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有理数の切断、無理数&連続性の創造~デデキント『数について』

先日の記事「デデキントの『切断』による実数の構成~対角線論法2」では、

有理数全体を大小2つの組へと「切断」する分割点が実数である、というデ

デキントの議論を援用しながら、カントールの対角線論法を見た。今回は、

デデキントの「切断」自体をメインにして、無理数の定義と存在証明につい

て考えてみよう。前回同様、参照するのはデデキントの論文「連続性と無

理数」(1872)。邦訳論文集『数について 連続性と数の本質』(河野伊三郎

訳,岩波書店)に収められた二篇の内の第一篇だ。

                  

有理数(整数÷整数で表される数)の全体は、任意の1つの有理数を用い

ると、大小2つの組への切断(=組分け)が可能になる。例えば0.5(=

1/2)という有理数なら、「0.5以下の有理数全体と、0.5より大きい有

理数全体」という切断がひき起こされるし、「0.5より小さい有理数全体と

0.5以上の有理数全体」という僅かに異なる切断もひき起こされる。前者

の切断では0.5がいわゆる「上限」、後者の切断では0.5が「下限」だ。

     

以下では、小さい有理数の組を「小組」、大きい有理数の組を「大組」と呼

ぶことにしよう。また、デデキント自身は「切断する」という動詞形の表現

を使ってないけど、簡単のため、切断(=組分け)を引き起こすことを「

断する」などと呼ぶことにしよう。動詞表現も認めるということだ。

     

          

         ☆          ☆          ☆

さて、有理数全体を2組に切断する数は、有理数だけではない。今、正の

整数であって、整数の平方ではない、Dという数を考えてみる。例えば、2,

3,5などだ。このDを使えば、「2乗するとDより大きくなる正の有理数全

体」(大組)と、「それ以外の有理数全体」(小組)とに切断できる。

       

ここでもし、2乗するとDに等しい正の有理数が存在するなら、その数は

小組の上限であって、上のような切断を引き起こすことが出来る。要す

るに、もし√2(ルート2)が正の有理数ならそれで切断できるという話だ。

    

しかし、2乗するとDに等しい有理数は、実際には正負に関わらず存在し

ない。この証明は、高校数学レベルだから省略してもいいのだけど、なぜ

デデキントがやや珍しい証明をしてるから、一応見ておこう。原文はか

なり省略されてるので、ここでは大幅に補足しておく。文字や式の書き方

は変えてないので、訳書のp.22~p.23と照らし合わせることも出来る。

「√D」(ルートD)という書き方は、最初から無理数をイメージさせてしまう

ので、デデキントの論文でもここでも避けてある

    

                      

今、仮に2乗するとDになる有理数が存在するとしよう。その内、正のも

のを t/u (t,uは正の整数,uはできる限り小さい数)と表せば、

   t²/u² = D   ∴ t²-Du² = 0

    

ところで前提より、Dは正の整数であって、整数の平方ではないから、

   λ² < D < (λ+1)²

となる正の整数λが存在する。D=2なら、1²<2<(1+1)²という事だ。

      

この不等式より、λ² < t²/u² < (λ+1)²

文字は全て正だから、λ < t/u < λ+1

           ∴ λu < t < (λ+1)u

           ∴ 0 < t-λu < u

よって、u´= t-λu とおけば、u´はuより小さい正の整数となる。

     

一方、λ < t/u の両辺に t/u をかけて、λt/u < t²/u²

           ∴ λt/u < D

           ∴ Du-λt > 0

ここで、t´=Du-λt とおくと、このt´も正の整数で、

   t´²-Du´² = (Du-λt)²-D(t-λu)²

         = ・・・

         = (λ²-D)(t²-Du²)

         = 0

  ∴ t´²/u´² = D

     

よって、t´/u´ も二乗してDになる有理数であり、t´もu´も正の整数で、

しかもu´はuより小さい。これは、t/uに関する条件、「uはできる限り小

さい数」と矛盾する。

したがって、2乗するとDになる有理数は存在しない

    

