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22km走れる状態まで回復♪&ライフログ(人生のデジタル記録)

RUN 22km,1時間46分22秒,平均心拍159

       

このサイトブログ、つまりウェブ・ログ(web log)だから、元々の意味は

ネット上の記録だ。実際、最初は主にランニングと自転車の練習日誌のつ

もりだったが、まずドラマに傾斜して、その後は何でもアリの総合マニアッ

クサイトと化してる。実際、昨日の記事は5000字で、多数の図も入ってる

数学的内容。日記の要素は僅かしか入ってない。

          

ただ、これまでの6年4ヶ月半の毎日更新を振り返ると、一番多いのは日

的な内容だろう。その意味では、世間一般のブログと同様だけど、私は

子供の時から人一倍、ノートの日記を書いてた気がする。もちろん、学校

で先生に指示されたとか、母親に言われたとか、外圧的な部分は大きかっ

たけど、自分の生活や考えを書き残すことは結構好きだったと思う。

       

実際、数年前に発掘した小学校時代の日記を見ても、内容の幼さはとも

かく、字数は多かった。それを真面目に読んで、かなり長いコメントを書い

てくれてる先生や母親の熱心さにも、あらためて感謝したものだ。。♪

        

     

         ☆          ☆         ☆

それにしても、自分の記録詳しく書き残すのは大変な作業だ。今は手書

きよりキーボードの方が普通だから、スピードは3倍前後になってるかも知

れないけど、その程度の進化ではカバーしきれない。1日7時間寝るとして

も、残り17時間の記録を残そうと思ったら大変だし、実は寝てる間の

記録だけでも面倒だったりする。

    

そこで登場するのが、「ライフログ」(life log)だ。文字通り訳すなら、「人

生の記録」だけど、普通は「人生全体デジタル記録」を指すことが多いと

思う。ポイントは2つ。「全体」を残すことと「デジタル」だ。数年前から話は

知ってたけど、今日(1月9日)の朝日新聞・朝刊でまた話題になってた。

想記伝」と題するシリーズ記事の第4回、上側の大見出しは、「記録は永

遠の生命か」。中段の小見出しは「『忘れる機能』不可欠」。

         

冒頭は、昨夏の鈴木勝秀構成・演出の舞台「クラウド」。そこでは、ライフ

ログに興じるオガワ(田口トモロヲ)が理由を明かしてたそうだ。「人生も

ハードディスクも有限だけど、クラウドは無限だ。つまり、永遠に生き続け

られる」。「ライフログに記録するということは、(中略)超個人的、超主観的

歴史の記述。個人が全体で、全体が個人になる」。

     

クラウドというここ数年の流行語は、ネットと言い換えれば十分だ。このブ

ログの記録は、私自身のPCにもデータ保存してあるけど、基本的にはニ

フティのサーバー・コンピューターに保存してるわけで、それに私や読者

がネットを通じてアクセスすることになる。あるいはPCメールについても、

私のPCに保存すると共に、ネット上にも残してあって、必要に応じてアク

セスしてる。

        

クラウドとは、そうした使い方が可能なネット上の記録システムであって、

別にわざわざ新しい言葉を使う必要もないものだ。この言葉は、データセ

ンター関連など、商業的に使われるものであって、ビジネスに役立つこと

はあっても、日常生活とは無縁であり続けるだろう。それでも「Web2.0」

よりは多少身近な言葉かも知れない。「ファジー」と比べてどうだろうか。。

         

    

         ☆          ☆          ☆

さて、全人生のデジタル記録となると、もはやキーボードで入力するのは

無理で、デジカメデジタルビデオを使うことになる。朝日の記事だと、か

つてマイクロソフトでライフログ研究を指揮したベル研究員が、1時間に約

200枚のデジカメ写真を自動撮影すると語ってた。「完全記憶」でさえ、

生全体1~10テラバイト、数万円のハードディスクに収まってしまうそうだ

音声は抜け落ちるが・・)。いずれは、夢の記録が可能になっても、不思

議ではないと思う。

    

