並行を目指す各々の道~『僕の歩く道』最終回
このドラマの主人公は誰かと人にたずねると、どんな答えが返って来るだろうか。
全員が主人公なんていうキレイ事は認めないことにするなら、輝明(草なぎ剛)とい
う答えが圧倒的だろう。もちろん、これはもっともな話だ。『僕の歩く道』だから僕が
主人公で、これが自閉症の輝明を指してるのはストーリー的にも映像的にも明らか
だ、という普通の発想だ。
それでは、輝明が主人公だと答えた人に対して、輝明がドラマで歩いた道を一言で
説明するなら何かとたずねると、どうだろうか。モゴモゴと迷う人には選択肢を与え
ることにすれば、多くの人は「自立」とか「独り立ち」と答えるだろう。これまた、もっと
もな答えで、少なくとも「旅立ち」や「成長」よりは上だ。単なる旅立ちではなく、自分
独りの旅立ち、自分独りへの成長のはずだから。
では最後に、このドラマの中で最も自立した人は誰か、とたずねてみよう。多くの人
が、再び輝明と答えるだろうけど、ふと考え込む人も出てくるんじゃないだろうか。
正確に繰り返すと、「最も自立してる人」ではなく、「最も自立した人」だ。これに対し
て、私なら「里江(長山藍子)」と答える。その意味で、このドラマの主人公は里江と
輝明だ。都古(香里奈)は重要な脇役に過ぎない。。(もちろん、自立がそんなに
素晴らしい事なのかどうかは全くの別問題・・)
☆ ☆ ☆
この点について、「道」をテーマに、もう少し視野を広げて考えてみよう。道とは人生
であって、記事のタイトルに挙げたように、このドラマでは「僕の」道だけでなく「それ
ぞれの」道が描かれている。重要なのは、輝明、里江、都古、りな(本仮屋ユイカ)、
亀田(浅野和之)だ。個別に見て行きたい。
まず亀田。皮肉にも一番分かりやすいキャラが、謎のロードレーサーと宣伝され
た彼だ。このドラマで自立の象徴となってたのは亀田であって、間違っても精神科
医の堀田(加藤浩次)ではない。と言うのも、精神科医とは、患者を支える反動を
利用して何とか自分を支えてる人だからだ。それに対して、亀田は全く違う。独り
でロードバイクに乗り、一人で喫茶店を経営し、輝明を適度にサポートした後は、
再び一人で別のレースに出る。非常に分かりやすい自立の基準として機能するキャ
ラ、つまり最初から「自立してる人」、あるいは独立した道を歩く人だった。ちなみに
「自転車」とは「自分で転がる車」であって、「自立して歩む人間」の象徴となっている。
続いて、りな。この秀作ドラマにも、いくつかの欠点はあるが、りなの描写不足は
そのうちの一つだ。最後になってやっと光が当たったものの、それまでは単なる
可愛い女の子、お飾り的な妹になっていた。それはともかく、りなは「自立し始め
た人」、独立した道を歩き始めた人だ。家を出るって話は、母・里江への甘えや
依存を中心に置きながらも、外側へ向かうベクトルを含んでるし、堀田の前で今
までの自分をさらけ出して泣いたのも大きい。
ただし、まだ自立し始めたばかりだから、小さい頃の分まで里江に甘えることも必
要だろうし、ついつい兄・秀治(佐々木蔵之介)に就職口のコネを頼んだりしてしま
う。この辺りのりなは、幼さと可愛さを同時に上手く表現していて、流石だった。
そして、都古。輝明と彼女が主人公だと考える人も少なからずいるだろう。もちろ
ん、ドラマをどう見ようが個人の勝手だ。でも、どう語ろうが個人の勝手でもあるし、
都古を主人公とみなす視聴者が、都古と里江についてどう見てるかが気になる所
だ。都古は、「自立に失敗したりな」である。親の愛が不十分なまま、形だけ自立
したものの、実際には不倫で揺らいでる。不倫相手と別れようとしたにも関わらず、
結婚という言葉であっと言う間に態度は豹変。即結婚したものの、即離婚。行き場
を失って、昔の母のもとに近づくものの、また冷たくされてしまい、結局は輝明の家
族の一員みたいにしてもらう。再就職先も、輝明の職場。最後も、輝明と一緒だ。
もちろん、エンディングでは都古と輝明は並走していたので、自立した大人の男女
の関係のようにも見える。でも実質的には、非対称的な関係だ。輝明は都古から
の自立に成功している。大好きな幼馴染ではあっても、彼女なしで立派に生きてい
た。彼女、正確には「彼女の住所」にハガキを送るだけで大丈夫なのだ。ところが
都古は、自分でも言ってたように、輝明なしでは生きられないのだ。「私、気付いた
の。テルが私を必要としてたんじゃない。私がテルを必要としてたの」。この点は、
亀田の喫茶店で、輝明が都古の分までコーヒー代を払うシーンにも象徴されてい
