孤高の星+ i (愛)=一筋の流星~小川洋子『博士の愛した数式』
数学は、自然科学系の学問の中でも奇妙な位置にある。間違いなく、あ
らゆる自然科学を根底で支えてるにも関わらず、数学自身は独立性を
保ってる。数学の正しさの証明に、他の自然科学は必要ないのだ。
つまり、数学という学問自体が孤高の存在であって、それは険しくそびえ
立つ山のようなものだ。裾野(算数など)は優しく広がってるものの、上に
登るに連れて他の存在を拒絶し、頂上まで行くともはや別世界。にも関わ
らず、下から普通に見上げても、その凛とした美しさを味わうことは出来る。
一方、数学者という専門家は、さらに別次元の孤高の存在と言えるだろ
う。もはや彼の語る言葉、彼の見渡す世界は、他のものには触れることさ
え出来ないし、仕事の場もしばしば孤立した空間になっている。したがっ
て、険しい山というより、真空に隔てられた夜空の星のような存在だろう。
もちろん、それが数学者全体の統計的事実かどうかは重要ではない。一
部の天才的数学者が非常に変わり者だという話が広く伝えられてること
もあって、数学者のイメージは一般にしばしばそうなってるわけだ。最近
なら、超難問のポアンカレ予想を解決して、NHKでも何度かスペシャル
番組が放送された、ペレルマンを思い出せばいい。
ちなみに私も個人的に、数学の秀才と言えるような存在を何人か知って
るけど、一人で行動してたり、ずっと部屋に閉じこもってるような人が目
立ってる。私自身は色んな意味でそこまでは行かないものの、中学・高
校の頃にはよく、一つの難問を延々と考え続けてた。
最長記録は確か、中学の図形の問題で、1週間考え続けて解決。この時
の証明は数学雑誌に採用されて、ささやかな賞品も受け取ってる。覚え
てないけど、同じような事は他にも数回あった。たかが小市民レベルで
はあっても、プチ「博士」みたいな時期がかつて一応あったのだ。賞品を
学校で見せびらかすと、悪友たちがそれを痛めつけようとして、私が怒る。
そんな無邪気なやり取りが、今となっては懐かしい♪
☆ ☆ ☆
という訳で、久々の書評となる今回は、孤高の星とも言うべき数学者を中
心とする物語を扱うことにした。小川洋子『博士の愛した数式』(新潮社)。
大ベストセラーとなった小説だし、映画にもなって、度々テレビ放映もされ
てるから、名前くらいはほとんどの人が知ってるだろう。第5回(2003年)
読売文学賞・小説賞受賞、第1回(04年)本屋大賞受賞。コミックやラジ
オドラマにもなってるようだ(ウィキペディアの情報)。
やや古い小説とも言えるこの作品を今扱うのは、たまたま数ヶ月前に古
本屋で文庫本を見かけたからだ♪ 前から興味はあったし、ブログのネ
タにも使えると思ったんだけど、数式がからむと半ば理系の私の血が騒
ぐから、なかなか記事を書くことが出来ない。どうしても、色々と調べたり
考えたりしてしまうのだ。
5月9日には、朝日新聞・朝刊の読書面の企画「ゼロ年代の50冊」にも
取り上げられたのに、その際にも記事を書けず。ただ、今週はたまたま、
ドラマレビューを書かなくてもいいので、ようやく重い腰を上げたってこと
だ。あと、右脚肉離れでほとんど走れない状態が続いたから、代わりに
家で大人しく読書したっていう事情もある。ともあれ、字数の多い本格的
レビューなので、悪しからずご了承を。。
☆ ☆ ☆
まず、あらすじをごく簡単に書いとこう(これ以降、ネタバレ注意)。事故
で80分しか記憶がもたなくなった数学者(博士)のもとに、母子家庭の
母親が家政婦として派遣される。彼女は、ひたすら数式の世界と過去
に生きる野球好きの博士と、あまり好意的でない博士の義姉にとまどい
ながらも、ルートと呼ばれる息子を交え、友達みたいに仲良く充実した
日々を送っていく。やがて大きな変化が生じるものの、博士を中心とす
