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自ら切りひらく主体相互の共生~小阪淳ほか「論壇時評」(朝日新聞・3月)

(☆2013年2月3日追記: 遅まきながら最新記事をアップ。

  アートとツール(道具)

   ~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年12月) )

         

        

          ☆          ☆          ☆

朝日新聞・朝刊、月末の木曜日恒例の複合記事、『論壇時評』。今月は年

度替わりの時期と重なったこともあり、いつも以上に余裕がないので、先

に小阪淳のCGからレビューしておく。高橋源一郎の時評「東北からの息吹

 壊れた世界 自ら切りひらく」と、酒井啓子「あすを探る なぜ途上国に学

ばないのか」については、後ほど(手短に)追記することにしよう。これは、

いつものレビューと同じ順番だが、やはり小阪の非言語的な作品が最も刺

激的な表現だという事情もあってのことである。

       

では、現代文明をイメージした小阪のCG、「共生」について。以前から指摘

してるが、特に今回は、朝日デジタルのカラー画像をお勧めしておきたい。

小さい画像なら、手続きなしに無料ですぐ閲覧できる。

    

今回は、表面的な構図としては、「都会のビル」と「緑」の共生。ただ、誰で

も一目で、全体が「墓地」のイメージになってることに気付くはずだ。新聞

掲載の白黒画像でも分かるが、カラーを見れば遥かにシャープ。ビル=

墓石の灰色と、淡い緑のコントラストが、死の香りを漂わせている。

       

このCG、最も本質的な特徴は、共生という聞こえのいい言葉=概念に、

死のイメージを重ね合わせてる点だ。実は私も以前から、共生という言葉

に、多少の違和感を持っていた。理想はさておき、現実の共生とは、複

数の存在が並列的・水平的に関わり合う状態ではない。例えば人間と植

物の共生の場合、大まかに言うなら、植物は人間を必要としないが、人

間は植物を必要とする。だから、人間の側が植物との共生を求めて叫

び、模索するのだ。

   

一般に、現実世界における共生は、非対称性を少なからず持つのであっ

て、それはしばしば、上下関係や対立関係の形をとる。小阪のCGだと、

ビルの「上」に緑が生えて、「下」のビルを墓石に変え、都会を墓地へと変

容させてるのだ。近代文明を自然=緑=グリーンが否定しようとする姿

は、世界の政治状況のメタファー(比喩)でもある。ただし歴史を遡れば、

近代文明が自然を攻撃したのが先だろう。トータルで見るなら、両者の

共生とは、攻撃と反撃の連鎖と見ることも可能で、まさに酒井啓子が専

門とする中東を思わせる部分もあるのだ。

       

単なる偶然かも知れないが、ビルの屋上の植物が不気味さをもたらすイ

メージは、円谷プロのウルトラマン・シリーズの原点、『ウルトラQ』と似た

ものにも感じる。巨大植物ジュランが咲かせたマンモスフラワー。確か最

後は、人間側がひとまず退治。暫定的な勝利を収めたと思う。

     

ウルトラQの「怪獣」的な植物の不気味さは、音楽、台詞、ストーリーによ

る部分も大きかったが、小阪のCGでは、死のシンボルである墓地との

類似が大きいだろう。いずれの場合も、都会における「主体としての緑」

が、新しい世界を「自ら切りひらく」ようにも受け取れる。それは、緑の側

では斬新でポジティブな営みだろうが、人間という別の主体にとっては、

恐るべきチャレンジでもあるのだ。

          

なお、ビル&樹木のペアが様々な大きさで描かれた小阪のCGの形式は、

最近流行のアルゴリズム建築や、その源流にある数学のフラクタル図形

と通じ合うものだ。自己と(部分的に)相似な図形を多数内包する図は、

同じパターンの手続き(=アルゴリズム)を簡単に反復できるコンピュー

ターが得意とするもの。それでいて小阪のCGは、フラクタルほど機械的

にも見えず、手入れしてない墓地をなるべくそのまま人間が描いた、滑

稽な風刺画のようでもある。

       

その意味で、まさにこのCGそのものが、機械と自然と人間の穏やかな

共生の模索と言えるかも知れない。ある主体が「自ら切りひらく」動きが、

この穏やかさを忘れる時、それは他の主体にとって、攻撃や侵食となり、

やがて反撃や揺れ戻しへとつながる。大震災直後ならともかく、1年後の

今、本当に問題となってるのは、複数の主体の調和的共生であって、個

人的な能動性や主体性ではないだろう。。

      

     

(☆以下、後ほど追記する予定☆)

        

     

   

cf.震災後、身の丈超えぬ「ことば」に希望

         ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞) (4月)

  非正規の思考、その可能性と危険性

         ~高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・5月)

  みんなで上を向いた先に真実はあるか

         ~高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・6月)

  スローな民主主義と『スローなブギにしてくれ』

          ~高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・7月)

  柔らかさ、面白さが無ければ伝わらないのか

          ~高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・8月)

  人を指さす政治的行為のマナー

          ~高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・9月)

  希望の共同体を楽しく探るために

          ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・10月)

  アート・ロック・ゲーム、多様な変革運動

    ~高橋源一郎&濱野智史&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・11月)

  どの常識をどう疑い、何に立ち向かうのか

    ~高橋源一郎&小阪淳&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12月)

  対称的な関係の中にある前進

    ~高橋源一郎&小阪淳&森達也「論壇時評」(朝日新聞・1月)

  現在の中に過去を見ること

    ~高橋源一郎&小阪淳&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・2月)

  「常識がない」ということの意味

       ~小阪淳ほか「論壇時評」(朝日新聞・12年4月)  (未完)

  破壊と建設、悪意と善意

   ~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年5月)

  未来を「一から」創り出すこと

    ~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日・12年6月)

  古きを温め、新しきを育む

   ~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・12年7月)

                 

                                 (計 2407文字)

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