(☆13年2月3日追記: 遅まきながら最新記事をアップ。
アートとツール(道具)
~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年12月) )
☆ ☆ ☆
「アラブの春」、反原発 or 脱原発、金融危機デモ(ウォール街を占拠せよ、
他)・・・昨年末から、反体制的で直接的な運動が、世界各地で大規模に
行われている。左派とかリベラルと総称できそうな論者たちは、一気に勢
いづいてるわけだが、シリアでは死者が3500人を超え、エジプトでも再び
死者が数十人レベルで報告される事態になってる。大震災後の日本で、
こうした激しい流れを一体どう受け止めればいいのか、判断に迷う所だ。
いかにも朝日新聞らしく、左への傾斜が目立つ複合記事「論壇時評」で、
もっとも中立的な観点を示し続けてるのは、小阪淳のCGだろう。4月の執
筆者交代直後、高橋源一郎にもそれなりの中立性はみられたが、この半
年あまりで左への傾斜を強めてる。もはや、右とはもちろん、左サイドとも
適度な距離を保とうとしてた姿勢は見られない。
しかし、現代文明をイメージした小阪のCGは、冷静に全体を見つめてるの
だ。もちろん、作者自身の言語的な思想がどうなのかは別問題だが、少な
くとも画像の作品は、右も左もない、宇宙の彼方のような視点を感じさせる。
実際、「再生」と題する今回のCGは、宇宙の彼方から、左と右に分かれた
地球を見た構図になってる。左には北半球があり、金融危機と運動に揺れ
るヨーロッパやチェルノブイリ原発辺りを中心に、核爆発実験のような情景
が描かれてる。「爆発」の影響は、アラブ民主化運動の拠点辺りまでを覆っ
てるが、その右側、つまり南半球は静かな(保守的な)まま。非常にバラン
スの取れた俯瞰なのだ。
さらに面白いのが、「爆心地」が小さめのリンゴの上半分に見えて、地球
全体も左上をかじられた大きなリンゴ=アップルに見える点。おそらく、先
ごろ亡くなったアップル社のスティーブ・ジョブズをイメージしたのだろう。
アップル社のシンボルは、右上をかじったリンゴだけど、ここでは「左」を
かじられてる。もちろん、反体制運動の主体となってるのは、iPhone、
iPad、iPodなどを愛する左派の若者達なのだ。更に読みこむなら、ウォー
ル街の占拠が行われて来たニューヨークの愛称「ビッグ・アップル」も重ね
合わせてるかも知れない。
ジョブズの復帰によって、経営難に陥ってたアップル社は「再生」したが、
世界の「左」半分、あるいは北半球は再生できるのか。静かに傍観する
だけでは何も変わらないが、激しく関与するのが正しいことであるかのよ
うに語る論者が急増する中、非常に価値ある会心の作だろう。過去1年
半ちょっとの小阪の作品の中で、最高傑作だと考える。
長くなってしまうが、記事タイトルに初めて、小阪の名前を入れておいた。
論壇時評は複合記事であって、今月の中核、最も批評性に富む表現は、
言論ではなく、CGなのだ。。
☆ ☆ ☆
私がここまで小阪を持ち上げるのは初めてだが、これは今月の「言論」内
容と関わる営みでもある。つまり、メインとなる高橋の時評にせよ、コラム
「あすを探る」の若き執筆者・濱野智史にせよ、普通の堅苦しくて重い思想
的言葉とは違うものに着目してるのだ。それなら、まさにこの複合記事「論
壇時評」の中でも、高橋や濱野の言葉より、小阪のCGアートに着目すべき
だろう。
と言っても、実際に当サイトのアクセス解析で、「論壇時評」の検索フレー
ズを見ると、その多くがメインの高橋目当てなのも事実だ。その高橋の時
評、今月のタイトルは、「老人の主張」、「暮らし変えよう 時代と戦おう」。
一読しただけでは、何が言いたいのか分かり辛い文章だが、まさにこの
文体、スタイルそのものが、高橋にとって重要なのだ。「中身はやや粗く
感じられるかも知れない」が、「ぼくたちの口語」だから。
高橋が最初に取り上げるのは、30ページの小さな本をフランスその他
で大ヒットさせた94歳の老人、ステファン・エセル(Stephane Hessel、3文
字目のeの上は仏語のアクサン・テギュ記号)。かつてナチスへの抵抗運
動(レジスタンス)の闘士だった彼が今回出した本のタイトルは、高橋の
書き方によると『憤れ!』。
ちなみに、記事右側の参照文献にある英語版の書名では、『Time for
Outrage!』。元のフランス語だと、『Indignez-vous!』で、英訳より
高橋の訳の方が正確だ。より口語的には、『激怒しろ!』くらいだろう。
原書(と言うよりパンフレット)の出版は2010年だ。
「あなたたちをダメにしようとする全てと戦ってください。これからの時代