る4人は、最後まで特別な絆を保つことになったのであった。。
私がこの作品に触れたのは、小説よりも映画(テレビ)が先だった。既
に数年前だし、真面目に見たわけではなくチラチラ流し見しただけだか
ら、私の印象は実際の映画とは違ってるかも知れない。ただ、「博士の
愛した数式」というタイトルのわりに、数式はあまり出て来なかった気が
する。数学大好き人間としては、やや拍子抜けの感もあった。
ところが小説を読むと、流石に色々と数式が登場するし、大学以上のレ
ベルの話もあちこちに散りばめられいる。ただ、そもそもヒロインの家政
婦も数学嫌いだったのだから、文系女性も全く心配ご無用の作品だ♪
そうでなければ、本屋さんの店員も大賞に選ばないだろうし、累計236
万部にも達することはなかったはずだ(前掲、朝日のデータ)。
物語のあちこちには、女性作家らしい繊細な描写が溢れてるし、優しさ
はもちろん、軽いユーモアも含まれてる(博士の人参嫌いとか)。筋書き、
つまり物語の流れも面白いけど、それより文体とか書き方が文学であっ
て、好感持てるものなのだ。具体例として冒頭を引用してみよう。
彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。そして博士は息子を、
ルートと呼んだ。息子の頭のてっぺんが、ルート記号のように
平らだったからだ。
「おお、なかなかこれは、賢い心が詰まっていそうだ」
髪がくしゃくしゃになるのも構わず、頭を撫で回しながら、博
士は言った。友達にからかわれるのを嫌がり、いつも帽子を
被っていた息子は、警戒して首をすくめた。 (p.5)
つかみとしては、教科書的に上手いし斬新だろう。「賢そうな頭だ」という
日常表現は使わず、「賢い心が詰まっていそうだ」と書く辺りも、細かいテ
クニックだ。また、ルート記号のこうゆう使い方は、数学者でなくてもなか
なか思い付かないものだし、帽子を被るほど平らな頭というのも、想像す
るだけで微笑みが浮かぶ。
そう言えば私の友達だったクラスメートにも、「絶壁」と呼ばれる奴がいた
のを思い出した。てっぺんでなく、後ろ側がストンと平らになってたから、
からかって遊んでたのだ♪ もちろんイジメではなくて、余りにバカバカし
い指摘に本人も笑ってたので、念のため。お笑いの用語なら、「イジる」
という所だろう。
話を戻すと、その後、朝日の書評で
も触れられてた、「ルート -1」の巧
みな説明が登場する。高校数学で
登場した、二乗してマイナス1に
なる数(虚数単位)で、小文字のアルファベット・ i (アイ)で表されてた。
もちろん中学までの数学の知識で考えると、そんな奇妙な数は存在しな
い。虚数とは英語だと「imaginary number」で、直訳すると「想像上の数」。
だから主人公の「私」も、息子と一緒に考えた後、「そんな数は、ないん
じゃないでしょうか」と答える。すると博士が言うのだ。
「いいや、ここにあるよ」
「とても遠慮深い数字だからね、目につく所には姿を表さない
けれど、ちゃんと我々の心の中にあって、その小さな両手で
世界を支えているのだ」 (p.7)
この少し前には、「窓の向こうには雨に濡れる杏の花が見えた」というよ
うな女性的情景描写も、アクセントとして挟まれてる。こうした描写の巧
みさは、ウィキペディアの虚数単位の説明と比べるだけでよく分かるだろ
う。「定義 虚数単位 i は、2項多項式 x²+1 の2つの根の内、任意の
一方のこと」。
もちろんこれは正しい説明だけど、数学的な説明としても決してスマート
ではない。少なくとも私なら、同じ内容でも、「方程式 x²+1=0の2つの
解のうち、どちらか一方のこと」と書く。余計なことは省き、なるべく普通
の人に馴染みのある柔らかい表現を使うということだ。実際、ウィキの項
目の冒頭には、差し当たりの説明として、「-1の平方根(2乗して-1に
