チコちゃん「月に兎がいるのはなぜ?」出典、仏教説話集「ジャータカ」316原文(パーリ語&英訳)

千葉の台風被害をNHKテレビで見てたら、番組が『チコちゃん』に変わって、いきなり難問が登場した。月に兎がいるのはなぜか? そもそも月に兎はいないんだけど・・と突っ込んだ視聴者が多かったはず♪

   

お釈迦様の前世について語る仏教説話集『ジャータカ』(Jataka:本生話、本生経、前生譚)とか言われても、全く聞いたことがなかったけど、話の内容はなぜか聞き覚えがあった。たぶん私は、子どもの頃に『今昔物語集』で読んだんだと思う。

  

ブリタニカ国際大百科事典によると、世界でも『千一夜物語』、『イソップ物語』、『グリム童話』などに影響とのこと。そんなメジャーで身近な仏典があったのか。。

  

   

   

     ☆     ☆     ☆

で、その月に兎という発想の元になった仏教説話。これは全547話の中の316番とされてる。あらすじはこんな感じだ(私の要約)。

    

 兎が、カワウソ、山犬(ジャッカル)、猿に言った。特別な日だから、困ってる人に施しをしよう。僧侶がやって来たから、カワウソは魚を勧めた。犬は肉、猿はマンゴーを御馳走した。ところが、うさぎ自身は草しか手に入れてない。そこで、自分の身体を焼いて食べてくださいと、火に身を投げた。

  

この時、僧侶の姿が変化。実は、帝釈天という天の神で、兎の命は助かる。さらに帝釈天は、ウサギの立派な心掛けに感心して、月にウサギを描いた。このウサギこそ、後のお釈迦様だった。。

   

   

     ☆     ☆     ☆

ジャータカの中でも、この話は世界的に有名みたいで、英語で検索しても色々ヒットする。ただ、『ジャータカ』原文の英訳を発見するまでには5分くらいかかった。

  

ちなみに、昔話の一つだから、いくつかヴァージョンがあるのかも。小林信彦氏の論文「兎が火に飛び込む話の日本版」が使用してる原文(byファウスベル)だと、少し違ってるのかも(比較検証は省略)。ファウスベル版からの英訳に近いのはこれか? 下に引用したのは、フランシス&ネイルの訳。

     

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上が英訳の冒頭部分。著作権は消滅済みか、気にしてないらしい。「SASA-JATAKA」というサブタイトル。いきなり「seven red fish」と書いてるから、別のエピソードかと思ったけど、正しかった。カワウソが手に入れた魚(サケ、レッドフィッシュ)が7匹なのだ。

   

英訳で全文を読むと、翻訳ではないけど日本語のまとめとして上手いのは、『きょうの世界昔話』というサイト。個人サイトのようだけど、しっかりしてるし、有名らしい。他に、英語版ウィキペディアの短いまとめもいい。

    

逆に、日本語のウィキペディアのあらすじは、曖昧で色んな話が混ざってるし、出典もハッキリさせてない。引用は避けた方が無難。

  

ちなみに、英文で全体を読んで初めて分かったのは、物語の外側に、大きな枠組があること。施しに熱心な人と弟子たちの前で、仏陀が昔話をするという形なのだ。最後に、実は自分の修行時代の姿(菩薩)がウサギだと、オチをつけて。

   

あと、ウサギが火に身を投げる前に、自分に付いてる虫たちを逃がすという辺りも芸が細かい。カワウソと犬(食料を盗んだような感じ)、猿より格上だなと思わせる、丁寧な作りになってるのだ。

      

   

     ☆     ☆     ☆

最後に、パーリ語の原文(アルファベットによる表記)。これは15分以上探したかも。有名な原典だから絶対にネットにあるはずだと思って頑張ると、ようやくそれらしきものが出て来た。

   

もちろん、私にはほとんど読めないけど、段落分けも単語も、英文と似た部分があるから比較は一応できる。興味のある方は、リンク先をご覧あれ。一番最後の文だけ、英語とパーリ語で比べると分かりやすい。

  

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なお、仏と神の関係も興味深いけど、もう字数も時間も無くなった。今日はあっさりこの辺で。。☆彡

   

      (計 1545字)

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愛とはメモリーだから・・~ブロガー仲間・キッドさんの小説『おタクの恋』

先日、私の知り合いの若い女性が、真っ黒に日焼けした人を見て、「松崎しげるみたい」とつぶやいた♪ 思わず私が、「古いね」と突っ込むと、彼女は「日焼けっていうと松崎しげるでしょ」と応答。昭和のイメージが強い歌手だけど、実は平成(~令和)でも地道に活躍し続けてるらしい。

   

その松崎しげるの最大のヒット曲と言えば、『愛のメモリー』。1977年(昭和52年)の曲とはいえ、サビの部分は多くの人が聞き覚えあると思う。

  

試しに今、歌詞を検索してみると、一番最後はこう書かれてた(作詞・たかたかし)。

  

 二人に死が訪れて 星になる日が来ても あなたと離れはしない

   

愛と死を幻想的に結びつけるという発想は、日本の時代区分でいうと、主に昭和(以前)のものかも知れない。恋愛マンガの代表作の一つ、『愛と誠』(1973~76:昭和48年~51年)のラストも、まさにその形になってた。ヒロイン・愛と、ヒーロー・誠の死とが、文字通り一体となって、美しくも哀しい物語の結末を迎えたのだ。

  

そう言えば、ユーミン=松任谷由実(当時は荒井由実)の『ひこうき雲』も昭和48年。「あの子の 命は ひこうき雲・・」。『翳りゆく部屋』が昭和51年だ。「わたしが 今 死んでも・・」。

   

   

    ☆     ☆     ☆

前置きが長くなったが、先月(2019年8月6日)、私のココログ仲間のキッドさんが突然、一時復活。昔の長編小説『おタクの恋』のPR記事をアップしてた

   

1993年、スコラ刊、名義は城戸口寛。著作権がどうなってるのか不明だけど、投稿サイト『小説家になろう』の18禁エリアで全文公開。続編となる新作も書き上げたらしい。お元気そうで、何よりです♪ アマゾンより。

  

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商品の説明にはこうある。「ちょっとヘンな高校生・海宮晶はノーマルな恋がしたかった。正真正銘の多重人格小説」。「実在しない(疑似人格)たちと主人公の会話を折り込みつつ綴るデビュー作」。疑似人格たちの言葉は、本物の言葉や内心の思いとはハッキリ区別されてて、すべてが溶け合う難解な文学ではない。直木賞狙いか♪

          

刊行は93年となってて、国立国会図書館のデータベースでも確認した。ただ、実際の執筆は80年代だろうと推測する。小説内の色んな記述を総合すると、物語の舞台は1980年代半ばくらいか。昭和50年代後半~昭和60年。バブル景気の直前くらい。

     

ただ、70年代の香りも漂ってる。喫茶店、ラブレター、メロンソーダ♪ そして、愛と死、そして各種の「暴走」の時期なのだ。暴走族、校内暴力、テロ・過激派。若者・ティーンエージャーの神、尾崎豊が「盗んだバイクで走り出す」と叫んだのは1983年(『15の夜』)。 日本で精神医学的な知識や問題が普及したのも、ほぼこの辺りの時期だったはず。

  

そうした意味で、『おタクの恋』は、同時代の空気を全面的に反映してるのだ。おそらく、ご本人自身のメモリー=記憶と共に。。

   

    

    ☆    ☆     ☆

何度か書いてるように、キッドさんとの出会いは、私の側から見ると強烈だった♪

   

「自閉症の自転車好き~『僕の歩く道』第1話」というウチの初期のドラマレビュー(2006年10月)に対して、トラックバック(キッドさん側の記事の短いPR情報)を頂いたので、あちらに御礼のコメントを書いたら、凄いコメント返しを頂いたのだ。下が、初対面のご挨拶(笑)

     

「テンメイ様、コメントありがとうございました。

 うっかりして、テンメイ様が

 自閉症なのかと思ってました。

 ・・・(略)自閉症でこんなブログが

 書けるなんて・・・(略)。

 分裂しがちな者ですが、どうぞヨロシク。」

   

もちろん、これを読んだ私がもし「失礼だと思います」とかクレームを付けたら、「失礼と感じる方がむしろ、自閉症の人達に対して失礼だと思います」といった反論が直ちに返って来る可能性がある。珍しい方だが、知的に理論武装されてて言語能力も高いのはすぐに分かった。

   

