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未来を「一から」創り出すこと~小阪淳・高橋源一郎・平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年6月)

(☆13年4月28日追記: 最新記事をアップ。

 あの日から2年、疎通の深化~小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・13年3月) )

      

          

          ☆          ☆         ☆

朝日新聞・朝刊の月末恒例、大型複合記事、「論壇時評」。6月28日掲載

の記事は、小阪淳のCG、高橋源一郎の時評、平川秀幸のコラム、いずれ

も未来を新たに「創る」ことに関わるものだった。

    

高橋の時評タイトルが「つながる未来 一から創り出すということ」だから、当

サイトのレビューには、「未来を『一から』創り出すこと」と名付けておいた。

ポイントは、カッコを付けた「一から」という部分で、今回の3人の対比を明確

にするなら、「一から」全体を創るのが小阪、「二から」つながりを創るのが平

川、「三から」つながりを創るのが高橋ということになるだろう。

    

ちなみに、「ゼロから」創るのは、神とか宇宙論の話になる。われわれ人間

が何かを創るとき、もともと既に何かがあるわけで、それがどの程度あるの

かに注目することで、創造的営みを分類することが可能となる。もとに存在

するものが、多いのが良いのか、少ないのが良いのか、ケースバイケース

だが、現在の日本、あるいは世界のように混迷した状況だと、より少ない方

がクリエイティブなのだ。。 

        

     

          ☆          ☆          ☆

さて、毎月の最終木曜日、心地良い緊張感を味わうことが出来る小阪淳

のCG。時評やコラムはすぐに一通り読むことができるが、小阪のCGを

見ると、いつもまず苦笑してしまう。非言語的な暗号みたいな内容によっ

て、言語的思考や情報が揺さぶられ、まずは途方に暮れる状態に近くな

るからだ。ここでは、「一から」解釈を創り出すことが要求されている。

     

ただし、「ゼロから」ではない。例えば、今回の「テクノロジー」と題する作

品は、全体的に、尖閣諸島の購入問題を扱った4月の作品、「家の家

の家」に似ている。広がる海の描き方が少し似てるし(前回は中国の水

墨画的、今回は写真的)、下半分に大きく主要な表現を持って来た構図

も同様だ。4月は魚釣島だったが、今回は原子炉らしき2つの建築物。

    

しかし、この原子炉は海の上に突き出るのではなく、海に創り出された

巨大な直方体の穴の中にあり、周りを緑が囲んでる。シニカルな笑いを

誘うのは、この穴の外周に防波堤のようなものがほとんどないこと。これ

では、「想定外」の大津波どころか、想定内の波でさえ防げないだろう。

   

もちろん、「テクノロジー」と題する作品だから、ひょっとすると海全体に免震

装置みたいなものを付けてるのかも知れない。しかし、広い海に少なくとも

3ヶ所の穴(おそらく5ヶ所以上)があることを考えると、少なくとも100年以

内には免震装置を実現できそうもない。完全防水の海底用原子炉も、しば

らくは無理だろう。

         

すると、この穴は海水で満たされ、直ちに廃炉となるのだろう。もし、そう考

える「だけ」なら、これは当然、関西電力・大飯原子力発電所の3号機・4号

機の再稼働への皮肉にすぎないことになる。イメージ(画像=心像)的には、

使用済み燃料プールの中に、原子炉ごと沈められる形なのだ。あるいは、

燃料プールの中の水を、外に出した形にも見える。半-無限的な水が必要

とされてるから、外に出すと大海原になってしまうという皮肉だ。。

       

    

          ☆          ☆          ☆

けれども、これまで毎月、小阪の作品を丹念に読み解いて来た私には、単

なるそうした反原発的作品とは思えない。普通の作品や思考なら、原子炉

を囲む「緑」は素晴らしい自然だろうが、小阪の場合は「緑」との距離感もしっ

かり保っている。実際、穴を海水が満たすと、緑も死に絶えるだろう。そし

て、CG全体を見渡した時、緑が残る場所は他にほとんど無い。

            