た。従って、都古は自立していないし、都古の歩く道と輝明の歩く道も並行関係で
はない。輝明の真っ直ぐな道に、都古の道が巻きついてるのだ。
それに対して、里江は違う。里江は、昔は娘のりなに依存したりもしてたけど、ここ
最近は、たった一人の依存相手がいるだけだ。それが、息子の輝明だ。もちろん
彼女は深い母性を自閉症の息子に注いでる。でも、それと同時に、「息子に依存
されること」に依存してる母親でもある。これは、非常に現代的な問題、いわゆる
「共依存」の関係だ。それをハッキリ表してたのが、輝明をグループホームに入れ
るかどうかみんなで相談するシーンだ。
都古 「おばさん、テルには少しでも自立して欲しいって思ってたんじゃ
ないんですか」
里江 「うん、そうなんだけど、私まだ元気なんだし」
都古 「おばさんが元気なうちに、テル、少しでも自分の事は自分で
できるようにしようってことじゃないんですか」
里江 「・・・・・・」
弱々しい表情で黙り込んだ里江が気の毒に思えたこのシーンは、言うまでもなく、
私が元気なうちは私が輝明の面倒をみたいと語っている。その事の方が、輝明
の自立よりも優先することなのだ。これこそ、輝明に対する里江の依存であって、
もちろんその問題性に里江自身が気付いてるからこそ、都古に何も言い返せな
かった。そこへさらに、りなに相談した時「お兄ちゃんのしたいように」と言われる。
そして最後に、レース完走後の輝明自身が「お母さん、僕、グループホームに行
く」と言ったことで、里江はもはや「はい」と答えるしかなかった。この瞬間に、輝明
よりもむしろ里江が自立したのだ。共依存関係に、ようやく終止符が打たれた。
もちろん、まだ完全ではない。休みの日には、つい輝明が自宅に帰るのを待ちわ
びてしまう状況だ。でも、自立への決定的な一線を越えたのは確かだった。。
最後に、輝明。彼も自立への決定的な一線を越えた。ただし、自分のできない事
や苦手な事は援助してもらうのが条件だし、その他にも色々と周囲にサポートさ
れてる状況に変わりはない。例えば、レースの練習、下見もサポートされてたし、
レースの最中にコースをはみ出しても許されて、それどころか大きく遅れてゴール
するまで大会関係者に待ってもらってるのだ。本来なら失格はもちろん、ルール
違反で怒られてもおかしくない。もちろん、家族や職場の人間もずっと待ってくれ
ていた。とはいえ、自閉症という状況の中で、必死に自立への新しい道を歩みだ
したのは間違いない。
と言うわけで、それぞれの歩く道は異なってて、独立しながらも深く関わる「並行」
を目指して進んでる。単なる独立や無関係を表す「平行」ではなく、「並行」だ。そ
して冒頭に書いたように、最も自立した人は里江、主人公は輝明と里江であるし、
最も上手く並行関係の二つの道を創り出したのもこの二人なのだ。
もちろん、これだと地味すぎて視聴率的にも不利だから、そこに花を与えてくれた
のが都古ということだ。脇役とはいえ、彼女がいなければ見る回数が減ってた可
能性は高いだろう。。♪
☆ ☆ ☆
最後に、ドラマ全体の評価について。明らかに優れてる♪ 重くて地味な主題にも
関わらず、所々でクスッと笑わせながら、エンディングの2人の並走まで上手く運ん
でいた。伏線の張り方も全く教科書的。例えば、グループホームという言葉は先週
に秀治の妻・真樹(森口瑤子)が口にしてたし、都古が動物園の輝明のそばで安心
して眠れるように、あらかじめジンジンを病気にさせていた。それに加えて、先週の
美しい海岸では、安心して眠れる場所が欲しいって話を出している。もっと細かい
ものでは、りなが都古からのハガキを使って作ったお守り。この少し前に、輝明が
ハガキをじっと見つめる所を、りなが後ろから一瞬だけ見ていた。そしてこのハガ
キのお守りって話は、都古が河原(葛原信吾)からテルのハガキを取り返そうと
必死になってた事と上手くペアになっている。実にキレイで丁寧な作りだった。
これは、演出家の河野圭太、プロデューサーの重松圭一・岩田祐二を始めとする
スタッフの力もあるだろうが、やはり脚本家の橋部敦子の実力が大きいだろう。
輝明を始めとする人間の描き方が、あまりにも優しい(or 甘い)点は個人的にか
なり気になったものの、あれが一般ウケする作りだという事は、視聴率や世評が
示してる。いずれにせよ、見事な手腕、優秀な作品だった。。☆
と言う訳で、秀作ドラマ『僕の歩く道』とはこの辺でお別れ。
スタッフ&キャストの全員に、「ありがとう」♪ それでは。。☆彡
☆ ☆ ☆
