恋多き天才アインシュタイン、再婚した妻エルザよりも、義理の娘イルゼを愛して結婚したかったのか?

4連休の初日、朝日新聞・朝刊(20年9月19日)読書欄をサラッと見てると、アインシュタインという名前が目に飛び込んで来た。マシュー・スタンレー『アインシュタインの戦争』、新潮社。朝日デジタルでも掲載中

  

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反戦平和とか反核といった話と、物理学の相対性理論を混ぜた、普通の伝記かと思ったら、全然違うことも書いてた。

  

「私生活をも赤裸々に描いている・・・最初の妻であるミレヴァと離婚できないまま、後に妻となるエルザと暮らし始める。信じがたいことに彼はエルザの娘とも関係をもち、『二人で決着をつけてもらって、どちらとでもいいから結婚したい』と言ってのけたそうだ。」

  

  

     ☆     ☆     ☆

評者の東京大学教授(宇宙物理学)・須藤靖が驚いてるのだから、スクープ的なスキャンダルなのかと思って検索してみると、全然そうでもない。日本語でも一応、数年前にはもうネットに流れてる。ただ、いつものようにと言うか、いつも以上にと言うべきか、信頼できそうな記事は日本語だと(ほとんど)見当たらない。

   

おまけに、紛らわしいことに、別の義理の娘(妹の方)への愛の手紙とか言われるものが一部の個人サイトに流れてて、最初は私も混同してしまった。ちなみにそちらは、スペインで創られた偽物とか言われてるし、根拠も見当たらないし、今回の話とは別だから、ここでは深入りしない。

   

一方、朝日で書いてた義理の娘、姉のイルゼ(Ilse)については、英語で検索すると色々な情報が手に入って、読むのが大変だった。調べるだけで膨大な時間を使ってしまったから、簡単にまとめとこう。

 

  

     ☆     ☆     ☆

イルゼの写真は極端に少ないが、下はウィキメディアより。パブリック・ドメイン(公的所有)。アインシュタインから求婚された5年後くらい、1923年(26歳頃)のもので、宝塚系の華やかな美人に見える。

    

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先に結論のようなものを書いておくと、英語圏では既に25年以上前に出てた情報で、あまり流行ってないものの、それなりの根拠もあるらしい。東大教授もそういった話まではカバーしてなかったわけか。もちろん、100年前の禁断の愛だから、真相や真偽は不明。

       

総合的に見て、個人的には今の所、たぶん本当じゃないかなと思ってる。もし後で、間違ってるという証拠を見つけたら、ここで追記することにしよう。

   

   

     ☆     ☆     ☆

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上が、『アインシュタインの戦争』の訳書と、英語の原書、Matthew Stanley『Einstein's War』。こちらは、原書が2019年に出たばかりということもあってか、アマゾンでもグーグル・ブックスでも中身の情報がほとんど出て来ない。英語版ウィキペディアにも項目はないし、単なる言及さえ見当たらない。

      

義理の娘イルゼとの恋愛について、新事実を載せてる可能性は一応あるけど、それにしてはほとんど英語圏でも話題になってないのだ。

  

むしろ、情報の元をたどっていくと、米国を代表する新聞の一つ、ニューヨーク・タイムズの21年前(1999年)の記事にたどり着いた。「Einstein, Confused in love and, Sometimes, Physics」。アインシュタイン、愛に翻弄されつつ、時々、物理学。

   

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恋愛中毒でたまに物理をするだけでノーベル賞を取れるのか・・とか、妙な驚きも感じるタイトルだが、要するにこの執筆者、デニス・オーヴァーバイ(Dennis Overbye)は、恋愛に注目したらしい。

  

ソース(情報源)は、少しずつ刊行中の『アインシュタイン著作集(または全集)』第8巻、プリンストン大学出版。Collected Papers。

   

彼は99年の春に出たと書いてたけど、出版社サイトから情報を探すと1998年11月末になってた。日付けと実際の流通にはタイムラグ(時間差)があるし、英国と米国(とドイツ語?)の差もあるから、こだわらないことにしよう。

  

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その大著の中の手紙(90年代前半には知られてた)によると、アインシュタインは1918年の春、再婚しようとしてたエルザ(Elsa)よりも、その娘のイルゼ(20歳)と結婚したかったとのこと。彼は1879年3月の生まれだから、38歳か39歳の頃だ。まあ、現在の感覚でも何とか許容範囲か。血縁は無いし、ロリコンとか近親相姦といった話でもない。

     

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この記事の著者がその後出版したのが、『Einstein in Love: A Scientific Romance』。私なら『恋するアインシュタイン ロマンスも科学的に』と訳すけど、翻訳本のタイトルは『アインシュタインの恋』(青土社)。原書の該当箇所はグーグル・ブックスで限定公開されてた(なぜかiPadでは見れるのにPCでは見れず)。

  

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イルゼが、ニコライ(Nicolai)という男性に出した相談の手紙をそのまま読むと、アインシュタインの熱烈な愛と、彼女の困惑が語られてる。彼女は後に別人と結婚してるし、普通に考えるなら、アインシュタインの失恋。順当にふられたことになる

   

   

    ☆     ☆     ☆

ただ、私は元の著作集や手紙の原文も見てないし、著者オーヴァーバイが手に入れた資料も知らない。私だけでなく、そんな専門的な詳しい情報は、かなり検索しても出て来なかった。もちろん、日本語では皆無。

  

というわけで、義理の娘に対するアインシュタインの恋愛は、客観的に言うなら、25年以上前からある不確定情報。現在の個人的な推測としては、ほぼ合ってるような気がする。こんな所だろう。なお、ニコライとアインシュタインの関係はまたややこしいので、ここでは省略。

   

英語の資料を画像とリンク付きで載せただけでも満足して、今日はそろそろこの辺で。。☆彡

   

      (計 2323字)

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奥様に人気の旦那つっこみインスタ本『#ゴミ捨てろ』♪、男が立ち読みした感想

今日は書くネタが色々あったけど、先週書き過ぎてるから、サラッと軽い記事で済ませとこう。

   

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コロナの3密回避で、最近は本屋にもほとんど行かなくなってるんだけど、久々に立ち寄ったら、いきなり題名だけでウケた。『#ゴミ捨てろ』~うちの旦那はティッシュをゴミ箱に捨てられない♪ もう、これだけで主婦の心、鷲づかみ(笑)。完全に女性がターゲットのおしゃれな作りも、いいね。

       

男の私の心が鷲づかみされたのは、表紙の左下の写真とロゴ(テロップ)。「この量で冷蔵庫戻すな。飲め。」(≧▽≦) これ、ウチの父親が母親によく言われてた言葉にそっくり♪ 何かを飲む時、いつも最後のちょっと、残すクセがあった。

  

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私にはあんまし遺伝(笑)してないけど、たまにコーヒー用の大きなカップの底に1cmくらい残ってることがある (^^ゞ 昨夜は、麦茶が1cm残ったペットボトルを冷蔵庫に入れそうになって、反省♪ すぐ飲んで、ボトルを洗って処分した。いいね♪ フツーだろ!

   

   

    ☆     ☆     ☆

さて、この本。私が見た時はタレント本とかと並べて置かれてたけど、ハッシュタグ付きだから、インスタグラムの書籍化だ。

     

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ユーザー名、「gomi_stero」(ゴミステロ♪)。旦那の散らかした物をUPするアカウント。そのまんまか! しかし、こんな日常的なコネタが大人気になって商売になるとは、SNS時代、恐るべし。フォロワー80万人弱! 広告が付いてるから、旦那の収入より稼ぎが多いかも。

      

ブロガーとしては羨ましいけど、私なんてそもそもインスタの登録さえできてない (^^ゞ 多分、インスタのブロガーいじめだと思う(個人の感想♪)。いくら頑張っても途中でエラー警告になるから、いまだに他人のインスタは30秒くらいしか見れない。いつも慌ててスクロールして、クリックやタップも出来ないほど(笑)

  

ちなみにこの若奥様(死語?♪)、ブログ(ameba)も持ってるけど、あんまし更新してなかった。時間とエネルギーはインスタと子育てに注ぐと。写真に短い文を添えて、女性読者に見せるんだから、やっぱブログやツイッターよりインスタか。

   

   

     ☆     ☆     ☆

ところで、ちょっと残すクセと言えば、必ずしも悪いことじゃない。お茶ならカロリーを気にする必要がないからいいけど、食べ物だと、ちょっと残りそうなのをいちいち全部食べてたら、太るはず。

  

冷蔵庫に入れると邪魔なんだったら、むしろ思い切って捨てた方が健康にいいかも。ところがこれが、女性には決して出来ないことなのだ(一般化した断言・・笑)。冷蔵庫もゴミ箱も胃袋も嫌だから、結局、「別腹」に入れて、脇腹のお肉になると♪

  

一方、一番目立つ形で旦那批判に使われてた、ティッシュ。これはご本人が書いてけど、旦那さんの鼻のアレルギーが原因の一つで、私も高校時代に苦労したから、辛さがよく分かる。ハウスダストのアルルギーが酷くて、病院に通ってもほとんど治らなかった(学校や屋外だと楽)。

  

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鼻をかめばかむほど、粘膜の炎症がひどくなるから、いちいちゴミ箱に捨ててる余裕もない。ティッシュが無くなったら、トイレットペーパー。ひどい時は、紙を鼻に詰めて、じっと我慢して症状が落ち着くのを待つ。家のホコリのアレルギーだから、卒業して実家を離れた途端、あっという間に完治♪ 田舎の古い家だったもんで。

  

そう言えば、今年はコロナのおかげ(?)で、普通の風邪は(ほとんど)ひいてないから、鼻なんて一度もかんでない。1年半くらい、何ともないかも。この奥様は、その恵まれた状況がズーッと続いてるらしい。

    

ま、実は仲良し夫婦みたいだし、旦那さまをいたわってあげて♪ ティッシュくらい、拾って捨てるだけだから。・・とか書いてると、「捨てるだけなら、自分でやれ!」と反論されるかも(笑)。いや、旦那さんがゴミを散らかしてくれるからこそ、人気者になれたんでしょ。

