SMプレイと虐待トラウマ~『フィフティ・シェイズ・ダーカー』
☆15年7月8日追記: 映画批評をアップ(約6000字)。
鉛筆を唇にあてて夢見る女の子
~映画『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』レビュー
☆ ☆ ☆
いまや世界で8400万部(!)を超える大ベストセラーになったという、ママ
向けSM小説3部作、『フィフティ・シェイズ』。その第一弾である『フィフティ・
シェイズ・オブ・グレイ』(早川書房)について、3ヶ月前に簡単な感想記事を
書いたら、予想以上のアクセスが続いてる。
大ベストセラーのママ向けSM小説、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』
正直、それほど男性ウケする内容とは思えないので、やはり女性にウケて
るんだろう。少し見方をズラすと、あまり男性ウケしないから、書き手が少な
くて、ネット情報もそれほど多くないのだと思う。
意外なことに、日本のウィキペディアにはいまだに項目が無いし、英語版
のウィキでさえ、第一弾『グレイ』の項目があるのみ。第二弾『ダーカー』
(原書は2011年9月)、第三弾『フリード』(同・12年1月)の項目は無い
し、『グレイ』の項目に全てがまとめられてる訳でもない。やはりこれは、
変わった官能小説だ。。
(☆15年1月28日追記: その後、『ダーカー』の英語版ウィキは14年6月、
『フリード』の項目は14年8月に作成されてた。
また、『グレイ』の項目を読むと、既に1億部を突
破してるらしい。)
☆ ☆ ☆
あらためて確認しとくと、「フィフティ・シェイズ」(fifty shades)とは、五十
の陰=彩(あや)。直接的には、主人公の一人であるドミナント(dominant
=支配者)の美青年・グレイ(Grey)の性格が、「五十通り」に歪んでること
を表してる。
さらに言うなら、作者のE.L.Jamesは英国の女性で、英国では「grey」
という綴りが「gray」(グレー=灰色)を表すらしい。すると元のタイトルは、
灰色の五十通りのニュアンス、といった感じの意味にもなる。灰色とは、苦
悩する男性・グレイを表すと共に、彼をそういった状況に追い込んだ不幸
な境遇や世の中全体をも表すだろう。
つまり、第一部では金・名誉・美貌・権力を誇示するドミナント(支配者)と
して描かれてたグレイは、実はサブミッシブ(submissive=服従者)でも
ある。だからこそグレイは、第二部において、自らにとってのサブミッシブ
であったはずの若い女性・アナの前にひざまずいて、涙までこぼすのだ。
SとMの関係は常に反転可能で両義的なものだというのは、精神分析学
その他、心理学が昔から示してたことだし、実際の世の中を見ても確かに
そう感じる。その意味でやはり、このマミー・ポルノは基本を押さえてある。
さらに三部作全体で見ると、幼児期の虐待からの回復を鮮やかに描いて
るのだ。つまり、まず『グレイ』で歪んだ性癖を描き、『ダーカー』(darker)
では彼の「より暗い」領域に入って行く。BDSM(Bondage・Discipline・
Sadism・Masochism=束縛・調教・サド・マゾ)にのめり込ませた幼児期
のトラウマ(Trauma=心的外傷)と、それ以降の成長過程。そしておそら
く最後、『フリード』において、彼はアナの手助けで「解放される」(フリード=
freed)はずだ。
裏返せばそれは、処女の女子大生だったアナスタシア・スティールが、立
派な素人セラピストへと成長することでもある。ただし、それだけでは普通
過ぎるので、SMというセクシャルな仕掛けを導入し、大当たりしたというわ
けだ。前回の記事では、私はあまり評価しなかったが、『ダーカー』を読ん
だ後では、かなり評価が上がってる。精神医学的な回復&成長物語として
なら、かなり面白く出来上がってる部類だろう。。
☆ ☆ ☆
では、その第二部、『フィフティ・シェイズ・ダーカー』の中身を見て行こう。邦
訳は2月26日に出版されたばかりだ(池田真紀子・訳)。まだ読んでない人
が多いだろうから、以下はかなりのネタバレ的内容になる。くれぐれも、ご注
意あれ。。
『グレイ』では、ヒロインである女子大生アナの日常生活から話がスタートし
たが、今回はいきなり、「ダーク」な重い場面から始まる。薬(ドラッグ)に溺
れた売春婦と、その小さな男の子のもとに、ヒモである男がやって来る。こ
の男が、実の父親かどうかはともかく、男なのにバックル付きのブーツを履
いて、ベルトで母親を叩くのだ。続いて、テーブルの下に隠れてる男の子を
探し出す所で、グレイの悪夢が覚める。ここまでがプロローグで、英語なら
アマゾンHPで読める。
さらに、ここまでの流れから容易に予想できるように、男は子どもをタバコ
の灰皿代わりにして、グリグリ押しつけて火傷を負わせたようだ。消えずに
残った痕を見せたくないから、その男の子はやがて、自分を見るな、触る
なと命令することになる。それが、五十通り(フィフティ・シェイズ)に歪んで
