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人を指さす政治的行為のマナー~高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・9月)

(☆2012年7月30日追記: 最新記事をアップ。

   古きを温め、新しきを育む

    ~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・12年7月) )

    

    

          ☆          ☆          ☆     

朝日新聞の毎月最終木曜日の恒例企画、『論壇時評』。今日(9月29日)

の朝刊に掲載された記事も面白かったので、引き続き「メタ論評」すること

にしよう。もちろん、すぐ可能なものに関しては、自分自身でも確認してあ

るので、単なる「論評の論評」ではない。なお、今月から当サイトでは文字

数制限を導入してるので、今までより多少短めにまとめることを心がける。

これは単に、限られた時間とパワーの配分上の問題だ。

     

ではまず、複合記事の中央上部に大きく掲載されたCG。小阪淳現代文

をイメージして描いた作品、「遮断」について。新聞では白黒だが、今年

の5月以降、このCGは、「朝日新聞デジタル」でカラー写真が公開されてい

る。写真だけなら登録さえ不要、すぐに無料で見れるので、お勧めしとこう。

作者の思いは知らないが、鑑賞者の一人としては、カラーの方が分かりや

すい。やや面倒な登録を行えば、記事全体も無料で閲覧可能だ。

       

全体は、暗黒の宇宙に浮かぶ地球のようで、表面で渦巻く海には、非常に

高い壁がそびえ立っている。つまり海を「遮断」(タイトル)してるわけだが、

手前の激しい渦は強調されているのに、壁の反対側は黒いで見えなくなっ

ている。今年の一連の作品から考えて、おそらくこれは福島原発の遮水壁

のイメージだろう。この秋に着工される予定の、放射能汚染水の流出を防

ぐための壁で、高さ(or 深さ)30m、幅の全長800mとされている。

         

計画では、この壁は鋼板だが、CGではまるでボール紙の壁のように見え

るし、今なお残る津波のがれきを垂直に並べたようにも見える。そこから

考えると、放射能ではなく海に対する、防潮堤の意味も含まれていそうだ。

さらに、「海」というものを拡大解釈すれば、後でたまたま(?)高橋源一郎

が軽く触れたように、イスラエルとパレスチナの間の壁とも考えられる。

        

いずれにせよ、見た目は派手だが、あまり頑丈ではなさそうだし、壁の内

側(=海ではない側)がどうなっているのか全く分からない。という事は、こ

の壁は、情報を「遮断」するシステムの象徴にもなってるわけだ。

        

現代アートによる強烈な風刺だが、すぐに壊れそうな壁でもない所を見る

と、小阪も僅かな希望を見い出してるのかも知れない。実質的効果を求め

るにせよ、海産物の風評被害の減少を期待するにせよ、少なくとも震災関

連では、何もしないよりはマシだろう。おそらくは。。

         

      

         ☆          ☆         ☆

続いて、メイン記事である高橋源一郎の時評。今回のタイトルは、「原発

の指さし男 そのままでいいのかい?」となっている。白い防護服を着た

現場作業員が一人、監視カメラの前に立って、右手の人差指でカメラを

じっと差してる映像だ。静止画、動画共に、今でもネットで簡単に見れる。

    

「8月末、福島第一原発の固定監視カメラの前に、突然映ったこの映像は、

大きな話題となった」と、高橋は冒頭で書いてるが、ちょうどその頃、個人的

に旅行その他で慌ただしかったせいなのか、私はまったく知らなかった。

        

早速、Googleで、「福島 原発 指 カメラ」でニュース検索してみると、ヒッ

ト数は僅か4件(過去のすべてのニュース)。「大きな話題」というほどの扱

いでもなさそうだ。ただし、YouTubeの動画の再生回数は、それぞれ数万

~50万回レベルだから、ネットユーザーの間では、かなりの話題だったの

かも知れない。

    

