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三角関数の極限「(sinθ)/θ→1 (θ→0)」の証明とアルキメデス

数学や物理の基本には、微分・積分があり、その根底には「極限(limit)」

の理論がある。微分も積分も、一種の極限なのだ。高校の数学で、極限

の基礎を習う時、三角関数については「やや変わった」証明が使われる。

数式の話の中に突然、図形の面積の比較が登場するのだ。

     

教科書、参考書、ネット、至る所で、三角関数の極限(limit)の基本は、

(sinθ)/θ → 1 (θ→0)とされている。普通の記号法なら次の図だ。

110308b

   これを証明する方法は一応色々

   あるが、少なくとも高校レベルで

    は、下のような形で証明される

のが普通だ。私の手元にある、有名なシリーズ『モノグラフ』の24巻、『

式集』(矢野健太郎監修,科学新興社)でもこうなってる。

       

θ→0だから、0<θ<π/2か、-π/2<θ<0としてよい。

110308a

   前者の場合、左図(半径1)で

  △0AB < 扇形OAB < △OAC。

  よって、三角形と円の面積公式より

  (sinθ)/2 < θ/2 < (tanθ)/2

  ∴ sinθ < θ < tanθ

  

 全辺をsinθ(>0)で割ると、

  1 < θ/sinθ < 1/cosθ

θ→0の時、右辺の極限は1だから、「はさみうちの原理」より、中央の

θ/sinθの極限も1となる。したがって、(sinθ)/θの極限も1。

   

一方、 -π/2<θ<0 の場合は、θ=-t とおけば上と同様。

結局、いずれにせよ、lim (sinθ)/θ = 1 (θ→0)。

                          (Q.E.D.証明終了)

      

          ☆           ☆          ☆

さて、「この証明は『循環論法」にすぎない」という批判は、昔からお馴染み

のもので、大学教官執筆ページも含めて、現在ネット上にもあちこちに見

られる。つまり、途中で扇形の面積を求める時、こっそり積分してることに

なるが、その積分の基本には微分、微分の基本には極限があるから、全

体的には、三角関数の極限を求めるのに、その三角関数の極限を使って

しまってるというわけだ。

      

ここでどうするかは、人によって多少分かれる。別に、扇形や円の面積に

積分や極限は要らないと考えれば、循環ではない。実際、小学校で円の

面積を(大まかに)習う時に、積分も極限も使ってないわけで、だからこそ、

面積を用いた上の極限の証明は、今でも標準的なままなのだ。あの面積

の教え方は不完全だと言うなら、そもそも足し算の教え方でさえ不完全だ

と反論できる。ウチの記事で丁寧に示した通り、一番基本的な足し算でさ

え不完全なまま、算数も数学も進められて、さほど困らないのが実情だ。

        

逆に、大学レベルのハイレベルな方針としては、そもそも三角関数の定

義を根本的に変えてしまうという技がある。直角三角形も単位円も使わず、

複雑な式で定義するのだ。手元の『解析入門』(杉浦光夫,東京大学出版

会)でも、「第Ⅲ章 初等函数」で、まず sinθ や conθ を無限級数の形

110308g

  で定義し、そ

  こから三角関

  数の極限を導

いたり、π(いわゆる円周率)を定義したりしている(上図が定義式、原文

は θ ではなく z )。

        

一方、それら両極端の間には、折衷案がある。つまり、面積ではなく、長

110308a_2

  さに注目して、例の極限を導くの

  だ。図(半径1)を再掲しよう。もし

  「線分AB < 弧AB < 線分AC

  が言えるなら

  2sin(θ/2) < θ < tanθ。

  線分ABの計算方法はいくつかあ

  るが、その半分がsin(θ/2)だ

からと考えるのが簡単だ(点Oから線分ABに垂線を下ろして二分する)。

    

