(☆12年11月4日追記: 『最後から』SPの軽い記事をアップ。
『最後から二番目の恋 2012秋』、一言だけ感想♪ )
☆ ☆ ☆
(22日) リハビリJOG 14km,1時間15分28秒,平均心拍145
ビミョーな結果だね。板橋Cityマラソンの激走から4日後、ぼちぼち14km
走れるようになったと言うべきか、あるいは、いまだに低速ジョギング14
kmが精一杯だったと言うべきか。。
本当は20日に続いて、足にやさしい自転車のチョイ乗りにしたかったん
だけど、早朝は眠いし夜は走り辛い。まあ、どの程度回復したのかチェッ
クする意味もあって、夜の公園にジョグでスタート。ほんの数十mで、まだ
ダメージがかなり残ってるのが分かった。筋肉の疲れもあるけど、あちこ
ちが部分的に断裂してるような感じで、チクチクと痛む。これは、普段全
くないことだ。
1km6分の超スローペースでもいいかなと思ってたら、序盤は本当に1km
6分で、そのままのペースだと22時からのドラマ最終回が見れなくなって
しまう (^^ゞ 心拍計の時刻とにらめっこしながら、スピード調整。2日前の
自転車の疲れが太腿前側に残ってたから、脚の後ろ側だけで走るように
して、最後の周回は何とか1km5分15秒ペースまで持って行けた。それ
にしても、やっぱり心拍が異常に高いね。こんな高さが1ヶ月以上続くのも
珍しいから、心疾患かな?とか考えたりもする。
まあそれでも、何とか無事に帰宅。トータルでは1km5分23秒ペース。大
丈夫かね・・(^^ゞ 遅さより気になるのは、右膝の痛みが少し悪化したこと。
元々、2週間ほど前にほんのちょっとピキッと痛んだもので、昨夜のジョギ
ングでも1回ピキッと来ただけ。ところが、走り終わった後、何気ない動作
で痛みが連発。
どうも、右膝を伸ばし気味にして外側に力が加わると痛むらしいから、な
るべく膝を曲げて、内側に体重を乗せる必要がある。あと、外側の上の
辺りの筋肉を意識するのもいいみたいだね。ま、関節の痛みをごまかす
基本は、周囲の筋肉ってことか。コンドロイチンやグルコサミンを飲むの
は数十年後で十分でしょ♪
往路(2.45km) 14分09秒 心拍127
1周(2.14km) 11分57秒 140
2周 11分47秒 146
3周 11分26秒 151
4周 11分10秒 154
5周(0.54km) 2分53秒 158
復路 12分07秒 152
計 14km 1時間15分28秒 心拍平均145(79%) 最大162(ゴール時)
☆ ☆ ☆
一方、先週、何の予習もせずにチラッと流し見して、予想通りのいい内容
だった『最後から二番目の恋』。ブログの反応も含めて好印象だから、最
終回は真面目に視聴。折角だから、ちょっと無理してレビューすることに
決定。最近、ドラマ記事を書いてないもんね。前回と同じく、全く予習せず
に見たけど、今回はかなり話が見えたし、最後は意外なほど心に滲みて
しまった。淋しくて甘い、繊細な後味。。
前回、直前の時間帯の『最高の人生の終り方』と比較しながら、『最後か
ら』も「死」を中心とするドラマだろう、といった感じのことを書いたけど、
我ながら核心を突いてたな♪ 終盤のキョンキョン=小泉今日子のモノ
ローグ「人生がいつか終わってしまう・・・」、女子会トークのお墓の話題、
極楽寺駅(実在するとは・・)。真平(坂口憲二)が死なないとかいう、万里
子(内田有紀)の妙なお告げ(占い、予言)もあった。
ドラマを見終わった後、公式HPの詳しいあらすじを読むと、坂口は常に
死を意識しながら生きてた患者だったわけね。分かりにくいキャラだなと
感じてたけど、それを聞いて納得。形式的にも、小泉との付き合いが「最
後から二番目の恋」になってる。最後は、知美(佐津川愛美)とのお似合
いの恋。
このコ、ずいぶんキャラが変わってたから分からなかったけど、藤木直人
の傑作コメディ『ギャルサー』に出てた子だったのか。あの時、彼女のブ
ログにレビューのTB(トラックバック)を飛ばしたら、それ経由でかなりアク
セスが来たからよく覚えてるのだ。タレントのブログが一般ブロガーのTB
を受け付けるって、珍しいんじゃないかな。ま、6年前で、まだ有名人ブロ
