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手偏(てへん)の縦棒の下ははねなくても良い~常用漢字表「字体についての解説」

なるほど・・・! 朝から感心してしまった☆ 分かりやすい話だし、サラッ

と速攻で記事にしとこう。今日、4月15日の朝日新聞・朝刊1面の右端

にある内容紹介で、注目すべき記事の「ことば」として、次のように書い

てあった。

 

   「重箱の隅をつつくように(略)『てへんのはねが見えないから」と答

    案に×をつけることで、いったいどんな効用があるのだろう

                  (「私の視点」で高校教諭の丸山力さん)

 

私はこれだけを一読して、「また下らない感情論の投稿だな」と思って

しまったんだけど、一応15面の本文をチェック。一瞬でイメージは変わっ

た。朝日の紹介の仕方が偏ってるだけで、元の投稿は素晴らしい!

 

論理的、実証的で、独自性や意外性も十分。新潟県立塩沢商工高校

の国語教諭、恐るべしって感じだ。失礼ながら、名前をGoogleで検索

してもなかなか見当たらないものの、もし『朝まで生テレビ』で漢字教育

がテーマになれば、新進気鋭の論客として呼ばれてもおかしくない♪

 

漢字教育 差異にこだわらない指導を」という投稿(タイトルは編集部

のものかも)を一言でまとめると、必ずしも細かい書き方の違いでバツ印

をつけるのがいけないという話ではなく、常用漢字に関する文化庁の解

説や理念に即して漢字教育を行おうという話だ。

 

文化庁は、字体や字の形の様々なヴァリエーションを許容してるのに、

現場の「教員に十分に伝わっているとは言い難い」から、もっと徹底させ

よう。そのために、「『活字でははねてあるが、とめてもよいもの』の最適

な具体例として、『手偏(てへん)』を加えるのだ」、という鋭くて簡単な積

極的提案だ。

 

  (☆8月8日追記: 丸山力氏ご本人から貴重なご意見を直接頂いた。

              この記事末尾のコメント欄を参照。)

 

「とめ・はね」とか言うと、NHKの冬ドラマ『とめはねっ!鈴里高校書道

部』を思い出す所だけど、書道はともかく、小学校の国語で漢字を習っ

てた時には、漢字のとめ・はねを細かく教えられた。当時は、それをそ

のまま正確に覚えて、○印をもらったり先生に褒められるのが嬉しかっ

ただけ。その教え方が正しいかどうかなんて発想は、全くなかった。

 

早速、文化庁の常用漢字表のページにアクセスして、「(付) 字体につ

いての解説 第2 明朝体活字と筆写の楷書との関係について」の前書

きを見ると、次のように書かれている(改行を追加、余計な句点だけ削

除した)。

 

   常用漢字表では,個々の漢字の字体(文字の骨組み)を,

   明朝体活字のうちの一種を例に用いて示した。このこと

   は,これによって筆写の楷(かい)書における書き方の習

   慣を改めようとするものではない。

 

   字体としては同じであっても,明朝体活字(写真植字を含む)

   の形と筆写の楷書の形との間には,いろいろな点で違いが

   ある。それらは,印刷上と手書き上のそれぞれの習慣の相

   違に基づく表現の差と見るべきものである。

   以下,分類して例を示す。

 

その後、明朝体の活字の特徴と、筆写の楷書のヴァリエーションについ

て、色々な具体例が画像で示されている。ここでは、とめ・はねに関わ

る画像だけトリミング&縮小して引用させて頂こう。文化庁はページの

下で、「ALL RIGHTS RESERVED」と著作権を主張してるけど、こ

の程度の引用は、著作権法・第32条で許される範囲のはずだ。私が

手書きで写し取るより、よほど説得的だし正確だと思う。

 

100415

 

環境の「環」という字の右下は、とめるのが正解で、はねるのは間違い

だと教わった気がする。先生の指導か、テキストの指導かはともかく、

はねてしまいそうな所を一生懸命とめる練習をしたはずだ。なるほど、

たかが活字体と筆記体(の一種)の違いだったのか。

 