   

   

     ☆     ☆     ☆

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男女の違いをあらためて感じるのは、上の写真の小さい文字とか。「このシミもつけやがった」(笑)。似たような会話は、日本中の男女がやってるはず。世界だとどうなのかね? 多分、ドイツの女性とか、そんなの気にしないと思うけど(個人の感想♪)。

   

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目次を見ると、「すぐ行方不明になるくし」とか、「モビール化するハンガー」とか、あるあるネタが並んでる♪ ウチのハンガーをチェックすると、5段モビールになってた(実話・・笑)

  

まあでも、アマゾンの電子書籍キンドル無料サンプルだと、この辺りで終了。後は、リアル店舗での立ち読みでどうぞってことになる(笑)。無料サンプルも、色々ダウンロードし過ぎると邪魔なんだよな・・、「捨てろよ!」とか自分ツッコミしつつ、今日はあっさりこの辺で。。☆彡

   

        (計 1932字)

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人間に戻りたくなった椅子、屈折したSM的欲望~江戸川乱歩『人間椅子』(NHKドラマ&原作小説)

一瞬、乱歩の原作小説を模倣して、手紙形式の記事にしようかと思ったけど、分かりにくいし面倒だから止めとこう。過去15年間、ウチのブログでそうした形を使ったのは、木村拓哉のドラマ『CHANGE』の最終回レビューだけかも。既に12年が経過。

    

さて、仕事や出張にあおられて、ここ半月ほどはほとんどテレビを見てなかったから、昨日(20年9月10日・金曜)の夜、ふと夕刊のテレビ欄をチェック。日付け変更後の11日・1時から、江戸川乱歩の『人間椅子』のドラマがあるようだから、録画の準備をして待ってた。放送時間は30分、ブログ記事のネタにもちょうどいい。

   

乱歩というと、小学校時代に探偵・明智小五郎シリーズを何冊か読んだのが最初。多分、図書館というか、図書室の本が多かったと思う。

   

その後、中学1年ぐらいで、なぜかたまたま家にあった『パノラマ島奇談』という妖しい小説を読んだ。大人向けの文庫本で、言葉も話も難しく感じたから、流し読みみたいになったけど、読みながらムラムラ、モヤモヤ、変な気分になった。内容は覚えてないけど、それ以来、乱歩という文字を見るだけで、反射的にエッチ、エロという言葉が浮かんで来る。

  

大人になってからは多分、ほとんど読んでなくて、ブログの暗号記事を書くために、青空文庫で『二銭銅貨』を読んだくらいか。後は、ラジオ英語講座で英訳を聞いたり読んだりした程度だと思う。

   

    

     ☆     ☆     ☆

さて今回、ドラマを見ながら同時に小説も読んだ、『人間椅子』。名前は小学生の頃から頭に残ってて、読んだつもりになってたけど、内容は全く知らないものだった。というか、私はどうも、他の何かと混同したイメージを持ってただけらしい。

     

ということは、小説の題名の奇妙さだけが頭に残ってたわけか。そもそも「椅子」という漢字は、小学生にはなかなか「いす」と読めない。普通に読むと、「きこ」(奇子)だろう。奇妙な女の子。

   

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1時開始の予定が、災害情報で2分遅れになって、1時02分にスタート。このタイトルバックは、色使いも文字も私の好みに近くて、乱歩らしい。

   

「妖しい愛の物語」というのは、第2シリーズ・3本のサブタイトルみたいで、最初は2016年12月末、NHK・BSプレミアムで放送(ウィキペディアより)。第3シリーズまで、合計9本はすべて、満島ひかりが主演。この名字、「まじま」と読むのかと思ってたけど、「みつしま」だった。有名な女優だけど、個人的には今までほとんど見てない。

  

  

     ☆     ☆     ☆

このシリーズは、気鋭の映像作家を演出家として起用したもので、今回は渋江修平。名前さえ知らなかったけど、検索すると、かなり活躍してるのが分かる。1985年生まれらしいから、制作時は31歳。

   

たまたまなのか、ある意味、関連があるのか、乱歩が『人間椅子』を発表したのも、31歳になる直前。1925年(大正14年)だった。文化・芸術の世界だと、強烈に自己アピールする年代。乱歩は奇抜な筋書(プロット)で才能を誇示。渋江も独特の映像作りを見せてる。

  

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上は渋江のtwitterより。衣装や髪型、お化粧も含めて、満島は若き美人作家として魅力的に撮影されてるし、イスの側から見た、お尻や背中の映像がユニーク。

  

お尻の下着(パンツ)映像は、連続的に多用し過ぎて、『タモリ倶楽部』になってしまってるけど、多分わざとだろう。要するに、シリアスとかホラーの路線ではなく、ほんのりコミカルな味付けなのだ。それは一番最初のシーンから、すぐ感じ取れた。

  

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上の映像、よく見ると、ヒロイン・佳子(よしこ)と肘掛け椅子の間に、男性が隠れてる。まさに、そのまんまのリアル人間椅子。映し方によっては、「座った位置」を性的に描くものになってただろうけど、渋江はむしろ軽い笑いを取りに行く。

   

夫らしき男性が、前が見えないまま、紅茶を飲もうとするけど、それを途中で佳子が奪い取って、男性の手が残念そうに震えるのだ。私が演出家なら、ここで佳子が読んでる本をひそかに『人間椅子』とか『江戸川乱歩全集』にして、ごく一部の視聴者のツッコミを誘うところか。

   

   

     ☆     ☆     ☆

このドラマ、最初の画面の左側にわざわざ、「ほぼ原作通り映像化」というテロップが出た。役者の台詞(セリフ)は無くて、小説の一部を朗読する形にもなってたから、私はすぐにタブレット端末で青空文庫にアクセス。正直、「ほぼ原作通り」とわざわざ最初に告知するほど似てるわけでもないから、これもパロディとか自虐の類か。

      

江戸川乱歩が亡くなったのは1965年だから、既に50年経過ということで、著作権が消滅して無料で読めるのだ。あと3年ほど後だったら、例のTPP関連で、保護期間が70年に延長されてたから、無料では読めなかった。

  

ただ、国立国会図書館は、民間の業者に配慮してるのか、デジタル資料はまだ一般公開してない。小説の初出の雑誌『苦楽』はそもそも保存されてないようだった。

   

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ドラマのスタートは、「美しい閨秀作家・・」。恥ずかしながら、「閨秀」(けいしゅう)の意味が分からなかったから直ちに検索。要するに、優秀な女流作家という意味らしい。

  

小説の冒頭では、「彼女は今、K雑誌の・・為の、長い創作にとりかかっている・・」と書かれてる。ドラマは省いてたけど、これは小説の構成的には重要な部分。

   

Kというのは『苦楽』の頭文字だから、ヒロイン佳子が今まさに、この『人間椅子』を書いてるという、複雑でテクニカルな構成なのだ。小説『人間椅子』が佳子を描いて、佳子が小説『人間椅子』を書く。エッシャーのだまし絵みたいな、無限の自己言及的構造。

   

    

     ☆     ☆     ☆

以下は、どうしてもネタバレ的な内容になるので、ご注意あれ。あらすじは次の通り。

    

名もなき見知らぬ男から突然、美人小説家のもとに、原稿みたいな「手紙」が送られる。自分は醜い家具職人で、椅子作りが専門。外国人向けのホテルの椅子を頼まれた時、その椅子に自分が入り込むことを思いつく。食べ物も中に備えてるから、二、三日、中にいても大丈夫。

      

最初は、隙を見て椅子から出て、金品を盗むのが目的だったけど、やがて薄い皮を隔てた人間との接触、特に若い女性との接触に快楽を覚えるようになった。

  

その後、椅子はホテルから、日本人の官吏のもとへと転売された。書斎で椅子を使うのは、若くて美しい肉体の夫人。自分は彼女に恋してしまったから、一目、顔を見て言葉をかわしたくなった。それこそ、奥様、あなたなのだ。。

   

   

     ☆     ☆     ☆

最後のオチは後回しとして、ここまでの話を、説得力のある映像やイメージにするのなら、ポイントは当然、椅子になる。ヒロインは女流作家としても、主役は椅子だ。

   

ところが、今回のドラマに限らず、本当にリアルな人間椅子を描いたイメージはほとんど見当たらない。Googleで画像検索をかけても、ピッタリ来るものは無いのだ。

   

ということは、おそらく、この小説の最後のオチを考慮して、人間椅子という物をあまり本気にしてないのだろう。ドラマの中だと、3つのひじ掛け椅子が映されたが、どれも成人男性がひそめるようには見えない。

  

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本当に、二、三日いられるような椅子なら、座る面はかなり高くして、背もたれも高くして、ひじ掛けも含め、全体的に分厚い作りにする必要がある。原作小説では、その点を考慮してるからこそ、わざわざ身体の大きな外国人向けの椅子とされてたわけだ。

  

ネットを見渡すと、アダルト系は除くなら、楽天の電子書籍coboのこの画像が一番リアルな部類かも。もちろん、これは椅子ではないけど、成人男性が座った形で、上に女性が座れるようにはなってる。

  

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     ☆     ☆     ☆

上の画像、作者は不明だけど、物語の本質もよくとらえてる。両手を後ろに回してるのは、表面的には肘掛け椅子だから、おかしい。ただ、本質の一つは、マゾヒスティックな拘束なのだ。自分を拷問する快楽。だから、後ろ手に縛られてるような姿勢で、首にも首枷があるように見える。男性の股間の象徴も、何かで封じ込められてる様子。

     

もちろん、椅子には「ある用途の為めに大きなゴムの袋を備えつけたり」してるから、物語的には、手で性的欲望を解放できるはず。排泄だけでなく、衝動の放出も一応、可能だろう。

  

ただ、「触覚と、聴覚と、そして僅の嗅覚のみの恋」と書かれてるから、音や臭いの伝達はある。ということは、少なくとも男が太腿や腰で女性を支えてる間、手で快楽の頂点を得ることは使えない。焦らし責めのような状態が数十分~数時間ほど続くことになる。だからこそ、手枷か手錠で男の両手が背中に縛られてるような画像が、インパクトを持つ。

