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唱歌『故郷』(ふるさと)、日本の原風景~朝日新聞「うたの旅人」

朝日新聞・土曜朝刊の別刷「be on Saturday」には、毎週有名な懐メロ

特集が掲載されている。文芸・健康・食事などを扱うオレンジ色の表紙

の方で、2ページも使って大きな写真や詳細な情報を載せてるから、知っ

てる曲の時はなるべく目を通すようにしてる。

                         

今回(10月24日)扱われたのは、誰でも知ってる小学校の唱歌『故郷』

(ふるさと)。この曲、歌詞もメロディーも大好きなのだ♪ 最近は、紅白

歌合戦とかで耳にする程度だけど、変な話、その気になればすぐに泣け

るだろう。私自身が子供時代に過ごした故郷と重なるし、ウチの母親も

たまに鼻歌で歌ってた、何とも懐かしい曲だ。田舎から出て来た頃は、

「志をはたして ♫」と歌うこともあった気がする。ちょっと恥ずかしいかも。。

             

既に作詞者・高野辰之の他界(1947年)から50年以上過ぎてるし、今

でも小学校6年の教材に掲載されてるのだから、著作権の問題は無い

と判断。以下、全文を引用させて頂くことにしよう。

    

     兎追ひし かの山

     小鮒釣りし かの川

     夢は今も めぐりて

     忘れがたき 故郷

      

     如何にいます 父母

     恙なしや 友がき

     雨に風に つけても

     思ひ出づる 故郷

    

     志を はたして

     いつの日にか 帰らん

     山は青き 故郷

     水は清き 故郷  

            

       (朝日よりむしろ、ウィキペディアのオリジナル歌詞を参照した)

 

        ☆          ☆          ☆

さて、新聞記事の見出しは、テレビ東京の懐メロ特番のパロディみたい

に、「これが日本の原風景だ」♪ 連載企画のタイトルは「うたの旅人」だ

から、『故郷』にまつわる旅をすることになる。今回はそのまま、曲が歌う

故郷への旅。作詞者・高野の出身地、長野県中野市永江村のことだ。

                

JR飯山線・替佐(かえさ)駅から車で15分くらいの場所が彼の生家だそ

うで、駅のホームでは『故郷』が流れるし、列車内でも「懐かしい日本の

風景が広がります」というアナウンスがあるとの事。上信越自動車道なら、

豊田飯山ICを利用。

              

高野辰之記念館の高野源・元館長によると、生家から5分歩いた場所に、

曲が歌う原風景が広がってて、「かの山」とは左右に並ぶ低めの大平山

(おおひらやま)と大持山(だいもちやま)、「かの川」とは辺りを流れる小

川の班川(はんがわ)のこと(記念館HPでは大平山だけを紹介)。

             

山と川と畑に囲まれて民家が点在する、平凡ではあってもまさに原風景

的な自然の光景。この写真を見て、私は自分の故郷をちょっと思い出し

た。瀬戸内海に面した田舎町だけど、海の反対側はすぐ山。畑も当時は

そこそこ残ってた。ただ、いくつかある小川は班川のような清流では無く

て、せいぜい大人の目を盗んで危ない水遊びを楽しめる程度。「小鮒」を

釣ったためしはない。ちなみに班川にいたのもヤマメなどの清流魚で、

フナという歌詞は日本の釣りで一般的に有名な魚だからだろうというの

が、元館長の解説。

                        

歌詞については、もっと意外でちょっと笑える話が書いてあった。「ウサ

ギ追いし」というのは、子供たちがウサギを追いかけて楽しく遊んでるの

かと思ってたんだけど、ウサギ鍋にする貴重なたんぱく源を捕まえるた

めの、「兎追い」という行事のことだったらしい。肉を手に入れるためとは

いえ、牧歌的なイメージが揺らいじゃうかも♪

                             

子どもが一列に並んで、大声を上げて雪山を登り、驚いて逃げるウサギ

を漁師が撃つ。この時の子供たちは、「友」達同士が「垣」根のように連

なってたんだろう。このようなイメージが、「友がき」という歌詞の由来らし

い。『大辞林』(三省堂,第二版)によると、「ともだち。友人。交わりを結

ぶことを垣を結びのにたとえていう」とのこと。『大辞泉』(小学館)もほぼ

同じ説明で、「友」達の悪「ガキ」という意味ではないようだ♪ なお「恙な

」(つつが無い)とは、病気・災難などの「恙」が無い平穏無事な状態だ。

           

