デデキントの「切断」による実数の構成~対角線論法2
この春、カントールの対角線論法に関する短い記事をアップ。地味ながら、
予想以上のアクセスを頂いてる。私はその記事で、ある奇妙な疑問を提
示して、それ以降もずっと考え続けて来た。未だにほとんど解決はしてな
いけれど、ほんの少し前進した気もするので、今日はそれを形にしとこう。
以下の話では、対角線論法に関する基礎知識と、前の記事に書いたこと
は、すべて前提にする。・・・とだけ書くと不親切かも知れないから、最低
限の復習だけしとこう。
まず、0~1の実
数全体(0~1と
簡単に表す)が可
付番(or 可算)集
合ではないことの
証明。
仮に可付番とする
と、左図の右側の
ように、上から順
にすべてを並べられる。ところがここで、左上から右下にかけて対角線上
に並ぶ数字を別の数字に変えて作ったa(0~1の数)を考えると、これは
番号付けできない。これは矛盾だから、0~1は可付番ではない。。
対角線論法を使った、この有名な証明に続いて、私は次のように書いて
おいた。これはどこにも見当たらない議論なので、そのまま引用しておく。
(引用開始)
・・・対角線論法というのは、騙されたような気がするから、その違和感を
具体的な形にする、奇妙な証明を考えたのだ。そこで対角線論法を用い
て示されるのは、「自然数全体の集合N自体は、可付番ではない」という、
明らかにおかしい命題だ♪
今、Nが可付番だと
仮定して、上から1
番、2番、・・・と並べ
てみる。ただし、各
自然数の左には無
限に0を並べておく。
そして、n 番目の自
然数とは n ケタ目
が異なってる自然
数 b を考えてみるのだ。すると、0~1の実数全体の時と同様に、bを
自然数と対応づけること(=何番目と言うこと)はできない。これは矛盾
である。したがって、自然数全体は可付番ではない。。
(引用終了)
改めて、何が「矛盾」なのかハッキリさせておこう。「この証明では」、bは
自然数だから、bは右側に並べられた自然数全体の集合に含まれる。と
ころが、bの作り方から、bはその集合のどの要素とも異なっている。要素
が無限にある(=無限集合である)こと、bが無限に大きくなることなどは
関係ない。したがって、bはその集合に含まれない。これは明白な矛盾だ。
全く同じ論法で、本来は可付番であるはずの0以上の偶数全体も、可付
番でない(=非可算である)ことになってしまうが、以下では簡単のため、
もっとも単純で奇妙な場合である、自然数全体に絞って考えよう。
もちろん、自然数全体が可付番でない(=非可算である)などと本気で信
じてるわけではないし、少なくとも差し当たり、対角線論法に問題があるな
どと言いたいわけでもない。ただ、どこかに本質的な問題点があるのに、
正確な論証がどこにも見当たらないし、ほとんど問題に気付かれてもいな
い、ということが気になるのだ。
最初から書いてたように、左側に無限に数字が並ぶ不確定な「b」が本当
に自然数なのかどうかが、まず怪しい。ただ、自然数論で決まり文句のよ
うに引用される数学者ペアノの議論を、原論文『数の概念について』まで
遡って調べた時、自然数でないと論証するのも難しい。ペアノでなくても、
今現在このbが自然数ではないことを論証する文章を発見できてない。
(☆注: 翌日追記。ペアノ以外で、bが自然数ではない根拠を発見
した! 末尾のP.S.2参照)
簡単に言うと、0に1を順次加えて行って作れるのが自然数だが、その方
法でbが作れないことの証明がなかなか出来ないのだ。無限回加えては
ならないという話は、原論文にも、手元の杉浦光夫『解析入門Ⅰ』(東京大
学出版会)や『現代数学小事典』(講談社)などを見ても、書いてない。
そこで逆に、なぜ0~1から作ったaは実数と言えるのかを考えてみよう。
お馴染みのこのaも、私が考案したbと同じく、無限に数字を並べて構成
される奇妙な数だけど、左側に続くbとは違って、右側に続いてる無限小
数の1つである。もちろん、無限小数というものは通常、実数の表現とし
て広く認められてるが、このaのように作り上げた無限小数が本当に実数
かどうかは別問題だ。順番に並べられた無限個の無限小数から作られ
た、「新たな」無限小数なのだから。。
☆ ☆ ☆
という訳で、aが実数かどうかを考えるのなら、以前から名前を出しておい
