弥勒菩薩の救済を夢見る時代~『神の雫』第7話
第五の使徒
このワインは悩める者に沈黙を持って
応えてくれる。歩き疲れた私は、初めて
味わう孤独に怯え、暗闇の中で
動けないでいた。やがて闇の向こう側に
柔らかで安堵に満ちた、藍色の光が
佇んでいるのを見た。
弥勒菩薩 半跏思惟像。光をまとった
その姿は、厳かでありながら、慈愛に充ち
溢れている。それは、夢に迷い、間違いを
犯し躓いた私の前でさえも、語るでも
なく、笑うでもなく、泣くのでもなく、
ただ静かにそこにいるだけなのだ。
ゆえに私は思う。その人への思いを
愛という言葉では表せない。
(以上、1枚目)
その佇まいは、人でありながら宇宙である。
見返りを求めず、あなたは有りのままの
私を受け入れる。
家族 友人 恋人、愛と呼べる対象は
数あれど、果てしなく広がる宇宙の中で、
何ものにも代えがたい、かけがえのない、
崇高で美しい存在。
その人への思いは、感謝という言葉で
表す。
(以上、2枚目)
(第五の使徒に関する遺言状より。1枚目前半と2枚目はテレビ映像のまま)
☆ ☆ ☆
次回の予告に最終回の表示は無かったし、読者の方の情報によると、テレビ雑
誌に3月10日が最終回と書いてあったとの事。ますます、『神の雫』は全9話で
終了の可能性が高まったと言えるだろう。要するに、私が以前、「打ち切り情報
記事」で書いた予想と同じで、最初のワインの設定本数から十分予想できた回数
だから、打ち切りとか騒ぐほどのことではない。第7話までのストーリーを見ても、
全9話で終了なら自然なことだ。
(☆26日夜の追記: 自分でも『月刊ザテレビジョン』4月号で確認した。)
あらためて強調しとくと、私があの記事を書いた時点では、ネット上には「打ち切
り決定」といった情報が乱れ飛んでた。検索した方ならよくご存知のはずで、一時
はウィキペディアにも書き込まれてた。それに対して私は、自分で『週刊女性』を
読み、ネット上の情報をあれこれ見渡した上で、反論に近い応答を提示したわけ
だ。総合的に考えて全9話が有力だし、それなら打ち切りとは言えないと。
別に、結果的に当たったらしいから急に胸を張るわけでもないし、たまたま当たっ
たわけでもない。前にも書いたように、私は去年の『ラストフレンズ』SPの時にも
似たような情報記事を書いて、去年のウチの最大ヒットになったのだ。受け売り
の怪しい情報ばかりが流れる中、私は自分で正確な情報を調べ上げて、内部関
係者の支持も得ることができた。
他にも、例えばオバマの黒人扱いに関する記事を挙げてもいいだろう。短いなが
らも、その時点でネット上に見当たらなかった正確な情報を交えた独自の記事だっ
た。結局、ネットの情報やサイトにも色々あるわけで、選球眼が重要だって話だ・・
とだけ書いとこうかな。弥勒菩薩のように、慈愛に充ちた表情で♪
☆ ☆ ☆
ところで、サイトをそれなりのレベルに保とうとすると、見た目以上に大変な思いを
することになる。記事にしにくい努力が色々とあるわけだ。今回、予想外の時間を
使うハメになったのは、「弥勒菩薩・半跏思惟像」(みろくぼさつ・はんかしゆいぞう)
だった。
「弥勒(ミロク)」とは、音声的な語源をたどると、インド古来の神「ミトラ」に行き着く。
ミトラは友を表す言葉で、そこから「慈愛に充ちた」(マイトレーヤ=弥勒のサンスク
リット語とされる)という意味が出て来る。一方、「菩薩」とは、仏陀(ブッダ=悟りを
開いた人)になろうとして修行する者で、仏陀に近い存在だと思えばいい。
要するに弥勒菩薩とは、仏陀に近くて慈愛に充ちた存在で、遠い未来、お釈迦様
(唯一の仏陀)の救いから漏れた人々を救ってくれるのだ。「半跏」とは、片方の
足(普通は右足)だけをあぐらに組む姿勢。「思惟」とは考えること。そりゃ蛇足か。
ここまではすぐに情報も集まったし、理解も出来た。ところが、どうでもいいような
