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太宰治『人間失格』、軽~く再読♪

太宰治、生誕100年。おまけに6月19日が「桜桃忌」(誕生日&自殺遺体

発見日)ってことで、ここ2ヶ月くらいはホント、太宰の名前を見る機会が多

かった。特に朝日新聞の記事の多さは凄かったね。映画(生田斗馬主演、

荒戸源次郎監督)の撮影も始まったことだし、メディア全体で話題を盛り上

げようっていう連携プレーは分かるけど、もうちょっと控え目の方が彼自身

も喜んでくれたと思うな。。

                           

ともかくウチとしても、先月の芥川龍之介の記事にポツリポツリと検索アク

セスが続いてることだし、太宰について1本くらい書いとかなきゃなと思っ

て、数日前に『人間失格』の文庫本を本棚の奥から引っ張り出してみた。

昔一度読んでる小説だし、たかが120ページほどだから、すぐ読めるだろ

うと思ったら、大間違い。1ページ目からすぐに手が止まってしまったほど

で、ようやく今夜読み終えたばかりだ。

               

以下、まだ読んでない方や忘れてしまってる方はネタバレにご注意あれ♪

あと、熱狂的な太宰ファンにはお勧めしないとあらかじめ言っておこう。

ずしも批判的な内容ではないけど、絶賛する文章でもないので念のため。。

                    

       ☆          ☆          ☆                  

全体の構成と分量は、次のようになっている。

              

   はしがき      3ページ   (「手記」の「読み手」が執筆した形)         

   第一の手記   14ページ   (主人公・葉蔵が執筆した形)

   第二の手記   42ページ   (同上)

   第三の手記   60ページ   (同上)

   あとがき      4ページ   (手記の読み手が執筆した形)

          

簡単に言うと、手紙の形式で自伝物語を書き、その手紙を読んで語る人

物の形で、自分を客観的に見る足場を作ってるわけだ。だから、もちろん

メインは「手記」であって、特に太宰自身の自殺と重なる終盤の「人間、

失格」の場面が見せ場だというのは理解できる。

                

ところが、最初のはしがきで語る「執筆者」(手記の読み手)自身が、主人

公と同じくらい何とも屈折した陰鬱さを漂わせてるから、メインまで待てな

いのだ。1ページ目でもう脱落しそうな感じ。それに対して、ラストの「あと

がき」では、「執筆者」はサラッと語って終わりだから、要するに小説の書

き出しが上手く行ってないんだろう。つまり、執筆者と主人公の区別、ある

いはズレが上手く作れてないのだ。

                                                           

このはしがきで、執筆者は主人公・葉蔵の写真の奇怪さについて語って

るけど、太宰自身が自分の外見に対して奇妙なほどの執着を示してる感

はある。非常に自信を持ってる一方で、不気味にも感じてる、極端に分裂

した自己矛盾的感覚。だから、1行目からいきなり「写真を三葉」と書き始

めたんだろうし、主人公の名前が「葉」蔵(=葉三)になってるんじゃない

だろうか。ちなみに太宰の本名は津島修治だから、まったく別物だ。

                              

その後、主人公の「第一の手記」がスタート。これもかなり挫けそうになっ

た。葉蔵の田舎の小学校時代を中心に語ってるんだけど、いくら何でも

性格が悲惨過ぎて、読みながら顔をしかめてしまう。周囲の人間に対す

る不信や恐怖を描くだけなら構わないし、暗いのも最初から分かってる

ことだ。でも、自分と同じくらい他人を貶める屈折した語り口が、何とも

聞きづらい。

                          

好意的に見るなら、「他人をそうとしか見れない可哀想な子供の内心」

というものを丹念に描いてるとも言えるし、実際かなり後になって、世間

は思ったほど怖くないといった感じの記述も出る。ただ、人前で「演技」し

てしまう自分の哀しさを語ると同時に、演技力の素晴らしさを誇示してる

のが、また何とも読み辛いのだ。たかが子供の演技に、そこまで周囲の

大人たちがまんまと引っ掛かるはずはない

       

だから、「第二の手記」における恐怖の告白もあまりインパクトがない

けだ。つまり、中学になって出会った「白痴に似た生徒」・竹一に、演技

を見破られて「ワザ。ワザ」(=わざとやってる)と言われてしまい、「震撼」

したんだけど、それ以前に周囲の微妙な空気から、バレてることを感じ

とっておくべきだ。何を今さらという気もするし、むしろ太宰が竹一を登場

させたこと自体が不自然過ぎて、「ワザ、ワザ」に感じる。

           

「世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて」なんて大げさな表現まで続く

と、つい笑ってしまいそうにもなってしまう。ただ、4回も自殺未遂を繰り返

した末に入水心中した太宰だと、気軽に笑うのも難しい。それに対して、同

じ破滅型でも現役で活躍中の車谷長吉の文章なら、素直に笑えるのだ。

                                             

