「手助け」(help)とは何か~チンパンジーの研究をめぐって
朝日新聞の10月15日夕刊に、「チンバンジーもお手伝い」という見出
しの興味深い記事が掲載された。小見出しは「要求ある時だけですが
・・・」。記事冒頭はこうなっている。「見返りがなくても、相手が要求すれ
ば手助けをすることを、京都大霊長類研究所などのチームが明らかに
した。14日付米科学誌(電子版)に発表した」。
執筆者の瀬川茂子は、睡眠中に脳が「復習」するという記事をこの夏に
書いた時も出典を明記してなくて、ネットで探し当てるのに5分ほどかかっ
た覚えがある。ただ、今回は1分も経たない内に、元の論文を探し当てる
ことができた。
PLoS(Public Library of Science=科学の公開図書館)というプロジェク
トが発行している電子版の科学誌「PLoS ONE」に掲載された英語論
文で、タイトルは「Chimpanzees Help Each Other upon Request」(チンパ
ンジーは要求に応じて互いに手助けする)。執筆は Shinya Yamamoto
(山本真也、霊長類研究所、現在は東大)、Tatyana Humle(京大・野生
動物研究センター)、Masayuki Tanaka(田中正之、同)。
☆ ☆ ☆
新聞では小さい囲み記事だったが、元の論文は流石に長くて詳細なも
のだから、素人が読むのはなかなか大変だ。とはいえ、基本的に科学
論文というのは分かりやすくシンプルに書いてあるから、人文系の論文
よりは遥かにラクとも言える。新聞記事の要約(or 超訳)に合わせて要
点だけ簡単にまとめるなら、以下のようになるだろう。
チンパンジーのペアを一頭ずつ2つの部屋に入れ、一方に
は手の届かない場所にジュースを、他方にはステッキを置
いた。部屋の間には、穴の開いた透明な仕切りがあるだけ
なので、お互いの様子はよく見える。ジュースが欲しいチン
パンジーが、飲むための道具としてステッキを要求する仕草
をすると、もう一方のチンバンジーは、見返りがないのにス
テッキを手渡すことが多かった。ただし、要求がない時に自
発的にステッキを手渡すことはまれだった。。
ちなみに、ここで朝日の記事は、「3ペアでステッキが渡った130回中、
98回が相手の要求に応じた行動だった」と書いてるが、実際にはこの
数字は「実験2」だけのもので、6ペアで行った実験1が別にある。
また、なぜか元の論文の図(Table 2)では、少し違う数字が書かれてい
て、普通に計算すると122回中の95回になってしまう。本文(98回では
なく75.4%と書かれてる)が違うのか、あるいは図が違うのか。細かい
話だけど、著者らにおたずねしたいものだ。レフェリー(査読者)もいる
はずなのに、うっかり見逃したのだろうか。。
☆ ☆ ☆
さて、そんな細かい指摘よりも遥かに重要なのは、手助け(help)とか、
利他行動(他者の利益となるような行動:altruism)という言葉の意味だ。
論文でも朝日の記事でも、執筆者の考えには当然、人間との比較があ
る。手助けとか協力という、社会的で人間的な行動の進化を研究してる
訳で、この実験からは、手助けされる側の要求が重要な要素だという結
論が差し当たり出る。また、霊長類研究所のHPにはこう書いてある。
利他行動の進化を考えたとき、この「要求に応じた手助け」
は効率的な戦略と言える。相手の手助けをしても、それが
「おせっかい」になってしまっては意味がない。その点、「要
求に応じた手助け」は必ず相手の役に立つので無駄になる
ことがない。ヒトでみられる助け合い社会も、このような利他
行動を出発点として発展してきたのではないだろうか。
HPの方の推測は、この実験だけで考えるなら、単なる想像に過ぎない。
説得力を持たせるには少なくとも、無駄に終わったおせっかいの観察が
必要になるが、この実験ではそもそもおせっかいがほとんどないし、設
定からして無駄に終わるはずもないのだ。
それはともかく、HPより論文の方に目を移そう。そこには、相手の要求
に応じてステッキを渡すチンパンジーの様子を示す写真が添付されてい
る。私がチンパンジーを見慣れてないせいもあるだろうが、笑ってしまう
ほど素っ気ない渡し方で、「手助け」というより、要求がうるさいから仕方
