自我(エゴ)、超自我、欲望~『鈴木先生』第7話
(☆6月28日追記: 最終回の記事をアップ。
ソクラテスの弁明~『鈴木先生』最終回レビュー(by哲学的対話法) )
☆ ☆ ☆
通勤JOG 4km,23分程度
私は現在まで、5年9ヶ月の間、このブログを毎日更新し続けて来た。去年
の秋からは、1本の記事当たりの字数もすべてカウント。平均するとおそら
く2500字以上だろう。内容的にも、理数系から人文系まで、マニアックな内
容がかなり入ってる。スポーツ好きの社会人が、こんな1円にもならないPC
操作を続けるには、某大な精神的エネルギーとか、力(ちから)が必要だ。
何の話をしてるのかって? これが『鈴木先生』第7話の核心とつながって
るのは明らかだろう♪ もちろん今回は、自分を内側から厳しく律する「超
自我=スーパー・エゴ」(super-ego)の問題、とりわけ負の側面が、真正面
から扱われていたのだ。第4話で扱われた「浄化法」よりは、心理学的にメ
ジャーだし、遥かに重要なもの(心的装置の一部分)でもある。
私は、中学生の教室掃除の何倍もの作業を、数倍の期間継続して、今の
所は(建前上の)「突然死」もしてないし、「悟りの境地」の美しい光りも放っ
てない。急にパタリと日記=ブログを止めて、ネット上から消えてしまうこと
も、もうしばらくはないだろう。これは、私の自我=エゴに対する、内なる命
令係・超自我が上手く機能してるわけだ。もし、精神分析学の創始者・フロ
イトが晩年に導入した、理論(第二局所論)と概念を用いて説明するのなら。
それに対して、鈴木先生(長谷川博己)の教育法に決定的な影響を与え
た丸山康子(滝澤史)の場合は、しっかりした両親に育てられた強過ぎる
超自我(≒良心=内なる両親)が、マイナスに働いてしまい、遂には自我
=エゴも欲望も消してしまったのだ。残ったのは、神の領域のみとなる。
そんな事が現実の中学生に起きることかどうかは分からないし、事の良し
悪しもビミョーだが、ドラマの中では悪い事のように扱われていた。そして、
そのプロセスを止めるどころか、結果的に推し進めてしまった鈴木先生は、
深く後悔、反省することになる。
☆ ☆ ☆
ここで、もっとも素朴な疑問に答えてみよう。「要するに、丸山に根性が無
かっただけじゃないの?」という問いかけ。これは、特に「大人」の本音とし
ては自然なものだろう。口に出すかどうかは、ともかくとして。
たかが、中学の教室掃除を少しの期間、続けるだけ。5人分を1人でやっ
たとしても、1時間程度だろう。その程度の運動は、運動クラブに入ってる
中学生なら週5日前後、平気でこなしてるはずだ。周囲にサボる生徒がい
て、自分もつられそうになる点についても同様。
また、今年公開された山P=山下智久の映画でもおなじみ、スポ根(=ス
ポーツ根性)マンガの金字塔、『あしたのジョー』だと、ジョーがラストで妙な
光り=白さを帯びるまでの努力は凄まじいものがあった。同じフィクション
の登場人物でも、『鈴木先生』の丸山は余りにもひ弱な優等生にすぎない。。
こういった考えは、今でも「ある意味」、「正論」だと思う。つまり、人間は本
来、その程度のストレスには耐えれるはずだし、また、耐えるべきなのだ。
実際、大人の社会人なら、何十倍ものストレスの中で、何十年も耐え続け
ることになる。
けれども、現実の日本社会は、ここしばらくの間、必ずしもそうはなってな
い。ある意味で些細なことにも、心が「摩耗」してしまい、もはや維持も修
復もできず、やがて「キレて」しまったりする。割合はともかく、そうゆう子が
増えてるという情報は溢れてるし、私もそんな気がしている。
だから、教育者や精神医学者の世界でも、そういった子供に着目し、優しく
繊細な配慮を目指す傾向が強まって来た。それでは、現状のひ弱さを追認
することにもなりかねない訳だが、今は大きく見て、「優しさの時代」。かつ
ての「厳しい時代」とは逆に、優しく接することがいいことだという価値観が
長く支配し続けてる状況だ。心理学的には、自分を厳しく律する超自我の
強化よりも、あるがままの私、自我=エゴの防衛を重視してることになる。
こうした現在の教育事情を反映してるのが、『鈴木先生』という作品であっ