この「指さし男」、ネットでその後、自己主張を公開。読んでみると、優秀

謙虚で、礼儀正しい人間だと分かる。人を指差す行為は、普通はマナー

違反だが、言葉使いにせよ主張内容にせよ、彼はそれなりにマナー(=や

り方)をわきまえてるのだ。自らの情報もかなり公開してるし、彼が誰なの

か、関係者はすぐに調べて突き止めてるだろう。それも覚悟の上の、かな

り堂々たる行為だ。 (cf. http://pointatfuku1cam.nobody.jp/ )

           

これは、単なる中途半端な自己顕示欲のイタズラからは程遠い、抑制され

た政治的パフォーマンスで、私はすぐ好感を持った。「本人の意図としては」

基本的に、自分たち原発作業員の苛酷な労働環境に対する告発のようだ。

          

そのために、作業員に向けられたカメラの「監視」の向き逆転する。むし

ろ、厳しくチェックされるべきは、政府、東電、一般視聴者の側ではないか。

つまりカメラのこちら側、指を差された側。もちろん、ルール違反を犯してる

自分の側も、指差されて仕方のない側面はあり、その点も自覚してるのだ。

     

ちなみに、元ネタとされる Vito Acconci(ヴィト・アコンチ)の指さしパフォー

マンスも、YouTubeで公開されているが(著作権、肖像権は不明)、指と顔

だけが延々と映し出されるだけなので、正直退屈してしまった。そのせいな

のか、再生回数は今現在、1000回にも達してない。

         

        

         ☆           ☆          ☆

さて、高橋はこの指さしパフォーマンスを、自分なりに少し「解釈=改釈

する。つまり、我々みんなの生き方に対する挑発的アピールと見るわけだ。

そこのあんた、そのままでいいと思ってんの? そんな遠くから見てるば

かりじゃなにも変わりはしないよ」。  

      

こうした政治的パフォーマンスの別の例として、高橋が挙げるのは、「いま

話題の」バンクシー(Banksy)。イギリスの匿名グラフィティ(落書き)アー

ティストだそうで、名前でニュース検索すると6本ヒットする。その内、5本は、

彼が監督した映画「Exit Through the Gift Shop」(イグジット・スルー・ザ・ギ

フトショップ: 直訳は、ギフトショップ経由での退出)に関するもの。残りの

1本が、高橋も文献として挙げている、パルコ出版『Banksy』に関する批

評(池澤夏樹による絶賛、毎日新聞)。

      

ここで高橋は、かなり感情的な批判を行っている。「グラフィティアートを毛

嫌いする人の理由ははっきりしている。自分がおとなしく従っている秩序

に反抗する人間が疎ましいのだ。自分みたいにおとなしくいうことを聞け

と思うからだ。それはデモを嫌う人たちの気持ちと似ている。

        

左寄り芸術・改革志向の人間の典型的主張で、当たってる側面もあるだ

ろう。しかし、事はそう簡単ではないのであって、2点だけ簡単に反論してお

く。まず、根本的な生き方、姿勢の問題。秩序に反抗する人間が正しくて、

従う人間が間違っている。こういった型にはまった古いパターンの批判は、

そろそろ再考すべきだろう。

                    

反抗が正しいのか、従うのが正しいのかは、ケース・バイ・ケース。個別の

事例を冷静に考察すべきなのだ。つまり、高橋が指さすべき人間は、従う

人間よりもまず、自動的に反抗の側を擁護したくなる自分自身だろう。ま

さにその点で、指さし男の方が進んでいる。彼はきちんと、自分の非礼さ、

迷惑さをも指さしていた。スマホ(=スマートフォン)を通じて、自分の指さし

を自分で意識的に受け止めてたのだ。   

          

落書きに関して具体的に語ると、数年前、私が使っている電車に、やたら

目立つ絵が書かれていたことがあった。それはルール違反のグラフィティー

アートではなく、その企業が公に行ってたキャンペーンだ。しかし、その絵は、

私の趣味からは程遠いものだった。もし、そこにバンクシーが現れて、もっ

とマシな塗装にしてくれてれば、違法性はさておき、私は内心大きく頷いて

ただろう。「その」改革は、私にとって良い事だ。これが、個別に考えるとい

うことであって、彼という存在や落書き全体を支持してるわけではない。

       