        

         ☆          ☆          ☆

という事は、どの有理数の平方も、Dより大きいか小さいか、どちらかとな

る。すると、「小組」には最大数がないし、「大組」には最小数がないことに

なる。例えば、小組の最大数の候補として、正の数 x を選んだとしよう。

       y = x(x²+3D)/(3x²+D) とおくと、

     y-x = 2x(D-x²)/(3x²+D)>0  (∵ x²<D)

  ∴ y > x

さらに、 y²-D = (x²-D)³/ (3x²+D)² < 0  (∵ x²<D)

   ∴ y² < D

よって y は x よりさらに大きい小組の有理数となる。結局、小組の最大

数は存在しない。

     

また、大組の最小数の候補として正の数xを選んだとしても、上と同じy

を用いれば、同様の流れで、yがxより小さい大組の有理数であることが

分かる。結局、大組の最小数も存在しない。

     

したがって、この小組・大組を切断(=組分け)した数は、有理数ではな

から、「無理数」と名付け、この切断によってただ一つ定義する。。

      

       

       ☆          ☆          ☆

残念ながら今現在、上の y の式をどう考えて導いたか、理解できてない

天才的な直感で思い付いたのかも知れないけど、おそらく近似式とか有

理解に関する理論を使えば導けるのだと思う。いずれその辺りも勉強し

て、なるべくロジカル(=論理的)に導出したいものだ。おそらく、符号が

確定してる数 D-x² を用いて、先に y-x の分数式を作り、そこから y

を出すんだろう。

         

ともかくこうして、例えば「2乗すると5より大きい正の有理数全体の集合」

と「それ以外の有理数全体の集合」という切断を引き起こす数として、√5

(ルート5)という無理数が定義される。

     

普通なら、ここは次のような流れで考える所だろう。

        2乗して5になる正の数は「有理数」ではない

         → 「有限小数か循環する無限小数」ではない

         → 「循環しない無限小数」である

         → 「無理数」である

    

そして、有理数と無理数を合わせた「実数」は連続性を持つ、ということに

したりする。実際、有理数(有限小数+循環する無限小数)と無理数(循

環しない無限小数)を合わせると、連続的な図形である「数直線」全体が

埋め尽くされるような気がするから、それ以上はみんな気にとめない。

     

それに対して、デデキントの発想は全然違うのだ。まず、全体を2つに切

断(=組分け)する時の分割点がただ一つ存在する、ということを、数の

連続性の本質として、有理数だけでは連続性が保てないことを示し、そ

の隙間を埋め合わせする数として無理数を定義する。

       

無理数を、循環しない無限小数として考えるのと、デデキント切断で考え

るのと、比べてみると、それぞれ長所・短所はあるだろう。何と言っても、

前者の方が単純明快だ。けれども何らかの事情で、無理数かどうか、あ

るいは実数かどうかが微妙な時(例えば前に対角線論法で作った数 a)、

切断が役立つことはあるだろう。

     

また、私の手元にある厳密な『解析入門Ⅰ』(杉浦光夫,東京大学出版

会)は、明らかにデデキントの発想を最初からとり入れて、実数その他を

体系づけている。そしてその方法だと、対角線論法に関する奇妙な疑問

(前に作った数bが自然数かどうか)が鮮やかに解決したわけなのだ。      

        

デデキント切断については、また触れると思うし、彼の自然数に関する考

察(論文集の第二篇)も扱いたいと思ってる。ただ、マニアックな話が続い

てるので、もう少し普通の話や、誰でも分かる簡単な話を、しばらく優先す

るかも知れない。例えば、小学校の算数や中学校の数学には、以前から

興味を持ってて、教科書も買ってるのだ。

     

とりあえず、今日の所はこの辺で。。☆彡

    

      

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

cf.デデキントの『切断』による実数の構成~対角線論法2

  カントールの対角線論法と集合~無限、濃度、可付番(可算)

