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「常識がない」ということの意味~小阪淳ほか「論壇時評」(朝日新聞・12年4月)

(☆13年4月28日追記: 最新記事をアップ。

 あの日から2年、疎通の深化~小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・13年3月) )         

       

     

         ☆          ☆          ☆

ほぼ丸2年、毎月5000字超クラスの長文レビューを続けて来た対象であ

る、朝日新聞の複合記事、「論壇時評」。実は先月、2年目の最後の月で、

レビューが未完成のままになっている。主たる要因は、たまたま3月末か

ら自宅を離れる用事が入ったことだが、正直言って最近、高橋源一郎の

時評やコラム「あすを探る」について、あまり書く気がしないのも事実だ。

     

高橋や論壇委員にとって2年目、2012年度に入って最初の4月も、高橋

の時評「入学式で考えた ぼくには「常識」がない?」と小熊英二のコラム

「原発コスト 国民意識に比例」については、相当な手間ひまをかけない

限り、レビューするのは難しい。相変わらずの普通の左翼・反原発であっ

て、そのまま読む限りは本質的に新たな論点も無く、中立派の私としては

反応に困ってしまうのだ。

           

少なくとも高橋は、1年前にはここまで極端な態度ではなかっただけに、残

念な気がしてならない。日本の常識に世界の常識を、右寄りの常識に左寄

りの常識をぶつけて批判するという営み自体が、まさに「常識的」なものに

すぎないことの自覚が、もはや感じられなくなってしまった。

       

そこで、今月も差し当たりは、小阪淳のCGのレビューだけで記事をアップ

しておこう。後で余裕が出来て、気が向いたら、高橋と小熊についても論

評する。と言うより、高橋が扱ってる論文について、私自身の目で見直して

みたいとは思ってる。高橋が、現在の日本の「常識の無さ」を批判するた

めの拠り所としているそれらの論文が、実は別種の「常識の無さ」を露呈

してる可能性が十分あるからだ。。

    

     

         ☆          ☆          ☆

さて、もはや複合記事「論壇時評」の実質的メインとも言うべき、小阪の今

回の作品タイトルは、「家の家の家」。年度が変わったが、去年と同様に、

現代社会をイメージしたCGを掲載するようだ。

       

何度も書いてるように、朝日新聞・朝刊(4月26日)の画像しか見てない

方には、朝日新聞デジタルのカラー画像を見ることをお勧めする。今回も、

紙の新聞の白黒画像よりネットのカラーの方が、シニカルなユーモアを含

んでるのだ。

    

奇妙なCGタイトルについては後回しにして、まずはCG自体を見てみよう。

一番手前の島が大きく描かれて、その少し向こうにも島があり、海を挟ん

でやや遠くにも、3つ目の島がある。明らかに、日中で領有権争いが続い

てる尖閣諸島だろう。日本時間で4月17日の未明、ワシントンにて、「常識

がない」石原慎太郎・都知事が購入の意志を示し、いまだに大きな注目を

浴びてる場所だ。2010年秋の中国漁船衝突事件も、まだ記憶に新しい。

   

島の形や並びから考えて、手前から順に、南小島、北小島、魚釣島と思

われる。一番大きくて有名な魚釣島を手前にしなかったのは、元の素材

に使った写真の構図の影響かも知れないが、では写真がなぜそうなって

るのかまで考えると、構図のバランスや美しさはもちろん、この順に見た

方が3島を区別しやすいからだろう。

      

下の写真はウィキメディアからの借用(BehBeh氏の作品)だが、これだと

右端の南小島とすぐ左の北小島の区別がつけにくい。左端の一番大きな

魚釣島ばかりが目立ってしまうのだ。

          

120426

     

尖閣諸島の内、大きな島としては、他に久場島(くばしま)があるが、ここ

は在日米軍が使用という建前になってる。だから、都知事も差し当たりは

購入の必要がないと考えたのかも知れない。ただし、久場島も含めて大

きな4島は、すべて個人所有。それを国が賃借するという、一見奇妙な所

有形態になってるのだ。。

        

    

         ☆          ☆          ☆

CGでは、3島すべてに巨大な家が建ってる。向こう側の2島は見にくいが、

手前の島の家を見ると、家の壁や屋根に、小さな家が並んでる。さらに、

ネットのカラー画像では見にくいけど、新聞の大きな白黒画像で見ると、

大きな家の壁にある小さな家の壁に、さらに小さな家が並んでるのだ。

          

このパターンは、小阪が先月見せたものと同様で、フラクタル図形(下)や

120426b

 アルゴリズム建築を意識したものだ

 ろう。要するに、コンピューターなら

 ではの、デザインの「反復・縮小」と

 いうことだ。左図を見ると、三角形

 の中に三角形があり、そのまた

中に三角形がある・・・といった風に、正三角形が反復的に縮小されてるの

が分かる。小阪的表現を使うなら、「三角の三角の三角」なのだ。図はウィ

キメディアより(Georg-Johann Lay氏)。

           

ここで、小阪が付けた奇妙なCGタイトル、「家の家の家」について考えてみ

よう。私は最初、こうゆう名前のアートが別にあるのかと思って、ネットで探

してみたが、なかなか見当たらない。「小さな家の家」というショップがある

程度だ(小さな家のデザインの小物を販売)。そこで、オリジナルと考える

と、まず思い付くのが、不動産の所有者の通時的・規模的な3重構造だ。

島を個人が所有し、それを遥かに大きい東京都が買い上げる(とアピール

する)。さらに、いずれ日本という国家に買い上げて欲しいと、石原は語っ

てるのだ。

   