試しに計算してみると、人生80年として、1年は365日×24時間=8760

時間だから、トータルで約70万時間。1時間に200枚なら、計1億4000

万枚。1枚50KB(キロバイト)なら、合計70億KB。簡単な近似計算をす

るなら、70億KB=700万MB=7000GB=7TB(テラバイト)。

        

これがほぼ、ベル氏の計算だろうから、かなりサイズの小さい写真を使用し

てることになる。今時の(日本の)デジカメなら、1MB前後はごく普通、メー

ル添付でさえ、そのままのサイズだったりするのだから。ちなみに当サイト

データ量は現在数百MB(メガバイト)。動画でも保存しない限り、今後もTB

(テラバイト)には到達しないはずだ。

          

一方、18歳から27年間、事細かな記録を続けて来た、『ライフログ入門』  

の著者、美崎薫は、00年から昨年にかけて、あちこちにカメラやハードディ

スクを設置した「記憶する住宅」に住んだとのこと。「すべての記憶をデー

タ化できれば、不老不死と変わらない。肉体はいらなくなる」そうだ。データ

は飲食も呼吸も排泄もしないのだが、と突っ込むのは無粋というものか。。

    

     

         ☆          ☆          ☆

こうした発想に似たものなら、私もわりと早くから抱いてた。デジタルビデ

オが売り出された時、かなり早めに購入して、PC保存も試みてる。ただ、

すぐに挫折した。少なくとも当時、デジタルビデオテープは高かったし、ハー

ドディスクも高価。動画から静止画キャプチャーしてPCに保存することも

試したけど、時間がかかり過ぎるし、キャプチャー画像を見ることはほと

んど無い。

       

今現在、デジタル機器や通信システムの機能は格段に上がってるし、今

後もまだしばらくは発達し続けるだろう。ただし、ライフログの致命的欠点

は、記録が完全であればあるほど、それを見るのに時間がかかり過ぎる

ことだ。嫌な事などを「忘れる機能」など不要。どうせ見れない、あるいは

見ないのだから。

          

1個人・Aさんの人生を詳細に見ようとすると、別の人間Bさんの人生がか

なり費やされることになる。そうして、他人の記録を見ることで人生を浪費

(?)するBさんの人生を再び記録して、それを見るのにまた別のCさん

人生が費やされるなら、シュールなブラック・ジョークだろう。自分で自分の

人生を詳細に見るのも、コントやギャグのネタになりそうな滑稽さがある。

         

ネットや保存によって、見る人が無限になるというのは、大まかで儚い

的願望にすぎない。見られる記録も無限に増加し続けるのだから。ハー

ドディスクや記録の物理的限界を考えると、永遠というのも幻想だ。出来の

悪いDVDだと、寿命は数年しかないって話も、以前ここで記事にしてある。

        

もちろん、記録の少なくとも一部分を見てくれる他人がそれなりにいそうな

であれば、ライフログは無意味ではない。でも、もし自分で自分の人生

全体を見るのなら、奇妙で倒錯的なライフスタイルとなってしまう。他にも、

記録を完全に残そうとすると、他人のプライバシーを侵害してしまうことに

なるので、自宅に閉じこもってるような人でないと無理があるだろう。今時、

街中でビデオを回し続けると、盗撮で捕まる恐れもある(特に成人男性)。

          

         

         ☆          ☆          ☆

結局、ほとんどの人にとっては、ライフログは無縁であり続けるだろう。そ

代わりに、ブログ、ツイッター、フェイスブック、普通の日記帳が使われ

て、人生の「ごく一部」が残される。あるいは、デジカメやデジタルビデオで

人生の「ごく一部」が撮影される。それを、自分や他人が、人生の「ごく一

部」を費やして見る。それが、平凡な結論だろう。あるいは芸術=アート

エンターテイメントの世界で、他人の15分間を丸ごと味わうとか。

    