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コメント

dedekind λ²でググって貴サイトにたどりつきました。 当方55歳のソフトウエア・エンジニアで、学生時代に全滅した数学と物理を趣味でやり直しています。

「Dは正の整数であって、整数の平方ではないから、λ² < D < (λ+1)²となる正の整数λが存在する。」

をどのように証明するかご存知でしたら教えてください。

投稿: tetsu | 2011年11月26日 (土) 20時14分

だいぶひどく顔をぶつけられたようで、お見舞い申し上げます。

さて、その後もいろいろとググっていたところ、デデキントの証明を少し変形したものを見つけました - http://www.cut-the-knot.org/proofs/sq_root.shtml

上記サイトには何と19種類もの「ルート2が有理数でないこと」の証明が載っており、その17番目に、Yoram Sagherという方が「ピタゴラスもできたはずのこと」と題して、アメリカの数学誌「American Mathematical Monthly」に投稿した記事の抜粋が書いてあります。

こちらのほうが、著者がそのオリジナルの記事で「代数を1年しかやってない高校生にもわかりやすく、... しかも素数の性質を使ってないのでピタゴラスやセオドラスでもできはたず」と言っているように、私にもわかりやすく、デデキントの証明よりも簡単だと思います。

ところが、ここでも次の命題を証明なしで使っています:

「kが自乗数でない場合には、q<m/n<q+1を満たす整数が存在する。」

あたりまえのことのように思えるのですが、私にはこれを厳密に証明することができません。

頭痛が治って気が向いたらコメントでもください。

投稿: tetsu | 2011年11月27日 (日) 21時44分

> tetsu さん
  
はじめまして。コメントありがとうございます。
     
マニアックな内容でありながら、柔らかい語り口と
温かいお気遣い。人生経験の豊かさを感じました♪
    
   
さて、ご質問の命題。2つは実質的に同じものですね。
       
後のコメントの「m/n」は √k(ルートk) のことだから、
細かい場合分けを省けば、全辺0以上で、
 q < √k < q+1
全辺2乗しても同値で、
 q² < k < (q+1)²
ですからね。λがqに、Dがkに代わっただけ。
    
したがって、元の命題だけを考えましょう。
前後の文脈から切り離した文体へと、微調整しときます。
   
「Dが正の整数であって、整数の平方ではないなら、
λ² < D < (λ+1)² となる正の整数λが存在する」。
   
普通は当たり前として済ませる所だと思いますが、
「厳密に証明」したいわけですね。
どの程度の厳密さをお求めなのか、正確には
分かりませんが、こんな感じで如何でしょうか。
   
   
   
(証明)
        
前提より、Dは2以上の整数。
Dより小さい正の整数全体の集合をSとすると、
Sの要素には少なくとも一つの平方数1が存在する。
   
よって、Sの中で最大の平方数は確かに存在する。
これをλ² (ただしλは正の整数)とすると、まず
  λ² < D ・・・①
  
次に、(λ+1)² という平方数を考えてみる。
この平方数は確かに存在する。
   
また、λ² より大きいので、λ² の定義より、
Sの中には存在しない。
よって、(λ+1)² は、Dより小さくはない。
一方、それは平方数だから、D自身でもない。
   
したがって、Dより大きいはずで、
  D < (λ+1)² ・・・②
   
以上 ① ② より、λ² < D < (λ+1)²
となる正の整数λは確かに存在する。
             
                     (証明終)
    
   
      
デデキント的な「切断」の発想を活かした簡単な証明です。
    
もっと厳密に証明するなら、前提となる公理や
定義などをあらかじめ明示する必要があるでしょう。  
ただ、一般にそこまで遡って厳密に論理構成する証明は、
数論や集合論の最も基礎的な議論でしか見かけませんけどね。
    
