対話するインテリジェンス~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・13年1月)
(☆13年4月28日追記: 最新記事をアップ。
あの日から2年、疎通の深化~小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・13年3月) )
☆ ☆ ☆
既に新聞記事から4週間近く経ってしまったが、いつものように、朝日新聞
の論壇時評についてレビューしよう。2013年1月31日の朝刊に掲載され
たものだ。今回は、小阪淳のCG、高橋源一郎の時評に加えて、森達也の
コラムという構成になってる。その他は、論壇委員が選ぶ今月の3点と、担
当記者が選ぶ注目の論点。最後はあとがき的コラムで「論壇委員会から」。
いつもと同じく、小阪淳から論じ始めて、これを中心にするが、まず高橋の
時評を少しだけ参照する所からスタートしよう。タイトル(見出し)は、「イン
テリジェンス 対話するのはキミだ」となってる。ライムスターという人気
ヒップホップ・グループのインタビューや歌詞が元になったものだ。
パラドクシカル(矛盾的)なことだが、今回もまた、最も「対話」してるのは小
阪のCGだろう。絵画という非-言語的な表現を用いつつ、自ら「他者」と対
話すると共に、読者=閲覧者を対話へと誘っている。ただし、このCGと対
話するためのインテリジェンス=知性は、暗黙の必要条件なのだ。
☆ ☆ ☆
言語的な情報はほんの僅かしか与えられてない。毎回、「現代社会をイメー
ジした作品」とされ、今回のタイトルは「力と力」。表面的には、前回より簡単
かも知れないが、一瞬だけ見て終わりとされる可能性が高そうだ。画像全
体が暗い上に、正直、あまり心地よい外見ではないからだ。
もちろん、先月話題にした会田誠も語るように、芸術とは心地よいものとは
限らないし、それで構わない。「『人を不快な気分にさせないこと』という制
限を芸術に課してはならない」のだ(毎日新聞HP、2月7日)。ただし、自主
的抑制や年齢制限など、一定の社会的配慮は条件として。
小阪のCGに戻ると、縦長の長方形の画像は、日の丸の中心辺りを拡大し
たような構図になっている。ということは、大きな丸の左右は、長方形から
はみ出してるのだ。日の丸は、問題が基本的に国内レベルのものである
ことを示すと共に、国家そのものや国家的な権力が絡んでることをも示し
ている。
もちろん主題は、学校教育などにおける体罰に関する論争だろう。大阪市
立桜宮高校の2年生、バスケ部主将の男子が、体罰による(とされる)自殺
を行ったのが12月23日。前回の論壇時評の3日後のことだ。1月15日に
は、橋下徹市長が、体育科などの入試の中止を要請。さらに1月末には、
女子柔道トップ選手たちへの暴力的指導も表面化し、日本全体を巻き込む
体罰問題となってるわけだ。
この問題への全体的論調を見渡すと、3.11以降の原発問題と似た部分
に気付く。体罰も原発も昔から存在して、大きな事件があるまではさほど問
題視されなかった。ところが、事件をキッカケに騒がれ始めると、一気に世
論は反対へと傾いて行く。しかも、双方に強く反対する有名人や主体には、
ある程度の共通性が見られる。例えば、まさに朝日新聞がその一例だ。
しかし、原発にせよ、体罰にせよ、声に出さずに「部分的に容認」する人、あ
るいは「全否定まではしない」人というのは、相当な数に達してるはずだ。そ
れは、最近の朝日新聞の全国世論調査(2月16、17日)を見ても感じ取れ
る訳で(後述)、この辺りを見極めるには、やはりひとまず、なるべく中立的、
ニュートラルなポジションが求められる。その意味で、小阪は立ち位置が優
れてるのだ。。
☆ ☆ ☆
では、CG自体に戻るとしよう。紙の新聞は白黒だが、朝日新聞デジタルの
カラー画像を見ると、丸の部分は単なる赤ではなく、赤黒い色になってる。