もう一点反論は、落書きがもたらす悪影響に関するものだ。そういった

ものを賞賛することは当然、「それなら自分も」という人間を後押しすること

につながる。

            

Banksyの公式サイトのトップには、黒いペンキで名前を書きなぐったよう

な、不気味なロゴが大きく掲げられてるし、作品の数々を見ると、(特に

絞首刑 or 自殺)のモチーフが感じられる。それを真似したどこかの少年

が、高橋の家にその種の「アート」を描いた時、高橋はどう反応するのだろ

うか。あるいは、衣服に直接スプレーされるとどうだろう。これは、悪質な犯

罪行為で時々使われる手口だし、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』において

も高校生のイジメの手段として登場してた。

          

落書きが良くて、認めないのが悪いというような、単純な話ではない。どの

落書きなら許容できるのか、どの落書きならどの程度の責任を取らせるの

か。あるいは、どのルールなら、どの程度まで破っていいのか。そういった

具体的な考察や対処こそが、重要なことなのだ。例えば、東大の放射線研

究者、児玉龍彦が法律違反を承知で堂々と除染活動を行うことについて、

文句をつける人はいないだろう。彼とは立場や意見が異なる人達でさえ。。

    

   

         ☆           ☆           ☆

ちなみに、自己表現や発言の自由の尊重ということであれば、高橋がバン

クシーの後、中沢新一の著作『緑の資本論』(ちくま学芸文庫)と共に紹介

した、現代音楽家シュトックハウゼンの例は、とりあえず分からない。同時

多発テロへの賞賛とみなされて、バッシングされたそうだが、後で中沢の本

その他で調べてみるとしよう。

    

  (☆追記: 中沢の本を確認。両義的な態度が許されない残念な時代

         だという、基本的な認識は間違ってない。ただ、悪役扱い

         の音楽ラジオ番組ディレクターに対する見方は、かなり憶

         測が混ざってることを示す文体になってるので、偏ってる

         恐れはある。高橋は、そうした中沢の見方をそのまま受

         け入れてるようだ。)

      

一方、それに続いて挙げられた、鉢呂前経産相の「死の町」発言について

は、私も高橋同様、「言葉狩り」に近い印象を持ってる。英訳のいくつかは

ゴーストタウン」となってるそうだが(15日、朝日)、これはよくある表現だ

ろう。元の「死の街」という日本語も、少なくとも、すぐ大臣を辞任させられる

ほどの失言とは思えない。

              

不快に思う人間がいるからという理由のみで、言葉を禁止していたら、禁

止の応酬も含めて、非常に不自由な政界や社会になってしまうだろう。この

点については、朝日東京新聞でも触れられていたように、もっと冷静さが

必要だったはずだ。「放射能をつけちゃうぞ」発言は、本当なら遥かに問題

ある失言だが、本当の言い回しがどうだったかは藪の中だし、辞任の主た

る理由でもないので、ノーコメントとしておこう。高橋も軽くスルーしていた。

        

高橋最後に持ち出す例は、何とも分かりやすい反原発の大物論客、

本義だ。元・東大全共闘代表で、その後は駿台予備校の物理講師を続

けつつ、物理学史優れた業績を残している。私も、学問的研究者として

は、優秀だと思っている。

   

その山本の近著『福島の原発事故について』(みすず書房)には、『海底二

万里』のヴェルヌの別作品に触れつつ、人間の愚かさが指摘されてるそう

だ。昔から変わらぬ愚かさによって、科学技術は社会を破局に導く可能性

がある。文字通りの意味でなら、それはその通りだと私も思うが、要するに

物事にはリスクがあるという、平凡かつ一般的な話だ。

   

真の問題は、では原発のリスクとはどうゆうもので、他のリスクと比べてど

うなのか、そのリスクは許容すべきなのかどうか、その点にある。今現在、

原発のリスクばかりが強調されてるわけだが、脱原発のリスク現実的問

が明らかになって来るのはこれからだろう。エネルギー政策は、税制な

どと違って、すぐには変更できない。今こそ、冷静緻密な分析、特に数字

を用いた定量的リスク論議が必要な時なのだ。

     

