誰かのために、自分のために 野ブタ最終回
(☆2020年6月20日の追記: 再放送を受けて、この記事とは別の新たな長編レビューをアップ。
「山崎と海亀」がヤバイ♪、修二と彰は2人で1つ~『野ブタ。をプロデュース』最終回(再放送) )
「野ブタ。をプロデュース」第10話(最終回) 青春アミーゴ
いやいや、一部の熱心な方、お待たせしました。。最後ってことで、あれこれ考えてたらもう時間切れ。。(^^ゞ 仕方ないから、とりあえずこの程度でアップ。手短に読み流したい方は、少しスクロールして、あらすじの下からどうぞ♪
前回の冒頭、外側の視点と内側の視点っていう話をした。もちろん大雑把な区別だけど、そうゆう話をしたのは、ドラマの内容だけで考えると納得いかなかったり説明できなかったりっていう事態と直面することが度々あるからだ。
例えば、前回のカスミの言動全体は、作られたドラマの内部に入り込んで見てると、納得いかないことや説明しにくいことが多い。この時に、ドラマの外側に出て、ドラマを作る立場を考えると、「あぁ、時間が無くなったんだな」とか理解できる。もちろん、時間が無くなるような状況をもたらした点に関しては製作者サイドに責任の多くがあるだろうけど、とりあえず内部だけ見て理解に苦しんでるだけの状況よりは、多少の前進だろうと思う。
長々と抽象的な前置きをしてるのは、この最終回も、内側だけだと個人的に不満な点があったからだ。十分面白かったし、あちこちで笑えたし、緻密な演出も色々と見て取ることができた。ジーンと感動する場面もあった。ただ個人的には、肝心のラストが納得いかなかった。転校した修二に彰がくっついて行って、信子が一人残される終わり方に、不自然さを感じざるを得ない。
修二の一人立ちと見せかけて実は野ブタの一人立ちっていうヒネリはいい。でも、男子高校生の都会から田舎への引越し&転校に、男友達が付いて行くなんて事は、現実にはまずあり得ない。
もちろん、ジャニーズ・ファンじゃなくても、あの男の友情シーンに好感を持つ人は少なくないだろう。それはそれで、ありだとは思う。また、もし現実に男2人のこんな「友情」があるなら、ちょっと羨ましく感じるだろう。でもここでは、私自身の納得の仕方を示すことにしたい。
まず、ドラマの題名は「野ブタ。をプロデュース」だから、ラストの理解には全く役に立たない。そこで注目したのは、今回のタイトル、つまり主題歌の題名「青春アミーゴ」。恥ずかしながら、これまで「アミーゴ(amigo)」を友達としか捉えてなかったんだけど、ネットであちこち調べると、男の友達を指す言葉だという話。
なるほど、主題歌も今回のタイトルも、修二と彰の友情を指していたわけか。そう言えば、歌ってるのも「修二と彰」だった。さらに、これまで聞き流してた歌詞をよく聴いて、おまけに2番まで調べてみると、不自然に思えた今回のラストが逆に当然だと思えてきた。
「(1) 俺達はいつでも2人で1つだった・・・旅立つ日の綺麗な空・・・
(2) お前が来てくれて嬉しいよ・・・辿り着いたこの街・・・故郷を捨て去り
・・・これからも変わることない未来を2人で追いかけられると夢見てた」
勝手につぎはぎしてるものの、今回のラストそのまんまじゃないか! そう言えば、毎回ドラマの最後に主題歌が流れる時にブタが数匹出てくるけど、中心になってるのは2匹だ。また、今回彰がくっついて来た理由も、「2人で1つ」だって信子に言われたから、とされてた。したがって、ラストの説明の仕方は2通り。1つは、ドラマを主題歌の歌詞に合わせたと考えるもの。もう一つは、野ブタじゃなくて男2人の友情を(最後に)中心とすることが基本的に決まってて、それに合わせて主題歌もドラマも作られてるっていう説明。