その後、全辺を正の数 sinθ( =2sin(θ/2)cos(θ/2) )で割って、

   1/cos(θ/2) < θ/sinθ < 1/cosθ 

これでθ→0とすれば、左右が1に収束するから中央も1に収束。

最後に逆数を取って、分母・分子を逆転すればいい。θ<0の場合も、

θ=-t と置いて式変形すれば t>0 となるので、同じことである。

                           (Q.E.D.証明終了)

       

さて、ここで「線の長さ」の比較が問題となる。まず、「線分AB < 弧AB

については、ほとんどの人が当たり前とするようだ。実は、これ自体も問

なのだが、今日の所は当然とみなしとこう。すると残る問題は、もう一つ

の比較、「弧AB < 線分AC」となる。

          

流石にこれは、数学好きな人なら、ちょっと厄介な事だということくらい、す

ぐ分かるだろう。ちなみにこの記事は、高校2年の数学(数Ⅱ)を知ってる

人を念頭に置いて書いてるので、念のため。

      

      

          ☆          ☆         ☆

ここからが本題なのだ。「弧AB < 線分AC」という不等式は、中学校なら

まずヒモで比べてみる手がある。実際に確かめた後、「詳しいことは大学で

習うんだよ」とか説明すればいい。本当に大学で習うかどうかは別として♪

    

しかし高校以上だと、それなりの一般的な理論が欲しくなる。今現在、圧倒

的に使われる理屈が、「弧の長さ」を「無数の短い弦の長さの和の極限」と

して定義する考え方だ(弦とは円周上の2点を結ぶ線分)。基本的には、か

の有名な高木貞治解析概論』(改訂第3版,岩波書店)でもそうなってるし、

高校3年の数学(数Ⅲ)の「曲線の長さ」でもそうだし、ネットを見渡しても、

その路線ばかりが目に付く。

       

要するに、曲がった線を、真っ直ぐな線(の和)へと還元してるのだ。ちな

110308d

  みに左図は、3つの弦に分解した様子。

  これを無数の弦へと増やせば、それら

  の和が「ほとんど円弧に一致しそうな気

  がする」ことは確かだろう。

         

110311

 弦の長さへと還元す

 れば、弧より垂線AC

 が長いことは簡単に

 示せる。中学の図形

 

 の証明問題としても

 難しくはない。別に、

 積分計算を実行して

 曲線の長さの値を求

 める必要はないので

 あって、大小関係さ

え分かればよいのだ。上のように補助線を引けば、個々の弦よりも、対

応する垂線の一部の方が長いのはすぐ分かるだろう。右端に鈍角三角

形が出来るので、「 弦 < (平行な点線) < (対応する垂線の一部) 」。

         

ただし、「無数の短い弦の長さの和の極限」が「存在する」こと、つまり和が

有限確定値に収束することについては、別扱いで示す必要がある。弧の

長さだから図形的に確定してるという論法は、間違いだ。弧の長さを、図

ではなく極限の式で定義するのだから、極限の存在証明に弧の図は使え

ない。その点を高校レベルで示そうとすると、三角関数の極限を密かに使っ

てしまうことになるが、大学の解析学なら証明できる。

      

一言で済ませるなら、「有界閉区間で連続な関数は積分可能である」とい

定理を用いる。上の問題なら、「両端を含めてつながった曲線を、無限

の弦の和と考えると、この和は実数値として求められる」という定理だ。こ

証明は難しいが、「分割」、「リーマン和」などの用語を厳密に定義して、

少しずつ話を進めればよい(前述『解析入門』ならp.206~227辺り)。

        

けれども、曲線の長さを極限や積分で「定義」する考えは、歴史的に最近

の話であって、古代ギリシャから2000年ほどの間はそうではなかったし、

現在でも数Ⅲを習ってない人にとっては知らない話だろう。そこで私は、

もっと普通の図形の理論を探してみた。その結果、辿り着いたのが、かの

天才アルキメデス。偶然か必然か、積分の考えの元祖とも言うべき学者

であった。

        