とはいえ、精神系(サイコ)の世界への造詣が深くて、最初から「分裂しがち」と自称してるほどだし、ちょっと緊張する。その後、女性に対して非常に優しく紳士的に接することはすぐ分かったが(笑)、男性ブロガーとしては当初、とまどいや躊躇(ちゅうちょ)があった。まさか10年以上にわたって数百ものコメント&レスをやり取りすることになるとは夢にも思わず。

     

   

    ☆     ☆     ☆

キッドさんのブログには、いつもかどうかは知らないけど、一番上に

愛とはメモリーだから・・・。

と書かれてるのが標準。現在もそうなってる。

  

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私の慎重な書き方なら、「愛の本質の一つは記憶」とかだろう。ただ、愛とメモリー(記憶)の間に密接な関係があるのは間違いないし、各種の理論でもそうなってる。

  

古代ギリシャのプラトンの恋愛論&想起説も、そうした理論の代表。ここ100年くらいなら、精神分析理論が有名だ。『おタクの恋』のあちこちにも、フロイト(およびユング)の精神分析の香りが漂ってる。

   

例えば「上位自我」とは、フロイト派の英語「super-ego」のキッドさん的な訳語(ドイツ語はUber-Ich)。普通は、超自我と訳す概念で、心の中で命令や禁止をもたらそうとする領域のことだ。この部分が強固な人は、勤勉で優秀。ただし、強すぎると、フツーの自我(わたし)や無意識的な衝動などとの折り合いがつかなくなってしまう。

  

他に、「コンプレックス」という言葉を、劣等感という狭い心理的意味ではなく、「複合」という広い意味で使ってるのも、フロイト、ユング的な発想。要するに、人間とは様々な層や部分が重なり合い、組み合わさってる複合体であって、その意味ではみんな、大なり小なり、分裂的で多重人格的なのだ。

  

   

    ☆     ☆     ☆

とはいえ、物事には程度の差や、限度というものもある。小説の主人公、高校3年生の海宮(ウミミヤ)晶は、完全にヤバイ少年だ。

   

普段は現実に適応できてるし、それほど困ってるようにも見えないから、精神医学的には精神病と診断されない可能性も高い。ただ、日常的に違法行為を反復してるし、愛のメモリーが絡むと、超過激な罪も犯してしまう。無意識に突き動かされて、意識的コントロールが出来なくなるのだ。現実の重要な記憶=メモリーも、心の奥に封じ込められてしまう。

        

彼は身近な人間の家庭(お宅)を調べ上げ、パソコンのフロッピーディスクに保存するだけでなく、自分の頭で記憶してる。お宅のオタク。略して、「おタク」ということか♪ 盗聴器、盗撮、不法侵入、無断尾行。ちなみに、「ストーカー」という言葉が日本で広まったのはわりと最近で、21世紀のこと。一方、「おたく」「オタク」は、80年代前半に普及した言葉だ。

   

恋の成就のためにあらゆる手段をつくす」(冒頭の説明より引用)。普通この表現は、一生懸命に頑張るとかいった努力を指すもの。ところが海宮は、完全に一線を超えてしまうのだ。彼の敵たちもまた完全に常軌を逸した計画を実行する。ネタバレはなるべく避けたいので、ご自身でご確認あれ。小説とはいえ、オイオイっ!と突っ込みたくなるエピソードが満載♪

    

敵の事情はさておき、海宮にとっては結局、愛のメモリーのなせる技=業(わざ)なのだ。昔のある女性へのメモリー。昔のある男性へのメモリー。さらに、小説では明示されてないけど、それらを遡れば結局、彼の幼児期における両親へのメモリーが浮上するだろう。

  

   

    ☆     ☆     ☆

最後に、時代的にも内容的にも、この小説と重なる洋楽を紹介しとこう。かつてカリスマ的存在感を誇った英国のロック・ミュージシャン、ピーター・ガブリエル(Peter Gabriel)。芸術的な音楽ビデオ制作の先駆者としても有名(MTV大賞)。

   

特に名作と評価される3枚目のアルバム(1980年)には、『Family Snapshot』という曲がある。ジャケット画像は英語版ウィキペディアより。ホラーではないのでご安心♪

  

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この曲の歌詞は、テロや殺人の狙撃をイメージしたもの。終盤までは、銃弾の発射へのプロセスを描いた歌詞のように見える。

  

ところが、タイトルの『ファミリー・スナップショット』を普通に英文和訳すると、「家族の写真」。少し特殊な翻訳なら、「家庭の速射」。

   

つまり、歌詞の一番最後で、意外な展開が待ってるのだ。本物の銃撃かと思ったら、家庭で子どもがおもちゃのピストルをもて遊びながら、「お母さん、お父さん、帰って来て」と叫んでたのだ。

   

「2人とも、どんどん遠くなって行く。僕はどんどん淋しくなってるんだよ。ちょっとは僕のこと、相手にして」。だから、「僕は光の中に撃ち込む、光の中に飛び込むんだ」(I shoot into the light)。

    

  

    ☆     ☆     ☆

結局、その歌詞は、本物の犯罪者の様子と子供時代を重ね合わせてるのか、あるいは単なる子どもの叫びと空想か、意図的に曖昧にしてることになる。もちろん、そのどちらでもあるというのが真実に近いかも知れない。

  

いずれにせよ、曲の内容もタイトルもまさに、「おタクの恋」なのだ。「家庭の愛」、「家庭のテロ」。家庭の愛と結びついた暴力、攻撃。

   

そう考えると、『おタクの恋』の凄まじい展開も、一人の男子高校生の「家庭の愛」、「ファミリー・スナップショット」だろう。行動も幻覚・妄想も、その源泉は、幼児期の家庭の記憶にある。

  

「愛とはメモリーだから・・・」。それでは、今日はこの辺で。。☆彡

  

     (計 3796字)

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LINEメッセージのやり取りみたいな「チャット小説」、アプリ2つで読んでみた

レース直前の準備に追われる中、朝日新聞・夕刊(19年8月23日)の記事に釣られて、アプリを2つ試してしまった (^^ゞ そんな事やってるヒマないんだけど、折角だから超速で感想記事にまとめとこう。

   

LINEでメッセージをやり取りするような形で読む「チャット小説」。流行のきっかけは2015年開始の米国の小説アプリ「HOKED」とのこと。総ダウンロード数2400万だから、かなりの人気らしい。

  

日本だとちょっと前、ガラケー中心でケータイ小説というものが流行った後、2017年にネット関連会社DMMの系列で「TELLER」(テラー:話し手)の提供を開始。今年6月の時点で累計365万ダウンロード。

     

    

     ☆     ☆     ☆

で、私は直ちにiPadでダウンロードしてみた。

  

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ホラーは趣味じゃないから、恋愛を選択。すると、自然な流れで『純愛中毒 前編』が開始。冒頭からいきなり、自己紹介に続いて告白! 読んでるこっちが「え?」♪ 昔のケータイ小説より速い展開かも。

   

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タップして、台詞一つずつ読むのは面倒だから、自動再生にしたけど、ちょっと速い。前の方を読み返したり画像保存したりしてたら、すぐ置いてけぼりになる (^^ゞ

    

この後、まもなく課金のメッセージが出て来たからあっさり終了♪ それはいくら何でも早すぎると思うな。DMMだから、あの種の動画を販売するノリってことか。何?(笑)

   

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モタモタしてると、いつの間にか課金されそうだから、直ちに削除。これだったら、旧DMM(現在はFANZA)の無料サンプル動画や無料画像の方が好きな人もいるはず(笑)。他人事か!

   

   

     ☆     ☆     ☆

一方、大手出版社の集英社が今年6月に開始したアプリが、ティックトック・・じゃなくて、「TanZak」(タンザク:短冊)。同社の人気作品をチャット小説にして、1500話以上を揃えてるとの事。ノリがわりと普通で落ち着くけど、やっぱりいきなりホラーとかゾンビが登場♪ そんなに人気あるの?