三番の歌詞「志をはたして いつの日にか帰らん」というのは、まさに

詞家自身の思いだったようで、実際しばらく後に実現したとの事。作詞

の11年後、1925年に名著『日本歌謡史』で東大の文学博士号を得て、

翌月にすぐ凱旋帰郷したらしい。その後も一線の国文学者として活躍。

出来過ぎのキレイなお話だ☆

                               

キレイと言えば、岡野貞一作曲とされる美しいメロディーに関しても、逸

話が掲載されていた。日本語も曲も知らないアラスカ先住民が、現地で

活躍した写真家・星野道夫の追悼行事で初めて『故郷』を聴いて、涙を

流したというのだ。賛美歌ゆずりとも言われる、ゆったりした3拍子の旋

は、国境を越えて人々の心にしみ入ったのだろう。。

               

       ☆          ☆          ☆       

高野&岡野のコンビは、『春が来た』(春が来た 春が来た どこに来た

♫)、『春の小川』(春の小川はさらさら行くよ ♫)、『紅葉』(秋の夕日に 

照る山紅葉 ♫)なども作ったとのこと。どれも素晴らしい曲で、しかも輸

入ではなく日本独自の作品として先駆的な業績だ☆ 

      

私もいずれ、「志をはたし」たいという思いはあるけど、なかなか上手くい

かないのが実際の人生。『故郷』でも口ずさみつつ、初心を思い出しても

う一度頑張ってみよう・・・とか書いて終われば学校教育的でいいのかも。

小学校の先生が二重丸くれそうだ♪

                       

なお、高野辰之記念館はなかなかしっかりした作りのようで、事前予約

の団体客には付近の「ふるさと遊歩道」のガイドもしてくれるそうだ(HP

情報)。時代はまさにエコブームだし、自然と共生する古き良き日本を

再発見するにはいい場所だと思う。私もいずれ、電車か自転車でのん

びり行ってみたいな。自分の故郷でもいいけどね。

        

ではまた。。☆彡

       

           

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

P.S.ウィキペディアでは、岡野の作詞というのは不確定情報として扱っ

    ている。文部省唱歌として、しばらく作者が伏せられていたことな

    ど、特殊な事情が影響してるようだ。ちなみに『春の小川』の元の

    歌詞は、実は「さらさら流る」であって、その後2度の変更を受けた

    という話も載っていた。

         

P.S.2 日本画家の東山魁夷は、『故郷』に触発されて『郷愁』という作

      品を描き、日展で無鑑査出品の資格を得たとのこと。また、国

      語学者の金田一春彦は、「日本人に、日本に生まれてよかった

      ・・・・・・という自覚を持たせた詩人といったら私は高野辰之博

      士が一番だと思う」と語ったそうだ。紅白歌合戦の司会者が言

      いそうな言葉だけど、ホントに一番かもね。。☆

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コメント

唱歌「故郷(ふるさと)」の歌詞は文語で記述されています。
この唱歌の3番の歌詞の中の「いつのひにかかへらん」(文語)を、「いつの日にか帰ろう」と解釈することが多いようですが、それは、妥当ではありません。
解析した結果、「いつのひにかかへらん」(文語)は、「いつ帰ることができるのだろうか」と解釈することが妥当です。
望郷の思いを記述しています。
そのため、第二次世界大戦時、日本軍部は、「女々しい」と考えたのでしょうか、昭和17年に発行された教科書からは、この唱歌「故郷」は削除されています。復活したのは、昭和22年に発行された教科書からです。
唱歌「故郷(ふるさと)」の歌詞の意味をしっかりと把握した上で、議論をすることが必要であると考えます。
-------------------------------
■解析
-------------------------------
いつ
の:文語の連体助詞で、「体言と体言を繋げ、前の語の内容を後の語に付け加えることで、後の語の内容を限定する」はたらきをもつ。
ひ:日
に:文語の格助詞で、「体言に付いて、動作・作用の(1)場所、(2)目標、(3)時、(4)比較の基準などを示す」はらたきをもつ。
か:文語の係助詞で、「文末の連体形の語と組み合わさって、係り結びを構成し、疑問あるいは反語を示す」はたらきをもつ。
かへら:帰ら:文語の動詞「帰り」の未然形である。
ん:文語の助動詞「む」(直前の未然形の語に接続し、推量の意味をもつ)の連体形である「む」を読みかえて「ん」と記載したものである。
-------------------------------
解析結果:いつ帰ることができるのだろうか
-------------------------------