なる数)のうち、適当に選ばれたもの」と書かれてる。ただ、これでも、小
説の表現とはかけ離れたものだ。
小川の小説は他に読んでないけど、おそらく文体的にも内容的にも、非
常に分かりやすくて馴染みやすく、柔らかい所が大きな長所だろう。だか
ら、海外でも人気なんだと思う。ルート-1の説明に、「遠慮深い」「姿を
現さない」「小さな両手で」といった擬人法を使うのが何とも上手くて味わ
い深いのだ。
ただし、そんな身近に感じられる表現の中にも、少し遠い世界を目指す
内容も含まれてる。それは例えば、心の中だけにある数が世界を支え
るという考えだ。
数学で使う数や図形が、厳密な意味では現実の世の中に無いことにつ
いては、学校教育や教科書だと強調されることはない。でも、古代ギリシ
アからの議論の歴史があって、有名な数学好きの大哲学者プラトンなら、
そうした数学的存在は「イデア」の一種だと論じることになる。感覚的世界
を超えた、理性だけが認識できる、真実の永遠なる存在という意味だ。
高校の倫理の授業を思い出す人もいるだろう。
この小説の参考文献には、数学と野球に関する僅かな本が挙げられて
るに過ぎない。でも、意識的かどうかはともかく、小川が何かを通じて、
プラトン哲学的発想に触れてるのは間違いないことだ。実際、小説の後
半では、博士はルートに直線を1本書かせた後、こんな説明をする。
「君が書いた直線には始まりと終わりがあるね。・・・本来の直
線の定義には、端がない。・・・更に・・・ここにある直線には幅
が生じている。・・・現実の紙に、本物の直線を描くことは不可
能なのだ」 (p.179)
数学の直線には本来、端も幅もないはずなのに、ルートが書いた線に
は両方生じてしまってる。と言うか、誰が書いてもそうなってしまう。その
点の指摘に続いて、こう書かれる。
「真実の直線はどこにあるか。それはここにしかない」
博士は自分の胸に手を当てた。虚数について教えてくれた時
と同じだった。
「物質にも自然現象にも感情にも左右されない、永遠の真実
は、目には見えないのだ」 (同上)
数学の不思議さを説明しつつ、古代ギリシア哲学の香りも漂わせる。し
かも普通の物語の中で書かれてるから、読者は理屈っぽさも難しさもあ
まり感じることなく、スッと受け止めることが出来る。何とも上手い「数学
小説」の先駆けなのだ。
☆ ☆ ☆
数学と共に、物語全体のポイントとなるのは、野球であって、特にかつ
て阪神タイガースに在籍した江夏豊投手は最も重要な存在だ。ウィキに
よると、小川自身がタイガースの大ファンという話で、自らの野球愛を博
士に投影したものだろう。
エッセイストとしてもお馴染み、数学者・藤原正彦が書いた文庫本あとが
きによると、江夏の背番号が「完全数」28だと気付いたことが、「この作
品を完成させる最後の鍵だったような気がします」と小川が語ったらしい。
完全数とは、約数すべて(それ自身を除く)を足し合わせると、その数に
なるような自然数のこと。一番小さいのが6。約数は1,2,3で、確かに
「6=1+2+3」。次に小さいのが28で、「28=1+2+4+7+14」。
その次は496、4番目は8128、5番目は8ケタにも到達する。
この程度の話なら、数学が苦手な人(特に女性)でさえ付いて行けると
は思うけど、実はこれでさえ、必ずしも分からなくていいのだ。ヒロイン
がたまたま発見して博士に感心してもらえた、面白い性質の数は、「完
全数」という偉大な名前で、博士の愛する完全な江夏投手の背番号に
なってる。これだけの大まかな理解で、小説は十分楽しめるだろう。
その点は、素数に関しても同様だ。「この世で博士が最も愛したのは、
素数だった」(p.95)。ここで、素数とは1とそれ自身以外の約数を持
たない自然数(2,3,5,7,11・・・)だという説明が分からなくても、あ
