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いばら姫としての波留(竹野内豊)~『もう一度君に、プロポーズ』第2話

第1話に続いて「素晴らしい!」と書き始めるほどの出来でもなかったけど、

やっぱりいいドラマだと思うのは確か☆ ラストにキレイなシーンを持って来

るのが、謎の脚本家・桐野世樹の特徴なのか、あるいはこのドラマの基本

パターンなのかね。もし覆面のベテラン脚本家なら、まずまずって評価だけ

ど、新人なら上出来。何気ない会話から回想シーンの挿入まで、なかなか

のテクニック。低視聴率のプレッシャーに負けず、このまま貫いて欲しい。

       

ウィキペディアで『もう一度君に、プロポーズ』の項目を見ると、「初回視聴率

では同枠では『歌姫』以来となる一桁台となった」と書かれてる。07年秋の

『歌姫』は、毎回一桁で、平均視聴率7.9%に留まったらしいけど(私は『ガ

リレオ』に全力集中)、「第45回ギャラクシー賞第2回マイベストTV賞グラン

プリ」を受賞(放送批評懇談会主催)。

        

ちなみに去年春のテレビ東京系列の超低視聴率ドラマ『鈴木先生』(平均

2.2%)も、2011年・日本民間放送連盟賞・テレビドラマ部門・最優秀賞

を受賞して、この秋には映画公開も決定。有料ネット配信やDVDも好調ら

しいし、ウチのレビュー記事へのアクセスも多い。もちろん、私も高く評価

して、長谷川博己という俳優に注目するキッカケになったし、ドラマ通の間

での評判はオンエア当時から高めだったはずだ。まだ無名だった吉高由

里子が光った08年冬の『あしたの、喜多善男』(平均7.2%)でも同様。

     

視聴率というのは、ドラマに対する評価にも使えるが、実は逆に、視聴者

に対する評価にも使える。視聴率が低い時、視聴者を基準に考えるなら

「ドラマの質が低い」ということになるが、ドラマを基準に考えるなら逆なの

だ。「お客様は神様」であるテレビ局やスポンサーはさておき、視聴者の

側では、そういった相対的で多角的な観点の重要性を、もう少し自覚しと

くべきだろう。。

      

☆追記: 第2話視聴率はさらに少し下がって8.3%。驚きはない。

       竹野内の視聴率記事も更新した。)

      

     

        ☆          ☆          ☆

さて、『歌姫』は見てないので語れないが、『あしたの、喜多善男』と『もう一

度君に、プロポーズ』を比較した時、不思議な類似に気付くことになる。

    

どちらもまず、タイトルの中央に奇妙な「、」(読点)が入ってる。しかも、読点

の前には未来を示す言葉があり、読点の後では文字がガラッと変わってる

のだ。『あしたの、』の後は、そこまで使われてない漢字だけになり、『もう一

度君に、』の後は、そこまで使われてないカタカナだけになってる。日本なら

ではの、形式的テクニックだ。そしてタイトル全体では、どうなるか分からな

い宙吊り状態になってる。

    

       『あしたの、喜多善男』

    『もう一度君に、プロポーズ』

      

果たしてこれは、単なる偶然だろうか。『あしたの、』第7話で「偶然という名

のふれ合い」と題するレビューを書いたことがあるが、意識的か無意識的

かはともかく、私には控え目な形式的「オマージュ」(敬意を込めた模倣)

に見える。実際、内容的にも様々な類似に気付くし、そのことが『もう一度

君に、』の楽しみ方にも広がりをもたらしてくれるのだ。ただし以下、『あし

たの、』を見てない方にはネタバレになってしまうので、念のため。

      

外見はかなり違うが、両作品とも主人公はアラフォー男性。『あしたの、』

の主人公・小日向文世は、自殺願望の強いマゾヒスト(広義)で、心を病ん

でると言っていい状況。最後は松田龍平の助けを借りて立ち直るが、実は

この松田、当初は小日向を殺そうとしてたのだ。

      

一方、『もう一度君に、』では、助演の和久井映見が、最近5年間の記憶

を喪失。表面的キッカケは、クモ膜下出血だが、実はその奥に「心因性」

の問題が潜んでるようで、これも心の病と言っていい。そして、竹野内豊

の愛の力で立ち直っていく流れに見える。普通に考えれば、『あしたの、』

と同様のポジティブなハッピーエンドだろう。「サクラ咲く」という感じなのだ

    

ただ、朗読を用いる点でも似た両者(『あしたの、』では吉高)を比較する

と、まったく別の、深い闇のようなものも浮かび上がって来る。可南子=

和久井が過去5年だけ思い出せないのは、夫・波留=竹野内と過ごした

期間だし、思い出せなくなる直前には、2人の関係を何とかより良いもの

に変えようと頑張ってた。ところが、「映画お出かけ作戦」は失敗したの

だ。折角、お洒落してお出かけしたのに、夫のドタキャンによって。。

   

    

         ☆           ☆          ☆

いまや、『もう一度、』初回で登場した『いばら姫』というモチーフ(題材)の、

新たな意味、側面が見えて来る。前回の記事で書いたように、フランス系

の『眠れる森の美女』とドイツ系の『いばら姫』は、同じヨーロッパの似て非

なる古典的童話だ。そして、実は『いばら姫』のドイツ語原題に、姫という

言葉は入ってない。簡単に言うと、「いばら」(トゲのあるバラ)、あるいは

単に「トゲ」(のある低木)と言ってるだけなのだ。

       

