宗教学者という困難、あるいは至福~佐々木閑「日々是修行」(朝日夕刊)
やはり今週が最終回だったか。。おそらくそうだろうと思って、2月末の1本目の
記事「信仰、信頼、愛」に続き、先週2本目の記事「仏教の語り方と目的」をアップ
しといたわけだが、折角だから最後も軽く触れとこう。本来なら、これまでより本格
的に論じるべきだけど、私は今、仕事に追われてそれどころじゃないのだ。走ると
いう修行に回す時間もないから、せめてブログの毎日更新という修行の形だけは
死守するとしよう♪
意味など考えず、ただ全身で丁寧に形を守ること。これこそ、道元禅師や曹洞宗
による「威儀即仏法」という教えの根本だろう。ま、私は別に仏教徒じゃないし、特
定の宗教に肩入れするつもりもないけど、禅宗というのは昔からわりと好みなの
だ。花園大学の仏教学者・佐々木閑(しずか)の2年間にわたるコラム連載も、そ
の毎週執筆という形だけで既に、「日々是修行」と呼びうるものになってるだろう。
☆ ☆ ☆
さて、2009年3月26日・朝日新聞夕刊に掲載された、最後のコラムの内容は、
ある意味でタイトル通りだったと言えなくもない。「釈迦の教えに魅せられて」。人間
の苦悩を消すお釈迦様の「教えに触れて、魅了された。だから、その釈迦の仏教
を伝えたくて、このコラムを書き続けてきた」。また、「釈迦の教えが、時代の塵に
まみれていく歴史・・・・・・の流れを遡って、なんとかもとの姿を復元したい。それが
私の望みである」とのこと。。
これは佐々木自身による自己像だが、愛読者の私という他者からは、かなり違っ
た姿に見えている。私が読んだのは、あくまで佐々木自身の文章であって、釈迦
の教えというわけではない。そもそも私は、「釈迦の教え」に興味があると言えな
くもないけど、そのようなものは知らないのだ。そして、知らないものに興味をもつ
ことなど論理的に不可能だろう。。とか書くと、懐かしさと共に苦笑する方もいらっ
しゃるだろう♪ そう。この論法は、釈迦とほぼ同時期の古代ギリシャ哲学で問題
となった、「イデア」に関する問い、あるいはアポリア(=難問)の中で登場するもの
と同じ形なのだ。
ソクラテスの考えを受け継ぎつつ、独自の発展をもたらしたプラトン。彼は、この
現実世界を遥かに超越した、理性だけが認識できる真の実在(=イデア)だけ
を真剣に追い求めるべきだと主張する。ところが、こうしたプラトン哲学に対して
は直ちに反論や疑問が生じるわけだ。知らないものをどうして追求できるのか。
あるいは、いま獲得してる知識がそのものの知識だと、どうして言えるのか。そ
れは結局、そこで追求してるものが、実は既に我々の知ってるものだからだろう。
という事は、それはあくまで現実世界のものにすぎず、特別な存在ではないのだ。。
こうした反論や疑問に対して、プラトンは弁明する。いや、我々は昔、その真なる
存在を知ってたのに、忘れてしまったのだ。だから、それを思い出せばいいだけ
なのだ。。「想起説」と呼ばれるこうした考えをもってしても、さほど難点が解消す
るわけではないことくらい、プラトン自身が一番よく理解してただろう。そう言いた
くなる気持ちは分かるものの、結局また新たな「神話」が一つ創られただけなの
だ。プラトン哲学の崇高な真実性を守ろうとする学者の微笑ましい姿ほど、それ
が神話にすぎないことを雄弁に語るものは、他にないだろう♪ もちろん、神話と
しての価値を否定してるわけではないので、念のため。
特別な真なる存在を追求するという困難さは、プラトンだけでなく、信仰厚き仏教
学者の佐々木に対しても付きまとうことになる。彼は、今の仏教は偽物だから、
本物の釈迦の教えを復元したいというわけだ。でも、本物を知らない状況で、どう
やって本物を復元するというのか。
答は簡単なのだ。本物の復元というのは、既に存在するものの中で、自分が
「本物」だと思うものを創って行く作業なのだ。つまり、この現実の中での個人的
創造、あるいは周囲の共鳴との共同制作であって、遥か彼方に既に存在する
(or 存在した)本物の復元などではないのだ。もちろん、それがいけないと言っ
てるのではなく、それでいいのだ。
私がこの連載コラムに見たものは、釈迦の教えと言うより、佐々木の思索だ。仏
教学者という困難なポジションにおける、心の揺れと言ってもいい。一方で、今現
在の仏教の中でも、「信仰」の気持ちは抱いてる。ところが他方、「学問」としては、
ただ単に信じるだけではなく、自らを現実の仏教から少しだけ離して、冷静かつ
客観的に論じる必要がある。承認だけでなく、変革する必要がある。だからこそ、
釈迦への思いは「信仰」ではなく「信頼」にすぎないという刺激的な話が出てたわ
けだし、今の仏教は塵にまみれているとも語ることになる。