   

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私が選んだのは、ドラマ化されたばかりの作品かな。『これは経費で落ちません! ~経理部の森若さん~』(青木祐子作)。

    

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ラインみたいな左右のメッセージとか、短冊みたいな下の説明よりも、再生方式がやっぱり気になってしまう。1つずつタップするのは遅くて面倒だし、自動再生はちょっと速くて、変速の設定も見当たらなかった。

  

というわけで、こちらはもうしばらく無料で読めるらしいけど、時間切れで終了。課金と個人情報漏洩が怖いから、小市民は直ちに削除♪ ただ、こっちはまた入れて、しばらく使ってみるかも。案外、今後の小説はこっちが主流になるかも知れないし。

   

   

     ☆     ☆     ☆

ここ10年で、SNSに完全に地位を奪われてしまったブロガーとしては、苦い教訓として、時代をチェックし続けるのであった。かなり後ろの方から、トロトロ、ビクビクと♪

    

あぁ、もうブログなんて書いてる場合じゃない! それでは早くも今日はこの辺で。。☆彡

   

       (計 1220字)

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新元号「令和」~平和の命令ではなく、令嬢・令月の和らぎ(万葉集第5巻・原書画像付き)

典拠の原文を探すのに40分もかかってしまった。もう時間が無いから、ブログ記事自体は省略するしかない。

      

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毎度おなじみ国立国会図書館デジタルコレクションで原典らしきものを探すと、万葉集第5巻は1冊しか一般公開されてない。ところが私が焦ってるからか、くずし文字がほとんど読めないからか、通しで2回探しても発見できなかった。

  

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そこで普通にネット検索すると出て来たのが京都大学貴重資料デジタルアーカイブ。今回の新元号発表を受けて、直接そのページに飛べるようにリンクが貼られてた(25ページ目)。素晴らしいけど、他の画像も全て同時にダウンロードさせるシステムは改良した方がいい。他の関連ページを見るのに時間がかかり過ぎてフリーズしそうだったから。

   

とにかく、既に至る所に書かれてるように、『万葉集』巻五、梅花の歌三十二首并(あわ)せて序、が出典。引用文は、

初春令月、気淑風和・・」

しょしゅんのれいげつにして、きよくかぜやわらぎ・・)

  

NHKのゲストに来てた専門家の一人は、「にして」は要らないと言ってた。確かに、無くても意味は通じる。

時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに・・」

という意味。朝日新聞2019年(平成31年)4月1日・夕刊より。

   

   

      ☆       ☆       ☆

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発表は11時半の予定から少し遅れて、11時40分過ぎ。菅官房長官が「れいわ」と発表。小渕「平成」の真似をするように、右側に「令和」の文字を掲げた。NHKだとその肝心の画像が、手話の組み込み映像と重なったから、数秒後に一旦手話を消してた。文字は書家・茂住修身が書いたらしい(FNN報道)。上図は表紙。

    

私の最初の感想は2つ。全くプライベートな事情が絡んで、ちょっと嬉しかったのが1つ。一方、「令」という漢字は強すぎてきついかなという思いもあった。直ちにツイッター検索やリアルタイム検索をかけると、「命令」を思わせるというような指摘はかなり数多くあったけど、ツイート自体が非常に多いので、割合としては大したことない。

   

流石にNHKのゲストや解説者、アナウンサーらは、「命令」「政令」なんてお堅い言葉は出さずに、目新しさを称賛するようなコメントを続けてた(中川翔子も含む)。ただ、複数のツイッター情報によると、NHKラジオでは最初、「命令の令」と説明してしまったというお話だ。まあ別に、間違ってるわけではない。下図は1ページ目。

  

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      ☆       ☆       ☆

私は書店の辞書コーナーで、めぼしい国語辞典、漢字辞典を6冊チェックしてみた。その全てで、「令」の意味の最初や2つ目は、「いいつける」、「決まり」といった意味。3番目か4番目の意味で、「よい」、敬称、などと書かれてた。『大辞林』、『大辞泉』、『日本国語大辞典』も同様の説明

  

朝日の夕刊1面記事のリード(最初の短文)を見ても、いきなり「元号を定める政『令』」と書かれてるくらいで、辞書の用例も「命令」「司令」といったものが最初に並んでた。

    

ただ、「令和」を「平和の命令」と解釈すると、政治的な左派・リベラルのポジションから安倍政治を批判するようなイメージが漂って来る。それはそれで一つの立場だけど、元の万葉集を考えても、とりあえずは「よい、やわらぎ」、「良い和」と考えた方がいいだろう。

   

   

     ☆       ☆       ☆

ちなみに、「令」の字を良い意味で使う用法は現在、日常的にはほとんど無い。だから私としては、「ご令嬢のような和らぎ、和やかさ」と受け取っておく。まあ、令嬢という言葉も昭和までかも知れないけど。佳子さまでも、令嬢という言い方はほとんどされてないようだ。

  

とにかく、私はここに書いてない個人的事情で満足だし、「レイワ」という音の響きはキレイだと思う。「令」が小学4年生、「和」が小学3年生の漢字で、読みやすくて書きやすいのもいい。高齢者の視力でも、2文字とも見分けやすい点も実用的。

  

なお、テレビニュースだと、日テレ『ZERO』で有働由美子が安倍首相にイジリ質問したのが一番面白かった。実はあの文字を自分で持ちたかったか?(笑)とか、令和で何年くらい首相をやりたいか?とか♪ 時間切れなので、今日はこの辺で。。☆彡

   

      (計 1721字)

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新美南吉の童話「でんでんむしのかなしみ」、平成皇后・美智子さまの心に・・

相変わらず寝不足のまま、外出その他で疲れ切った昨夜(19年3月30日)。久々にNHK『ブラタモリ』でも見ようかと思ってテレビをつけたら、『皇后美智子さま』という番組が流れてた。「天皇 運命の物語④」ということで、このシリーズの過去3本は見てないし、そもそも知らなかった。

   

パソコンをいじりながら流し見してた私の目が留まったのは、平成になってマスコミ(週刊誌)などによるバッシングで言葉が出なくなったエピソードの時。「失語症」と言いたくなるが、それは脳が原因の言語障害とされてるから、失声症と言うべきか。より正確には、心因性発声障害。録画してないし、番組の言い回しは覚えてない。

   

今、NEWSポストセブンその他の情報を見ると、美智子さまが突然倒れて声を失ったのは1993年10月。声を取り戻したのは翌年(94年)で、7ヶ月後のようだ。その4年後、国際児童図書評議会(IBBY)創立50周年記念大会のおことばの中で触れたのが、ご自身が幼少期に聞いた童話だった。

   

   

     ☆       ☆       ☆

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上は宮内庁HPより、該当箇所のみ引用。「思い出すままに」とした後、“新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」にそってお話いたします”と続けてるので、単なる記憶ではなく原文を確認されてるようだ。下の画像はPictioの絵本紹介ページより縮小して引用

  

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この短い童話は、新美南吉(にいみなんきち)記念館HPによると、昭和10年(1935年)の発表。著者22歳の頃の作品。百科事典マイペディアによると、当時は戦前だから、まだ小学校では片仮名(カタカナ)を先に学習させてたらしい。

   

原文は全てカタカナ表記で仮名遣いも古いので(旧字・旧仮名)、ここでは漢字交じりで改行・一行空けも入れて書き直してみる。電子図書館・青空文庫を参照。句読点は元のままで、原文自体がやや不規則な書き方になってる。

   

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      ☆       ☆       ☆

一ぴきのでんでん虫がありました。

  

ある日 そのでんでん虫は大変

(たいへん)なことに気がつきました。

「わたしは今までうっかりしていたけれど、

わたしの背中(せなか)のからの中には

悲(かな)しみが一杯(いっぱい)

つまっているではないか」

この悲しみはどうしたらよいでしょう。

   

でんでん虫はお友だちのでんでん虫の

所にやっていきました。

「わたしはもう生きていられません」

とそのでんでん虫はお友だちに言いました。   

「何ですか」

とお友だちのでんでん虫は聞きました。

   

「わたしは何という不幸(ふしあわ)せな

ものでしょう。わたしの背中のからの

中には悲しみが一杯つまっているのです」

とはじめのでんでん虫が話しました。

するとお友だちのでんでん虫は言いました。

「あなたばかりではありません。

わたしの背中にも悲しみは一杯です。」

  

それじゃ仕方ないと思って、はじめの

でんでん虫は、別(べつ)のお友だちの

所へ行きました。

するとそのお友だちも言いました。

「あなたばかりじゃありません。

わたしの背中にも悲しみは一杯です」

  

そこで、はじめのでんでん虫は

また別のお友だちの所へ行きました。

こうして、お友だちを順々(じゅんじゅん)

にたずねて行きましたが、どの友だちも

同じことを言うのでありました。

  

とうとうはじめのでんでん虫は

気がつきました。

「悲しみは誰(だれ)でも

持っているのだ。

わたしばかりではないのだ。

わたしはわたしの悲しみを

こらえて行かなきゃならない」

  

そして、このでんでん虫はもう、

なげくのを止(や)めたのであります。

   

 初出『ろばの びっこ』羽田書店、1950(昭和25)年

  

   