   

それでいて、特殊な椅子の事情を知ってるのは男のみで、能動的・意識的に身体を使えるのも男のみ。普通の「座った位置」以上に、男性優位な性的ポジションになってるから、サディスティックでもある。

  

基本的には被虐的だけど、加虐的でもあり、リアルな透明人間を作るものでもある、夢のSM装置。それこそ、人間椅子なのだ。

    

    

     ☆     ☆     ☆

ただし、やはり人間は、椅子にはなり切れない。最後は、人間に戻りたくなってしまうのだ。椅子から出て、普通に女性と会って、お話してみたい。当時はまだ、ストーカー規制法どころか、ストーカーという言葉さえ無かった時期。

   

膨張した性的欲望は、椅子から飛び出すことになる。そして、「青い顔をして、お邸のまわりを、うろつき廻って」いるのだ。ハンカチで合図してもらえれば、「訪問者としてお邸の玄関を訪れる」ことが出来るように。

   

ところが最後、悪寒と身震いが止まらない彼女のもとに、別の封書が届く。「別封お送りしましたのは、私の拙い創作でございます。・・・如何でございましたでしょうか。・・・表題は『人間椅子』とつけたい考えでございます」。

  

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上の画像は、衝撃で腰を抜かした佳子が、這いつくばって恐る恐る手紙に向かうシーン。シースルーのドレスから透けて見えるお尻と太腿がセクシーでエロチック。NHK的には、このくらいのサービスショットが限界か。

      

その後のドラマでは、黒いドレスに着替えた女性が夫にすがりついて、夜の山道を車で逃げ出すような心象風景が描かれてた。顔を隠した男たちが複数、ゾンビのように取り巻く姿。女性にとっては、二通目の手紙でオチを読んでも、とても単なる創作とは思えない恐怖ということになる。

     

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     ☆     ☆     ☆

映画や演劇の世界では、劇の中に(別の)劇が挿入される「劇中劇」という形式がある。ここでは、「小説 中 小説」。乱歩の小説『人間椅子』の中に、男の同名小説『人間椅子』が入り込む。その様子を描くのが、女性が執筆する小説だろう。

   

乱歩の小説の中の、女性の小説の中に、男性の小説がある。「小説 中 小説 中 小説」。個人的には、ここまで複雑な構成は初めて見た気がする。あるいは単に、今まで気付かなかっただけかも。

   

とにかく、非常に興味深い小説&ドラマだった。せっかく無料公開されてることだし、乱歩の他の小説もいずれ読んでみたい。それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

         (計 4482字)

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ペアノの公理、自然数の加法(足し算)、結合法則の証明~論文『算術原理』(1889年)

イタリアの数学者ペアノの『算術の諸原理』(ARITHMETICES PRINCIPIA、ラテン語)と題する論文が先駆的で重要なのは、6年ほど前から分かってたが、詳しく調べたのは1年前のことで、今まで記事を書いてなかった。既に10年前から、小学校から大学レベルまで一通りの記事は揃えて来たという思いもあった。

  

ただ、以前と変わらず英語圏でも、算数や数学の基礎理論を原書に基づいて具体的にとらえ直す作業は非常に少ないようなので、久しぶりに書いてみよう。既にアップしてある12本の記事(以下、参照)との重複はなるべく避けるよう心掛ける。最も読まれてるのは、素朴な疑問から始めてる1本目の記事だ。

     

 「1+1=2」はなぜか?~ペアノの自然数論(足し算)

 「1×1=1」はなぜか?~ペアノの自然数論2(掛け算)

 自然数に関するペアノの公理~論文『数の概念について』に即して

 引き算の証明、負の数~ペアノの整数論(減算=減法)

 集合論における自然数の表記と計算

 0、1、「次の数」に関する哲学的考察~フレーゲ『算術の基礎』

 デデキントの「切断」による実数の構成~対角線論法2

 「1+1=2」はなぜか~小学1年生の算数の教科書

 引き算、足し引き連続、0(ゼロ)~小学1年生の算数2

 掛け算の導入、足し算・引き算との関係~小学校の算数3

 同じ数ずつ分ける計算、割り算(除法)~小学校の算数4

 原始リカーシヴ関数と足し算(加法)、掛け算(乗法)

   

  

    ☆     ☆     ☆

まず、「算術の諸原理」(算術原理と略記)と、当サイトで10年前に扱った論文「数の概念について」(1891年)との関係について。「数の概念について」の冒頭で、本人が次のように説明してた。小野勝次・梅沢敏郎訳、共立出版の日本語訳より引用。

  

 私の「算術原理」の中で私は正の整数、分数および無理数の理論を論理学の式によって表現した。しかし、演算(函数)の理論の大要を紹介することによって、数のある性質を他のより一般的なものに帰着させることができ、またより簡明な形で取り扱うことができることになる。

    

要するに、2年後の論文「数の概念」の方が一般的なのだ。例えば加法(足し算)を考える時にも、他の似た演算をまとめた一般論を語る形になってる。それが「より簡明」かどうかは読み手の主観の問題も大きいが、一般性を求めて前進(または変化)してるのは確かだ。

  

いわゆる「ペアノの公理」(英 Peano axioms)の書き方も違って、「算術原理」では9つの「公理」を冒頭に掲げてるが、「数の概念」では5つの「原始命題」になってる。つまり、性質が異なる4つは別扱いする形で、数にとって本質的な5つのみを残してたわけで、実際、現在の数学でもこの5つをペアノの公理とすることが多いという指摘もある(英語版ウィキペディア)。「数の概念」の訳本もその立場となってる。

  

とはいえ、「算術原理」の方が2年早いし、こちらの方が英語圏では有名なようで、題名の影響もあるのかも知れない。ともあれ、この論文の冒頭を見てみよう。ラテン語の原書は Internet Archive で公開中。副題は「NOVA METHODO EXPOSITA」(新しい方式で提示された)。

  

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なお、英訳をネット上で2種類発見したが、片方は数人の個人による草稿で未完成(論理的誤りもある)、もう片方は著作権の扱いが不明だから、リンクは付けないことにする。

   

      

     ☆     ☆     ☆

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論文の最初で、論理学を準備して、ここからが算術(または算数)の話。最初に「公理」が9つ並んでる。複数形 Axiomata. だから、正確に訳すと「諸公理」。公理系とまで訳してしまうと、訳し過ぎだろう。

  

書き方、表記法が独特で、慣れるまでは読みにくくて分かりにくい。いちいち「.」(ピリオド)で区切るし、その次の区切りは「:」、さらに「∴」「::」と区切っていく。点の数が1コ、2コ、3コ、4コと変化するから、ペアノ本人にとっては規則的で分かりやすいのだろう。「⊃」は「ならば」と訳すが、本来は、前から後ろが「演えきされる」という意味だ。

   

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1. 1εN. (1は、あるNだ。 ; 1はNのある要素だ。)

 (引用者による注) 上の左側の訳がペアノ自身の説明に即したものだが、以下では分かりやすさのため「・・の要素」と略記。ただし9を除く。

2. aεN.⊃.a=a. (aがNの要素ならば、a=a。)

3. a,b,cεN.⊃:a=b.=.b=a. (a、b、cがNの要素ならば、a=bとb=aは同じことだ。)

 (注) cは関係ないので、次の4の始めと混同した入力ミス。

    

4. a,bεN.⊃ ∴ a=b.b=c:⊃.a=c. (a、bがNの要素ならば、a=bかつb=cならa=c。)

 (注) 最初にcを入れるのを忘れたミス。上の注も参照。

5. a=b.bεN:⊃.aεN. (a=b、かつbがNの要素ならば、aはNの要素。)  

6. aεN.⊃.a+1εN. (aがNの要素ならば、a+1はNの要素。)   

7. a,bεN.⊃:a=b.=.a+1=b+1. (a、bがNの要素ならば、a=bとa+1=b+1は同じことだ。)

 (注) +という演算、写像は1対1の対応だということ。

   

8. aεN.⊃.a+1 ─= 1. (aがNの要素ならば、a+1=1でない。)

 (注) 横線は否定(ノット)の意味。今なら¬などの記号を用いる。要するに、1がNの最初の要素で、1+1、(1+1)+1・・・と続くということ。

9. kεK ∴ 1εk ∴ xεN.xεk:⊃x.x+1εk::⊃.N⊃k. (kがある集合で、1はkの要素で、任意のxについてそれがNとKの要素ならx+1もkの要素であるならば、Nはkに含まれる。)

 (注) いわゆる数学的帰納法のこと。「任意の・・」を小文字の添え字で表すのは、省略されることが多いが、ここでは「⊃x」と書き添えてある。

   

   

     ☆     ☆     ☆

2年後の「数の概念について」では、上で「+1」と書いてる所は単なる「+」になる。つまり、+という記号は二項演算とか2変数関数というより、一項に対する右作用演算になり、「+」を1回行う演算が「+1」とされる。「+」を2回続けて行う演算が「+2」。

   

一方、「算術原理」におけるペアノの「+」や加法(足し算)の扱いは、普通の感覚に近い。まず、1に続く2、3、4、・・・といった自然数を、+1の足し算の形式で定義する。公理に続く「Definitiones.」(諸定義)。1行にまとめられた定義なのに複数形のタイトルを付ける辺りも、日本人にとっては細かく感じられる。

  

 10 定義 2=1+1 ; 3=2+1 ; 4=3+1 ; etc.