確かに、「牛偏(うしへん)」の縦棒の下をはねてもとめてもいいのなら、

「手偏(てへん)」の縦棒の下をとめても大丈夫だろう。象形文字として

の「手」の原型(つまり人間の手)を考えても、はねる方がむしろ変だ。

牛偏より手偏の方がよく使われるから、文化庁が具体例として示すに

は、手偏の方が適してる。投稿の提案はごもっともだろう。。

 

          ☆          ☆          ☆

これ以外にも、目から鱗が落ちるような具体例(はらうとか点の書き方

など)が示されているので、興味のある方には是非、文化庁のページを

じっくり読んで頂きたい。お役所としては珍しいほど、丁寧で具体的に解

説してある。

 

もちろん、文化庁の指示だけで漢字教育の正当性や妥当性を論じるの

は不十分だろうから、朝日の投稿で批判されてる漢字検定のなど

ら、反論があると更に面白くなるだろう。まさに、『朝まで生テレビ』だ。

 

三鷹の「鷹」と、障碍の「碍」が、新しい常用漢字表への採用を見送ら

れたニュースよりも、今回の漢字の書き方に関する意見の方が遥か

に一般性があって、多くの人(特に生徒)の実生活に影響するものだ

と思う。とりあえず、反論の投稿を楽しみにしたい。

 

小学校・中学校の国語の先生が、全国で動揺してる様子が目に浮か

ぶようだし、入試の漢字の採点で×印をつけた担当者も戦々恐々と

してるかも知れない♪ 

ではまた。。☆彡

 

 

 

P.S. 丸山力氏がこの件に関する本格的HPを開設。

   https://chikara-tookamati.jimdo.com  

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コメント

 テンメイさん、はじめまして。塩沢商工の丸山力です。朝日新聞「私の視点」の私の意見をおほめくださいまして、ありがとうございます。
 常用漢字表が約30年ぶりに改定されるので、以前から考えていた手偏の例を挙げてもらおうと思い、朝日新聞に投稿しました。もちろん常用漢字表の改定作業を進めていた漢字小委員会にも意見を送っていました。結果は残念ながら今回の改訂常用漢字表には手偏の例を挙げるのは見送られ、学校教育の指導の中で配慮するというような曖昧なことになりました。于(ウ)と干(カン)ははねるはねないで別字になる(そんなことは当たり前)とか、年という字の縦棒まではねていいのか(年という字の縦棒をはねる人などいない)とか、実に低レベルなことをいい、他の漢字教育に大きな影響を与え混乱させる恐れがある(混乱しているのは現状の漢字教育で、その漢字教育に大きな影響を与えるために意見を出した)といくことで見送られたのです。この議論は文化庁のホームページから文化審議会・懇談会等、国語分科会、漢字小委員会、第42回議事録でご覧ください。
 また漢字検定の答案用紙にあった手偏ははねないと×にするという採点基準は、今年度の第1回漢字検定から削除されました。(私と漢字検定協会の1年間のやり取りで削除されることになりました。)漢字検定の影響力は大きいので、それでも一歩前進と考えています。
 私の言いたいことを簡単にまとめれば、古来漢字は毛筆で書かれてきたが、現代では毛筆で書くことはめったになく、筆記用具がボールペンのようなペン先が細く弾力性のないものにかわったのであるから、毛筆で書いていたときとは変わってくるのだ、それを認めようということです。名蹟でははねているなどという考えは書道の考えで、我々一般のものではありません。こうした考えがもっと広がってほしいと考えています。

投稿: 丸山力 | 2010年8月 8日 (日) 07時19分

> 丸山力さん
     
はじめまして。ブロガーのテンメイです。
わざわざご本人にコメント頂き、恐縮です。
       
この種の記事で、直接こちら側に応答を頂いたのは、
丸5年のブログ歴でおそらく初めてでしょう♪
「私の視点」のご意見、素晴らしかったと思います。
    
さて、お伝え頂いた文化庁議事録、早速拝見しました。
まさに情報化社会、便利な時代になったものです。
はねる・はねないにも意味は一応あるし、
現在に至るまで、社会慣習も出来上がってる。
その点に関しては、その通りだと思います。
ただ、手偏の話は別だし、今後の教育や政策も別問題。
   
