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アートとツール(道具)~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年12月)

(☆2013年4月28日追記: 最新記事をアップ。

 あの日から2年、疎通の深化~小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・13年3月) )     

         

      

          ☆          ☆          ☆

3年近く、毎月書いて来た、朝日新聞「論壇時評」のレビューだが、去年の

11月分を12月6日にアップして以降、ずっと書けないままになっていた。

ブログの毎日更新は続けてるし、学問的内容だけでもそれなりに書いてる

ので、要するに他の記事を優先させたという事だ。別に、特殊な事情があっ

た訳でもなければ、12月の論壇時評が特につまらなかった訳でもない。

    

それどころか、少なくとも小阪淳のCGと高橋源一郎の時評は刺激的で、思

い付く事、書きたい事が多過ぎて、書き始めるのを躊躇してしまったほど。

そうする内に、何と1月分が1月31日・朝刊に掲載されてしまい、既に2月

に入ってしまったので、手早く12月分をレビューしとこう。

               

今のような日本だからこそ、継続は力だということを再認識する必要があ

る。また、個人的な性格として、12月分を飛ばして1月分を書くのは抵抗

があるのだ。たとえ、読者の需要を考えると微妙だとしても。。

       

     

         ☆          ☆          ☆

さて、いつもならまず、小阪のCGを見るわけだが、今回は先に少しだけ、

高橋の時評を見ておこう。オピニオン面の1ページ全体を使った複合記事

「論壇時評」において、メイン扱いの高橋の時評タイトルは、“民主主義の

行方 憲法改正の「アート」な世界”となってる。

    

高橋の主たる意図は、選挙で圧勝した自民党が春の時点で発表してた、

「日本国憲法改正草案」の批判で、皮肉を込めて、“最高の「アート」”と呼

んでる。その前、つまり時評の冒頭に、時事ネタとして話題の現代美術家・

会田誠のアートを褒めてるのだ。「すっごく刺激的」、「ナイス」。

        

つまり、優れた現代アートと比較する形で、「ありえない・・・わざと反感をか

うような表現をとったに決まってる」政治アートを批判する辺りが、高橋の

アート(語源は技術)なのだ。ちなみに冒頭のラストで高橋が挙げるアート

の力とは、「現実すれすれのところで、ありえないものを描き、そのことで、

いま見ている現実がなんだか嘘臭く見えてくる」ような性質のことらしい。

     

この引用文の最初の「現実」と、最後の「現実」の間には、意味のズレが

あるが、そこは今、おいとこう。要するに、「嘘臭く」という否定的な形容詞

を、続く自民党の憲法草案につないでるわけで、会田誠のアートを見て、

「現実」の方が嘘臭く見える人というのは僅かだろう。仮に嘘臭く見えたと

しても、熱心な観賞中および観賞直後の一時的効果にすぎないはずだ。

            

先日、当サイトでも軽い記事を書いたが、過激な非-現実を描いてるので、

そちらにリアルさのようなインパクトを感じるとしても、いわゆる現実世界が

揺らぐことはほとんどない。現実のどこを見ても、巨大フジ隊員も怪獣キン

グギドラも切腹女子高生もいないのだから。まあ、四肢を切断されて首輪

をつけられた少女に関してだけは、現実のどこかにいるかも知れないし、

これから現実化される可能性もあるわけで、だからクレームがついたのだ

ろうが。。

      

     

          ☆          ☆          ☆

アートというものは一般に、何らかの意味で現実とはかけ離れてる。会田

とは対極的なアートとして、現実をそのまま再現したようなアート(特に3次

元)もあるが、それですら、本物と比べるとかけ離れてるのだ。例えば、外

見がほとんど同じであっても、中身が全く違うとか、素材が全く違うとか。だ

からこそアートだし、だからこそ鑑賞者も驚くことになる。

         

それに対して、ツール=道具というものは本質的に違ってる。もちろんアー

トのような道具もあるが、そのアート性はデザインに関するものであって、使

い道に関しては普通なのだ。道具とは、人間が現実(しばしば日常)で使う

ものとして存在する。

       

人間と切り離された物体としての道具が先に存在して、それを人間が使う

のではない。そんな余所余所しいものではなく、道具とは、その都度すでに、

人間が使うものとして存在している。意識的にせよ、無意識的にせよ、その

他多くの道具と共に。

    

この密接不可分な全体的連関を強調したのが、二十世紀を代表する実存

哲学者ハイデガーだった。主著『存在と時間』(1927)では、次のように定

義づけている。われわれ人間(=現存在)にとって、「配慮的な気遣いのう

ちで出会われる存在者を『道具』と名づける」(中央公論社『ハイデガー』所

収、p.157)。もちろん、ここでいう道具とは、ネガティブな意味ではなく、

わりとポジティブな意味だ。

      