          ☆          ☆         ☆   

実は私は最初、数学の古典的バイブルであるユークリッド(=エウクレイ

デス)の『原論』を探してみたが、どうしても見当たらない。まだ「無い」とは

断定しないが、少なくとも明確な形では、曲線より少し長い直線の話は書

かれてないのだ。

     

そこで、古代ギリシャが誇る天才アルキメデスの著作を探すと、『球と円柱

について 第一巻』の冒頭に、明確な形で本質的議論が書かれていた。ア

ルキメデスで圧倒的に有名なのは、『円の計測』における円の面積の証明

と円周率の近似計算だろうが、『球と円柱』は内容が違う。今現在、以下の

話を三角関数の極限と結びつけた日本語サイトはネット上に見当たらない。

        

『原論』と同様、まず「定義」が置かれた後、「仮定」(英訳は assumptions)

がある。手元の『ギリシアの科学』(三田博雄訳,中央公論社)から引用し

てみよう(p.450)。

    

   仮定  私は以下のことを仮定する。

   一  同じ限界をもつ線のうちで最小のものは直線である。

   二  一平面上にあって同じ限界をもつ(直線)以外の線のうち、

      つぎのようなものは不等である。すなわち、両曲線とも同じ

      向きに凹であって、一方の曲線全体が他方の曲線と、それ

      と同じ限界をもつ直線との間に囲まれるばあい、もしくはあ

      る部分は囲まれるけれども、ほかの部分は他方の曲線と

      共通であるといったばあいである。そして、囲まれる方の曲

      線はより小さい。

     

110308e

  今から2000年以上前の論文の、

  古い翻訳だから、やや分かり辛い

  が、簡単な事を最初に「仮定」して

  るのだ。左図のように、2点を結ぶ

  線を並べた時、線分が最短

  で、右外側にある線ほど長い

と言ってるのだ。線は、いわゆる曲線(滑らかに曲がった線)でも、折れ線

でも構わない

            

この仮定は、確かに直観的にそう感じるし、ヒモで調べることも可能だが、

「図形的に証明」することは出来ない。だからアルキメデスは、根本的な

「仮定」として認めて、その後直ちに、円周よりも外接多角形の周の方が

長いと主張している。仮定から明らかだから、邦訳では証明が省略され

てるが、原文を見るときっちり証明してあった。  

         

          ☆          ☆          ☆

110308f

  このアルキメデスの仮定を認める

  なら、例の「円弧AB < 線分AC

  という不等式はすぐ示せる。図で

  弧AD < 線分AC+線分CD 。

  ∴ 2×弧AB < 2×線分AC

  ∴ 弧AB < 線分AC

      

したがって、最初の話に戻ると、面積を使わずに線の長さの話から、三

角関数の極限「lim (sinθ)/θ (θ→0)」が求められるのだ。

    

念のために書き添えると、これは、証明すべき内容を、偉人の名を借りて

いきなり認めたというだけの事ではないポイントは2つある。まず、問題

となってる不等式より遥かに根本的な図形的性質まで遡ってること。また、

それは正しいけど、もはや証明できないことを認めて、「仮定」したこと。仮

定と呼ぼうが公理と呼ぼうが、数学を始めとする論理的学問には、根本的

にみんなで何かを認めるということが不可欠なのだ。

       

というわけで、弧の長さを弦の和の極限として定義しなくても、図形的議論

は成立するし、それを用いて三角関数の極限を論じることも可能なのだ。

ちなみにこの話を、専門家である友人に話してみたら、スッキリしたという

感じで納得してくれた。弦の和の極限という話は高校3年以上のレベルだ

が、このアルキメデス的な議論ならば、本質的部分(弧AB < 線分AC)は

中学生でも簡単に理解できる。

    

いずれにせよ、最も基礎的な次元にある概念の一つは、「長さ」だろう。こ

れについては、また別記事で考察してみたい。

とりあえず、今日の所はこの辺で。。☆彡

     

