣いで、男心がキュンッとするものだ。

まあ、一部の女性は、ジェンダー(性別)による分業の固定化とか

反発しそうだけど♪

 

 

     ☆       ☆       ☆

ちなみに杜甫の唐詩の読み方。ネットでNHKの高校講座(講師・

渡辺恭子)を見ると、第二句の末尾の「発生」の意味が違ってた。

 

ドラマ(エンドロールに国語監修は見当たらず)とか、別の個人

サイトの説明によると、雨が「発生する」(=降る)と解釈されてる。

ところがNHK講座は、雨が(植物を)「発生させる」と読んでた。

 

NHKの方が、第一句の解釈にとっても自然な気はするけど、

ドラマのストーリーの流れにとっては大差ない。要するに、「春」

にふさわしい良い雨だったのだ♪ 特に関東(中学の設定は

神奈川)は、春の雨と風が目立つと思う。

 

なお、あの漢詩の出典が『杜工部集』であって、761年(ごろ)の

作だということは、本場・中国の複数のサイトやNHKの説明から

分かる。といっても1250年も前の話だから、いずれ歴史研究が

進むと訂正されるかも。

 

 

     ☆       ☆       ☆

それにしても、前クールのTBS火曜ドラマ『義母と娘のブルース』

は、最終回で19.2%もの視聴率(同上)を取ってたのに、一気に

3分の1に撃沈してしまったのは気の毒だね。裏番組が強かった

わけでもないのに。例えば、20分かぶった高橋一生主演ドラマ

『僕らは奇跡でできている』初回は、7.6%にすぎない。

 

実は私も、三連休疲れが残ってたから22時15分ごろには寝て

しまって(コラッ!)、残りは起きた後TVerの無料動画で見た。

その意味でも次の第2話の数字が気になるけど、要するにドラマ

の主たる視聴者である(中高年)女性の支持が少なかったと。

 

主役の1人、岡田健史は全くの新人だから数字を持ってないし、

実年齢19歳で15歳を演じるのは、外見的にも演技的にも大変。

有村の顔もキャラも若くて可愛いタイプで、むしろ男性視聴者向け。

 

中学の女教師と男子中学生だと設定が極端すぎて、興味より反感

や無関心の方が強かったか。マンガと比べると、テレビドラマの方

が遥かに不特定多数を相手にするから、難しい。

 

 

    ☆       ☆       ☆

私は人一倍か人二倍、思春期も反抗期も経験してる男子だから、

ドラマを見る前から自分の小・中学生時代を思い出してた。小学

2年生の時の熱心なM先生。近所でお世話になった美人お姉さん、

S先生。教え子との恋におちて行った美人教師たち(マンガの

ヒロイン・・・笑)。

 

教育実習生として中学に来てた、名前も思い出せない女子大生

の先生とは、たまたまバス停から学校まで2人で一緒に歩いた

のがいい思い出だ。何でもない会話や笑顔でも、純な少年の胸は

ドキドキ♪ 

 

マンガみたいな悲しい恋愛の最後まで夢想して、考え込んだり。

結局、お別れするんだよなぁ・・とか(笑)。その内の1つの作品は

珍しく電子書籍で全巻揃えたのに、まだ読めてない。哀し過ぎる

結末だったもんで♪ マンガだろ!

 

いや、子どもの頃は現実と幻想が融合してるのだ。やっぱり今でも

少年のままってことか。。

 

 

     ☆       ☆       ☆

最後に、子星中学校職員専用共通システムでなりすましメール

を送った真犯人はさておき、学校裏サイトで聖を攻撃してたのは

誰か。ネタバレは全く見てないけど、晶の別人格かも。少なくとも

なりすましと同じ人間(職員?)とは限らない。

 

あと、美人教師はもちろん最高だけど、美人上司もいいね♪

グローバルVedコーポレーションの原口律(吉田)は、部下の

川合(町田啓太)の婚約者となった聖と初対面。いきなり古い

名言ウンチクを説いてた。

 

 恋愛は幸福を殺し、幸福は恋愛を殺す

 

「昔の人」としか言ってないし、ネットで出典を検索するといつもの

ように、信頼できそうなサイトはなかなか見当たらない。多分、

これでいいと思うけど、本当にスペインの哲学者ウナムーノ自身

の言葉や著作(の英訳)なのかどうか、まだ確認できてない。

信頼性の低い単なるまとめ本の可能性もあるので念のため。

 

 Love kills happiness,

 happiness kills love.

  『Essays and Soliloquies』(随筆と独白)

 

181010b

 

 

    ☆       ☆       ☆

上の名言をより正確に言い直すと、愛は普通の幸福を殺す、と

なるはず。代わりに、特別の幸福をもたらしてくれる。だからこそ

原口も雄弁に語ってた。

 

 絶対あり得ない

 そう思った相手を好きになったり

 世間の常識から外れたり

 大多数の人に反対されたり

 それでも引っ張られる 堕ちていく

 ・・・ そうゆう経験 最高よ

 

現実の日本社会を見ても、不倫カップルがやがて離婚して正式

に結婚(=再婚)するパターンはそれほど珍しくない気がする。

 

最初から予想以上に厳しい反応となってるこのドラマの場合も、

最後に「普通の」幸福はあり得ない。それでも、別の幸福や最高

の悦びはあるはず。ヒロイン達が悦びの声をあげる姿をじっくり

楽しませて頂こう。想像力=イマジネーションの鍛錬も兼ねて♪

 

春の夜、喜びの雨♪ 別の意味で具体的にイメージしつつ、

それでは今日はこの辺で。。☆彡

 

 

 

cf. 『中学聖日記』、原作1巻とドラマ2話までの比較

 

           (計 3118字)   

     (追記26字 ; 合計3144字)

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生け花・華道の形と様式、天・山・海・心と流れ菱(京都・神宮流)~『高嶺の花』第6話

お盆の帰宅ラッシュと重なったからか、視聴率7.8%(ビデオ

リサーチ調べ、関東地区)まで落ち込んでしまった『高嶺の花』

第6話(8月15日)。

 

野島伸司の脚本が複雑すぎるし、直人(峯田和伸)のルックスで

離れる女性もいるだろうけど(失礼♪)、ドラマの作りとしては別に

メチャクチャになってる訳じゃない。

 

今回、新興流派の龍一(千葉雄大)の原点に、京都・神宮流(?)