ただし、そういった奇妙さを風刺してるとだけ考えると、作品の面白さは

半減する。これまでの作品でも、そのような単純さを超える大きな意味、

複雑な内容を含んでたのだ。

         

    

          ☆          ☆          ☆

例えば、島の所有権が個人から都に移った時点で、一番下のレベルの

所有者は東京都だ。しかし、島も東京都も国土の一部だから、もう一つ

上の次元の「所有者」は日本国になる。これが「家の家」だ。では、「家

の家の家」と言う時、一番上のレベルの大きな家は何なのか。それは、

アメリカだろう。

        

アジア太平洋戦略の上で、なるべく西側、大陸側の土地が日本にある方

が、米軍にとって好都合のはず。実際、久場島は建前上、米軍使用となっ

てるのだ。島に基地や兵器など無くても、海軍や空軍にとって自由度が

増す。もちろん石原としては、アメリカのために島を買うという意識は無

いはずだから、やや皮肉な事態なのだ。購入をアメリカで宣言したこと

を考えても、喜劇的展開ということになる。

  

一方、遥かに根本的に見方を変えると、「家の家の家」という3重構造

が本当に奇妙なのか、という疑問も生じて来る。と言うのも、ミース・ファ

ン・デル・ローエに代表されるような均質な近代建築では、ごく普通に「家

の家の家」が見られるからだ。ありがちな高層ビルを考えてみると、ま

ずほぼ直方体の部屋があり、それが水平に連なってより大きな直方体

の各階となり、各階が垂直に連なってさらに大きな直方体、すなわちビ

ルになってるからだ。「直方体の直方体の直方体」。

         

単調であっても効率の良い、こうした近代建築が、世界に普及したこと

を考えると、案外、尖閣諸島の所有構造も普通のことなのかも知れな

い。実際、石原の案に対する国の態度はさほど厳しくないし、アメリカ

が難色を示してるという話も聞こえて来ない。という事は、普通に解釈

すると喜劇的展開であっても、実は理にかなった戦略と見ることも可能

なのだ。

       

     

        ☆          ☆          ☆

ただし、カラー画像で見ると、全く別のシニカルな笑いも見えて来る。実

は最初見た時、ずいぶんボケた画像だなと思ってしまったが、これはも

ちろん意図的なものだろう。私が個人的趣味で持ってる、中国の山水の

水墨画集と似てるのだ。

            

つまり、たとえ東京都、日本、米国が強引に「家の家の家」構造を作って

も、結局は自然の営みの中で朽ちて行く。大きな目で長期的に見るなら、

やがて中国のものとなるのが自然の流れなのかも知れない。中国の山

水画で、山や川は大きく、人為的なもの(家、船、人など)は小さく描かれ

がちなことを思い出してみよう。。

        

いずれにせよ、小阪の作品は、読者をより深い思考、新しい観点へと導

いてくれる。この点、つまり文字通り「常識がない」(固定的思考にとらわ

れない)ことこそ、小阪が論壇時評全体の中で誇示する長所なのだ。

       

とはいえ、その小阪のCGを大きく掲載し続けてる点において、朝日新聞

もそれなりの器を示してると言えるのかも知れない。もちろん、今月から

1ページ全体へと拡大されたスペースの大半は、いかにも朝日的な左寄

りの論調で占められてるのだが。。

                

       

(☆以下、後ほど追記の予定・・・)

    

   

    

cf.震災後、身の丈超えぬ「ことば」に希望

         ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞) (4月)

  非正規の思考、その可能性と危険性

         ~高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・5月)

  みんなで上を向いた先に真実はあるか

         ~高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・6月)

  スローな民主主義と『スローなブギにしてくれ』

          ~高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・7月)

  柔らかさ、面白さが無ければ伝わらないのか

          ~高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・8月)

  人を指さす政治的行為のマナー

          ~高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・9月)

  希望の共同体を楽しく探るために

          ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・10月)

  アート・ロック・ゲーム、多様な変革運動

    ~高橋源一郎&濱野智史&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・11月)

  どの常識をどう疑い、何に立ち向かうのか

    ~高橋源一郎&小阪淳&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12月)

  対称的な関係の中にある前進

    ~高橋源一郎&小阪淳&森達也「論壇時評」(朝日新聞・1月)

  現在の中に過去を見ること

    ~高橋源一郎&小阪淳&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・2月)

  自ら切りひらく主体相互の共生

         ~小阪淳ほか「論壇時評」(朝日新聞・3月)  (未完)

  破壊と建設、悪意と善意

   ~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年5月)

  未来を「一から」創り出すこと

   ~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年6月)

  古きを温め、新しきを育む

   ~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・12年7月)

  変える楽しみ、保つ安らぎ

   ~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・12年8月)

  不変の変化という、不変の夢

   ~小阪淳&高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・12年9月)

  方舟の針路、風任せにしない

  ~小阪淳&高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・12年10月)

  和解の方向、未来からの審判

   ~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年11月)

  アートとツール(道具)

   ~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年12月)

  対話するインテリジェンス

    ~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・13年1月)

  ひとりで揺れる時の振幅

    ~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・13年2月)

                       

                                  (計 4371文字)

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