     ☆       ☆       ☆

でんでんむし(カタツムリ)とは、どこにでもいる小さな生き物で、雨の中で孤独にたたずんでいるようなイメージがある。でも、他にも一杯、心の中で雨のような涙を流し続けるでんでん虫たちがいる。

  

自分の悲しみの全体も、他人の悲しみも、まるで背中の殻(カラ)の中にあるように見えにくい。無意識に、心の奥、記憶の底に閉じ込められがちだから。

   

でも、みんな悲しみを持ってることが分かれば、自分だけ不幸なのかと思う必要もないし、周りのみんなになげくことも減るはず。それぞれが自分の悲しみを背中に一杯持ってるのだと知ったから。

   

   

     ☆       ☆       ☆

ただ、だからと言って、自分の悲しみを表現してはいけないということではない。美智子さまのお話は悲しみの表現だし、失声症というのも悲しみの身体的表現。新美南吉なら、童話という形で悲しみを子供たちと共有しようとしてるわけだ。

  

今なら、SNSやメールでつぶやいてシェアする方法もあるし、考えてみれば、葬儀・法事というものも悲しみを分け持つための制度、システムだろう。ある程度、限られた場において、自分の悲しみを表し、他人の悲しみを受け止める。他にも、カウンセラー、精神科医などの職業的な聞き役が親身になって傾聴してくれる。

  

だから、でんでん虫が「なげくのを止めた」とは、口にしてはいけない、身体で表してもいけないということではない。周りの仲間たちの悲しみも理解した上で、少し「こらえて」、場をわきまえつつ悲しみを表に出すということだ。

   

新美南吉の童話の素晴らしさに感心しつつ、今週は計14981字で終了としよう。

ではまた来週。。☆彡

   

       (計 2216字)

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上林暁『花の精』全文と、ノヴァーリスのメルヘン「ヒヤシンスと花薔薇」(in『ザイスの学徒たち』)

小説、映画その他、物語的な作品には、「劇中劇」という構成が

ある。その劇全体の中に、別の劇が入れ子状に組み込まれた形

のことで、去年大ヒットした映画『カメラを止めるな!』もそのタイプ

らしい。私はまだ見てないが、様々なレビューや感想から明らかだ。

 

劇中劇というより、「作品の中に作品がある」という方が一般的な

説明だから、「作中作」という言葉も一応あるけど、ほとんど見聞き

することはない。英語だと、「劇中劇」が「play within a play」、

「作中作」が「story within a story」となる。

 

今回、あらためてレビューする上林暁(かんばやし・あかつき)の

短編私小説『花の精』も、文学性の高い劇中劇、作中作の形に

なってる。

 

ただ、その複雑な構成は、今年のセンター試験の問題文だけだと

全く分からない。本文全体と、別の200年前の古典を読むことで、

初めて小説の文学性が十分に理解できたのだ。

 

ちなみに1ヶ月前にアップしたセンター記事は、既にかなりアクセス

を頂いてる。原文を手に入れにくいことに加えて、一見地味な日記風

の断片に、深い味わいと奥行き、拡がりを感じた人が多いのだろう。

 

 妻と再会できた夜、月見草の花畑

  ~上林暁『花の精』(2019センター試験・国語)

 

 

      ☆       ☆       ☆

まず、前の記事の主張を短くまとめとこう。

 

 小説内で作者が探しに行く月見草とは、単なる草花ではなく、

 最愛の妻のこと。庭師に引き抜かれて激怒したのは、月見草

 が妻の代わり、象徴だから。

 

 多摩川辺りの美しい花畑に出かけて月見草 を手に入れた

 作者は、妻と再会できたのだ。その点は問題文だけでも解釈

 できるから、問5の正解は①ではなく、むしろ③がベター。

 

 さらに、問題と別に上林暁について調べると、妻は精神病院に

 入院していた。よって「花の精」というタイトルは、「妻の精神」

 をも暗示している。

 

 

     ☆       ☆       ☆

上の私の主張は、本文全体を読んで確認したいと書き添えて

おいた。実はセンター後すぐ全文を読んで、読解の正しさを確認

していたが、今日まで新たな記事の追加が遅れてしまった。

 

理由の一つは、作品が予想以上の奥行きを持っていたから。

まさか200年前のドイツ幻想文学と深く明確に関係しているとは

思わなかった。そこに自然哲学・詩的思想も含まれていたのだ。

 

上林暁の『花の精』の中で、センター試験や妻との関係を考える

上で重要な箇所を引用してみる。出典は『上林暁全集三』(筑摩

書房)。初出は前の記事の推測通り、『知性』昭和15年9月号。

その後すぐ、第四創作集『野』に再録(昭和15年10月刊)。

画像は筑摩HPより

 

 「私は今、妹に三人の子供の世話をさせながら、淋しい 

 生活を送っている。妻はいないのである。・・・「錠と鉄格子 

 のある病院」・・・に、私の妻はもう半年近くも寝起きして 

 いるのである。

 

 ・・・こう書いて来れば、なぜ私が庭の月見草に心を託して 

 いたのかが判るであろう。私は自分の悲しい心を紛らそう 

 と思って、月見草に心を託していたのである。」

   (『全集3』p.107-108。字体は現代風に変更。)

 

190226d

 

 

なぜ、引き抜かれてしまった月見草にこだわるのか。その理由が

はっきりと序盤で明示されているのだ。全23ページ中の8ページ

目から9ページ目。

 

 

      ☆       ☆       ☆

一方、センター試験の問題文は、15ページ目から22ページ目

だから、小説の後半部分。しかも、最後を省略してある。実はその

最後に、劇中劇、作中作の形が締めくくられているのだ。末尾の

段落を引用しておこう。

 

 「それにしても、私が月見草の精を求めて、多摩川べりの

 鄙(ひな)びた是政まで出かけたのは、もとの月見草が

 失われた日読んだ、ノヴァリスの「ヒヤシンスと花薔薇」

 の影響ではないかと、ふと疑ってみるけれど、それが

 真実であるかどうか、自分にもよく判らない。」

 

 

ノヴァリス(Novalis、ノヴァーリス、ノバーリス)は、

ドイツの詩人、小説家(1772-1801)。自然や宇宙全体を統一的

にとらえて、自分・自我との一致を主張する世界観の持ち主。

下の画像は英語版ウィキペディアより

 

190226c

 

その彼の代表作の影響は、上林のリアルな生活内での「真実」か

どうかはさておき、作品的にはほぼ真実として扱われている。作品

の最後を締めくくっているし、作品の最初(3ページ目)でも触れて

いたからだ。

 

ということは、小説全体の中に含まれつつ、小説全体と並行

(パラレル)な位置づけにもなっている。最初の部分を引用して

みよう。庭師に月見草を引き抜かれて、内心では激怒しながら、

口にはできない状況。

 

 「私は縁側の硝子戸を手荒く閉め、また寝ころがって、

 さきから読みかけの、ノヴァリスの「ヒヤシンスと花薔薇」

 (原名「ザイスの学徒」)という小さな読本を取り上げた。」

 

 

      ☆       ☆       ☆

この小さな読本というものは、ネットで検索しても出て来ない。

ただ、「ヒヤシンスと花薔薇」などと訳される短い挿話を含んだ

小説『ザイスの学徒たち』なら、日本語訳もドイツ語原文

英訳も公開されている。もちろん、著作権は消滅済みだ。

 

画像はアマゾンより、現行のドイツ語本『Die Lehrlinge

zu Sais』の1つ。ザイスとは、女神と関連する地名。

 

190226b

 

自然と人間の関係について色々と思い悩む学徒(ノヴァリス

自身か分身とも言える)に対して、仲間が元気づけようと話し

かけるシーン。幻想的童話、メルヘンが7ページほど語られる。

小説『ザイスの学徒たち』は未完だが、メルヘン部分は完結

しており、評価されているようだ。

 

国立国会図書館デジタルコレクションから冒頭あたりを引用

する。作者の表記はノヴーリスで、『青い花 ザイスの学徒』。

小牧健夫訳、青木書店。

 

190226a

 

 「・・・僕は君に童話を一つ話そう。聞きたまえ。 

 ずっと昔の事だが、はるか西の国に一人の血気盛りの 

 青年がいた。大そう気立のいい男だったが、またよほど 

 変り者だった。・・・洞窟や森林が一番好きな居場所で、

 そこにいるときはひっきりなしに鳥や獣や、樹や岩と話 

 をした・・・。」

 

 

ヒヤシンスという青年が、ある男に誘われるようにして、花薔薇

という少女と別れ、一人で天の女神などを探しに旅立つ。途中で

様々な自然と触れ合った後、遂に目的地にたどり着くと、意外で

神秘的な結末が待っていたのだ。

 