では、原子炉も緑も海に沈んだ未来には、何が残るのか。ここでCGの上

側に目を向けると、富士山らしき火山から噴煙が上がっている。ただしこ

の火山、周りの陸地が全くない。ということは、富士山だけ残って、日本列

島の他の部分は沈んでしまったのだろう。

   

実際、6月初め以降、静岡県を中心に、富士山噴火の可能性が改めて検

討され始めたようだ(追記: 7月1日の朝日・朝刊でも大きく掲載)。大地震

に誘発される場合もあるし、逆に噴火が大地震を誘発する場合もある。地

底の同じ原因から両者が同時並行的に発生するケースもあるだろう。歴史

上ハッキリ確認できるものの中では、約300年ぶりとなるらしい。

            

こうなると、SFに詳しくない私でさえ、1年前に他界した小松左京のベストセ

ラー、『日本沈没』(光文社,1973)をおぼろげにイメージしてしまう。読ん

ではいないものの、6年前にはリメイク版の映画もヒットしてるし、題名とあ

らすじだけでもかなり内容を想像できるのだ。06~08年には新たな漫画

も連載されたらしい。

    

ちなみにウィキペディアによると、原作ではすべて沈没、06年版映画では

部分的に残るようで、富士山だけ残るというのは小阪が創り出したイメージ

と言っていいかも知れない。おそらくこの構図は、尖閣の未来像も重ね合

わされてるのではないか。つまり、そこではメタファー(比喩)的に「噴火」と

呼べるような出来事が生じて、誰もそこに生き残ることは出来ないのだ。。

         

   

          ☆          ☆          ☆

では、人間はどこに活路を見い出すのか。陸の上でも、海の穴でもなく、

海の上。そこで、船の上に「家」を建てて、浮遊しながら暮らして行く。これ

こそ、「テクノロジー」がもたらす日本の姿だ。終末か端緒かはさておき。

     

船の上の「家」として目立ってるのは、ミース・ファン・デル・ローエ的な近代

的ビル。コンクリートの直方体を組み合わせた均質なデザインが典型で、

今でも至る所にあるものだ。

           

狭い「土地」を有効かつ安全に利用しようとすると、こういった形が有力候

補になるわけで、いまや船の上しか「土地」がない状況だから、船上にビル

がそびえ立つのはさほど不自然ではない。少なくとも、風やバランス、重さ

などを考えない、単純な理屈としてなら。実際、直方体のコンテナなら、以

前から高く積み上げて運んでるわけだし、コンテナで作った小奇麗な仮設

住宅も役に立ったようだ。

     

一方、私が「家」という言葉を出したのは意図的であって、それはここでも

4月のCG、「家の家の家」を思い出すからだ。よく見ると、いくつかの船の

上には、近代的ビルの代わりに判別不能な小高い盛り上がりがあるのが

分かる。これを拡大すると、ひょっとすると低い建築物なのかも知れない

が、朝日新聞デジタル掲載のカラー画像をチェックしても、よく分からない。

    

それならやはり、「家の家の家」で上半分に小さく描かれていた、尖閣諸

島の小島を思い浮かべる所だろう。小さ過ぎて、島自体には実用性がな

いし、話題にもなりにくい島。たとえば、北小島と南小島など。なぜ、船の

上に尖閣の小島があるのかと言うと、単なる過去の作品とのリンクという

意味もあるだろうが、やはり石原慎太郎・都知事の存在を思い出す。

    

     

         ☆          ☆          ☆

4月に尖閣購入プランで話題となった石原は、橋下徹らとは違い、昔から

の原発支持派で、3・11の後も時々、東京湾に原発を作る話を持ち出し

てるようだ。そこで、改めて今月のCGを見ると、遠くに富士山が見えると

いうことは、手前の海の穴(原子炉&緑)は東京湾なのかも知れない。も

ちろん、もはや東京も沈没した後だから、「かつて東京湾と呼ばれてた辺

り」と言う方が正確かも知れないが。

          