その後、東京へ出て高等学校に進学。「偉い絵画きになる」という竹一の

予言は外れたものの、もう一つの予言は見事的中。つまり、「に惚れら

れる」のだ。実際の太宰がどうだったかについては知らないけど、非常に

屈折した性格の主人公がここまでモテる小説というのも珍しいんじゃない

だろうか。

                         

ただ、この惚れられ過ぎについては、以前ほど読みづらくもなかった。と

言うのも、実際にあってもおかしくない程度のモテ方には留めてあったし、

男には全く好かれてないからだ。マルクス主義の同志に人気があったよ

うにも読めるものの、むしろ上手く利用されたと言う方が正確。唯一の友

達らしき人物・堀木はロクでもない男のような描かれ方で、気の毒になる

ほど友達に恵まれてないから、女が次々に変わってもわりと温かい目線

で受け止めることが出来る。

                                       

結局、女との自殺で自分だけ生き残って、取り調べ中に大げさな咳をし

たら、検事が「ほんとうかい?」と静かな微笑。竹一以来の侮蔑に冷や汗

を流して、第二の手記は終了。こう来れば、形式的には、第三の手記

最後にも演技を見破られる話があるべきだけど、なぜかそれはなかった。

主人公が大人になったからか、あるいは死の直前で余裕が無くなった太

宰の小さなミスか。

             

という訳で、その第三の手記。最も分量が多く、最後に「人間失格」となる

部分で、ここと「あとがき」はかなり面白かった。太宰の死の少し後、雑

誌『展望』八月号に掲載されたそうだけど、心待ちにしてた読者も満足し

たことだろう。

                         

女の話の多さは相変わらず。それに加えて、アルコール中毒薬物

の話も登場。最後にどうなるかはあえて書かないけど、代わりにわか

りやすい文章を引用しておこう。

                                    

   「人間、失格。

    もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました」。

       

この「、(読点)」の多さが太宰の文体的特徴の一つで、小説全体としては

あまり褒められたものではない。ただ、この箇所に限って言うなら、深い

喪失感と呆然とした様子を表す効果を認めていいかも知れない。

                                       

「人間、失格」状況に至るストーリーの流れとか勢い以外にも、が挟ま

れたり、冗談とかユーモアのようなものがあったりして、一気に読み進め

る内容だ。「罪のアントニム(対義語)は、何だろう」なんていう知的ゲーム

では、ドストエフスキーの『罪と罰』にも触れながら、軽い哲学的考察まで

登場している。

                                                    

含蓄に富む箇所をあえて単純に扱うなら、罪のシノニム(同義語)が無垢、

対義語は罰だろう。罪深い人間の彼は、最後に重い罰を神から受ける。

皮肉なことに、この罰によって初めて、彼は解放されることになる。だから、

罪の対義語は罰なのだ。。

                                                   

        ☆          ☆         ☆

小説全体を通じて、一番インパクトがあるのは第三の手記のラスで、こ

こがなかなか巧みだから、読み終えた直後の印象は意外なほどいい。た

だ、本当のラスト。つまり、あとがきの最後はもう一つかな。ともかく、どち

らもここには書かないことにしよう。

                        

小説自体より気になるのは、太宰の人気があり過ぎること。特に、『人間

失格』が600万部を超えるヒットになってることだ。あのサトエリ=佐藤江

梨子も少女時代に涙を流して読んでたという話が、先日の朝日新聞に紹

介されていた。

                               

現在の少なからずの人間と共通する部分を探すなら、もともと経済的に

はわりと裕福だったけど、今は苦しい。周りに人はいるけど、内心は非常

に孤独。周囲への不安と恐怖に怯えつつ、自尊心と自己卑下の間を揺

れ動きながら、やっとの思いで生きいる、と言った所か。女(または男)、

酒、薬という要素は、一部の読者(経験者)は共感できるだろうけど、人

気の本質ではなく、むしろ枝葉の話だろう。

                       

とにかく、うつ病を始めとする心の病というものが注目を浴びる今、病ん

だ生を克明に描いた文学作品としての価値はあるだろう。太宰自身の人

生と切り離すことが出来れば、色々と大胆な読み方も可能になるし、笑顔

でユーモアを味わう気にもなれるはず。不幸と共存する幸福のようなもの

も味わえると思う。ただ、その切り離しはかなり難しいのも現実だろう。。

                                      

ではまた。。☆彡

     

        

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cf. 太宰治『走れメロス』軽~い感想&走るテンメイ♪

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   芥川龍之介『蜘蛛の糸』と鈴木大拙訳『因果の小車』

   芥川龍之介『藪の中』の真相

   谷崎潤一郎『春琴抄』とマゾヒズム

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   破滅型の作家、車谷長吉の人生相談は面白い♪

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   うつ病の診断基準と抗うつ薬~NHK『ためしてガッテン』

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