にも関わらず、最後はやはり、非常に素朴で純粋な信仰心が現れてるわけで、
この辺りの佐々木の揺れが、非常に人間らしくて好ましいのだ。本当は彼は、
「釈迦の教え」に魅せられてるわけではない。それは言葉の彩に過ぎず、遠くの
方向に漠然とした憧れを抱きながら、今目の前にある仏教の中で、一歩一歩進
んでるだけのこと。自分の手で、今ある材料を使って創作活動を行ってるわけだ。
その活動の中で、どこか遠くにある本物の存在を夢見る思いは、プラトンが抱い
たのと同様の「憧憬」と言ってもいいし、愛と呼んでもいい。いずれにせよ、それ
は日常的な人間の営みであり、なおかつ自らを磨いてより輝かせることでもある。
「日々是修行」とは、そうゆう意味だろう。
宗教学者という困難の中で模索する人間の姿。あるいは、その揺れ動きそのも
のの中に感じ取れる繊細で不安定な至福。俗世間の一般人としては、それらが
放つ温かい光へと、今後も視線を注ぎ続けるとしよう。それもまた、「日々是修行」
であるし、至福の一形態でもあるのだ。
ではまた。。☆彡
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P.S.もちろん、上で私が取ってる立場は「非実在論」と呼ばれるもので、「実在
論」とは宿敵のライバル、あるいは犬猿の仲だ。何かが本当に存在する
のか、あるいは存在しないのか。それは第三者的に見ると、論理的な対立
というよりむしろ、好みの違いだろう。別のチームを応援するスポーツファン
同士が罵り合うような、可愛らしい光景に過ぎないから、雲の上でお釈迦
様が微笑んでるのは間違いない。。♪
P.S.2 7年後の16年6月26日、急に少しこの記事
のアクセスが増えたなと思って調べてみると、
NHK・Eテレに佐々木が登場したようだ。
「こころの時代~宗教・人生~『わたしの“出家”生活』」。
本当の生きがいを求めて人生をリセットする
という出家は、僧侶でなくてもできる。
そう説明したらしい。
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コメント
うーーー、今度こそ固まっちゃいませんように!!
サクサクっと書いちゃお。
こんばんは、テンメイさん☆
またまたご無沙汰しちゃいました!
ううん、何度かコメントを書きかけたんだけど、
その度、固まっちゃったりして挫折しておりました。。m(_ _)m
今日は挫けずに再チャレ。
さて、風邪の具合はいかがですか?
もうだいぶ良くなりました?
ひき始めにフルなんて走ったから
余計に酷くなったのかも・・・ですね。
とにかく早く完治しますように!!です。
私は元気にマイペースでぼちぼち走ってます。
2周を3周にしてみたり・・・
少しずつですが、距離を延ばして頑張ってまーす♪(o ̄∇ ̄)V
さて、最近の記事って、以前より難しくなってません?
特に数学&物理の記事!
テンメイさんはもちろん、
あの記事を理解できる読者さんも尊敬しちゃう。
私はどっちかというと、今回の記事がタイプです。
うちの家が曹洞宗っていうのもあったし、
哲学が好き・・・とまではいかなくても
好きなほうなので、食いつきました。
いつものことなんだけど
テンメイさんの文章を読むとね、
新しい発見だったり、自分が思ってても
ちゃんと表現できないこととかを
すごく上手くまとめてあって
読んだあと、とてもスッキリするんですよね。
PSのオチ(?)なんて特に好きです。
おっと!今回の記事のコメントになってませんね!
(^-^;
記事が素晴らしすぎて、ほんとコメントし辛いんですよー。
そうそう、先日青木新門さんの「納棺夫日記」
という本を読みました。
モックンが“納棺師”という仕事を知り、
『おくりびと』の誕生のきっかけになった本です。
“日記”と題してあるので、きっと納棺夫をしていた時の
エピソードが書かれてあるのだろうと思い読み始めたのですが、
この本は、思っていた以上にとても深い内容でした。
前半は映画にも登場する日記の記述でしたが、
後半は、納棺夫として多くの死を見つめることで
真の“生”と出会い、
その多くの経験を通して経た、
哲学的な宗教観といったものが書かれていました。
浄土真宗の親鸞の教えや、“教行信証”や“大無量寿教”
についてもとても詳しく解説されてたし、
宮沢賢治の詩(永訣の朝)などを引用してたり。。
『おくりびと』(本&映画)では、
宗教色はまったく感じられませんでしたが、
筆者が一番書きたかったのは、この宗教観だったように思えるし、
私は、映画よりもこの本のほうが良かったです。
(少し難しかったけど・・・!)
なんか、ダラダラ書いて、また怪しくなってきたので
この辺で失礼します。
また
おやすみなさーい
まりこ
PS 結局記事のコメントになんなかった( ̄○ ̄;)!