の幾何学的な型・構図・様式があることがほのめかされた。今日は

もう放送から5日後の木曜だけど、マニアックな解説記事を書いて

みよう。今現在まだ、ネット上の以下のような説明は見当たらない

し、ツイッター検索でもヒットしない。

 

画像は基本的に、日テレの無料動画からのキャプチャー。非営利

の個人サイトのレビューにおける限定的で好意的な引用なので、

著作権の問題は生じないと考える。肖像権には別に配慮してある。

 

 

     ☆       ☆       ☆

180820a

 

一番わかりやすかったのは、このノートPCの画面。3分割の内、

左半分の大きな図面は、真正面ではなく少し上から見下ろす

角度で、ほんの少し右側から見てる感じもある。

 

真ん中の下に置かれた「心」(シン)という要素(例えば大きな花)

を除くと、「天」(テン)と「海」(カイ)の間に、「山」(サン)2つ

挟まって、斜めの四角形を構成してるのだ。タクシーの後部座席

でもも(石原さとみ)は「流れ菱」(ナガレビシ)と呼んでた。

 

180820c

 

上図は、モニター右下の図面だけカットしたもので、真上

(ABOVE)から見た様子。上から見ても、天・山・海・山の4点

が流れ菱(斜めの四角形)になってるのが分かる。

 

180820b

 

上図は、モニター右上の図面だけカットしたもので、真正面

(FRONT)から見た様子。少し歪んでるけど、やっぱり「心」を

除く4点で斜めの四辺形になってる。

 

私がネットで調べた限りだと、こうした幾何学的な図と説明を提示

してる本物の華道流派は、京都の専慶流(せんけいりゅう)のみ。

数学みたいな理論的説明で、興味深かった。池坊専慶とは無関係

な(?)、冨春軒仙渓が350年前(江戸時代)に創流とのこと。

 

専慶流の場合、天・海・山2つの代わりになる4つのポイントが、

「主・留・副・前副」などとされてた。当然、一つの流派の中でも、

複数の様式が定められてるし、かなり自由な現代的生け方もある。

 

 

      ☆       ☆       ☆

実際のドラマの生け花として、龍一が昔、神宮流(?)の対決で

ライバルに完敗した時の画面で確認してみよう。トラウマ的シーン

として、悪夢に出て来るようだった。

 

180820e

 

0-7の無残な敗北。うなだれる龍一の前を見ると、真横からでも、

上から下まで4つのポイントがあるのが分かる。

 

180820f

それに対して、圧勝したライバルの側は、上中下の3つのポイント

から構成されてるように見える。専慶流にたとえるなら、生花

(セイカ)の形の「天・人・地」みたいなものか。

 

ちなみに、なな(芳根京子)が龍一のマンションからこっそり持ち

出してた(?)図面だと、「天」が円グラフというかパックマン型、

「海」が十字キー型、「山」が半円、「心」が赤丸のアイコンで

描かれてた。高度に抽象化されてるのが分かる。

 

180820d

 

 

     ☆       ☆       ☆

なお、ももの月島流だと、もっと自由にいろんな形を使ってる

ような気がする。下は今回、みんなの前で実演してた、後ろ生け。

枯れた木(流木、しゃり木=シャリボク)は手に入れにくいとか

説明しつつ、全体的に大きく広がる生け花を創ってた。

 

180820g

 

ただ、公式サイトの生け花ギャラリーにある下の画像などは、

天・人・地の3ポイントのパターンに見える。大きく伸びる緑、

小さいピンクの花、大きな白い花。4ポイントの流れ菱には

なってない。

 

180820h

 

ちょっと生け花に興味が湧いて来たところで、今日はこの辺で。。☆彡

 

 

 

cf. 傷つけられた時に哀しむ人は、愛の人、いい女です

     ~『高嶺の花』第1話

  後ろ生けと鏡に映るもう一人の自分、力学の意味~第2話

  「犯罪者は外見で判断できる」、ロンブローゾ~第5話

  ハンナ・アレント『責任と判断』とゲイン・ロス効果~第7話

  エリアス『時間について』と、子どもの頃の自分~第9話

  黄色い高嶺の花は、純潔な太陽の光~最終回

 

             (計 1632字)

     (追記 74字 ; 合計 1706字)

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アンドレ・ジッド名言「真実を探しているものを信じよ。見つけたものを疑え」、仏語出典と意味~『コンフィデンスマンJP』最終回

第10話(最終回)も笑えた。イガラシ(五十嵐、小手伸也)の預金の

少なさに♪ そこか!

 

スマホ画面の上には、簡体字で「中国国際銀行」と書かれてる。

イガラシからの振り込みは映ってないから、金井紘の演出的には、

少額という意味の細かいお笑いカットだろうと想像する。流石に

そこまで脚本家の古沢良太が書いてるとは思えない。

 

画像はフジテレビのドラマより。非営利の個人サイトのレビューに

おける限定的引用なので、著作権などの問題は生じないと考える。

 

180612a

 

ちなみに、鉢巻秀男=孫秀男(佐藤隆太)の口座残高は15億円。

フジサワヒナコ=ダー子(長澤まさみ)の振込が5億円。ニシザキ

ナオト=ボクちゃん(東出昌大)が7億。リチャード(カマタキヨシ:

鎌田)が3億。

 

イガラシも数千万円の可能性は一応あるけど、他の詐欺師たちとの

差はハッキリしてる。リチャードが少ないのは、別れた奥さんと愛娘

にほとんど送金してるからか。

 