るいはピンと来なくても、「孤独なんだな」とだけ分かれば物語には付い
て行ける。孤独だけど、極めて重要な数学的存在。こう言い直せば、
まさに博士にふさわしいのが分かるだろう。そして実は、江夏豊もそう
ゆう孤高の天才なのだ。
ただ、完全数や素数について少し学べば、この小説はさらに楽しめる
ようになる。この2つは、実は不思議な関係で結ばれてるのだ。ある種
の素数(=メルセンヌ素数)を利用すると、完全数を作ることが出来る。
この事実は、既に古代ギリシアから厳密に理解されてたし(ユークリッド
『原論』)、小説でも天才として登場した数学者オイラーは、「偶数の完
全数はすべて、そうやって素数から作られるタイプだ」ということを証明
してるのだ。
(追記: 後に数学的解説記事を追加。
ここからもう少し調べたり考えたりすると、博士(あるいは小川)の説明
がややミスリーディングな(誤解を招きやすい)部分にも気付くことになる。
「完全数は連続した自然数の和で表すことができる」
6=1+2+3
28=1+2+3+4+5+6+7 (p.71)
これは一応、「」(カッコ)の中を文字通りに読むだけなら正しい。ただ、その後
の数式や記述を見ると、「1から連続した自然数の和」を意味してる台詞のよ
うに感じられる。それだと、厳密には、「偶数の完全数は」と言うべきだろう。
あるいは、「現在までに知られてる完全数は」と言ってもいい。このコンピュー
ターの時代においても、いまだに奇数の完全数は発見できてないし、逆にそ
れが存在しないことの証明もされてない。やはり、数学の世界は深遠で、聖
なる存在、神の領域だ。
ちなみに、連続した自然数を点の数で表して(1コ、2コ・・・)、小さい順に
上から並べると、正三角形になる。だから完全数の6や28は「三角数」と
も呼ばれることになる。なぜかシンプルな図形まで関係して来る辺りに、
人間を超えた崇高な存在の技を感じるわけだ。。
☆ ☆ ☆
う~ん、やっぱり書評は、真面目に書くと時間がかかるし、文字数も増え
る。まだ半分くらいのような気もするけど、そろそろ最後の話に向かうこ
とにしよう。もちろん、全体の核心となる話だ。理系だと、重要な話は最
初に書けとか言われるけど、私は「半ば」理系だから最後に書くのだ♪
一番重要な要素は、もちろん愛だ。これをアルファベットで書くと、都合良
く i (アイ)になる。つまり虚数単位、ルート-1だ。したがって、「ルート」と
呼ばれた息子は、愛を表す存在を表してる。息子=ルート → ルート-1
→ i → 愛、という流れだ。
一方、博士自身は、i とは別の不思議な数学的存在として、e だと考えて
いいだろう。小説の終盤(p.195-196)、自然対数の底(てい)として
わりと長めに説明されてるけど、多くの人がピンと来ないだろう。要する
に、すごく変な数だと分かれば十分だ。2.718・・・と続く無限小数で表
されるということさえ、別に分からなくてもいい。
さらに、e と同種の不思議な数(超越数)として有名なのが、円周率π(パ
イ)だ。こちらも3.14・・・と無限に続く変な数だけど、円周の長さを直径
で割っただけの数だから、e と比べると遥かに簡単な存在だ。実際、π
は中学校で習う数だけど、e は高校になってる。したがって、e が博士な
ら、πは一般人である「私」と言うべきだろう。
ここでようやく、この小説で一番大きく扱われてる高級な数式を解釈でき
る。それが左の式、オイラーの公式
だ。より正確にはオイラーの等式と
呼ばれるこの式は、「数学における
最も美しい定理」とか「史上最も偉大な等式」と呼ばれてるらしい(ウィキ)。
この式の数学的説明は、別記事でいずれ行いたいと思ってるけど、ここ
では人文的解釈を行う。そもそも小説のどこで登場したかというと、博士
の目の前で、義姉(未亡人)が「私」と息子を責めてる時なのだ(p.187-
