大胆かつ繊細な試論~香山リカ『雅子さまと「新型うつ」』
心の病とか精神医学に関心がある者の1人として、香山リカという精神
科医は早くから知ってたし、テレビ・新聞・雑誌その他でその主張を聞く
機会は何度もあった。ただ、どうも昔から「単にルックスと名前で売り出
しに成功しただけの女性タレント論客」という固定観念が出来上がってた
こともあって、著書は一冊も読んでなかった。それなりに頭も口も達者な
のは分かる。でも、浅くて表面的な通俗レベルにすぎないと思ってたのだ。
ところが今年の4月、朝日新聞のオピニオン特集「耕論」に、東浩紀や中
島岳志と共に登場して、「論壇はどうなる」というテーマに関して話してる
内容を読んで以来、イメージがややポジティヴになった。シビアな状況で
も逃げずに、真正面から勝負してる健気な女性論客だな、と思い直した
のだ。これだけ売れまくってる中で、大学教授と精神科医を両立してる
パワーとかエネルギーも、飛び抜けたものだと素直に認めるべきだろう。
一方、ウチのサイトではここ数カ月、うつ病関連の記事を書き続けて来
た所だ。そこで、たまたま本屋で目に留まった、香山の『雅子さまと新型
うつ』を早速購入。新型うつ関連の記事で僅かに言及したのに続いて、
今回は香山の著書自体を扱った記事をアップしてみよう。いずれもう1
本、別の話題作に関する記事を追加する予定だ。
☆ ☆ ☆
朝日新聞出版から今年(2009年)3月末に出版されたこの新書、あとが
きまで入れても195ページで、活字が大きいし論旨も明確だから、私は
サラッと読み終えることが出来た。ただ、それは予備知識を色々と持って
るからで、一般の人がこれを読み始めると、かなり早い段階でついて行
けなくなる気がする。専門的な話のかみ砕き方がやや不親切で、必要性
の少ない煩雑な知識を織り込んでるからだ。以下、内容を順に見ていこう。
まず、まえがきの代わりにあるのが「~雅子さまへの手紙~」。まったく
面識のない皇太子妃の病状をめぐって本を執筆するのだから、当然の
配慮だろう。なかなか繊細な言い回しで、この企画の意義を訴えている。
今の日本はうつ病の時代に入ってるし、「新型うつ」も激増してるから、
その象徴として語ることを許して欲しいということだ。
続いて、目次の次にあるのが「第一章・長期化した療養生活」。21ペー
ジを使って、簡単に今までの雅子さまの経過をまとめている。03年12
月、帯状疱疹と診断。同じ月に、ストレスによる心身の不調で春まで公
務を休むと発表。04年5月、雅子さまへの「人格否定」に対する、皇太
子の苦言。04年6月、精神科医による治療開始。主治医は慶応大の
大野裕教授。7月には、病名(適応障害)と治療(精神療法中心、薬物
療法を少し)が発表された。。
こうした話を手短にまとめた上で、「第二章・雅子さまの本当の病名は」
からが本題だ。ここで香山は、ウチでもおなじみの精神医学マニュアル
『DSM-Ⅳ-TR』(邦訳:精神疾患の診断・統計マニュアル)を援用し
なら、「適応障害」という分類の曖昧さと、うつ病との違いの微妙さにつ
いて語る。ここがかなりの読者にとって、脱落ポイントとなるだろう。
香山は、現場で雅子さまを担当する大御所の精神科医に気を使うと共
に、精神医学の専門的な内容も踏まえて話そうとするから、かなり曖昧
な論述になっているが、第三者の私なら簡単にサラッとまとめることが
出来る。要するに、少なくとも今は、「適応障害」ではなく「うつ病」だと言
いたいのだ。ただ、マニュアルその他の既存の分類に必ずしも当てはま
らない病状に見えるから、差し当たり「新型うつ」という通俗的で分かりや
すい言葉を使おうということになる。
うつ病という概念や症状は実に様々で、マニュアルの分類(大うつ病性
障害、双極Ⅰ型障害、双極Ⅱ型障害、気分循環性障害、あるいはそれ
らの総称である気分障害)とか、少し別の角度からの分類(メランコリー
親和型、ディスチミア親和型)とか、「新型うつ」の代案となりそうなものは
数多い。「逃避型抑うつ」という概念についても、香山は触れている。
それらがいずれも満足できないことを語った後、「新型うつ」の特徴が21
項目も挙げられる(全てが必要な訳ではない)。比較的目立つものだけ
挙げると、若い世代、組織で働く人、すぐ涙、自責感や義務感の乏しさ、