た、デデキント『数について』(副題:連続性と数の本質; 岩波書店)が有
力な参考文献になる。デデキント(デーデキント:Richard Dedekind)はカン
トールと親しかった大物で、特に2つの収録論文の前者、『連続性と無理
数』(Stetigkeit und irrationale Zahlen,1872)がポイントだ。
この中で、有名な「切断」(ドイツ語 Schnitt;英語 cut)という概念が提示
される。流れを簡単にまとめると、こうゆう話だ。有理数(整数÷整数)
全体の集合と、直線(左右に無限に並んだ点の列)を比べた時、有理数
は不連続で隙間があるが、直線(実数のイメージ)は連続で隙間がない。
ところで、連続性とはどうゆうことか。デデキントは言う。
「直線のあらゆる点を二た組に分けて、第一の組の一つ一つ
の点は第二の組の一つ一つの点の左にあるようにするとき、
このあらゆる点の二つの組への組分け、直線の二つの半直
線への分割を引き起こすような点は一つそうしてただ一つだ
け存在する」 (p.20)
大雑把にイメージだけまとめれば、直線を適当に右側と左側に分ける時、
切れ目は1ヶ所だけだという話だ(切れ目自体は、左右いずれかに適当に
入れる)。当たり前過ぎて、実数の連続性とのつながりが分かりにくいかも
知れないが、整数や有理数では話が違って来る。
例えば数直線上に並ぶ「整数」を右側と左側に分ける時には、切れ目は
無数に存在するし、それらのほとんどは整数ではない。。例えば{・・・-2,
-1,0}と{1,2,3・・・}に分ける時の切れ目は、0や1でもいいが、0.1
や0.5でもいい。だから、整数は連続ではない。有理数についても、切れ
目が有理数でないこと、したがって連続ではないことが示されるが、ここで
は省略して、肝心の実数に向かうとしよう。
古典的な数論の大きな流れに立ち戻ると、まず自然数を考え、それに+
-(プラス・マイナス)の符号をつけて整数を作り、整数÷整数で有理数を
作る。では有理数から無理数を作って、合わせて実数とするにはどうす
ればいいかという流れだ。
有理数全体の集合を、大小2つの組A₁,A₂に分ける。ただし、A₁の
中の数はどれも、A₂の中の数より小さい。こうした組分けを「切断」と呼
び、(A₁,A₂)と表すことにした後、結局デデキントは次のように語る。
「一つの切断(A₁,A₂)が存在して、それが有理数によっ
て引き起こされたものでないとすると、そのたびごとにわ
れわれは一つの新たな数、一つの「無理数」αを創造し、
われわれはこれをこの切断(A₁,A₂)によって余すとこ
ろなく定義されるとみなすのである。・・・・・・今後は、確定
した切断の一つ一つには、一つのそうしてただ一つの確
定した有理数または無理数が対応する・・・」 (p.25)
有理数ならともかく、無理数αをただ一つとみなしていいかどうか(公理
or 定義としてよいかどうか)、あるいは以前からある無理数概念と整合
してるのかどうか、気になる部分はある。また、ここでの「確定」という言葉
に定義がないことも指摘しとこう。解釈によっては、対角線論法における
あのaと同様、問題のbでさえ「確定」してることになるだろう。
ただ、今はごく普通にこの「切断」を受け止めて、例の奇妙な数aが実数
であることを簡単に示してみよう。非常に大まかな略証だが、イメージは
つかめるはずだ。
上では仮に、a=0.1723・・・と書いておいた。まず、このaについて、小
数第3位まで(0.172)分かってたとしよう。すると、aによって、有理数全
体は、小さい数の組{・・・0.1,0.17,0.171・・・}と、大きい数の組
{・・・0.173,0.18,0.2,・・・}へと分割されることが、暫定的かつ大
まかに分かる。ここに書き記したのはどれも有限小数だから、当然有理
数だ。例えば 0.171=171/1000。整数÷整数で表すことが出来る。
さらにaについて、小数第4位まで(0.1723)分かったとしよう。すると、
小さい組には0.1722以下の数が加わり、大きい組には0.1724以上
の数が加わる。こうして、aの値を小数第n位まで無限に決めていく(確定
していく)に連れて、有理数全体の切断が決まっていく。したがってaは、
実数である。。
(略証終了)
☆ ☆ ☆