トリヴィア的情報にハマったわけよ。それは、弥勒菩薩・半伽思唯像(誤検索用♪)
の右手の指だ。
事の発端は、バー・モノポール(monopole)のシーンで、紫野原みやび(仲里依紗)
のモノマネに笑ってしまったこと。あれがアドリブだったら大したもんだネ。神咲雫
(亀梨和也)の横で、唐突に弥勒の姿をマネしながら、元気を出してと念を送った
らしいけど、私には懐かしの「影絵」用に指で作った狐に見えたのだ♪ 右手の
親指と中指・薬指で輪を作って(狐の口元)、人差し指と小指は立たせてる(両耳)。
ところが、本物の弥勒の右手とどこが違ってるのか、ハッキリとは分からなかった。
ウィキでは、「中でも有名な京都府・・・広隆寺・・・右手の薬指を頬にあてて物思い
にふける姿」と書かれてるけど、そこにある写真をどう見ても、薬指を頬に当てて
るとは思えない。テレビ映像が正しいのか、いい加減なCGなのかもよく分からない。
結局、テレビの映像と、鮮明に映ったネット上の実物写真(ウィキとは別)をじっ
くり見て、個人サイトの詳しい描写も拝読。どうも本物の弥勒は、親指と薬指で輪
を作って、人差し指・中指・小指を立たせてるようだ(頬には当ててない)。これで、
みやびのモノマネのどこが変なのかハッキリした。中指だけが違ってるのだ(変顔
は別)。僅かなズレっていうのは、笑いの基本だろう。アドリブにせよ演出にせよ、
あのみやびは上手かったし、可愛かったと思う♪
☆ ☆ ☆
という訳で、マニアックサイトは書く方も読む方も妙に疲れるってことよ♪ ウィキ
の記述がそれほど信頼できないってことの更なる実証でもある。ではここから、ド
ラマの真面目なレビューに向かおう・・・って、遅いわ!
今現在、世界的に大きな問題となってるのは「救い」、あるいは「救済」だ。たとえ
ばアメリカなら、その対象はサブプライム問題の震源である住宅金融ローンで困っ
てる人々。巨大な自動車会社・GM(ゼネラル・モーターズ)とクライスラー。大手
銀行のシティグループ。保険のAIG。あるいは日本だと、格差社会の底辺であえ
ぐ人々。大手も含めて、資金繰りや不況に苦しむ多くの企業、自治体など。論点
がボケるから、他の救済については省略しておく。
これらをどのように救うのか。あるいは、そもそも救済すべきかどうか。これは非
常に重要かつ複雑な社会問題で、議論がかみ合わないために感情的な対立も
引き起こすし、落とし所とか妥協点も難しい。目の前で飢えや寒さに苦しんでる人
を、その場で少し助けることに関しては、あまり異論はないし、ボランティア(自発
的に行う人)も少なからず現れる。
ただ、無条件に救うのは能力的に無理があるし、自己責任とか法的責任をある
程度認めないと、いわゆるモラル・ハザード(倫理の欠如)の問題も生じる。つま
り、何をやっても救ってもらえるセーフティー・ネットがあるのなら、自分で困難を
回避する行動を取らなくなってしまうわけだ。これでは収拾がつかないし、反発
も生じてくる。もっと具体的に書いてもいいけど、そこは想像にお任せしよう。
私は今回のドラマも、基本的には高く評価してる。脚本・渡辺雄介、演出・石尾純
ほか、スタッフ&キャストの皆さん、お疲れさまって感じだ。ただ、ドラマでの救い
とか救済の扱いが、ちょっと気になってしまった。
まず、誰でもすぐ引っ掛かりそうなのは、神咲豊多香(古谷一行)が救いを求め
る態度だ。まだ詳細は不明だけど、ここまで普通に見るなら、妻と息子・雫がい
るにも関わらず、愛人・ほのかに遠峰一青(田辺誠一)を生ませたことになる。こ
の場合、浮気が雫にバレて孤独に陥るくらいのことは当たり前。ドラマで無けれ
ば、単なる自業自得だろう。
ところが、「夢に迷い、間違いを犯し躓いた私」でさえ救ってくれる、慈愛に充ちた