て、切り口は斬新で面白いが、本質的には「正統派」、優等生的な教育思
想とも言えるだろう。
この場合、今度は、優等生教師・鈴木先生の側が不安になって来るわけだ
が、主役だからなのか、今の所、上手くやってるように見える。崩れそうに
なると、理解力があって魅力的な彼女&カウンセラー・麻美(臼田あさ美)が、
巧みに手助けしてくれるのだ。代わりに、つぶされ役の教師になったのが、
もっとガチガチの正統派・足子先生(冨田靖子)と、色んな意味で通俗的な
山崎先生(山口智充)であった。。
☆ ☆ ☆
ここまでの文章を読んで、「エゴ」という言葉の使い方がドラマと違うこと、遥
かに広く一般的な意味だということに気付いたかも知れない。他人との区別
を付けて、自分を意識し、愛する心。ドラマの序盤、鈴木先生が連発した「エ
ゴ」という言葉は、エゴイズム=利己主義という意味であって、自我=エゴを
まず大切にしようとする傾向を指してた。エゴイズムは、エゴの主要な一般
的特徴の一つであって、わがまま人間特有のものではない。
もちろんそれは、行き過ぎると社会的、対人関係的に問題となってしまう。
例えば、処女性にこだわる自分を一番に考えてしまう山際の行動、エゴイズ
ムは、河辺(小野花梨)を傷つけ、間接的に自分をも傷つけてしまう。おまけ
に、おそらく処女ではないはずの女性・足子先生にも、ヒステリックに怒られ
るわけだ♪
でも、自我=エゴをまず大切にしようとするのは、「個体保存本能」などと
いう概念を持ち出さなくても当たり前であって、鈴木先生が山際のエゴイズ
ム(処女執着)を差し当たり認めた(「許されている」)のはもっともな事。た
だ、これは処女への執着だからであって、もし「幼女への性的欲望」とか、
「殺人への(性的)衝動」であれば、教師として、「許されている」と言うこと
さえ難しい。私が前回指摘して、鈴木先生も今回認めてたように、何かあっ
た場合には、「訴えられる」リスクさえあるからだ。
そこまで極端な例を考えなくても、自我=エゴのあるがままの姿、あるいは
欲望は、かなりの程度、制御する必要がある。自我(エゴ)は社会的現実の
中で、他のエゴ(=他我)と共に生きるのであり、自我と他我、自我と現実は、
しばしば衝突する。したがって、ルール=法=掟とか、「妥協形成」が必要
なのだ。
ここで、フロイトが発見した「不条理」(absurdity)、受け入れがたいバカげた
(absurd)事実が浮上する。良い家庭で良い両親に育てられ、超自我が発
達した「いい子」が、良過ぎて逆に壊れてしまいがちだという臨床的事実だ。
人間の心の奥、無意識には、様々な根源的・本能的衝動のうごめく場所
=「エス」(英語: id)があり、そこから生じる表面的な欲望は、意識的自我
の中だけでも大量&強固に存在する。それも大切な私の一部なのに、強
く発達し過ぎた超自我は、全面的に「抑圧」(広い意味)してしまう。という事
は、私=自分が壊れてしまうリスクが高まるのだ。
だからと言って、本当に壊れる人間は、現代日本でもそれほど多くは無い
し、一部が壊れたとしても、そのまま維持する可能性、修復する可能性も
ある。今回の大震災でも改めて思い知らさせたように、自然の予測は難し
い。それと同様、あるいはそれ以上に、人間の心の行方を予測することは
困難だ。
したがって、鈴木先生が、丸山康子の苦悩に気付かなかったことには、ほ
とんど「指導ミス」ではないし、「誰一人摩耗しない」ような教育を目指す必要
も無い。それは、不可能な幻想だし、理想像と言えるかどうかも相当怪しい
だろう。むしろ、深刻な摩耗は防ぎ、軽い摩耗に耐えれる子供、摩耗しても
修復できる子供を育てる方が現実的で、有効だと思う。
特に、私が気になるのは、今現在の教育論や精神医学の建前で忘れられ
がちな部分だ。「手のかからない生徒の心の摩耗」よりも、実際に大きな影
響が出てるのは、「生徒に配慮する先生の心の摩耗」だ。手のかかる生徒
だけでも大変なのに、手のかからない生徒の摩耗まで引き受けようとした
時、教師の摩耗した心は休職や退職、あるいは通院や薬物摂取に追い込
まれている。けれども社会は、生徒の方に関心を向けて、教師の側はしば
しば非難するのだ。。
☆ ☆ ☆
ドラマの主人公は、魅力的な彼女や神秘的な女子生徒らのおかげで、上手