正確に示すには、まずaの決め方を確定する必要がある。例えば、元の
数字が0なら1へと変更、元の数字が0以外なら0へと変更し、0と1だけ
並んだ数(形式的には2進数)にするとか。ただ、上で示したかったのは、
aが有理数全体を切り分けていくこと、それゆえ実数と呼べることなのだ。
とはいえ、新たな問題も生じる。前に書いたことに加えて、デデキントの
切断を用いた実数論と、ペアノの自然数論との整合性。非常に大まかな
印象を語るなら、デデキントは1887年の論文『数とは何か、何であるべ
きか?』(前掲訳書の第二論文)において、ペアノの論文(1891)を先取
りするような自然数論を語ってるから、問題は無さそうに思われる。ただ、
もちろんそれは漠然とした印象に過ぎない。
ペアノだけでも、正確に論じた文章はネット上にごく僅かしか見当たらな
いので、ましてやデデキントとの正確な比較分析は非常に厄介な問題だ。
もちろん、この2人以外の議論も見る必要があるし、英語版ウィキペディ
アに短く載っていた、実数を「準可算」(subcountable)として扱う構成主義
(constructivism)の理論も興味をそそられる。とはいえ、一番先に片付け
たい作業は、例のbが自然数でないことの明確かつ妥当な根拠を見つけ
て、厳密な証明を作ることだ。
特に急ぐ理由もないので、回り道しながらじっくり考えて行こうと思ってる。
小数や集合に関する話も含めて、やはり「無限」という概念がポイントだ
ろう。この辺りを考え過ぎると、天才カントールの哀しい運命をたどるこ
とになりかねないので、あくまで気楽にお遊び気分で進みたい♪
とりあえず、今日はこの辺で。。☆彡
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
P.S.前掲『解析入門Ⅰ』冒頭においては、デデキント切断に対応する議
論は、実数に関する「連続の公理」と実数列の極限を中心に再構
成されている。
「連続の公理
(R17) 実数体Rの、上に有界な任意の部分集合A≠∅
に対して、Aの上限(最小上界)s=supAがRの中に存在
する」 (p.7)
ここではデデキントと違い、切断される対象は有理数に限らず、実
数全体へと拡大されている。
なお、「切断」そのものは、p.31の問題6で扱われている。
P.S.2 『解析入門Ⅰ』をよく読むと、例のbが自然数でないことが簡単
に示せることが分かった。
この書ではまず、加法、乗法、不等式の諸性質と、上の「連続の
公理」、合わせて17個を満たすという条件で、「実数」を定める
(定義という言葉は微妙に避けてるが、実質的には定義)。
続いて、実数全体の集合Rの部分集合に対し、「継承的」と呼べ
るものを、次の2点で定義する。
(1) 0が含まれる。
(2) ある数nが含まれるなら、n+1も含まれる。
そして、すべての継承的集合に含まれる実数を、「自然数」と定
義する。自然数全体の集合Nは、最小の継承的集合である(証
明は簡単だが省略)。 (cf. 同書 p.10)
この時、例のbは「自然数」ではないことになる。というのも、右
側に並んだ「自然数全体の集合」は当然「継承的」だが、そこに
bは含まれてないのだから。見た目が自然数に似てるものの、
「すべての継承的集合に含まれる」という条件を満たしてないか
ら、bは自然数ではないのだ。
これで、少なくとも現代数学の1つの数論体系(集合論的)にお
いては、対角線論法をめぐる違和感も差し当たり消えることに
なる。ただし、この体系と、ペアノその他の関係、あるいはこの
体系自体の妥当性などは別問題として残るわけだ。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
cf.カントールの対角線論法と集合~無限、濃度、可付番(可算)
有理数の切断、無理数&連続性の創造~デデキント『数について』
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コメント
テンメイ 様
テンメイ 様、大変興味深い話題提供、ありがとうございました。実は、僕も、ちょっとした理由で、カントールの対角線論法に興味を持つ事になり、ググッた所、テンメイ 様の記事を発見した次第です。