投稿: 唱歌「故郷」の3番の歌詞を考える人 | 2016年6月 7日 (火) 13時14分

> 唱歌「故郷」の3番の歌詞を考える人 さん
    
はじめまして。コメントありがとうございます。
   
文法とは、言葉の使用例から導かれたものです。
また、われわれが言葉を使う時も、受け取る時も、
細かい文法を意識することはほとんどありません。
もちろん、無意識的な配慮は別として。
    
  
お書きになった文法解析は、素人の私が読んでも、
基本的には合ってるような気がします。
  
ただ、肝心の「解析結果」はどうでしょうか。
「いつ帰ることができるのだろうか」としてますが、
「できる」という可能の意味の文法的根拠がありません。
  
普通に分析を組み合わせれば、
「いつの日に帰るのだろうか」となるはず。
ところが、これでは歌詞としておかしいわけです。
だから、可能の意味を挿入せざるを得ない。
    
最後に結局、「可能」の意味を追加するのなら、
もっと自然な言葉として、
「いつの日にか帰りたい」などと解釈する方が滑らかです。
   
歌詞の全体がそうゆう流れになってるのは明らか。
疑問ではなく、望みを歌ってるのだから、
語尾は、「・・だろうか」より「・・たい」が普通。
特に、最後の3番ですからね。
    
  
いずれにせよ、妥当とか妥当でないとかではなく、
「議論」でもなく、柔らかく曲を愛すればいいのです。
人それぞれ、思うままに。
  
自説の正しさを強調したいのなら、
自分のサイトを作ることをお勧めします。

投稿: テンメイ | 2016年6月 8日 (水) 01時19分

むかしのブログにコメントが付いて、それに丁寧に返信されるとは、とても丁寧な対応で好感を持ちました。この歌の問題は、歌詞の文法的解釈にあるのではありません。「出来過ぎのキレイなお話」と直感された点にあるのです。尋常小学唱歌の成り立ちを調べると、高野作詞岡野作曲はまったく間違いであることが分かります。近代音楽史における大きな誤謬の一つであり、唱歌史研究の最前線ではすでに認識されている問題です。しかし各方面への影響が甚大であるために本格的な公表にまで至っていないのです。

投稿: 崎山言世 | 2016年6月 9日 (木) 22時27分

> 崎山言世さん
  
はじめまして。コメントありがとうございます。
18歳ということで、博識で落ち着いた女子高生ですね♪
   
6年半前の地味な文化記事に、急に2つもコメントを
頂けるとは、嬉しいサプライズです。
   
作詞者のエピソードについて、僕も「出来過ぎの
キレイなお話」だと書いてるわけですが、、
実はフィクションに近いという事ですね。
なるほど。それは十分「あり得る」ことでしょう。
   
ただ、「まったく間違い」とか「大きな誤謬」とまで
言えるのかどうか、今の私には分かりません。
  
そちらのブログの関連記事は、一通り読ませて
頂きましたし、国立国会図書館デジタルコレクションで
昔の関連文献も軽く検索してみました。
Googleで最近の信頼できそうな情報も
軽く探してみました。
  
正直、私のとりあえずの結論は、
よく分からないというものです。
   
      
制作過程に関する録音やビデオはおそらく無い
でしょうから、決定的な報告書の類があれば
マスメディアも動くでしょうね。
『ふるさと』の作詞・作曲に有力な新説登場、
という形の報道で。
   
ただ、仮にそうした新説が学会やマスメディアで
大きく扱われたとしても、一般社会での受容には
ほとんど影響ないと思います。
  
音楽に限らず、文芸作品にとって、作者や制作過程、
背景の情報は意味あることですが、作品の評価には
それほど関係ないという主張も昔からあります。
  
ひねった例を出すと、この私の記事にお二人から
コメントを頂きましたが、いずれも私の記事執筆背景や
思いについては触れてませんからね♪
   
私の作品の受容において、私個人の話は出てません。
表面的なテキストの一部に自らの視線を当てる。
もちろん、それで別にいいのです。
作品とは、作者のものでもあり、受容者のものでもある。
   