後者の方が納得しやすいけど、いずれにせよ、このようにドラマの外側から作られ方を考えることで、新たな理解が可能になる。上の説明を、「そんなの、分かりきった事じゃん!」と思う人は、自然に外側に出てることになるけど、私自身は、分かりきった事とは思わないし、外側に出るのが自然とも思わない。と言う訳で、外側のお話はこれくらいで終わりにして、内側へと視線を移そう。
なお、これまで全く考慮してない外側、原作との比較の問題は最後にふれる。
あらすじは次の通り。修二(亀梨和也)はためらった末に、彰(山下智久)の部屋で仲間2人に転校を打ち明ける。野ブタ。=信子(堀北真希)はショックで部屋を飛び出し、彰は追いかけて優しくフォロー。その間に修二は、彰がこっそりヌカドコにしまってた写真を発見。自分と信子の微妙な関係を彰が知ってたことに気付き、そのままヌカドコを元の位置にそっと片付ける。
その後、父親がお前だけ残ってもいいと言ってくれたので、修二は悩む。一方、信子はどうしても修二に何かしてあげたくて、彰発案の冗談を真に受け、ゴーヨク堂の実家の神社でバイトの巫女さんになって、修二に「野ブタ。パワー、注入!」をプレゼント。
その夜、転校先でイジメられる夢に弟がうなされてるのを見た修二は、一緒に転校することを決意。彰も理解する。
修二は信子と2人きりの時、感謝と友情をストレートに表す言葉を贈り、信子も同じかそれ以上の気持ちを少し控え目な言葉で示す。修二はこれまで冷たくしてたまり子(戸田恵梨香)にも、最後に海のデートをプレゼント。本物の海じゃなく、修二が教室に作った海のセットで、陰で彰と信子が小豆を転がして波の音を演出。まり子は喜び、教室を出た後で信子にもお礼。信子とまり子の親しげな様子を最後に見て、修二は幸せな気分になる。
一方、修二は彰に対しては特に別れの挨拶をせず。そして最後、クラスのみんなに温かく見送られて、海辺の町に転校した修二を待ってたのは、前日に同じ学校に転校して待ってた彰。驚いたものの、すぐ友情再開。2人きりの海で無邪気にはしゃぎつつ、修二は「俺たちは、どこででも生きてゆける」とつぶやいた。。
今回は、冒頭で見たように、ドラマのタイトルとラストシーンが男の友情を表してる。
ただ、全体を貫いてるテーマは、「誰かのために、自分のために」と広くまとめた方が適当だろう。誰かのために生きることが、すなわち、自分のために生きることになる。愛情・幸せ・喜びの反射、相互性、循環構造。
その考えをはっきりと体現してたのは、今回の話に限るなら修二と信子。だけど、これまでの話も合わせて考えるなら、もちろん彰やまり子も体現してるし、キャサリンやオイちゃんはもちろん、修二や彰の父親も含めていいだろう。
最初から示唆してたように、もともと修二のプロデュース・ゲームっていうのは、「信子のため」でもなければ、「自分のため」でもない。本質を簡単に言うなら、「退屈しのぎのため」だ。
モー娘。みたいに野ブタ。を人気者へとプロデュースできれば、イジメられっ子を助け出したっていう意味で正義感を軽く満足させられるし、退屈な日常をやり過ごすバリエーションが増える。ウザイ彰と一緒に暗い信子をプロデュースするのは、何とも思ってないクラスメートやガールフレンドと楽しげに振舞ってみせるのと同レベルの遊びのはずだった。
ところが、このプロデュース・ゲームは、プロデューサー修二にとっても想定外の展開をみせる。修二は、2人の仲間と深く付き合ううちに、初めて人を好きになっていった。その歩みはかなり緩やかなものだったけど、最後は完全に彰と信子のことを好きになってるし、その温かい気持ちは弟やまり子にも降り注がれることになった。
まず、雪が降って「きよしこの夜」が流れる中、修二が信子に心を込めて語った感動的シーンを再現してみよう。