を作るのはあなたたち自身なのです」と、「青年諸君」に向けて檄を飛ば
す老人・エセルの言葉は、引用した高橋も語る通り、「ありふれている」。
しかし、フランスから世界へと、広く人々を揺り動かした。「その理由は何
だったろう」と問いかけた後、高橋は直接答えることなく、次の老人の主
張に向かう。
それは、欧州の経済危機の中心地・ギリシャの映画監督・テオ・アンゲロプ
ロス。自国の非常事態でもストを繰り返す、「豊饒(ほうじょう)で無茶苦茶
な人たち」を、不思議に思った藤原章生が、監督に疑問をぶつける。する
と、アンゲロプロスはこう答えたそうだ。
「問題はファイナンス(金融)が政治にも倫理にも美学にも、我々の
全てに影響を与えていることだ。これを取り払わなくてはならない。
扉を開こう。それが唯一の解決策だ」
ここでの「ファイナンス」は財政という意味が強いと思われるが、それはさて
おき、なるほど、金融危機の最中でも過激な運動を行うことの説明として、
最低限の筋は通ってる。お金の問題の解決より、暮らしの変化、金融中
心の社会の変革の方が優先ということだ。
しかし、他国に対する自国の莫大な借金(=国債)はどうするのか。金融と
他者に関わる自己の責任まで、「取り払」うのだろうか。あるいは、お金とい
う交換手段を「取り払」って、自国内の暮らしが維持できるのか。飲食物、電
気、ガス、ゴミ、下水、医療、治安、観光は大丈夫なのか。何とも危うい「情
緒的」な運動理論だが、高橋の目には、老人による貴重な提言に見えてる
ようだ。
☆ ☆ ☆
続いて高橋は、暮らしを変えるレベルで思想を扱う「『論壇』誌」として、『通
販生活 秋冬号』を取り上げる。ネットのpdfファイルで読めるのかと思った
が、年間540円(税込・送料無料)の販売用カタログのようだ。目次だけは
すぐ読めて、確かに通販のカタログにしては中身が濃い雑誌だと思う。
一番強調されてるのが、「一日も早く原発国民投票を」という記事だから、
明らかに高橋同様、左寄りの雑誌だろう(少なくとも今号は)。私はむしろ、
「一日も早く原発・放射線の勉強を」と言いたい。「国民」レベルでは、まだ
まだ基本的なことが知られてないし、知ろうともしてないのだ。特に、福島
からも震源からも遠い、西日本の関心が薄いように感じるのは、気のせ
いばかりではないと思う。
言論に加えて、脱原発の関連商品(省エネ&脱・電気)を載せたこのカタロ
グ。高橋は、「『ライフスタイルの提案』にとどまらないなにか」を提供しよう
としているように感じており、CMが民放テレビ局に拒否されたのが、最強
の論壇誌である証明かも知れないと語ってる。それを言うならむしろ、最強
の「反原発」論壇誌だろう。
私は、通販生活というのはテレビCMや広告でしか知らなかったが、今ネッ
トで見て、やはりそうなのか・・と思ったことがある。それは、生活に「かなり
余裕のある」人達向けの通販だということだ。もっと分かりやすく言うと、楽
天その他の通販サイトと比べて、品物の価格が遥かに高い。
例えば、ウェアのトップページに「一番人気」と書かれたソックスは、ドイツの
老舗メーカー製で、3675円(税込)だ。他サイトなら、この3分の1の値段、
1200円前後でしっかりした商品が見つかるだろう。そう言えば、通販生活
のCMにはよく、有名文化人が登場してた気もする。これは、この雑誌の読
者の傾向を示してるのではないか。
つまり、時間的・経済的にかなり余裕のある人達が、「有名かつ、良さそうな
流行りもの」を優雅に消費するスタイルだ。その典型が、実は今、脱原発と
いう暮らし方そのものになってると思われる。
(追記: 書店でカタログをチェック。予想通り、富裕層・有閑マダム向けに
「高くて良さげな品」を売る雑誌で、反原発という商品が満載だ。)
☆ ☆ ☆
高橋が最後に挙げるのは、これまた「リベラル」な雑誌の『SIGHT』49号。
内容も同様で、脱原発&日本変革。ロッキング・オン社の季刊で、責任編
集者はロック評論家としてお馴染み、渋谷陽一だ。
ほとんどインタビューで構成された、「やや粗く感じられるかもしれない」中
身だが、そのスタイル自体が、ロックやポップスのあり方を模倣してるとの
こと。つまり、政治や社会の議論を、学者や評論家の書き言葉から、「ぼく
たちの口語」へと取り戻そうとしている。そんな風に高橋は受け取ってる。
これまた、イメージ的には、なるほどと頷きたくなるような話だが、原発や金
融危機はイメージではなく、重たい現実だ。「ぼくたちの口語」で、放射線の
リスクや原発のコストを語れるだろうか。あるいは、欧州危機の処方箋を語
れるだろうか。
「ぼくたちの口語」、ロックやポップスの世界では、光り輝くスター達が遠くに