弥勒菩薩がいるというのだ。それが、第三の女、霧生涼子(戸田菜穂)。弥勒と
言えば聞こえがいいけど、世間的に見るなら、浮気男の「都合のいい女」ってこと
だろう。豊多香が霧生に、「またここで席を共にしてくれるか」と救いを求めるのは、
更なる罪を犯すリスクが高まることでもあり、モラル・ハザードと言っていい。
にも関わらず、その男のご都合主義的な態度に対する怒りが全く表現されてな
いのだ。雫は、ほのかへの浮気には激怒したのに、霧生への態度にはまったく
寛容なまま。一方、霧生もまったく怒りを見せないどころか、相変わらず今は亡
き豊多香に対する敬愛を見せ続けるだけ。何と悲しい女なんだ。。
私は男として、豊多香の気持ちも行動もよく分かるし、悲しい女という存在も結構
好きだったりする。非常に優れた人間の場合、多少の欠点はむしろ好意的に受
け止められがちだという事も知ってる(ドラマだと部長=升毅の態度)。ただ、一言
くらいは豊多香を責める台詞を雫に言わせるべきだったと思う。つまり、最低限
の筋を通すべきって事。それが無い辺りに、この古風なドラマの現代性とか時代の
空気を感じるのだ。
豊多香よりも判断が微妙なのは、霧生だ。私は前からちょっと「霧生萌え」してた
ので、髪を下ろした姿で豊多香と向き合って、飲めないワインの席に付き合って
る彼女の姿も気に入った。向かい合うのは、翳りある2つの妖しい光。豊多香と
お月様。ポーッと見とれた後は当然、色んな事が起きていいはずだけど、残念な
がら編集でカットされたらしい。そこを補完するのが、人間の想像力というものだ♪
前回、男同士の闘う絆のことを「古典的」と書いたけど、それはフィクション(特に
男性向け)の中で大昔から度々扱われて来たという意味であって、別に過去の遺
物という意味ではない。ところが今回の霧生は、いま現在、世界中探してもなかな
か見当たらないような「古典的」女性キャラだったと思う。こうした二重の古典的性
格(古くから&昔の)が、今回もまた記録更新となってしまった極端な低視聴率の
一因になってるようにも感じられる。前回は財務省辞任という言い訳(=救い)が
可能だったけど、今回はもう救いようがない。弥勒菩薩でさえ、不人気という事実
を「有りのまま・・受け入れ」なさいと仰るだろう♪ 私は好きだし面白いけどね。
で、その古典的な霧生。豊多香から見ると弥勒菩薩に見えるものの、本人自身
はもちろん、普通の人間だ。とても弥勒菩薩(=仏陀の次に偉い存在)などでは
ないし、「宇宙」のように広い心を持ってる「崇高」な女性でもない。だから、遺言
状の2枚目を隠してしまったのだ。それは、自分に対する豊多香の思いを率直に
書いた、最初で最後のラブレターだから。それを読むと、女として涙がこぼれてし
まうから、自分の胸だけにそっとしまっておこうとしたわけだ。
テレビでさえ透けて見えるあの便箋なら、「崇高」とか「感謝」という文字は見えた
だろうし、弁護士の国語能力なら、2枚目が愛と同格以上の真剣な告白になる事
くらい分かるはず。古風で切ない女にとって、人前で読めないのは自然だろう。
けれども、遺産相続を管理する弁護士としては、まったく論外のことをやってしまっ
てる。自分で分かってるからこそ、聞かれてもない事を自分から白状したのだ。こ
の時、マキ(内田有紀)が責任を追求したのは、ある意味で当然のこと。霧生も素
直に責任を認めてた。
ところが、雫は「どこが悪いんですか」と真っ向から反論する。誰もマキに同意しな
いどころか、行動を共にしてきた一青までが、「マキさん、この場にふさわしくない
のは・・」と非難する。非常に攻撃的なやり方で、罪人の霧生が救済されたのだ。
仏陀=主役による、菩薩=脇役の救済。せっかく私のつぶらな瞳に、先週に引
き続いて星屑のような涙が浮かびかけてたのに、このマキの扱いで一気に冷め
