変える楽しみ、保つ安らぎ~小阪淳・高橋源一郎・菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・12年8月)
(☆13年4月29日追記: 最新記事をアップ。
あの日から2年、疎通の深化~小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・13年3月) )
☆ ☆ ☆
朝日新聞・朝刊、月末恒例の大型複合記事、「論壇時評」。今日、2012年
8月30日の記事では、あるまとまった領域をめぐって、3人の論者がそれ
ぞれの観点から語ってた。CGの小阪淳は、「島」という観点から。メインの
時評担当の高橋源一郎は、「社会」。コラムの菅原琢は、「日本政治」。
ある意味、分かりやすくて刺激的=挑発的なのは高橋の意見であって、実
際かなり話題になってるようだが、彼がかなり左寄りの論者だと知ってる者
にとっては、あらためて驚くような「内容」でもないだろう。まあ、視聴率10%
台前半のテレビ報道番組でコメントした「行為」には、多少の驚きはあるが。
ここではいつものように、小阪から扱って行こう。CGという非-言語的表現
の特性もあって、明確な強いメッセージを発してる訳ではないが、最も広く
て中立的な立ち位置を「変わらず」に「保つ」論客だ。「保守」という意味では
ないにせよ、動的な安定感のようなものをもたらしてくれる。。
☆ ☆ ☆
「現代社会をイメージした作品」とされてる小阪淳のCG。今回のタイトルは
「島」。この夏、話題の「島」と言えば、「竹島」(=独島)と「尖閣諸島」(魚釣
島=釣魚島ほか)だろうが、領土問題という意味では、北方領土(択捉島、
国後島、色丹島、歯舞群島)も同様の注目に値する。
そう思って、小阪の作品を新聞紙面とネットのカラー画像でじっくり見たが、
どうしても尖閣と北方領土の姿は見出せない。だまし絵のような仕掛けが
あるのかも知れないが、尖閣は既に4月に扱ったものでもあるし、今回は
直接的には「竹島」が中心的モチーフなのだろう。ちなみに、韓国の李明
博(イ・ミョンバク)大統領が竹島に上陸したのが8月10日。香港の活動家
らが尖閣・魚釣島に上陸して逮捕・強制送還となったのが8月15日だった。
「島」という言葉を、日本語の中規模の代表的辞書3つ(岩波書店『広辞苑』、
小学館『大辞泉』、三省堂『大辞林』)で引くと、いずれも似たような意味が出
る。つまり、海・湖・川など、水に囲まれた比較的狭い陸地、という意味だ。
それに対して、英語の「island」を、小学館『プログレッシブ英和中辞典』と
三省堂『新グローバル英和辞典』で引くと、「島」という意味と共に、「孤立した
もの」という意味が出て来る。別に「isolate」のように動詞形に変えなくても、
「island」のままで「孤立させる」という動詞の役割も果たすようだ。日本でも、
「島」という言葉には孤立のニュアンスが多少入ってるが、英語の「island」
の方が孤立のニュアンスがやや強いのだろう。
その微妙な違いはもしかすると、島国・日本に対するイメージとも関係する
のかも知れない。特に、英語圏の中でも、アメリカ「大陸」にとっては。ちなみ
に竹島の英語名は「Liancourt Rocks」。フランスの船「リアンクール」が
難破させられそうになった「岩礁」という意味だ(1849年)。。
☆ ☆ ☆
タイトルに続いて、CGそのものを見てみよう。今現在、いつものように朝日デ
ジタルの朝刊のページで、カラー画像が無料公開されてる。紙面の方は白黒
だ。今回は白黒でも分かりやすいが、カラーだと、陸、海、雲、宇宙の違いが
より鮮明になってる。
画像の中央には大きく「日本海」が描かれてる、と書いた途端に、早くも国際
問題が浮上する。「日本海」という呼称にも韓国からクレームがあり、「東海」
という呼称の併記を求めてるとのこと。現在、ブラジルやオーストラリアなど
数ヶ国の教科書で併記され、9月からオーストリアの地理教科書でも併記さ
れるそうだ(産経HP、12年6月27日)。
ちなみに左図は、
ウィキペディア
の「竹島」の項
目より。度々引
用させて頂いて
るウィキ「メ」
ディアと違って、
特定の単独の作
者というのは存