なお、公の組織が地域の記録を残すのは、「監視」の意味合いが強いか

ら、特殊な場合(凶悪犯罪多発、実験都市など)を除けば困難だろう。ウ

チの最寄りの駅前にも、かつて監視カメラが設置されたが、すぐに撤去さ

れた。自分で自分を記録するのならともかく、他人に自分を記録される

抵抗が強いのだ。

         

しかし、自分の完全な記録には必ず他人が関わる。その点は、ライフロ

グにとって、意外なほど大きな問題点で、いくら技術革新が進んでも解決

不能だろう。自分が「記録する」行為は、他人にとっては「(勝手に)記録

される」不快さにつながる。社会や時代が変わっても、人間の本性という

ものはなかなか変わらないものなのだ。。

       

    

P.S. 4月9日のNHK『クローズアップ現代』では、携帯やスマホを使っ

     た手軽なライフログが広がる現状が扱われたようだ。

        

        

         ☆           ☆          ☆

最後に、今日のランニングの「記録」を「手短に」♪ 昨夜は、かなり迷った

末に、久々の数学記事を優先させることに決定。実は、書いた後で走ろう

かなとも思ってたけど、やっぱり時間がかかって無理だった。5000字クラ

スの学問的内容の記事を書くのは、見た目以上に大変なことなのだ。一度

アップした後でも、何度も加筆修正を行ってる。「熱心な読者」への配慮と

して(笑)。

       

で、三連休ラストの今日は、昨日の分まで走ろうってことで、最初はハーフ

21.1kmの予定だった。寒い時の長距離だから、直前にトイレを済ませ

てスタート。1日休んだにしては足腰が重いけど、左脚ふくらはぎの痛みは

かなり消えたし、他もほぼ大丈夫。気温4度風も無いから、厚着してれば

走りやすいコンディションだ。       

          

公園に到着すると、妙にランナーが多くてとまどったけど、サークルか何か

の記録会でもやってたのかね。まあ、適度な賑やかさでいいんだけど♪

私はハーフ完走が目標だったから、最初からスピードを抑えて、1km5分

を少し切る程度でキープ。相変わらず、やたら心拍数が高いのは気にな

るものの、走りに安定感がある。序盤ですぐ、距離を22kmに延長。僅か

900m増やしただけとはいえ、ハーフを超えるのは気分的に大きいのだ。

年末に22km走ったから、そこまで回復させたかったって意味もある。

       

右足首の外側から右膝外側にかけて、軽い違和感があったから、かなり

慎重に走り続けて、結局無難に22km走破♪ いやぁ、スピードは遅い

けど、嬉しいね☆ トータルでは、1km4分50秒ペース。これで平均心

拍が159っていうのは、測定エラーじゃないかと思うほど高い値だけど、

まあOKとしとこう。何度も書くけど、大晦日の夜から正月三が日にかけ

ては、歩くどころか、立ち上がるだけで激痛にうめいてたんだから。

         

明日は軽く走るか、時間の関係で休むかも知れない。またドラマが始まる

と時間を取られるから、今の内に色々とやっとく必要もあるしね。では、今

日のウェブログはこの辺で。この程度の記録なら、皆さん気軽に読んでく

れるでしょ。あれっ? 文字カウントすると、意外に長かったかも。。♪☆彡

     

      

  往路(2.45km)  12分31秒    心拍143 

  1周(2.14km)  10分29秒       156         

  2周          10分31秒       159     

  3周          10分28秒       160

  4周          10分23秒       161

  5周          10分10秒       163

  6周          10分20秒       161

  7周          10分20秒       162

  8周          10分16秒       163

  復路(2.43km)   10分54秒       164     

計 22km  1時間46分22秒  心拍平均159 最大172(ゴール前)

              

                                (計 4480文字)

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