  (☆追記: 山本の著作を書店で見たが、雑誌用の記事が長くなった

         から書籍にしたそうで、物理学史の著作のような読み応

         えは無いし、ヴェルヌの引用の仕方も平凡だった。)

      

指さし男は、人間の変わらぬ愚かしさも指さしてるだろう。しかしそれ以上

に、もっと直接的対象として、イメージ的に原発を扱う危うさを指差してる

ように思う。反原発、直接行動の姿勢を強めつつある高橋が、中立派・穏

健派や原発派を指差すのなら、その指は、少なくとも同等に、自らの側に

も向けられるべきだろう。それこそ、指さし男が実際に見せてくれた一連の

マナー=やり方なのだ。。

      

      

     

         ☆           ☆          ☆

既に4000字を超えてしまったので、最後は本当に簡単に。複合記事「論

壇時評」の左側に位置するコラムあすを探る」について。今月は外交が

テーマで、論壇委員はお馴染みの中東専門家・酒井啓子。タイトルは、「

門知を結ぶシステムを」だ。

      

このコラム、最も根本的な部分だけを見るなら、ありきたりの事を主張して

るだけだ。それぞれの専門分野における研究を総合することの重要性な

どという話は、昔から度々言われて来たことにすぎない。ただし、酒井の場

合は、特に9・11に象徴される国際的対立・戦争や、3・11に象徴される

自然災害に焦点を絞ってる点がポイントとなってる。

       

人々の関心も高く、差し迫ったリスクもあるそういった事態に対して、個々

の診療科の「医師」を超えた「総合病院」的システム構築すべきだと言わ

れれば、言いたい事は分かるし、真っ向から反対する人も少ないだろう。し

かし、総合病院が患者を扱う際、実際の治療では結局、該当する診療科

の医師達が担当するわけだ。

      

もちろん、大変な疾患が相手の時には、チームが組まれたりするし、その

集団内での統制が取れてることも多いだろう。しかし、患者のどこが病気な

のか、どうすれば治るのか、わりと意見が一致するのに対して、対立する

社会全体のどこが原因で、どうすれば解決するのか、対処法に関する統

を取るのは至難の技だ。

           

総論賛成、各論反対とまで言うつもりはないが、酒井の言うシステムは、単

なる研究者の寄せ集めどころか、新たな対立を生む可能性さえある。そう

いったリスクを認識した上で、ほんの少しずつ歩みを進めることなら、誰で

も賛同するだろう。悲観論者を除いて、非常に大まかな方向性としては。。

        

     

          ☆           ☆          ☆

それより、個人的に興味深かったのは、中東関連の本格派の論客である

酒井が、個人的感情をあらわにしてること。冒頭から、朝日・夕刊連載の

四コマ漫画「地球防衛家のヒトビト」を書いてる、しりあがり寿のファン

と明かしてることに微笑んでしまった。私も結構好きなのだ。しかしそれ以

上に、中盤で、自分たちが「役立たず」として「叱られた」ことへのボヤキが

入ってるのに苦笑した。テロも「アラブの春」も、発生を読めなかったこと

で、叱られてるそうだ。

      

そこで、半ば言い訳のようにして出てくるのが、システム待望論なのだ。各

個人で、専門研究も総合的分析も行うのは不可能だから、個人をまとめ

上げるシステムが必要だ。私たち個人を責められても困る、という話の流

れであって、何とも微笑ましい本音だなと感じた。

   

真面目な研究者がたまにボヤくのは、別に構わないどころか、新鮮で面白

いのだが、ちょっと余計だったのは、他の研究者への不用意な批判だ。

専門外に手を広げて分析の質を落としたり、政策に阿(おもね)ったりす

る専門家は、たくさんいる」。「3・11後の対応でも、各分野の専門家の意

が、ただ言いっ放しで・・・」。

      

