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「運動の法則」再考4~質量の単位と測定

前回の記事から時間が経ってしまったけど、ニュートン物理学の基礎、

「運動の法則」をめぐる記事の第4弾をアップしよう。それは、質量とい

う概念の不思議さに関するものだ。

          

運動の第二法則、いわゆる運動方程式 F = m a (力=質量×加速度)

において、左辺のF(力)は右辺によって定義された量にすぎず、実質

的な物理量ではない、という話はこれまでも書いて来た。これは普通の

学校教育では教えられてないことだけど、知る人ぞ知る話だし、実際、

力の基本単位であるN(ニュートン)は、質量の基本単位kgと加速度の

単位 m/s² による「組み立て単位」にすぎないのだ。言い換えると、力

は独立した単位とは認められてない。

            

ところが、質量の基本単位であるkg(キログラム)が本当に独立した量

なのか、また、しっかり基礎づけられた量なのか、という所まで遡って

原理的に考える議論というのは、ほとんど見当たらない。私は、天才ポ

アンカレが『科学と仮説』で示唆してるように見える「質量も組立単位に

すぎない」という大胆な考えには一理あると思ってるが、彼の考えにも

難点があると思ってる。

                

いずれにせよ非常に厄介な問題なので、少しずつ考えて行くしかない。

とりあえず今回は、今現在どうやって質量が測定されているのか、そこ

どんな問題があるのかを探ってみよう。   

      

         ☆          ☆          ☆

そもそも物理学、つまり自然全体を一般的かつ数学的に扱う経験的学

問は、多くの法則から構成されている。法則の大部分は数式で書かれ

てるから、自然の様々な物事を数量的に表す必要があるわけだ。そこ

で登場するのが単位というもので、例えばある物質の質量が「1kg」と

いう「単位」の3倍なら、それを3kgと数量化することになる。

                  

ここで、2つの問題に気付くだろう。1つは、1kgという単位をどう決める

のか。もう1つは、1kgの3倍の質量だという測定をどうやって行うのか、

という問題だ。

               

まず、1kgという単位については、高校時代に参考書とか授業で学んだ

人が多いと思う。m (メートル)とか s (秒)とか、他の基本単位とは違っ

て、1kgには「キログラム原器」という具体的な物体(おもり)が作られて

いて、それが基準となる。

            

念のため、日本で計量の中心となる独立行政法人、産業技術総合研究

所・計量標準総合センターのHPを確認すると、次のように書かれている。

                 

     質量の単位「キログラム(kg)」は、・・・1889年に直径、高さ

     とも約39mmの円柱形状で、白金90%、イリジウム10%の

     合金でできている「国際キログラム原器の質量」に置き換えら

     れました。我が国の質量標準は、当初で保管する「日本国キロ

     グラム原器」によって実現しています。これは、国際キログラム

     原器」と同じ形状材質のもので、1890年に国際度量衡局(パ

     リ近郊)から日本に配布されたものです。

            

この説明、細かいチェックをするなら、一見ちょっと引っ掛かる点がある。

というのも、質量の単位を決める時に、「白金90%、イリジウム10%」と

いう質量比は使えないような気がするからだ。でも、この場合は素材が2

つだけで、しかも分かってるから、質量の値は分からなくても質量の比な

ら出すことができる。両腕の長さの比が1:9の天秤のつり合いを使えば

いいわけだ。

                                                      

でも、別のもっと重要な点が問題になる。それは、一番基本になる「国

際キログラム原器」の変化だ。一般には、微細な物質が表面に吸着して

重くなっていくようだけど、不思議なことに軽くなることもあるようだ。実際

2007年には、国際キログラム原器が50ug(マイクログラム=1kg×

10 ⁻⁹ )軽くなったというニュースが話題になった。

                

