釈尊は自殺について価値判断せず~朝日新聞「自殺と宗教・上 仏教」
子供の頃は、泣いたり泣かせたり、些細なことで涙と関わり合うことが多
かった。でも、自分の頭で考えるだけで泣いたのは、親の死について考
えた時だった気がする。その数年後、初めて「人間」とか「自分」という存
在について深く考えたのも、死をめぐってだった気がする。
人にとって、一般に死は、悲しい出来事の典型だろうけど、とりわけ自殺
という行為には、何とも重たく切ない感じを持たざるを得ない。その一方
で、死が持つ独特の吸引力とか甘美さのようなものも無い訳ではないの
だけど、そちらについては、また別に機会に論じるとしよう。
自殺について、中3くらいのホームルームか何かで話題になった時、私
は子供っぽいユーモアを込めて、「根性無しだと思います」と答えた。こ
れはもちろん、「根性」ではどうにもならないような場面があることに気
付いてないのではないし、根性の過大評価でもない。現在の世の中で
受け入れられやすい表現に直すなら、「生きてて欲しいと伝えたいです」
とでも言うべき思いだったわけだ。
その意味では、本質的に今もそれほど考えは変わってない。「私はあな
たに生きていて欲しい」とか、「あなたが死ぬと、ご家族は悲しみます」と
いう、周囲の個人的思いや願いが、生活感覚のレベルで差し当たり大切
なことだ。そして、そこに付随してくるのが、「死ぬ必要はないんですよ」と
か、「あなたも本当は生きたいんですよね」といった言葉、あるいは知識
だろう。何ならそこで、心の病とか自己破産という言葉を付け加えてもいい。
正直、ガンの末期とか、病気で耐えがたい苦しみがある人が、少し早め
に安らかになることまで止めるつもりもしない。それでもやはり、他人で
あれ自分であれ、なるべく自殺は止めたい。その時の、最終的な根拠の
ようなものは、一体何だろうか。そんなものはないのだろうか。
古今東西、わかりやすいものの代表が、「人間を殺してはいけない」とい
う考えだろう。自殺は、「自死」、つまり自分で死ぬことというよりも、やは
り自分を殺すことであって、だからいけないと考えるわけだ。
不殺生は仏教の教義だから自殺はいけない、という考えも、それと似た
ような形式の話だろう。ただし、そこで2つの大きな問題が浮上する。ま
ず、本当に仏教は自殺を禁じてるのかどうか。そしてもう1つは、仏教の
自殺に対する考えは正しいのか、という問題だ。
☆ ☆ ☆
今日(4月6日)の朝日新聞・朝刊では、「自殺と宗教 上 仏教」と題し
て、仏教の取り組みを伝えている(磯村健太郎記者、下はキリスト教の
予定)。大見出しは、「仏典再読、苦しみと向き合う」。それによると、自
殺問題に対する仏教界の対応の遅れが指摘される中、浄土真宗・本
願寺派の教学伝道研究センター(京都)は、2年前に自派の寺院でアン
ケートを実施。自殺は仏教の教えに反していると思うか、という問いに、
「思う」「やや思う」と答えた僧侶が計74%いたそうだ。
けれども、その考えでは相談者や遺族の思いを受け止めるのが難しい
し、そもそもその考えが仏典に即してるのかどうかも曖昧だ。そこで、原
始仏典と大乗仏典を読み直したセンターが出した結論は、「釈尊は自殺
について価値判断をしていない」。つまり、お釈迦様は自殺をいいとも悪
いとも言ってないということで、昨年から「宗報」などで発表しているらしい。
ネットを探すと、「教学研究所ブックレット No.16 自死、遺された残さ
れた人たち~死別の悲嘆によりそって~」という冊子が一応見つかる。
宗報だと、2009年3月号以降の目次だけが並んでいて、10年3月号の
「こころ通信47 自殺対策」という記事名くらいしか見当たらなかった。
この結論、あるいは仏典解釈が、本当に正しいのかという所までは、も
ちろん私には分からない。ただ、自殺に関する数百カ所の分析と書かれ
てるし、「雑阿含経」(ぞうあごんきょう)の弟子ヴァッカリに対する釈尊の
態度(後述)とか、僧団(=出家者集団)の運営規則に関する「律」の話と
か、具体例も示してある。とりあえず拝聴に値する研究ではあるだろう。
東京大学の下田正弘教授(インド哲学)も、「仏教は本来、死の差別化
はしない。孤独のなかに立ち続けることの尊さは説くが、結果の是非は
論じない」と語っているとのこと。そもそも死は単なる終わりではなく、再
生の契機=きっかけ。良し悪しを問うより、(遺族の)再生の可能性に目
を向けよう、ということのようだ。
相談や法要を行う超宗派の「自殺対策に取り組む僧侶の会」(事務局・
東京、代表・藤澤克己)も、センターの研究を評価している。問題は自殺
という結果ではなく、その要因。また、「いけない」と否定するよりも、「死
んでほしくない」と寄り添うべきだ。そういった、相談現場での方向性を、
教学的に裏づけてくれたことになるわけだ。
☆ ☆ ☆
という訳で、非常に朝日新聞らしくと言うべきか、読者の共感を得やすい
形で今回の記事は終わっている。実際、私自身も読後感はいい。ただ、
それでも最後に、少し付け加えておきたい。
まず、既に指摘したように、仏典の解釈には当然、様々な余地があるは
ずで、研究者同士の本格的な議論が必要だということ。おそらく既に、反
論・異論は出てると思う。あるいはまだ、胸に秘めたる段階とか、準備中
なのかも知れないけれど、記事で全くそういったものに触れられてないの
が少し気になった。
そしてもう一つ、もっと本質的なこと。仏教は、仏典と遺族だけを考えて
いいのだろうか。正直、記事全体を冷めた目で読むと、遺族との関係を
上手く築けるように仏典を解釈したように感じられなくもない。初めに結
論ありきとまでは言わないとしても、最も肝心な、自殺の当事者との向
き合い方がやや軽い感じを受ける。
釈尊は重病で死を考えるヴァッカリに対して、「どう仏法を学んでいたか」
を問うのみだったそうだ。その問いの意味は何なのか。また、そう問うだ
けでいいのか。仏教者として自殺と真摯に向き合うとは、そういった問題
についても考え続けることだろう。
私は別に仏教を信じる者ではないけど、宗教として親しみは持っている。
宗教たるもの、現世の人間関係や社会状況を超えた次元まで、深く取り
組んで頂きたいものだ。
仮に、今回の記事のように、自殺を悪とするのは誤りとしても、自殺を悪
としないのは当事者に対して正しい向き合い方なのか。命の尊さに対す
る配慮は十分なのか。私自身も、仏教とは別の立場から、自分なりに考
えていきたいと思ってる。
ではまた。。☆彡
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