結局、東京都あるいは石原都知事は、購入した尖閣の小島を船に載せて、

何とか存続してるのかも知れない。そうなると、もっと立派な近代的ビルは

小型の国家中枢、霞が関ということか。

      

いずれにせよ、核戦争による全地球の破滅よりは、日本だけが壊滅的打

撃を受ける方が先だろうし、可能性も高そうだ。『創世記』の天地創造にお

いても、自然科学的な地球の歴史においても、海という存在は根本的な位

置にある。そう言えば、大津波が来た時、船は湾から沖に逃げたという話

も聞いた覚えがある。

      

「形あるもの、いずれ消え去る」のであれば、形のない、日本を取り囲む海

というのは、確かにテクノロジーを発揮できる場所かも知れない。別に、日

本全体の沈没など考えなくても、主要な部分の移設先を海に創って存続さ

せるというのは、テクノロジー的には一応可能だし、地震・津波対策を「一か

ら」変える発想でもある。今現在、陸地で生きのびる話ばかりなのだから。

    

なお、新たなシステムを、「ゼロから」ではなく「一から」創り出す時、もともと

あった「一」と類似するのは自然なことだろう。海の船の上で生きのびる近

未来テクノロジーの姿が、東南アジアなど発展途上国の水上生活に似てる

のは、皮肉と言うべきか、あるいは自然の摂理と言うべきだろうか。これを

文明の後退などとネガティブに感じない思考こそ、実は精神的テクノロジー

の進化なのかも知れない。。

         

     

         ☆          ☆         ☆

一方、高橋源一郎の時評は、自らと両親との、病院での淋しい別れからス

タートする。それに対比されるのが、滋賀県の小さな集落=共同体におけ

るお見送りの身近さと明るさだ(國森康弘の写真集『いのちつぐ「みとりび

と」』)。

    

そこから、吉田徹「いかに共同性を創造するか」(『世界』7月号)に向かい、

「いま必要なのは・・・・・・新しい共同性を創造すること、新しい意味を持っ

た『人々』を創り出すことなのではないか」と語る。ちなみに、政治の世界的

流れとなっているポピュリズムとは、人々の声を代弁すると訴えることで、

人々に「意味」を与えること(「あなたはマイノリティ」、など)だとされている。

     

ここまではわりと普通の話であって、小阪との比較で言うなら「二から」創り

出す話のようにも見えるが、その後に続く具体例が問題なのだ。新しい共

同性の創造例として挙げられるのは、東京・高円寺のリサイクルショップ「素

人の乱」を中心とする脱原発デモと、フランスで2008年に初めて出来た、

原発下請け労働者の健康のための市民団体。またしても反原発的な話の

みが取り上げられている。

     

何度も書いてるが、去年の4月に高橋が時評を担当し始めた時、彼の姿勢

は「一から」、あるいは「二から」創り出すものに近かった。ところが、それは

僅かな期間にすぎず、その後はひたすら反原発・左派の立場へと話を運ぶ

ようになっている。その点は、平川のコラムと比較しても明らかだろう。

     

    

         ☆          ☆          ☆

「科学」をテーマとする平川秀幸のコラム、「あすを探る」。去年から数えて第

3回となる今回のタイトルは、「国民的議論深める場作りを」。エネルギー・環

境戦略に関する国民的議論を深めるために政府が打ち出した、「討論型世

論調査」の導入の話からスタートしている。

      

少し前のニュース報道にあったように、まず普通の世論調査みたいなアン

ケートを行い(全国、無作為抽出、3000人)、回答者の中から、討論会

の参加者300人ほどを募って、専門家も交えて討論&学習&質疑応答。

その後、最初と同じアンケートに回答して、意見の変化を考察することで、

政策形成の参考にする。

    

熟慮と学習に基づく「洗練された世論」を得やすいという建前が、どの程度

現実のものになるのか、やってみないと分からない所はあるが、確かに興

味深い試みではある。平川は、科学技術一般の政策における決め方のイ

ノベーション(技術革新)と呼んでるが、小阪の表現なら、考察&決定の新

たなテクノロジーだろう。

     