いて、それに大勢が憧れ、コピー=真似を行い、情緒的な言葉、感情的な
行動で表現することになる。それは、音楽の世界なら構わないが、ロックで
低線量被曝の影響の分析はできないし、飲食物の放射能の規制値、避難
する線量の基準値は決められない。それは、客観的な科学的考察と、冷静
な国民の同意によって決めるべきものだ。
最後に、高橋の時評の前半、2人の老人に戻ってみよう。「憤れ!」も、「扉
を開こう」も、高橋の言う通り、「かなりロック」な檄の飛ばし方だ。しかし実
は、『憤れ!』の出版社HPを見ると、もっと普通で納得できる話が書かれ
てる。つまり、90歳を超えたエセル老人は、ナチスの時代と違って現代で
は憤る理由が分かりにくいから、「自分で探して、それを発見せよ!」と語っ
てるのだ。
自分で探し、発見すること。その際のキッカケや、パワーの源として、「ロッ
ク」は重要かも知れない。しかし、探して発見すること自体は、地味で冷静
な知的努力だ。音楽で力をもらった受験生が、気を引き締めて真面目に
勉強を再開する。そんな平凡で真摯で持続的な営みこそが今、本当に求
められてることなのだ。。
☆ ☆ ☆
一方、複合記事「論壇時評」の左に位置するコラム「あすを探る」。今回の
テーマは「メディア」で、論者は濱野智史。タイトルは「ゲームの力が社会を
動かす」だ。
正直、彼の若さと前回5月のコラム内容を考え合わせると、もうタイトルだ
けで十分のような気もしてしまうが、実際に読んでみると前回より面白かっ
た。基本的には、ゲームにハマる若者を原動力とした社会運動の可能性を
高く評価するもので、予想通りの普通の話だが、焦点の当て方が少し独特
で頷けるものだし、参照対象も明快なインパクトを持ってる。
まず、ネットのフェイスブックやツイッターを通じて、世界的に運動が起きて
るのは周知の事実だが、津田大介はこれを「動員の革命」と表現したそう
だ(『中央公論』12月号、茂木健一郎との対談)。つまり、いまやネットの
ポテンシャル=可能性は、世界の人々の「討議」(話し合い)より、「動員」、
人々を街の活動に連れ出すことにあるというわけだ。
もちろん、濱野も認める通り、「それは手放しで歓迎できるものではない」。
茂木は、暴動のような事態は革命にとって避けられないことだと語ってる
そうで、それはフランス革命のような変化にとってはその通りかも知れない
が、そこまで急激で大がかりな変化が必要かどうかは、改めて考える必要
がある。当然、不満があればすぐ直接的な行動で態度表明するというので
は、社会は成り立たない。「それなりの」不満を選ぶ必要があるのだ。
☆ ☆ ☆
濱野はここで、ネットではなく、論壇や思想が果たす役割へと目を移して行
く。後付け的に、運動を評価したり、眉をひそめたりするだけでなく、もっと
積極的で先導的な役割を果たし得ることを示すのに持ち出す例が、ジェイ
ン・マクゴニガルなのだ。
『幸せな未来は「ゲーム」が創る』の著者である彼女は、「ARG(オルタナ
ティブ・リアリティ・ゲーム)」という概念を提案。これは、現実の世の中で、
生身の身体で社会運動をプレイするゲームなのだ。「見知らぬ街中の人を
巻き込み、他者への寛容さを育むゲーム」とか、「貧困問題を解決するア
イデアを競い合うゲームとか。
既にある普通の現実は、「クソゲー」(クソのようにつまらないゲーム)であっ
て、ルールやゴールが複雑で分かりづらく、手応えややりがいを得るのも難
しい。だから、現実をもっと面白いゲームに変えて、プレーヤーがみんなで
ハマればいいのだ。
「キレる若者」ではなく「ハマる若者」たちによる、「ゲーム型社会運動」。こ
ういった見取り図は、確かに最近の社会状況を「見る」上で参考になるだ
ろうし、単純明快で面白い。ただ、この思想=考えによって、新たに動員
できるかどうかは、「ゲーム作者」たちの努力と成果かかってるだろう。ク
ソゲーでも間違ったゲームでもなく、面白くて正しいゲームを創り出すこと。
これは、社会運動をゲームとして考えることより、格段に難しいことだろう。
間違ったゲームを創る恐れがあるから止めといた方がいい、というのは、
あまりに保守的すぎる態度だが、正しいゲームを作る可能性があるから
プッシュすべきだというのも、逆向きの行き過ぎにすぎない。繊細なバラン
ス感覚を持ったゲーム作者、プレイヤーが大勢出現することを祈りたい
ものだが、たとえ相当数の若者が参加したとしても、新たに作った現実
ゲームは、古くからある普通の現実と連結される必要がある。その時、初
めて、現実はゲームではないことを思い知らされることになるだろう。
それでは、今月はこの辺で。。☆彡