まあ、明かされた経歴が真実とは限らないけど、真実を探すことは

大切なのだ♪ 1947年ノーベル文学賞受賞者、アンドレ・ジッド

(またはジード、ジイド)も語ってた♪

 

 

     ☆       ☆       ☆

180612b

 

 真実を探しているものを信じよ。

 真実を見つけたものを疑え。

        アンドレ・ジッド

 

「もの」を、ひらがなではなく漢字で「者」と書いてるサイトが大半

なのは普通として、「真実を見つける」と現在形で訳してるサイト

が一つもないのはちょっと問題かも知れない。

 

というのも、原文のフランス語(Croyez)も、それを翻訳した

英語(believe)も、現在形になってるから。日本語的には

「見つけた」と完了形にする方が自然だし分かりやすいけど、

元のフランス語の意味は「見つける」の方が近いかも知れない。

厚みや拡がりをもたせた、抽象的表現を選んでるのだ。

 

 

      ☆       ☆       ☆

では、フランス語の原文を見てみよう。出典は、

 「Ainsi soit-il ou Les Jeux sont faits」。

 (どうぞ、そうなりますように、あるいは、賽(さい)は投げられた)

 

名言の箇所は次の通り。フランス語版ウィキ・クォートによると、

p.174とのこと(私は未確認)。

 

 Croyez ceux qui cherchent

 la vérité;

 (真実を探す人達を信じよ。)

 doutez de ceux qui la trouvent;

 (真実を見出す人達を疑え。)

 

 

名言は、自分と同様に悩む若者たちに向けて語られる形になってる。

真実を探す人達」とは、要するに自分たちのこと。繰返すが、「真実

を見出す」という現在形の文であって、過去形や完了形ではない。

 

タイトルについては、私は分かりやすく訳したけど、早稲田大学の

論文では、「かくあれかし、あるいは賭けはなされた」と格調高く

訳してた(森井良)。前半はお祈り、後半は賭け事の決まり文句。

著者ジッドの死が迫ってることも暗示してる気がする。私はこれ

から、どうなるのだろうか。。

 

1952年だから、死の翌年に出版された遺稿で、日本語はもちろん、

フランス語や英語でも情報が少ない。偉大な作家の最晩年の著作

なのに、ほとんど上の名言ばかりが話題になってる感じだ。

 

 

      ☆       ☆       ☆

さて、著作の邦訳はもちろん、元の著作も英訳も見当たらないけど、

名言の直前の文脈や、直後に続く文章だけなら、学術系サイト

JSTORの論文に書かれてた(著者 Lucien Wolff)。無料

登録だけで、誰でも閲覧可能。米国のフランス語教師の雑誌らしい。

 

180612c

 

文脈的には、プロテスタントの環境で育ったジッドが、最晩年まで、

キリスト教との関係に迷い、悩んでるような感じだ。教義や死後の

世界(あの世)について、そのまま信じ込むのは知性が許さない。

そう言いつつ、誰よりも精神的=心霊的である自己矛盾。。

 

名言に続く文章を軽く直訳すると、こんな感じだ。この箇所だけの

英訳は、例の優秀な英語サイト「引用調査官」に掲載されてた

 

 すべてを疑え。でも、あなた自身は疑うな。 

 キリストの言葉には、人間のあらゆる他の言葉より多くの光がある。 

 でも、それだけでは、キリスト教徒として不十分のようだ。 

 それに加えて、信じる必要がある。

 (しかし)私は信じない。だから私は、(迷える)あなた達の兄弟だ。

 

上の1行目だけみると、近代哲学の父デカルトの方法的懐疑や

「われ思う、ゆえに、われあり」に似てると解釈することも可能。ただ、

デカルトなら、「私は信じない」とは断言しないだろう。理論的にも

そうだし、ジッドから300年前の時代的制約もあって。

 

 

     ☆       ☆       ☆

最後に、ドラマの内容に戻ると、形式的には非常にテクニカルで

上手く連ドラを終わらせた形になってる。

 

つまり、最終回の終盤で、最終回の序盤へと逆戻り。実は最初から

鉢巻たち中国マフィアを騙すつもりだったと分かる。ダー子が冒頭

で見てたドラマか映画、『名探偵 海老河原の冒険』を鉢巻が見る

ように仕向けて、その中で鉢巻が騙されてたことを知らせたのは、

伏線の絶妙な回収だった。

 

ダー子の淋しい子供時代、ボクちゃんのビミョーな子供時代、ダー子

とボクちゃんの母(詐欺師)の出会い、バトラー(Michael

Keida)の妙な寝返り再就職。登場人物の過去もストーリーの中で

自然に紹介。もちろん、「真実を見つけた」わけではないけど♪

 

そして、最終回の一番ラストでは、第1回の冒頭に逆戻りする形まで

作ってた。思い出した視聴者がどのくらいいるか怪しいけど(笑)、

ウィキペディアは初回の説明の箇所に、「最終話で登場した鉢巻

秀男の次のターゲット」と加筆してた♪ 珍しいね。結局、最終回

がエピソード0(ゼロ)。『名探偵』のDVDパッケージと同じだ。

 

正直、話は複雑で、勧善懲悪でもなく、悪が悪に勝つ変則パターン。

古沢良太のクセなのか、時間設定が一瞬で1年とか5年とか変化

するから、ずっとテレビから目を離さないファン以外には分かりづらい。

キレイな最終回の視聴率が9.2%に留まってる。

 

ただ、落ち込みが激しいフジ月9の中で、この独特のオリジナル・

ドラマが全話平均8.9%取ったのはまずまずの健闘だし、一部

の熱狂的なファン(ライター含む)も獲得した。長澤まさみのハジけた

熱演にも拍手。映画化や韓国版・中国版も決定したし、さらに続編

やSP(スペシャル)も狙えるかも。

 

 