在しないので、ここでも表記しない。
CG自体に戻ると、日本海(=東海)の竹島の辺りには、日本を中心とした世
界地図が縮小して置
かれてる(左はウィ
キメディア、作者
USGS)。五大陸
とグリーンランドな
どの島。「大陸」と
「島」の違いは便宜
的なもので、地理学的にオーストラリア以上の陸地が大陸、グリーンランド
以下が島とされてるようだから、大きく根本的に見るなら、すべて水に囲ま
れた島と言っていい。
そしてCG全体は、宇宙という「海」に浮かぶ、地球とい
う「島」だ。左は小阪に少し似せて、Google Earthの
画像を加工したもの。実際の小阪のCGでは、竹島辺
り(左図の一番下)が大きく強調されてる。
したがって、ミクロからマクロまで、竹島→世界各国を
構成する島々→地球という島、といった連鎖が形成さ
れている。島→より大きな島→もっと大きな島。これは
フラクタル画像的な構造、大きさを変えた同一形式の
反復&複合であって、4月の作品「家の家の家」で既
に説明したものだ。CG的であり、アルゴリズム建築
的でもある。ちなみに小阪は、一級建築士でもある
ようだ(ウィキペディアより)。
☆ ☆ ☆
この作品を、平凡な教訓として読み解くなら、例えば次のようになるだろう。
──竹島どころか世界の大陸でさえ、あるいは地球全体でさえ、島のような
小さい存在。孤立した各国が争うよりも、みんなで一緒に生きて行こう──。
これはあり得る解釈だし、特に左寄り(リベラル)の人達の一般ウケも獲得
できそうだが、小阪の作品は常に多義的で、深みや厚みが豊かなのだ。
私ならむしろ、別の解釈が浮かんで来る。
作品全体だと、宇宙の部分はごく僅かで、ほとんどが地球だ。ということは、
たかが一惑星、されど一惑星。「地球人にとって」、やはり地球が最も重要
なのだ。その地球において、「日本人にとって」基本になるのは、日本を中
心とする世界。実際、日本の世界地図もしばしばそうなってるし、五輪報道
も圧倒的に日本の活躍中心だった。英国が大活躍したからこそ、英国も盛
り上がった。良し悪しはさておき、国籍など無関係などという建前を吹き飛
ばす本音の現実だ。
そして、2012年・夏の日本人にとって、非常に大切な問題は、「島」と「島」
の境界に位置する竹島なのだ。日本は極東の列島だし、韓国(&北朝鮮)
もユーラシア大陸という巨大な島の端に位置する小さな部分。すなわち、日
本も韓国も二重の意味で、「島」となってる。「島の島」と言ってもいい。
もちろん竹島の問題は、日本と韓国だけの話ではない。北朝鮮、ロシア、中
国、米国はもちろんのこと、領土争いとか国際紛争として考えれば、世界中
が関係する話だろう。たとえば、国際司法裁判所(ICJ)への提訴の経緯&
結果は、各国の参照ポイントの一つになるはずだ。問題を抱えてない国な
ど、少ないはずだから。あの「世界一幸せな国」ブータンも、中国との国境問
題を抱えてるようだ。
高度にグローバル化した世界において、それぞれの「島」が孤立したまま存
続するのは難しいが、それぞれの「島民」にとって、自らの島は最も大切だし、
隣の島との関係には気を使う。これが、国内の一つ一つの「家」という「島」
同士の揉め事なら、日本国の法や司法・行政にある程度以上頼ることが出
来る。例えば、庭の木が隣にはみ出した場合とか、飼い犬の鳴き声が隣ま
で響いて来た場合とか。
ところが、国という「島」同士の場合、国際法や国連にはさほど頼れない。だ
から、当事国同士の交渉とか、自国の防衛が大切なわけだ(法整備や同盟
関係も含めて)。もちろんそれは、経済とか雇用といった、一般人にとって身
近な話にも関わって来る。
☆ ☆ ☆
たかが島、されど島。とりわけ日本列島の島民にとって、未知の(巨大な)
海底資源は除いて漁業関連だけ見るとしても、少なく見積もって数十億円
が絡む話であるし、今後の別の領土問題(尖閣、北方、その他)にも影響
しかねない。
韓国に実効支配されてる竹島に関して、具体的にどう対処すべきか。逆に
尖閣を実効支配してる日本としては、非常に悩む所だが、島民の一人とし
ても、当分の間は注視して熟考せざるを得ないだろう。もちろん、島を超え
た地球規模、宇宙規模の視点も、多少は合わせ持ちながら。