   
いずれにせよ、唱歌は多くの人々が愛し続けてる
作品なので、今後も静かに注目したいと思ってます。
貴重なご意見、参考になりました

投稿: テンメイ | 2016年6月11日 (土) 20時43分

立ち止まって考えてみられたご様子、ひと安心しました。これからも視野の広いブログをお書きになってください。

投稿: 崎山言世 | 2016年6月11日 (土) 21時39分

> 崎山言世さん
  
こんにちは。再びご丁寧に、どうもです。
  
たまたま今日の朝日新聞・朝刊には、カラーの
全面広告で、CD全10巻、198曲の
抒情歌名曲集が紹介されてます。
~美しき歌 こころの歌~。
第1巻のCDタイトルと1曲目が、『故郷』。
  
やはり、みんなに愛されてる特別な曲なんでしょう。
アニメで言うと、『サザエさん』みたいな作品。
現代日本を象徴する、大衆的なアート。
  
これからも、日本人のふるさととして、
大切にして行きたいものですね

投稿: テンメイ | 2016年6月12日 (日) 11時58分

すぐれたブログに感銘を受けました。ひとこと私の存じております事を書きます。崎山言世という人からコメントが来ていますが、この人は女子高生などではなく、童謡についての記事を見ると片っ端から文句をつけていく人なのです。その人のブログ(夢幻問答)は、「早春賦」を作詞した吉丸一昌氏がこの世によみがえって、言世という女子高生と議論をして、童謡に関する世の誤解を正すというものですが、吉丸一昌氏が唱歌「故郷」の詩をけなすなど、文献も挙げず勝手に吉丸一昌氏の考えを作っており、私は憤りを感じています。管理人様は心のお優しいかたなので、丁寧に対応されました。そのお優しさに感銘を受けましたが、童謡に関しては文句をつけるマニアの人がいるようです。

投稿: andromeda | 2016年7月25日 (月) 12時53分

> andromeda さん
     
はじめまして。コメントありがとうございます。
   
ネットの世界には本当に色んな人がいて、
様々な接触=コンタクトがあります。 
また童謡に限らず、何の世界でも自分なりの
こだわりを持つマニアが少数いるものです。
   
マニアが、自分の考えと違う意見に触れた時、
一言コメントしたくなるのは自然なこと。
ただ、語り方や語る内容には、それなりの
マナーや気遣いは必要でしょう。
何も語らずスルーする力も大切。
    
逆に、コメントされる側にも、キャパシティ=
器の大きさというものがある程度必要とされます。
   
お互いの相性、関係というものも大きくて、
11年間、毎日書き続けてる私の場合、かなり
様々な人と程良いコミュニケーションを取れてます。
  
それでも、ごくたまに、ほとんどコミュニケーション
できない相手と出会うのも事実。
それはもう残念ながら、スルーするしかないでしょう。
    
対話とか共生というのは、一定の範囲でのみ
可能なもの。
その範囲を広げる努力はそれなりに必要ですが、
無理するのはお互いの不幸だと思います。。

投稿: テンメイ | 2016年7月26日 (火) 20時56分

テンメイさまの大きなお人柄に感動致しました。私の狭い了見を恥じ入るばかりです。本当に感動致しました。

投稿: andromeda | 2016年7月28日 (木) 12時14分

> andromeda さん
   
おはようございます。再びコメントどうもです。
  
「大きなお人柄」と言って頂けるのは光栄ですが、
内心はそうでもなくて、むしろ小市民です。
   
ウチのブログの場合、大体2、3ヶ月に1回くらい
暴言コメントが入って来ます。
昔は真正面から反論してましたが、一部の人には
火に油を注ぐ結果になるので、最近はスルーしたり、
控えめに応答してます。
         