グがそれほど流行ってない時期だったからなのかも知れない。
☆ ☆ ☆
それにしても、ストーリーの全体を読むと、ものすごく凝った脚本だな☆
これで物語が破綻せず、自然に柔らかくまとまってる辺り、流石は実力と
実績を誇る岡田惠和だ。演出家・宮本理江子との『ビーチボーイズ』コン
ビもいい。
まず、「劇中劇」として、ドラマの中で作ってたドラマのタイトルが、『まだ恋
は終わらない』。これ、16年3ヶ月前の岡田脚本の月9『まだ恋は始まら
ない』を受けたもので、中井貴一&小泉のW主演も同じまま。洒落たこと
するね♪ 相当、珍しい試みのはず。16年経って、「始まり」の話が「終わ
り」の話へと進んでる。ただし、16年前は結局「始まった」のに対して、今
回は「終らなかった」。いずれもホッと安心する結末って意味では同じこと。
全体は、劇中劇であると共に、ホームドラマでもあるんだけど、このホー
ム=家庭の構成もヒネってる。鎌倉の大家族「長倉家」の横に、千明が引
越して来て、そこへ長倉家の長女・典子(飯島直子)がもぐり込む。大小2
つのホームが、飯島によってつながる形だ。おまけに、小泉と飯島は、10
年3ヶ月前の佳作『恋何』(恋を何年休んでますか)の共演者で、小泉の連
ドラ主演はあれ以来とのこと。
以前ちょっと書いたけど、『恋何』には個人的な思い入れがあったりもす
るのだ♪ 懐かしいね。。メロディーラインの綺麗な主題歌『remain~心
の鍵』(小柳ゆき)で泣けと言われれば、涙の一雫くらい落とせるかも。
要らない? あっ、そう♪
『最後から』のキャッチコピーは、「大人って、淋しすぎると笑っちゃう」だ
けど、私は子供の頃から、「懐かしすぎると泣きそうになっちゃう」性格だっ
た。相手が人間でも、物でも、時期や場所でも、切ない別れにはジンと来
てしまう。懐かしむとは、その切なさを美化して反復することなのだ。。
☆ ☆ ☆
ところで、前から気になってた「最後から二番目」の意味。そう考えた方が
ファンキー(funky)だからって話で、おそらく今までの流れの中で「ファン
キー」って言葉が使われてるんだろう。
Yahoo!で『デジタル大辞泉』(小学館)を読むと、野生的で躍動感にあ
ふれてるとか、けばけばしいとか。けばけばしいと言うと否定的に聞こえ
るけど、もうちょっと滑稽で親しみやすい語感の言葉だと思う。クラブや
ディスコ(今でもある)で声をかけまくる男はファンキー過ぎるとして、「も
う1回、本物の恋がある」と思った方が、確かに人生のノリは明るくなる。
このファンキーも、わざと古い言葉を使ってるんだろうけど、カクテルの
ピニャ・コラーダの古さにも笑えた♪
写真はウィキメディアで公開されてる
Barmix 氏の作品。
たまに書いてるように、私はバーのカ
ウンターでアルバイトをしてたから、こ
の名前はよく覚えてる。運さえ良けれ
ば、私も向井理になれてたはずなのだ
・・・って話はさておき、ラム・ベースで
パイナップル・ジュースとココナッツミル
クを入れて、シャカシャカとシェイク(振る)。そのままでもいいけど、私の
バイト先だとクラッシュ・アイス(砕いた氷)の入った可愛いグラスに注いで、
フルーツや花のデコレーションを付けて、女性客に出すのだ。男が飲むと、
スコーンと殴られる(笑)。「コラー、ダメ!」とか書くと、真冬なみの寒さに
戻るから止めとこう♪ こうゆう事、ホントにお店で言う人いるもんな。
このピニャ・コラーダ(pina colada、nの上の波線省略)、中南米に多い
ファンキーなスペイン語だ。日本版&英語版ウィキペディアで調べると、英
語に直訳するなら「pineapple strained」で、裏ごしされたパイナップル
という意味。アメリカでは70年代に流行って、日本で飲まれるようになった
のは80年代らしい。ちょうど、中井や小泉らの青春時代と重なるわけね。
飯島に対して「恥ずかしい~」とか言ってた小泉が、中井と一緒に仲良く
飲んでる姿が微笑ましかった。中井は男だけど、何となく可愛いオジサマ
だからOKなのだ。。
☆ ☆ ☆
そろそろ時間が無くなって来たから、最後は再び「最後から二番目の恋」っ
てタイトルについて。未来の自分に恋していたい、とかいう話が小泉のモノ