cf.震災後、身の丈超えぬ「ことば」に希望
~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞) (4月)
非正規の思考、その可能性と危険性
~高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・5月)
みんなで上を向いた先に真実はあるか
~高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・6月)
スローな民主主義と『スローなブギにしてくれ』
~高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・7月)
柔らかさ、面白さが無ければ伝わらないのか
~高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・8月)
人を指さす政治的行為のマナー
~高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・9月)
希望の共同体を楽しく探るために
~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・10月)
どの常識をどう疑い、何に立ち向かうのか
~高橋源一郎&平川秀幸&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・12月)
対称的な関係の中にある前進
~高橋源一郎&小阪淳&森達也「論壇時評」(朝日新聞・1月)
現在の中に過去を見ること
~高橋源一郎&小阪淳&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・2月)
自ら切りひらく主体相互の共生
~小阪淳ほか「論壇時評」(朝日新聞・3月) (未完)
「常識がない」ということの意味
~小阪淳ほか「論壇時評」(朝日新聞・12年4月) (未完)
破壊と建設、悪意と善意
~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年5月)
未来を「一から」創り出すこと
~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年6月)
古きを温め、新しきを育む
~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・12年7月)
変える楽しみ、保つ安らぎ
~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・12年8月)
不変の変化という、不変の夢
~小阪淳&高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・12年9月)
方舟の針路、風任せにしない
~小阪淳&高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・12年10月)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東浩紀とネットが開く新たな言論空間~朝日新聞「論壇時評」
(2010年・4月)
「新しい公共」と他者への理解~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・5月)
理想を語り、現実を変えること~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・6月)
政策の「事後的」評価としての選挙
~東浩紀&香山リカ「論壇時評」(朝日新聞・7月)
建設的な哲学とネット共同体への「期待」
~東浩紀「論壇時評」(朝日新聞・8月)
よりどころの崩壊、新たに築く試み
~東浩紀&松井彰彦「論壇時評」(朝日新聞・9月)
世論調査、ファスト政治、ポピュリズム
~東浩紀&福岡伸一「論壇時評」(朝日新聞・10月)
中国の異質性、東アジアの同一性
~東浩紀&李鍾元「論壇時評」(朝日新聞・11月)
情報公開の境界、資格付与の区切り
~東浩紀&松井彰彦「論壇時評」(朝日新聞・12月)
新しい道具、使ってみるための条件
~東浩紀&松井彰彦「論壇時評」(朝日新聞・1月)
つながりと祝祭、これからの革命と善意
~東浩紀&香山リカ「論壇時評」(朝日新聞・2月)
各個人が独自メディアとして議論すべき時
~東浩紀&苅部直「論壇時評」(朝日新聞・3月)
(計 7126文字)
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