この程度でもし満足して頂ければ幸いです。
疑問があるようでしたら、お聞かせください。
   
ただし、私は単なる理屈好きの総合マニアック・ブロガー
であって、数学の専門家ではありません。
その点、悪しからずご了承を。
   
ケガのご心配まで頂き、どうもでした。。

投稿: テンメイ | 2011年11月28日 (月) 02時38分

テンメイさま、

証明どうもありがとうございました。 非常に満足しています。

記号で書くとこんな感じかなと思い、
∀n∈N, D∈N≠n²⟹∃λ∈N∋λ²<D<(λ+1)²
対偶をとったらいいのか、それとも背理法でいくのか、いろいろと悩んでおりました。 すべての自然数nに対して成り立つというのをどう処理するかがまったくわかりませんでした。

もとはといえば、Rudinと高木を読み始めたところ、デデキントの切断の定義が異なっていたので、もともとはどうだったのかなと思い、デデキントの英語版のテキストをダウンロードして読んだところ、見たことがない無理数の証明があったので調べだしたのでした。

やっと(-a)(-b)=abを証明できるようになったばっかりで、先は非常に長いのですが、老化防止と学生時代のトラウマを取り除くのを兼ねて、暇を見つけてはいろいろ読んでいます。

テンメイさんの関心分野の多様さにはただただ驚くばかりです。

どうもありがとうございました。

投稿: tetsu | 2011年11月29日 (火) 11時15分

> tetsu さん
   
こんばんは。再びコメントどうもです。
満足して頂けたようで、良かったです。
  
     
それはいいとして、論理記号の使い方。
   
これは、人によって少しずつ違ってます。
よく、「・・・は、こう書く」とか語られてますが、
「私はこう書く」とか、「私が参考にした本では
こう書いてあった」と言ってるだけですね♪
     
ただ失礼ながら、お書きになった論理式では、
原文と少し意味が違ってしまうような気がします。
      
おそらくそれだと、
「n=1に対してはD=2²,3²,・・も含み、
 n=2に対してはD=1²,3²,4²,・・も含む」
ことになってしまうでしょう。
   
もちろん、書き方や読み方の定義にもよりますが、
私なら例えば、次のように書きます。
「¬」は「・・でない」、つまり「not」の意味で、
直後の一まとまりの命題を否定します。
    
∀ D∊N ((¬∃n∊N(n²=D))⇒
    (∃λ∊N(λ²<D<(λ+1)²)))
   
より論理学的には、次のような書き方も可能です。
「∧」は「かつ」、つまり「and」の意味。
書くのも読むのも面倒ですが、カッコを多用することで、
まとまりの単位を明示します。
また、∀や∃の次に書く記号は、1文字だけにします。
   
∀ D (((D∊N)∧¬∃n((n∊N)∧(n²=D)))
 ⇒ ∃λ((λ∊N)∧(λ²<D<(λ+1)²)))
     
   
他にも、似たような書き方は色々あるでしょう。
お書きになったものと比べてみて下さい。
    
それにしても、ずいぶん熱心に勉強されてるんですね。
私は関心分野が広過ぎて、どれも手抜きになってますが、
これまでの人生の反動とも言えます。
子供の頃から「狭く深く」を優先して色々ガマンして来たので、
一気に「広く浅く」へと反転してる感じです。

それがまた、ブログ運営と合ってるんですよね。
書くネタに困らないし、色んな人と出会えます。
    
ただ、数学は昔から特別に好きだったので、
今後もわりと優先していくつもりです。
歴史的原点(=古典)と、教育的原点(=教科書)を
じっくり読み込んで行きたいですね。
有限の時間の中で。
    
わざわざご丁寧に、どうもでした。。

投稿: テンメイ | 2011年11月30日 (水) 03時32分

>¬∃n∊N(n²=D)

ここの部分は、∃の否定形なので、∃を∀に変えて、かつ中身を否定したものと同じですよね? つまり、

¬∃n∊N(n²=D) ↔ ∀n∊N(n²≠D)

とすると、デデキントのお題は、

∀D∊N(∀n∊N(n²≠D)⇒(∃λ∊N(λ²<D<(λ+1)²)))

となり、∀でまとめると、

∀D∊N、n∊N(D≠n²⇒∃λ∊N(λ²<D<(λ+1)²))

言葉にすると、「すべての自然数D,nで、もしD≠n²ならば、λ²<D<(λ+1)²を満たす自然数λが存在する」

でいいですか?