      ☆       ☆       ☆

私自身は、名言の解説でマニアック路線を突っ走れたし、叩かれ

過ぎてるフジ月9の応援もできて満足だ。フジテレビ復活の一番

いい方法は、8チャンネルから4チャンネルに替えることだろう(笑)。

高齢者は1チャンネルから順に見て行くし、新聞の番組欄を見る

時も左端のNHKやEテレから。右端まで見て行くのは疲れる。

 

案外、NHKを9チャンネルにするとか、番組欄の右端に移すのも、

いいね♪ テレビに限らず、叩かれ過ぎてるものに目を向けたい。

ともあれ、今日のところはこの辺で。。☆彡

 

 

 

cf. confidence man の本当の意味、

  「失敗した」信用詐欺師♪~『コンフィデンスマンJP』第1話

 セドラチェク「欲望は満たされることを望まない」~第2話

 ゴーギャン「芸術は、盗作か革命」、英語&仏語~第3話

 ビリー・ワイルダー「映画の8割は脚本」、英語~第4話

 マジンガーZとの合体、「パイルダー・オン」の意味~第5話

 古代遺跡トロイア、シュリーマン名言のドイツ語原文~第6話

 マザーテレサ「家に帰って家族を愛しなさい」、英語~第7話

 ヘプバーン「美しい唇であるためには」(英語)~第8話

 ブルーン「スポーツは人格を作り上げるのではない」(英)~第9話

 

               (計 3106字)

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ゴーギャン名言「芸術は、盗作か革命かいずれかだ」、英語&仏語原文~『コンフィデンスマンJP』第3話

芸術的だった。。 須藤ユキ(馬場ふみか)のタイトミニ&ハイヒール

美脚が♪ そこか! 童顔で巨乳。パトロンがすぐ見つかるのもよく

分かる。おかげで第3話視聴率は9.1%に回復(ビデオリサーチ

調べ、関東地区)。そうゆう理由づけか!

 

まあ、30過ぎたら太るから気を付けないと(笑)。城ケ崎善三(石黒

賢)のキツイ突っ込み。本気で傷ついた馬場が脚本家の古沢良太

を訴えそう♪ あっ、まだ22歳だった! ほんじゃ余裕か。

 

ちなみに須藤ユキの絵を担当したのは、イラストレーターの佐藤

玲奈。名前だけで検索すると、須藤ユキ系の元アイドルの写真が

トップに出る♪ ご本人は夫婦そろってイラストレーターみたいで、

夢を叶えた女性たちとして「東京ウーマン」で紹介されてた。心理学

やスピリチュアルに興味があるとのこと。他人も自分も、絵で癒すと。

 

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     ☆       ☆       ☆

しかし最近の社会的風潮を見てると、近いうちにこういったドラマや

脚本も禁止されそうな気がする。セクハラ、性差別。カッティング

(=リストカット)の扱いも、人命軽視とか配慮不足とか言われそう。

政治や一般社会はともかく、芸術・芸能系にとっては難しい時代だ。

 

それを考えると、Amazonプライムビデオのバラエティ番組、

『ドキュメンタル』で凄まじい男の下ネタが飛び交ってるとかいう

話は、攻めてるなと感心する。攻め過ぎですぐ消えそうだけど・・

っていうか、あんまし見る気はしないけど♪

 

高尚な「芸術」の分野だと、表現の自由がかなり大きく認められる。

絵画、彫刻、文学、映画(の一部)。ゴーギャンにも、女性の裸の絵

があるけど、非難どころか高く評価されてる。

 

下は最高傑作とされる、「我々はどこから来たのか 我々は何者か

 我々はどこへ行くのか」。タヒチの生活を独特の色使いとタッチで

幻想的に描いたもので、名古屋ボストン美術館HPより

 

180424b_2

 

問題は、そうした美術より下に位置づけられがちな、サブカルチャー

とか芸能の分野。考えてみると、その分け方自体が曖昧だし、やや

差別的でもある。

 

政治や宗教の世界も含めて、もう少し寛容になれないものかね・・

と思う、今日この頃。私もそうだけど、多くの人は我慢したり受け

流したりの毎日のはず。それはそれで何とかなるのだ。普通なら。。

 

 

     ☆       ☆       ☆

さて、今回の『コンフィデンスマンJP』美術商編も色々と楽しめた。

仕事疲れでボーッと見ながら笑うのにはピッタリの軽さとテンポで、

台詞やストーリーに適度なヒネリがあるから退屈しない。ダー子

(長澤まさみ)の極端なはじけ方も、もっと評価されてもいいはず。

 

ただ、マニアック・ブロガーとしてはやっぱり、冒頭の妖しい言葉に

ひき付けられる♪ 今回は誰でも名前は知ってる有名画家だけど、

名言は今まで同様、ビミョーなものだった。

 

180424a

 

 芸術は、盗作であるか、革命であるか、

 そのいずれかだ。

            ポール・ゴーギャン

 

 

      ☆       ☆       ☆

この格言、細かい表現の違いは別として、ドラマ関連を除外して検索

すると、10ほどのサイトがヒットする。ただ、いつもの事ながら、どこ

にも出典は明記されてない。名前と言葉があるだけだ。

 

英語で検索すると、直ちに元の言葉の英訳らしきものを発見できた。

ウィキペディアの引用句版、ウィキクォートより。

 

180424d

 

 In art, there are only two types of people:

 revolutionaries and plagiarists.

 芸術においては、2つのタイプの人々が存在する。

 革命家か、盗作家か。

 

 And in the end, doesn't the revolutionary's work

 become official, once the State takes it over?