投稿: まりこ | 2009年3月28日 (土) 01時12分
> まりこちゃん


が不安定なんだから、




が書いてるのにはノケぞったよ (^^)





おや、また1ヶ月ぶりの登場だね
月イチって、マンネリのカップルみたいだな
・・・って、下ネタかよ!
ま、日々是修行とはいかなくても、
「月々是修行」くらいは頑張って継続しよう。
ちなみに、
ちゃんと下書きして送信するのを忘れずに!
で、風邪ね。やっぱ1回本格的にひいちゃうと
2週間かかるな。半年に1回程度の恒例行事。
ひき始めにフルって言うより、フルでウィルスを
もらったような気がして仕方ない。
さっき、ようやく10km走れてホッと一息
「まりこちゃんのRUN」はぼちぼち順調なんだ♪
感心、感心☆ 距離を伸ばして、種を買おう ^^
さて、唐突にいい指摘するね!
以前より難しくなってるような気はするな。
ここ2週間で読者がどんどん減ってるから (^^ゞ
まあ、ドラマが終わるといつもの事だけど、
この春はたまたまハイレベルな数学や物理を扱う
ことになったし、円周率や仏教まで登場。
ドラマやタレントのファンはポカーンとしてるかも♪
もう少し視野を広げると、今年に入って全体的に
ちょっと難しくなってるかも知れない。
多分、頭の回転が良くなってるんだよ。自慢かよ!
元々、昔から難しい話は大好きだから、ここに来て
ジワジワと本性発揮って感じかな。
もうちょっと常連さんが付いて来てくれると
嬉しいんだけど、特に理系ネタはウケが悪いよな。
笑っちゃうくらい冷淡な反応。。
宮沢賢治だよ。雨にも負けず、「風邪」にも負けず♪
ま、グーグルのロボット君はちゃんと注目して
くれてるから、いずれ大ブレーク・・・しないよな。。
で、家が曹洞宗?! そりゃ、初耳。
哲学が好きなほうってのも初耳のような気がするね。
まさかこの記事にコメントくれるとは思ってなかった
けど、そうゆう背景があったのか。
で、PSのオチがいいとネ。よく読んでるな♪
テンメイ・ワールドの核心をつく、いいコメントだよ
やっぱ、辛口の理屈には、笑いとかユーモアの
福神漬けが適量に入ってなきゃね。
ただ、理数系の記事とか、文系でも難しめの記事は、
わざと真面目に書くことが多いかな。
読者の趣味に合わせるってことで。。
で、『納棺夫日記』か。面白いネタをありがとう
ほぉ~と思って、早速あれこれチェックしちゃったよ。
青木新門、面白い人だから、記事まで書いちゃった。
「教教信証」はともかく、「大無量寿教」なんて
言葉をまりこちゃん
と言いつつ、お経は嫌いじゃなくてさ♪
ただ、サンスクリットとか漢語とか、言葉のハードルが
高過ぎて、マジメには語り辛いんだよなぁ。
ギリシャ、ラテンの方が遥かにマシだわ。
賢治の「永訣の朝」、知らなかったけど、いい詩だね
早速「青空文庫」で読んで、ウルウルしちゃった。
昔の言葉遣いがわかりにくくて♪
いや、そうじゃなくて、最期の兄妹の姿が切なすぎて。。
で、映画より本の方が良かったと。
なるほど。変わり者の二枚目ジャニーズより、
頑固オヤジの方が好きってことか♪
かなりマニアックな趣味だね。
ほんじゃ、後で立ち読みくらいしてみようかな。
先に数学の勉強もしなきゃいけないんだけど。。
ともかく、久々の登場で力作コメント、どうもどうも
また待ってるからネ
ほんじゃ、おやすみ。。
テンメイ
投稿: テンメイ | 2009年3月29日 (日) 04時49分
28.7.2(土)のTVかしこまって拝聴致しました。
我々ど素人には、まことに新鮮で開眼頻りの思いです。
日々、人身事故が報じられて居りますが、この話を
聞く機会があれば、変わったかもしれません。
これからも、凡夫の思いに色々な発想を注入して下さい。
投稿: すずき数馬 | 2016年7月 2日 (土) 15時01分
> すずき数馬 さん

はじめまして。コメントありがとうございます。
やはりEテレを御覧になったわけですね。
我々はみな、素人とか凡夫であって、
日常の現実に埋没する日々を過ごしてます。
ただ、そんな中でも時々、遥か彼方に思いを
めぐらせることがあります。
その時々で思いを深め、心身を整え、また日常に戻る。
これが普通の生活というものでしょう。
宗教とか出家という言葉を使うかどうかはさておき、
そうした静かな歩みを大切にしたいと思います。。
投稿: テンメイ | 2016年7月 3日 (日) 18時10分