   

上の最後の無限に続く箇所を「etc.」(エトセトラ)で済ませていいのかどうか気になるが、必要なら、5=4+1、6=5+1と増やせばよいということか。

   

少し飛ばして、いよいよ加法の定義に向かおう。原文には「加法の」という言葉は付いてないし、「Definitio.」だから単数形。つまり、既に何度も使われてる「+1」を除く加法は、1つの定義で済ませてる。

  

 18 a,bεN.⊃.a+(b+1)=(a+b)+1 (a、bが自然数ならば、a+(b+1)は(a+b)+1で定義される。)

   

 

   

    ☆     ☆     ☆

上の足し算の定義の意味や意義は、実際に足し算の証明をしてみるとよく分かる。以下、ペアノの証明法に近いやり方で、私が証明しておく。

  

1+2=3の証明

1+2=1+(1+1) (2の定義)

   =(1+1)+1 (加法の定義)

   =2+1     (2の定義)

   =3       (3の定義) 

           (証明終)

   

2+3=5の証明

2+3=2+(2+1) (3の定義)

   =(2+2)+1 (加法の定義)

   =(2+(1+1))+1 (2の定義)

   =((2+1)+1)+1 (加法の定義)

   =(3+1)+1  (3の定義)

   =4+1  (4の定義)

   =5   (5の定義)

         (証明終)

   

  

要するに、加法の定義を1回使うごとに、右側で足す数が1ずつ小さくなるのだ。1+2=3の証明では、加法の定義を1回使って、1+1(=2)へと帰着させる。2+3=5の証明では、加法の定義を2回使って、2+1(=3)へと帰着させる。

   

ちなみに、ペアノに似せた現代的なシステムだと、普通は0も自然数と考えて、「+0」へと帰着させる。例えば、1+2=3の証明なら、加法の定義を2回用いて、1+0(=1)へと帰着させることになる。

 

   

    ☆     ☆     ☆

では最後に、加法の結合法則の証明を行う。ペアノ自身の書き方は分かりにくいし、補足的説明も必要だから、ここでは私がわりとペアノに似た形で証明する。以下、a、b、cはNの要素。cに関する数学的帰納法を用いる。

   

a+(b+c)=(a+b)+cの証明

 a+(b+1)=(a+b)+1 (加法の定義) 

 a+(b+c)=(a+b)+c と仮定すると、

 a+(b+(c+1))

=a+((b+c)+1) (加法の定義)

=(a+(b+c))+1 (加法の定義)

=((a+b)+c)+1 (仮定)

=(a+b)+(c+1) (加法の定義)

 

公理9(数学的帰納法)により、

すべての自然数cについて、

a+(b+c)=(a+b)+c

          (証明終)

   

   

   ☆     ☆     ☆

上の仮定で、普通はc=kで成り立つと仮定すると・・などと書く所だが、ペアノは元の文字cのままで書くので、それを尊重した。文脈を作る接続詞が無いのも特徴。あと、ペアノ本人は、a+b+cを(a+b)+cで定義した後、a+(b+c)=a+b+cを証明してた(定理の23番、下図)。

  

200129d

        

この後また、別の記事も追加しようと思ってる(追記:既に追加済、下のリンク)。とりあえず、今日の所はこの辺で。。☆彡

   

   

  

cf.ペアノの自然数論、減法(引き算)、乗法(掛け算)、除法(割り算)~論文『算術原理』2

   

        (計 3871字)

   (追記61字 ; 合計3932字)

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魯迅『孤独者』が敷いた死のレール~2020年センター試験・原民喜『翳』全文を読んで

魯迅(ろじん=ルー・シュン)の文章を読んだのは、中学か高校の国語の教科書以来だろう。私は子ども時代からそれなりに、小説は好きだったが、魯迅には正直、良い印象は無かった。

   

まず作家名の漢字が読みにくくて、中国人の人名にも見えない。実際、今はじめて調べると、魯迅というのはいくつかある筆名(ペンネーム)の一つであって、本名は周樹人(チョウ・シュウレン)らしい。これなら少年時代でも、わりとしっくり来る人名だが、作家としてはむしろ違和感があるほどインパクトある名前が欲しかったということか。

      

小説か私小説か随筆(エッセイ)かはともかく、文章の内容も暗く重いもので、中国語から日本語への翻訳の問題もあるのか、堅苦しくてぎこちなく感じる。百年ほど前の文学者・思想家だから、時代背景や文化的背景もかなり分かりにくい。

    

ただ、流石に大人になった今読むと、評価が高いのは理解できる気がした。特殊な現実を多少変更して、独自の文体と視点で語る文章。左翼とか革命家、左派・リベラルなど、政治的立場は抜きにしても、孤独で「翳り」のある知識人には魅力的だろう。原民喜(はら・たみき)にとっても、彼の友人・知人たちにとっても。

   

もちろん人はみな、ある程度は知識人であり、孤独で翳りのある存在だが。。   

   

   

     ☆     ☆     ☆

2020年、最後のセンター試験の国語の第2問『翳(かげ)』を読んだ時の第一感は、全体的にいま一つだな・・というものだった。ツイッター検索をかけても、最近のセンター国語としては盛り上がりに欠けてて、面白ネタに期待するネット民も拍子抜けといった感じ。

              

ただ、読んだ後すぐ作者・原民喜の情報を調べて、鉄道自殺した作家だと知った時、問題文の見え方がかなり変化。印象が良くなった所で、すぐにこのブログでレビュー記事をアップした。当サイトにとって毎年恒例、正月明けの行事だ。

  

 妻、隣人、そして自分・・戦争をはさむ死の影のレール~原民喜の小説『翳』(2020年センター試験・国語)

   

その後、上の記事に書いた初出の情報を確認するために、『定本 原民喜全集』第一巻(青土社)をチェック。全文を読んで、短編小説『翳』の評価はさらに上がった。と言うより、全文を読まないと、この小説の価値は半減以下になってしまうと思う。もちろん、センター試験は小説の評価や鑑賞のためにあるのではなく、受験生の選別のためにあるわけだが。

    

ちなみに、初出は前の記事で推測した通りだった。雑誌『明日』第14号(日本人民文学会編、公友社、1948年・昭和23年11月号)。この3年前に広島で原爆被災、3年後の1951年に東京で自殺(または自死)。以下、いわゆる「ネタバレ」であって、受験生はもちろん、一般にほとんど知られてないと思われる情報を書くので、ご注意あれ。

   

  

    ☆     ☆     ☆

さて、原民喜『翳(かげ)』の全体は、二部構成になってる。センターの問題文は後半の「Ⅱ」(第二部)であって、全集の11ページの内、7ページ分。一番最後あたりに「魯迅」という作家名が出て、注20で簡単な説明があった。「中国の作家(一八八一 ─ 一九三六)。本文より前の部分で魯迅の作品に関する言及がある」。

      

そのⅡの前には、「Ⅰ」(第一部)が5ページ分あるのだ。画像はamazonより借用

  

200126a

      

冒頭でいきなり、魯迅と「影(かげ)」が結びつけられる。やや長くなるが、決定的に重要な箇所だから引用してみよう。引用全体は、最初の一段落を構成している。「旧字・旧仮名」と呼んでいいのかどうか知らないが、今とは違う原文のままの文章にしとこう。

  

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであつたが、あのなかの葬(とむら)ひの場面が不思議に心を離れなかつた。・・・とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳(かや)のなかで目が覚めた。茫と目が覚めてゐる私は、その時とらへどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。

   

・・・向側の蚊帳の中には、誰だか、はつきりしない人物が深い沈黙に鎖(とざ)されたまま横はつてゐる。その誰だか、はつきりしない影は、夢が覚めてから後、私の老いた母親のやうに思へたり、魯迅の姿のやうに想へたりするのだつた。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知つたのは恰度(ちょうど)亡母の四十九忌の頃であつた。 (第一段落終了、引用終了)

  

  

    ☆     ☆     ☆

母と魯迅の死を先取りする正夢、あるいは予知夢みたいな妖しい夢。そこには、満州事変の後、日中戦争(日華事変)や太平洋戦争・第二次世界大戦の前、という時代背景もあるし、現実の魯迅の小説もある。

  

200126b

   

そこで私は、久しぶりに魯迅の小説を読んでみた。国会図書館デジタルコレクションでは一般公開されてないし、青空文庫にも無いが、アマゾン電子書籍の読み放題、kindle unlimited(キンドル・アンリミテッド)に入ってたのだ。

  

魯迅『阿Q正伝』、増田渉訳、角川書店。この本自体は新しいが、底本が1961年の角川文庫だから、訳文がかなり古くて読みづらい。英語が非常に得意な人なら、むしろインターネット・アーカイブで無料公開されてる英訳の方がいいかも知れない。「The Misanthrope」というタイトルも、人間嫌い、付き合い嫌いの人という英語だから、意訳としては分かりやすい。

  

「孤独者」(孤獨者)は上の訳本の中盤に収録。冒頭の一文だけでも、内容の想像がつく。「私が魏連殳(ウエイリエンシュー)と親しくしたのは、考えてみると風変わりであった、というのが葬(とむら)いにはじまって、葬いに終わった」。

   

この訳文を活かして今の翻訳へと修正するなら、「というのも・・・からだ」といった感じだろう。「孤独」という表現が適当なのかどうかハッキリしないが、人付き合いの悪い変わり者の知識人と「私」(魯迅)が葬儀で出逢い、葬儀で別れるのだ。最初は、その彼の祖母の葬儀。最後は、彼自身の葬儀。

   

彼は、独自のこだわりを持って一人で生きていたが、やがて生活に困ったような形で仕事に就き、遊びも覚え、自嘲気味の現実的生活の中、病気で孤独に死ぬ。小説の一番最後は、この日本語訳では「かげ」という言葉で締めくくられるのだ。文章的にも内容的にも美しく文学的な終わり方なので、あえて引用しない。ちなみに前述の英訳では「かげ」に当たる英語は無い。

    

     

     ☆     ☆     ☆

さて、魯迅「孤独者」を読んだ後、原民喜「翳」と彼の人生を振り返ると、魯迅の敷いたレールの上を原が辿っているのが分かる。作者としても、一人の知識人としても。

    

もともと原がこの「孤独者」を読んだのは、文学畑の若い友人・岩井繁雄の言葉がキッカケだったようだが、この友人は文学から離れた職につき、召集されて戦地で病死する。愛人(内縁の妻)は、彼が戦地に行った後、別の愛人を作り、彼の死後は恩賜金を受け取った後、岩井の(?)老母を見捨てて立ち去ったとのこと。岩井が「孤独者」に見えて来る。