 そして結局、革命家の作品は公的なものになるのではないか。

 国家がそれを引き受けるなら。

 

 

     ☆       ☆       ☆

英語版ウィキクォートを信頼するなら、元々は1895年4月25日、

フランス語の新聞『Le Soir』(夕べ)で公表された手紙らしい。

 

ウィキの直接の引用元は、遥か後に出版された本の英訳で、

 『The Writings of a Savage』(1990)。

 

単純なわりに訳し方が難しいタイトルの本だけど、意味的には、

野生・未開の人(特にゴーギャン自身)の著作ということだろう。

出版編集者なら、レヴィ=ストロース『野生の思考』を意識して、

野生の言葉』とか名付けるところか。

 

実際には既に1978年に英訳(ハードカバー)が出てるようだ。

下はアマゾンより

 

180424e_3

 

 

     ☆       ☆       ☆    

この元になってるフランスの原書が、

 『Oviri : Ecrits d'un sauvage』(1974)

 

「Oviri」は「野生」を表すタヒチ語で、その右は英訳本と同じ意味。

つまり、「野生の言葉」。下は1989年に出版された本の表紙で、

アマゾン・フランスより

 

180424f

 

残念ながら、原書で何と書いてるのか、フランス語でいくら探しても、

信頼できる情報はほとんど見当たらない。ということは、仏語では

ほとんど注目されてない言葉なのだろう。

 

一応、仏語らしき文は、美術系サイトに書かれてる

 

 L'art, c'est soit du plagiat, soit la revolution.

 芸術、それは盗作であるか、革命であるか、どちらかだ。

 

ただ、これは英訳とはかなり違って、日本語の名言もどきを仏訳した

ような言葉だし、原書からの引用かどうかも確認できない。ページ数

どころか書名も書き添えてないので、おそらく不正確だと思う。という

より、単なる独自のゴーギャン解説かも。

 

 

     ☆       ☆       ☆

英訳の名言に戻ると、「国家」という言葉が出てるのは、ゴーギャン

がフランス、ペルー、タヒチと、国を転々とする大変な生活を送った

からだろう。

 

自分は革命家であって、画期的な作品を描いてるのに、あるいは

それだからこそ、恵まれない生活を送ってる。しっかりした国家が

公認してくれればいいのに・・とまで解釈すると、単純すぎるかも♪

まあでも、当たらずとも遠からずだろう。

 

現代のネット社会では、国家や権威が認めてくれなくても、価格も

評価も急激に変化する。ダー子のフェルメール(笑)も、本物の

『真珠の耳飾りの少女』とはかけ離れた絵だったけど、ネットの

オークションで数十万円の値段がついてた。

 

長澤まさみの「耳かき」なら、5万円くらいか。それ以上、「いっぱい

してあげる」のなら、100万円以上かも♪ ダー子が検索しろとか

言ってた、20世紀最高の贋作家メーヘレンの絵は高く売れてた

ようで、英語版ウィキには数十億円レベルの稼ぎとも書かれてる。

 

そこまで行くと、本物の最高価格に近い。昨年末、クリスティーズ

で落札されたレオナルド・ダビンチのキリスト画「サルバトール・

ムンディ」(救世主)が史上最高で約500億円。

 

ハオ・ジィラ!(好极了:とても素晴らしい)。

ウォー・ブーシー・ゾングオレン

  (我不是中国人:わたしは中国人ではありません)♪

中国語の勉強までしたところで、今日はそろそろこの辺で。。☆彡

 

 

 

cf. confidence man の本当の意味、

  「失敗した」信用詐欺師♪~『コンフィデンスマンJP』第1話

 セドラチェク「欲望は満たされることを望まない」~第2話

 ビリー・ワイルダー監督「映画の8割は脚本」~第4話

 マジンガーZ「パイルダー・オン!」の意味と語源~第5話

 シュリーマン名言のドイツ語原文を発掘♪~第6話

 マザー・テレサ名言「家族を愛しなさい」、英語~第7話

 ヘプバーン名言、レヴェンソンの詩でなく言葉(英語)~第8話

 ブルーン「スポーツは人格を作り上げるのではない」英語~第9話

 ジッド「真実を探しているものを信じよ」仏語と意味~最終回

 

             (計 2959字)

    (追記 188字 ; 合計 3147字)

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『小保方晴子日記』の感想13~単行本&婦人公論インタビュー

102周年の伝統を持つ雑誌『婦人公論』(中央公論新社)の「小保方

晴子日記」については、過去12本の記事を書いてるし、別にコネタ

記事も1本ある。

 

 初回 第2回 3回 4回 5回 6回

 7回 8回 9回 10回 11回 12回

 パブロン飲んで低心拍スロージョグ&仏陀の馬の名前とか♪

 

単行本出版以降、かなりアクセスは増加。ただ、雑誌の連載は既に

(とりあえず)終了、大幅に加筆された単行本も発売されたので、

当サイトではこの記事がラストとなる。もちろん、いずれ日記の続編

(2016年10月11日~)が発表されれば話は別。

 

 

      ☆        ☆       ☆

あらためてごく簡単に私の見方をまとめとくと、まず「叩かれ」過ぎ。

批判は当然としても、その量と質があまりに過剰だ。

 

世の中で、科学や研究の「不正の類」など、他にいくらでもある中で、

若手研究者のSTAP細胞研究だけがなぜあれほど叩かれたのか。

なぜ、彼女の自宅のドアが記者に叩かれ続けたのか。そして、なぜ

優秀な恩師が自ら命を絶つことになったのか。論文内容や書き方、

評価、研究態度だけでは全く説明がつかない不条理だ。

 

今年(2018年)1月、iPS細胞に関する研究不正が明らかになって、

ノーベル賞・山中伸弥教授も頭を下げて謝罪。つい先日、正式処分も

受けてるが、ほとんど話題になってない。昨年末のNHKスペシャル

『東大研究不正』も話題にならず。実績ある東大教授にも関わらず。

 

この不均衡、不平等、アンバランスは一体何なのか。考える余地は

まだ十分ある。 メディアや科学界に関しても、一般社会に関しても。

 

 

     ☆       ☆       ☆

一方、彼女の研究能力はさておき、非凡な文才はこの『日記』で

明らかになった。

 