P.S.ちなみに、強調するつもりはないけど、輝明が自転車の練習をする時に
ヘルメットを付けてないのは変だし(足をペダルに固定してるので危険)、
レースのシーンも変だった。ギアが重過ぎるし(他の選手は軽めのギアを
クルクル回してる)、休憩の時に息があまり荒れてない。もちろん、コース
を外れてトビを見るなんてのはギャグに近い。
ただ、ドラマをキッカケに自転車ファンが増えれば、もちろん嬉しいことだ。
別に60万なんて必要ないし、ロードバイクも必要ない。エンディングみたい
に、フツーの自転車でも十分楽しめる。ただし、今は寒いから春がお勧め♪
P.S.2 それにしても、輝明のロードバイク、チネリのエストラーダ・コーラス・ミッ
クス・コンパクト(cinelli ;ESTRADA CHORUS MIX COMPACT)
に関する検索は多かった。ハッキリ言ってマイナーな高級自転車だか
ら、どのくらい売り上げが伸びたのか興味ある所だ☆
P.S.3 第8話の記事で書いたように、久保園長(大杉漣)の「ありのまま」は
やはり変化していた。つまり、自分でも気づかない内に動物たちを愛し
していた。この辺り、脚本家の人間理解の深さを感じる。
P.S.4 この優等生的なドラマよりも、劣等生の『ひと恋』の方をむしろ見返して
みたくなるのは不思議なもんだ。魅力とは、不完全さと結びついてるもの
らしい。。
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コメント
テンメイ様、おはようございます。
結局、夜明けですが。
三ヶ月前、テンメイ様を自閉症と勘違いした
キッドでしたが
あらゆるものを間違いながら
生きていくのが我が定めなので。
おかげでテンメイ様と楽しいひとときを過ごせますし。
ロードレーサーが
ロードレーサーのドラマを
見るっていうのは
どうなのでしょうか。
かなりくすぐったいのかな。
愛とは記憶なのだというのが
キッドのメインテーマなのですが
だから犬には愛があると思える。
このドラマの主人公にも愛はあると考えられます。
この場合の主人公は主演者のことです。
その愛が友達を恋人にするのかしないのか
キスその他は・・・そこまで
描くと傑作ですが拒絶反応もあるでしょうね。
人はうつろいやすい。
うつろいにくいものがうらやましく感じることもあります。
しかし、テルはうつろうことができた。
うつろいがもっとにぶい状態もあり、
ほとんどうつろわぬ場合もあるでしょう。
うつろうことが幸せなのか不幸せなのか。
迷いながら人は道を歩くのでしょうね。
投稿: キッド | 2006年12月21日 (木) 06時55分
>キッドさん
愛とは記憶。。
確かに、愛は記憶と不可分でしょうが、
記憶と想起の違いをどう考えるかはビミョーですネ。
時間という難問も絡んで来ます。。
細かい話で恐縮ですが、僕は自転車好きでは
あっても、ロードレーサーではないんですよ。
今乗ってるのもクロスバイク(ロードレーサーと
MTBの中間)ですし、これまでレーサーを
買ったこともありません。
自転車好きの内部も細分化されてるのです。
もちろんここ数年脚光を浴びてるのは
ロードレーサー(いわゆるロードバイク)ですけど、
このドラマを見る時もちょっと複雑でした。
だから、ラストに一番フツーの自転車であるママチャリ
(orシティサイクル)が使われたのには大満足♪
あんまし増えると、サイクリングロードが混むから
困っちゃいますけど。。(^^ゞ
愛、恋、性、障害。。
キスの先まで描くと、秀作から問題作になるかも。
書物ならいいんですけど、テレビはインパクト強いし
受け手の側も違いますしね。。
幸せか不幸せかを問わず、人はうつろってしまうもの。
うつろう事が出来なくなった時、人は別の存在になるのでしょう。。
投稿: テンメイ | 2006年12月22日 (金) 01時02分
テンメイさん、遅れてやって来ました(^^ゞ
焼き芋を食べ過ぎて、太ったので
ドラマとしては問題作かもしれません(笑)
的確な感想で、見事ですね~。
この作品も、また見事な出来だったと思います。
動物園を舞台にしたとこが上手かった。
色んな動物がいるように、人間も人それぞれ。
園長は、猿か?と勝手にあてはめたり(笑)
う~む、、猿はちょっと違うか^^;
「ひと恋」は、所々好きな部分もありました(今頃ですが、、笑)心に響くものがなかったかな。。
「僕の道」を観てると、自然に泣けるけど
向こうは、やっとウルっとしただけなので。
この違いの大きさは、やっぱり脚本ですかね?