   

彼と出会った研究会の主催者、重々しく沈鬱な長広幸人も、戦地で病死。妻は資産目当てだったそうだから、これも「孤独者」の類。さらに、原に岩井を紹介した友人だけ、なぜか「S」と書かれてるが、おそらくこれも魯迅「孤独者」を意識したネーミングだろう。魯迅は冒頭の3行目くらいで、なぜかアルファベットを使って「私はS町にいた」と書いてるので。

   

結局、原民喜の周囲を取り巻く「死のレール」は、少なくとも15年間にわたって延びてたことになる。必ずしも時系列ではないが、魯迅「孤独者」のリエンシュー(実在モデルは范愛農=フアンアイノン)、原の母、魯迅、センター問題部分の魚芳、妻。そして、大勢の戦死者を挟んで、本物の鉄道レール上の自分。

   

  

     ☆     ☆     ☆

ちなみに、最近はほとんど乗ってないが、私はバイク(オートバイ)が好きだ。バイクの世界では、自分が進もうとする方向に視点をおく、視線を向けるのが操縦の基本になる。

    

特に、コーナー(曲がった道)では、意識的に内側を見る。もし外側を見てしまうと、遠心力に従って自然に外に進んでしまって、ガードレールに衝突したり転落したりしてしまうのだ。

    

人間が意識的・無意識的に持つ、心理的イメージの巨大な影響力。もちろん、誰もが死に向かう存在だし、長く生き延びることが良いこととも限らないわけだが、本人も周囲も多少は自覚的であるべきだとは思う。作品と向き合うにせよ、人と接するにせよ。

      

なお、今週は計14525字で終了。ではまた来週。。☆彡

   

      (計 3475字)

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白石麻衣、田中みな実、生田絵梨花・・・写真集ブームに思うこと

TBSの女子アナからフリーアナになって大ブレイクした、田中みな実、33歳。初写真集『Sicerely yours・・・』(シンシアリー・ユアーズ、宝島社、19年12月、伊藤彰紀撮影)が僅か1ヶ月で50万部突破と話題になってる。アマゾンでも現在、大きな「本」カテゴリーの中で、ベストセラー第1位☆

  

200111a

    

英語の書名を辞書的に訳すと『敬具』(手紙の最後の言葉)とかだけど、直訳に近い解釈なら、「心からあなたのものです」という意味だろう。写真集もわたし自身も、誠実にあなたに向けられた存在だから、どうか大切にしてください。親愛なるあなた。。

  

   

    ☆     ☆     ☆

さて、50万部という数字は、公称の累計「発行」部数であって、「販売」部数とか「実売」部数とは違うけど、記録的な大ヒットなのは間違いない。

   

税込1980円ということは、税抜き価格で1800円。印税10%として、1冊180円。180×50万=9000万円! 撮影の契約料とか抜きにして、印税だけで1億円近い稼ぎだけど、彼女にとっては正直、それほどの金額でもないのかも。お金より、こんなに好意的に受け入れられたことの方が嬉しいと思う。

  

彼女は、2014年までのTBS女子アナ時代にはかなり叩かれてたわけで、何なの、この変わりようは?・・と驚かされる。特に女子の反応が激変。私は、前からわりと好意的というか、同情的だった。テレビで見ることはほとんど無くて、ネットの芸能ニュースと写真ばっかだけど、フツーに可愛くてフツーに身体を張って頑張ってるなって印象。

    

そう控えめに思ってたら、14年にフリーアナウンサーになって以降、どんどん人気が上がって、いつの間にかトップクラスの女優と並ぶくらいの存在に。遂に、記録でも記憶でも日本の出版史上に残る女性まで登りつめた。

   

ネットとスマホの影響で出版不況が続く中、偉業だと素直に感心する。まあ、私は買わないけど(笑)。ツイッターで画像検索すると、あちこちで数枚ずつ中身が見れるから、全体を合わせれば十分なのだ♪ 別に1980円が惜しいわけではない(後述)。

  

  

    ☆     ☆     ☆

それにしても、ちょっと前まで、乃木坂46の白石麻衣の2nd写真集『パスポート』(講談社、17年2月、税込1980円、中村和孝撮影)が凄い売れ行きだと話題になってたのに、一気にかすんでしまった感もある。ただ、白石の場合、既に数十回も増刷してるから、累計発行38万部という数字はわりと実売部数に近いはず。印税7000万円くらいか♪

  

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去年だけなら、同じ乃木坂の生田絵梨花の2nd写真集『インターミッション』(ひと休みという意味、講談社、19年1月、税込1980円、中村和孝撮影)が記録的な売り上げで、年間「売上」29万部とされてる(オリコンBOOKランキングによる推測値)。印税5000万円♪

  

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正直、生田はさっきまで知らなかったし、名前しか知らなかったけど、可愛い系の顔のお嬢様なわけね。白石は正統派美人。田中はキレイなお姉さんって感じか。他にも、色んな写真集が数万部~数十万部の発行部数になってるらしい。ほとんどが若い女性タレントなのがちょっと不思議だけど、私もフツーの男子だから、男性タレントの写真集は興味ない♪

    

    

     ☆     ☆     ☆

歴代で見ると、おそらく断トツの1位が、宮沢りえ『Santa Fe』(サンタフェ、朝日出版社、91年、篠山紀信撮影)。2003年までの累計売上で165万部とされてる(ウィキペデイアによると、出典は出版科学研究所)。

   

2位は菅野美穂『NUDITY』(ヌーディティ、ルー出版、97年、宮澤正明撮影)という噂で、03年までに54万部とのこと(ウィキによると出典は出版科学研究所)。

   

菅野は82万部という数字も出てるけど、いずれにせよ、田中の写真集は歴代で2位とか3位になる。おまけに、宮沢と菅野はヘアヌード写真集だから、ヌードにはなってないものだと、田中が歴代1位! ある程度以上話題になると一気に拡散・ヒートアップしていく、最近の日本を表す社会現象だ。多分、お尻と大きめの胸のサービスショットが少しあるだけなのに。

     

ちなみに、歴代の写真集のランキングをネットで検索すると、正確で信頼できる出典を示してるサイトはほとんど無い。ウィキペディアも、雑誌記事の引用データを示してるだけで、元の出版科学研究所の文献をきっちり示してるわけではない。オリコンのブック・ランキングも、2008年の開始だから、ここ10年ちょっとの記録しかない。

   

ウチで正確な出版情報を集めてマニアックな記事を書いてもいいけど、残念ながら、写真集にあまり興味がなくなってる。以前はフツーに買ってたし、大部分は自宅か貸倉庫のどこかに残ってるだろうけど。。♪

   

   

     ☆     ☆     ☆

というわけで、個人的な話に移ろう。過去14年半のブログ毎日更新の中で、写真集というものを記事タイトルに掲げたことがあったかな?・・と思って、ブログ内検索をかけると、5000本以上の記事の中で1本だけあった。何と13年以上も前! 平成ブロガーはまだ中学生くらいか♪

  

完全に忘れてたけど、そうそう。長澤まさみ『セーラー服と機関銃』の公式ビジュアルブックを買ったんだった。その数か月前には、当時ハマってた藤木直人&戸田恵梨香らのドラマ、『ギャルサー』のビジュアルブックも買ってた。さらにその少し前にはドラマ『白夜行』のガイドブック。古っ!・・っていうか、懐かしい。。

   

どれも、ブログをやってなかったら買ってないと思う。当時はまだブログ1年目で、ネットの世界でブログというものの存在感も大きかったから、ちょっとだけ投資してみた感じだ。その後13年間は、たぶん1冊も買ってないような気がする。その前は?♪

   

   

     ☆     ☆     ☆    

私が買わなくなった理由は、主に2つ。まず、インターネットで簡単に画像が手に入るようになったから。あと、正直、写真集はハズレが多いのだ(個人の感想)。買ってよかったと心底満足したことはほとんど無い。「そんなに買ったの?」っていう突っ込み、どうもどうも(笑)。何冊かは買ったと思う。例外的に満足した本については、個人情報保護ってことで♪

    

写真集は、SNSが流行る前まではほとんど中身が分からなかったから、宝くじを買うような感じだった。1000円~2500円くらいで、凄い写真をこっそり見れるんじゃないかと。もちろん、紙質や本の装丁も、雑誌よりは立派。

      

ワクワクしながらフィルムシートを開封してペラペラめくると、ほとんど「使えない」のだ♪ コラコラ! ツイッターを見てると、実用性について語る男子に対して、ごく一部の女子が怒ってる(笑)

   

まあ確かに、私も最初、実用性なんて話は考えもしなかったけど。周りから聞いて、エッ、写真集ってみんなそうなの?って感じで驚いたら、本気でバカにされたのをよく覚えてる。バイト先の先輩のMさんが、「他に何すんだよ? ジーッと真面目に見るのか?」と鼻で笑ってた(実名イニシャル♪)。

  

ただ、白石や田中の場合、買ってるのは女性が多いとも言われてる。女性は、どう使うのかね? こんな風にステキ女子(死語♪)になりたいと思いつつ、ダイエットやヨガ、筋トレ、エステに励むわけか。スイーツやタピオカを別腹で味わいつつ。。

    

   

    ☆     ☆     ☆

とにかく、今では写真集なんて文字通り「お荷物」になってるから、処分したいんだけど、ゴミ捨てに出すのは抵抗があるし、ごくたまにゴミ袋を開けられてるようだから恥ずかしい(笑)。古本屋に持ち込むのも、ネットで依頼するのも無理。折角メルカリに登録したんだから、販売も初体験してみようかな。もちろん、キレイな写真集を選んで・・って、他は?!