これは、デザイン(柄)も含めて、格闘技のイベントやゲームで目立つもの
だ。左は、カプコン
(Capcom)がYou
Tubeにアップして
いる公式動画の冒
頭のキャプチャー。
代表的な格闘ゲーム2つがバトル(格闘)するという、重層的な闘いを扱って
いる。バトルのバトルなのだ。
画面中央では、光のクロス(十字型)が目立ってるが、実はこのゲームの名
前は、「STREET FIGHTER X 鉄拳」であって、中央に「X」が入ってる。
これは、特別ヴァージョン
を示す「エックス」であると
共に、バトルを示す記号
の「X」だろう。上の画像
の少し前でも、単なる光
として映し出されていた。
リアルなバトルで「X」と言うと、例えば剣
道の試合の最初に竹刀をクロスさせるし、
空手の組手(試合)や「型」の演武でも、
拳を握った両手をクロスさせたりする。
左は駿河台大学・極真空手同好会が
YouTubeにアップしてる動画のキャプ
チャーだ。クロスさせた両手は左右に
力強く引き、次の動作に移る。一
応、顔を特定できないものにした。
☆ ☆ ☆
この「X」こそ、小阪のCGの中央、日の丸の丸印の中に大きく描かれてる
ものだ。右下から左上に伸びるのは、ゲームのタイトルと同じ、「鉄拳」。も
ちろん、体罰の象徴で、腕を
毛深くしてあるのは、「動物
的」という意味だろう。左は人
間に近い動物、チンパンジー
の腕だ。ウィキメディア、Iki
waner氏の作品より。CG
に合わせて左右を反転させた。
流石に、動物の握り拳
の写真は適当なものを
見つけにくいので、人
間のイメージを載せて
おこう。ウィキの著作
権切れ写真で、モデル
は空手家・船越義珍。
左右反転&回転させた。
一方、CGの左下から右上に伸びるのは、グー(鉄拳)をからかうような、
パー(開いた手のひら)。こちらは、パーの部分が大きく開いた人間の口
になってる。今回、記事作成の際に初めて気付いたことだが、実は人間
の口の写真で、本当に開いたものはかなり少ないようだ。ということは、
人間の開いた口というのは、言葉を(ペラペラと)喋る姿を強調した文化
的・芸術的表現なのかも知れない。
左は、ウィキで何とか見つけた男性
の笑顔で、Solokin1氏の画像。念
のため、口まわりのみにした。
こちらは人間の手だから、長い毛に覆われてはいないのだが、骨と筋が
「むき出し」のCGになってる所も見落とせない。つまり、動物的な鉄拳、つ
まり体罰と闘う人間の口も、むき出しの生々しい攻撃という意味では同じこ
と。力と理性というより、「力と力」の闘いなのだ。それどころか、言葉によ
る攻撃の方が動物的と思われる場合もいくらでもあるわけで、その程度の
事は、内心気付いてる人が多いだろう。
しかし、今の体罰否定の社会的流れの中では、そういった考えはなかなか
口にできない。良し悪しはさておき、この抑制こそ実は、むき出しではない
人間的配慮なのだ。小阪の場合は
それを、芸術的技巧で控え目に表
現している。ごく少数の閲覧者しか
気付かないだろうし、気付いた人も
むき出しの反発はしないだろう。そ
ういった意味でも、高度なアート=
技術と言える。左はウィキのアニメ画
像を部分的にキャプチャーして、小阪
のCGに合わせて回転させたもの。Anatomographyより。これが、上述の
サルの手とクロスして、X字型になってるのだ。
☆ ☆ ☆
ここまでの内容だけでも十分、インテリジェンスを感じる作品だが、さらに
全体を引き締める技も使われてる。毛が目立つ動物のものにせよ、口が
開いた人間のものにせよ、腕は腕なのだが、2本の腕のクロスの下側が、
暗くて大きな別の口になってるのだ。しかもこちらは、歯が目立つ動物的
な口。おそらく、サルとか霊長類だろう。
つまり、体罰容認派と反対派のバトル全体が、メタレベルの動物的性格を
帯びてるわけだ。動物的人間と、ロゴス(言葉=理性)的人間とのバトルに
遍在(あまねく存在)する、高次の動物性。
