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イプシロン・デルタ(ε-δ)論法による極限の定義

「イプシロン-デルタ論法」(ε-δ論法)とは、数学の「極限」(limit=リミット)

を厳密に扱う論法で、普通は大学以上の数学でしか扱わないし、最近は大学で

さえ扱いが減ってるようだ。あまりに理屈っぽくて分かりにくいということで学生に

不人気だし、物理を始めとする自然科学系の議論にもほとんど必要ないから、

その意味では当然の流れだろう。

           

ただ、解析学(微分・積分など、極限を扱う学問)を数学的に厳密に学ぶために

は重要で、手元の定番ロングセラー『解析入門Ⅰ』(杉浦光夫,東京大学出版会)

でも冒頭から使われている。また、私自身も決して嫌いではなくて、面倒だけどキッ

チリしてるなぁ・・というポジティヴな印象を持ってる。そこで今回は、この悪名高き

論法の初歩を軽くまとめてみよう。要するに、これから色々と書いていく微分・積分

記事の理論的な基礎を準備したいわけだ。

        

     

          ☆          ☆          ☆

まず、イプシロン・デルタ論法(ε-δ definition of limit=εとδを用いた

極限の定義)を扱う前の準備として、論理学的な言い回しに慣れておこう。

       

   「誰にだって、やりたい事の1つくらいはある

という普通の文章を考えてみる。これを、「述語論理」と呼ばれる論理学の一種を

使って言い直すと、たとえば次のようになる。

   「すべての人間に対して、ある事が存在して、その人はその事をやりたい」。

                       

もちろんこれは、日常的にはあり得ない言い回しだけど、意味は分かるはずだ。

ちなみに、もっと理屈っぽい厳密な言い回しにもできるけど、ここでは避けとこう。

すべての x について、ある y が存在して、~~~」という言い回しに、身近な例

で触れておきたかっただけなのだから。

          

                  

         ☆          ☆          ☆

続いて、高校2年で微分の前に習う、関数の極限(limit)を考えてみる。

090505a2_2     

           

          

日本語に直すと、「x が限りなく3に近づくとき、2x は限りなく6に近づく」。あるい

は、「x が限りなく3に近づくときの 2x の極限は、6」。いずれにせよ、「限りなく」

という副詞や「極限」という名詞がある。

         

これらは極限を習うまでは必要なかった特殊な言葉だから、今まで使ってた普通

の言葉に置き換えようというのは、学問的に普通の発想だ。また「限りなく近づく」

というのは、「常にどんどん近づいて行く」ことと同じではない。というのも、数学の

「限りなく近づく」は、途中でたまに一時的に離れることも許す表現だからなのだ

(複雑な変化を扱う時に重要)。

               

                       

          ☆          ☆          ☆

そこで登場するのが19世紀のドイツの数学者、ワイエルシュトラス(Weierstrass)

だ。彼は上の極限を、次のように厳密に言い換える技を編み出した(言葉使いに

微妙な違いあり)。

                              

   すべての正のεに対し、ある正のδが存在して、

   すべてのx に対して、0<|x-3|<δならば|2x-6|<ε

       

   記号で表すと、

      

   ∀ ε>0 ,∃ δ>0 ,∀ x ( 0<|x-3|<δ ⇒ |2x-6|<ε)

         

この記号化のやり方も、人それぞれ微妙に違ってるので、コンマの有無とか、

カッコの有無などはあまり気にしなくていい。たとえば、日本版ウィキペディアだ

と「∃ δ>0」の次に「s.t.」(英語のsuch that~の略、~のようなの意味)と

書き添えてるけど、英語版ウィキも『解析入門Ⅰ』も「s.t.」は使ってないのだ。

あと、「∀x」よりも「∀x∈R」(すべての実数xに対して)と書く方が正確だけど、こ

の「∈R」も英語版ウィキでは省略されてるし、書かなくても分かる場合が多い。

                 