   

試しにAMAZONとメルカリで、田中みな実や白石麻衣の写真集の相場を見ると、あんまし値下がりしてない。白石はいまだに1000円以上くらいをキープ。田中はまだ出たばっかだから、1500円くらいだった。やっぱり、大切に保存しなきゃダメだね。

       

本当に好きなファンは、2冊か3冊買って、1冊は完全に保存するという話も聞いたことがある。それを考えると、「何人」の人が買ったのか?・・というアンケート調査も欲しいところだ。のべ人数じゃなくて、実際の人数。中古本の統計は無理だろうから、新品だけでもデータが欲しい。

  

あぁ、ほんの一言だけ書くつもりだったのに、いくらでも感想を書いてしまうね (^^ゞ やっぱり、何となく興味はあるってことか。アマゾンのkindle unlimited(電子書籍キンドル読み放題)には、有名タレントの写真集はほとんど無いよな・・とか思いつつ、今日はそろそろこの辺で。。☆彡

   

        (計 3506字)

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闇の山頂にきらめく黄色い光~梶井基次郎の短編小説『檸檬』(レモン)

これはクリスマスとお正月の直前にピッタシの小説だ♪ 米津玄師・・じゃなくて梶井基次郎(かじいもとじろう)の代表作、『檸檬』(レモン)。妙に華やいだ時期にこそ、この暗さがバランス的にちょうどいい。

  

現代日本のカリスマ・米津の大ヒット曲『Lemon』の歌詞を見ると、レモンという言葉は1回しか使われてない。それに対して、明治・大正・昭和の作家・梶井の短編小説『檸檬』には、後半にレモンのエピソードが登場。強烈な印象を残して、そのまま終わってる。

  

いずれにせよレモンは、鮮やかな黄色、柑橘類の酸味、適度な硬さの手触りなどで独特の個性を放ってる、身近な果物の代表。あるいは最高峰だろう。

   

    

     ☆     ☆     ☆

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私が今回、この小説を読んで感想を書こうと思ったのは、NHKのラジオ英語講座『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』で英語の翻訳文を聴いたのが直接のキッカケ。上は2019年6月のテキスト(半年後の現在、再放送中)。切り絵風の可愛いイラストは、丹野杏香。

 

 

ただ、よく考えてみると、実家のイメージが無意識に影響を及ぼしてたのかも。正月前だから、実家が心の底で浮かんでて、庭のレモンの木と子供時代のレモン石鹸へと連想がつながったとか。

    

試しに今、検索してみると、昭和21年(1946年)発売のカネヨレモンは、70年後の今でもまだ販売されてた♪ 化粧石けんという位置づけだったのか。「レモン果汁は入っておりません」という説明が微笑みを誘う♪

    

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果実のレモンも硬いけど、レモン石鹸も硬かった記憶がある。表の車庫の前と、台所の裏に、赤いネットに入れて吊るされてた。特に父親が、仕事帰りとかに車庫の前でよく手を洗ってた。そのせいもあって、レモンには大人の世界を感じるのだ。冬の夜、たまに母親が作ってくれた熱いレモネードも美味しかった。

  

瀬戸内海という地域も関係してたのかも。そう言えば米津も、四国の徳島県出身。昨年末のNHK紅白歌合戦でも、故郷の美術館で歌う姿が生中継されてた。

    

    

     ☆     ☆     ☆

さて、梶井の『檸檬』は国語教育の世界で有名という話があるけど、私の記憶には残ってない。本当は教科書に載ってたのに、授業で扱わなかったのか、当時の私には硬質の文学作品の味わいが全く分からなかったのかも。

  

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初出は大正14年(1925年)で、同人誌『青空』の創刊号にひっそりと発表。ただ、全く知らなかった私が英語で聴いてもすぐに興味を持ったくらいだから、読者を惹きつける魅力は光ってる。

    

上は国立国会図書館デジタルコレクションより(著作権は消滅済み)。たまたまレモン石鹸と同じ年に、東京楽譜出版から出た版だ。旧字・旧仮名の表記がレトロな雰囲気。読みやすさなら、無料の電子図書館・青空文庫がおすすめ

   

冒頭の出だしでいきなり、暗くて陰鬱なムードが漂って来る。「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦燥と云(い)おうか、嫌悪と云おうか ── ・・・」。

   

ちなみに、魂(たましい)ではなく、塊(かたまり)で、やがてこれに取って代わろうとする救世主こそ、黄色い塊、檸檬(レモン)なのだ。

    

英訳(全訳ではなく抄訳)だと、こうなってた。「Something strange and dark pushed down on my heart and didn't stop pushing.」。

    

正直、耳にした途端、あまりの暗さに顔をしかめたほど♪ すべて英語だけで聴くから、重い私小説だと、こちらも「圧えつけ」られてしまった♪

   

   

     ☆     ☆     ☆

主人公は心身の調子も悪くて、金もほとんど無い様子だ。作者である梶井基次郎本人も、肺結核のために31歳で早逝。家庭環境も複雑で、貧乏と言うより、父親の金遣いが荒いために苦しんでたような感じだ。当時の東京帝国大学(今の東大)の英文科も、病気で中退。ブリタニカ国際大百科事典の解説はこちら

    

物語の後半、主人公がお気に入りの果物店で、檸檬を1つ買う。その店としては、檸檬を置いてるのが珍しかったからとされてるが、本人の側の変化によって、元々あったレモンに目が留まったのかも知れない。

  

いったい私はあの檸檬が好きだ。・・・── 結局私はそれを一つだけ買うことにした。・・・不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった」。

  

英訳だと、「The black feelings pressing down on my heart were lighter after I held the lemon in my hands.So I was really happy walking in town」。

  

     

     ☆     ☆     ☆

そこで、昔好きだったのに最近はプレッシャーを感じてたお店、丸善へ入ってみる。「しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった」。「I went to Maruzen. But the happiness in my heart gradually began to escape from me.」。

   

この理由はハッキリと説明されてないが、要するに、現実社会の方が、遥かに重くて大きいことを思い知らされたからだろう。レモン1個の色、重さ、値段など、丸善の様々な商品と比べると吹き飛んでしまう。実際、この辺りの文章では、重さというものが強調されてる。手で持てないほど、画集が重いのだ。

   

そこで最後、主人公は幻想的にその重さを消す遊びを試みる。色とりどりの画集を積み上げて、「奇怪で幻想的な城」(The mysterious castle of books)を構築。その一番上に、檸檬を置いて、その店を出てしまうのだ。英文では、日本語原文に無い「tower」(タワー)という単語を使用してた。ツリーやピラミッドの類義語だ。

    

もし梶井の実話だとしたら、とんでもない迷惑客♪ ただ、時代的には、そうした軽犯罪は笑って見逃してもらえるゆとりがあったはず。現代社会だと、そういった許容度は低い。

   

下はオリオンブックスの電子書籍の表紙(AMAZON)。イラストの作者の名前は無いが、かなり原作に忠実な絵だ。

   

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たまたまなのか、間接的な関連性があるからか、今日(ハッピーホリデー)のGoogleのロゴが似た画像になってた。ロウソクの上側で黄色い円形が光を表してた。

  

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     ☆     ☆     ☆

梶井が作り上げた城は、精神分析的には男性的な象徴、ツリーだと解釈できる。現実社会の巨大なピラミッド構造の重さに去勢されてしまったような自分を、想像的なファロスで一時的に支えようとする振舞いだ。先端のレモンこそ、欠如している自分の存在の核を指し示すメタファー。主人公が愛する「花火」みたいに一瞬で消え去る、つかの間の逃避的な自己防衛。

      

実際、小説の冒頭には、「神経衰弱」という言葉もあった。より正確には、当時の言葉で不安神経症に近い状態で、少し躁うつ病も混ざってたのかも知れない。普段はずっと憂鬱で、たまに妙に元気が出るとか。

    

ただし、この城作りは病的というより、遊び心のようなストレス発散を感じるのが救いだ。意外と、この後も彼を支える心象風景として残ったのかも。「今でもあなたはわたしの光」(米津『Lemon』)。

   

いつの間にか、時間も字数も無くなってしまったので、今日の所はこの辺にしとこう。もしセンター試験(新テスト)で出題されたら、改めて感想&解説記事をアップするけど、客観テストだと問題が作りにくいかも。それでは、また明日。。☆彡

   

     (計 3025字)

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オー・ヘンリー『賢者の贈りもの』(The Gift of the Magi)、英語で再読した感想

なるほど。これは普通の高校生には辛い英文だ♪ 『The Gift of the Magi(メイジャイ)』。今でも授業で使ってる先生、いるのかね?

    

私が読んだというか、無理やり読まされたのは、高校1年か2年の英語の授業だった気がする。平成ブロガーにとっては、10年くらい前か♪ 同じ作者オー・ヘンリー(O.Henry、米国)の『最後の一葉』の記憶とごちゃ混ぜになってるかも。下は英語版ウィキペディアより

  

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多分あの先生の授業だったな・・と、名前と顔は何となく浮かんで来る。同級生もみんな忘れてるだろうね。目立たない先生の、目立たない授業(失礼♪)。辞書引きまくりで直訳くらいは出来ても、色んな意味でピンと来ないし、最後のオチの中身も語り口も分かりにくい。唐突な断定に見えてしまう。

       

教室内は沈んだ空気が立ち込めてて、まるでこの物語の冒頭みたいな雰囲気かも。俗世間の小市民の世界なのだ。

    

   

    ☆     ☆     ☆

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さて、この記事を書こうと思ったキッカケは、毎日更新のネタに困ったから(笑)・・ではなくて、朝日新聞で見かけたから(HPの記事はこちら)。19年12月4日の夕刊、「時代の栞」シリーズで、見出しでは「1952年刊の短編集収録」と書いてるけど、それは岩波文庫の翻訳本の出版日付け。下はアマゾンの中古本(価格は1円+送料etc)。

  

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原作は1905年の新聞小説だから、100年以上も前の短編小説だ。現代日本とは全く違う背景のストーリーで、その点に注意する必要がある。貨幣価値だと10倍~20倍くらいの違いか。20ドルは今の日本円で2000円ほどだから、仮に15倍すると3万円。給料や家賃の話を考えても、ほぼ合ってると思う。

  

下は英語版ウィキペディアより。初版本(1906年)のカバーではないけど、色合いも渋くて分かりやすいイラストだと思う。この絵だけでもう、文章は要らないほど♪ 悲しみを内に秘めた、男女の深い愛なのだ。女性の髪はもうちょっと短くて奇妙な方が話に合ってるだろうけど、イメージ的に美化された姿ということで。。