成長した、あるいは成長しそこねてアダルト・チルドレンとなった、グレイな
のだ。
☆ ☆ ☆
彼の幼児体験の影響は、直後のアナとの会話でも遠回しに表現される。
この小説、よく読むと、軽い婉曲表現に満ちてるのだ。
第一部『グレイ』の最後は、本気で強く叩いて欲しいというアナの願いに
従って、グレイがアナを叩き、耐えられないと悟ったアナが、別れを決意
する。彼からの卒業と大学からの卒業が重ねられた後、第二部の冒頭
では、新人OLアナが。彼からの誘いに再び応じてしまう。この間、僅か
数日しか経ってない♪
そして、アナが友人ケイトのハイヒール・ブーツを借りて履いてた時、グレ
イの目が暗く光るのだ。この時点では、幼い頃の父親のブーツを思い出
させるものだろうと感じるのだが、『ダーカー』の終盤までには、どうやらも
う一つの意味がありそうだと気付くことになる。つまり、十代の少年グレイ
を支配した年上の美女、エレナ・リンカーンの象徴ということだ。ハッキリと
は書かれてないが、女王様と言えば定番アイテムがハイヒールのブーツ
だろう。とりわけ、BDSMの世界では。ちなみにグレイのハイヒールへの
こだわりは、他の場所にも書かれてた。
幼い頃のグレイには、暴力的な男(父でないと語ってる)のブーツが目の
前に君臨した。少年時代には、エレナの女王様ブーツが君臨した。そし
て今、目の前には、サブミッシブ(服従者)に仕立てようとして上手くいか
ない女性、アナのブーツがある。グレイの目が「より暗く」(ダーカー)なっ
た後、あっさりアナの前でひざまずいてしまうのは、自然な流れだろう。
ただし、一時的な服従だし、比較的ノーマルなアナとしても、支配者の側
に転じる気は毛頭ないわけだ。。
☆ ☆ ☆
ここで、五十通り(フィフティ・シェイズ)とまでは言わないものの、グレイの
歪みを要素に分解してみよう。
まず、かなり単純な模倣、あるいは反復がある。幼い頃、心に固着してし
まった父親の姿のように、支配的な男性として女性を服従させるのだ。あ
る意味、退行と言ってもいいし、強迫的なロールプレイ(役割演技)と言っ
てもいい。次に、自己否定とか無力感。つまり、幼い頃、何も抵抗できな
いまま虐待されてしまった経験(自分&母)が、そのまま残ってしまってる。
続いて、母親へのアンビバレント(両面価値的)な強い思い。言葉の本来
の意味での、マザー・コンプレックス。つまり、母はどうしようもない状態に
なってたし、自分を助けてもくれなかったから、憎むべき対象である。しか
しそれでも、自分は母が好きだったし、暴力的に支配される母を見て、幼
心に可哀想だとも思っただろう。倒錯的快感も混ざってた可能性がある。
こうした複雑な思いが、若き億万長者へと成長した後のグレイにも潜んで
るので、つい母親に似た女性を愛し、かつ支配してしまう。その最たるもの
が、アナだったわけだ。そうすると『ダーカー』の序盤で、友人男性・ホセが
アナを撮った写真を、グレイが買い占めた意味も分かるだろう。単なる男
の嫉妬ではなく、「母親」の写真を買い占めたということになる。そう言えば、
グレイのヨットにも、「育ての母」の名前(グレース)が付けられてた。それを
知ったアナは、複雑な反応を示していた。
さらに言うなら、グレイが支配者として、服従する女性を叩くことは、要する
に自分を叩くことでもある。支配者に逆らえなかった幼い無力の自分を、
目の前の女性へと投影して叩き、罰すること。その思いを、普通の性的欲
望と重ねると共に、自分自身はもはや痛い思いをしなくて済む。
ただし、15人ほどいたらしい服従女性はやはり、「本物」ではなかったから、
関係(あるいは契約)はすぐにアッサリ終了した。ところが幸運にも。ようや
く「本物」に巡り合えたのだ。自分を愛してくれると共に、BDSMの趣味も
適度に共有してくれて、しかも自分に服従してしまうことはない、絶妙な位
置を保つ素敵な女性。それこそ、アナ・スティールだった。。
☆ ☆ ☆
精神分析的には、グレイは、歪み過ぎたエディプス・コンプレックスに苦悩
し続けてる。つまり、両親への複雑な思いが、あまりに強くて複雑なので、
正常な大人への成長が出来ないままなのだ。あるいは、ファルス(男根=
男性性)の欠如をめぐる複雑な思い、去勢コンプレックスに苛まれ続けて
ると言ってもいい。
この美青年を救うのは、最終的にはヒロインのアナだが、媒介役として登
場する医師(ドクター)は、やや変わった治療法を提案している。SFBT。
ソリューション・フォーカスト・ブリーフ・セラピー(Solution Focused Brief
Therapy)で、「解決志向短期療法」と訳されてた。
現代の精神医学は薬で治療するし、普通の心理療法は患者(クライエント)
の過去(と現在)を重視する。それに対して解決志向短期療法では、患者
の未来をどう決定し、どうやってそこに向かうか、その点にフォーカス(焦点)
を絞り、未来志向で少しずつ対話を進めて行くらしい。プラトンからヘーゲル
に至る哲学の歴史も踏まえてのことか、「弁証法的アプローチ」という言葉