専門分野に集中する研究者を自覚してるのであれば、質の落ちた分析は

具体的に挙げて、自分の質の高い分析代案として提示すべきだし、「言

いっ放し」かどうかは、聞く側の問題も大きいはず。そもそも、各専門家の

側では、「言いっ放し」と言われるのは不本意だろう。単に、その場に応じ

て「意見を語った」だけだと思うし、その後もまた「意見を語ってる」はずだ。

あるいは、直接的に有意義な行動も取ってるかも知れない。トータルで連

続的に見れば、言いっ放しと断定するのは簡単ではない。

         

つまり、さほど罪のない戯れのレベルではあるが、様々な政変を読めなかっ

たと指さされてしまった酒井は、性急に自らも、他人を指さしてしまってるの

だ。指をさすこと自体、社会的マナーとしてはともかく、論壇でなら別にいけ

ない事とは限らない。しかし、自分たちは質の高い専門研究を行っていて、

他の人達はそうでないと敢えて言うのなら、証拠や代案と共に、堂々と行う

べきなのだ。

        

そういった意味で、やはり酒井も、福島の指さし男のマナーには到達してい

ない。指さした後にどうするか、自分をも指さしてるか、その辺りの身ぶり

で、指さし男は秀逸だったと思う。

    

もちろん、私自身も指を差された訳だから、彼のような派手なパフォーマン

スはともかく、社会の片隅で地道に思索や行動を進めて行くつもりだ。過

激なアーティストという存在は、一握りの数で事足りるのだ。

   

結局、既に7000字を超えてしまったようなので、今月はこの辺で。。☆彡

      

      

      

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

P.S. 複合記事「論壇時評」の下部にある、「編集部が選ぶ注目の論考

     で、小田嶋隆の「私も原子力について本当の事を言うぞ」というコラ

     ムが紹介され、少しだけ目立つ検索アクセスが入ってる。これには、

     読売新聞・社説原発・核抑止力説に対する批判が書かれてるら

     しいが、残念ながら日経ビジネスオンラインに登録しないと冒頭し

     か読めない。日経の個人情報収集には、個人的にかなり不満を抱

     いてるので、今回はパスしよう。

     ちなみに、小田嶋は読売「子供っぽ」いマッチョな美意識を批判

     してるようだが、核抑止力という考え方があること自体は、山本義

     隆その他の文章にも書かれてることだ。結論はともかく、国防、核

     の傘、日米同盟と合わせて原発を考える視点は重要だろう。

        

             

       

cf.震災後、身の丈超えぬ「ことば」に希望

         ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞) (4月)

  非正規の思考、その可能性と危険性

         ~高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・5月)

  みんなで上を向いた先に真実はあるか

         ~高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・6月)

  スローな民主主義と『スローなブギにしてくれ』

          ~高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・7月)

  柔らかさ、面白さが無ければ伝わらないのか

          ~高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・8月)

  希望の共同体を楽しく探るために

         ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・10月)

  アート・ロック・ゲーム、多様な変革運動

      ~高橋源一郎&濱野智史&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・11月)

  どの常識をどう疑い、何に立ち向かうのか

      ~高橋源一郎&平川秀幸&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・12月)

  対称的な関係の中にある前進

       ~高橋源一郎&小阪淳&森達也「論壇時評」(朝日新聞・1月)

  現在の中に過去を見ること

      ~高橋源一郎&小阪淳&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・2月)

  古きを温め、新しきを育む

    ~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・12年7月)

    

                  

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  東浩紀とネットが開く新たな言論空間~朝日新聞「論壇時評」 

                                  (2010年・4月)

  「新しい公共」と他者への理解~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・5月)

  理想を語り、現実を変えること~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・6月)

  政策の「事後的」評価としての選挙

              ~東浩紀&香山リカ「論壇時評」(朝日新聞・7月)

  建設的な哲学とネット共同体への「期待」

                    ~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・8月)

  よりどころの崩壊、新たに築く試み

             ~東浩紀&松井彰彦「論壇時評」(朝日新聞・9月)

  世論調査、ファスト政治、ポピュリズム

             ~東浩紀&福岡伸一「論壇時評」(朝日新聞・10月)

  中国の異質性、東アジアの同一性

             ~東浩紀&李鍾元「論壇時評」(朝日新聞・11月)