ただ、性格的に忘れることができないので、
今でも時々、昔の暴言コメントを思い出して
熱くなったりしてます。
  
そんな時は、ゆっくり大きく鼻呼吸する。
寝る。笑う。目を閉じる。逆に、身体を動かす。
怒りは、新たなブログ記事執筆のパワーへと昇華。
   
私が今まで最も激怒したコメントは、おそらく
子どもが軽い気持ちで書き込んだものだと思いますが、
その後の良質の記事へとつながりました。
   
あと、そもそも否定的なコメントが入りにくいように、
色々と工夫してます。
その方法は企業秘密ということで。。♪

投稿: テンメイ | 2016年7月30日 (土) 08時02分

andromedaさん、ご意見があるならどうぞ私のブログに書き込んで下さい。憤りがどのようなものなのかが分かれば時間の許すかぎり対応して誤解を解くことができます。私がマニアとみなされてしまうのは致し方ないことですが、暴言コメントの類とみなされるのはたいへん不本意なことです。これ以上テンメイさんにご迷惑をおかけすることはできません。

投稿: 崎山言世 | 2016年8月10日 (水) 22時27分

私のコメントは礼節に欠け、テンメイ様のこのすばらしいブログにふさわしくないものでした。「本人の希望により削除」のような形で、私のコメントを消していただけましたらと思います。ご迷惑をおかけいたします。

投稿: andromeda | 2016年8月15日 (月) 19時04分

> andromeda さん
   
こんばんは。度々ご丁寧に、どうもです。
  
私のブログには、遥かに強い言葉もあちこちにありますし、
ネット上には全く比較にならない言葉の数々が
無数に溢れ返っています。
その内のいくつかは、逆に絶賛されたりもするわけです。
  
そうした中、andromedaさんのコメントは、全体として
見るなら、特別に問題があるわけではありません。
   
むしろ、私は高く評価しています。
コメントを謝罪して削除を依頼するような
礼節ある人は、滅多にいません。
  
そもそも当サイトでは基本的に、
一度掲載したコメントは削除しません。
過去、削除したのは、個人情報の暴露とか、
明らかに例外的な事情がある時だけです。
  
したがって、一連のコメントは、
管理人の意志により維持します。
ご了承ください。
  
なお、当サイトでは、同一の読者による
同一記事へのコメントは、3回までとしています。
この件はこれにて、終了とさせていただきます。。

投稿: テンメイ | 2016年8月17日 (水) 02時29分

数年前、お線香のCMで3番を聞き、歌詞が気になってたのを思いだしやって来ました。

文法とか考えずに聞いた時に感じた事を改めて文章にすると、
「志を果たして帰らん」≒「志を果たす迄は帰る事が出来ない」と感じ
→いつか志を果たして帰る事が出来るだろうか?→いつか志を果たして帰りたい→いや、いつか志を果たして必ず帰ろう
  ↓
不安と望みと決意が入り交じった『「帰りたい」に近い「帰ろう」』でした。

投稿: Hyoop | 2018年12月13日 (木) 02時13分

> Hyoop さん
  
はじめまして。コメントありがとうございます。
お線香のCM、検索してみましたが分かりませんでした。
日本香堂の毎日香か青雲でしょうかね。
   
確かに、「志をはたして」の歌詞には、色んな人の
色んな思いが読み取れます。
昔なら、志を果たすまで帰れないというか、帰らないという人
(特に男性)も少なくなかったでしょう。
   
今だと、果たす前でも、果たせなかった後でも
帰る人の方が多い気がします。
私自身も、何も果たしてないし、今後も果たせないでしょうが、
毎年数回ふるさとに帰ってお線香をあげてます。
   
ふるさとを出る人は、志への思いが強いでしょうが、
ふるさとの山や水は誰でも温かく迎えてくれるようです

投稿: テンメイ | 2018年12月14日 (金) 01時54分

確か前の円楽さんだと思い検索かけたら、「毎日香」で歌は定吉君でした。

昔の歌だと言う思いもあったので、
「余計に志を果たす迄は帰る事が出来ない」「いつか志を果たして必ず帰ろう」
と感じたのかもしれません。
それにしても歌を聞いた時は一瞬でそう思ったのに、
改めて文章として考えると数分かかりました。

投稿: Hyoop | 2018年12月14日 (金) 06時24分

> Hyoop さん
  
こんばんは。再びコメントどうもです。
  
懐かしい歌とか記憶が呼び覚ますものは、曖昧で情動的。
なかなか言葉でとらえ直すのは難しいことですね。
言語化したり、客観的現実と照らし合わせた途端、
元の思いがビミョーに変化する気もします。
  
案外、夜の夢でイメージ的に再現する方が、
元の複雑な思いに近いのかも知れません。。

投稿: テンメイ | 2018年12月15日 (土) 17時53分

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