」という「全称記号」は、「すべての」を表す記号で、英語の「All」の頭文字「A」

をひっくり返したものと思えばいい(正確にはドイツ語)。また「」とは「存在して

を表す「存在記号」で、英語の「Exist」(=存在する)の頭文字「E」をひっくり返し

たものと思えばいい。

                       

2本の縦線||(絶対値記号)を使った|x-3|というのは、x と3の差を表す

正の数。また、ε(イプシロン)とδ(デルタ)というのは、何か非常に小さい数を

表す文字だ。したがって0<|x-3|<δは、x と 3 が非常に近いことを意味

する不等式(ただし同じにはならない)。また|2x-6|<εは、2x と 6 が非常

に近いことを意味する不等式だ。

                                       

今、たとえばε=0.1とすると、δ=0.05と決めれば

    「すべてのxに対して、0<|x-3|<δならば|2x-6|<ε」

が確かに成立する。

                      

実際、0<|x-3|<δ、つまり0<|x-3|<0.05ならば、右側を2倍して

2|x-3|<0.1。よって、|2x-6|<0.1。つまり、|2x-6|<εとなる。

εの他の値に対しても、δ=ε/2(=εの2分の1)と決めればよい(こうゆうδ

を上手く見つけ出すのがポイント)。

                

もともと「x が限りなく3に近づくとき、2x は限りなく6に近づく」と言ってたのを、

x と3の差がδより小さいならば、2x と 6の差はεより小さくなる」と言い直した

ことになる。更に言い換えると、「x と3の差がある程度以上小さければ、2x と6

の差はどんな値よりも小さい」。こうして、「限りなく近づく」とか「極限」という特殊

な表現を消すことができた。ただしその代わりに、ややこしくなってる訳だ。

     

                

           ☆          ☆          ☆      

公平に見て、高校数学レベルだと、「限りなく近づく」という表現の方が遥かに実

用的だろう。ただし、大学以上のレベルだと、次第にそれでは物足りなくなって来

る。実際、ワイエルシュトラスは、自分で考案したεδ論法を用いて、それまで解

けなかった問題を証明したようだ(英語版ウィキの「Karl Weierstrass」参照)。

             

とはいえ、大学以上のレベルでも、数学以外の科目で「εδ論法」が必要になる

場面はほとんど無い。したがって、理系の人間でさえ、この論法が重要かどうか

はビミョーな所だろう。私は「半ば理系」にすぎないけど、理屈大好き人間だから、

イプシロン・デルタ論法はプッシュしたいのだ。ま、この記事へのアクセスがどの

くらい少ないかを確認して苦笑したいという、屈折したお遊び感覚もある♪

                            

という訳で、今日のお勉強はこれにて終了。ではまた。。☆彡

        

      

           

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

P.S.当初、デルタ(δ)に関する不等式は単に「|x-a|<δ」とか書いてた

    これは『解析入門Ⅰ』に合わせたもので、間違ってはないけど、誤解を招き

    そうなので、後で 0<|x-a|<δ などと書き直した。

       

P.S.2

090505b2

 のような場合、つまり関数ではなく「数列」の極限を

 扱う時には、

             「すべての正のεに対して、ある(自然数)N が存在し、

             すべてのn に対して、n≧N ならば|n/n+2 -1|<ε」。

            記号だと

            ∀ ε>0,∃ N ,∀ n ( n≧N ⇒ |n/n+2 -1|<ε)

            デルタは使わないけど、広い意味でイプシロン・デルタ論法だ。

            ε-N(イプシロン・エヌ)論法とも呼ぶ。        

                       

P.S.3

090505c2_2 のような場合、つまり無限大(+∞)への「発散

 (特定の値に「収束」しないこと)を扱う時には、

              「すべてのMに対し、ある正のδが存在して、すべての

              x に対して、0<|x-a|<δならば  f(x)>M」。

              記号だと

              ∀ M,∃ δ>0,∀ x (0<|x-a|<δ ⇒  f(x)>M)

              となる。この場合は、イプシロンを使ってない。   

                       