く行くようになってる。しかし、現実の教師や学校の場合、そうは行かない。
そこで、教師の献身的な努力と共に重要となるのが、生徒の側の「戦略」だ。
丸山康子の場合、自分の超自我も、(結果的に)鈴木先生も、サボることを
許してくれなかったから、バケツの水に映った自分の姿=「鏡の中の自我」
に許してもらおうとする。これでは、自我の基本的なまとまりが失われてい
るし(「自我の分裂」)、他者と自分との区別も消失することになる。つまり、
一時的にせよ、自我成立以前に「逆戻り」するわけで、ラカン派精神分析
であれば、「鏡像」段階への「退行」と呼ぶ所だろう。
それは、自己防衛のための一時的な非常手段として、必ずしも悪いことで
はない。ただ、ドラマの中では、鈴木先生の登場によって、鏡の中の自我、
自我を許してくれる分身は、消えてしまった。その結果、心の全体は、自我
を丸ごと消して超自我の独裁状態を形成し、表面的な苦悩を抑圧・削除す
る形で作動したのだ。
しかし、もっと普通の解決方法が2つある。それは、「届かない心の叫び!」
(サブタイトル)を届かせる練習を少しずつ行うこと。ネットで匿名で叫ぶだけ
でも、すぐに反応があるだろう(特に女の子の場合)。理解あるお母さんに
少し話すだけでも、交換日記やメールでもいい。
そして、もっと重要なのは、超自我と欲望の妥協点を、自我が(半ば意識的
に)作り出すことだ。例えば、鈴木先生を適度に好きになる。この場合、好き
な人に褒めてもらいたいから、掃除をサボリたい欲望よりも、掃除したい欲
望の方が前面に出て、超自我との衝突も消えるのだ。これは、幼稚園・小
学校時代の私が実際にやってたことに近い♪
あるいは、掃除をサボること以外に、欲望の「他のはけ口」を探す。恋愛そ
の他、性的なもの、友達との遊び、ファッション、料理、テレビ、ネット、携帯、
ゲーム。現代日本には、欲望を発散する場が溢れ返っている。そうした形
で、超自我と欲望の妥協を形成すれば良かったのだ。実際、大人なら誰で
もやってる事だろう。ところが、丸山のそうした姿は、日記を書くことくらいし
か映されなかった。これでは、「他のはけ口」としては不十分なのだ。。
☆ ☆ ☆
ちなみに私の場合、厳しい超自我の監視のもとで、1円にもならないブログ
を毎日更新し続けることは、エゴイズムの承認や尊重にもなっている。かな
り自由に、自分独自の内容を書いてるし、毎日着実に、自分自身の一部で
あるブログが拡大してるわけだ。ブログもエゴであり、エゴイズムでもある。
その意味で、私の中ではもうしばらく、自我(エゴ)、超自我、欲望が、それ
なりに仲良く共存し続けるだろう。
こうして今日もまた、私の自我は5000字以上、ネットの中で拡大したわけ
だ♪ 電脳空間での、匿名の言語的拡大に過ぎないにせよ、私の欲望もお
そらく妥協してくれると信じてる。
なお、今日のランニングも、通勤ジョギング4kmのみ。昨日より涼しくて、
適度な風もあったの、勿体ないことをした。ここ数日、マトモにランニングし
てないけど、あれこれと身体は動かしてるし、心はフルパワー状態だから、
スポーツ担当の超自我も渋々許してくれるはずだ。そもそも、超自我も自
我の一部。そんなに厳しい姿勢を貫けるはずはない。
それでは、今日の所はこの辺で。。☆彡
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P.S. 9日(木)の夕方、ウィキペディアに書き込まれた情報によると、
第7話視聴率は2.1%。現在までの平均視聴率は2.2%となった。
P.S.2 関連する心の話を、ドラマも含めて、より一般的な形で記事にした。
cf. テレビ東京の学園ドラマ『鈴木先生』、マイナーだけどお勧め☆
探し物に夢中で、ブログどころじゃない状況・・ (第5話関連つぶやき)
ソクラテスの弁明~『鈴木先生』最終回レビュー(by哲学的対話法)
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(小川と中村が仲良く出没したらしい場所の写真♪)
(計 5284文字)
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