      

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

P.S.アルキメデスの引用箇所のギリシャ語原文は以下の通り。Google

    ブックスの公開テキストで、最初のギリシャ語「ΛAMBAN'oMENA」を

    Google翻訳で訳してみると「借入」と出た。いわゆる「仮定」より、く

    だけた言葉かも知れないが、Google翻訳の精度はかなり低いので

    当てにならない。

        

110309c

      

cf.三角関数 sinθ の微分、単位円による図形的証明                      

      

                                  (計 4514文字)

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数学」カテゴリの記事

コメント

こういうことにちゃんと向き合っていることが素敵で流石ですね。それと沢山の本持ってますね。ユークリッド原論は私も持っていますが、殆ど開けたことはないです。。この循環論法は知ってましたが私は長さで納得してまし、弧AB<線分ACは折れ線の長さの和の極限で納得していました。テンメイさんの友達の専門家はスッキリと言われたそうですが、そのとき前後に何か名詞が付いていませんでしたか?

投稿: gauss | 2011年3月 9日 (水) 14時28分

こんばんわ、毎日更新楽しみにしています。
asian rice か何かでガリレオを見直したとき
ガリレオ 偏微分方程式でこのブログにきました
いまSPに、はまっています。

母校の駅弁大学の2次試験でsin xを微分せよ
の問題が出ました。単位円を書いて強引に答えを
書きましたが部分点くらいもらえたのでしょう。

投稿: けろよん | 2011年3月 9日 (水) 22時02分

仕事をサボってレスを書いてたら、送信直前に
凄まじい地震が来襲☆ これぞ天罰か。
何と、マグニチュード8.8!!
皆さん、大丈夫ですかね。。   
  
   
> gauss さん
    
こんにちは。毎度どうもです。
加筆修正を重ねて、やっと一応の完成形になりました。

主たる加筆点は3つ。
弦と垂線の比較、弦の和の極限の扱い(可積分の証明)、
アルキメデスのギリシャ語原文です。
     
こうゆうマニアックな記事の価値を認めて下さる
読者に出会えたのは幸運ですね♪
ユークリッドは面白いですよ。各巻の冒頭(定義と
簡単な命題)だけ読んでも、実に興味深いものです。
特に、小中学校の教科書と比べると面白いですね☆
    
「前後に何か名詞」ですか?
「多少」スッキリとか、スッキリした「感じ」とか、
そうゆう事ですかね。
文脈からおそらく、完全にはスッキリしてないのでは、
という意味なんでしょう。
   
それは自然な感想で、その通りだと思います。
と言うか、所与の対象(ここでは三角形と円の図形)を
扱う学問の根本は常に、完全にはスッキリしない話です。
足し算、簡単な図形、他の学問分野でも同じこと。
スッキリ感とは、人工的世界か、個人的な感情の
中にだけあるものでしょう。
    
そうした状況の中で重要なのは、以前よりスッキリさせること。
あるいは、相変わらずスッキリしないけど、
以前の議論と同等の価値がある別の議論を示すこと。
   
数学の専門家が行うのは、前者が多いですが、
ここで僕が行ったのは、後者の方です。
ほとんどの人が積分という近代的な話に向かう中で、
逆に、単純な図形理論という古代の話に向かったわけ。
   
少なくとも、稀少価値はあると自負してるし、
個人的には、こちらの方が根本的だと感じてます。
古典の世界は、専門家でも実際に読んでる人が少ないし、
ネットで原書を見れるようにもなって来たので、
数学・物理に限らず、今後も探究して行くつもりです
    
   
   
> けろよん さん
    
こんにちわ。楽しみにして頂いて、どうもです♪
「asian rice」とは初耳ですが、
「アジアの番組の動画投稿サイトですかね。
  
「ガリレオ 数式」っていう検索アクセスは
毎日のように入り続けてますが、
「ガリレオ 偏微分方程式」はマニアック(笑)
   