動物の方が口や歯が目立つという生物学的事実は、なかなか示唆に富む
ものだし、論客が見落とし
がちな事でもある。頭蓋骨
の絵(左がゴリラ、右が現
代人)はウィキ、Volkov
V.P.氏。元の名前はキ
リル文字表記なので、ア
ルファベットに変換した。
小阪のCGは、よく見ると中央辺りに、目のような物もある気がする。その場
合、全体は大きな猿の顔と腕になるだろう。その上には、遊び心で、これま
た口を大きく開けた可愛い化け物(or 爬虫類)のイラストもある。変身もの
のテレビ番組の映像とか、ゲーム画面とか、
色々ミックスされてそうだ。左はウィキのハロ
ウィン画像、Marie Carianna氏。
☆ ☆ ☆
とにかくトータルとしては、体罰をめぐる人間のバトルを、動物的に描いてる
わけで、凡庸な認識とは根本的に違ってるのだ。「我々」はみな動物的だが、
それを認めて人間的対話を目指すことなら可能。これこそ、「対話するインテ
リジェンス」だ。
動物的な体育会系人間の体罰を、理性的な文系人間の言葉が正しく批判
するという感覚では、「インテリジェントな対話」ではないし、いじめの定義と
もあまり整合的ではない。
文科省の昔の定義も、今の定義も、身体的攻撃と心理的攻撃を区別して
ないのだ。苦痛を感じるものが、いじめであって、身体的でもいじめになら
ないことはあるし、言葉でもいじめになることはある。「暴力」も同様であっ
て、体罰を全否定するのなら、言葉による暴力についても考え直すべきだ
ろう。全否定とまでは言わないが、言葉の暴力の方が遥かに多いというこ
とが忘れられている感がある。
しかし、言葉まで制限すると、学校教育や家庭での教育(しつけも含む)が
成り立つだろうか。と言うよりそもそも、社会とか集団というものが成り立つ
だろうか。前にも当ブログで指摘したが、記憶に残ってるかどうかはさておき、
家庭での体罰というのは、幼少期には特に、かなり多いはずだ。悪い事をし
た子どもの頭をポンと軽く叩くのはどうなのか。あるいは、言葉できつく叱り
つけるのはどうなのか。そういった所まで視野を広げて議論すべきだろう。
☆ ☆ ☆
今回、森達也のコラムが話題にしている死刑という処罰も当然、考慮に入
れるべきことだ。死刑囚とは、極悪人とは限らず、とりあえず司法制度によっ
て極悪人と確定された人間のこと。冤罪の可能性とか、世界的な死刑回避
の動きもあるのに、死刑囚を殺すことなら日本国民の大多数が賛成してい
る訳だ。学校において、今ここで、良くない事をした生徒に対して、「たまに
少し手を出す」ことと比較して、どうだろうか。
私自身は、これも前に書いた話だが、小学校以下の時には学校でも家庭で
も体罰を受けて育った。平手打ちか、身体をつねるか、どちらかがほとんど
だ。どちらも嫌だったが、学校の体罰の8割くらい、家庭の7割くらいは、筋
が通ったものだった。時々、おかしい事、やり過ぎなどがあっても、それはお
互い人間だから当然のこと。トータルで見て、先生は高く評価してるし、感謝
もしてるし、好きだった。親もまた同様。
ただし、私自身は全く体罰は行ってない。それは単に、適当な機会が無かっ
たし、時代や社会の風潮に合わせてるだけのことだ。今後、場合によって
控え目な体罰を行う可能性までは全否定しない。ボディ・ランゲージ、身体
言語という表現もあるのだから。。
☆ ☆ ☆
なお、参考データとして、先日の朝日の世論調査も見ておこう。ランダムな
電話調査で、有権者が対象(子どもは入ってない)。有効回答1603人、
回収率58%。
学校のスポーツ指導に限定して、体罰の是非を問う質問で、71%が「あっ
てはならない」。21%が「あってもよい」。男性が66%対26%。女性が75
%対17%。震災直後の原発に対する態度とかなり似た傾向で、もう少し極
端なものとなってる。
学校のスポーツ指導での体罰を、受けたり見たりしたことが「ある」人は41