以下は上林暁『花の精』で引用された部分(全集3、p.104)。

月見草を引き抜かれている間、そうとは知らずに座敷でノヴァリス

を読んでいるシーンだ。

 

 「 「・・・彼は天つ少女の前に立ち、軽やかな面紗を 

 とると、花薔薇がその腕に倒れかかってきた。愛する 

 ものの再会の神秘と、あこがれの発現とを、はるかな 

 楽の音がとりまき、すべての無関係なものをこの 

 霊しい地から追い出した。云々。」

 

 そこまで読むと、僅か四頁ばかりだったのでもう一度 

 読み返し、若々しい亢奮で頬がほてるように感じながら 

 本を伏せ、どれ、どんな具合になったのかと思いながら、 

 庭を見に起き出したのであった。」

 

 

     ☆       ☆       ☆

突然、愛する女性=花と別れて、自然の中に旅立った男が手に

入れた女神は、実はというより結果的に、元の愛する女性=花

であった。

 

このメルヘン、劇中劇が『花の精』全体を表しているのは明らかだ。

上のメルヘンのまとめと、下の『花の精』のまとめを比較してみよう。

 

突然、妻と別れ、代わりとなる花も引き抜かれた男が、自然の中

に旅立った男が手に入れた花は、結果的に、妻との再会の感情

をもたらすものであった。。

 

上林は、帰りの駅の待合室でサナトリウムの建物を見かけ、

近づいてじっくり見ながら病院の妻を思い出し、涙があふれそう

になっていた。

 

誘った男は、『ヒヤシンスと花薔薇』だと「年寄りの魔術師」の男。

『花の精』だと、「友人のO君」。執筆当時38歳くらいの上林が、

美しい青年と自分を重ね合わせているのは、ナルシシズム=

自己愛と共に、軽いユーモアによるものだと想像する。実際の

自分を知る読者たちからのツッコミを誘う、ボケなのだ。

 

 

     ☆       ☆       ☆

なお、2つの作品は、男女の恋愛のみを賛美しているのではない。

どちらも、自分と自然の関わりや自分探しの側面も描いているし、

男同士の友情も感じ取れる。

 

実際、『ヒヤシンス』の話を語り終えた直後、「学生たちは互に

相擁」している。『花の精』では、センター試験の問題文の後、

彼とO君はおでん屋で一杯酒を飲んで、「月見草をO君と頒け、

手を挙げあって別れた」。

 

小説だけ読むと、ノヴァーリスよりも上林の方が、愛する女性

=妻への思いが強いようにも思える。ただ、実はノヴァーリス

は若い頃、10歳ほど年下の少女と婚約した後に死別している

らしい(コトバンクの解説より)。

 

やはり人間の心が本質的に向かうのは、動物、植物、自然、宇宙

とかより、人間ということか。異性愛とまでは限定しないにせよ。

あるいは、ある存在が魅かれるのは、同種で少し差異がある存在

ということか。

 

そう抽象化すれば、磁石のN極とS極が引きつけ合うのと統一的

にとらえることもできるだろう。話が大き過ぎて飛躍していると

思うのが普通の感覚かも知れないが、ノヴァーリスの思想は遥か

に大掛かりで抽象的、神秘的な統一的世界観のようだ。

 

フィヒテ他、ドイツ観念論やロマン主義との関係も気になりつつ、

それでは、今日はこの辺で。。☆彡

 

          (計 3770字)

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妻と再会できた夜、月見草の花畑~上林暁『花の精』(2019センター試験・国語)

(☆19年2月26日の追記: 続編記事新たにアップ

 上林暁『花の精』全文と、ノヴァーリスのメルヘン

 「ヒヤシンスと花薔薇」(in『ザイスの学徒たち』))

 

 

    ☆       ☆       ☆

ここ十年ほどツイッターその他で話題になって来たセンター試験

の国語(現代文)だが、今年はあまり話題になってない気がする。

 

上林暁(かんばやし・あかつき)の私小説『花の精』。初出は各種

ネット情報を総合すると昭和15年(1940年)、河出書房の雑誌

(?)『知性』だろう。普通に読むだけだと、一般人の日記かブログ

のような感じさえある、日常的な話だ。

 

もちろん、よく読むとやはり文学であって、メモみたいに行動を単純

に記録しただけの文章ではない。『花の精』というタイトル自体も、

メルヘン的言葉に見えて、心をえぐるような鋭さを秘めてる。という

のも、妻の入院先は「精神病院」とされてるから(ブリタニカ国際

大百科事典)。

 

つまり、「花の精」とは、「妻の精神」と綺麗に重なる言葉を選んだ

題名なのだ。私は問題文を一度読んだ後にその事実を知ったが、

その上で読み返すと妖しく危険な香りを感じた。

 

それこそ、主人公=彼が最後にかいだ月見草の「かぐわしい香り」

なのだ。「天国」とか「脱線」という言葉の解釈も微妙に変化せざる

を得ない。2013年に出題された「スピンスピン」(『地球儀』)など

を思い出す所だろうか。下はウィキメディア、Michael Wolf

氏の作品より。

 

190120c

 

 

     ☆       ☆       ☆

問題は、私自身は河合塾HPで21時過ぎに読んだが、既に

あちこちで公開されてる。

 

解釈込みのあらすじをごく簡単にまとめると、妻の入院中、心を

慰めてくれる存在だった月見草が、庭師によって引き抜かれて

しまう。そこで、釣りをする友人と一緒に多摩川へ行き、月見草を

手に入れる。

 

夜の建物の明かりで妻を思い出すが、圧倒的な月見草の花畑が

感傷を吹き飛ばす。手に抱えるのは、かぐわしい花。やっと「妻」

と再会、抱擁できたのであった。。

 

 

     ☆       ☆       ☆

190120a

 

まず、Googleマップをお借りして、場所と位置関係を確認

しとこう。右上(JR荻窪駅の北側)辺りが天沼で、作者の自宅。

流石は昭和初期の私小説、個人情報を思いきりさらしてるのだ。

 

JRは当時「省線」などと呼ばれ、荻窪駅の西側に武蔵境駅が

ある。そこまから地図の左下の「是政」(これまさ)までは、西武

鉄道のガソリン・カーが走ってたらしい。その南西側はちょっとした

山(丘陵)になってるが、田舎の「山」ほどの大きさや雰囲気はない。

 

ちなみに是政というのは多摩川サイクリングロードの「是政橋」と

しても有名な地名。私も自転車で度々通過してるが、止まったこと

は1、2回しかない。ただ、サイクリストに限らず、スポーツ愛好家

がよく休憩してるポイントなのだ。東京・横浜エリアで大きく見ると、

下の図のようになる。南東の羽田から北西に伸びるのが多摩川。

 

190120b

 

 

     ☆       ☆       ☆

さて、多くの人と同様、私も全く知らなかった小説だが、ネット

上に問題文とは違う箇所が紹介されてる。「花の精」を含む選集

『星を撒いた街』に対する、阿部公彦の書評(東京大学)。その

引用を読むと、またしてもイメージが大きく揺さぶられるのだ。

 

 「その月見草の太い株が、植木屋の若い職人が腰に挟んでいた

 剪定挟で扭(ね)じ切られているのを見たとき、私は胸がドキドキ

 して、口が利けなかった」

 

 「職人は、根株を徹底的に片づけて、もう二度と芽など出させ

  ないようにするつもりらしく、何度も何度もナイフを当てがって

  切りさいなむのであった。彼は、私が大事に大事にしていた

  月見草だとは知らず、只の雑草だと思い込んで・・・」

 

実も蓋も無い強烈で生々しい感情、情動の発露と描写。この言葉

そのものが、「何度も何度もナイフを当てが」うような鋭さを持つ。

 

では、どうして雑草にも見える月見草にそれほどの感情を注ぎ

込むのか。それは、入院した妻への思いが込められてるから

だろう。暗い場所で、僅かにひっそりと咲く花。

 

月見草を通した妻への強烈な愛を踏まえると、問5の答は「正解」

とは別の選択肢になる、と私は考える。「正解」は、表面的な文章

しか見てないように感じるのだ。

 

 

     ☆       ☆       ☆

第2問の問5は、次のように書いてる。

 

 傍線部D「それはまるで花の天国のようであった。」とあるが、 

 ここに至るまでの月見草に関わる「私」の心の動きはどの 

 ようなものか。その説明として最も適当なものを、次の

 ①~⑤のうちから一つ選べ。

 