なお、英語版のウィクショナリーで「tool」の語源を見ると、「備えるためのも

の」らしい。一方、小学館『日本大百科全書』によると、日本語の「道具」とい

う言葉は、仏道のための具(そな)えという意味で使われて来たようで、英語・

日本語に関わらず、本質的に「使うためのもの」を表してるのだろう。。

     

    

          ☆          ☆          ☆

ここでようやく、小阪淳のCGを見てみる。「道具」と題する、「現代社会を

イメージした作品」なのだが、このCGアート自体は、多くの人にとって、現

代社会をイメージする道具としては機能しないだろう。というのも、あらか

じめ様々なことが分かってなければ、何を描いてるのか分からないからだ。

       

それに対して、会田誠のアートであれば、誰でもその過激さを一通り楽し

めるし、世間的な話題にもしやすい。つまり、ある意味、意味深な現代アー

トではあるが、使いやすいツール=道具としても存在している。この点が、

小阪と会田の大きな違いだろう。

     

ただし、良し悪しはともかく、小阪のCGのアート性というのは、2年前まで

の方が高かったのかも知れない。当時、私には何の絵なのか分からず、美

しさや刺激、テクニックを味わう素養も無かったので、記事でも素通りに近

かった。その後、ある程度、意味を解釈しやすい作品になったので、それ

なりにレビューするようになったのだ。つまり、私にとって、考えるため、語

るため、味わうための道具的な存在になったことになる。

   

    

         ☆          ☆          ☆

では、どんな解釈が可能となるのか。CGは、縦長の暗い画面の中に、数

十本程度のミサイルのような細長い金属が並んだ構図だ。

   

まずは。このCGの公開日が重要であって、2012年12月20日掲載の

12月分だから、11月末~12月半ばまでの現代社会を反映してるはず。

その間、もっとも話題になったのは総選挙だが、それは11月分のCGで

既に話題にした素材だった。

        

よって、総選挙を除いて考えれば、北朝鮮が発射したロケット、またはミサ

130203a

  イルがまず思い浮かぶ

  だろう。12月12日の

  発射で、それ以前から話

  題になってたから、小阪

  が題材とするのには丁度

  いいタイミングだったは

  ず。左上は、ケネディ宇

  宙センターのロケットで、

130203h

  作者はgvgoebe氏。左は、ホワイトサンズ・ミサ

  イル実験場博物館のミサイル。作者は米軍で、

  共にウィキメディアで公開されてるものだ。以下

  の写真も全てウィキより(図解のみ別)。

       

  ちなみに、朝日新聞・12月13日の朝刊によると、

  宇宙ロケットと弾道ミサイルの構造は、ほぼ同じ

  らしい。ただ、軌道がミサイルの方が高く、しか

130203i

  もそこから再び地表に落ちて

  来るので、(空気の摩擦によ

  る)加熱から弾頭を守る技術

  が必要。左は防衛白書2009。

   

       

      (ここまて計2922文字。今週は計19997文字。以下、翌週分。)

    

(☆追記: 執筆直後の朝日新聞報道。北朝鮮は内部だと、ミサイルとして

       説明してるとのこと。) 

          

      

          ☆          ☆          ☆

ところで、複数のミサイルのCGなら、それぞれが少し離れてるはずだが、

小阪のCGでは密集してるし、妙に背景が暗い。だからこそ、ミサイルには

見えなかった読者が多いだろう。そうなるとやや特殊な現代的知識が必要

になる。

      

130203c

  つまりこれは、総選挙のかなり大きな争点で

  もあった原発の、文字通り「核心」なのだ。原

  子炉の炉心にある、細長い燃料棒だろう。

  左は、米国原子力規制委員会の写真。

     

  ちなみに燃料棒は、数十本~数百本程度

  が燃料集合体として束ねられ、制御棒と

  共に炉心を形成してるらしい。左下は、原

  子力・エネルギー図面集2012より(電気

  事業連合会)。日本で多い沸騰水型炉だ。

       

  1本の燃料棒の中には、数百個程度の

  燃料ペレットが充填されている。各ペレッ

130203d

  トは、直径と長さが1cm程度の小さな円

  柱形だ。左下の小さな粒がそれで、写真

  は米国エネルギー省より。

     

  こうした写真や図、あるいは説明は、そ

  の気になると、3.11以降、あちこちで

  見かけたわけだが、日常生活から縁遠

  い複雑な世界のことでもあり、多くの人

  はいまだに知らないだろう。

     

  そもそも、べクレルとシーベルトの関係さえ、

  まださほど理解されてないのが日本の現状

  で、だからこそ、今年の冬(2012年度末)

130203e

  から、中学校の義務教育に取り

  入れられたわけだ。

     