「俺さぁ、何か、今まで人を好きになるっていうのが、イマイチちょっとよく分かんなかったんだけどさぁ、何か、野ブタのおかげで分かった気がする。
何か一緒に物を食べて楽しかったりとか、同じ景色を見て、あぁ、この景色一生忘れねぇんだろうなと思ったりとか、何か、死ぬほど笑ったりさぁ、時には心配とかもしちゃったりして、あと、もっと一緒にいたいなぁって、思ったりさぁ、何か人を好きになるって、そうゆうささやかな事だったんだなぁって。
この先、もし俺が誰かを好きになる度に、野ブタの事、思い出すと思う。何か全部、野ブタが教えてくれたんだなぁって、思い出すと思う。小谷、ありがとな・・・」
より正確に言うと、人を本気で好きになれたからこそ、ささやかな事に幸せや喜びを感じれるようになったのだろう。この時、人は、自分の幸せを誰かに分け与えることが可能になる。
他人を好きになり、自分が幸せになり、その幸せを他人に分け与え、他人が幸せになり、それがまた自分の幸せになる。幸せの好循環♪ サンタの夢や、プレゼント交換の時に示されていた、愛情や喜びの円環構造。
「誰かのために」が、「自分のために」。この点について、キャサリンを思い出してみよう。3人それぞれに小さな人形を渡し、2つ集めると幸せになるらしいと説明。
「1個ずつだから、今は幸せの種みたいなもんね。あとは、あなたたちの運と努力で増やして、幸せになって、その幸せを他人にもあげられる大人になってください。頑張って!」
2つっていうのは、もちろん2つ以上って意味。つまり、一般には複数ってこと。人間の幸せの最小単位は2人であって、そこから育て上げた幸せを広く周囲に与えられるのが大人。
キャサリンは登場人物の中でおそらく一番大人だろうから、折角3つ持ってる人形を3人に分け与えて、転校っていう危機に直面した友情を優しくフォローしてる。キャサリンが「3人のために」渡した人形は3人の友情の中で幸せの種として育ち、そのことがまた「キャサリンのために」なる。つまり、キャサリンの喜びとなる。
一方、信子や彰たちのおかげで少し大人になれた修二は、結局「弟のために」転校を決心し、弟の安心する姿が「自分のために」なる。弟の幸せは自分の幸せ。こうゆう自分は、自分にとって愛せる存在のはず。
したがって、「誰かのために」は「自分のために」、を違う角度から見ると、「他人への愛」は「自分への愛」ってこと。この時もはや、プロデュースなんていうよそよそしい言葉は実質的意味を失うだろう。。
ここまで修二を中心に見てきたけど、信子の場合は修二と色々違う点がある。
まず、人を愛するっていうことに関しては修二より遥かに大人で、修二や彰はもちろん、バンドーやカスミにまで愛をふり注ぐ。その一方、ちょっと違う形で、修二に対するほのかな好意も持ってる。誕生日や転校時に、あれほど必死にプレゼントしようとしたこと、後ろから抱きしめたこと、などに思いが表れてたし、今回の細かいエピソードにも特別な気持ちが描かれていた。
例えば、3人が見た夢。信子は自分の所に来たサンタを修二の所へ行かせた。また、もっと細かい話だけど、クリスマス・プレゼントの交換として、キャサリンの人形を3人がお互いに渡しあった時、信子の赤い人形は結果的に修二のものとなってた。
でも結局は、一番好きな人だけに渡すべき魔除け札を修二に渡すことはできなかったし、前述の修二の言葉に対しても、次のように言うのが精一杯だった。
「私の方こそ、ありがとう、としか言えないのが悔しい。
今思ってること、全部伝わればいいのに。
どれだけ感謝してるか、伝わればいいのに」
まだ、自分の気持ちがはっきりとは分からないし、勇気もわかない状態では、これが限界。でも、修二を思う気持ちは、間違いなく自分のためにもなっただろう。そして、淋しさをこらえて彰を修二のもとへ送り出したことも、結局自分にとってプラスになるだろう。