てしまった。マキのせいではなく、マキに対する総攻撃のせいで、子供のイジメに
近いものさえ感じたほどだ。
大きな流れとしては問題ない。マキは最初からずっと悪役だし、霧生は可哀相な
女。雫は優しい男だし、一青はマキと距離を置いてる。その意味で、脚本は不自
然な展開ではなかった。
でも、私が脚本家なら少し違った書き方になるし、演出家とかプロデューサーなら
軽く口を挟んだだろう。雫の台詞は、「どこが悪いんですか」ではなく、「僕は霧生
さんを責めるつもりはありません」。一青の台詞は、「私も同じです」。何なら、立
会人のロベール(竹中直人)も加えていい。これなら、対決の当事者2人(または
3人)の個人的判断にすぎないから、最低限の筋は通ってる。
つまり、一般論としてマキは正しいけど、今回は特別に霧生の責任を問わないと
いう事にすればいいのだ。例外的で部分的な救済。直接の被害者がいないのだ
から、霧生の責任を追及する意味もないし、私の涙も引っ込むどころか更に勢い
を増してただろう。ところが実際のドラマは、責任追及するマキだけが明白に悪い
かのように描いてた。
この脚本家は頭がいいから、当然わざとやってるのだろう。ハッキリした悪役を
作って話にメリハリをつけてるわけで、その考えは分からなくもない。雫の台詞
に関しては、わかりやすさとインパクトを優先させたもの。まだ子供だからという
言い訳も不可能ではない。でも私は、こうゆう時代になってしまったのか、と思わ
ざるを得なかった。それほど追い詰められてる状況なのかとも思えるし、その意
味では、時代に即した脚本だと言えなくもないだろう。
多くの人々が、救いを求める。基本的には、救済する人間が善で、救済に反対
する人間は悪。このとき、善を完全に実現することは決してできない。と言うのも、
「救済に反対する人間」を救済してはいないのだから。あるいは、「救済が不利益
となる人間」を救ってはいないのだから。それが、現実の限界、人間の有限性と
いうものだ。
どんな人間でも、どんな罪でも救済してくれる弥勒菩薩など、この世にはいない。
にも関わらず、その心地良い幻想、甘美な誘惑をただ夢見てしまう。そうした表
面的な思考は、フィクションの世界に留まるならともかく、いずれ必ずリアリティの
世界にも忍び込むだろう。実際のこの世でどんな救済をすべきで、どんな救済を
すべきでないのか、深く考えることもなく。あるいは現実社会で何が救済からもれ
てしまってるのか、救済の負の側面は何なのか、目配りすることもなく。
いまや、アメリカのアカデミー賞が『おくりびと』(英語タイトル:departures=旅立
ち)に与えられた理由も、正確に理解できるだろう。向こうでの配給担当者が、主
演の本木雅弘に「柔らかい救い」だと表現した意味も分かるだろう。この世では
不可能な、普遍的救済。それをこの世の最後で可能にする者の姿を描く、稀有
な作品なのだから。あの世への旅立ちの瞬間にだけ可能になる、現実の弥勒菩
薩こそが、おくりびと=納棺師なのだから。
☆ ☆ ☆
最後に、全く違う話を簡単に書いておこう。それぞれのワインが何を表してるの
か、これまで私は記事やコメント欄に書いて来た。簡単にまとめると、第一の使
徒=雫。第二の使徒=父。第三の使徒の手がかり(アルタ・エゴ)=兄弟。第三
の使徒=母。第四の使徒=孤高 or 山 or 崇高 or 理想。
そして第五の使徒に関しては、前回のコメント欄のレスにこう書いておいた。「次
は、ポジティブなものなら愛 or 光 or 海、ネガティブなら孤独 or 闇 or 深海 or
森って感じ」。どうだろう。ネガティブな選択肢まで含めて、自分ではなかなかい
い線だったと満足してる所だ♪
先行するワイン記事に書いたように、来週の第六の使徒では、原作の枠組みか
ら離れる可能性が高い。単なるドラマ視聴者にとっては、今までよりも予想しや