  ちなみに左の手のひらにある細

  長い棒(被覆管)はジルコニウム

  合金で、中にペレットを詰める。

  棒の長さは4mほどもあるらし

い。濃縮でウラン235の割合を高めた二酸化ウランで作られる小さなペ

レット1個が、1家庭の8.3ヶ月分の電力量に相当するようだ。電気事業

連合会HPによると、1家庭の1ヶ月で約300kwhだから、ペレット1粒で

約2500kwh。もちろん反原発派に言わせれば、諸々のコストを考えてな

い机上の空論ということになるのだろう。

   

130203g

  参考までに燃料棒と

  原子炉の関係も確認

  しておこう。左が沸騰

  水型炉の原子炉圧力

  容器で、福島第一原

  発のメルトダウン(炉

  心溶融)の説明でよ

  く見かけた類の図だ。         

  この外側を、原子炉

  格納容器が覆ってる。

  図は電気事業連合会

  HPより。。

    

     

          ☆          ☆          ☆ 

北朝鮮のロケット=ミサイルは、戦争・防衛や国威発揚、あるいは政治駆

130203f

  け引きの道具であり、原子炉の燃料棒は発

  電の道具である。他に、小阪のCGが意味

  し得るものとして、銃弾=ブレットも挙げら

  れよう。左はDerek280氏の写真。

    

  日本時間で12月14日の深夜だから、

ちょうどCGの原稿締切日くらいだろうか。米国の小学校で銃乱射事件が発

生し、自殺した犯人と殺された母親も含めれば計28人もの命が奪われた。

相変わらずの危険な銃社会だが、今後も大きな改革は期待できないようだ。

           

ともあれ、道具というものは一般に、プラスにもマイナスにも使えるものだ

し、ある人、ある主体にとって有益であるものが、別の人や主体にとって

は危険物と思われたりする。要するに、使う側の我々に、総合的な意味

でのハイレベルな技術や知識が必要であって、それこそまさにアート=技

術の名にふさわしいものだろう。それがあって初めて、物の側も、立派な

道具として存在し得るわけだ。

     

それにしても、ロケット、ミサイル、燃料棒、銃弾、いずれも形や機能が男

根=ファルス的で、男が好み、女が不安を抱くことが多いという事実は、精

神分析学的にも興味深い。女の不安とは、単なる拒絶ではなく、男根欠如

に関わる両義的な思い、つまり去勢コンプレックスの表れということになる

のだろう。。

       

    

         ☆          ☆          ☆

既に時間も字数も使ってしまったので、後は簡単に。高橋源一郎の時評

は、例の憲法草案で「公益及び公の秩序」が乱発してるのを批判し、その

自分の批判が「公の秩序」に反するとされることを危惧する。さらに、第21

条で、表現の自由に対しても、「公」による制限が加わってることに驚き、

起草委員たち(西田昌司、片山さつき)自身が国民主権と基本的人権を

否定していることを、「ありえない」ほどの首尾一貫性だと皮肉る。

     

ここで私なら、現行憲法でも表現の自由に制限がある点について直ちに考

えるが、高橋は疲れ切った様子で話題を変え、民主主義という制度の限界

と可能性を少し扱う(雑誌『アステイオン』の特集)。いまや民主主義の内側

にその敵がいるという話は、簡単にまとめてしまうと昔ながらの考えに過ぎ

ないので、さほど意味はない。現在的視点で具体的に詳しく語る必要があ

るのだ。

   

ただ、高橋が最後に持ち出したエクアドル憲法というのは、ちょっと面白い

コネタではある。自然自体、パチャママ(母なる大地)に、「その存在と維持

そして再生を尊重される権利」を保障してるというのだ。この憲法が、人と

自然に優しいアートだという指摘には、私も同意する。ただ、自然の「恣意

的な乱獲」を拒めるという時、実際には誰がどのように自然の権利を守る

のか、その点が「現実」の問題であって、そこからが大変なわけだ。。

     

     

         ☆          ☆          ☆

最後に、コラム「あすを探る」について。今回は科学がテーマで、科学技術

社会論の平川秀幸が担当。タイトルは、「震災後の萌芽つぶさないで」。い

つもと同じく、新聞の解説記事のような文章で、まとまりが良くて当たり障り

のない文章だし、方向性には特に反論も無いが、「論壇時評」のコラムとし

てはどうだろう。

        

平川はまず、低投票率の総選挙で昔の政治体制に戻ったことから書き始

める。柔らかい形で批判してるのだが、なぜ「3・11前に時間が巻き戻った」

のかについては語らない。その代わりに、新たな動きの萌芽を育てるべき

として、3つの具体例を挙げている。

   