このニュース、多くの人は文字通りの意味で受け取ったようだけど、よく

考えると変な話だ。というのも、「軽くなった」というのは何かと比べてのこ

と。国際キログラム原器はただ一つなのに、それが「軽くなった」というの

は、何と比べてるのか。要するに、各国のキログラム原器と比べてる

けだ。本物(国際版)をコピー(各国版)と比べて、軽くなったと判断する。

逆じゃないのか?という疑問は自然なものだろう。

                      

前掲の計量標準総合センターのHPには、こう書かれている。

           

     日本国キログラム原器の質量は、約30年ごとに国際度量

     衡局が保管する国際キログラム原器と比較校正され、そ

     の質量値の同等性が確認されています。日本国キログラ

     ム原器の最新の測定値(1993年)は、この100年間で7 μg

      しか変化していませんでした。

              

この国際的な比較において、僅かに異なってる各国のキログラム原器の

質量のバラつきを測定して、そこから何らかの統計的処理で、どれがど

う変化したという話を出してるらしい。ただ、その統計的処理の具体的方

法も、質量のバラつきの測定方法(どれを基準に何をどう測るのか)も、

ネット上ではまだ発見できてない。この辺りが現在のネットの限界なのか

も知れない。

                                    

ただし、2年前の「事件」の際の基本データだけは、ネット上で最低限公

開されている。例えば、国際度量衡局のHPを見ると、各国のキログラム

原器と国際キログラム原器の質量の推移が表になってて、簡単なコメン

トがついてるのだ。その表を見ると、確かに国際版だけ軽くなった「ように

見える」。

                      

いずれにせよ、質量の単位の基本となる国際キログラム原器の変化を

見るというのは、厳密な科学的測定の話ではなく、むしろ「人間的」な、あ

るいは社会的な話になる。簡単に言うと、各国のキログラム原器が揃っ

て重くなったと考えるより、国際キログラム原器が軽くなったと考えた方

が人間にとって納得しやすいだろう、というような話だ(確率・統計学を使っ

ても同じこと)。多くの人が「厳密な科学」というイメージを持ってる物理学

の根本には、こうゆう曖昧な話があるわけだ。

           

別の側面を見ると、質量の測定というのは結局、比較の話なのだ。ある

物体の質量が基準物体の何倍かを調べるというよりも、2つ(以上)の物

体の比較。キログラム原器の変化も、何かの物体の質量を3kgとか決

める作業も、2つの物体を比較することになる。それには、天びんという

原始的かつ高性能な機械を使うわけだ。

                                    

天秤を使って「何を」比較するのかと言うと、直接的には、左右の腕を下

へ押す力(より正確には加速度)を比較することになる。ただし、この下

向きの力(or加速度)は、質量と比例するとされてるので(万有引力の法

則)、結局は天秤で質量を比較することになる。例えば、1gの分銅3コと

釣り合う物体なら、3gの質量と決めるわけだ(正確には、重力質量)。

                

この点をもう少し突っ込んでみよう。釣り合うとは、天秤の腕が水平のま

ま(ほぼ)動かなくなることだ。けれども、釣り合った両腕にある2組の物

体が同じ質量であると言うためには、両腕の長さが同じでなければなら

ない。という事は、やっぱり質量は、長さという単位から独立してない

だ。この指摘も、ネット上どころか文献でさえなかなか見当たらない。

              

         ☆          ☆          ☆

以上をまとめると、2つの大まかな結論が導ける。1つは、質量の測定に

も特有の曖昧さがあること。もう1つは、質量(の測定)は長さに依存して

いること。質量そのものが長さに依存するかどうかはまだ考察してないけ

ど、力に続いて質量という概念も不要なのかも知れないということは、お

ぼろげながら想像できるだろう。

             

ここまで来ると、もはや普通の教科書・参考書・学校教育が通じないレベ

ルに一歩足を踏み入れることになるのだ。私はここからが本当の物理学

研究だと思ってるし、人間の思考力とはこのレベルまで来て初めて輝くも

のだと思ってる。それ以前なら、ロボットとコンピューターでいいだろう、と

か言うと、流石に言い過ぎかな♪

                 