すくなるわけで、私なら「友」とか「仲間」を持ってくる。最大の理由は、ロベールを
出すためだ。対決にも豊多香にも関わる重要な人物なのに、これまでワインに
は表現されてない。今回、霧生を表現したのだから、私なら最後はロベールにす
る。友とか仲間という形でなら、失明の危機にある一青をも、一緒にポジティブな
形で表現できることになる。みやびや太陽ビール社員を入れてもいいだろう。
それが本命として、対抗(二番手候補)はナシ。穴馬(意外な候補)は、アルタ・エ
ゴに続いて一青を表現するものだ。別れ、恐怖、絶望、闇といったネガティブなも
の。ただし、これはかなり可能性が低いし、もしこれで行くのなら、最後の1本で
ある「神の雫」の扱いが難しくなる。当然、明るい話に転回するはずだけど、原作
はまだ進行中だから、具体的に書くのは難しい。第六の使途(誤検索用♪)の暗
さを払拭できない恐れがあるのだ。
さて、そろそろ時間が来た。残り2話もじっくりテイスティングして、深い表現を創
り上げるとしよう。ではまた。。☆彡
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
P.S.雫がみやびをワイン・オープナー(開栓用器具)にたとえてた。素敵な世
界へと導いてくれる物で、必要不可欠だけど、身近すぎてうっかり忘れが
ちな存在ということだろう。
P.S.2 先週書いた、闘う男たちの絆。そのちょうどいい例が、2月24日の朝
日新聞・朝刊に大きく掲載されていた。共にベテラン俳優。芸名の名字
は違うけど実の兄弟である2人の、インタビュー記事。タイトルも分かり
やすくて、「張りあって、寄りそって 津川雅彦VS長門裕之」。ケンカみ
たいに真っ向から顔を付き合わせつつも、仲良さそうに見える写真が
印象的だった。
おそらく雫VS一青も、最後までそう描かれるだろう。一青が失明して雫
が思いやるという流れはまずあり得ない。そもそも、完全に失明するの
なら、視力の衰えの原因を精神的ストレスとした意味が無くなってしまう。
「精神的」とは「精神的なものによって回復可能な」という意味のはずだ。
P.S.3 一青と言えば、先週の最後に「待っていたよ、雫」と呼び捨てにしたよう
に思った方が結構いらっしゃった。それに対して、私は先週の追記で、
雫と聞こえるけど雫君だろうと書いた。今回の序盤、やっぱり一青の呼
びかけは「雫君」だった。
P.S.4 霧生のことを、「昔の」という意味で「古典的」と書いた。実は先週「孤高」
の例として挙げた二刀流の達人、『宮本武蔵』(吉川英治作,1939)の
主要な登場人物になってるのだ。1人は、ひたすら孤高の武蔵を愛す
る女性。もう1人は、ひたすらダメ息子を慈しむ女性。70年前の小説の
2人を合わせると、見事に今回の霧生、慈愛あふれる弥勒菩薩になる。
ちなみに、この小説は朝日新聞連載で、1954年の映画化(三船敏郎
主演)ではアカデミー賞・外国語映画賞名誉賞に輝いてる。つまり、『お
くりびと』の先駆け的作品なのだ。まあ、それよりも、実戦空手で有名な
極真空手の創始者、大山倍達の愛読書って話の方が有名かな。
聞いた事もない? あっ、そう♪☆彡
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『神の雫』第4話のワイン、アルタ・エゴ(第三の使徒の手がかり)
『神の雫』第6話のワイン、シュヴァリエ・モンラッシェ(第四の使徒)
『神の雫』第8話のワイン、シャトー・ラフルール(第六の使徒)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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コメント
テンメイさん、こんにちは!