投稿: ルル | 2006年12月23日 (土) 12時09分
>ルルさん
相変わらず、チョコチョコと面白いこと言いますネ♪
ちょっとだけナオに似てるかも。ちょっとだけネ(^^)
綾瀬はるかも確か頑張ってダイエットしたんでしょ。
ルルさんも焼き芋食べながらドラマばっか見てないで、
ランニングや自転車でダイエットしては如何?
スマートなテンメイさんをお手本にして(^^)v
確かに、動物園って設定はなかなか上手いかも。
ただし僕は、動物園より水族館の方が好きだし、
女の獣医さんより女教師の方が萌えます。
聞いてない? あっ、そう♪
ひと恋、今更フォローしてもダメですよ(^^ゞ
この差はほとんど、脚本の差でしょ。
北川vs橋部、初回KOで橋部の勝ち!
でも、出来の悪いひと恋には独特の魅力を感じます。
優等生より劣等生の方が面白いってことかな。。。
投稿: テンメイ | 2006年12月24日 (日) 04時16分
暮れもおしつまって来たなか、こんにちは!
今季、TVドラマを1話から最終回まで、
「のだめ」、「ひと恋」、「僕の」と3作品も続けて観たのは久しぶりで、
中でも、この作品は、SMAP+自閉症ということで、恐る恐る観始めたのですが、面倒くさがりの私を
地味なテーマにもかかわらず、
最後まで観る気にさせてくれたのは作品の持つ底力でしょうか。
描き方や演技があざとくない点と、
自転車、手紙、ツール・ド・フランスの優勝者名などの小道具の使い方が巧みで、
「焼き芋傘差しシーン」の演出には、私もやられました。
ただ、最終回はあまりにも予定調和的にうまくおさまってしまったような気が少ししました。
というのも優等生へのやっかみでしょうか。
私は、ファンタジー好きなので
少々の飛躍やつっこみどころは気にならないので、
「ひと恋」=劣等性とは思わないですけど。
投稿: azami | 2006年12月30日 (土) 17時46分
>azamiさん
こんばんは!
この時期にこの記事へのコメントとは面白いですネ。
ドラマへの愛着でしょうか、あるいは
劣等生という言葉が引っかかりましたか♪
優等生の本質は二つあります。
一つは一般的評価の高さ。もう一つは「規則」への従順さ。
学力テストというのは、基本的には規則への従順さを
測るものです。数学にせよ、英語にせよ、社会にせよ。
『僕の歩く道』というのは、視聴率的に成功を収めましたし、
色んなレベルで非常に規則的です。
たとえば、テルの行動・言葉・服装もそうですし、
社会的にややネガティブな印象がある自閉症の
主人公をややポジティブに扱ってるのもそう。
最後に魅力的な女性が彼に寄り添うというのも
全く規則的なハッピーエンドです。
伏線の扱い方も規則的だし、人間に対する優しい視線も
規則的なもの。ハリウッド的と言えるかも知れません。
その意味で、予定調和になるのは自然なことですし、
規則性とか調和というものからは形式美も生じて来ます。
一方、劣等生というのはその逆。
『ひと恋』は、一般的評価も低いし、
色んなレベルで「規則違反」が目立ちます。
今さら繰り返す必要もないでしょう。
でも、そういった話と、そのものの「価値」や
個人的評価の話は別物です。
分かりやすい例が、芸術の分野。
作品にせよ、人物にせよ、しばしば規則違反=
型破りだし、一般的理解を得られないことも
多いのですが、一部の人には高く評価されたりします。
その意味でなら、『ひと恋』は成功かも知れません。
劣等生という言葉が気になるようでしたら、
優等生からは程遠いと言い換えてもいいでしょう。
かなり少なめとはいえ、無視できない数の
人の心を魅惑することに、ひと恋は成功したわけです。
なお、ファンタジーはちょっと別の話だと思います。
作り手も受け手も始めからファンタジーとして
とらえてる場合にせよ、一つの作品にアクセント的に
ファンタジーを挿入する場合にせよ、あれはむしろ
「超規則的」、あるいは「特殊規則的」と言うべきでしょう。。。
投稿: テンメイ | 2006年12月31日 (日) 01時27分