②は前半が少しおかしいし、④は後半の「死後」とか「死」という

表現が強すぎる。⑤は、最後の「自分と妻の将来に明るい幸福

を予感させてくれた」という表現が言い過ぎだろう。結局、センター

では2つの選択肢が残ることが多いのだ。ここでは、①と③。

 

① 是政の駅に戻る途中で目にした、今咲いたばかりの月見草

  の群れは、どこまでも果てしなく広がるようで、自分の感傷

  を吹き飛ばすほどのものだった。さらに武蔵境へ向かう

  車中で見た、三方から光の中に現れては闇に消えていく

  一面の月見草の花によって、憂いや心労に満ちた日常から

  自分が解放されるように感じた。

 

③ サナトリウムを見たときは妻を思って涙ぐんだが、一面に

  広がる月見草の群落が自分を迎えてくれるように感じ

  られ、現実の寂しさを忘れることができた。さらに帰りの

  車中で目にした月見草の原は、この世のものとも思えない

  世界に入り込んだような安らかさを感じさせ、妻の病も回復

  に向かうだろうという希望をもった。

 

 

      ☆       ☆       ☆

①と③は、もし2つ選ぶのなら共に正しいし、逆に選択なしでも

いいのなら、どちらも最適とまでは言えないから不適でもよい。

 

①は、妻という言葉や解釈が入ってないし、「憂いや心労に満ちた

日常から自分が解放されるように感じた」が言い過ぎ。あるいは、

「憂いや心労に満ちた日常」という表現が曖昧で一般的すぎる。

 

③は逆に、妻という言葉や解釈を最初と最後に入れてるが、

「安らかさを感じさせ、妻の病も回復に向かうだろうという希望

をもった」が言い過ぎ。

 

傍線部の辺りは、表面的には「妻」という言葉が使われてないし、

問われてるのは「月見草に関わる『私』の心の動き』だから、

「正解」は①となってるのだと想像する。月見草そのものと私。

そのままの解答だ。

 

ただ、それは単なる表面上の読解であって、月見草どころか、

小説全体が「花の精」=「妻の精神」への思いを語ってるわけだ。 

お花畠を「花の天国」とまで書いてるのだから、ややポジティヴな

妻への想いを入れた③の方がベターな選択肢だと考える。妻と

いう言葉の不在が、逆に圧倒的な存在感を示してるのだ。

 

 

    ☆       ☆       ☆

おそらくその点は、小説全体を読めばさらにハッキリするだろう

から、去年に続いて今年も全文を読もうと思ってる。とりあえず

今日はこの辺で。

 

(☆既に全文をふまえた続編記事をアップ済。)

 

ちなみに他の設問の「正解」は確かに正しい。例えば表現に

関する問6なら、選択肢①は不適となる。「テンポよく描き、妹の

快活な性格を表現」が言い過ぎだ。間違いとは言えなくても。

 

なお、今週は計14923字で終了。ではまた来週。。☆彡

 

 

 

cf. 自転車というキュウリに乗って、馬よりゆったりと♪

  ~井上荒野『キュウリいろいろ』(2018センター国語

 「春」の純粋さと郷愁が誘う涙、野上弥生子『秋の一日』

             ~2017センター試験・国語

 キャラ化されない戦後の人々、佐多稲子『三等車』~16センター

 啓蒙やツイッターと異なる関係性、小池昌代『石を愛でる人』

       ~15センター国語

 昭和初期の女性ランニング小説、岡本かの子『快走』~14センター

 幻想的な私小説、牧野信一『地球儀』~13センター・国語

 鷲田清一の住宅&身体論「身ぶりの消失」~11センター・国語

 

          (計 3043字)

  (追記100字 ; 合計3143字)

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春夜喜雨(杜甫)&「恋愛は幸福を殺す」(哲学者ウナムーノ)~『中学聖日記』第1話

「春夜喜雨」 杜甫

 

 好雨知時節

 当春乃発生

 随風潜入夜

 潤物細無声

    (『杜工部集』所収、761年頃) 

 

 「春夜 雨を喜ぶ」 

 好雨 時節を知り 

 春に当たりて 乃ち発生す 

 風に随いて潜かに夜に入り 

 物を潤し細やかにして声無し

 

 いい雨はちゃんと降る時を選んで降って来る 

 春になると必ず雨が降る 

 風に吹かれながら夜まで降り続けて 

 静かにほとんど音も立てず全ての物を潤す

 

  (上はドラマでの解釈。別の読み方は後述。)

 

 

     ☆       ☆       ☆

自分がお気に入りのものが、他人には気に入らないということは

よくある事。逆もまた珍しくない事で、自分が気に入らないものが、

他人の気に入るものだったりする。

 

まさかの初回視聴率6.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)

に沈んでしまった、『中学性日記』・・じゃなくて『中学聖日記』。

私にとっては、好きな物だらけのドラマで、「秋夜喜劇」とか漢詩

(五言律詩)を書きたくなるほどだった♪

 

181010c

 

素朴で可愛い有村架純。優等生的で親しみやすい美少女、小野

莉奈。妖しい魅力の美熟女、羊田吉・・じゃなくて吉田羊。そのバイ

セクシャルな面でのお相手、中山咲月。そして、昔の後輩によく

似たカワイイ少年(アブナイ・・笑)、岡田健史(けんし)。上の

写真は公式インスタグラムより

 

海と山に囲まれた学校(ロケ地・静岡県立熱海高校)は私の生まれ

故郷と似てるし、子どもの頃から美人教師も大好き。そう言えば漢詩

も好きで、よく国語の授業の後にS先生を質問攻めしてた。聖ちゃん

と全く似てない中高年男性教師だったけど♪

 

今から振り返ると、先生の僅かな休憩時間を奪ってたのかも。

仰げば尊し、わが師の恩。。

 

 

     ☆       ☆       ☆

さて、かわかみじゅんこの原作マンガ『中学聖日記』第1巻を、

ebookで最後まで試し読み(期間限定)してみると、あの杜甫

(とほ)の漢詩は確かに登場してる。ただ、ドラマほどの強調では

なかった。脚本家・金子ありさのこだわりかな。いいね♪

 

というのも、思春期&反抗期の中学3年生・黒岩晶(岡田)が

新任の聖先生(有村)に対して、性愛をハッキリ向けたシーンの

描写になってるからだ。下の写真は公式サイトのあらすじより

 

181010a

 

動植物の目覚めの時期であると同時に、人間の性の目覚めでも

ある「春」。その「時節」に中学生が入った時、雨が降ってくれた

おかげで、先生の車の助手席に乗れた。突然の雨のおかげだった

点は、ドラマより原作漫画の方が明白。そして雨で身体が冷えると、

人は無意識の内に、温もりを求める。

 

その後、ドラマ第1話ラストの告白も、雨に濡れたまま車に置き

忘れてた晶の洋服(パーカー)を、聖が洗濯して翌日返したのが

キッカケ。女性らしい心遣いで、男心がキュンッとするものだ。

まあ、一部の女性は、ジェンダー(性別)による分業の固定化とか

反発しそうだけど♪

 

 

     ☆       ☆       ☆

ちなみに杜甫の唐詩の読み方。ネットでNHKの高校講座(講師・

渡辺恭子)を見ると、第二句の末尾の「発生」の意味が違ってた。

 

ドラマ(エンドロールに国語監修は見当たらず)とか、別の個人

サイトの説明によると、雨が「発生する」(=降る)と解釈されてる。

ところがNHK講座は、雨が(植物を)「発生させる」と読んでた。

 

NHKの方が、第一句の解釈にとっても自然な気はするけど、

ドラマのストーリーの流れにとっては大差ない。要するに、「春」

にふさわしい良い雨だったのだ♪ 特に関東(中学の設定は

神奈川)は、春の雨と風が目立つと思う。

 

なお、あの漢詩の出典が『杜工部集』であって、761年(ごろ)の

作だということは、本場・中国の複数のサイトやNHKの説明から

分かる。といっても1250年も前の話だから、いずれ歴史研究が

進むと訂正されるかも。

 

 

     ☆       ☆       ☆

それにしても、前クールのTBS火曜ドラマ『義母と娘のブルース』

は、最終回で19.2%もの視聴率(同上)を取ってたのに、一気に

3分の1に撃沈してしまったのは気の毒だね。裏番組が強かった

わけでもないのに。例えば、20分かぶった高橋一生主演ドラマ

『僕らは奇跡でできている』初回は、7.6%にすぎない。

 

実は私も、三連休疲れが残ってたから22時15分ごろには寝て

しまって(コラッ!)、残りは起きた後TVerの無料動画で見た。

その意味でも次の第2話の数字が気になるけど、要するにドラマ

の主たる視聴者である(中高年)女性の支持が少なかったと。

 