  情報公開の境界、資格付与の区切り

             ~東浩紀&松井彰彦「論壇時評」(朝日新聞・12月)

  新しい道具、使ってみるための条件

             ~東浩紀&松井彰彦「論壇時評」(朝日新聞・1月)

  つながりと祝祭、これからの革命と善意

             ~東浩紀&香山リカ「論壇時評」(朝日新聞・2月)

  各個人が独自メディアとして議論すべき時

             ~東浩紀&苅部直「論壇時評」(朝日新聞・3月)

                 

                                (計 8150文字)

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コメント

こんばんわ。
心身ともに凹んでいるので、東京から帰ってきても
寝てばかりです。
テンメイ様の記事もきちんと読んでなくてすみません。
この記事のところでの書き込みも許して下さい。
まだ頭が動いてないので・・・

先月1泊で東京のオークラに宿泊した時、いつもは有料のお水が無料で部屋に置いてありました。
薬を沢山飲むのでいつもペットボトルを買っていくので
ラッキ~!!と思い何も感じなかったんですが。
今回、8泊9日で帝国ホテルに泊まってたんですが
以前は洗面に「このお水は飲料水としてお飲み下さい」と書いてあったのに
今回行ったら、お水のペットボトルがここでも無料!
飲んじゃったら、毎回補充してくれてるんです。
これって・・・ここからは書きませんが・・・
それと日本人の本音と建前がハッキリわかりました。
お寿司やさんが・・・どこも人が少ない。
日本橋高島屋にも行ったんですが、何階かに超有名な
寿司店が入っていて、今までは行列だったのが、お店の中に2組、4人しか居なくて・・・ランチの真っ最中なのに。
やっぱり・・・書きませんが、やばいですか?

投稿: みに子 | 2011年10月 1日 (土) 00時46分

> みに子さん
   
こんばんわ
  
心身ともに凹んでるとか言うよりまず、
疲れ切ってるんでしょ。
それは単なる、追っかけ過ぎです(笑)。
もうちょっとセルフ・コントロールが必要
    
記事をきちんと読んでないっていうのは
正直でいいですネ♪・・と言っとこうかな(^^ゞ
この記事への書き込みは、一瞬ポカーンと
しましたが、内容的関連が一応あるんですね。
ま、考えた上での事かどうか知らないけど
  
    
で、有料の水を無料配布してると。
それは、水道水を詰めた「東京水」ですよ♪
あるいは、それを他のボトルに詰めて、
機械的に新しいフタを付けたとか。
水道局も「安全でおいしい水プロジェクト」で
頑張ってるみたいだし。
   
真面目な話、高級ホテルはイメージ商売だし、
裕福な人や遠方の人の方が、その種の問題に敏感。
ごもっともな対応ですね。 
ただ、その商業的配慮と、水の本当の危険性とは
一旦分けて考えるべきです。
春は水が騒がれましたが、夏以降は聞きません。
   
ちなみに、帝国は何もアピールしてないようですが、
オークラは全国でミネラルウォーターをアピールしてますね。
震災とは関係ない経営戦略じゃないかな。。
     
    
「お寿司やさん」も、わりと高価な店のことでしょ。
新館6Fの「おけい寿司」かな。
ランチのにぎりで3000円前後。

ちなみに、リーマンショック前のドラマ『CHANGE』
では、サラリーマンのランチは平均600円くらいだと
キムタク=木村拓哉=朝倉が言ってました。
今だと更に下がって、500円のようです。
安いコンビニ弁当とドリンクでおしまいの金額。
3000円ランチの寿司屋が空いてるのは自然なこと。
    
一方、庶民向けの回転ずしの今年8月の売上を見ると、
前年比94.1%。約6%しか下がってません。
日経経由で、日本フードサービス協会のデータを
見たものです(市場動向調査)。
ただし、全国調査だろうから、関東・東北に
限定すると、もっと低い数字でしょうけどね。
   
      
まあ、電車も普通になったし、全体的に見ると震災以降、
日本は意外なほど頑張ってると言うべきでしょう。。

投稿: テンメイ | 2011年10月 2日 (日) 20時36分

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