なかなか筋の通った骨太の脚本と思うのですが
何しろ、表面的ストーリーに引きこまれる
ワクワクドキドキがあんまり無いものだから
数字に反映しないのかもしれませんね。
世の中分かりやすさが一番ですし。
そういう意味では今回の弥勒菩薩なんてそっくりの霧生でバッチリだったのですけど、
やはり遅すぎたのでしょうか。
まあ・・応援部隊が充実してますんで
知る人ぞ知るマニアドラマで十分です(笑
第6の使徒にロベールを持ってくる案は納得です。
その予想を楽しみにしていますね。
なんか、今回はかつらがとれそうで危ないロベールでしたから
冷や冷やして記事に登場しませんでしたわ(苦笑
そうそう、みやびちゃんのポーズがかわいかった。
そうかあ・・中指が違うのね。
よく気づきましたね。さすがです。
ワインはお茶の間では浸透しにくいようですが
次回もおいしいワインに乾杯できますように♪
投稿: エリ | 2009年2月26日 (木) 12時20分
テンメイ様、こんにちは。
ふふふ、キツネがコーンでございますな。
弥勒菩薩の手つきは玄妙ですからな。
基本的に仏像の手つきは
手話というかボディーランゲージの一種。
仏教徒は印相と呼んだりします。
弥勒の印相は結構、謎めいているのですね。
広隆寺の弥勒は
親指と薬指で輪を作っているように見えます。
それが角度によっては頬にあてているようにも
見える人がいるかもしれません。
この場合は転法輪印と呼ばれ
真理を説いているという意味があると言われます。
それに対して中宮寺の弥勒は
その寸前の手つきとも見えたりします。
基本的には弥勒菩薩の右手は
施無畏印と呼ばれる
手のひらを前にむけた
無抵抗を示すとも言われます。
施無畏印は「待て」
転法輪印は「始め」
という合図であると悪魔は愚考するのですな。
本来、弥勒は「説法」を待機している状態。
それが説法開始や・・・それに移行する手つきを
示すというところが
救済を期待する衆生の切ない気持ちを
表現しているとも言えるのです。
人々は思う。
「ブッダは死んで・・・もうかなりの時がすぎた」
「もうそろそろミロクが現れてもいいのではないか」
「教えてください。救ってください」
それが・・・広隆寺の弥勒の印相だと
キッドは考えます。
そうすると・・・なんとなく
もったいぶりやがってこのあまっ
という気分が悪魔的にはムラムラとわいてくるのですな。
そういう意味ではキッドの妄想的には
霧生は待つ女だけれど
おあずけしていた女とも
とれるわけです。
おあずけしている間に
男は往生した。
えええええっ。
という感じです。
だから遺言という名のラブレターを読んだ
霧生の心境は
抱かれてもよかったのにぃ。
あるいは
抱いてくれたらいいのにぃ。
だったかもしれません。
工藤静香かっ。
ああ・・・さすがに七杯は
酩酊ですな。
しょれでは・・・八敗目れ~
投稿: キッド | 2009年2月26日 (木) 16時37分
> エリさん
こんばんは
僕は最初からこの脚本は評価してますが、
今回は軽くダメ出ししときました。
是々非々。いいものはいい。悪いものは悪い。
最近、急激に亀梨ファンの読者が増えてるので、
ウチのポリシーを示すためでもあります。
また、無限の慈愛と救いをもたらす弥勒菩薩は
現実にはいないという記事の主張とも絡めてます。
ワクワクドキドキというと、『華麗』との