「于」(う)という漢字は、書いたことが一度もないし、
見たことさえほとんどありません。
調べてみると、「于撥ね干引き」(うはね-かんびき)
という言葉が出て来ました。
「于」ははねる、「干」ははねないでまっすぐに引く。
なるほど、あの発言は特殊なものではなく、
ありがちな古典的意見なのかも知れませんね。
    
年という字の縦棒をはねる人を知ってることもあって、
私は「実に低レベル」とまでは思いませんでした。
しかし、常用漢字表「字体についての解説」を見ても、
時代の流れを考えても、はねる・はねないは
もっと弾力的に教えて行くべきだとは思います。
     
その上で、はねる・はねないが意味を持つ場合は
きっちり教え、毛筆とか伝統・慣習についても
軽く話しておく。
基本的には、これでいいでしょう。
とはいえ、今回の議事録や結果を見ても、新たな考えが
広がるには時間がかかるとは思います。
        
とりあえず、漢字検定の採点基準の改善はまったく
筋の通ったこと。あらためて感心いたしました。
なお、折角の貴重なコメントなので、記事本文の
追記で紹介させて頂きました。。

投稿: テンメイ | 2010年8月 8日 (日) 19時28分

テンメイさんへ。塩沢商工の丸山力です。
 于(ウ)と干(カン)のことですが、于は見たこともないということですね。これは漢文ではよく見かける字ですが、ほとんど置き字になる字です。ですから漢文にでてくる字といっても、ほとんど読まれることもない字です。しかし宇という字はご存知でしょう。宇は形声文字といって、音(オン)を表す部分と意味を表す部分から成り立っています。つまり于(ウ)が音、うかんむりが意味を表している字ですから、宇は縦棒をハネないと×になるのです。芋(いも、ウ)もそうです。芋は縦棒をトメると(くさかんむりの下に干)だと、ハトムギの実という意味の別字になります。また肝や刊、汗なども形声文字で、干(カン)が音を表している字ですから、この縦棒はハネると×になります。于(ウ)や干(カン)それ自体はほとんど使われない字ですが、音を表す部分として使われています。
 私は極論すれば必ずハネなければならないのは、于のほかは氏、民、戉(エツ)の3字の縦棒だけではないかと考えています。もちろん于の場合と同じく、この3字が音を表している漢字も含みます。戉(おの、エツ)には似た戊(つちのえ、ボ)、戌(いぬ、ジュツ)、戍(まもる、ジュ)の字があり、昔の人は「つちのえに、いぬいっぴきで、ひとまもる、おのふりあげりや」と覚えたそうです。戉は越(エツ)の音を表しています。
 他の漢字については活字ではハネてあっても、必ずハネなければならないものではないと思います。氏、民、戉の3字についても斜めの長い棒の先は活字ではハネていますが、ハネようがハネまいがどちらでもよいものです。楷書の原型である篆書(てんしょ)や隷書(れいしょ)では、3字の斜めの長い棒の先はハネていません。故原田種成大東文化大学教授は『漢字の常識』(三省堂)で税の「ひとあし」の部分はハネなくても誤りではないと述べています。原田先生の著書はたいへん参考になります。利の「りっとう」も河の縦棒ももちろん篆書ではハネてありませんが、隷書の影響で楷書ではハネるようになったようですから、ハネに必然はありません。
 私は国語の教師ですから漢字の書き取りテストもします。どう書いた字が正しく、どこまで許容できるか生徒に明確に示さなければなりません。実際には細かいところまで質問する生徒はいませんが、誰かが(政府が)正しい字を明示してほしいと思っています。そういう気運が盛り上がってほしいと願っています。自分で作成できたらいいのですが、私にはそこまでの知識はありません。しかし、いつまでも明確にすることを避け、御茶を濁しているわけにはいかないと思います。

投稿: 丸山力 | 2010年8月11日 (水) 20時46分

> 丸山力さん
    
こんばんは☆
再びコメントありがとうございます。
お盆前で色々忙しかったこともあり、
レスが遅れてしまって失礼しました。。
     
まず、細かい指摘をさせて頂くと、
「于は見たこともない」のではなく、
「見たことさえほとんどありません」です♪
字体に目新しさはさほど感じないので、
見たことは一応あるでしょう。
でも、少なくともここ数年は見てないし、
以前いつどこで見たかも分かりません。
   