主役の1人、岡田健史は全くの新人だから数字を持ってないし、

実年齢19歳で15歳を演じるのは、外見的にも演技的にも大変。

有村の顔もキャラも若くて可愛いタイプで、むしろ男性視聴者向け。

 

中学の女教師と男子中学生だと設定が極端すぎて、興味より反感

や無関心の方が強かったか。マンガと比べると、テレビドラマの方

が遥かに不特定多数を相手にするから、難しい。

 

 

    ☆       ☆       ☆

私は人一倍か人二倍、思春期も反抗期も経験してる男子だから、

ドラマを見る前から自分の小・中学生時代を思い出してた。小学

2年生の時の熱心なM先生。近所でお世話になった美人お姉さん、

S先生。教え子との恋におちて行った美人教師たち(マンガの

ヒロイン・・・笑)。

 

教育実習生として中学に来てた、名前も思い出せない女子大生

の先生とは、たまたまバス停から学校まで2人で一緒に歩いた

のがいい思い出だ。何でもない会話や笑顔でも、純な少年の胸は

ドキドキ♪ 

 

マンガみたいな悲しい恋愛の最後まで夢想して、考え込んだり。

結局、お別れするんだよなぁ・・とか(笑)。その内の1つの作品は

珍しく電子書籍で全巻揃えたのに、まだ読めてない。哀し過ぎる

結末だったもんで♪ マンガだろ!

 

いや、子どもの頃は現実と幻想が融合してるのだ。やっぱり今でも

少年のままってことか。。

 

 

     ☆       ☆       ☆

最後に、子星中学校職員専用共通システムでなりすましメール

を送った真犯人はさておき、学校裏サイトで聖を攻撃してたのは

誰か。ネタバレは全く見てないけど、晶の別人格かも。少なくとも

なりすましと同じ人間(職員?)とは限らない。

 

あと、美人教師はもちろん最高だけど、美人上司もいいね♪

グローバルVedコーポレーションの原口律(吉田)は、部下の

川合(町田啓太)の婚約者となった聖と初対面。いきなり古い

名言ウンチクを説いてた。

 

 恋愛は幸福を殺し、幸福は恋愛を殺す

 

「昔の人」としか言ってないし、ネットで出典を検索するといつもの

ように、信頼できそうなサイトはなかなか見当たらない。多分、

これでいいと思うけど、本当にスペインの哲学者ウナムーノ自身

の言葉や著作(の英訳)なのかどうか、まだ確認できてない。

信頼性の低い単なるまとめ本の可能性もあるので念のため。

 

 Love kills happiness,

 happiness kills love.

  『Essays and Soliloquies』(随筆と独白)

 

181010b

 

 

    ☆       ☆       ☆

上の名言をより正確に言い直すと、愛は普通の幸福を殺す、と

なるはず。代わりに、特別の幸福をもたらしてくれる。だからこそ

原口も雄弁に語ってた。

 

 絶対あり得ない

 そう思った相手を好きになったり

 世間の常識から外れたり

 大多数の人に反対されたり

 それでも引っ張られる 堕ちていく

 ・・・ そうゆう経験 最高よ

 

現実の日本社会を見ても、不倫カップルがやがて離婚して正式

に結婚(=再婚)するパターンはそれほど珍しくない気がする。

 

最初から予想以上に厳しい反応となってるこのドラマの場合も、

最後に「普通の」幸福はあり得ない。それでも、別の幸福や最高

の悦びはあるはず。ヒロイン達が悦びの声をあげる姿をじっくり

楽しませて頂こう。想像力=イマジネーションの鍛錬も兼ねて♪

 

春の夜、喜びの雨♪ 別の意味で具体的にイメージしつつ、

それでは今日はこの辺で。。☆彡

 

 

 

cf. 『中学聖日記』、原作1巻とドラマ2話までの比較

 

           (計 3118字)   

     (追記26字 ; 合計3144字)

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生け花・華道の形と様式、天・山・海・心と流れ菱(京都・神宮流)~『高嶺の花』第6話

お盆の帰宅ラッシュと重なったからか、視聴率7.8%(ビデオ

リサーチ調べ、関東地区)まで落ち込んでしまった『高嶺の花』

第6話(8月15日)。

 

野島伸司の脚本が複雑すぎるし、直人(峯田和伸)のルックスで

離れる女性もいるだろうけど(失礼♪)、ドラマの作りとしては別に

メチャクチャになってる訳じゃない。

 

今回、新興流派の龍一(千葉雄大)の原点に、京都・神宮流(?)

の幾何学的な型・構図・様式があることがほのめかされた。今日は

もう放送から5日後の木曜だけど、マニアックな解説記事を書いて

みよう。今現在まだ、ネット上の以下のような説明は見当たらない

し、ツイッター検索でもヒットしない。

 

画像は基本的に、日テレの無料動画からのキャプチャー。非営利

の個人サイトのレビューにおける限定的で好意的な引用なので、

著作権の問題は生じないと考える。肖像権には別に配慮してある。

 

 

     ☆       ☆       ☆

180820a

 

一番わかりやすかったのは、このノートPCの画面。3分割の内、

左半分の大きな図面は、真正面ではなく少し上から見下ろす

角度で、ほんの少し右側から見てる感じもある。

 

真ん中の下に置かれた「心」(シン)という要素(例えば大きな花)

を除くと、「天」(テン)と「海」(カイ)の間に、「山」(サン)2つ

挟まって、斜めの四角形を構成してるのだ。タクシーの後部座席

でもも(石原さとみ)は「流れ菱」(ナガレビシ)と呼んでた。

 

180820c

 

上図は、モニター右下の図面だけカットしたもので、真上

(ABOVE)から見た様子。上から見ても、天・山・海・山の4点

が流れ菱(斜めの四角形)になってるのが分かる。

 

180820b

 

上図は、モニター右上の図面だけカットしたもので、真正面

(FRONT)から見た様子。少し歪んでるけど、やっぱり「心」を

除く4点で斜めの四辺形になってる。

 

私がネットで調べた限りだと、こうした幾何学的な図と説明を提示

してる本物の華道流派は、京都の専慶流(せんけいりゅう)のみ。

数学みたいな理論的説明で、興味深かった。池坊専慶とは無関係

な(?)、冨春軒仙渓が350年前(江戸時代)に創流とのこと。

 

専慶流の場合、天・海・山2つの代わりになる4つのポイントが、

「主・留・副・前副」などとされてた。当然、一つの流派の中でも、

複数の様式が定められてるし、かなり自由な現代的生け方もある。

 

 

      ☆       ☆       ☆

実際のドラマの生け花として、龍一が昔、神宮流(?)の対決で

ライバルに完敗した時の画面で確認してみよう。トラウマ的シーン

として、悪夢に出て来るようだった。

 

180820e

 

0-7の無残な敗北。うなだれる龍一の前を見ると、真横からでも、

上から下まで4つのポイントがあるのが分かる。

 

180820f

それに対して、圧勝したライバルの側は、上中下の3つのポイント

から構成されてるように見える。専慶流にたとえるなら、生花

(セイカ)の形の「天・人・地」みたいなものか。

 

ちなみに、なな(芳根京子)が龍一のマンションからこっそり持ち

出してた(?)図面だと、「天」が円グラフというかパックマン型、

「海」が十字キー型、「山」が半円、「心」が赤丸のアイコンで

描かれてた。高度に抽象化されてるのが分かる。

 

180820d

 

 

     ☆       ☆       ☆

なお、ももの月島流だと、もっと自由にいろんな形を使ってる

ような気がする。下は今回、みんなの前で実演してた、後ろ生け。

枯れた木(流木、しゃり木=シャリボク)は手に入れにくいとか

説明しつつ、全体的に大きく広がる生け花を創ってた。

 

180820g

 

ただ、公式サイトの生け花ギャラリーにある下の画像などは、

天・人・地の3ポイントのパターンに見える。大きく伸びる緑、

小さいピンクの花、大きな白い花。4ポイントの流れ菱には

なってない。

 

180820h

 

ちょっと生け花に興味が湧いて来たところで、今日はこの辺で。。☆彡

 

 

 

cf. 傷つけられた時に哀しむ人は、愛の人、いい女です

     ~『高嶺の花』第1話

  後ろ生けと鏡に映るもう一人の自分、力学の意味~第2話

  「犯罪者は外見で判断できる」、ロンブローゾ~第5話

  ハンナ・アレント『責任と判断』とゲイン・ロス効果~第7話

  エリアス『時間について』と、子どもの頃の自分~第9話

  黄色い高嶺の花は、純潔な太陽の光~最終回

 

             (計 1632字)

     (追記 74字 ; 合計 1706字)

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アンドレ・ジッド名言「真実を探しているものを信じよ。見つけたものを疑え」、仏語出典と意味~『コンフィデンスマンJP』最終回

第10話(最終回)も笑えた。イガラシ(五十嵐、小手伸也)の預金の

少なさに♪ そこか!