1つ目は、エネルギーについての討論型世論調査。より広く言うなら、国民

的議論。これが実りあるものになってたかどうかは、相当怪しいが、方向

性とか試行錯誤としてはいいと思う。ただ、そんな話なら、朝日新聞だけで

も既に度々書かれてたことだ。2つ目は、文科省が開催した、イノベーショ

ン政策の方向性を探るためのワークショップ。理系、文系、産業界、NPO、

48人集まったそうだが、正直これが新たな動きなのかどうか、判断に困っ

てしまう。10~20年後の未来像を語った点が新しいということだろうか。

     

3つ目がもっとも専門的な話で、英国に続いてEUにも置かれた首席科学

顧問という制度とポスト。首相相手の顧問で、専門家の意見や情報を迅速

にまとめあげるというのだが、既にある、あるいは過去にあった科学者組

織と何が違うのか、ハッキリとは分からない。

           

朝日新聞8月2日・朝刊に、EUの初代顧問・アン・グローバーのインタビュー

記事がある。彼女が3・11後、東京の英国学校長に、学校閉鎖の必要は

ないと明言したのは、少なくとも「その時点で正しい」判断だと思うが、その

程度のことなら、特に素晴らしい動きとも思えない。英国の首相か大臣が

判断するより早くて正確なのかどうか、比較の材料がないのだ。取材した

編集委員・高橋真理子も、微妙な感想のように思われる。そもそも、首都

圏の外国人全体だと、かなり動揺が広がったのが実状だった。

      

その一方、平川が最後に漠然と書いてる、民間レベルでの萌芽について

なら、あまりに僅かではあるものの、確かに私も感じてることだ。政治家任

せ、専門家任せにせず、自分たちで考え、議論し、行動する動き。実際、

当サイトでも、放射線・原発関連で2年弱の間に五十本ほどの記事をアッ

プ、多くのアクセスを頂いてる。今後も微力ながら、そうした努力は続け

るつもりだ。

     

各自が、できる範囲で、できるだけ正しく主体的に考え、議論し、行動する。

こうした本来は当たり前の事が、ほんの少し進展し始めた点は、大震災に

おける「不幸中のほんの僅かな幸い」と呼べるかも知れない。原発や代替

施設、メディア、各種機関など、さまざまな要素を正しく認識して、使いこな

せるツール=道具とすること。この困難なアート=技術の習得に向けた微

かな動きは、「つぶさないで」おきたいと思う。

   

それでは、今日はこの辺で。。☆彡

    

      

     

cf. 「天才でごめんなさい」~過激な職人芸術家、会田誠とか

            

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  震災後、身の丈超えぬ「ことば」に希望

      ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞) (11年・4月)

  非正規の思考、その可能性と危険性

         ~高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・5月)

  みんなで上を向いた先に真実はあるか

         ~高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・6月)

  スローな民主主義と『スローなブギにしてくれ』

          ~高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・7月)

  柔らかさ、面白さが無ければ伝わらないのか

          ~高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・8月)

  人を指さす政治的行為のマナー

          ~高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・9月)

  希望の共同体を楽しく探るために

          ~高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・10月)

  アート・ロック・ゲーム、多様な変革運動

    ~高橋源一郎&濱野智史&小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・11月)

  どの常識をどう疑い、何に立ち向かうのか

    ~高橋源一郎&小阪淳&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12月)

  対称的な関係の中にある前進

    ~高橋源一郎&小阪淳&森達也「論壇時評」(朝日新聞・1月)

  現在の中に過去を見ること

    ~高橋源一郎&小阪淳&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・2月)

  自ら切りひらく主体相互の共生

          ~小阪淳ほか「論壇時評」(朝日新聞・3月)  (未完)

  「常識がない」ということの意味

        ~小阪淳ほか「論壇時評」(朝日新聞・12年4月)  (未完)

  破壊と建設、善意と悪意

   ~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年5月)

  未来を「一から」創り出すこと

   ~小阪淳&高橋源一郎&平川秀幸「論壇時評」(朝日新聞・12年6月)

  古きを温め、新しきを育む

   ~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・12年7月)

  変える楽しみ、保つ安らぎ

   ~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・12年8月)

  不変の変化という、不変の夢

   ~小阪淳&高橋源一郎&酒井啓子「論壇時評」(朝日新聞・12年9月)

  方舟の進路、風任せにしない

   ~小阪淳&高橋源一郎&小熊英二「論壇時評」(朝日新聞・12年10月)

  和解の方向、未来からの審判

   ~小阪淳&高橋源一郎&濱野智史「論壇時評」(朝日新聞・12年11月)

  対話するインテリジェンス

   ~小阪淳&高橋源一郎&森達也「論壇時評」(朝日新聞・13年1月)

  ひとりで揺れる時の振幅

    ~小阪淳&高橋源一郎&菅原琢「論壇時評」(朝日新聞・13年2月)

      

                (翌日以降分 4319文字 ; 計 7204文字)

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