言われてみれば、高校の漢文の時間に
見て以来かも知れませんね。
漢文の授業は好きでした♪ 漢字が並んだ外観も
いいし、意味が何となく分かるのもいい。
訓読には暗号解読みたいな面白さもありました。
「置き字」という言葉は完全に忘れてましたが、
そう言えば読まない字もあった気がします。。
     
とにかく、「于」やこれを使った漢字は、縦棒を
はねる必要がある。なるほど、納得です。
    
他に必ずハネなければならないのは、
「氏」「民」「戉(エツ)」の3字の縦棒だけ
ではないか、とお考えなのも分かりました
(これらが音を表す漢字も含む)。
ただ、この点は、漢字の知識の無い私には何とも
言えませんし、丸山さんも断定を避けてらっしゃる。
貴重な参考意見として拝聴しておきます。
  
それら3字の斜めの長い棒の先は、
ハネてもハネなくてもよい。
何となくスッと納得できますね。
両方を実際に何度も見たことがあるからかも。。
原田種成『漢字の常識』は82年の発売で、
現在品切れ中。覚えておきます。
原田氏は漢字の世界では有名な方なんですね。
95年に88歳で他界されたわけですか。。
    
確かに、先生の側からだと、
「どこまで許容できるか」は重要でしょう。
ただ、生徒の側からだと、「普通どう書けば
正しいとされるか」で間に合うと思います。
その通りに書いて、点数をもらえば問題ない。
実際、僕自身もそうでした。
活字の見本を真似して、点数や褒め言葉をもらう。
    
論理的に言うなら、先生は、主要な漢字に関して、
その表記が正しいとされるための必要十分条件を
把握しておく必要がある(理想的には)。
ただ、生徒は十分条件の理解だけで○印をもらえる。
「ハネる必要があるかどうか」まで分からなくても、
「ハネれば○」とだけ分かれば間に合います。
で、ほとんどの生徒や一般人は、「ハネる必要が
あるかどうか」までは興味を持たない。
       
これに似た話は、数学や物理のような厳密な世界も
含めて、あちこちに見られます。
そう考えたり決めたりする「必要がある」か
どうかまでは考えなくて、そうしとけば
「十分である」に留まってしまう。
すると、標準的な教育システムの反復になるので、
現状の変化はなかなか起きないわけです。
     
結局、現状を変えるには、まず社会的な気運を
盛り上げる必要があるでしょう。
そのためには、色んな盛り上げ役が考えられますね。
テレビのバラエティで受ける先生の登場、
面白いベストセラー、脳トレ的な漢字ゲーム、
ネットでの普及広報活動など。
他には、現状を変えることの「一般人にとっての
メリット」を示すことも重要でしょうね。
        
丸山さんを始めとして、漢字の先生方の
今後のご活躍に期待しています。。

投稿: テンメイ | 2010年8月14日 (土) 23時24分

あけましておめでとうございます。
お久しぶりです。
私は2012年から14年にかけて、原稿用紙30枚程度の論文を5編書き上げ、そのうち3編を全国漢文教育学会が編集する『新しい漢字漢文教育』(54号、57号、59号)で発表しました。(他の2編は新潟県高等学校教育研究会国語部会「国語研究」58集、60集に掲載。)中でも、57号・59号で発表した論文「漢字の正誤を判断する観点」は、漢字の正誤をどう判断するかについて包括的に論じたものとしては、日本初の論文であると思います。
テンメイさんにぜひ『新しい漢字漢文教育』(研文社)57号、59号を読んでいただき、感想をお聞かせいただければと思います。(できれば54号もお読みください。)
漢字の正誤の問題については、やはり常日頃漢字の書き取りテストの採点をし、漢字の正誤について問題意識を持つ者が書くしかなく、結局人任せにできず自分で書くことになりました。書いてみて、改めてこの問題の難しさもわかりましたが、自分ではうまくまとめることができたとも思っています。この論文をできるだけ多くの人に読んでもいたいと思います。