私も教育システム、社会システム全般に非常に興味があります。 たとえば、教科書。 私はアメリカに住んでいるのでどうしてもアメリカの教科書と、私が日本で使ったそれらを比較してしまいます。 それに職業観、人生観、いずれも非常に異なっており、両者の境界をうろつく私としては、おもしろくてたまりません。

投稿: tetsu | 2011年11月30日 (水) 20時36分

> tetsu さん
 
こんばんは。度々どうもです。
     
∃から∀への変形は、仰る通りです。
∀の重複は誤解を招きやすいので、
私としては、∃を使っています。
次の「デデキントのお題」も、その通りです。
    
    
しかし残念ながら、「∀でまとめる」ことは出来ません。
と言うのも、∀n∊Nの作用域(=関わる箇所)は、
後続する式の一部分(n≠Dまで)に限られてるからです。
構造的に、∀ D(∀n(・・) ⇒ ……)となってます。
   
∀の重複を、一つの「∀でまとめる」ことが出来るのは、
∀n∊Nの作用域が、後続する式の全体の場合です。
つまり構造的に、∀ D(∀n(・・ ⇒ ……))と
なってる場合なのです。
この場合は、∀ D ∀n(・・ ⇒ ……)と書いていいし、
∀ D,n(・・ ⇒ ……)とまとめてもいいのでしょう。
  
ちなみに個人的には、まとめる書き方は使いません。
∀が束縛する変項がいくつで、作用域がどこまでか、
一瞬迷うからです。
     
   
蛇足の感もありますが、イメージ的に分かりやすく
するために、簡単な数式変形の喩え話をしてみましょう。
後で、他の方も読むでしょうからね。
    
D×(n×(3+4))と言う式は、
(D×n)×(3+4)とも書けます。
  
しかし、D×(n×3+4)と言う式を、
(D×n)×(3+4)とは書けません。
    
そんな感じの話をしてる訳です。
    
   
    
いずれにせよ、「∀でまとめ」た式は正しくないので、
それを「言葉に」した命題も正しくありません。
   
その命題の場合、例えば(D,n)=(1,2)でも
λが存在することになってしまいます。
もちろん実際は、D=1だとλは存在しません。
  
似た表現で正しい命題を書くなら、
「すべての自然数Dについて、『すべての自然数nに対して
D≠n²であるなら・・・・・・』」です。
    
限定をハッキリさせるため、二重カッコを使いました。            
これなら、D=1は正しく排除されます。
D=1だと、「n=1に対してもD≠n²であるなら・・・」という
条件(の個別事例)を満たしてないからです。
     
もし、どうしてもピンと来ない場合は、Nの代わりに、
簡単な有限集合 {1,2} で考えることをお勧めしときましょう。。   
    
         
   
話は変わりますが、日米の違い、一般的に言うなら、
共同体の違いは面白いですね。
  
日本では、原発関連で、九州電力の「やらせメール」問題が
話題になりました。身内を使った世論偽装と言われてます。
   
ところが、「アメリカでは問題ない」という話を
朝日新聞で読んで、なるほどと考えさせられました。
身内の社員も世論の一部だし、自分の会社を
応援することが違法とは限りませんからね。
    
所属する共同体にせよ、論理的条件にせよ、
一般に前提的なものの扱いは難しいと思います。。
    
     
    
なお当サイトでは、同一記事でのコメントのやり取りは、
原則として、お一人2往復半まで、つまり3回目の
コメントまで(最後のレスは省略)と決めてます。
時間とパワーの制約のため、またヒートアップ回避のためです。
    
今回は既に3往復、しかも中身の濃いやり取りなので、
これにてひとまず終了とさせて頂きます。
悪しからずご了承ください。
     
ご丁寧で内容のあるコメント、どうもでした。
それでは。。

投稿: テンメイ | 2011年12月 2日 (金) 03時52分

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