他人への攻撃の強さ、進んで通院、会社にも報告、回復の最後のあと
一歩が踏み出せない、等々。
一つ一つは、決して「新型」と言うほど珍しい項目ではないけど、全体とし
て見るならやはり「新型」だし、治療法も配慮しなければいけない。香山
がここで一番強調してるのは、「揺れ動く」「波」の存在だ。それは例えば、
双極性障害(Ⅰ型・Ⅱ型)の波などとは別種の反復的変化らしい。
本人も認めるように、専門家にとっても分かりにくい話ではあるが、続く
「第三章・『新型うつ』の人たち」を読んで、多少は分かった気になれた。
と言うより、私はこの章を読みながら声を挙げて笑ってしまった♪ まだ
読んでない方には、本屋での立ち読み用に第三章をお勧めしとこう。二
章と違って、気楽に味わえる(or 楽しめる)内容なのだ。
ここのポイントは新型うつに関する仮想的な症例報告で、ミノルとチナミ
という二人の患者が登場するんだけど、どっちも何とも腹が立つ人間だ。
揺れ動くとか波とか言うより、ワガママ、甘ったれ、身の程知らず、世間
知らずで、目の前にいたら怒鳴りつけたくなるような患者だけど、単に本
で読む仮想的な例にすぎないから、怒るより笑ってしまう。香山自身は
「医師として共感しにくい」とか、「ちょっと違うでしょう」などと、穏やかに
不満を表現している。
そして実はこれこそ、「新型うつ」の核心の一つだと言っていいのだろう。
ここで少し、引用してみたい。「これは恣意的すぎて危険かも知れない
が、私自身は、『え? 会社を休職期間中に町内の祭りで実行委員をし
ている? それって違うんじゃないの』とプロから日常モードに引き戻され
るような“力”を感じる、というのを、自分の中での『新型うつ』の診断の決
め手とすることがある」。
これは学問的な考えではないけど、実に正直で好感が持てるし、共感も
出来るし、色んな意味で実用的でもあるだろう。例えば、身近にいる似た
タイプの人間に対して、プロでさえ共感できないような病気なんだからど
うしようもないな、と諦めの境地に到達する際の手助けになるはずだ。そ
こから、寛容の境地へと移動することも可能だろう。
ただし、もちろん(?)雅子さまは特別扱いで、十分な謙虚さがあるから、
「違う」など日常モードで感じることはない。けれども、逆にその謙虚さが
回復の妨げになってるのではないか、と香山は推測しているだ。雅子さ
まの場合は、むしろもっと自己主張があっていいという話だ。
☆ ☆ ☆
「第四章・なぜ治りにくいのか」は、精神療法や薬物療法の中身と限界、
さらに皇室の特殊性について語っている。精神療法、特に認知行動療
法については、先日の朝日新聞のミニ特集「欧州の安心」でも話題に
なってたので、いずれ別記事にまとめたい。皇室の特殊性は、誰でも
色々と想像したり理解したり出来るだろう。医師その他がそばに付きっ
きりになってしまうし、たとえ病気でも、国民の前ではそれなりの振舞い
が要求されてしまうわけだ。
残る薬物療法については、最後の特別な章と共に触れることにする。
「~雅子さまと『新型うつ』の人たちへの処方箋~」と題された短い最終
章では、手際良く対処方法が語られている。まず、うつ病の特効薬とも
言われるSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)は、効果が限定
的だし、逆にマイナスのこともあるから、要注意。また本人も、たとえ自
分のイメージと違っても、あるいは「自己実現」に結びつかないように感
じられても、仕事に復帰した方がいい、と意識を変えることが重要。
さらに雅子さまの場合は、「リハビリのための公務」復帰、トライ&エラー
の復職チャレンジに、国民が理解を示すべき。そして最後に、周囲の人
達が時には励ますことが重要だということで、これには個人的に大きく
頷いた。「新型うつの場合は、従来、うつ病ではタブーと言われてきた
『がんばれ』という言葉もときには有効なひとことになりうる」(p.190)。
そもそも新型うつという概念も曖昧なのだから、これは一般に言えること
だろう。要するに、悪名高き「頑張れ」という言葉の効果もケース・バイ・
ケース。時と場合によるという当たり前の話だ。ここしばらく、奇妙なほど
一般ウケしやすくなってる「共感」や「受容」ばかりが効果的なはずはない。