ベストセラー『あの日』だけ読むと、かなりライターなどの手が加わった

のではないかという思いもあったけど、『あの日』の執筆過程も『日記』

に詳しく書かれてる。博士論文の修正&却下の過程についても同様。

 

もちろん単なる読者には、それらがどの程度、真実を表してるのか

ハッキリしない。ただ、非常に細かくて具体的な記述が一日も休まず

書かれてるのを見ると、文才や記憶力・記録力は認めざるを得ない

だろう。精神的・身体的に文字が書けない状況でも、記号や絵で

手がかりを残して、後から再現したとのこと。

 

単行本によると、小説にもチャレンジしてる(or してた)らしい。ただ、

むしろ「ノンフィクション」と呼ばれるジャンルのフィクション(創作物)

の方が向いてるかも。

 

ちなみに小保方さんが「ピーチ姫」と呼ぶ毎日新聞の女性記者・須田

桃子が『捏造の科学者』で獲得した、大宅壮一賞もノンフィクション

部門(第46回)。

 

選考委員は、佐藤優、片山杜秀、梯久美子とされる。佐藤は、今後の

ノンフィクションの模範で商売になる書き方だと絶賛。非常に彼らしい

評価だろう。要するに、ノンフィクションはフィクション、作り話でいいと

いう事だ。ある程度までなら、「捏造のノンフィクション作家」などと

叩かれることもない♪ 

 

テレビのノンフィクション番組も大同小異だ。簡単で面白くしないと、

大勢に見てもらえないし、SNSで拡散してもらえない。

 

 

      ☆       ☆       ☆

さて、本題の『小保方晴子日記』について。細かい話だけど、単行本

の日付けが3通りもある。本の奥付では3月25日発行、会社紹介

は3月22日(初版刊行日)、そしてamazonでは

3月20日(発売日)。

 

公式には25日となってるのは、連載分の日記の最終日が3月24日

だからかも。もちろん、年は18年と16年で違うけど。似たような事は

ページの番号にもある。公式には304ページとされてるのに、本は

300ページで終わってるのだ。綺麗にキリ番で終わらせたのかも。

 

いずれにせよ、今日でほぼ2週間経過で、ウチの近所の小さな書店

だと、平積みの6冊前後が数日で売り切れてた。

 

180403a

 

2018年4月3日現在、アマゾンの販売ページでも売り切れ状態。

ただし、レビューは僅か7件しかない。平均で4.8という非常に高い

評価とはいえ、静かな反応で、これ自体もスタップ騒動の本質を表す

ものだろう。2年前の『あの日』は現在、858件(平均4.2)なのだ。

 

 

      ☆       ☆       ☆

本の帯や出版社の紹介だと、「650日間」を綴る日記とされてた

から、早速計算♪ 確かにピッタリ合ってた。

 

180403b

 

 2014年 1日のみ (12月31日)

 2015年 365日

 2016年 284日 (10月10日まで)   

  合計  650日

 

うるう年の16年の計算はこうなる。

 31+29+31+30+31

  +30+31+31+30+10=284

 

個々の日記の文章は、雑誌と単行本でそれほど違ってない気がする

けど、本人によると単行本の方が制約が少なくて正確らしい。構成

(章立て)は大幅に変わってて、単行本だと、2014年12月・15年

1月から2016年10月まで、月単位でまとめられてる。見出しも雑誌

連載とは大幅に違ってた。

 

 

      ☆       ☆       ☆

完全な書き下ろし部分だけでも、300ページ中、100ページもある

から、3分の1。おそらく、文字数で7万字ほどだと思う。全力で1日

2万字ほど書けるらしい執筆力は流石だ。当然、元々の日記を書き

写すだけでは済まない。

 

ちなみに私の最高記録は、徹夜で入力し続けて、13000字ほど。

食事とトイレ以外、休憩なしだった。このブログだと1万字くらいか。

 

『あの日』の場合、編集者や複数のライター、自分の複数の弁護士、

講談社の法律顧問などから、何十回も書き直し要請やアドバイスが

入ったようだから、『日記』でも色々と配慮したんだろう。

 

ただし、日記が(ほとんど)本人自身の手で書かれた文章だという

点は間違いないと思う。身近な親族や関係者の話が匿名で色々と

書かれてるし、ネガティブな思いも包み隠さずそのまま記してある。

担当医師、看護師、大学の教官、理研などの知人、メディア、編集者、

出版社。国家権力への不満のようなものもある。

 

現在の(?)担当医師デル先生や、理研の(?)気まぐれ先生とか、

読んで苦笑してるはず。筆者自身や関係者にとっていい事かどうか

微妙だけど、読み手にとっては興味深い。『日記』の中央公論新社

に対する不満を、『あの日』の講談社に相談する話まで載ってた。

カットも「書き換え」もしなかった中央公論新社は、いいね。

 

 

      ☆       ☆       ☆

書き下ろし部分の主な内容は、瀬戸内寂聴との対談と後日談、

小説執筆、海外からの研究職の話(次々に破談)、研究用のHP

「STAP HOPE PAGE」作成(攻撃が多いとのこと)、

そして最後は、安全な場所への転居(引っ越しではない感じ)。

 

長くなって来たから、最後は『婦人公論』の単行本PRインタビュー

の話に移ろう。2018年4月10日号(3月27日発売)の表紙

でも、公式サイトでも、大きな扱いになってる。

 

タイトルは、「今日を生きることに もう迷いは ありません」。

 

180403c

 

 

     ☆       ☆       ☆ 

ネットの評判だと、話の中身よりグラビア写真ばかりが騒がれてる。

単行本の最後のページにも、白黒で小さく篠山紀信撮影の写真が

載ってたけど、雑誌では大きなカラー写真。有名タレントみたいな

扱いでちょっと驚いた。

 

美人になったとかいう感想が多くて、私もそう思うけど、第一印象は、

意外と肌が荒れてないなというものだ。日記の連載を読んでると、

皮膚が荒れたとか美容の話が多かったのに、全然問題なし。担当

したメイクさん(レイナ)の実力なのか、あるいは皮膚科のコンビニ

店長先生のおかげなのか♪

 