   

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     ☆     ☆     ☆

さて、どうして朝日がこの小説や本を選んだかというと、クリスマスの前だからだろう。あらすじはどこにでも書かれてるけど、何も見ずに私自身の言葉でまとめると、次の通り。

   

─── クリスマス前日の若くて貧しい夫婦。宝物は2つだけ。妻・デラの美しく長い髪と、夫・ジムが祖父から受け継ぐ懐中時計。妻は愛する夫のために、素敵なプレゼントを贈りたいのに、ほとんどお金が無くてしばらく泣く。その後、髪の毛を売りに行ってバッサリ切り落とし、その代金で夫の時計に合う上品なプラチナの鎖を購入。

   

やがて夫が帰宅。妻の姿を見て、言葉を失う。彼は彼女へのプレゼントとして、長髪に合う高価な櫛(くし)を買ってたのだ。櫛を見て泣き叫ぶデラをなだめた後、今度は彼女がプレゼントの鎖を見せる。するとジムは、櫛を買うために時計を売ったと伝え、行き場を失ったプレゼント2つはしばらくしまっておこうと話す。そして、普通のチョップ(骨付き肉)でクリスマスイブのお祝いを静かに始めた。

   

ところで、クリスマス・プレゼントの始まりは、生まれたばかりのイエス・キリストに贈り物を持って来た東方の賢人たち(マギ)だった。若夫婦は愚かだったが、最も賢明なのだ。彼らこそ、東方の賢人たちなのである。 ───

  

   

     ☆     ☆     ☆

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では、この英語の読みにくさ、難しさを確認してみよう。著者の死後、作品の公開後、いずれも100年経ってるから、著作権は消滅済みで、原文はウィキソースで公開中。日本語訳は青空文庫にあるし、この物語だけならamazonの電子書籍(kindle本)の無料サンプルで全文読めてしまう。

   

全文が読みにくいけど、最初にハッキリ引っかかるのは上の箇所とか。

・・人生は、むせび泣き、すすり泣き、そして微笑みからできてる。ただし、すすり泣きが圧倒的に多いけど。

家の女主人が、第一段階から第二段階へと移って行く中・・

(以下の訳文も含め、私の翻訳)。

  

要するに、激しくむせび泣きした後、ちょっと落ち着いてすすり泣きに変わる間に、という意味だけど、一読して「stage」(ステージ)が泣き方の種類や段階を表してると理解するのは難しい。私も最初は、意味を保留したまま先に進んだ。そもそも大人の男は滅多に泣かないから、泣き方をレベル分けする発想がない。

   

   

    ☆     ☆     ☆

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そんな箇所より遥かに難しいのは、しばらく先の上の箇所。作者本人が「dark assertion」(謎めいた主張)と書いてるほど♪

  

週8ドルと、年100万ドル ── その違いは何か? 数学者や才人は、あなたに間違った答を与えるだろう。例の東方の賢人たちは価値ある贈りものを持って来たが、違いの正解は贈りものの中にもない。この謎めいた主張は、後で明らかにされるだろう」。

   

私は数学好きだから、週8ドルなら年400ドルとすぐ暗算。年100万ドルとの違いは、2500倍♪ これこそ、間違った答の典型か。

   

一方、聖書に登場する東方の賢人たちが、生まれたばかりのイエスに贈ったのは、黄金と香(乳香:frankincense)と薬(没薬:myrrh)。その中に、週8ドルと年100万ドルの違いの正解なんてあるわけない♪ 下は英語版ウィキソースの新約聖書(米国標準版)、マタイによる福音書・第2章11節。

  

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私の解釈だと要するに、“あの賢人たちでさえ贈らなかった最高のものを夫婦はプレゼントしあった。だから、週8ドルと年100万ドルの違いなんて無いどころか、週8ドルの人生の方が遥かに価値あるものなのだ”、ということだろう。

     

    

    ☆     ☆     ☆

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そう解釈してはじめて、物語のラスト、唐突な大絶賛の断言も何とか理解できる。夫婦を愚かな未熟者(foolish children)と呼んだ直後、一転して、最も賢い(wisest)と繰り返して終わるのだ。

  

贈り物を与え、受け取る者たちの中で、彼らのような者こそ最も賢明だ。どんな場所でも、彼らが一番賢い。彼らこそ、東方の賢人たちなのだ」。

  

この直前には過去形で書いてたのに、ここでは現在形。つまり永遠の真理として書かれてる。若夫婦は、自分の最も大切な物を売ってでも相手に素晴らしい贈りものを与えた。つまり、例の賢人たちにさえ(直接的には)見られない、最大の自己犠牲を実行して、お互いの愛を深めたからこそ、最も賢いのだ。

  

ちなみに、ちょっと似た話が、NHKの人気番組『チコちゃん』で話題になってたが(仏教説話)、あの場合のウサギの自己犠牲は、一般市民にとってはやり過ぎだ♪ 自分が死んでしまったから。それに対して、髪の毛はまた伸びるし、時計もまた買える。もしかすると、質屋から買い戻せるかも知れないから、やり過ぎではない。

   

   

     ☆     ☆     ☆

とはいえ、東方の賢人たちにも、独自の賢明さがある。救世主の誕生をあらかじめ認識したし、贈り物をした後は、キリストの身に配慮して、余計な事を言わなかったらしいから。

   

結局、東方の賢人たちにせよ、若夫婦にせよ、最も困難で最も価値あることを成し遂げたことになる。だから、共に「the Magi」(賢人たち)なのだ。もちろん、こんな読解や理由の説明は、話題の大学入学共通テストの記述式問題には使えないけど♪

    

フルマラソンの影響で、いまだにすぐ眠くなってしまうから、私はそろそろ自分に眠りをプレゼントしよう。これこそ、最も賢い贈り物だろう。今現在、個人的には♪ 現代日本の全体だと、朝日新聞の小見出しのように、「相手思う気持ち 多彩に」ということか。特に、無理しない範囲での個人的なプレゼントやお祝いが主流。派手で豪華だったバブル期からは激変した。

    

ごく一部の超富裕層は、バブル期どころじゃない凄いプレゼントをしてるんだろうな・・とか想像しつつ、ではまた明日。。☆彡

  

     (計 3197字)

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国立国会図書館の本・雑誌のコピー(遠隔複写)、ネット利用者登録で郵送してもらう方法

知らなかった・・と思うことは山ほどあるけど、これは驚いた。国立国会図書館のサイトが沢山あったのだ♪ そこか!

   

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いや、これは重要なことだと思う。私が今まで使ってたのは、検索の「国立国会図書館サーチ」と、古い資料をネット公開してる「国立国会図書館デジタルコレクション」がほとんど。だから、一部のデジタル資料を他の図書館に送信してもらうことくらいしか、オンラインサービスに気付かなかった。

    

それだと、普通には見ることができない本や雑誌を見ようと思ったら、わざわざ行きにくい国立国会図書館まで出かけたり、別の特定の図書館へのデジタル化資料送信サービスを使うしかない。どちらも面倒だから、今までずっと色んな文献を諦めてた。

  

もちろん、その種のものは、ネットの古本や個人売買・オークションにも無いのが普通だし、日本語の文献はGoogle Booksとかの無料公開も少ない。マニアとしては、不自由な思いをして来たのだ。

  

  

     ☆     ☆     ☆

ところが最近ようやく、国立国会図書館HPが色々と分かれてることを発見。そこから先はわりと簡単で、ネットの操作だけでコピーを手に入れることが出来た。実に素晴らしい! ちょっと料金の総額が高いけど♪

  

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手続きのスタートは、一番メインのHPで「サービス・・」のメニューを選択する所から。遠隔複写サービスと、複写料金表の項目が表示される。

   

個人が使うためには、「個人の登録」利用者になるか、「インターネット限定登録」利用者になるか。ここでは、地方の方にも便利で簡単な、インターネット限定登録を見てみる。実はこれがちょっと分かりにくくて、挫けそうになった♪

   

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苦労したのは、上のログイン画面がなかなか出なかったから。似たHPが色々ある中で、「国立国会図書館オンライン」にアクセスして、右上のログインをクリックとかタップすればいい。そして、上図の左下の「新規利用者登録」を選択。

  

後はよくあるパターンで、メールアドレス入力→自動返信メールを受信→返信メールのリンク先にアクセス→登録完了。スムーズに進んだ。

  

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     ☆     ☆     ☆

最後はいよいよ本題の遠隔複写サービス申込。ログインして、文献を検索。書誌詳細画面の右下に、「遠隔複写」のボタンが表示されてるから、押して入力すればいい。ただ、ログインしてないとボタンは出ない(多分)。

  

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後はコピーする箇所を正確に入力。さすが国会、細かい指示がある。

 

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(合計金額)=単価23円×数量+手数料200円+消費税10%+送料。

  

例えば10枚で送料が180円とすると、

 23×10+200+43+180=653円。

  

支払い用紙が同封されて来るから、コンビニで後払いするだけ。手数料は消費税込みでも100円以下だった。まあ、自分でわざわざ国会図書館に行ったとしても、旅費やコピー代はかかるから、単なるコピーなら遠隔複写の方がお得だと思う。

   

   

     ☆     ☆     ☆

申込から到着までの日数は1週間くらいで、途中の作業の進行状況はネットで確認できた。時間的には、国立国会図書館まで直接出かける方が遥かに早いけど、そこまで急ぐ人は僅かだろう。

   

あぁ、ノーベル生理学医学賞に続いて、ノーベル物理学賞も日本人は受賞できなかったのか・・とか思いつつ、ではまた明日。。☆彡

   

       (計 1349字)

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『M 愛すべき人がいて』~浜崎あゆみ&エイベックス会長・松浦勝人(マサ)の「事実に基づくフィクション」

☆20年4月23日追記: ドラマ第1話のレビューを新たに別記事としてアップした。

 浜崎&マサ(avex会長)、B級の妖しい魅力~ドラマ版『M 愛すべき人がいて』第1話 

   