さて、この記事で議論されている数 b (以下、「テンメイの b」と呼びます)に関してですが、恐らく、テンメイ様御自身がお考えの通り、自然数ではないと思います。テンメイ様は、ペアノの公理と関連して、証明をという事だったので、僕も少し考えてみました。
まず、補題を考えます。
補題 A: 自然数の桁の長さは有限な自然数である
証明: 自然数 n に関する命題 P(n) を「n の桁数が有限な自然数である」とし、この命題に関する数学的帰納法(ペアノの公理に基く)で示す。
n=1 の場合) n=1 の桁数は 1 であるので、有限な自然数である。
n=k の時に成立すると仮定した時の n=k+1 の場合) n=k の時の n の桁の長さは、帰納法の仮定より、有限な自然数なので、これを L とする。すると、n=k+1 の時の桁数は、L か L+1 であり(自然数 k の桁数が L の時に、自然数 k+1 の桁数が高々 L+1 である事は、別に示す必要があると思われますが、ここでは省略します。)従って、いずれにせよ有限な自然数である。
以上により、P(n) は n=1 の場合にも成立し、n=k の時に成立すると仮定した時の n=k+1 の場合でも成立するので、数学的帰納法により、任意の自然数 n に関して、P(n) すなわち、「n の桁数は有限な自然数」が成立するので、補題 A が成立する。
(Q.E.D)
これを利用して、本題を示しましょう。
系: テンメイの b は自然数でない。
証明: 背理法によって示す。
まず、系の命題を否定すると、「テンメイの b は自然数」になる。一方、テンメイの b の桁の長さは、定義により無限の長さを持つ。したがって、補題 A に矛盾する。系の命題の否定によって矛盾が導けたので、背理法により、系の命題は正しい。
すなわち、テンメイの b は自然数でない。
(Q.E.D)
如何がでしょうか ?
参考 : http://sets.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/7-17b8.html
PS.
最初、この記事を読んだ時には、ちょっと、びっくりしてしまいました。このような自由な発想は僕にはなかったので、大変参考になりました。ありがとうございました。
投稿: 通り掛かりの兎 | 2016年9月12日 (月) 19時31分
> 通り掛かりの兎 さん
はじめまして。コメントありがとうございます。
入力だけでも手間ひまかかる、独自の書き込みですね。
ただ、恐縮ながら、個人的には証明に難点を感じます。
背理法という証明法の妥当性については、
とりあえずここでは問いません。
ただ、そもそもペアノ自身の形式的な理論構成に、
桁数という話は見当たらないのです。
そのため、補題Aの最初、n=1の場合で
早くも問題が生じます。
また、この種の原理的な話においては、
数学的帰納法というものも再考する必要があります。
n=1からn=2,3,・・・と順に
正しさを示していくことで、無限の命題を
すべて証明したことになるのかどうか。
確かに、いくらでもnを大きくできますが、
証明の対象となる命題もいくらでも増えるわけです。
帰納法のnと、命題群の要素との対応づけ自体が
可能かどうか、微妙な問題だと思います。
もちろん、この種の話で、「明らか」というような
納得の仕方は要注意です。
一方、教えていただいたリンクの記事は、
当サイトのこの記事の少し後にアップされたもので、
私はまったく知りませんでした。
本格的で興味深い内容ですが、bが自然数ではないという
肝心のところで、個人的には留保せざるを得ません。
bは確かにある意味「無限」だと思います。
ただ、それでは普通の自然数全体のそれぞれが
「有限」であって「無限」でないと言い切れるのか、
そこが問題なのです。
有限、無限といった議論の根本に、いつの間にか、
自然数の可付番性が入り込んでる可能性もあります。
そして最後に、証明とは何なのか。
そこに、自然数の可付番性が忍び込んでるかも知れません。
証明とは普通、有限の文字列なので、無限の一般性を
持つ命題を証明できたと考えること自体、
有限と無限の対応付けを行ってることになります。
いずれにせよ、すっきりした解決はあり得ないだろう
という気がしてます。
その最大の原因は、人間が有限の存在だからでしょう。。
投稿: テンメイ | 2016年9月13日 (火) 21時17分