 

スマホ画面の上には、簡体字で「中国国際銀行」と書かれてる。

イガラシからの振り込みは映ってないから、金井紘の演出的には、

少額という意味の細かいお笑いカットだろうと想像する。流石に

そこまで脚本家の古沢良太が書いてるとは思えない。

 

画像はフジテレビのドラマより。非営利の個人サイトのレビューに

おける限定的引用なので、著作権などの問題は生じないと考える。

 

180612a

 

ちなみに、鉢巻秀男=孫秀男(佐藤隆太)の口座残高は15億円。

フジサワヒナコ=ダー子(長澤まさみ)の振込が5億円。ニシザキ

ナオト=ボクちゃん(東出昌大)が7億。リチャード(カマタキヨシ:

鎌田)が3億。

 

イガラシも数千万円の可能性は一応あるけど、他の詐欺師たちとの

差はハッキリしてる。リチャードが少ないのは、別れた奥さんと愛娘

にほとんど送金してるからか。

 

まあ、明かされた経歴が真実とは限らないけど、真実を探すことは

大切なのだ♪ 1947年ノーベル文学賞受賞者、アンドレ・ジッド

(またはジード、ジイド)も語ってた♪

 

 

     ☆       ☆       ☆

180612b

 

 真実を探しているものを信じよ。

 真実を見つけたものを疑え。

        アンドレ・ジッド

 

「もの」を、ひらがなではなく漢字で「者」と書いてるサイトが大半

なのは普通として、「真実を見つける」と現在形で訳してるサイト

が一つもないのはちょっと問題かも知れない。

 

というのも、原文のフランス語(Croyez)も、それを翻訳した

英語(believe)も、現在形になってるから。日本語的には

「見つけた」と完了形にする方が自然だし分かりやすいけど、

元のフランス語の意味は「見つける」の方が近いかも知れない。

厚みや拡がりをもたせた、抽象的表現を選んでるのだ。

 

 

      ☆       ☆       ☆

では、フランス語の原文を見てみよう。出典は、

 「Ainsi soit-il ou Les Jeux sont faits」。

 (どうぞ、そうなりますように、あるいは、賽(さい)は投げられた)

 

名言の箇所は次の通り。フランス語版ウィキ・クォートによると、

p.174とのこと(私は未確認)。

 

 Croyez ceux qui cherchent

 la vérité;

 (真実を探す人達を信じよ。)

 doutez de ceux qui la trouvent;

 (真実を見出す人達を疑え。)

 

 

名言は、自分と同様に悩む若者たちに向けて語られる形になってる。

真実を探す人達」とは、要するに自分たちのこと。繰返すが、「真実

を見出す」という現在形の文であって、過去形や完了形ではない。

 

タイトルについては、私は分かりやすく訳したけど、早稲田大学の

論文では、「かくあれかし、あるいは賭けはなされた」と格調高く

訳してた(森井良)。前半はお祈り、後半は賭け事の決まり文句。

著者ジッドの死が迫ってることも暗示してる気がする。私はこれ

から、どうなるのだろうか。。

 

1952年だから、死の翌年に出版された遺稿で、日本語はもちろん、

フランス語や英語でも情報が少ない。偉大な作家の最晩年の著作

なのに、ほとんど上の名言ばかりが話題になってる感じだ。

 

 

      ☆       ☆       ☆

さて、著作の邦訳はもちろん、元の著作も英訳も見当たらないけど、

名言の直前の文脈や、直後に続く文章だけなら、学術系サイト

JSTORの論文に書かれてた(著者 Lucien Wolff)。無料

登録だけで、誰でも閲覧可能。米国のフランス語教師の雑誌らしい。

 

180612c

 

文脈的には、プロテスタントの環境で育ったジッドが、最晩年まで、

キリスト教との関係に迷い、悩んでるような感じだ。教義や死後の

世界(あの世)について、そのまま信じ込むのは知性が許さない。

そう言いつつ、誰よりも精神的=心霊的である自己矛盾。。

 

名言に続く文章を軽く直訳すると、こんな感じだ。この箇所だけの

英訳は、例の優秀な英語サイト「引用調査官」に掲載されてた

 

 すべてを疑え。でも、あなた自身は疑うな。 

 キリストの言葉には、人間のあらゆる他の言葉より多くの光がある。 

 でも、それだけでは、キリスト教徒として不十分のようだ。 

 それに加えて、信じる必要がある。

 (しかし)私は信じない。だから私は、(迷える)あなた達の兄弟だ。

 

上の1行目だけみると、近代哲学の父デカルトの方法的懐疑や

「われ思う、ゆえに、われあり」に似てると解釈することも可能。ただ、

デカルトなら、「私は信じない」とは断言しないだろう。理論的にも

そうだし、ジッドから300年前の時代的制約もあって。

 

 

     ☆       ☆       ☆

最後に、ドラマの内容に戻ると、形式的には非常にテクニカルで

上手く連ドラを終わらせた形になってる。

 

つまり、最終回の終盤で、最終回の序盤へと逆戻り。実は最初から

鉢巻たち中国マフィアを騙すつもりだったと分かる。ダー子が冒頭

で見てたドラマか映画、『名探偵 海老河原の冒険』を鉢巻が見る

ように仕向けて、その中で鉢巻が騙されてたことを知らせたのは、

伏線の絶妙な回収だった。

 

ダー子の淋しい子供時代、ボクちゃんのビミョーな子供時代、ダー子

とボクちゃんの母(詐欺師)の出会い、バトラー(Michael

Keida)の妙な寝返り再就職。登場人物の過去もストーリーの中で

自然に紹介。もちろん、「真実を見つけた」わけではないけど♪

 

そして、最終回の一番ラストでは、第1回の冒頭に逆戻りする形まで

作ってた。思い出した視聴者がどのくらいいるか怪しいけど(笑)、

ウィキペディアは初回の説明の箇所に、「最終話で登場した鉢巻

秀男の次のターゲット」と加筆してた♪ 珍しいね。結局、最終回

がエピソード0(ゼロ)。『名探偵』のDVDパッケージと同じだ。

 

正直、話は複雑で、勧善懲悪でもなく、悪が悪に勝つ変則パターン。

古沢良太のクセなのか、時間設定が一瞬で1年とか5年とか変化

するから、ずっとテレビから目を離さないファン以外には分かりづらい。

キレイな最終回の視聴率が9.2%に留まってる。

 

ただ、落ち込みが激しいフジ月9の中で、この独特のオリジナル・

ドラマが全話平均8.9%取ったのはまずまずの健闘だし、一部

の熱狂的なファン(ライター含む)も獲得した。長澤まさみのハジけた

熱演にも拍手。映画化や韓国版・中国版も決定したし、さらに続編

やSP(スペシャル)も狙えるかも。

 

 

      ☆       ☆       ☆

私自身は、名言の解説でマニアック路線を突っ走れたし、叩かれ

過ぎてるフジ月9の応援もできて満足だ。フジテレビ復活の一番

いい方法は、8チャンネルから4チャンネルに替えることだろう(笑)。

高齢者は1チャンネルから順に見て行くし、新聞の番組欄を見る

時も左端のNHKやEテレから。右端まで見て行くのは疲れる。

 

案外、NHKを9チャンネルにするとか、番組欄の右端に移すのも、

いいね♪ テレビに限らず、叩かれ過ぎてるものに目を向けたい。

ともあれ、今日のところはこの辺で。。☆彡

 

 

 

cf. confidence man の本当の意味、

  「失敗した」信用詐欺師♪~『コンフィデンスマンJP』第1話

 セドラチェク「欲望は満たされることを望まない」~第2話

 ゴーギャン「芸術は、盗作か革命」、英語&仏語~第3話

 ビリー・ワイルダー「映画の8割は脚本」、英語~第4話

 マジンガーZとの合体、「パイルダー・オン」の意味~第5話

 古代遺跡トロイア、シュリーマン名言のドイツ語原文~第6話

 マザーテレサ「家に帰って家族を愛しなさい」、英語~第7話

 ヘプバーン「美しい唇であるためには」(英語)~第8話

 ブルーン「スポーツは人格を作り上げるのではない」(英)~第9話

 

               (計 3106字)

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