188)。博士が突然、愛用するメモ用紙にこの式を書いて部屋を立ち去っ
た後、義姉は一気に静かになる。たった1つの数式で、その場が丸く収
まったのだ。この小説の、もっとも不思議でインパクトある箇所だろう。
ところでこの式。よく見ると、まず e が中心になってるのが分かる。つまり、
博士が中心となって、その右肩にぴったりとπ(私)と i (息子)が寄りそっ
てるのが、式の左側だ。それなら、もはや「+1」が何を意味するか、明ら
かだろう。一体となってる e と π と i から少し離れた、孤独で基本的な
存在。つまり、義姉なのだ。
そもそも、義姉が
世話をしてるから
こそ、博士と私と
息子の密接な関係
も可能になったの
だし、敢えてここには詳しく書かないものの、この義姉は博士にとって、
特別な運命共同体の「1」人、微妙な距離を保ち続ける愛の相手でも
あったのだ。義姉だけが離れた場所に住んでるという事実さえあった。
こうして、博士が黙って書いて立ち去ったオイラーの公式とは、左上図の
ように、3人+1人の四角関係を表すことになる。それらが左辺に書かれ
て、等式の右辺には0(ゼロ)。つまり、丸く収める数だ。したがってあの
式は、3人と1人が仲良くまとまる姿を現すことになる。そして実際、その
神秘的な力によって、その場の現実は数式の通りになったのだ。
この中で、一番特殊な役割を果たしてるのが、唯一「心の中にある」存
在、i (アイ=愛)だ。i が無ければ、あるいは、代わりに普通の数(実数)
であれば、左辺はプラスの数であって、0にはならなかったのだ。ルート
に対する博士の特別な思い、「幼い者に向けた愛情の純粋さ」(p.199)
には、古代ギリシアの「少年愛」のようなものさえ感じられるだろう。
以上、オイラーの公式について細かい解釈を示してみた。最後は、小川
の美しい文学的表現の引用で締めくくるとしよう。
π と i を掛け合わせた数で e を累乗し、1を足すと0になる。
私はもう一度博士のメモを見直した。果ての果てまで循環する
数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡単な軌跡を描き、
一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙か
ら π が e の元に舞い下り、恥ずかしがり屋の i と握手をする。
彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の
人間が1つだけ足算をした途端、何の前触れもなく世界が転換
する。すべてが0に抱き留められる。
オイラーの公式は、暗闇に光る一筋の流星だった。
(p.197-198)
☆ ☆ ☆
こうして、孤高の星とも言うべき博士のもとに、i が、あるいは愛が結び
つくことで、一筋の流星のような美しい軌跡が描かれる。それこそ、3人
+1人の人生そのものだろう。博士の愛した数式、それはつまり、4人の
生活だったのだ。
流星は一瞬で消え去り、その後には一抹の淋しさや切なさ、儚さも残る
ことになる。感動的なラストまで読み終えた直後、私の目からも一筋の
流星がこぼれ落ちそうになった。そしておそらく、博士の愛した阪神タイ
ガース・江夏豊の投球も、流星のように美しい軌跡を描いたはずだ。
まるで、彼の背番号28が示す、完全性のように。。
それでは、この辺で。。☆彡
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
P.S. ルートが書いて、博士が絶賛した数式に対して、「私」が書いた
文字式の意味が分かりにくいだろうから、書き方を変えとこう。
1から10まで足すといくつになるかを計算する問題。一般には
1からnまで足すといくつかという問題だ。