ラスト直前、2人を思い出しつつ空を見上げて、「私、笑えるようになったよ。ちゃんと笑えるようになったよ」と言いながら流した一粒の涙は、幸せの種として大きく育ってゆくはず。ちゃんと笑えるようになった最大の理由は、最愛の2人を気持ちよく遠くへ送り出せたからだろう。。
最後に彰。夢のサンタは、信子のもとへ向かわせることなく、自分のカレーパンに利用しちゃったけど、キャサリンの幸せ人形は結果的に信子に渡した(その後、3つ一緒に置かれたけど)。信子はあきらめたはずなんだけど、やっぱり好き。それなのに信子は、修二に対しては優しく「修二♪」と呼びかけるのに、自分に対しては「彰!」と叱りつけるような呼びかけしかしてくれない。ヌカドコには、信子が修二を抱きしめてる写真が入ったままで、しかも気になって仕方ない。
結局、3人の中で一番辛いのが、彰の信子への思い。それでも、恋心を必死にコントロールして、3人の仲をつなぎとめる役割を健気に果たしてきた。その点は、3人が集まる場所がいつも彰の部屋だったことに象徴的に表れてたし、カスミの悪意に対しても、自分にとっては2人が1番で自分は2番とか明言してた。
今は辛くても、信子への片思いが自分のためになってると思える日がやがて来るはずだし、もう来てるのかも知れない。実は、見方によっては、彰が一番幸せとも言える。そもそも、この3人の間で最初に成立した特別の感情は、彰の修二への一方的な友情だった。ラストでそれが実って、修二と2人きりの世界を手に入れたんだから、それで十分幸せを感じてるんじゃないだろうか。もしそうなら、その幸せは結局、彰が2人のために、2人を1番として生きてきたから手に入ったものじゃないだろうか。。
以上、今回の話を中心に語ってきたけど、もう眠くて全体をまとめる余裕がない。実は今日って言うか昨日(土曜)、やっと原作を買ってきた。今までわざと読まないようにしてたけど、これからすぐ読む予定。
原作をふまえた上で、全体のまとめを一週間以内に新たに記事としてアップ。クリスマス前後が有力。少数の熱心な方は、もう1回だけお付き合いを♪ それ以外の多くの方とは、これでひとまずお別れ。長い間って言うか長時間のご愛読、感謝、感謝 <(_ _)>
クリスマスにブログのドラマ記事なんか一人で書いてる場合じゃないだろって? グサッ!・・・・・・返す言葉もございません・・・・・・お許しを。。。♪
P.S. 検索した限りでは、ほとんど考察されてないみたいだけど、このドラマは反町&竹野内の名作『Beachboys』を少し意識してるような気がする。
どちらも男の友情を前面に出してるし、最後に2人でBeachではしゃぐ姿は明らかに似てた。彰が反町、修二が竹野内。もちろん、似てない点の方が多いし、『Beachboys』は私の一番好きなドラマだから、あまり不用意な事は書きたくない。今日の所は簡単な指摘に留めておこう。。
補足:あれだけハッキリふられたまり子が、転校だからと言って今さら海のデート をプロデュースされて嬉しいのかっていう疑問は、当然あるだろう。「あきらめない」性格なんていうまり子のキャラ設定は、既に無効になってるはず。
したがって、まり子の喜びは恋愛によるものじゃなくて、より広い友情とか人間愛によるもの。つまり、好きだった修二がやっとデートしてくれたから嬉しいんじゃなくて、離れていく友達が自分のために一生懸命何かをしてくれてるから、3人が自分のために頑張る様子が輝いてるから、素直に嬉しかったんだろう。。
「野ブタ。をプロデュース」、面白い♪(第1話の記事)
・・・・・・・・・・・・・・・
(計6402字 20年6月20日カウント)