「駅弁大学」っていうのも初耳だなぁ。
地方の国立大学を指すネット用語ですか。
sinxの微分は高校の授業でやらされたでしょ♪
単位円をどう使ったんですかね。
加法定理を忘れてて、それを単位円で導いたのなら、
十分な点数をもらえると思いますよ。
まあ、時間を取られて、他の問題の点数が
減ったかもしれませんがね♪
   
あぁ、また余震がグラグラ。。

投稿: テンメイ | 2011年3月11日 (金) 17時38分

最初にお詫びいたします。テンメイさんは”自然な感想で、その通りだと思います”と言っていただけましたが、やはりマナー悪く感じよくないコメントです。本当に申し訳ありませんでした。それと、スッキリ感(私はすっと入っていくという言い方をしますが)は人工的世界か、個人的な感情の中にだけある、これは凄く納得です。
以前の議論と同等の価値がある別の議論を示すのに原書にあたる、そう思いますがなかなか出来ないでいます。この動きテンメイさんは群を抜いています。

投稿: gauss | 2011年3月13日 (日) 00時15分

> gauss さん
   
こんにちは。地震で大変な時に、わざわざどうも♪
数百倍くらい否定的な言葉の中で鍛えられてるので、
ご心配なく。普段から、温厚で寛容だと公言してるし(笑)
     
マジメな話、スッキリ感とか、すっと入っていくとか、
最後はやっぱり人間の個人的感覚の問題になります。
問題の答だけなら、ある意味で客観的ですが、
その答が正しいことを示すレベルはもはや主観的。
数学の記述試験の採点基準も、採点者の間で統一されてないし、
一人の採点者の中でもビミョーな揺れがあるはずです。
   
まあ、そういった事情の重要性が理解できてなさそうな
専門家も少なからずいらっしゃる気がしますけどネ。
おそらく、相対的な意味でもっともスッキリするのが、
形式論理でしょう。次はプログラミングかな。。
いずれにせよ、人工的。決めごとの世界です。    
     
原書というものは、名前だけ有名で、実際に読んでる人は
少ないですね。プロの世界でもそう。
読まないだけならともかく、読んでないのに
読んだふりをする人が目立ちます。
   
僕は、そういった状況を真正面から批判する資格を保つ
ためにも、常に本物と向き合って行きます。
古典から最新まで、あるいは、文系から理系まで。
  
まあ、それよりも、お互い震災との長期戦で頑張りましょう!
あくまでリアルな生活が基盤ってことで。
ではまた。。

投稿: テンメイ | 2011年3月14日 (月) 12時43分

初めまして。「循環論法 正弦」で検索してこのページに出合いました。この問題に興味をもっていたので(円とか球とか古典力学が絡む数学的問題に特に興味を示す傾向にあります)わかりやすく解説してくれてありがたかったし、この問題に注目した人を見つけられて嬉しいです。こういう記事を書ききる根性が自分にも欲しい…

投稿: 三船 | 2014年5月21日 (水) 21時44分

> 三船さん
  
はじめまして。コメントありがとうございます。
  
3年以上も前の記事ですが、久々にサラッと読み返して、
我ながらマニアックな内容だと思いました♪
実はこの話、個人的に色んな事情が絡んで、
ちょっと気合が入ってるわけです。
単なる数学的関心とは違う、人間的関心ですね。
   
人それぞれだとは思いますが、やっぱり何か
人間的なものが絡むとパワーが増すと思います。
例えば、身近な人を喜ばすとか、友人を納得させるとか。
   
あと、自分で色んな文章を書き続ける習慣が大切でしょう。
例えば、調べながら考えて、記事を書き、サイトを運営する。
    
そうすると、もう一つコメントを頂いた線形計画法の話も、
また別の見え方になって来ると思います。。

投稿: テンメイ | 2014年5月23日 (金) 02時49分

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