比較が分かりやすいですね。
同じく非常に古い内容のTBSドラマで、
ジャニーズ主演の父と子のドラマ。原作あり。
ただし、華麗では原作が遥か以前に終了してて、
劇的な結末を知ってる人が大勢いた。
おまけに、ドラマの第1話冒頭から、その結末を
暗示するインパクトあるシーンを映した。
だから、ドラマではどうなるのか、原作と
同じなのか、ドキドキ感はあったと思います。
大企業の栄枯盛衰、時代の変化という流れもある。
珍しく挫折するヒーローとなったキムタク=
木村拓哉を見る楽しみもありました。
こうゆう『華麗』の魅力と比べた時に、
ワインの銘柄当てゲームというのは、
何とも緩すぎるストーリーだったかも知れません。
企画を立てたのがいつなのか分からないけど、
高級ワインを味わう時代じゃない点も痛かった。
ダメ押しのように、原作ファンも不満を示した。
ウチとかキッドさんとか、マニアックなアウトローは
プッシュしたわけですが、大局的には力及ばず。
でも、自分たちが満足したという意味では大成功。
これを「自己満足」と呼ぶかどうかはビミョーですね。
まあ、ジャニーズ事務所も、亀梨を「救う」方法を
改めて考えるキッカケになったかも知れません。
で、ロベールのかつらがとれそう?♪
そりゃ、気付かなかったっていうか、最初から
ワザとらしいから、特に感じなかったなぁ。
まあ、来週の遺言状では「友」とか
「仲間」という言葉に期待しましょう。
ロベールが何者なのか、ほとんど分かってないし。
みやびのポーズは可愛かったし、適当にあしらう
雫も笑えましたね。いいコンビか、いいカップル
中指の違いの発見、僕の業績リストに加えます (^^)v
どんだけぇ~マニアックなんや!
ではまた、8杯目にて。。
> キッドさん
こんばんは いつもより早いですね♪
みやびの手がキツネに見えたブロガーは、
検索すると僕だけのようです。
別に僕も、影絵同好会出身じゃないし、
コックリさんのファンでもないんだけど (^^ゞ
ま、違いの分かる男ってことで♪
そちらの記事、宗教に詳しいキッドさんにしては
アッサリだなと思ったら、ここで爆発しましたね☆
ボディーランゲージ。。確かに。
そのランゲージ(言語)を読み取れる人は
少なそうだけど、修行しろってことなのかも。
ま、今後の課題ってことでお茶を濁して。。
指を頬に当ててるって話は、見る角度も問題だけど、
先入観があったんじゃないかな。
頬杖ついて考える仕草のイメージ。
実際には、指は離れてるし、そもそも頬に当てる
指の角度にはなってないんですよね。
ほほぅ・・キツネは真理の説法ですか。
「思惟」とか「考える人」とはちょっと違って。
救済へと導く弥勒の説法は、5億年か50億年先って
話がありますが、みんな「待て」ないわけネ♪
う~ん、衆生の切ない気持ちが読み取れるし、
だから広隆寺の弥勒が人気なのかも。
で、それがもったいぶった女(あま)と重なると ^^
なるほど。。で、ジレた京大生が抱きついて、
50年前に薬指を折ってしまったわけか♪
その後の人生がちょっと心配ですね。
アブナイ趣味や行動に走り続けてそうで。
アハハ (^^) えええええっ、て、霧生がね。
で、失敗しちゃったから、代わりがロベールか♪
そりゃ、悶々とする日々かも。
工藤静香『抱いてくれたらいいのに』(88)。古!