討論型世論調査の導入に当たっては、質問、資料、選択肢、専門家の人

選など、準備段階の熟慮が望まれるわけで、それは平川の言う通りだ。し

かし、準備に時間を掛け過ぎると、現在の状況には間に合わないし、肝心

の討論型世論調査になかなか辿り着けないだろう。政府の不用意さや拙

速さを批判するより、実際に試してみながらイノベーションを勧め、テクノロ

ジーを磨いていく方が良い。

           

実際、平川の結論も、ノーを突きつけた後で、イエスと言える未来を探るこ

とが求められていると語っている。もはや、「イエス」=肯定的決定を創りだ

すべき時なのだ。欧州に続き、日本社会の各地でも「フューチャーセンター」

が設置され、様々な人達が一緒に熟慮&創造を目指してるそうだから、「つ

ながる未来(フューチャー)」を創り出すことの一例でもある。ただし、「一か

ら」と言うほど新しくもない話だから、「二から」創り出す試みだろう。平川は

過去2回のコラムでも、かなり普通の話を手際良くまとめていた論者だ。

     

しかし、高橋のように「三から」というわけでもない。平川も、中立的考察の

重要性を語りつつ、よく読むと脱原発派の側を支持している。と言うのも、

かつての「やらせタウンミーティング」を批判する一方で、再稼働反対デモ

に対してはやや肯定的な語り口となってるからだ。しかし高橋と違って、な

るべく中立的な所から新たに始めようという姿勢は一応保たれている。そ

の意味では、より「創造」的、クリエイティヴなのだ。

      

結局、あらためて3人を比べると、小阪が近未来の中立的な破壊的再生

&サバイバルを描いてるのに対して、平川はやや左寄りながら中立的議

論の端緒を描き、高橋は完全に左派の原点を描いてる。今、本当に大切

なのは、「一から」、あるいは「なるべく一に近い所から」、社会の新たなあ

り方を模索し、創り出していくことだろう。

     

それでは、今月はこの辺で。。☆彡

    

    

    

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

cf.震災後、身の丈超えぬ「ことば」に希望

      ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞) (11年・4月)

  非正規の思考、その可能性と危険性

         ~高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・5月)

  みんなで上を向いた先に真実はあるか

         ~高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・6月)

  スローな民主主義と『スローなブギにしてくれ』

          ~高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・7月)

  柔らかさ、面白さが無ければ伝わらないのか

          ~高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・8月)

  人を指さす政治的行為のマナー

          ~高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・9月)

  希望の共同体を楽しく探るために

          ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・10月)

  アート・ロック・ゲーム、多様な変革運動

    ~高橋源一郎&濱野智史&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・11月)

  どの常識をどう疑い、何に立ち向かうのか

    ~高橋源一郎&小阪淳&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12月)

  対称的な関係の中にある前進

    ~高橋源一郎&小阪淳&森達也「論壇時評」(朝日新聞・1月)

  現在の中に過去を見ること

    ~高橋源一郎&小阪淳&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・2月)

  自ら切りひらく主体相互の共生

          ~小阪淳ほか「論壇時評」(朝日新聞・3月)  (未完)

  「常識がない」ということの意味

        ~小阪淳ほか「論壇時評」(朝日新聞・12年4月)  (未完)

  破壊と建設、善意と悪意

   ~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年5月)

  古きを温め、新しきを育む

   ~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・12年7月)

  変える楽しみ、保つ安らぎ

     ~小阪淳・高橋源一郎・菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・12年8月)

  不変の変化という、不変の夢

   ~小阪淳&高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・12年9月)

  方舟の針路、風任せにしない

  ~小阪淳&高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・12年10月)

  和解の方向、未来からの審判

   ~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年11月)

  アートとツール(道具)

   ~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年12月)

  対話するインテリジェンス

    ~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・13年1月)

  ひとりで揺れる時の振幅

    ~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・13年2月)

                     

                                  (計 6426文字)

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