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コメント
テンメイさん、こんばんは。
あなたの野ブタ考がピカイチです。
投稿: 海苔 | 2005年12月19日 (月) 20時18分
>海苔さん
はじめまして。コメントどうもありがとうございます。
確か、伊達さんトコでコメントされてた方ですよね。
おほめにあずかり、光栄です♪
内容はともかく、かけた時間だけはピカイチかも。
この1本の記事に徹夜で12時間かけてますから・・(^^ゞ
ブログ公開3ヶ月半、ドラマを1クール通して記事にしたのは初めて。
まだまだ、内容も文体も長さも試行錯誤中ですが、また何か
いいドラマって言うか、深く考える余地のあるドラマが見つかれば、
記事にしてみたいと思っています。
基本的にはスポーツ系ブログですが、たまに遊びに来て頂ければ幸いです♪
投稿: テンメイ | 2005年12月19日 (月) 23時51分
こんにちは、テンメイさん。
なぜピカイチかについて何も触れないのもなんですから、
ちょっとだけ。
まず、理屈っぽい難解な言葉が使われていないこと。
絵文字や意味不明の文字・表現が使われていないこと。
きちんとしてやわらかい筆致で書かれたものはすてきです。
そして、温かいこと。
いくらでも突っ込みどころはあるし、時にそれも楽しい
けれど、シニカルに生きるには年をとり過ぎた私には、日なたで構築された(感じの)もののほうが心地よいですから。
それと、なんといってもやっぱりおとななんだなと感じさせる視点。
特に彰への目くばりは秀逸です。あのくだり、何度も読んでしまいました。
ちょっとじゃなかったでしょうか。
原作についても楽しみにしています。
PS
全話を通して今気になっているのは修二の持つ不安。
1話ではディスティ二ー、7話(だっけ?)では信子、10話では浩二の不安をきちんと読み取り言葉に出して相手に投げかけ、なおかつちゃんとフォローもしている。どうしてこの子はこんなに「不安」について敏感なんだろう。修二の中の不安のアンテナが高いから?修二自身の不安がどこからきたものなのか知りたいなあ。
投稿: 海苔 | 2005年12月20日 (火) 13時43分
>海苔さん
再びコメントありがとうございます♪
「ほめ殺し」なんて古い言葉を思い出しちゃいました(^^)
難解な言葉は読むのも書くのも好きですが、ブログのドラマ
記事ってことで、なるべく普通の言葉を選んでます。
絵文字は携帯メールだとよく使ってますが、ココログは標準的には
無いんですよね。もしあったら、顔文字同様に少しくらい使うかも。。
「温かい」と言われたのは、おそらく生まれて初めてです♪
「冷たい」と言われたことなら何度もありますけどね(^^ゞ
実は、シニカルな視点も交えた、おふざけ突っ込み版の記事を
遊びで書こうかなと思ってますので、見かけても無視してください(^^)
僕はもともと突っ込み系だし、記事はマジメでもドラマ見てる時は爆笑してます。
彰のくだりって、この記事の最後辺りのことでしょうか。
信子まで書いて朝になったので、眠くてパパッと終わらせ
ちゃいました。力が抜けて良かったのかな。
修二の不安。。不安って言葉とは結び付けてませんでしたが、
ドラマの最初から、かなり興味深い主人公だなとは思ってました。
自分では、上手く人気者としてセルフ・プロデュースしてるつもりの
ようですが、少しもそうは見えません。むしろ、根暗なイケメンが
無理して人気者になりきってるので、周りが温かく受け止めてるって印象。
だから、除け者への突然の転落も自然に見えました。
例えば、まり子やキャサリンには修二がどう見えてたのか、気になりますね。
ではまた。
投稿: テンメイ | 2005年12月21日 (水) 04時48分