なく手渡してるだけのようにも見えてしまった。
もちろん、熟練の研究者から見れば、渋々渡す素振りとは全く違うのか
も知れない。でも、ここで一つ、たとえ話をしてみよう。いま仮に、私が一
人で弁当を食べているとする。食べ終わった私が、割り箸をごみ箱に捨
てようとすると、ちょうど友人がやって来て、手を差し出して要求するの
で、何の気なしに割り箸を渡す。すると、友人がその割り箸で背中をポリ
ポリかき始めて、気持ち良さそうな表情になった。この時、私が割り箸を
渡した行為は、「手助け」と言えるのだろうか。。
もちろん、結果的に相手にとって、手助けにはなっている。だが、その際
の私にとっては、手助けというより単に何気なく簡単な要求に応じただけ
だ。ここに、時間と主観の問題が浮上してくる。また、私が手助けしたと
言うためには、例えば友人の「背中がかゆいからその割り箸を貸して」と
いう言葉とか、それを聞いた後の私の笑顔が必要だろう。あるいは、私
の内心を書きとめた記録とか。
ところが、このチンパンジーの実験では、相手との明確な言語的コミュ
ニケーションもなければ、手渡す側の理解や親切心を示す証拠もない。
実際、論文の最終的結論部分にも、相手の欲望に対するチンパンジー
の理解が不完全だから、自発的な手助けがほとんど無いのかも知れな
いと書いてあるのだ。これでは、私の割り箸渡しと同様、チンバンジー
のステッキ渡しも手助け以前の段階ではないだろうか。。
☆ ☆ ☆
見方を広げて一般化するなら、これは要するに、連続と非連続の問題、
あるいは同一性と相違性の問題だ。チンパンジーのステッキ渡しと、人
間が本当に相手を思いやって行う手助けとの間の、連続と不連続、あ
るいは同一性と相違性をどう考えるのか。
チンパンジー研究者に限らず、生物学者はしばしば連続性を強調する。
昔と今、動物と人間。ただ、いかなる2つのものも全く同じではないし、
我々は今生きてる人間なのだから、昔の祖先との違いや、現在の動物
との違いを強調したい気持ちも自然に湧いてくる。
もちろん、こうした研究自体は非常に興味深い仕事であって、だからこ
そ私も、今回に限らず以前から、それなりにチェックはしてるわけだ。で
も、実はかなり前に、今回と似たような疑問も感じていた。記憶が定かで
ないが、霊長類研究所が「報酬に応じた仕事」のようなものに関する研
究を発表した時、「報酬」という言葉の使い方に違和感があったのだ。
人間の報酬と、果たして同じ種類のものだろうか、という疑問だ。
一般に、生物学者や脳科学者が「報酬」という言葉を使う時、意味が広
がり過ぎてると感じることが少なくない。広い意味で擬人法ともいうべき
用語法は、「自然科学」を「自然に対する人間的解釈学」へと変形する
可能性がある。変形にせよ、拡大解釈にせよ、必ずしもマイナスとは言
えないが、プラスともニュートラルとも言えない。その辺り、第一線で活躍
する科学者には、一段と慎重な配慮を持って頂きたいと思うのだ。
なお、他には「自発的な」手助けと「要求に応じた」手助けとの違いの見
分け方が、素人としては少し気になった。あと、見返りは本当にまったく
無かったのかどうか。その一方、数値データからの結論の出し方は流石
にしっかりしてるように見える。少なくとも、先日再検討した、一般相対性
理論の検証実験の時の曖昧さと比べると、説得的なものだろう。
ところで、この「PLoS ONE」という科学誌にはトラックバック機能まで付
いてるから、試しにTBを送ってみよう。現在コメントもTBもゼロの論文だ
けど、10月14日の公開以降、4日で1200人以上の訪問者がいるよう
だから、TBをクリックする方も数十人くらいはいらっしゃるかも知れない。
ちなみに先日の脳の睡眠復習の記事は、「Slashdot」(スラッシュドット)
というコンピューター系の掲示板に紹介されて、数百人の訪問者を集め
ている。それと比べて、PLoSはどうなのか。試しにこの記事で実験して
みよう。英語論文に日本語のブログ記事をTBするのは無理があるか。
まあ、何事も実証する姿勢は重要だろう♪ ではまた。。☆彡
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