小説では 5×9+10=55という式の後にこう書いてた(p.93)。
これでは2つの式の関係が
曖昧だ。次のように並べれ
ば、何が何に対応してるのかが分かりやすいと思う。
n=10として、5はn/2に
9はn-1に対応してるのだ。
前者は1からn-1までの平
均、後者は個数を表してる。
平均×個数で、1からn-1
までの和が求まり、残ったnを足し合わせることで1からnまでの和になる。
そして実は、この文字式を分母2で通分すれば、天才ガウスが少年時代
に気付いたという伝説が残ってる有名な公式、n(n+1)/2 になるのだ。
当然、博士の目には、少年ルートが天才ガウスと重なって見えただろう。
実際、ルートが式を書いた少し後、ケガをした時に、博士は泣きながら
ガウスの公式を書いて「私」に説明してたのだ(文字でなく自然数で) ☆彡
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コメント
アップが22日23時59分というのも良いですね。博士^私・愛=-姉
√(博士^私・愛)=√(-姉)
博士^-私/2=愛の愛情 を見える形にしたのかなと思ってました。
投稿: gauss | 2010年6月23日 (水) 18時38分
> gauss さん
こんばんは。数学愛あふれるコメント、どうもです♪
「22日23時」っていう並び方には気付きませんでしたが、
「23時59分」っていうギリギリのアップは毎度のこと。
正直言うと、この記事は半分くらい出来た所でその時刻にアップ、
一通り書き上げたのは2時過ぎでした。
ま、その後もさらに色々と、加筆修正してますけどネ。
「軌跡」を「奇跡」と打ち間違えてたし・・ (^^ゞ
一方、オイラーの公式の変形。マニアックでいいですね☆
他の読者の方、分かるかな。
まず、1を右辺に移項して、-1にする。
次に、両辺にルート記号をつけて、右辺は i と書き直す。
左辺は、ルートを1/2乗と考え直して、指数をπi/2にする。
さらに、両辺を i 乗すると、右辺は i の i 乗。
左辺は指数が i 倍になって、π i ²/2。つまり-π/2。
ここで、e を博士、πを私、i を愛と読んだわけですね。
「愛の愛情」は、言葉使いが面白いし、「i (ルート)の
愛情」とも読めるからいいとして、「-私/2」は高度かも♪
数学で数式を解釈する時もそうですが、一般に何かを
解釈する時、まず重要なのは、目の前にある状況や形です。
『博士』におけるオイラーの公式は、
(e のπi 乗)+1=0 という形で、
しかも言葉の説明でもそうなってますよね。
主役のeにπと i の2つが順に寄り添って、
さらに1が加わると、「すべてが0に抱き留められる」。
つまり、(1人+2人)+1人、計4人に神秘的なまとまりが生じる。
記事後半は、そうゆう発想でした。
ちなみに著者自身は、もっと大まかに、言葉や感情を超えた
絶対的存在として、あの式を受け止めてる気がします。
まあでも、作品の解釈とは、著者の思いを読み取る作業を
超えた営みなので、気にせずマイウェイを貫きました♪
投稿: テンメイ | 2010年6月24日 (木) 02時59分
本書の √‐1 の記述から、
【 「とても遠慮深い数字だからね、目につく所には姿を現さないけれど、ちゃんと我々の心の中にあって、その小さな両手で世界を支えているのだ。」 】の、
√‐1 は、〇の差し渡し(直径)に 中心 円環の交点 をあぶり出す。
〇から線分(実直線)の【1】と【2】を呈示する。
√とはカタチを保つ実直線
〇と線πと1とはお友達
√6〇÷▢ヒフミヨに
投稿: レンマ学(メタ数学) | 2022年4月17日 (日) 17時43分
> レンマ学(メタ数学) さん
はじめまして。
情報コメント、どうもです。。☆彡
投稿: テンメイ | 2022年4月20日 (水) 00時07分