洋服はグッチとか言われてるけど、私が気に入ったのは髪型だ。

下は、公式サイトの試し読み部分の写真(縮小して引用)。右上から

分けてサラッと流したヘアスタイルが、お嬢様っぽくて上品。

 

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他にもう1枚、赤い洋服に白いリボンの写真もあって、単行本の

小さな写真はさらに別の洋服かも。たぶん出版社側が用意した

ものだろう。瀬戸内との対談の時の白いドレスは、自分で購入

した高価なもので、友人に「らしくない」と突っ込まれたらしい♪

それでも着たのだから、自分ではすごく気に入ったということか。

 

 

     ☆       ☆       ☆

話の主な内容は、『日記』では醜い部分も飾らずさらけ出したこと、

STAP細胞についての考えは全く変わらないし、将来も楽観してる

こと、『更級日記』とか参考にしたことなど。自分で描いたチューリップ

2本の絵も挿入されてる。

 

今は安全な場所に移って、普通の生活を楽しめるようになってる

そうで、実験もしたいけど、何より社会貢献したいらしい。そんなに

お堅い発想じゃなくて、普通にナチュラルに活躍すればいいと思う。

ランナーの1人としては、マラソン・デビューにも期待♪ 芸能界と

比べて怖くないし、努力も報われやすい。

 

山中教授のランニング仲間に入れてもらうのは流石に無理としても、

ありのままの頑張る姿を見せるのには、マラソンが分かりやすい。

もちろん、研究職への復帰ができれば最高で、英語好きの彼女

なら海外でも活躍できるはず。

 

規則で禁止されてないのなら、書き直して落とされた博士論文をHP

で公開するのもいいと思う。とにかく、まだ34歳の若さ。マラソンの

序盤で「コケちゃいました」谷口選手みたいなものだから、中盤以降

で盛り返せばOK! 『しくじり先生』特番出演の道もアリ。

 

小説の発表にも期待しつつ、それでは今日はこの辺で。。☆彡

 

             (計 3768字)

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ブラッドベリ『霧笛』(Fog Horn)~ゴジラの原作映画の原案小説

日本を代表する怪獣映画『ゴジラ』に、原作のような米国映画がある

らしいと知ったのは、もう1年近く前、2017年の春頃だったと思う。

サブカルチャー本を流し読みしてたら、ゴジラ人気に軽く突っ込む

感じで一言書かれてたのだ。

 

180307a

 

その1953年の特撮映画は、

 『The Beast from 20,000 Fathoms』。

原題の英語をほぼ直訳すると、「海底2万尋(ひろ)から来た獣」。

上の劇場公開用ポスターは、英語版ウィキペディアより。カラーに

なってるけど、映画はモノクロ(白黒)。

 

「尋」(ひろ、じん)とは水深などに使う長さの単位で、約1.8m。

「海里」(約1.8km)と似た数字だから紛らわしいけど、1000倍

近くも違う別の単位だ。

 

20000尋とは海底36000mということで、要するに、全く未知の

深さを表してる。現実の深海だと、有名なマリアナ海溝(グアムの西)

でさえ、水深11000mほどだ。

 

 

     ☆       ☆       ☆

54年12月に日本で公開された時の邦題は、『原子怪獣現わる』。

「原子」と「原始」の意味を重ねた、上手いタイトルだと思う。ストーリー

にも合ってるし、直前の11月には最初の『ゴジラ』が公開されてた。

どちらも、原子力を用いた爆弾(ゴジラは水爆)の影響で目覚めて、

人間を襲う巨大怪獣なのだ。

 

ちなみに当時まだ、原子力の平和利用(発電)はほとんど開発されて

ない時期で、原子と言えば原子爆弾。未知の特殊で凄惨な破壊力

を表してる。水爆は開発されたばかりで、米軍による54年3月の

ビキニ環礁実験では、第五福竜丸の被曝事故が発生した。

 

日本語ウィキを見るとゴジラの制作段階の仮題は『海底二万哩

(マイル)から来た大怪獣』とされてる(出典の明記なし)。

 

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明らかに直前の米国映画の原題を真似したものだが、これが事実

なら単位を1000倍間違えたのかも♪ 二万マイルだと32000km

だから、地球の直径(13000km弱)を超えて突き抜けてしまう。

 

下のポスターは日本語ウィキより。怪獣の造形や撮影は、ゴジラの

方が遥かに上。特撮担当・円谷英二の才能と造形スタッフらの共同

作業のおかげか。

 

180307c  

 

 

      ☆       ☆       ☆

さて、前置きが長くなったが、ゴジラの原作映画に近い米国映画の

原案小説が、米国のSF作家レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)

の小説『霧笛』(Fog Horn)なのだ。

 

これは後のタイトルで、1951年に発表された時のタイトルは、

「The Beast from 20,000 Fathoms」。

これがそのまま映画のタイトルに転用されたらしい。

☆追記: この記事末尾のP.S.で補足した。)

 

日本語ウィキは「原作」と書いてるが、物語的にはあまり似てない。

英語版ウィキを読むと、もともと直接的関係は無かったようで、小説

は後から加わった原案の1つのようだ。タイトルを除くと、目立つ関連

は1つだけ。怪獣が夜の灯台を襲うシーン。

 

180307d

 

上はウィキメディアより。予告動画からのキャプチャー画像。ゴジラ

と比べるとスラッと痩せた体型で、巨大トカゲのように見える。体長

30m(+尻尾9m)。ゴジラ(初期は身長50m)より小さいけど、

代表的な恐竜ティラノサウルス(10m強)と比べると3倍の大きさ。

 

 

     ☆       ☆       ☆

というわけで、ようやくゴジラの源流となってる小説の話に入れる。

下は、短編集『The Golden Apples of the Sun』。

英語版ウィキより。『霧笛』はこの本の巻頭に収められてる。

 