変えるべき部分は変え、保つべき部分は保つ。あるいは、それを目指して
思索する。どちらが大切という話ではない。いずれも大切で、人間的な充実
感も味わえることなのだ。。
☆ ☆ ☆
続いて、高橋源一郎によるメインの時評についても簡単に。今回のタイトル
(見出し)は、「新しいデモ」、「変える楽しみ 社会は変わる」。もう、本文を
読まなくても内容が分かってしまう気がする左派的タイトルだが、冒頭のエ
ピソードは知らなかったので、多少は興味深かった。
テレビ朝日の『報道ステーション』に出て、尖閣への香港活動家の上陸に
ついてコメントを求められた時、「正直に」次のように答えたそうだ。
「そんなことは、どうでもいい問題のように思う。『領土』という国家が
持ち出した問題のために、もっと大切な事柄が放っておかれるこ
との方が心配だ」。
帰宅すると、ツイッターには無数のリプライ(返事)が届いており、罵倒や
否定のことばが躍っていたとの事。
私は前から、高橋がかなり左寄りの論者だと知ってるし、左派の意見とし
ては特に目新しくもないから、「罵倒」する気はしない。ただ、1000万人程
度の視聴者を相手にするテレビの生のコメントとしては、「否定」にやや近
い「疑問」を抱いてしまう。
と言うのも、彼の「どうでもいい」という言葉はまさに、「どうでもよくない」大
勢の人達にとって「罵倒」や「否定」に聞こえるからだ。番組で受ける質問
は、あらかじめ想定できたはず。似たようなコメントでも、「そんなことは、
どうでもいい問題のように思う」という一文を省略するだけで、遥かに刺激
は弱まるだろう。
激しく感情がぶつかる話では、ちょっとした言い方や繊細なニュアンスは非
常に重要だ。あえて具体的には書かないが、高橋の側にとって「大切な事
柄」について、もし政治家や学者が「そんなことは、どうでもいい問題」だと
語ったら、一騒動起きるだろう。小説の台詞や、読者が1万人以下の論文
の文章なら別として。
☆ ☆ ☆
一方、社会を変える楽しみという主題は、左の思想・行動の核心であって、
それは二つの要素に分解できる。一つは、変えることが楽しい、という考え。
もう一つは、変えることは正しい、という考え。前者をリアルに実感し、後者
を何となく想定しながら行われてるのが、現在の脱原発デモなどだろう。
洋服にせよ、デジタル家電にせよ、持ち物を新しく変える時には、ワクワクし
た楽しさが伴う。しかし、デジタルの場合、しばしば新しい物の方が高性能だ
が、洋服だとそうゆう訳でもない。また、どちらの場合も、変えるにはお金と
手間ひまかかるし、古い物は相手にしなくなりがちだ。再生可能エネルギー
とか持続可能な社会を声高に語るのに、なぜ社会体制についてはひたすら
変化(or 革命)を求めるのか。なぜ、変化が正しいと確信できるのか。
高橋自身、佐藤卓己(東京新聞・8日28日夕刊の論壇時評)を引用しつ
つ、「『デモによってもたらされる社会』は、必ずしも幸福な社会とは限らな
い」という懐疑には十分な理由があると認めてる。典型的な例は、ドイツ
のナチ党だ。
これに対して高橋は、今のデモはより良いものなのだという論法で応じる。
「ナチ党が主導したデモや集会は『独裁と暴力』を支えるものだった。いま、
ぼくたちが目にする『新しいデモ』は、その『独裁と暴力』から限りなく離れる
ことを目指しているように見える」。
私にも、今のデモは、「独裁と暴力」から「ある程度」離れることを目指して
るように見える。しかし、「限りなく離れる」方向には見えない。柄谷行人
(『世界』9月号)が言うように、デモで社会が、「人がデモをする社会」へと
変わるのはその通り(or 当たり前)だし、それにも評価すべき点はあるだ
ろう。しかし、社会の変革を求める直接行動は、社会の保持を求める人々
と「衝突」するし、行動に先立つべき、ある程度の学習や思考、セルフ・コン
トロール(自己抑制)が伴わない可能性も十分あるのだ。
(☆追記: 柄谷の文章をチェックしてみた。人文系の文章としては興
味深いが、「人がデモをする社会」がなぜ善いのか、肝心
な理由は具体的に説明されてない。岩波の雑誌なら、デモ
の価値は大前提ということか。カントを断片的に引用して、
デモは単なる手段ではないとし、ルソーを断片的に引用し