この不思議な流行自体が、心理学的・社会学的な分析の対象だろう。
☆ ☆ ☆
最後に、本全体を振り返ると、やや専門的過ぎる部分はあるものの、か
なり良く書けてると言っていい。自分の頭で独自の領域を切り開く大胆な
動きが見られるし、言葉の端々にも繊細な配慮が見られる。流石は長年、
現場で患者と接してきた精神科医。メディアや論壇での経験も活かされ
てるのだろう。
もちろん、「新型うつ」という概念や診断、あるいは治療法については、ま
だまだ異論はあるだろうし、雅子さまが新型うつかどうかもハッキリした
事は言えない。そもそも、ベテラン医師の香山といえども経験の量は限ら
れてるし、雅子さまと会ったことさえないのだ。
ただ、報道された雅子さまの様子を細かくチェックしつつ、「新型うつ」と
いう病気と合わせて語ったこの著作は、意欲的にも内容的にも十分なも
のになっている。決して深みはないし、知的で斬新な驚きもないけれど、
だからこそ逆に、ある種の一般性へと到達してるのだろう。
香山リカ。先入観もあって、これまで軽く見てたけど、今後は反省して真
面目に向き合うことにしよう。とりあえず、遅くとも年内に、もう1本記事を
書く予定だ。
それでは、また。。☆彡
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P.S.『週刊朝日』2009年12月18日号(8日発売,朝日新聞出版)に、
「雅子さま46歳 病が治癒しない『ある』事情」という記事が掲載
された(執筆は永井貴子)。
これは僅か1ページの短い記事。要するに主治医の大野裕が、
私的に依頼された「お医者さま」という立場だから、雅子さまの
病状に関する説明責任を果たしてないという話だ。ちょっと気付
きにくい指摘としての価値はあるものの、メディアや国民に対す
る説明と治療とではまったく別問題だし、公的な医師なら治癒す
るというものでもなかろう。
つまり、見出しに目立つ形で書かれた記事タイトルは、読者に対
する「釣り」にしかなっておらず、悪い意味で典型的な週刊誌記
事にすぎない。
P.S.2 雅子さまの誕生日に合わせて、『女性自身』でも「『治療チーム』
が崩壊」「深刻ご病状」などと大げさなタイトルの記事を発表した
(12月22日号,8日発売,光文社)。
これに対して『週刊文春』12月17日号(10日発売,文藝春秋)
では、週刊朝日と女性自身の名前こそ挙げてないものの、両者
を「憶測」だと指摘している。執筆者の友納尚子は、雅子さまの
病状が確実に回復(or 「復活」)しつつある様子を書いているが、
これが憶測でないかどうかは何とも分かりにくい所だ。。
cf.うつ病の診断基準と抗うつ薬~NHK『ためしてガッテン』
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コメント
テンメイさん、こんにちは
TheBeachと申します。「うつ病ブログ」というココログをやっています。
わたしは、うつ病とパニック障害です。
Major Depressionのほうです。
毎日処方薬漬けです。
わたしは、雅子様には期待している点があります。
ダイアナ元妃が地雷問題解決の象徴となったように、雅子様には、気分障害やうつ病やパニック障害などの心の病を撲滅する運動を始めていただきその象徴となってもらいたいです。
ぜひ悩める国民を勇気づけてほしいです。
ご自身の病状もその流れで良くなっていくといいです。
投稿: TheBeach | 2009年11月24日 (火) 13時58分
> TheBeach さん
こんばんは。コメントありがとうございます♪
先月もコメントくださった、ブロガーの患者さんですよね。
その後、調子は如何でしょうか。
薬の種類や量は、まだ減ってないんですかね。。
雅子さまには、僕も期待してますし、
香山リカも大いに期待してると思いますよ。
ご自分の回復だけでなく、多くの患者さんの
回復を手助けする方向に進んで頂きたいですね♪
日本国民だけでなく、世界の人々に光を投げかける
ような国際的活躍を期待しています。
そのためにもまず、公務を少しずつこなしながら、
ご自身の完全な復帰を目指して欲しいものです
投稿: テンメイ | 2009年11月25日 (水) 00時00分