180307e

 

『霧笛』の英語原文は、なぜか堂々とpdfファイルで公開されて

検索するとトップに出る。子ども向けの教材みたいな扱いだから、

元の英文と違うのかも知れないけど、大体は合ってそうだ。

 

発表から70年近いとはいえ、作者の死亡は6年前の2012年。

著作権の扱いは不明だけど、英語の文献で珍しくない黙認という

ことか。外国のことでもあるし、ありがたく読ませて頂いた。

 

180307f

 

 

      ☆       ☆       ☆

まず、小説のあらすじをまとめとこう。ネタバレなのでご注意あれ。

 

 主人公ジョニー(Johnny)は、先輩マクダン(McDunn)と

 2人で、へき地の淋しい灯台を守ってる。5年前に建造されて

 以来、霧でライトが見えにくい夜でも、霧笛で船に合図してる。

 

 マクダンがそろそろまた来そうだと話した時、全長30mくらいの

 恐竜が現れる。霧笛の音が自分の叫び声に似てるから、灯台を

 自分の仲間だと誤解したようだ。

 

 その時、マクダンが試しに霧笛のスイッチを切ってしまう。すると、

 恐竜は怒りと苦悩の目で灯台の塔に突進。あわててスイッチを

 入れたけど間に合わず、恐竜は塔を破壊する。2人はギリギリ

 で下に降りて、命拾いした。後には、淋しげで悲しげな泣き声

 が響き渡る。まるで、霧笛のように。

 

 翌日は晴れて、恐竜も朝には消えた。マクダンは救助隊に、

 強烈な波で灯台が壊れたとだけ説明。1年後には新しい灯台

 ができたが、既にジョニーは別の仕事についてた。残った

 マクダンによると、怪物は二度と戻って来なかった。。

 

 

      ☆       ☆       ☆

いかにも文学的な、哀愁ただよう筋書きと終わり方で、映画とは

全く違ってる。ブラッドベリの恐竜好きの影響もあって、小説の恐竜

は愛と畏怖の対象だけど、映画の怪獣は恐怖の対象だ。

 

映画では、核実験で目覚めた怪獣が人間を襲った後、人間の

放射能ライフル弾によって倒されて、火炎に包まれて死ぬのだ。

映像的に見栄えがするし、核開発競争や戦争への皮肉や批判

にもなってる。

 

小説に戻ると、マクダンが霧笛のスイッチを切る直前、どうなるかを

予言するような台詞がある。

 

180307g

 

 “That's life for you,” said McDunn. “Someone

  always waiting for someone who never comes

  home. Always someone loving some thing more

  than that thing loves them. And after a while

  you want to destroy whatever that thing is,

  so it can hurt you no more.”

 

 「俺たちの人生と同じさ」、マクダンは語った。

 「人はいつも、決して戻って来ない人を待ってる。いつも

 人は、自分が愛される以上に、相手を愛してしまう。

 だからやがて、相手が何であっても破壊したくなるんだ。

 これ以上、自分が傷つけられないように」。

 

 

人間に運命づけられてる過剰な愛の反転としての、憎悪と攻撃。

程度や頻度はともかく、誰でも思い当たることだろう。元の愛が

自己愛なら、壊す相手は自分自身になる。

 

ちなみにこれとは別に、もっと原初的な攻撃性というものを仮定

する考えもある。ただ、憎悪や攻撃の主たる要素は、要するに

不満や不快だろう。どうにもならない不快なものを破壊するのは、

不快の減少でもあり、快楽の増加でもあるのだ。。

 

 

      ☆        ☆        ☆

なお、この作品も含む短編集の邦訳が、新潮文庫になってる。

下はamazonの中古本。恐竜愛に満ち溢れてる。だからこそ、

あり得ない存在は恐竜じゃなくて人間の方だという、マクダンの

説明もあった。恐竜の方が先だし、人間の歴史より長く生きてる。

まあ、人間も恐竜だけど♪

 

180307h

 

伊藤典夫の翻訳は、ちょっと古くて硬いのを除くと滑らかだ。でも

やっぱり出来れば英語で味わう方がいい。例えば物語の印象深い

箇所で比較してみよう。

 

 「塔はなくなり、光が消えてしまったのだ。百万年の歳月を

 こえて自分を呼んでいたものが、いなくなってしまったのだ

 

 “The tower was gone. The light was gone.

  The thing that had called it across a million

  years was gone.”

 

180307j

 

 

元の英文では、3重の変化をすべて「gone」という単語で

統一してるのだ。go(行く)の過去分詞。ところが邦訳だと、3つとも

違う日本語に訳し分けられてる。日本語としての自然さを重視。

 

私が訳すなら、むしろ原文のこだわりに即して、

 「塔は消え、光が消え・・・、呼んでいたものが、消えて

とする所だ。これでも、去って行ったというニュアンスは出せてない。

外国文学の翻訳は難しいのだ。AI翻訳もまだ当分は苦戦するはず。

 

残念ながらブログで音は表現できないから、最後は灯台のライトの

写真で終わりとしよう。150年の歴史を誇るカリフォルニアのピジョン

ポイント灯台。ウィキメディアより。映画に似てるからロケ地かも。

 

それでは今日はこの辺で。。☆彡

 

180307i

 

 

P.S. IMDb(インターネット・ムービー・データベース)

  のトリビアに、出典なしで、小説と映画の関係が書かれてる。

  早速、根拠を検索してみると、ブラッドベリ自身の事情説明

  Google ブックスで発見できた

  『Conversation with Ray Bradbury』。

 

  映画スタッフが小説からアイデアを「借用」した後、不思議な

  交流を通じて、映画用に権利を買い取りたいという電報が

  届いたとのこと。ブラッドベリ自身は映画には関わってない

  と主張してる(1972年のインタビュー)。映画スタッフの

  言い分までは調べてない。

 

             (計 3733字)

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