投稿: 丸山力 | 2015年1月 1日 (木) 10時50分

> 丸山力さん
  
明けましておめでとうございます。
これはこれは。お久しぶりですね。
  
今はお正月で、色々と調べる余裕はありませんが、
『新しい漢字漢文教育』に発表された論文、
後ほど調べてみようと思います。
はたして、身近な図書館に置いてるのかどうか。
引越しの荷物片付けも全く進んでない状況なので、
しばらく後になりそうです。
  
いずれにせよ、私は1人の部外者としての
コメントしか出来ません。
ただ、もし拝読できれば、独自の視点から
感想を書きたいと思っています。
  
「論文執筆お疲れ様でした」とか書くと、国語の
テスト的には減点されるのかも知れませんね♪
ともあれ、わざわざご挨拶頂き、どうもでした。
  
それでは、今日の所はこの辺で。。

投稿: テンメイ | 2015年1月 1日 (木) 23時25分

テンメイさん、お久しぶりです。私は全国漢文教育学会が編集発行する『新しい漢字漢文教育』に漢字の正誤に関する4編の論文を発表しました。この4編の論文でこの問題に関しする私の考えを書きつくしたので、それを公開することにし、ホームページを作りました。アドレスはhttps://chikara-tookamati.jimdo.comです。どうかご覧になって、感想をお聞かせください。またどこかで紹介していただければと思います。よろしくお願いいたします。

投稿: 丸山力 | 2018年5月12日 (土) 06時45分

> 丸山力さん
  
お久しぶりです。
再びコメント頂き、ありがとうございます。  
素人の立場で、力作のHPを拝見しました。
   
「学問的には」、優れた主張だと思います。
きっちりと文献をおさえた上で、
ご自身の考えと根拠を明示しています。  
私は知識も文献も持ち合わせていないので、
コメントする立場にありません。
  
      
一方、「社会的には」、気になる点もあります。
丸山さんにとって優先順位が高いのは、
教員や教育の批判と再教育でしょうか。
それとも、正しい漢字の普及でしょうか。
   
もし前者を優先するのなら、もう少し相手が
受け入れやすい形にした方がいいと思います。
たとえば、もう少し文体を和らげるとか、
相手の反論に一旦、耳を貸すとか。
内容も高度なので、小学校教育の関係者向け
というより、漢字の専門家向けに見えます。
    
もし後者、正しい漢字の普及を優先するのなら、
一般向けの書き方や研究方法があると思います。
  
SNS全盛時代ですから、大幅に内容を簡素に
するとか、ご自身のSNSで拡散するとか。
SNSなら、本格的議論よりも、面白いイラストや
カワイイ絵文字の方が効果的でしょう。
    
あと、引用文献・参考文献のほとんどが、
学術系の著作や公文書になっています。
一般社会での正しい漢字を考えるのなら、むしろ
実際にどう使われてるのかを見るべきでしょう。
言葉の正しさは、上から教えるだけでなく、
実際の使われ方にも影響されるものだからです。
   
例えば、一つの種類の漢字で五個の字体を
用意して、普通の人々に見せてみる。
その人達にとって、どれが〇でどれが×なのか。
あるいは、どう書くと、どう認識されるのか。
実際、時々実施される言葉の使い方の調査でも、
「誤用」にある程度配慮する姿勢になっています。
  
さらに、ソフトやアプリがどう判断するのか、
それも非常に実用的な話だと思います。
例えば、このWindowsパソコンの
IMEパッドで、マウスを使った手書き入力を
行うと、多少崩れていても正しく判別されます。
手偏の下のハネも必要ありません。
     
漢字の専門書を読む人と、デジタル機器の使用者
を比べると、何ケタも違うのが現実でしょう。
もちろん、人数が多い方が重要だとは言い切れ
ませんが、そういった視点も大切だと思います。
   
素人の立場で恐縮ですが、私が感じたのは
そういった事です。
学校の漢字教育は期間も時間も限られていますが、
社会における使用は日時や場所を問いません。
個人的には、社会の方が重要だと思っています。
  
なお、HPはこの記事の末尾で紹介しました。
今後のご活躍をお祈りいたします。。

投稿: テンメイ | 2018年5月13日 (日) 19時35分

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