P.S.4 「∀」という記号は、「すべての」というよりは「あらゆる」という意味、つま

      り、どの一つについてもという意味だから、「All」の頭文字「A」の逆とい

      うより、「Any」(=あらゆる,いかなる)の頭文字「A」の逆と考える方が

      実情に即している。 

    

     

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

cf. ε-δ論法による極限の定理(線型性)の証明

   イプシロン・デルタ(ε-δ)論法の問題の解き方

   ε-δ論法による基本定理の証明~関数の積の極限

   ε-δ論法における、∞(無限大)や発散の扱い方

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   ε-N(イプシロン・エヌ)論法~数列の極限の定義と解き方

   ε-N論法による基本定理の証明~数列の商の極限

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コメント

あの 言葉だけではわかりにくいのですが
リミットxが限りなくちかずくとき
サインx分のxって1らしいのですが
私は1+0だとおもうのですが
どうでしょう?

投稿: Uguisugarasu | 2011年2月 4日 (金) 20時49分

> Uguisugarasu さん
    
はじめまして。コメントありがとうございます。
    
面白いお名前ですね。「鶯・鴉」。どちらもスズメ目(もく)。
あるいは、「ウグイス色のガラス」でしょうか♪
    
違ってたらすみませんが、文体と内容から考えて、
高校生くらいでしょうね。
あるいは、中高一貫教育の優秀な中学生とか。
    
   
「x→0 の時、x/sin x →1」
というのは、高校・数Ⅲの極限の基本。
「1らしいのですが 私は1+0とおもう」ね。
なるほど、そう言えば僕も高校時代、
似たような事を考えてた気がします。
     
要するに、1より大きい値を取りながら1に近づくと、
言いたい訳ですよね。それは、その通りです。
   
ただ、関数の値の方には、「1+0」という
書き方が無いんですよ。
この場合だと「x/sinx →1+0」とは書かない。
意味は分かるし正しいけど、慣習とか約束事の問題。
   
理由は知りませんが、そうした書き方は変数の側だけです。
例えば、「x→2+0」とか。
右方極限とか右側極限(値)と呼ばれるものを
求める時の書き方ですね。
    
     
ひょっとすると一部の専門家が、論文や講義の中で
新たに定義して、関数の値の方にも「+0」という
書き方を使ってる可能性は一応あります。
    
ただ、学生がテストで書くと減点されるかも
知れないので、避けた方が無難でしょう。
もし書くとしたら、記述試験の難問で、答案の中で
新たに自分で定義した後でしょうね。。

投稿: テンメイ | 2011年2月 5日 (土) 07時30分

2009年の記事に対して2011年にコメント到来、そのコメントにさわやかに解答、こういうの好きです。テンメイさんの信望が厚いのも納得です。

投稿: gauss | 2011年2月 6日 (日) 20時59分

> gauss さん
   
おはようございます。度々どうもです♪
    
数学のいい所は、理論的完成度の高さだけじゃなく、
それがずっと持続することですね。
数十年~数千年のレベルで。
これに匹敵するのは、論理学や物理学の基礎理論、
あるいは伝統的宗教くらいでしょうか。
       
そういった内容で、一度きっちりした記事を書いとくと、
数年後にも価値が持続し、読者が集まって来る。
簡単なやり取りでも嬉しいし、刺激にもなりますね。     
今回の質問なんて、初々しくて微笑ましい♪
論点がズレるけど、その極限値だけで何か
記事を書いてみようかなって気にもなります。   
       
ただ、理論と違って、自分の記事の価値を持続させるには、
Googleとか、検索サイトの評価を保つ必要がある。
これが大変なタダ働きなわけです。
周囲の冷たい視線に耐えるのも大変な苦行 (^^ゞ
正直、実態は「さわやか」さとはかけ離れてますね。
    
見返すためにも、有名ブロガーとして成功してやろうと
思ったりしますが、5年半頑張ってもまだ程遠い状況。
肩の力を抜くのがいいか、あるいはもっと入れるべきか、
迷い続ける小市民ブロガーの毎日です。。

投稿: テンメイ | 2011年2月 8日 (火) 07時39分

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