次回は、ニュートンあるいはガリレオの著作まで遡って、更に深く考えて

みたい。ではまた。。  

        

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

cf. ニュートン物理学の基礎、「運動の法則」再考~その1

   ニュートン物理学の基礎、「運動の法則」再考2~質量と重さ

   「運動の法則」再考3~運動方程式を使わずに問題を解く方法

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科学」カテゴリの記事

コメント

続きが気になります。
早く更新をお願いします。

投稿: | 2010年8月24日 (火) 01時24分

> 名無しさん
    
はじめまして。コメントどうもです。
       
「運動の法則・再考」シリーズの4本は、
僕自身が面白がって書いてるし、内容のレベルも
高いと思ってますが、読者ウケが良くないんですよ。
検索は結構入ってるけど、マジメに読んでそうな人は
ごく僅か。ほとんど、すぐ引き返す人達ばかりです。
    
数学でもそうゆう傾向はありますが、物理も含めて
科学系の人達は、「正しい」とされる考えをそのまま
マスターして、普通の問題解決を目指します。
あるいは、実用レベルの知識を求めると言ってもいい。
    
それに対して、僕はもっと根本的な物事に目が行くし、
独自の考えに重きを置いてる。
その最たる例がこのシリーズ記事だから、
ウケないのは当然かも知れません。
そもそも、見てる世界、生きる姿勢が異なってる。
    
     
他にも更新が滞ってる記事は色々あるし、
いつになるとは言えません。
でも、関心はあるし、流石に今年中には更新したいかな。
期待して頂いてるのは嬉しいんですが、あまり期待せず、
たまにチェックしてみてください。
自分でポアンカレを読んでみるのもいいかも。
   
なお、コメントには名前を書いてくださいね

投稿: テンメイ | 2010年8月24日 (火) 21時09分

テンメイさん

はじめまして。昨日「運動の法則・再考シリーズ」を偶然拝見させていただきました。

自分も高校生のころ運動方程式が「自然法則」であるということに対してまったく同じような違和感を感じ、力学の教科書を漁ったり先生に質問したりしましたが納得できませんでした。ポアンカレの『科学と仮設』、マッハ力学、山本義隆『古典力学の形成』、藤原邦男『物理学序論としての力学』などは結構よかったです。

テンメイさんはさらに質量と長さの関係にまで考察が及んでいて大変興味深いです。自分も「普通の問題解決」より「根本的な物事に目が行く」傾向が有りとても面白かったです。

次回の更新心より楽しみにしています。自分も久しぶりにポアンカレを読み返してみようと思います。

投稿: 佐藤勇起 | 2012年8月26日 (日) 18時58分

> 佐藤勇起さん
   
はじめまして。コメントありがとうございます。
   
古くてマニアックな記事をしっかり読んで頂けて、
おまけに好意的なお言葉。素直に嬉しいですね♪  
   
ポアンカレも山本義隆も、面白いし評価の高い研究者ですが、
正直な話、よく読むと「概論」のようにも感じます。
自分でもっと先に進みたくなる箇所が沢山あるのです。
色々と、直接たずねてみたい事もありますね。
        
ただ、概論だから意味や刺激が少ないわけではないし、
全体的概論によって部分の意味が変わることもあるでしょう。
その意味でも、いまだに読み返す価値は十分ありますね。   
藤原邦男は知らないので、注目しておきます。
     
上のコメント・レスに書いてる通り、真面目な読者や聞き手が
非常に少ない話ですし、頭も時間も使うことになるので、
次回の更新がいつになるかは何とも言えません。
ただ、いずれ何かで第5弾記事を書くとは思います。
    
自分自身で根本的に物事を考えるのは、
物理学に限らず、非常に面白いことですね。
まあ、根本と枝葉という二元論自体も再考すべきですが。
知識体系の場合は、枝葉なしの根もあり得ないので。
     
それでは、また。。

投稿: テンメイ | 2012年8月27日 (月) 23時59分

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