て、代議制民主主義を批判するのみだった。ただ、和辻哲
郎の『風土』を引用して、日本人の「公共性への無関心」を
語る部分には、ある程度賛同する。)
高橋によると、小熊英二の分厚い新書『社会を変えるには』(講談社)に
は、「他人とともに『社会を作る』ことは、楽しいこと」だと書いてるそうだ。
この文章自体はさほど間違ってないと思うが、楽しいことが善いこととは
限らないし、楽しくないことでも大切なこと、充実すること、安らげることは
いくらでも存在する。単なる観念的イメージで「新しいデモ」の魅力を語っ
ても、左派内部での自己肯定の枠に留まっている。そもそも、楽しい事な
ど、他人と衝突しないものが他にいくらでも手近にあるのだ。
高橋がデモの楽しさを強調する時、例示する中心は、米国・ニューヨークそ
の他の「オキュパイ・ウォールストリート(OWS)」運動と、日本の「金曜デモ」
であり、シリアの混迷には触れてない。自分たちが集って相手を倒す運動に
は、相手側の社会集団もあり、勝敗に関わらず戦闘や被害も生じる。2万
人以上とも言われる大勢の人が死に、街が破壊されてる現実があるのだ。
もし高橋が来月、「続・新しいデモ 変える苦しみ 社会は変えにくい」と題す
る時評を書くなら、私は評価するが、考えにくいことだろう。バブル期以降の
左派は、「楽しい」とか「面白い」といった言葉や感情を強調する傾向がある。
なお、「戦いに犠牲は付きものだ」と反論して来るなら、「どの程度のメリット
のために、どのくらいの犠牲リスクを許容するのか?」と私は問う。社会を
変えるか、変えないかといった議論には、冷静な分析や議論が不可欠なの
だ。とりわけ、イメージ的な楽しさなどではなく、定量的・確率的な比較と、そ
れに基づく選択こそ、今求められてるものだろう。
今朝、朝日の朝刊1面に大きく掲載された南海トラフ地震なら、数十万人
死亡という刺激的な見出しを強調するのではなく、それは何年以内に何%
の確率で起きるのか、そこまでセットの情報とすべきなのだ。いつ、どの程
度起こりそうなのか。そうした情報こそ、人間の選択のスタート地点だろう。
残念ながら、8月29日に内閣府が発表したpdfファイル群に1時間がかり
でアクセスしても、「現在の知見では発生確率を想定することは困難である
が、その発生頻度は極めて低い」という言葉くらいしか見当たらなかった
(『南海トラフ巨大地震の被害想定について (第一次報告)』)。これで「正
しく恐れてほしい」(『報道発表資料』)と言われても、一体何が「正し」いの
だろうか。。
☆ ☆ ☆
最後に、コラム「あすを探る」について、少しだけ。今月は、政治がテーマで、
担当する論壇委員は菅原琢。タイトルは、「多くの人々の声すくうには」だ。
現在の民主党の政府は、原発政策の策定に当たり、様々な方法で民意を
探っている。パブリック・コメント、意見聴取会、メディアの世論調査の収集、
討論型世論調査の主催など。経過のネット公開などで、双方向性も確保。
自民党政権時代よりは遥かにオープンな政策決定過程となってる。
しかし結局、今でも政治家や政党は、「社会のごく少数としかつながってい
ない」。取り残された多数(無党派層など)によって、内閣支持率の大幅下
落、極端に振れる選挙結果などが生じ、更なる混迷の要因にもなっている。
こうした構造的問題をどうすべきか。これは、われわれの問題であり、決め
るのもわれわれなのである。。
☆ ☆ ☆
一見、いかにも気鋭の東大・准教授らしい、しっかりした議論に見えるが、気
になる点もある。最後の処方箋の提示がないのは差し当たり仕方ないとし
てもいいし、少数とか多数という時の数値データが全く示されてないのも、コ
ラムだから良しとしとこう。菅原の実力なら、そんなものは直ちに明確に示
すであろうことは、私も認めてる。
ただ、政治学者だからなのか、政治の混迷の理由を、政治家や政治構造
に求めている。例えば、「社会保障制度の改革が遅れ、財政赤字が拡大し、
少子化が止まらないのは、歴代政権下で議員が個別利害の要求や調整に
終始し、全体の問題の解決をおろそかにしてきたためである」という終盤の
主張。
これまでの議員に責任をかぶせる、一般ウケしやすいものだが、素晴らし