%、「ない」は57%。男は52vs47、女は30vs67。「ある」人に限ると、体
罰が「あってもよい」と答えた人は30%で、9ポイント(約4割)も高めだっ
た。これは、放射線や放射能に対する反応と少し似てるだろう。「知ってる」
人は比較的、怖がらないのだ。私の周囲を見ても、ハッキリしている。
まずは、知ること。体罰や処罰一般について、あるいは、それらに対する考
え方について。つまり、現実との対話を目指すインテリジェンスこそが今、
求められている。あまりインテリジェントではない「力と力」の対決という現
実を鋭くえぐり出したものとして、小阪のCGはインテリジェントなアートだろ
う。それは、動物的な力と力に対する、人間的な力として、静かに機能して
いるのだ。。
☆ ☆ ☆
既に時間も字数も無くなったので、あとは簡単に済ませよう。まず、高橋
の時評。いつもながら、素材や切り口の選び方は巧みだし、対話するイン
テリジェンスが必要だというのも、その通りだ。
しかし、何が対話的で、何がそうでないか、それこそが肝心であって、そ
の点については、高橋の立場はいつもと同様だ。ある意味、わかりやす
い善悪の枠組みを維持して、その語り口を変えたにすぎない。
実は、高橋が冒頭で肯定的に言及して、見出しにも反映されているグルー
プ、ライムスターは、皮肉なことに、高橋の時評自体を批判するポテンシャ
ル(可能性)を含む歌詞を書いている。その点だけ、しっかり見ておこう。
ライムスター(RHYMESTER)の新アルバムは『ダーティーサイエンス』、
つまり汚れた科学で、この発想は高橋と似てるし、昔からよくあるものだろ
う。インテリジェンスという言葉を使ったインタビューも同様だ。「80年代の
ヒップホップはインテリジェンスな部分に成り立っていたところがあった」
と語る時、具体例として出したのは、核戦争の恐怖とチェルノブイリの原
発事故の2つだけなのだ(OKMusicのHPに掲載)。
正直、「振り切ったことをやってやろう」とか、「野蛮なる知性」という売り文
句と比べてどうか、と思ったが、2月25日の朝日新聞・夕刊の記事では、
もっと射程の広いグループのように感じられたので、試しに歌詞を読んで
みた。高橋が「選ぶのはキミだ」というサビの部分だけ引用した曲、『The
Choice is Yours』だ。選択はキミ達のもの。
歌詞は最初から、単純な反原発や科学批判とは程遠い内容になっている。
あれが悪い、これが悪いと言ってるだけではダメ。金や陰謀や黒幕では、
話は済まない。世の中は単純ではないから、面倒だけど、自分で考えよう
ぜ。「それもできないんじゃもうジ・エンド」。。読み方によっては、流行に乗っ
た反原発運動に対する批判とも考えられるし、もちろん「キミ」ではなく「自
分たち」ライムスターへの自己批判とか自己鼓舞でもあるだろう。
ところが、高橋の時評では、「とんでもないものを爆発させて、大地を汚し
た科学」とか、麻生太郎、石原伸晃の失言を叩く一方(「対話」が無いとい
う批判)、政治家に鋭い質問を浴びせた人気者・池上彰は絶賛する。この
凡庸な姿勢は、自らが引用したライムスターの歌詞と比較してどうだろうか。
あるいは対話という観点からして、どうだろう。
ちなみに、いまや世論調査でも、原発利用に賛成が37%、反対が46%
で接近して来たし、2030年より前に原発を止めるべきだと回答した人は
37%に留まってる。多くの人は、まだ17年以上も原発を使うつもりであっ
て、実際、原発再稼働に向かう自民党・安倍内閣は圧倒的な人気を誇って
るわけだ。TPPも含めて、高橋の立場とは逆方向に世の中が向かってる。
対話すべき相手は、移り行く現実社会、あるいは、自らと違う立場なのだ。
すなわち、自らの「外部」との対話を目指すインテリジェンスこそ、今求め
られている。「対話するのはキミだ」、とラップ調の見出しで語りかけるのは
いいが、そこでいう「キミ」に、自分自身も含まれてることの認識こそが、人