   

amazonの電子書籍サービスkindleを使うようになって、売れ線の本の立ち読みは無料サンプルで済ませることが増えてる。ログインしてれば、ボタンを1回押すだけでダウンロード。あまりに手軽だから先日、間違えて購入ボタンを押してしまったほど (^^ゞ 慌てて取り消すのに苦労したって話はまた後ほど、別記事にまとめる予定(セコッ・・)。

   

ただ、売れ線でない本や古い本は無料サンプルが無いから、本屋で立ち読みするか図書館で借りるか、洋書ならGoogle booksとかで無料公開を探すか♪ 無料ばっかか! いや、本を買うことには抵抗ないんだけど、だからこそ買い過ぎて家がパンク状態になってる。マジでヤバイから、最近は極力、本を買わないようにしてるわけ。

   

それでいて、本より遥かに邪魔くさい新聞の購読は続けてる (^^ゞ マジメに全体を読むと、1ヶ月4000円の価値は十分あるし、電子版だけにしてもほとんど安くならないから、紙で契約した方がお得。最近は記事内容に引っかかることも多いけど、毎日の忍耐力トレーニングってことで♪

   

   

    ☆     ☆     ☆

さて、浜崎あゆみなんて今までブログに書いたかな?・・と思ってブログ内検索をかけてみると、過去14年間、5000本超の記事の中で数本がヒット。ただし、レビューは無し、単なるコネタ中心で、正直今まであんまし興味は無かった(失礼)。

  

同時代の大物ライバル・安室奈美恵と違って、曲もほとんど知らない・・っていうか、曲名もメロディーも一つも浮かばないほど♪ 紅白歌合戦のやたら後ろが長いウェディングドレスなら覚えてる(古っ・・)。 

   

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ただ、歌姫の顔と名前はあちこちで目にするから、自然と頭にインプットされてる。先日からは、暴露本(?)出版とかいう話がネット上で溢れてたから、ブログのコネタに使えるかな?・・って程度の興味で無料サンプルをダウンロード。「日本文学」カテゴリーでベストセラーランキング1位☆  

  

売れ線の企画が上手い幻冬舎による、『M 愛すべき人がいて』。著者は浜崎あゆみ・・じゃなくて小松成美(こまつなるみ)。19年8月9日現在、浜崎のインスタやツイッターには情報が見当たらないけど、小松のツイッターでは軽くPRされてる。

  

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驚いたのは、暴露(?)されたエイベックスの代表取締役会長CEO、松浦勝人(まつうら・まさと)のインスタグラム。本の表紙に使われた写真が堂々と、直近の投稿になってた(上図)。コメントは何もつけてないけど、本人提供の写真って話は事実なわけか。

   

それどころか、過去記事を探ると、本の中に出てたわりと最近の「壁ドン」写真もあった。2018年秋に壁ドンっていうのは、恐ろしく流行遅れだと思うけど、それを逆手に取ったレトロギャグなのかね♪ まったく社長っぽくない、むしろ少年みたいな感じが彼のウリの一つらしい。ちなみに現在、松浦54歳、あゆ40歳♪

      

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     ☆     ☆     ☆

本題に入ろう。ノンフィクション小説の冒頭、序章よりも前の扉には、「事実に基づくフィクションである。」と一言だけ書いてた。

   

一方、本の末尾には1ページだけ、浜崎自身の言葉がある。リアルとファンタジーの融合で、どこまで本当かは自分たちだけが分かってればいい。ただ、一生に一度、自分の身を滅ぼすほど、ひとりの男性を愛したと。

     

ということは、私は無料サンプルだけじゃなく、実物の本も立ち読みしてしまったのだ。しかも超珍しく、最初から最後まで(コラッ・・笑)。20分くらい、書店員の冷たい視線を背中に浴びながら♪

   

いや、浜崎にあんまし興味がなかった私でも、面白くて止まらなかったわけ。平成の全体を駆け抜けた超有名人2人の恋愛話として。また、浜崎本人による心情豊かな自伝として。1ページあたり、38文字×15行=570文字。200ページちょっとだから、11万字ちょっと。空白部分がかなりあるから、実質的に7~8万字かな(細かっ・・)。

    

マニアック・ブロガーとして気に入ったのは、フィクションと言いつつ、簡単に確認できる本当の年月や具体的エピソードが溢れてる点。ウィキペディアの来歴と比較しても完全に合ってるし、本に書いてた銀座のお店でのお食事も、本人のインスタで確認できた。確かに、会長を「マサ」と呼んでる。マサは少年みたいな服装なのに、あゆは大人の女のミニドレス。

  

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     ☆     ☆     ☆

無料サンプルで読めるのは、「序章 Mとの再会」。何気なく、こんな分かりやす過ぎる説明もある。「Mは、マサの頭文字。マサは、私の愛した人」。Mが携帯の登録名だということも、エイベックス取締役会長CEOという肩書も書いてたから、完全に名指し状態。

  

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日本に帰国した時、思いがけずマサが空港で一人で出迎えてくれたのを見て、「嬉しさの涙がせり上がるのを止められなかった。この人のために、この人と過ごすために、私は生きている。そう考え呟いた歳月は昨日のことのようだ」。。

  

そこまで書いていいの? 私はすぐ、マサの家族関係を調べたけど、再婚して子ども3人かな。おまけに奥さん・畑田亜希の写真は、浜崎ソックリと言っても言い過ぎじゃないほど、よく似てる。奥さんの許可は得てるのかね? 子どもがどう思うのかも、ちょっと心配。お父さんに似た人の小説というより、お父さん自身に関する現在進行形の恋愛ノンフィクションだから。

    

浜崎は2回結婚して離婚してるようだから、現在はバツニの独身、子ども無しが事実か(ハーフの隠し子とかの噂あり)。まあ、新しい恋人のウワサは流れてるけど、仮にそれが本当として、その彼はこの本をどう思うのかね。本人から直接聞いてるから驚きは無いのかな? それも個人情報保護的にちょっとビミョーかも。

   

そう言えば、浜崎のお父さんの思い出もちょっとだけ書いてあった。小さい頃、突然いなくなったお父さんの代わりがマサ。ファザコン的な愛だったからこそ、別れて間もない頃、心理的ストレスも加わって内耳性突発難聴になったのかも。

   

   

     ☆     ☆     ☆

男の私が読んで一番インパクトがあったのは、松浦氏が本名・濱﨑歩(はまさきあゆみ)を見初めてからの、遠大なプロデュース。ちょっと可愛いコがいたから試しに売り出してみたって程度の話ではない。

  

ジュリアナ東京の後を継ぐ形の巨大ディスコ・ヴェルファーレのVIPルームで出会ってから、足かけ3年(!)もかけてCDデビューさせてる。その間に、ニューヨークで単身修行させたり、歌手としてのレッスンを積ませたり、大掛かりなプロデュースを企画・実行したり。マサは最初、あゆの顔も名前も忘れてたらしい(笑)。いくらでも周囲に若い女の子がいたと。

    

ところが途中、浜崎の方から実名の手紙で告白すると、離婚直後だったマサは当時の彼女とも別れて、いきなり双方の親に交際宣言までしたらしい。完全に本気モード。ちょっと、小室哲哉と華原朋美の関係を思い出す所でもある。身分の差も年齢差もほぼ同じ。

                

面白いのは、浜崎の自虐ネタみたいなものもかなり入ってること。子どもの頃から協調性がないし、友達も少ないし、歌も下手だったし、「バカ」扱いされたし(笑)。当初は業界内で、周囲の人達の評価も低かったような話も繰り返し書かれてた。あのコは売れないよ、ハズレだよ・・って感じ。

     

そんな中で、強烈にプッシュし続けてくれたのがマサだったからこそ、後のエイベックス内部の争いでも、浜崎は松浦擁護に回ったわけか。意外とあっさり別れた後も、浜崎はアルバムのクレジットに、「max matsuura」のプロデュースだと書き続けてたらしい。それがマサの心の支えにもなってたと。

   

要するに、ある意味、ずっと愛し合って来たわけだ。どっちも、その時々で家族や恋人がいたにも関わらず。四半世紀、足かけ25年もの大恋愛。。

   

   

     ☆     ☆     ☆

ちなみに去年の秋、安室奈美恵は惜しまれつつ引退したけど、浜崎はこれからもずっと歌い続けるつもりらしい。マサが今後もずっと(20年後の還暦まで?)支えてくれるとの事。

     

いずれ、松浦氏の側からも「事実に基づくフィクション」が出版されると興味深い。例えば、子ども(後継者)に対する価値観の相違とか。 ひょっとすると、あゆのプロデュースが軌道に乗ったから自分は身を引いた・・って感じの話が出て来るのかも。経営者としても一回り年上の男性としても、納得できる選択だと思う。

  

そんな想像もできるような良好で親密な関係に戻れたからこそ、こんな詳細な打ち明け話も出版できたわけだろう。恨みや不満なんて微塵もなくて、むしろ信頼や深い愛を感じる物語だった。

   

私は全く知らなかったけど、自作とされる歌詞がたっぷり掲載されてたから、その時々の恋愛模様と比較するのも面白い。もちろん、個人的な背景とは別の独立した詩として、独創的イマジネーションとして純粋に味わうのもアリ。その種の話は、芸術・アートの解釈に付き物だ。例えば、ダヴィンチのモナリザは実は・・って感じの蘊蓄(ウンチク)的説明とか。

   

   

     ☆     ☆     ☆

というわけで私としては、自慢とか痛いどころか、予想外に面白かったし、浜崎あゆみに対する印象が大幅に良くなった。(安室と違って)最初からビビリつつグループ活動やユニットを断ってるのも潔いと感じた。その意味では、エイベックスの再プロデュース戦略に見事にハマってしまったのかも♪ まあ、今のところ、無料サンプルと立ち読みで応援するのみだけど(笑)

    

それにしても、超大物の男は何でも手に入るんだなと改めて嫉妬・・じゃなくて感心しつつ、単なる小市民の感想はそろそろこの辺で。。☆彡

   

       (計 3890字)

  (追記82字 ; 3972字)

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