も使われてた。
『フィフティ・シェイズ』の物語全体も、文章的には長編だけど、時間的には
まだあまり経過してないと思われる。わりと「短期」間にグレイとアナが結婚
し、子どもも生まれ、グレイが過去の束縛からフリーになる(フリード)。一
方、グレイの過去については、直接的には少ししか語られないわけで、その
意味では、グレイに対するアナの支え自体が、解決志向短期療法(SFBT)
とも言えるだろう。
本物の(狭義の)SFBTという談話療法については、英語版ウィキに興味深
い説明がある。例えば、こんな風変わりな質問&応答が行われるらしい。
カウンセラー: 「この後、今夜あなたが眠ってる間に奇跡的な変化が
起きて、問題が解決したとします。あなたが翌朝、そ
の事に気付くとすると、何が改善のしるしでしょうか?」
患者: 「分かりません・・・・・・あぁ、例えば、誰かに悪口を言わ
れても心が乱れないということでしょうかね」
この時、差し当たりの目標として、「悪口を言われても心が乱れない自分」
というものが置かれる。では、心を乱す代わりに何をするのか、といった感
じで、より良き未来の自分を志向していくようだ。。
☆ ☆ ☆
なお、世俗的興味が向かいやすい性的な描写は、『ダーカー』よりむしろ『グ
レイ』の方が目立ってた気がする。『ダーカー』ではむしろ、精神医学的な話
や、周囲からの様々な嫉妬(男&女)などが描かれてるので、『グレイ』の方
が発行部数が多いのは自然なこと。英語版ウィキが『グレイ』しか扱ってない
のも理解できるだろう。
まあ、折角、本の表紙に仮面を描いてることだし、仮面舞踏会のシーンくら
いはもう少しエロスを表現して欲しかった気はする。普通のSM小説なら、
「おそらく」もっと過激なエピソードが組み込まれる所「だろう」♪ その辺り
は、今後の映画化に期待するべきかも知れない。
男性読者として、ちょっと思ったのは、解放された後のグレイにとって、今度
は女房と子どもが手枷・足枷になるのではないか、ということ。まあ、それは
健全なBDSM、束縛&攻撃プレイなのかも。ちなみにアナも、グレイの医師
も、合意に基づく健全なSMプレイには賛成してた。
特にアナのお気に入りは、紐でつながれた2つの銀の球を入れた状態で
叩かれることらしい♪ 名前はアナ・スティール(Ana Steele)だが、アナ
ル(anal)の奪取(steal)については少し待って、という感じだった。この辺
りも、女性向けSM小説の特徴の一つかも知れない。
ここまで来たら、3月22日刊行予定の第三部『フリード』も読んで、レビュー
したいと思ってる(☆追記: 4月上旬に延期)。ただ、既に物語の全体が見
えた気もするので、意外性が無かった場合、レビューと言うより単なる短い
感想記事で済ませるつもりだ(15年2月現在まだ延期中)。解放された2人
が自由にプレイする様子が刺激的なら、話は別だけど♪
それでは、今回はこの辺で。。☆彡
P.S. 15年2月11日のベルリン映画祭での上映では、評価が分かれてる
ようだ。公式動画から予想されるように、かなりソフトな内容らしい。
続編2本は既に確定してるようで、『ダーカー』公開は2016年の予定。
P.S.2 17年の夏になってようやく、既に日本で『ダーカー』の
映画が公開されてることに気づいた。『グレイ』と違って、
あまりにも話題になってないが、6月23日に公開開始。
関東では早くも公開終了。
一方、海外では、評価はさておき、まずまずヒットしてる
ようだ。全世界の興行収入は現在、約400億円。日本
のデータは見当たらないが、この100分の1くらいか。。
cf. 大ベストセラーのママ向けSM小説、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』
(計 5441文字)
(追記 174字 ; 合計 5615字)
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コメント
うんうんと頷くいながら一気に読みいってしまいました!。多くの読者とくに男性がこの物語はつまらない、全然SMじゃないと文句をたれたレビューしかなく私は途中で読むことを断念してしまいましたが、的を当てた解説がとても納得しました!
投稿: マリアナ | 2015年8月14日 (金) 11時29分
> マリアナ さん
はじめまして。コメントありがとうございます。
おそらく女性の方でしょうね。
男性と女性で、性的な好みはかなり違うので、
普通の男性向けSM小説を期待した読者にとっては
確かに拍子抜けの緩さだと思います。
まあでも、女性が書いた女性向けSMだというのは
最初から分かってること。
男性としては、視点を変えて読む必要があるでしょう。
その点、女性は素直に楽しめるようですね。
あまり知らないBDSMの世界と、普段から関心の
高い恋愛・精神医学・心理学の世界との融合。
ウチのレビューも満足して頂けたようで、嬉しいです♪
わざわざ、どうもでした。。
投稿: テンメイ | 2015年8月16日 (日) 01時30分