間的な真のインテリジェンスだろう。。
☆ ☆ ☆
最後に、再び森達也について。コラム『あすを探る』の1月のテーマは社会。
今回のタイトルは、「オウムを『闇』で片付けるな」だ。一言でまとめるなら、
Xデー(死刑)接近と言われる元・オウム真理教の麻原彰晃はまだ処刑する
な、という主張だ。「まだ」というのは広い意味で、かなり長い間とか、今後ずっ
と、という場合も含んでると思われる。
「戦後最大」の事件の首謀者にしては、一審のみであまりに簡単に死刑が確
定。麻原に限らず、この事件では確定死刑囚が既に13人もいて、奇妙なも
のを感じるし、これでは「考える契機を、永遠に失う」というわけだ。真の動機
は何なのか。なぜ、あんな事件が起きて、なぜあのような集団が生じたのか。。
私は、死刑というものについては微妙な立場で、必ずしも反対はしない。部
分肯定&部分否定といった所か。ただ最近は、制度的にも世論的にも、死
刑のハードルが下がり過ぎだと思っている。国家が、動けない状態にした
人間を首吊りにして絞め殺すことの重さ、怖さを、どの程度の人が本気で
考えてるだろうか。具体的にイメージしてるだろうか。
もし、極端に残酷な犯罪を行ったことが客観的に明らかで、本人も認めて
いて、おまけに本人が自らの死刑を認めるのなら、あまり問題はないと思
う。しかし実際は、それどころか冤罪が疑われる死刑囚、あるいは冤罪が
判明した死刑囚だけで、10人以上いるのだ(ウィキペディア、死刑存置問
題の項目)。当然、本当は他にも色々あっただろうし、今後も増えるだろう。
☆ ☆ ☆
ただ、麻原の件に関しては、少なくとも今回の森のコラムには不十分さが
目立っている。Xデーが迫ってるので、慌ててるということだろうか。
決定的に抜けてるのは、現在のオウム(つまりアレフ)に対する麻原の影
響力。実際にどの程度の影響力があるかどうかはさておき、社会全体が
何となく、遥か遠くからの(心理的)影響を恐れてるわけだ。森のコラムは
最後から2行目で、麻原の執行を早まらないことが「社会のため」だと書
いてるが、それよりむしろ、執行の方が「社会のため」だと考えるのが普
通だろう。私も、「ひかりの輪」はともかく、「アレフ」には原点回帰の情報
もあるので、「原点」を残し続けることには少し不安がある。
あと、恐怖を共有した集団が少数派を異物として排除するという森の説明
も、かなり大まかな「物語」だ。彼の立場も少数派だろうが、朝日新聞だけ
でもしばしば掲載されてるし、明治大の特任教授でもある。排除の気配な
ど、それほど強くは感じられない。
排除されない少数派など、森自身の他にも探せばいくらでもあるわけで、
9.11後の米国とオウム後の日本を挙げるだけでは大まか過ぎるだろう。
そもそも現在は多様化の時代。少数派だらけの寄せ集め的な社会だし、
総選挙でもしばしば、少数派が多数派へと変わってるのだ。「物語」と現
実の差異は小さくない。
☆ ☆ ☆
とはいえ、執行されてない今の内に、できる限りの治療を行って、動機その
他の解明を目指すというだけなら、別に悪くないだろう。あれほど有名な死
刑囚だから、ボランティアで治療を引き受ける専門家も、探せばいると思う。
その辺りが、妥協の線ではなかろうか。誰も処刑されてない連合赤軍事件
との比較はさておき。
コミュニケーション困難な死刑囚とでも、「できる範囲で」対話しようとする
のは、立派なインテリジェンスの表れだろう。もちろん、本当に対話できる
かどうか、あるいは対話が利益になるかどうかは別問題。目先の損得や、
敵・味方の表面的区別に関わらず、なるべく対話しようと試みることこそ、
動物的なものを超えた人間的知性のはずだから。
それでは、今回はこの辺で。。☆彡
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞) (11年・4月)
~高橋源一郎&濱野智史&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・11月)
~高橋源一郎&小阪淳&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12月)
~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年5月)
~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年6月)
~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・12年7月)
~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・12年8月)
~小阪淳&高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・12年9月)
~小阪淳&高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・12年10月)
~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年11月)
~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年12月)
~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・13年2月)
(計 8919文字)
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コメント
こんにちは~
昨晩のNHKでチラッと見た「二.二六事件」。
鈴木貫太郎首相が残した言葉が、
母校の校歌にも使われてましたけど、
「正直に 腹を立てずに 撓まず励め」
この「腹を立てずに」について、
コピーライターの糸井重里さんが
深いところまで語ってたのが印象に残り、
テンメイさんの記事を読みながら思い出してました。
相手の立場になることで、腹を立てない。
体罰もインテリジェンスも死刑も…
その考え方は自分の意識を変えることで
大きく変われるんだと思いますが、
それがなかなか儘ならない現実。
少年犯罪や死刑に関しては答えが出せません。
と言うより分かってる事は、被害者はやられ損。
死刑になれば救われる訳ではないことも分かってる。
京都の無免許少年に対しての親御さんたちの心情が痛いほど分かる。
遺族が憎しみや苦痛から逃れる方法って何でしょうね。
この先も、事件に巻き込まれないで生きて行けたら幸せです
死刑執行についての番組を見ながら、
憎しみ込めて下の娘が言ったんです。
死刑執行は次の死刑囚がボタンを押せばいいって。
死刑の順番や人数の決定もどうなってるんですかね。
法務大臣が責められるように画面に映りますが、
私たちには何も分からない。
分からないからテレビの前で好き勝手言える私たちは楽チン身分
テンメイさんが真面目に書いてると、
私もつい硬くなっちゃう
ではヾ(*'-'*)マタネー♪
投稿: mana | 2013年2月27日 (水) 11時44分
> mana さん





おはようございます
意外な所へ来ましたね・・ってこともないか。
要するに、硬いテンメイさんが好きってことね
で、面白い切り口だなぁ。2・26事件。
完璧に忘れてましたよ。2月26日ね。
鈴木貫太郎首相の遺訓。
「正直に 腹を立てずに 撓まず励め」
この「撓まず」が読めなくて、苦労しました (^^ゞ
「撓」って漢字は、読み方が多いもんで。
「たわまず」が本来の読み方だけど、
この場合は「たゆまず」と読むのかな。
NHKでそう説明したらしいですね
ウィキペディアで、鈴木の母校・前橋市立
桃井小学校の項目に書いてました。
正直に、腹を立てずに、真っ直ぐ励み続ける