い議員が次々と問題解決するシーンなど見たことが無いことを考えると、
無いものねだりの理想論、あるいは事の深刻さの単純化のようにも見え
てしまう。テレビドラマという虚構の世界でさえ、勧善懲悪の超人が主人公
の『水戸黄門』は終了してしまったのが現状だ。
こうした議員や政治構造しか現実には生じないのなら、問題そのものが複
雑で解決困難だと考えるのが自然だし、議員や政治構造の背景にある社
会全体の限界とも見て取れる。そうした点が薄々分かってるからこそ、最
後から二番目の段落は、単なる疑問の提示で終わってるのだろう。「この
構造的問題はどのようにして解消されるのだろうか?・・」。
そして最後の段落は結局、われわれの問題なんだという確認。「われわれ」
の大半は政治家ではないから、そうした普通の人々が何をどうすべきかが
問われてる。興味深いことに、菅原のコラムにはデモという言葉は全く入っ
てないが、高橋・柄谷・小熊なら、デモという直接的な変革運動が大切だと
いうことになるのだろう。
☆ ☆ ☆
政治構造の変革やデモも、選択肢や可能性としては認めるが、単なる個人
や民間のレベルなら、もっと直接的に問題に関わることが出来る。無理のな
い程度に欲望や無駄な出費を抑え、心身を健全に保つことは、財政の健全
化や医療費減少、活力の増加につながり、引いては少子化対策にもつなが
るだろう。
国家や社会を変えること、保つことも有意義だが、複雑難解でコストも色々
かかる。それに対して、自らの心身を変える楽しみ、保つ安らぎなら、自力
で比較的簡単に得られるのだ。直接的な国民医療費だけでも、平成21年
度で36兆円。同年の社会保障給付費の中でも、保険医療は2番目(30%)
で、30兆円。心身が健康なら、働くことで社会貢献できるし、税金を納める
ことも出来る。
当サイトが一応、スポーツ系の体裁を保ってるのは、国家とか社会の他に、
もっと身近な自分自身についても身体で考えて行こうということだ。社会を
対象とする思想と、自分を対象とする倫理。前者が崇高で壮大、後者が卑
俗で矮小ということでは全くなく、この両者のバランスとつながりを模索す
ることこそ、個人が社会の中で生きるということだろう。
われわれという島の中で、私という個人がどのように振舞うのか。その点
がまさに今、問われてるのだ。それでは、今月はこの辺で。。☆彡
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞) (11年・4月)
~高橋源一郎&濱野智史&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・11月)
~高橋源一郎&小阪淳&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12月)
~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年5月)
~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年6月)
~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・12年7月)
~小阪淳&高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・12年9月)
~小阪淳&高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・12年10月)
~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年11月)
~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年12月)
~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・13年1月)
~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・13年2月)
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