って言うか、その名前はいまだにタブーかも。
それではまた、8杯目にて。。
一青と共に、飲みすぎにはご注意あれ。。
投稿: テンメイ | 2009年2月26日 (木) 22時01分
テンメイさん
おはようございます
そうですか
男性側からも そう思われるのですね
私 豊多香にとっての第3の女が受け入れがたかった
霧生は 豊多香となんら関わりはあるとは思っていましたが
それを すべて容認するような描き方
でも そう考えるのは
私が女性だからかなと思ったりしていたのです
最初は 雫が霧生にありがとうと言ったところも理解しがたかった
ほのかの存在を裏切りととった雫が 霧生には感謝
何が違うのだろうと考えました
母の死の前と後ってこと でしょうか
自分にとってのみやびと 豊多香にとっての霧生
そう重ねると 父の傍に霧生がいてくれたこと
よかったと思えたのだろうと考えました
雫の男性としての成長
自分も愛する人を得たとき
父を同じ男性として理解できた
私 個人としては 豊多香という人間は
身勝手な男性のように思えるけれども
雫にとっては
そうではないのだろうと思うことにしました
2枚目の遺言状を隠した霧生を守り
マキを責めるような雫にも 違和感を感じた
いい子過ぎる・・・
<雫>というキャラが人間味をあまり感じさせないのです
一青との対比で描かれているのだろうけれど
私には 一青の方がずっと魅力的で
その感情も理解し易いです
韓国版では ヨンさまが
一青の役で主役というのは 分かる気がする
1話で あれだけワインを拒否していた雫が
ワインを受け入れ 父への怒りをとき 理解したいと思い始めるまでが
あまりに簡単に描かれすぎていると思います
雫の物語なのに 主人公がぼやけてしまってるようで残念です
雫にとってのワイン対決の意味も分かりにくく
対決そのものが 活きてこない
亀梨君は 脚本に忠実に
彼の得意とする世を斜めにみるような雰囲気は封印し
お坊ちゃまをよく演じているとは思いますが・・・
主人公のキャラについては
完全に自分の好みを押し付けてるだけともいえるので
これくらいにしておきますね(笑)
残り 2話になってしまいました
今となっては 自分の好みは封印して
脚本の意図を探りながら
ドラマを楽しむ方針に切り替えて
楽しむことに専念したいと思います
投稿: 彩花 | 2009年2月28日 (土) 08時13分
> 彩花さん
雪山へ登って来たので、遅くなっちゃいました
失礼致しました。。
2人でも問題なのに、第3の女は引っ掛かりますよね。
その存在だけでもちょっと問題なのに、まるで
霧生の慈愛と豊多香の感謝でOKみたいな描き方。
まあ、身体の関係じゃなければ大した問題でもないかも
知れないけど、雫の態度がイマイチだった。
母の死後だから雫の態度が優しかったという解釈は、
不可能ではないけど苦しいと思いますよ。
既に怒ってる雫から見れば、ほのかに加えて霧生までと
考えて、再び怒る方が遥かに自然。
霧生に感謝すること自体は別にいいんだけど、
それとは別に、多少は怒りや不満を見せるべき。
雫の男性としての成長と言っても、先日激怒した
時からまだ僅かな時間しか経ってないはずです。
無理に納得する必要もないでしょう。
単なる脚本のミスです。大きくはないけどね。
いい子過ぎる。。僕に言わせると、子ども過ぎる。
「いい子」って言うと、霧生の感心しない行動にも
ちゃんと注意するような語感があるから。
アハハ (^^) そうでしょ。一青の方が魅力的。
僕は前から、一青が主役だと言ってます。
まあ、ファンの数が2ケタくらい違ってそうだけど。
エッ? 一青がヨン様なのは耳に入ってたけど、
主役なんだ! そりゃまた斬新な解釈☆
父に対する雫の態度の変化は、確かに不十分だけど、
ギリギリ許容範囲だとも思うんですよ。
要するに、ワイン漫画を強引に人間ドラマにしたわけで、
怒りから愛情へ、拒絶から理解への流れを作りたかった。
その制作意図は分かるし、途中で2回目の激怒もあった
から、物語的にも雫の揺れ動く気持ちは一応描かれてる。
原作もののドラマで、何か変な部分があったら、
原作とドラマの設定の違いから来てることが珍しくない。
いずれ、その点についても記事に書くつもりです。
アハハ (^^) 雫はイマイチだけど亀梨は上手いわけね。
ま、弥勒菩薩の時代ってことで♪
自分の好みって、『サプリ』落ちなら雫お坊ちゃまも
問題ないと思うんだけど、全く別物なのか。
『ひと恋』落ちなら、雫への不満も分かるんだけど。
自分の好みは、封印しなくていいでしょ。
別扱いにするだけで十分。
って言うか、田辺誠一を楽しめばいいんですよ(笑)
とにかく、いよいよ最終回。
最後までしっかり見届けましょう。。
投稿: テンメイ | 2009年3月 4日 (水) 03時43分