すると、「いばら」とは、突然「眠り」に落ちて「トゲ」トゲしくなった和久井の

ことを指すだけでなく、和久井に刺さったトゲを指すとも考えられる。それ

はもちろん、ハル=竹野内だろう。トゲ=いばらとしての竹野内が、姫に

刺さってトゲトゲしくさせ、2人でいばらの道に迷い込んでしまった。「フラッ

グ」(先の展開を暗示する記号)が立ちまくってるので、この先、お金に苦

労することにもなりそうな気配だ(マンションのローンとか)。

      

可南子というバラが、カワイイ系の童顔と夫婦関係改善への(病気以前

の)熱意を誇示するのに対して、波留というバラは、壊れたものや仕事へ

の情熱を誇示する。しかし、そうした美しさの陰に潜むトゲこそ、問題だ。

そもそも波留がどうしてドタキャンしたのか。それは、壊れたオモチャの

修理に熱中したからだ。その時、彼は、見えないひび割れで壊れかけた

夫婦関係の方には気付いてなかった。優先すべき修理作業を、無意識の

内に忘れてしまったのだろう。。

         

    

        ☆          ☆          ☆

竹野内が「いばら」だと考えると、日本語タイトルに直せば「いばら姫」。つ

まり彼もまた、別のトゲに刺されて、ある意味で眠り続けてる「姫」(=バラ

のように美しい存在)かも知れない。

   

そうすると、彼を刺した別のバラに目が向くことになる。一見キレイなのに

トゲを隠し持つ存在。それはおそらく、彼の「親」だ。それが義父の宮本太

助(小野寺昭)か、彼に波留を預けた実の親か、あるいは両方なのか、そ

の辺りは来週の第3話から明らかになって来るだろう。今週の話の後半が

爽やかで心地良かったのは、あくまで嵐の中休み的なものに過ぎない。

    

ウチの記事も、ここで中休み的に、心がなごむ話に目を向けとくと、最後

のたい焼きの使い方は素敵だった♪ 

         

まずセピア色の回想映像で、赤い車(車種は多分トヨタ・カローラ・スプリン

ター)に乗った「最悪」のデートを振り返って、たい焼き屋さんを見つけた話

を伏線にする。実はそれが最高のデートだったと、可南子の密かな日記で

示した後、波留が実家(義父の家)へ何か探しに行って発見。何かと思わ

せて、2匹がつながるタイ焼き器の登場。

     

「甘すぎる」話だけど、たい焼きって物はそもそも、甘いアンコが売り物だ

し、私は甘党でもある。JUJUの主題歌『ただいま』の挿入もあって、ウル

ウルしてしまったのは事実だ。もちろん、「頑張りタイ」と「応援しタイ」、2匹

がつながるたい焼き器なんて、焼く時に切り離せばいいだけのこと。だか

ら、「つながった」のではなく、わざと波留が「つなげた」のだ。この甘い心

配りで、頑張りたい可南子と応援したい波留の気持ちがつながる。とりあ

えず、この時だけは。

       

それにしても、豆腐屋のチャルメラっぽいラッパの音とか、バイク、車、た

い焼き、江夏(プロ野球)、紙芝居っぽい朗読・・・ずいぶん古い昭和ネタ

を散りばめてるのは、単に中心人物2人の年代に合わせただけではない

気がする。中高年の視聴者をターゲットにした方針なのか、レトロによる

差別化戦略か。。

      

    

         ☆          ☆          ☆

ちなみに、レトロ(回顧的 or 回顧的なもの)の語源であるレトロスペクトや

レトロスペクティブ(retrospective)というのは、古典的な心理療法の基本

だ。それは、人間というものが本性として、レトロ(昔)をスペクトする(見る)

生き物だし、特に幼い頃の体験が心の奥に刻み込まれてるからだろう。

        

人間とは、現在を通して、未来へと生きていくものでもあり、また過去を生

きるものでもある。過去を生き直すことで、より良い未来を生きようとする

ことこそ、この物語の核心だろう。

            

ただし、その試みが本当に成功するかは別問題。「いつか壊れる物を直し

てる」という台詞は、壊れやすい物を支えてるというポジティブな意味と同時

に、直した後でまた壊れるというネガティブな意味をも含んでる。そして実際、

そういった展開は、心の病の世界では日常茶飯事なのだ。これはもちろん、

「いま壊れてないつもりになってるテレビ視聴者」にとっても、全く他人事で

はないだろう。

     

難しげな理屈に聞こえるかも知れないが、実はオンエア中には、カレー用

のネギを持った桂(倉科カナ)のショートパンツ姿に目線を奪われてたりす

る♪ 結局、そこかよ! マジメな話、あのコ、演技が自然でキュートだと

思う。グラビア・アイドル時代は何とも思ってなかったから、演技力の問題

か、あるいは女優として成長したんだろう。それでは、今日はこの辺で ☆彡

      

     

       

cf. 「眠れる森の美女」ではなく「いばら姫」

                  ~『もう一度君に、プロポーズ』第1話

   本気になったら時間なんて関係ない~『もう一度君に、プロポーズ』第3話

   退屈な作品とはどのようなものか~『もう一度君に、プロポーズ』第4話

   『もう一度君に、プロポーズ』第5話、軽~い感想♪

   意外にマトモな25km走♪&『もう一度君に、プロポーズ』第6話

   宮沢賢治『蛙のゴム靴』と、『もう一度君に、プロポーズ』第7話

   『ハーメルンの笛吹き男』と『もう一度君に、プロポーズ』第8話

   父の死、海への旅立ち

          ~『ビーチボーイズ』と『もう一度君に、プロポーズ』第9話

   波で留まったビーチファミリー~『もう一度君に、プロポーズ』最終回

               

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   なぜ『もう一度君に』最終回は最低視聴率7.9%に沈んだのか

   竹野内豊主演ドラマ、視聴率の推移&『流れ星』第6話

              

                                 (計 4171文字)

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受信: 2012年4月28日 (土) 21時49分

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