人が素敵だと♪ 照れるなぁ。。
で、この小学校の「主な出身者」が、
鈴木と糸井重里の2人。なるほど。。
最初、mana さんの母校かと思いましたよ♪
糸井は、「相手の立場になることで、
腹を立てない」と説明したってことかな。
ま、実際はもっと長かったんでしょうけど。
ちなみにウィキの鈴木の項目を見ると、
「お前の今のその答弁は何であるか!」
と大声で叱責した話が載ってます(笑)
実は、鬼の貫太郎、鬼貫と呼ばれてたとか。
「腹を立てる」って表現は、辞書的には
「怒る」って意味になってますが、
かなりニュアンスや使い方が違うと思います。
「腹を立てる」とは普通、人間に対して、
感情的で短絡的に怒ることでしょう。
しかし、「腹を立てないで怒る」ことも
可能だし、それは大切なことのはず。
許せないことに対しては、知らんぷりしたり
流したりするより、怒ることの方が重要。
そもそも、「本当に怒る」人は少ないですからね。
一方、「怒らない」ことも大切でしょう。
それは、怒っても仕方ないし、誰に怒るか
何に怒るか、相手がなかなか定まらない場合とか。
例えば、二・二六事件で自分を殺そうとした相手が
処刑された後の言葉が象徴的ですね。
どの程度、脚色が入ってるのか分からないけど、
ウィキにはこう書いてました。
「首魁(しゅかい;かしらという意味)のような
立場にいたから止むを得ずああいうことになって
しまったのだろうが、思想という点では実に
純真な、惜しい若者を死なせてしまったと思う」
実は相手側も鈴木を高く評価してたようだから、
ますます何が問題なのか、考えてしまう所。。
現代みたいな情報化社会だと、腹を立てるのは、
当事者以外がほとんどなわけですね。人数的に。
殺人事件の遺族とか、不運な遺族が腹を立てるのは
よく「分かる」し、「自然」なことだとも思います。
でも、周囲の人間は、仮に腹が立っても、
一呼吸か二呼吸おくべきでしょう。
文字通り、静かにゆっくり呼吸して、
じっくり物事を見て、色々と考える。
意見を口にする時も、ゆっくりと。。
まあ、そうは言っても、人間の世界ですからね。
当事者はもちろん、当事者でなくても、
腹を立てた方がスッキリ健康的なこともあるし、
むしろ逆に魅力的なこともある。
先日亡くなった映画監督の大島渚も、テレビで
面と向かって、激怒する所が魅力だったんでしょう。
あの人は、怒る一方、着物姿でゆったり感があるし、
笑顔が良かったし、実力も才能もありましたからね。
早くから、『絞死刑』なんて問題作も撮ってたし。
あっ、1年半前にDVDになってるのか。。
最後に、娘さんの発想。ホホーッ、なるほど。。☆
まあでも、僕が担当の死刑囚だったら、ボタン
押しませんよ。自分の番を遅くするために♪
結局、係官が押すことになっちゃうかも。
「憎しみ込めて」って、死刑囚への憎しみですかね。
死刑制度への憎しみも少しは混ざってるのかな。
「罪を憎んで人を憎まず」なんて言葉もありますね。
ただ、人は死刑にできるけど、罪は死刑にできない。
やはり、処罰する対象としての人間が必要なんでしょう。
で、僕が真っ直ぐに頑張ってると、
manaさんもチョコッと硬くなっちゃう?
やっぱり・・とだけ書いときましょう♪
この記事のコメント欄としては(笑)
何事も、セルフ・コントロールが重要なわけです。
静かな持続的抑制こそが、爆発的な歓喜を生み出す。
たわまず、真っ直ぐ励みましょう♪
真っ直ぐだけだと、単調だけどね(笑) ではまた。。
P.S. 「おかしくったって~」のCM、動画で見ましたよ。
これ、アイデアはいいんだけど、
最初は音だけを聞いた方が笑えるでしょ。
突然、耳に入って来た時のmanaさんの
衝撃を想像すると、「可笑しい」かも♪
って言うか、画像検索で出て来るヒロイン・
鮎原こずえのフィギュアがちょっとイイですね。
アブナイわ! 「だって、男の子だもん」 ♡
投稿: テンメイ | 2013年3月 1日 (金) 07時25分