ローグにあったと思う。つまり最後の恋は、より素敵な自分に対してなのだ。
可能性、あるいは理想的現実性としての自分。
ただし、それは単純な自己愛、自己憐憫、ナルシシズムとかいう話でもな
い。フツーの意味での最後の恋の相手は、自分の分身みたいな人だろう。
ずっと独身でいると、異性の部分が自分の中に生まれてくる(小泉のオジ
サン化、中井のオバサン化)って話が最後に出てたけど、自分の外側か
らも自分の分身は訪れるのだ。本来1つであったものが、たまたま現世で
2つに生まれ、最後は1つに戻る。分裂した状態よりも、融合した状態の方
が、人間の魂にとって素敵なことなのだ。
ちょっと怪しげな所もあるけど、古今東西さまざまなヴァリエーションを持
つ基本的な発想だし、恋愛ファンタジーとしてなら何の問題もない。「赤い
糸で結ばれてる」って話は、分身説の補足と見ることも出来るのだ。もとも
と1つだったからこそ、何らかの形でしっかりした絆を保ってる。例えば、
切る前のヘソの緒みたいなものかも。
ただし、この種の話にハマり過ぎると、財産や身体を他人に奪われるハ
メにもなるので、ご注意あれ♪ あくまで、おとぎ話なのだ。たかがファン
タジー。とはいえ、されどファンタジー、でもある。
とにかく、最後の恋は、必然的かつ運命的に、より素敵な未来の自分が
対象となる。ところで、劇中劇のタイトルでもあり、最終回のドラマのサブ
タイトルにもなってる言葉は、「まだ恋は終わらない」だった。ということは、
まだ未来への希望を持ったまま生きてる、ということなのだ。「まだ生は終
らない」。坂口憲二が死なないのも、そのことの表現の一つになってた。
☆ ☆ ☆
恋するとは、生きること。ファンキーな生=性が恋であると言ってもいい。
英語の語源はまだ確認できてないけど、「love」と「live」はなぜか奇妙な
ほど似た単語になってる。あと何十年か、あるいは数年か、いずれにせ
よ生きてる間はずっと、恋していたいもの。「恋を何年」も「休んで」るヒマ
などない♪
ちなみに今回、笑いのツボは、ペンギンみたいな歩き方だとからかう中井
を、小泉が適当に受け流すシーン。中井の、アレッ、相手してくれない・・
って感じの淋しそうな表情が笑えた♪ 可愛いペンギンってものもおそら
く、80年代の流行だと思う。試しにネットで調べると、83年のサントリー
のCANビールCM辺りがキッカケかな。BGMは松田聖子の『SWEET
MEMORIES』。このCM自体が、スイートなメモリー、甘い記憶なのだ。
恋とは、未来に向かうと同時に、別の形で過去にも向かってる。やはり
時間とは、円、輪、閉じた循環なのかも知れない。前に進み続けると、
後ろに辿り着いたりする。そしてまた、以前の自分を追い越すのだ。
なお、最終回の視聴率は過去最高で13.7%。全話平均でも12.4%。
内容とキャストと時間帯を考えると、「最高のドラマの終り方」と言ってい
い☆ 過激な展開で2年前に意外なヒットとなった、『同窓会~ラブ・アゲ
イン症候群』には及ばなかったけど、『最後から』の落ち着いた描写は心
に滲み入る大人の味だった。ラム酒が多めのピニャ・コラーダみたいに。
あえて一つだけ注文を付けるなら、『ビーチボーイズ』終盤のマイク眞木の
死みたいに、大切な人の喪失や永遠の別れがほろ苦いアクセントとして
軽く入ってれば、なお良かったと思う。「最後から二番目」とは、「自分の消
滅の近く」を表す表現でもあるのだから。
まあ、主たる視聴者である女性が甘口好きだから、仕方ないのかな。逆に
言うと、女性が『ビーチボーイズ』の内容をあまり評価しない理由の一つは、
外見と違ってドライでクール、しかも抽象的だからだろう。具体的な恋愛の
要素は最小限に留めた脚本だし、詩的感覚や形式的構造を重視した作り
になってたわけだ。私なら、第1話冒頭と最終話ラストだけで泣けるほど。
おっと、話が逸れてるし長くなるから、後はまたいずれ。飯島と浅野和之の
滑稽なラブラブ・シーンは、飯島の映像だけあと30秒映しても良かったな
・・・とか思いつつ、それでは今日はこの辺で♪☆彡
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